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【考察】念仏の勧めについてⅡ(7)

これまで見てきたように、親鸞聖人の御時は教義的には大きく二つ、対聖道門と、対浄土門内の異流の問題がありました。聖人の時代は、そこからおよそ200年後の蓮如上人時代の問題とは異なり、対聖道門のウエイトが大きいです。鎌倉初期は、まだ浄土宗が聖道門から離れて一宗として独立せんとしてからそれほど年月が経っていません。浄土宗の開宗は1175年と言われ、およそその辺りから末法五濁の我らでも救われる浄土の教え、念仏の教えがだんだんと民衆に弘まっていくわけですが、そこに大きく立ちはだかったのが聖道諸宗でした。

いつの時代、どこの国でも、保守と革新と言いますか、やはり何か新しいことを発そうとすると、必ず旧勢力がそこに立ちはだかるものです。興福寺奏状では、まず

第一 新宗を立つる失

を挙げて正統な論拠を示すことなく、勅許も得ずして、新しい宗派を立てることはおかしいという非難に始まり、全九箇条に亘って徹底的に浄土宗を非難攻撃しています。浄土宗の教義に関しては主に

第四 万善を妨ぐる失
第六 浄土に暗き失
第七 念仏を誤る失


の三箇条ですが、他条にも所々、諸善を捨てて専修念仏はおかしいということに触れています。また、専修念仏を信奉する一部の者達による非常識な言動についても述べられています。このように、法然の説くところは教義的にも、それを信奉する人々の倫理的な側面から見ても仏教ではない、こんな教えが世に弘まったら国の終わりだ、そうなる前に何とかしてほしいと訴えています。

そうやって、浄土宗誕生からわずか30年余りで起こった専修念仏の大弾圧事件がかの承元の法難です。その思想的根拠となったのが興福寺奏状です。更にそこから20年後には、嘉禄の法難が起きています。その原因となったのが延暦寺奏状です。その他にも浄土宗、法然聖人の教えは何度も窮地に立たされ、多くの念仏者が死刑や流刑といった極刑に処されたり、今では考えられない暴力を振るわれたりと、様々な迫害を受けました。


なぜこうも執拗に浄土宗、法然聖人の教えが弾圧されたのでしょうか。それは教義的に言えば

法然の教えは仏教ではない

と見做されたからです。特に聖道の修行である諸善万行をことごとく雑行と名づけて廃し、どんな愚かな者もただ称名念仏の一行のみで往生できると主張したことが、彼らにとって最も許せないことであったに違いありません。最下の悪人でも行ずることのできる称名念仏という劣行をもって往生の行と定め、仏教に広く説かれる諸善万行を捨てしめることは謗法であり、断じてこんな教えは仏教ではないと、激しい怒りを買ったわけです。

それに対して親鸞聖人は、いや、法然聖人の教えこそ真実の仏教だと。それを証明しようじゃないかと『教行証文類』、正確には『顕浄土真実教行証文類』を著されたのでしょう。この題号には、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。

と「後序」の文にある如く、時代が経るについて滅びゆく聖道門の教行証に対して、どんな時代のどんな人も平等に救われる浄土門の教行証があるんだ、これこそ真実の仏教だ、これはお師匠様の法然聖人や親鸞が勝手に言っていることではなく、お釈迦様を始めこれまでインド、中国、朝鮮、日本に出られた高僧知識方が仰っているんだ、そのことを経、論、釈の文を集めて証明した書がこれだ、という意味が込められていると推察します。


では、どうしたら法然聖人の教えこそ真実の仏教だと証明することができるでしょうか。お分かりのように、聖道諸宗からは「諸善を捨てて専修念仏、称名念仏の一行」という行を否定されています。これに対して、法然聖人の教えの真実性を明らかにするためには、専修念仏、称名念仏の一行こそが真実の仏教であることを証明する必要があったのです。

仏教と言えば教行証です。存覚上人はこれについて

「教行証」とは、いわゆる次の如く所依・所修・所得の法なり。霊芝の『弥陀経義疏』に云わく「大覚世尊一代の教は、大小殊なるといえども、教理行果を出でず。教に因りて理を顕わし、理に依りて行を起こし、行に由りて果を克す。四法にこれを収むるに鮮〈すこ〉しきも尽くさざることなし」已上。教行証と教理行果と、その義は大いに同じ。中に於いて教行の二種は全く同じ。理はこれ教に摂す。彼の『義疏』に云わく「理は即ち教の体なり」。即ちその義なり。証は即ち果なり。果に近遠あり。近果は往生、遠果は成仏なり。証に分極あり。分証は往生、究竟は成仏なり。その義は同じなり。『六要鈔』巻一之一

と示されています。釈尊一代の教えは、教理行果、すなわち教行証を出ません。

行の無い仏教はありません。では聖道門の様々な行に対して、浄土門の行は何かと言ったら念仏です。中でも法然聖人が正定の業と仰り、専らにせよと勧められているのは難しい実相の念仏や観想の念仏、また観像の念仏ではなく、阿弥陀仏の名号を口に称える口称の念仏、称名念仏の一行です。

どうして釈迦一代の勝行をことごとく雑行と捨てて、最も浅劣な称名念仏一行と言うのか

聖道諸宗の言いたいことを一言におさめたらこれでしょう。これをどうしても経、論、釈の上で正しい仏教なんだと証明する必要があったのです。



【参照】
『Wikipedia』興福寺奏状
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【考察】念仏の勧めについてⅡ(6)

本日は「興福寺奏状」と「延暦寺奏状」について、『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』を通して伺います。念仏弾圧は、思想的にはこれらが根拠となっております。

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   「行文類」撰述の動機

 親鸞聖人が、この「行文類」を顕されるには、重大な動機がありました。まず対外的には、法然聖人の在世当時から滅後にわたって、いくたびも加えられた国家権力による専修念仏停止という弾圧と、それを引き起こすもとになった南都・北嶺の旧仏教側からの執拗な論難に対して専修念仏の真実性を証明するためでした。また対内的には、本願の念仏は、本願力回向の法であるという念仏の本質を明らかにすることによって、人間のはからいを否定し、一念にとらわれて多念を否定したり、多念にとらわれて一念を否定するような一念多念の諍いに明快な決着を与えて、法然聖人の念仏往生説の真髄を明らかにするためでした。そのために、本願力回向の行信というまったく新しい教学的視野を開いて、浄土教学を大成していかれた。それが「行文類」だったのです。

 すでに述べたように、建永二年(承元元年、一二〇七年)二月、承元の念仏停止といわれる事件が起こりましたが、それに思想的な根拠を与えたのは、南都の興福寺から朝廷に出された「興福寺奏状」であったということは、『教行証文類』の後序にも言われているとおりです。そこには九箇の失をあげて、法然聖人の教学を批判していますが、第四万善を妨ぐる失、第六浄土に暗き失、第七念仏を誤る失の三失は、選択本願に立脚して構築されていた法然聖人の専修念仏の教説を真向から否定するものでした。

 「万善を妨ぐる失」とは、これまで仏教においてさとりへの道とされてきたさまざまな修行道を、すべて難行道のゆえをもって捨てしめ、ただ称名念仏の一行だけが生死を超える道であるということは誤りだというのです。ことに、そのころの仏教界で功徳ありとされていた『法華経』の読誦や、真言、止観に縁を結び、堂塔を建立し、尊像を造絵することを、ことごとく雑行であると称して、土くれのように捨てしめたことは、仏教への反逆であり、正法を誹謗するものであるというのです。

 「浄土に暗き失」というのは、『無量寿経』や『観無量寿経』をはじめ、浄土の諸師たちも盛んに諸行による往生を説かれているのに、それを無視して、諸行は往生の行に非ずというのは、人びとを欺くものだというのです。ことに、下下の悪人と上上の賢善者とが同じ浄土に往生できるなどということは、因果の道理に背き、わが身のほどもわきまえない愚痴のきわまりであると嘲笑しています。

 また「念仏を誤る失」というのは、法然聖人は口称念仏を最上の行のようにいうが、それは誤りであるというのです。同じ念仏といっても、念ぜられる仏に、仏名もあれば仏体もある。その仏体にも報身や応身といった姿形のある事仏もあれば、色もなく形もない法身という理仏もある。この法身真如こそ仏のさとりの本体であるから最高とし、仏名を最下とする。また仏を念ずる相にも、口に仏名を称える口称もあれば、心に仏を念ずる心念もある。その心念にも仏徳に想いをかける繋念と、禅定(深い精神統一)を修して報身仏や法身仏を観念していく定心念仏とがあり、その定心のなかにも、まだ煩悩がまじわっているような有漏定もあれば、煩悩妄念の消滅した無漏定もある。こうしたなかで、口称念仏は最も浅劣な行であり、無漏の定心念仏が最も深く勝れた行であるということは、仏教の常識ではないか。それなのに法然は、阿弥陀仏は第十八願において、「乃至十念せよ」と称名念仏を往生行と定められているから、称名以外の行をする必要はないという。しかし阿弥陀仏の本願が、どうして勝行をさしおいて、劣行のみを往生行と定められることがあろうか。下下の悪人がわずかに称えた十声の念仏を、まるで阿弥陀仏の本意であるかのように主張し、上上の善人が修行している勝れた諸善を捨てさせることは、近くは善導の釈義に背き、遠くは『観無量寿経』などの諸経の説に反する邪説であると、痛烈に非難しています。

 法然聖人が亡くなって、その十三回忌にあたる貞応三年(元仁元年、一二二四年)、今度は天台宗の本山、比叡山延暦寺から専修念仏を禁制にするようにという訴状が朝廷に上奏されました。「延暦寺奏状」では、六か条にわけて法然聖人の教えを非難していますが、その第五条に掲げている「一向専修の輩、経に背き、師に逆らふ事」というのが、さきにあげた「興福寺奏状」の三か条と同じ意趣を述べたものです。すなわち専修念仏者は、称名以外はすべて雑行であるから往生できないといい、逆に十悪五逆をつくって慚愧の心さえないものも称名すれば往生できるといい、あまつさえ「悪業を怖れるものは仏願を疑うものである」といって愚人をたぶらかしている。それは『観無量寿経』に説かれた諸善万行による往生を否定し、持戒の清僧であった善導大師の誡めに背くもので、責めても余りあるものだと非難しています。こうして法然聖人が開顕された選択本願念仏の教えは、南都・北嶺の学僧たちの非難の的となり、朝廷からは激しい罪科に問われ、誕生したばかりの浄土宗(選択本願の教法)は、地上から抹殺されようとしていたのです。

 このような状況のなかで、法然聖人からその主著『選択本願念仏集』の伝授をうけ、浄土宗の将来を託された遺弟として、その師恩に応答するために『教行証文類』を著されたわけですが、なかでも「行文類」は、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」と法然聖人から教示された念仏の一行こそが、弥陀、釈迦、諸仏の本意にかなった大行であり、龍樹菩薩以来の浄土の祖師が証明せられる真実行であることを、仏祖の言葉をもって立証していかれたものでした。『教行証文類』のなかでも「行文類」だけが、七高僧の聖教のすべてが引用され、さらに各宗の祖師方の念仏讃仰の文まで引かれるのも、称名が普遍の真実行であることを広く証明するためでした。

 ことに引文の最後に、『選択本願念仏集』の題号と「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本」の標宗と三選の文が引かれます。これは『選択集』全体を引用されたと同じ意味をもっていることは、すでに先哲の指摘されたとおりです。しかも『選択集』の法義の真実性を顕すために書かれた『教行証文類』において、『選択集』の引用は、ただこの「行文類」だけなのです。一見、不思議に思えるこのことによって、「行文類」が選択本願念仏の本質を明らかにし、その法義の真実性を証明するためのものであったことがわかります。
(p.157~p.162)
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外からは聖道諸宗の教義批判、権力者による念仏弾圧、内からは一念多念の諍論と、浄土宗は問題だらけであったようです。その中でも、やはり大きな問題は

諸善を廃して称名念仏の一行

という専修念仏、選択本願念仏の教えに対する非難でした。こうした当時の仏教界を根底から覆すような革命的な教えと、当時法然聖人の教えを誤解した人々の非道徳的な言動とが相俟って「興福寺奏状」「延暦寺奏状」という訴訟状が出され、結果承元の法難、嘉禄の法難といった法難に見舞われたことが伺えます。

【考察】念仏の勧めについてⅡ(5)

今回は少々細切れになりますが、『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』から親鸞聖人当時問題となっていたこと、親鸞聖人が『教行証文類』を著すきっかけになったと言われる事件を伺っていきます。

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   貞応(元仁)の念仏禁制

 元仁元年(一二二四年)は貞応三年で、十一月二十日に元仁と改元されたのですが、この年は恩師法然聖人の十三回忌にあたり、ふたたび専修念仏が停止(禁制)になった年でもあったのです。法然聖人在世中の承元元年(建永二年、一二〇七年)に起こった承元の法難によって専修念仏が禁制になりましたが、法然聖人が亡くなられたあと、門弟たちの活躍によって、ふたたび専修念仏の教えが隆盛に向かい、京都をはじめ全国のいたるところに念仏の声が響きわたるようになっていきました。それが法然聖人の十三回忌を機縁として、いっそう強まる気配を見せたので、ついにこの年の五月十七日に比叡山延暦寺から朝廷へ、専修念仏を禁制にし、念仏者たちを厳重に処分するようにという訴訟状が提出されたのです。これを「延暦寺奏状(延暦寺大衆解)」といいます。この訴訟状によって、この年の八月五日に、法然聖人の教えは邪教であると認定され、ふたたび専修念仏停止が宣下されたのです。貞応三年、すなわち元仁元年は、念仏が禁制にされた年であったということを忘れてはなりません。

 しかも、それから間もなく、定照という天台宗の僧侶が、法然聖人の主著である『選択本願念仏集』を批判する『弾選択』という書物を著しました。それに対して、法然聖人の高弟だった隆寛律師が『顕選択』という書物を著して反論し、定照の批判は「闇夜のつぶてのようなもので、一つも当たらない」といわれたものですから、比叡山の学僧たちは憤慨して、隆寛律師をはじめ、「法然の流れを汲むものは一人も残らず処罰せよ」と朝廷に迫ったのです。そこで朝廷は、嘉禄三年(一二二七年)、念仏者を一斉に検挙し、隆寛律師は八十歳という高齢にもかかわらず奥州へ流罪となり、空阿上人は薩摩へ、成覚房幸西上人は壱岐(実際は阿波?)へ、それぞれ流罪になったのです。

 それでもまだ比叡山の衆徒の怒りはおさまらず、『選択集』(建暦本)の版木をことごとく没収して根本中堂の前で焼き払い、法然聖人の墓を暴いて、遺骸を賀茂川へ捨てようとまでしたのです。しかし、法然聖人の弟子であった宇都宮頼綱兄弟が、六波羅の兵を率いて僧兵たちを追い払ったので、墓の建物は壊されましたが、遺骸だけは守ることができました。この事件を、嘉禄の法難といいます。親鸞聖人が五十五歳のときのことでした。

(中略)

 「延暦寺奏状」の第四条に、法然やその弟子たちは、今は末法の時代だから念仏以外に救いの道はないといっているが、天台の『浄名経疏』などの説によれば、今はまだ末法の時代ではないことになる。それに、たとえ末法であったとしても、まだ初期であるから、修行さえすればさとりを開くことができる時代である。また仏滅後五千年間は証を得るという説もある。それなのに念仏以外に生死を超える道がないというのは、釈尊の教えを否定する邪説であると非難しているのです。
(p.34~p.37)
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聖道門からは、専修念仏、末法の世は念仏以外に救いの道はないという教えが非難されています。


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   承元の法難

 ところで、法然聖人の教えの真意を顕すといいましたが、それは法然聖人ほど多くの誤解と、非難中傷を受けた方はいなかったからです。外部からの非難中傷の最たるものは、承元の法難の引き金となった「興福寺奏状」や、元仁の念仏停止や、嘉禄の法難のもとになった「延暦寺奏状」であり、さらには明恵上人高弁の『摧邪輪』『摧邪輪荘厳記』などがあります。

 「延暦寺奏状」のことは先ほど述べたので、ここでは「興福寺奏状」について少し述べておきます。それは元久二年(一二〇五年)十月、親鸞聖人が三十三歳のとき、奈良の興福寺から、法然聖人の教えは正当な仏法ではないということを九か条に分けて数えあげ、法然をはじめ主だった門弟たちを処分し、その教えを禁止せよと、朝廷に上奏した文書のことです。「興福寺奏状」の執筆者は、当代一流の学僧として崇められていた笠置の解脱上人貞慶(一一五五~一二一三)でした。

 この「興福寺奏状」が、専修念仏者の風紀問題とあわせて朝廷にとりあげられ、建永二年(承元元年、一二〇七年)二月に念仏停止の勅命が下り、住蓮房、安楽房など、門弟四人が死刑に処せられ、四国へ流罪となった法然聖人を含めて八人(実際は七人)が流罪に処せられるという大弾圧事件が起こりました。このとき親鸞聖人は越後へ流されたのです。

(中略)

 こうして「興福寺奏状」や「延暦寺奏状」、あるいは明恵上人の『摧邪輪』などの論難に対して、選択本願念仏の法門の真実性を顕し、浄土真宗こそ真の仏法であるということを、釈尊の言葉と祖師たちの釈文によって証明していこうとされたのが『教行証文類』だったのです。

 さらに法然聖人の門下には、法然聖人の在世中から、すでに念仏往生を誤解して、一念義と多念義という両極端の異義が生まれ、互いに自己の立場の正当性を主張して、まるで水と火のごとく、激しく争っていました。また、諸行本願義というような説を立てて、聖道門の教えと妥協し、法然聖人がせっかく開かれた万人平等の救いの道を閉ざしてしまうような人も出てきていたのです。

 このように、法然聖人滅後の浄土宗は、外的にも内的にも、ざまざまな困難な問題に直面していました。こうした状況のなかで、選択本願念仏の真実義を明らかにし、法然聖人に対する非難や誤解を正していくという直弟子としての思想責任を果たしていかれたのが、親鸞聖人の『教行証文類』の述作だったのです。
(p.49~p.53)
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外的には聖道諸宗の批判、内的には一念多念の諍論や諸行本願義といった異義と、浄土宗は多くの困難な問題に直面していたことが分かります。なお、諸行本願義については以下もご覧下さい。


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こうして、本願の行であるから正定の業であるといわれた法然聖人の教学を、根底から揺り動かすような学説を立てるものが出てきました。天台宗の学僧であった出雲路の住心が、第十九願によって諸行も本願の行であると説き、法然門下でありながら、師の滅後に住心の弟子となって諸行本願義を学んだ覚明房長西(一一八四~一二六六)が、第二十願によって、諸行も本願の行であると主張したことがそれでした。

 称名が正定業であるのは、本願の行であるからだというのが、法然聖人の称名正定業説の論拠でした。ところが長西は、念仏が第十八願の行であるように、諸行も第二十願の行であるから、本願の行であり、選択行である称名と比べれば、勝劣、難易、傍正の違いはあるが、称名と同じように往生を得、不退の益を得る行であると主張したわけです。こうして、法然聖人が「諸行を捨てて念仏一行を専修せよ」といわれた選択本願念仏論が、根底から揺り動かされかねない状況になったのです。
(p.211~p.212)
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諸行本願義はもともと、天台宗の学僧である住心によって説かれたものですが、長西は特に第二十願を基に諸行も本願の行であると主張したようです。聖道門との教義の融和を図り、浄土宗を守ろうとしたのかも知れません。長西の真意は分かりませんが、とにかくこのような主張により、

「もろもろの雑行(諸善)を投げ捨てて念仏一行を専修せよ」

という法然聖人の教えが、あろうことか法然門下の者によって捻じ曲げられようとしていました。



ちなみに、以下に浄土宗及び『選択本願念仏集』を批判した「興福寺奏状」「延暦寺奏状」『摧邪輪』についてリンクを貼っておきますので参照して下さい。

↓↓↓

『WikiArc』興福寺奏状
『本願力』延暦寺奏状
『摧邪輪』巻上
『摧邪輪』巻中
『摧邪輪』巻下

【考察】念仏の勧めについてⅡ(4)

親鸞聖人と蓮如上人とでは歴史的に200年ほどの差異があり、その時々の時代背景も、世間の情勢も、問題としているところも違います。その違いを無視して、蓮如上人の『御文章』に顕著に表れている教義のみをもって親鸞教学の代用とすることは、時として親鸞聖人、蓮如上人の教え勧めとは違ったものを生み出してしまう可能性があります。

今回は、前回と重複部分もありますが、稲城選恵師の著書より親鸞聖人において問題とされていたことを伺います。

『蓮如上人の生涯とその教学の大綱』
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 蓮如上人の教学を正しく理解するためにはその背景を看過しては通じない。このことは従来の宗学では余り問題にされなかったが、甚だ重要である。親鸞聖人の教学の背景も同様である。しかし蓮師と宗祖の上では異なるのである。このことは七祖の上にも通ずる。

 現在、蓮如上人の教学が親鸞聖人の教学を屈折したとか、変容しているといわれるのはこの背景を問題としないからである。宗祖の時代の背景は対聖道門である。これに対し、蓮師の背景は聖道門の他宗よりも法然上人門下の異流の他流である。宗祖の『教行信証』の背景には冠頭の題号によっても他宗聖道門に対している。

 即ち『教行信証』「化身土巻」後序によると、

  「竊かに以みれば聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道今盛なり……」

とあり、題号の「教行証文類」の教行証は聖道門に対していることが知られる。しかし、対内的な理由も勿論存するのである。栂尾の明恵上人―一一七三~一二三二―は学徳兼備の高僧であった。師は法然上人入寂の十ヶ月後に『摧邪輪』を著し、法然上人の『選択集』を鋭く批判している。

 「法然のいっていることは天魔外道の法であり、諸悪の根源はこの書にある」とまでいっている。この『摧邪輪』を読んで、法然上人の門下が黙認する人が存するであろうか。この『摧邪輪』には菩提心を否定することと、聖道門を群賊悪獣という二点を中心に出している。更に『摧邪輪荘厳記』には十六点あげている。『教行信証』撰述の意図は正しく聖道門に対する反駁、専修念仏の真義を明らかにするところにあったのである。更に建仁寺栄西―一一四一~一二一五―は『六祖法宝壇経』により、西方極楽を否定している。このことは『信巻』別序に、

  「自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶ず」

によっても知られる。更に当時比叡山の学頭といわれた宝地房証真師である。法然上人と年齢の差も余りないといわれるが、師が西方極楽を批判し、『法華玄義私釈』には多くの難点をあげている。宗祖は叡山時代に師の教えをうけていると思われる。それ故、『真仏土巻』には「西方十万億仏土」の『讃阿弥陀仏偈』の文を略している。また、西方とか極楽という用語を余り用いなかったのも、このような背景が考えられる。それ故、『教行信証』の背景には当時の聖道門、南都北嶺の仏教、明恵上人等を看過しては理解出来得ないものがある。更に当時の為政者等の現世祈祷、法然上人門下の一念義、多念義系の分裂等も考えられる。
(p.23~p.25)
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「蓮如上人の河内での『御文章』」
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……今は宗祖聖人と蓮如上人の共通点と相違点の主なものをみることにしよう。

 先づ相違する面をみると、第一に時代背景である。宗祖聖人―一一七三~一二六二―の時代は平安末期から鎌倉時代の北条時頼の時代である。この間、源頼朝が征夷大将軍になったのは一一九二年、宗祖のニ十歳である。この間、権力をほしいまゝにした藤原一族が滅亡し、平家が頭を上げたが、このおごる平家も源氏のために亡ぼされ、この源氏も三代もつづくことなく北条氏に権力を奪われたのである。全く権力の争奪戦の渦中にあり、加ふるに重なる天災地変により、乱世の時代といわれる。それ故、平安末期より末法思想が滲透したのである。更に当時の既成教団の南都北嶺の諸僧は宗祖の「悲歎述懐和讃」にある如く、

  末法悪世のかなしみは 南都北嶺の仏法者の
  輿かく僧達力者法師  高位をもてなす名としたり
  仏法あだなるしるしには 比丘比丘尼を奴婢として
  法師僧徒のたふとさも  僕住ものゝ名としたり

とあり、僧侶本来の立場は全く看過され、ただ自らの名利の禍の中に溺れていることを宗祖は悲歎されている。それ故、時代の危機、民衆の苦悩の解決を与えるような指導原理はなく、卜占祭祀の呪術しかなかったのである。

 この時代の危機を歴史的現実として誕生したのが法然上人の専修念仏の教えであった。この浄土宗の独立宣言は当時の既成教団に一大センセイションを惹起したのである。特に既成教団の中にも当時の代表的学僧はすべて念仏教団を批判し、政治権力と結合し、念仏禁制もしばしば行われたのである。特に北条泰時に絶対の信頼をうけた明恵上人―一一七三~一二三二―は学徳兼備の高僧であったが、師が『選択集』の批判の『摧邪輪』を著し、法然のいうことは天魔外道の法であると罵倒したのである。このような南都北嶺をはじめ、当時の既成教団の批判に対する法然上人の専修念仏の正意を鮮明にすることは生涯をかけられた使命といわれる。主著『教行信証』はこの意を明らかにされたものである。更に法然上人門下の異流―一念義多念義―に対し、真宗の肝要、念仏の奥義を明らかにされたのである。
(一三四~一三五頁)
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親鸞聖人の問題は、これらによっても分かるように対聖道門が主たるものでした。専修念仏の正意を明らかにし、聖道諸師の論難に的確に応答するために『教行証文類』が著されたことが分かります。

【考察】念仏の勧めについてⅡ(3)

稲城選恵著『浄土真宗の再興』によると、親鸞聖人は法然聖人の遺弟として専修念仏の正意を明らかにするところに生涯がかけられていました。

宗祖においては法然上人から伝承された専修念仏の正意を明らかにするところに生涯がかけられていた。また蓮師の上では宗祖聖人によって明らかにされた浄土真宗の正意を正しく伝承し、鮮明にするところに使命があった。(p.19)


同書では、続いて親鸞聖人の時代はどのようなことが問題となっていたのか、それに対して蓮如上人の時代はどうかということが書かれています。今は前者について同書より紹介します。

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 宗祖の上では他宗である当時の既成教団の聖道仏教が問題となっていたのである。恩師法然上人が浄土宗を独立し、専修念仏の道を明らかにされた。一切のもののすべてが念仏一行でたすかることを明らかにした為、『高僧和讃』「源空讃」には、

 「本師源空世にいでゝ 弘願の一乘ひろめつゝ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ
  承久の太上法皇は 本師源空を帰敬しき 釈門儒林みなともに ひとしく真宗に悟入せり」
                             真聖全、宗祖部 五一二~三頁

とあり、男女老少、賢哲愚夫、釈門儒林、皇室等の高貴のものも、一般の庶民と等しく、念仏の法に帰依したといわれる。ここに衰退化しつつある当時の既成教団に刺激を与えたのである。しかし法然上人の教団の中にも、造悪無碍の如き異端者もあり、さまざまな世間の批判をあびたのである。それ故、興福寺僧綱の九ヶ条の念仏停止の奏状の中にも「釈衆を損ずるの失」をあげている。専修念仏の徒は囲碁、雙六なども公にし、肉食妻帯をしても往生には妨げとならない。反道徳的なことを許容するように思われたのである。このような批判は法然上人自らも『和語灯録』巻四に次の如くある。

 「……たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、そのなかによき子もあり。あしき子もあり、ともに慈悲をなすとはいへども、悪を行ずる子をば目をいからかし、杖をさゝげて、いましむるがごとし……悪人までもすてたまはぬ本願としらんにつけても、いよいよほとけの知見をばはづべし、かなしむべし……」
                              真聖全、拾遺部上 六四二頁

とあり、『西方指南鈔』下本にも光明房の造悪無碍に対しての法然上人からの御消息を出されている。

 更に法然上人の入寂後、専修念仏に対しての最もきびしい批判は明恵上人の『摧邪輪』であろう。明恵上人―一一七三~一二三二―は宗祖と出生時が同年であるが、華厳宗の学僧であり、学徳兼備、当時の既成教団の急先鋒ともいうべき方であった。師と北条泰時のエピソードは有名であり、彼を立派な政治家にしたのは明恵上人であったといわれる。泰時が生き仏のように尊敬していた明恵上人が『摧邪輪』のはじめには次の如くある。

 「髙辨年来於聖人深懐仰信以爲所聞種々邪見在家男女等仮上人髙名所妄説未出一言誹謗上人、説雖聞他力之談説未必信用之、然近日披閲此選択集、悲嘆甚深、聞名之始㐂礼乎上人妙釈、披巻之今、恨黷乎念仏真宗、今詳知、在家出家千万門流所起種々邪見皆起自此書……」
                                  浄全巻八 六七五頁

とあり、明恵上人は『選択集』を目にするまでは法然上人を大変尊敬していたようである。世間の噂さ等を聞いても信用していなかったといわれる。しかし『選択集』を拝読して驚き、在家、出家、千万の種々の邪見はすべてこの書より起るとまで激怒している。この『選択集』への難点を二つあげ、一つは菩提心を揆去するの過失、二に聖道門を以て群賊に譬えている過失である。この『摧邪輪』三巻は「建暦二年十一月二十三日」と末尾にある。法然上人は建暦二年一月二十五日―一二一二―に入寂されているから十ヶ月後に出されたものである。更に建暦三年六月には『摧邪輪荘厳記』一巻を著わし、十六の失を出し、批判されている。「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候」―『歎異鈔』第二章―とある法然上人の『選択集』を罵詈打倒され、看過することは出来得ない。宗祖の『教行信証』撰述の理由は正しくこのような聖道門の学僧の批判に対することは勿論である。更に法然上人の『選択集』を一言にしてつくすと、専修念仏の義を鮮明にするところにある。それ故、『摧邪輪』の具名は「於一向専修宗選択集中摧邪輪」とあり、一向専修とある。また日蓮上人の四ヶの格言の「念仏無間」も正しく専修念仏にあった。それ故、当時の既成教団、聖道仏教に刺激を与えたのは専修念仏の専修にあったと思われる。更に建仁寺栄西禅師―一一四一~一二一五―は宗祖より三十二才ほど先輩で、法然上人より少し後輩であるが、わが国の臨済宗の開祖である。師は中国で禅宗の第六祖慧能禅師の『六祖法宝檀経』により、西方浄土を批判されているのである。西方十万億仏土の浄土を批判し、十万は十悪をいい、十悪を離れると我心即弥陀であり、西方に浄土あると思うものは愚人であるという。

 また比叡山の宝地房証真―生歿年次不詳―は法然上人とも交流があったといわれる。彼は法華三大部私記三十巻を註釈し、『法華玄義私釈』で西方十万億仏土の極楽浄土を厳しく批判しているのである。それ故、宗祖の『教行信証』をみると、明恵上人に対しては特に「信巻」に菩提心釈を出し、更に「信巻」別序では栄西禅師の『六祖法宝檀経』の批判として、「自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶ず」といわれ、批判されている。更に宝地房証真に対しては「真仏土巻」には数量によって表現されず、西方十万億仏土の極楽という用語は略されている。数量による表現は次の「化身土巻」の内容とされているのである。師の影響であることが明らかにしられる。その他、天台教義が常に念頭にあり、題号の教行証も天台家等に用いる用語である。このような意味において宗祖の教義は対聖道門を主とするものといわれる。

 また法然上人門下の異流も看過することは出来ない。『末灯鈔』十九通にも、

 「……浄土宗の義、みなかはりておはしましあふて候。ひとびとも、聖人の御弟子にてさふらへども、やうやうに義をいひかへなどして、身もまどひ、ひとをもまどはかしあふてさふらふめり……京にもおほくまどひあふてさふらふめり。……」
                               真聖全、宗祖部 六八七頁

とあり、更に『御消息集』一通にも、

 「……京にも一念多念なんどまふすあらそふことのおほくさふらふやうにあること、さらさらさふらふべからず。……」
                                    同上 六九五頁

とあり、『一念多念文意』の末尾にも、

 「……これにて一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。淨土真宗のならひには、念仏往生とまふすなり、一念往生・多念往生とまふすことなし。……」
                                    同上 六一九頁

とあり、その他、『西方指南鈔』『歎異鈔』等によると、法然上人入寂後、特に一念義、多念義の分派がそれぞれ争っていたことが知られる。このように、対外的には天台教義をはじめ、聖道門に対し、また対内的には法然上人門下の異流を背景としている。更に当時の既成教団の現世の祈禱卜占の呪術思想等をその背景としているのに対し、真実なる法然上人の念仏往生の奥義を明らかにせんがためといわれる。
(p.20~p.25)
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

親鸞聖人の問題として、

①他宗である当時の既成教団の聖道仏教
②法然上人門下の異流
③当時の既成教団の現世の祈禱卜占の呪術思想等

の三点が挙げられています。中でも、親鸞聖人の御時には①、天台宗や真言宗、華厳宗や法相宗などの対聖道門が大きなウエイトを占めていたのです。



【参照】
引用中の『摧邪輪』の読み下し文
↓↓↓
高弁、年来、聖人において、深く仰信を懐けり。聞ゆるところの種種の邪見は、在家の男女等、上人の高名を仮りて、妄説するところなりとおもひき。未だ一言を出しても、上人を誹謗せず。たとひ他人の談説を聞くと雖も、未だ必ずしもこれを信用せず。しかるに、近日この選択集を披閲するに、悲嘆甚だ深し。名を聞きしの始めには、上人の妙釈を礼せむことを喜ぶ。巻を披くの今は、念仏の真宗を黷せりと恨む。今、詳かに知りぬ、在家出家千万の門流、起すところの種種の邪見は、皆この書より起れりといふことを。(日本思想大系巻十五『鎌倉旧仏教』岩波書店刊『摧邪輪』より)

【考察】念仏の勧めについてⅡ(2)

ここで改めて、七高僧方はなぜ、何のために念仏の一行を勧められたのでしょうか。それは、

願はくはもろもろの行者、おのおのすべからく心を至して往くことを求むべし。また『無量寿経』(上・意)にのたまふがごとし。
「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現に世にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
『往生礼讃』

いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮するにはあらず。 ただこれ、男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜずして、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にはしかじ。
(中略)
いはんやまた、もろもろの聖教のなかに、多く念仏をもつて往生の業となせり。
『往生要集』念仏証拠

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。『選択本願念仏集』三選の文

等とあるように、浄土に「往く」ため、「往生を得」るためです。「往生を願求」して、「往生の業」としてです。「生死を離れ」、浄土に「生ずる」ためです。つまり、往生のためです。


この世界は迷いの境界であり、自身は煩悩罪業にまつわられて、果てしない過去から今日、そしてこの先未来永劫に至るまで、我々は六道二十五有生を転々して苦悩を離れることができません。ですから、迷いを離れて悟りを開き、清らかな涅槃の境界に至れと教えられているのが仏教です。

その仏教について、聖道門と浄土門という二種類の勝れた教えがあります。

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。「化身土文類」聖浄二門判

一つは、この世で聖者となってさとりを開く聖道門、難行道です。そしてもう一つが、

安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。

浄土に往生してさとりを開く浄土門、易行道です。

この内、聖道門は時は釈尊在世ならびに正法の教え、機は聖者、善人のための教えであり、像末、法滅の時機の衆生には相応しない教えです。現在は末法に当たりますが、時代は釈尊を去ること遥か遠くであり、教えは深くして衆生の理解能力は乏しいため、聖道の諸教は我々には高嶺の花であります。この時機になりますと、教えはあっても如説に修行してさとり得る者は一人もいないと教えられます。

大乗の聖教によるに、まことに二種の勝法を得て、もつて生死を排はざるによる。 ここをもつて火宅を出でず。 何者をか二となす。 一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。
その聖道の一種は、今の時証しがたし。 一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる。このゆゑに『大集月蔵経』(意)にのたまはく、「わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらず」と。当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。
このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ」と。
『安楽集』聖浄二門判

対して浄土門は、阿弥陀仏の本願力によって順次に極楽に往生し、浄土にて迷いを離れてさとりを開く教えです。聖道門は険しい陸路を歩いて行くような教えであるから難行道と言われ、浄土門は自らの力に依らず、船に乗って風を受けて水路を進んで行くような教えであるから易行道と言われます。聖浄二門判で言えば、浄土真宗は浄土門、易行道に当たります。

釈尊一代の教えは教理行果を出ないといいます。親鸞聖人は『顕浄土真実教行証文類』を著されましたが、聖道門にしても浄土門にしても、教があり、行を修して、果(証)を得ることは共通です。聖道門の行は諸善万行と言われるようにありとあらゆる善根功徳ですが、浄土門、とりわけ浄土真宗の行は、称名念仏の一行です。それは阿弥陀仏の本願に「念仏の衆生往生せずは我も正覚を成らじ」と誓われているからです。称名は阿弥陀仏が選択された行だからです。念仏は阿弥陀仏の勧めだからです。

行の無い仏教はありません。「ただ信心のみ」とは、キリスト教でも言うことです。親鸞聖人は行の無い仏教を説かれたのではなく、一切の自力を否定されただけです。ですから、七高僧方、親鸞聖人は、生死を離れる(出離する)ため、浄土に往生してさとりを開くために、その往生の行として念仏を勧められたのです。(最初から)報恩の行として念仏を勧められたのではありません。


浄土真宗の目的は、生死を出離すること、浄土に往生し成仏することです。ひいては、仏の大慈大悲をもって一切衆生を救済することです。その教が浄土三部経、中でも『大無量寿経』を根本とする教えであり、その行が称名念仏の一行です。この土台無しに親鸞聖人の教えがあるわけではなく、蓮如上人も、この土台無しに信心正因称名報恩の法義を説かれたのではありません。

ただ親鸞聖人と蓮如上人では、時代背景も異なる上に問題とされていることも随分と違います。それについて、まず親鸞聖人の時代背景や問題を次回以降に追って紹介していきたいと思います。

ともあれ、穢土を厭い、浄土を願うならば、

速やかに迷いの世界を離れ、浄土に往生しようと思ったら、聖道門をさしおき、雑行をなげうち、助業をかたわらにして、専ら称名念仏の一行をつとめよ。仏名を称すれば必ず浄土に生ずることができる。阿弥陀仏が本願にそう誓われているからである。

という法然聖人の教え、それを無我に相承された親鸞聖人の教えに順じて一心に本願をたのみ、一向に称名念仏の一行をつとめましょう。

私が念仏を称えるから往生するのではありません。「念仏する者を往生させる」という本願があるから往生するのです。信心は、上の赤字の内容を深信すること、すなわち、本願の仰せ、善知識方の勧めを仰せの通り受け容れて、身も心もすっかり阿弥陀仏にまかせることです。私達の拠り所は私達の心ではなく、本願であり、本願成就の名号、念仏です。

【考察】念仏の勧めについてⅡ(1)

【考察】念仏の勧めについて

では、七高僧方がどのように本願をご覧になられたか、そして何を勧め、またそれを親鸞聖人がどのように教えられているかを見てきました。

いずれもいずれも、本願文の説明に念仏を抜かしておられません。それどころか、善導大師に至っては大胆にも大事な信心を抜かして、念仏のみで本願を語られています。念仏は、本願において阿弥陀仏が唯一選び択られた衆生往生の行です。阿弥陀仏は「念仏を称える者を極楽に迎えよう」と仰っておいでですから、私達はその誓いを深く信じて念仏すれば必ず浄土に往生できるのです。

念仏は阿弥陀仏の勧めです。阿弥陀仏が勧められているからこそ釈尊もまた念仏を勧め、諸仏も念仏の法の真実なることを証誠しているのです。釈尊の教えは八万四千を超えますが、末法五濁の世に生きる末代不善の凡夫である我々には、念仏の法による以外に迷いの世を出離することは不可です。ですから三国の祖師方は、ただ念仏の一行を勧めてこられました。それを受け継がれたのが親鸞聖人です。


繰り返しますが、念仏は、阿弥陀仏が本願においてただ一つ選択された衆生往生の行です。信心は、その本願に対する信心、本願の信心であり、言葉を換えると本願が成就して仕上がった名号、念仏を称える際の信心、念仏の信心です。本願の信心、念仏の信心は、「念仏を称える者を極楽に迎える」という本願を深く信ずること、称名念仏の一行で往生が決定すると深く信ずることです。分かりやすく言えば

「念仏一つで助ける」という本願を深く信ずる
「念仏一つで助かる」と深く信ずる


という信心です。「深く信ずる」とは疑いの心を押さえつけて信じ込むのではなく、「念仏一つで助ける」という本願の仰せを計らいをまじえずに受け容れたことです。これは自分で起こす信心ではなく、如来より回向される他力の信心です。また、本願が成就して仕上がったのが南無阿弥陀仏の名号ですから、その名号を称える「念仏一つで助かる」と疑いをまじえずに受け容れたことでもあります。本願の信心、念仏の信心、この二つは同じことです。

本願は既に成就し、南無阿弥陀仏と成って私に至り届いております。救いの法は既に与えられているのですが、これを私が信受しなければ、受け容れなければ、私の救いになりません。そのようなわけで、本願を、本願の念仏を受け容れた信心が往生の正因だと言われるのです。これが信心正因です。これを正確に言うと、念仏の信心正因です。

では、その信心が与えられたから往生は決定、後は何をする必要もない、念仏を称える必要もないのかと言ったらそうではありません。念仏は、一生をかけて相続していく行です。では、往生は決定したのに、信後の人は何のために念仏を称えるんですか、何か意味はあるんですかと言ったら、それは往生を定めて下された御恩報謝のためだよ、そのように心得て念仏しなさいと教えられています。これが称名報恩です。これも正確に言うと、信後の称名報恩です。


親鸞聖人が、往生一定となった後の称名に報恩の義があることを教えられているのは確かです。しかしながら、親鸞聖人は「称名は報恩である」ことを顕すために『教行証文類』その他多くの著書を書かれたわけでないことも確かです。

ただ、お聖教を読んでいきますと、親鸞聖人の上に往生のための念仏の勧めがあることは明らかですが、特に蓮如上人の『御文章』の上では信前は弥陀をたのめ、南無阿弥陀仏の六字のすがたを心得よという勧めばかりで、顕わに往生のための念仏の勧めは説かれていません。それでいて信後の称名は報恩と心得よという内容で一致しています。この違いは一体何なのでしょうか。

蓮如上人以来、浄土真宗は多く『御文章』による教化がなされてきました。どうも『御文章』に顕著に表れている蓮如上人の教え、蓮如教学をもって、親鸞教学の代用としてきた節があります。ところが近年、清沢満之によって『歎異抄』が世間の注目を浴びることとなり、その影響が真宗界にも及んでいるようです。

『御文章』と『歎異抄』では、文面上に顕わになっている教義が随分と異なるように見受けられます。例えば『御文章』では「後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」ですが、『歎異抄』では

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

等とあるように念仏が強調されています。その他、驚くような内容が書かれています。それで、恐らく説く側の布教使も、聞く側の門徒の方々も困惑しているのでしょう。

中には、『御文章』の教化こそ真宗であり、それを強調するあまりなのか、

・法然上人の教えと親鸞聖人の教えは違う
・信心が往生の因であり、念仏は往生の因ではない
・阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない
・念仏往生と平生業成は違う
・『歎異抄』の教えは親鸞聖人の教えではない
・『教行信証』以外の親鸞聖人の著作や御消息は法然上人の教え


等というような主張まであります。それらは本当なのでしょうか。

この【考察】ではそのような疑問から、その謎を解く鍵を探すべく、念仏往生の法門が七高僧から親鸞聖人、更には蓮如上人へとどのように伝わっていったかを、お聖教や和上方の書物を通して伺っていきたいと思います。



【参照】
『飛雲』念仏往生の願成就文と信心正因称名報恩

善を悪のように言って避けさせ、一方で一部の者の私利私欲を満たすためだけの悪業悪行を善のように言ってやらせる親鸞会

親鸞会の教義は本当にいい加減であり、矛盾だらけです。

雑行を五雑行と諸善万行に分けるという独自の説もそうです。本当は、雑行に五雑行と諸善万行とがあるのではなく、布施・持戒等の無量の行を雑行と言い、その中の一例を五種の正行に対して五種の雑行で説明された、というだけです。

次に雑行は、すなはち文(同)に、「この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく」といふこれなり。意はいはく、雑行無量なり、つぶさに述ぶるに遑あらず。ただしばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かすべし。一には読誦雑行、二には観察雑行、三には礼拝雑行、四には称名雑行、五には讃歎供養雑行なり。

第一に読誦雑行といふは、上の『観経』等の往生浄土の経を除きてのほかの大小乗顕密の諸経において受持し読誦するをことごとく読誦雑行と名づく。
第二に観察雑行といふは、上の極楽の依正を除きてのほかの大小、顕密、事理の観行をみなことごとく観察雑行と名づく。
第三に礼拝雑行といふは、上の弥陀を礼拝するを除きてのほかの一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において礼拝恭敬するをことごとく礼拝雑行と名づく。
第四に称名雑行といふは、上の弥陀の名号を称するを除きてのほかの自余の一切の仏・菩薩等およびもろもろの世天等の名号を称するをことごとく称名雑行と名づく。
第五に讃歎供養雑行といふは、上の弥陀仏を除きてのほかの一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において讃歎供養するをことごとく讃歎供養雑行と名づく。

このほかまた布施・持戒等の無量の行あり。みな雑行の言に摂尽すべし。
『選択集』五雑行

ですから、読誦雑行、観察雑行、礼拝雑行、称名雑行、讃歎供養雑行、これらは諸善なんです。雑行と名づけられていますが、悪じゃないんです。善なんです。善い行いなんです。

親鸞会では、五雑行は悪のように言い触らして、会員に徹底的に避けさせます。阿弥陀仏以外の諸仏、菩薩、諸神に仕えてはならないとし、初詣に神社に参ってはならないとか、浄土真宗以外の墓に参ってはならないとも学生時代に聞いてきました。

善をしなければならないなら、積極的に神社仏閣に参って仕えるべきだし、たとえ他宗の墓であっても墓参りは父母孝養の一つですからこれも積極的に行ってしかるべきですが、高森教は根本から間違っているのでそうしません。

それ雑行・雑修、その言一つにして、その意これ異なり。雑の言において万行を摂入す。五正行に対して五種の雑行あり。雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。「化身土文類」雑行釈

で往生の因ではないからやってはならないというなら、

顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。三経隠顕問答 隠顕釈

同じく、定散二善、世戒行の三幅は報土の真因ではないからやってはならないということになります。親鸞会教義は完全に矛盾・破綻しています。


また、信後の諸善は御恩報謝になるというなら、信後はますます諸神・菩薩・諸仏に仕えてしかるべきでしょう。これらの本懐は念仏一行を勧めて往生を願わせることにあるのですから、その報恩感謝の気持ちを込めて観察し、礼拝し、称名し、讃嘆供養すべきです。繰り返しますが、雑行とついていますが五種の雑行は悪ではなく、間違いなく善です。ところが、そういう善行は全くしないのが親鸞会です。

それでいて諸仏・菩薩・諸神を軽んじています。これらでは助かる力が無いから仕えるな、すがるな、たのむな、あて力にするな、と言うばかりで、おかげさまで本願を信じ念仏する身にさせて頂きましたと会員に感謝の気持ちを持たせることすらしないのです。尤も、会員が本願を信じ念仏する身になっていないので仕方ありませんが、信後の諸善が御恩報謝なら、同じく信後の五雑行も御恩報謝です。


善、善とうるさい割に同じく善である五雑行は悪の如く扱い、主に善と言って勧めているのは

・高森顕徹会長の話を自力で命がけで聞くこと
・親鸞会に人を勧誘し、会員(学徒)にすること
・親鸞会に財施すること
・高森会長や上司の指示に無条件で従うこと


等の善もどきの善、悪業悪行、「高森の行」であるのが親鸞会です。また、高森顕徹会長を始め一部の幹部や講師部員は、とても廃悪修善を実践しているとは言い難いものがあります。教義面に絞っても、

・「親鸞会教義の誤り」への反論を依頼した特専部員を除名する。
・反論もしないのに、「これが親鸞聖人の正しい教えだ」と主張し、間違った教えを弘め続ける。「誤りを犯さないことを誇りとするよりも 誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」ではなかったのか。
・大沼氏や伊藤氏から盗作しておきながら、あたかも自分が書いたものであるかのように振る舞う。
・意図的な断章をした御文を教学聖典に用い、会員に親鸞会ドグマを浸透させる。
・根拠が存在しなかったり、根拠が間違った御文を教学聖典に掲載し続ける。
・法論すれば相手の主張を歪曲し、相手があきれて論戦放棄すると、勝手に勝利宣言。
・過去の法論では頑なに自説を曲げなかったのに、後になってしれっとそれまでの主張を修正してくる。若不生者の「生」の解釈が典型例。㈱チューリップ企画と田中一憲の法論はまさに勝他のための議論。
『飛雲』との公開法論に応じないまま8年以上経過。


等々、教えを説く者としての誠実さはカケラもありません。とにかく善がしたくない、善をするのが嫌なようです。教義面でこの有様であり、そんな教えを説いているのが高森顕徹会長ですからその下は推して知るべしです。不倫疑惑、セクハラ、万引き、偽装勧誘、偽装ベストセラー、詐欺サイトの運営、挙げればキリがありません。とにかくやり放題。親鸞聖人の教えを悪人製造の教えにしているのは他ならぬ親鸞会です。これでは獲信・往生は勿論、善果も来るはずがありません。たとえ一旦善果に恵まれたとしても、その後の果報は自分が受けねばなりません。

善を悪のように言って避けさせ、一方で一部の者の私利私欲を満たすためだけの悪業悪行を善のように言ってやらせる親鸞会は、本当に許し難いです。

西山浄土宗の開会のような理論で善を勧めるが、実態は倫理道徳の善すらまともにやっているとは言い難い高森顕徹会長と愉快な仲間達

法然聖人が説かれた浄土の教えは、それぞれお弟子方に引き継がれ、その後様々に分派してゆきます。現在では大きく分ければ浄土宗、浄土真宗、時宗ですが、浄土宗と呼ばれる宗派でも、

日本において浄土宗の家々をたてて西山・鎮西・九品・長楽寺とて、そのほかあまたにわかれたり。2帖目15通

と蓮如上人の時代には数多に分かれ、その浄土宗から西山派証空上人の孫弟子に当たる一遍上人が時宗を立てて分派しています。浄土真宗も法然聖人の弟子である親鸞聖人を開祖として分派していますが、更に門徒集団によっても性格が異なり、今では真宗十派と呼ばれるように様々に枝分かれしています。

浄土を願い、念仏を称えて往生するという大筋のところではどの宗派も同じですが、細かく見ていくと教義は浄土宗、浄土真宗、時宗では所々異なり、更に浄土宗、浄土真宗、時宗の各派内でも、共通する所もあれば違う所もあるといった状況です。

今は浄土真宗を一つとして扱っていきますが、この浄土真宗と非常に似ている宗派が西山浄土宗です。例えば鎮西浄土宗では全分他力を否定しますが、西山派では真宗と同様に全分他力を説きます。また、『御文章』に度々出てくる機法一体の語は証空上人が出処とされ()、更に称名報恩義もあります。

ただただ念佛を称えるのではなく、往生できることを信じ、それに感謝してお念仏を称えるのです。
このように安心が得られたからには、歓喜と報恩の心が自然に沸き起こって日々の生活に念仏が喜ばれ、口に称えるばかりではなく、動作の中に、言葉の中に、心の中にも念佛が実践されて、生活全体が念佛の現れとなります。
『瑞林山 長善寺』浄土宗西山禅林寺派の教えより)


本当にパッと見、素人目ではどこが違うのか分からない位、両者はよく似ています。

そのような西山派と真宗ですが、教義的違いの一つに定散諸善と念仏の関係が挙げられます。親鸞聖人は定散諸善と念仏を廃立の関係で見られていますが、証空上人は開会の関係でこれを見られています。→開会

西山義によれば、三心具足の上には三業起行の諸善は正行であり、念仏に開会されて、往生の因となると教えられています。自力の執心さえなくなれば諸行即念仏と開会され、定散諸善はそのまま他力念仏の一法に帰するというのです。

観門(定散二善の十六観門)領解以前には諸行は雑行と捨てられたが、弘願に帰すれは諸行は悉く念仏に帰し往生の因となる、弘願に帰すれば諸行は悉く善の体として念仏に開会されて往生の因となり、往生を得る、というのが証空上人における諸行と念仏の領解のようです。


さてこれ以上詳しいことは他に譲りますが、親鸞会はこうした西山浄土宗の回し者かと思わせるのが、信後の諸善の位置づけについてです。親鸞会では、

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、
「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」
と言われます。

その自力の心が、他力の心に切り替えられて、広大な仏恩に感泣し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。

同じ諸善が、自力の信心でやるか、他力の信心かで、雑行ともなり報恩行ともなるのではありませんか。
『親鸞会.NET』「雑行を捨てよ」の真意(8)より)


「自力の心」さえ廃れば、「諸善」は「雑行」とも言われず、捨て物でもなく、「御恩報謝の行」となり、身を粉に骨砕きてもの、恩徳讃の活動になるのだ。
(『顕真』2011年6月号 『飛雲』『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り24より)


等とあるように、信前は心がけが悪いから諸善は雑行と嫌われ捨てよと言われるが、信後は御恩報謝の行となると教えています。自力が廃る以前は諸善は雑行と捨てられたが、自力の心さえ無くなれば諸善は御恩報謝と開会する、とでも言わんばかりの主張です。以前に林遊さんが

お前らは西山派の「開廃会」の論理かよ

ツッコミを下さいましたが、親鸞聖人においては開会の理論はありません。信前の諸善は勿論、信後の諸善は御恩報謝の行だからやりなさいと諸善を勧められた根拠はありません。親鸞聖人においては

念仏1つ、獲信に善は不要

この通りであり、造悪に対する誡めはありますが、善をせよ、廃悪修善に励めとの勧めはありません。あるのは真実信心で念仏せよとの勧めのみです。


なお、浄土真宗では自力の心の無い、世俗の善は勧められています。蓮如上人は、

外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし3帖目11通

まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし3帖目13通

と、生活規範として儒教に説く五種の倫理徳目を守り、その国その国の支配者・統治者が定めた法律を第一とせよという言い方で門徒衆を教導しています。往生・獲信とは無関係に倫理道徳の善を勧め、国の法を守りなさい、諸神・諸仏・菩薩を軽しめることがないように、諸宗・諸法を誹謗しないように、守護・地頭に向かってはぞんざいな振舞をせず、年貢をきちんと納めなさい、というのです。

その一方で、仏教で説かれる諸善は勧められていません。「諸善」「諸行」「万行」「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「廃悪修善」などという名目で善を勧められていないです。仏教で説かれる諸善は、聖道門では成仏を、浄土門では往生を目指して修める修行徳目であり、浄土往生を目指してやる善は「雑行」であるからです。そう、仏教で説かれる諸善は浄土真宗では「雑行」なのです。ですから、

親鸞会がもし本気で善を勧めたいのであれば、蓮如上人と同様に、儒教の善(仁・義・礼・智・信)を勧めるでしょう。


親鸞聖人、蓮如上人の教えられた通りに話をするつもりが少しでもあるならば、

・三願転入の教え
・宿善論
・善をしなければ信仰が進まない
・微塵の善もできないものと知らされるまで善に励まなければならない


などの「自力の心」を捨てて、法律を守り、親兄弟子供を喜ばせ、職場や学校の関係者から好かれるような言動をしなさい、ボランティアに積極的に参加しましょう、と言えばいいのです。


親鸞会は仮にも親鸞聖人の教えと言うならば飛雲さんが言われている通りにすべきです。しかし、

これらは言葉では勧めていても、実際には”後生の一大事のためには、世間事を犠牲にしてでも”と倫理道徳の善を反故にする”悪の勧め”となっているのです。


盗作・浄財の私的流用・不倫・万引き・惨敗法論の捏造改竄等を平気で行っている


これが偽らざる親鸞会の本当の姿です。親鸞会で言う「善」とは、ほぼ「親鸞会に都合がよいこと」という意味なので、実態は多くが「組織拡大のための悪業悪行」です。西山浄土宗の開会のような理論で善を勧めるが、実態は倫理道徳の善すらまともにやっているとは言い難い、というのが高森顕徹会長と愉快な仲間達です。こんな体たらくで本願寺や退会者に楯突いているのですから、お笑いを通り越して失笑ものです。

多くのブログを荒らし続け、詐欺サイトを運営している(いた)異星の教祖も同様です。信前は宿善を厚くするために善をせよ、信後は御恩報謝のために善をせよと善の勧めまつりですが、やっていることがいることなのでちっとも説得力がありません。彼には、まず法律を遵守し、倫理道徳に反したことを止めるところから始めることを勧めます。しかし、日本語が分からないし、改める気も毛頭無いので、いくら言っても暖簾に腕押しでしょうが。

ちなみにルパン火星人金星人からのメールはありません。飛雲さんなど、他の方々へも同じでしょう。それでいて脱会ブログ等に陰口を叩いているありさまです。まるで学校裏サイトで気に入らない先生や生徒の悪口を書き連ねている中学生のようで、いい大人があさましいにも程があります。言葉の上では善を勧めていても、実際やっていることは悪ばかりです。本当に、あさましあさまし。



【参照】
『WikiArc』開廃会
『同』定散二善と念仏
『同』法然聖人の他力思想
証空の念仏観 ―念仏開会について―

コロナウイルス「かんせんしょう」ではありません、円満徳号「かんせんしょう」です

現在、次女は7歳、三女は4歳のため、正信偈を読むと言ってもひらがなを追ってすらすら読むことすらままならない。そこで彼女らは、自分が発した正信偈の音を耳で覚えている。

そのため、普段聞いたことがある音を聞くと反応する。例えば、

清浄歓喜智慧光

と聞くと「あっ、ちえだ!」とか、

広由本願力回向

と聞くと「あっ、りきだ!」という具合に、聞いたことがある人や友達の名前などに反応する。

名前なら可愛いものだが、近頃は、ご時世なのだろう、次女が

円満徳号勧専称

に反応する。「かんせんしょう」とあるからだ。

テレビでもラジオでも、「コロナウイルス感染症」の言葉を聞かぬ日は無い。それで、知らず知らずのうちに耳の内に残ってしまっているのだろう。

反応を示す度、私は

コロナウイルス「かんせんしょう」ではありません、円満徳号「かんせんしょう」です
なんまんだぶと称えよってことだよ


と言っている。

早く「コロナウイルス感染症」の言葉を聞かぬ日が来ることを願うと共に、円満の徳号を専称している子供らの念仏の声を聞いて有難いことだと思った。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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