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親鸞会会員の誤解ー絵像や木像には「南無阿弥陀仏」の「南無」が無い

前回の記事を書いていた際、かつて会員だった時にある先輩に言われたことを思い出しました。それは、なぜ絵像や木像を本尊とせず名号のみを本尊とするのか、その理由についてです。その先輩は

絵像や木像には「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀仏」しかない。「南無」が無いから間違い。

というような説明をしていました。

これが親鸞会の公式見解なのかどうかは判りません。ただ、似たようなことを聞いたり話したりしていた会員、元会員は多いのではないかと思います。先輩の理屈を推測すれば、本願成就文の

聞其名号 信心歓喜

から南無阿弥陀仏のいわれを聞いて信心歓喜と説かれているので名号を本尊とする。阿弥陀仏という助ける法だけでなく、南無の信心も「南無阿弥陀仏」の六字にこめて阿弥陀仏が与えて下さる。ところが絵像や木像には「阿弥陀仏」のみで「南無」が無い。機法一体でないので間違い。と、このような理屈になるかと思います。これは、浄土真宗の絵像や木像の阿弥陀仏を他流の臨終来迎仏と同一視するところから生ずる誤解です。


浄土真宗で安心・起行の対象として用いられている絵像や木像の阿弥陀仏が他流の臨終来迎仏と同じならば、確かに本願力回向の南無帰命の信心がありませんから上のような理屈も尤もかも知れません。ところが、浄土真宗の形像は祈願請求や観念のための物体としての意味は全くなく、御恩報謝から出てきたものです。絵像や木像はお姿で表わされた名号の内容であって、形像も名号も全く同一、名体不二であります。

南無阿弥陀仏という名号(名)と阿弥陀仏という仏体(体)は別々の異なる二つのものではなく、一つのものであるというのが名体不二ということです。仏体が可聞(聞くことができる)、可称(称えることができる)の名号となって私に働きかけてくださるので、その名号は仏体と別のものではありません。阿弥陀仏の絵像や木像は、南無阿弥陀仏の名号を形で表した像ということで、そのおこころは全く異なるところがないのです。

形像に込められた南無阿弥陀仏の六字のこころについてはAbcさんがコメント下さっています。

********************
 阿弥陀様が立たれているすがた、また座られているすがたともに右手の手のひらを私たちに向け、左手の手のひらを上に向けていらっしゃいます。

これは「不畏招喚の相」ともいわれ「不畏」が「右手」、すなわち「おそれなくてもよい(安心してまかせなさい)」であり名号でいうところ「南無(または帰命) 梵語:ナマス」であります。
「招喚」が「左手」、すなわち「必ず助ける」であり、名号でいうところ「阿弥陀仏(無碍光如来 不可思議光如来) 梵語:アミダーバ(無量光、智慧光) アミダーユス(無量寿)」に相当します。

ですから、名号、絵像、木像 共に「なんまんだぶの心」にほかならないのです。

********************

阿弥陀仏の「私達を浄土に迎えて仏にする」というお心は、色も形も無く、心も及ばず言葉も絶えた世界のものです。それを字で示したのが「帰命尽十方無碍光如来」「南無不可思議光如来」「南無阿弥陀仏」等の名号。すがたで示したのが絵像であり木像であります。それを「方便法身」とか「善巧方便」というのです。法性法身が具象化した方便法身として、木像、絵像、名号という形態をとって我々に浄土の真実を告げるもの、それが「方便法身」ということです。

私達は名号、絵像、木像という形ある如来を通して、形なき無限の光の如来を仰ぎこれに帰命しなければなりません。だから名号には「方便法身尊号」、絵像には「方便法身尊形」「方便法身尊像」と裏書されるのです。ちなみに木像も「方便法身尊像」と言われますが、木像自体にそう彫ったり書いたりされているかどうかは現物が手元に無く、また資料も無いため現時点では判りかねます。

ともあれ、このような「方便法身」のお示しを知らず、逆に形にこだわって「御本尊は名号でなければならない」「絵像や木像は間違った真宗の御本尊」と固執し絵像や木像の阿弥陀仏を忌み嫌っているのが親鸞会です。絵像や木像も、「我々を助けたい、助けたい、迷いの世界から出離させて浄土へ迎え取り、仏にしたい」という崇高で無限の慈悲の顕れであるのに、その心を知らずに形だけ名号を本尊としていては聖人のお心に反することになるでしょう。まして名号を前に、「これで信仰が進むだろう」「横の道を進めるだろう」などという気持ちで勤行や合掌、礼拝をしていたら。


それにしても親鸞会では「方便」の意味も大変間違った意味で教えられています。最近では

弥陀の善巧方便はもの凄い”だまし”

だとか言っている始末で、これはもはや完全に阿弥陀仏に対する誹謗中傷です。こんな謗法罪を造り続けて平気な団体に身を寄せていることを、会員の皆さんは早く自覚すべきです。



【参照】
『元会員から見た浄土真宗親鸞会』親鸞会の本尊論について
『WikiArc』名号画像
『広島仏教学院』浄土真宗における本尊について
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非公開コメント

いつもありがとうございます。

淳心房さま。
いつも ありがとうございます。

阿弥陀さまの「まかせよ!救うぞ!」の お喚び声が、私の口から 出でくださったら、お念仏。文字になってくださったら、お名号。絵になってくださったら ご絵像。立体の形になってくださったのが お木像 ですね。
どれも、知恵のない私に、四十八願成就をお知らせくださっているのですね。
淳心房さまのブログも 南無阿弥陀仏のおはたらきが、親鸞会会員の皆さんに、南無阿弥陀仏を知らせようと たくさんの文字になってくださったのですね。

Abcです

おはようございます、Abcです。
引用ありがとうございます。確かに読ませていただきました。

 さて、木像を「方便法身 尊像」といわれるか という
>ちなみに木像も「方便法身尊像」と言われますが、木像自体にそう彫ったり書いたりされているかどうかは現物が手元に無く、また資料も無いため現時点では判りかねます。

につきましては、三千院併合 往生極楽院本堂蔵 「国宝 阿弥陀三尊坐像(阿弥陀如来像、観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像)」の胎内に「「久安四年」(1148)の墨書が発見された。 」とあり、木像の際は、内部に入れ込む構造になっています。

 また、近年では、源空聖人(法然)が没した際に、その弟子である親鸞が 当時有名であった彫師 快慶に作らせた阿弥陀像があるということもわかってきております。

以下(-- 中)は記事引用です。
--
松浦教授によると、仏像を支える足ほぞに親鸞聖人が願主となって造像したと示す銘文があった。これは1212年、80歳で没した法然を供養するために、弟子の親鸞が快慶に作らせた像であることを示しているという。
--

引用元:
 三千院 宝物案内 http://www.sanzenin.or.jp
 新発見!? 快慶作とされる阿弥陀如来立像
http://ure.pia.co.jp/articles/-/1416
 ※こちらは報道記事であります。

名号本尊について、質問にお答えいただければと思います。

南無阿弥陀仏の六字名号は、当然本尊として成り立ちますが、ひらがなやカタカナ書きの場合でも本尊として成り立つのでしょうか?
また表記にも、なむあみだぶつ、なもあみだぶつ、なんまんだぶ、なまいだ、と色々ありますが、これらに優劣はあるのでしょうか?
また名号や形像が新聞・雑誌などに載っていた場合は、どのように対処すれば正しいのでしょうか?

Re:猿松さん

こんばんわ、Abcです。

こちらは、「Abcの見解」ですので、淳心房さんの見解とあわせてご一読していただけると有難いです。

>南無阿弥陀仏の六字名号は、当然本尊として成り立ちますが、ひらがなやカタカナ書きの場合でも本尊として成り立つのでしょうか?

えぇ、成り立ちます。更にいいますと、「(お子様によくみられますが)なまなま」というのも含まれます。

>また表記にも、なむあみだぶつ、なもあみだぶつ、なんまんだぶ、なまいだ、と色々ありますが、これらに優劣はあるのでしょうか?

優劣はありません。私もよく「なもあみだ」とは称えておりますが、林遊さんの「なんまんだぶ」と一つも変わりません。

>また名号や形像が新聞・雑誌などに載っていた場合は、どのように対処すれば正しいのでしょうか?

「新聞・雑誌などに載っていた場合の対処」ですか・・・(前後の文脈を含めての)状態がありませんとご回答しかねます。これは大変私事とはなりますが、よく三重新聞では「鎌倉時代に製作された「南無阿弥陀仏」の修復作業を・・・」というのを私はよくみます。当然その名号もそれだけ年数が経っていますから、修復はしかるべき処置かと思われますし、それについてどうこうとは私はなりません。

突然の横槍、申し訳ございません

なもあみだ、なもあみだ
Abc

コメント返信

RC様

南無阿弥陀仏のはたらきを知って頂くこと。言葉を換えれば真実の行信を獲て頂くこと。これが当ブログのもう一つの目的ですから、そのように願って書いております。会員、元会員の皆さんに伝わって頂ければこれ幸いです。



Abc様

> 木像の際は、内部に入れ込む構造になっています

知りませんでした。教えて頂きありがとうございます。



猿松様

親鸞聖人は「本尊」という言葉を用いられておりません。また、質問に対する聖教の根拠が無いため、Abcさんと同じく私見となりますがお答えいたします。

> 南無阿弥陀仏の六字名号は、当然本尊として成り立ちますが、ひらがなやカタカナ書きの場合でも本尊として成り立つのでしょうか?

⇒成り立つでしょう。要は、名号とは方便法身ですから、方便のおすがたを通して真実の南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くことが大事なのです。そうならないならば、たとえ親鸞聖人御真筆の御名号をお掛けしていても聖人のお心に背くことになります。


> また表記にも、なむあみだぶつ、なもあみだぶつ、なんまんだぶ、なまいだ、と色々ありますが、これらに優劣はあるのでしょうか?

⇒ありません。これらは皆発音の違いです。字を正確に発音しなければお念仏称えたことにならないというものではありません。前の質問と被りますが、「必ず浄土へ迎えるから、安心してまかせなさい」の阿弥陀仏の勅命だと心得て、それを聞き受け称えることが大事です。これにつきましては、近いことが

『改邪鈔』(14) 一 なまらざる音声をもつて、わざと片国のなまれる声をまなんで念仏する、いはれなき事。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%94%B9%E9%82%AA%E9%88%94

に載っております。

・まつたく聖人の仰せとして、音曲を定めて称名せよといふ御沙汰なし。
・音曲さらに報土往生の真因にあらず。ただ他力の一心をもつて往生の時節を定めまします条、口伝といひ御釈といひ顕然なり、しるべし。

ですから、猿松さんが普段発音されている念仏を、無理に別の発音にしなければならないということはありません。


> また名号や形像が新聞・雑誌などに載っていた場合は、どのように対処すれば正しいのでしょうか?

⇒何が正しいは、残念ながら今の私には判りません。古新聞・古雑誌の回収に回すのが躊躇われたら、切り抜いて取っておくのも一つの手です。布教使の方などに意見を伺って、最後はご自分で判断して下さい。

淳心房先生 ご回答ありがとうございます。
Abc先生 連続してのご回答ありがとうございます。

「方便のおすがたを通して真実の南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くことが大事」「『必ず浄土へ迎えるから、安心してまかせなさい』の阿弥陀仏の勅命だと心得て、それを聞き受け称えることこそが大事」というご意見は指針となりました。

本尊とは、信仰の対象として唯一仏壇等に掲げるものと漠然と思っておりました。
また、私も元親鸞会会員でしたから“御名号は阿弥陀仏がオマエを救う為に五劫思惟し兆載永劫の修行をなされて完成なされた”等々さんざん言われ続けていましたので、名号を大事にしなければいけないことは今でも強迫観念になっております。

だから新聞や雑誌等に名号や形像(鎌倉大仏や高岡大仏等)の写真が掲載されていると、その新聞雑誌そのものを保存するか、処分する場合は切り抜いて専用のノートに貼付しております。

そうすると、いったいどこまで大事にしなければいけないのかと迷ってしまいます。
「日々是好日」や「いろは歌」等まで他宗ながらも仏語を解説したものと思えば大事にしなければいけないのかと、枝葉末節なことにまで頭を悩ませておりました。

一度、本願寺の布教使の方に相談してみることにします。

「名号」について

こんばんわ、Abcです。

>だから新聞や雑誌等に名号や形像(鎌倉大仏や高岡大仏等)の写真が掲載されていると、その新聞雑誌そのものを保存するか、処分する場合は切り抜いて専用のノートに貼付しております。

そうすると、いったいどこまで大事にしなければいけないのかと迷ってしまいます。(猿松さん)

猿松さんの言われていることは、おおよそ分かりました。確かに新聞記事であっても「名号(または形像)」であることは変わりませんから、「どうすればよいのか」となるのもある意味もっともかと思います。それに関しましても「その道の方」にきかれるのがよいかと思います。

 さて、「南無阿弥陀仏」という「六字名号」でありますが、善導禅師は以下のように言われ、それを親鸞が説明せられた箇所がございます。

『尊号真像銘文』 光明寺和尚(善導) 六字釈
 「善導和尚云「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故必得往生」(玄義分 三二五)[文]

 「言南無者」といふは、すなはち帰命と申すみことばなり、帰命はすなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて召しにかなふと申すことばなり、このゆゑに「即是帰命」とのたまへり。「亦是発願回向之義」といふは、二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころなりとのたまへるなり。

「言阿弥陀仏者」と申すは、「即是其行」となり、即是其行はこれすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり、安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。「以斯義故」といふは、正定の因なるこの義をもつてのゆゑにといへる御こころなり。「必」はかならずといふ、「得」はえしむといふ、「往生」といふは浄土に生るといふなり。かならずといふは自然に往生をえしむとなり、自然といふは、はじめてはからはざるこころなり。」

箇条書きとしますと、
南無
 →帰命と申すみことば
 →釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて召しにかなふ
 →亦是発願回向之義(また是、発願回向之義)
  ⇒二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころ

阿弥陀仏
 →即是其行(即ち、その行といふは是である の「是」について)
  ⇒法蔵菩薩の選択本願なり
  ⇒安養浄土の正定の業因なり
 →以斯義故
 正定の因なるこの義をもつてのゆゑに
 (斯の義を以つての故に、 の「斯の義」について)
  ⇒かならずといふは自然に往生をえしむとなり、
 自然といふは、はじめてはからはざるこころなり

この「最後の太字」を「南無 阿弥陀仏」にあてはめますと、
「南無 阿弥陀仏」 = 「二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころ にて はじめて(行者の)はからはざるこころ」と顕されます。

このうち、「はじめてはからはざるこころ(自然)」ということを強く言われた源空聖人は「義なきを以つて義とす」と懇ろにもうされ、またそれを聞きうけた親鸞も「自然法爾」(『親鸞聖人御消息』末灯鈔(5))や「念仏は行者のために非行・非善なり。」(『歎異抄』第八)とも申されました。

なもあみだ なもあみだ
Abc

南無までも名号である

宗教の概念の中にアニミズム(あらゆるものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)というのがあるのですが、なんまんだぶの名号とアニミズムは全く別です。

かって「日本人とユダヤ人」という比較文化論を論じた本があったのですが、眼からうろこ(キリスト教の譬喩)で面白かったです。多様な思想を知ることで、口に称えられる〔なんまんだぶ〕を聞くというご法義がより深く味わえるかもです。多様性を理解するということは、ある意味では自己が固執する思想の解体でした。
Abcさんが強調する「無義以義(義なきを以つて義とす)」ですね。

「いわゆる日本教という視点」
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2014/05/16/%e3%81%84%e3%82%8f%e3%82%86%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%95%99%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e8%a6%96%e7%82%b9/

ともあれAbcさんが示して下さった『尊号真像銘文』では「帰命はすなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて召しにかなふと申すことばなり」と「召しにかなふ」という「約生」表現をされておられるから、自らの意を運んで「召しにかなふ」と高森親鸞会の会員は思いがちなのですが、Abcさんのいわれるように「義なきを以つて義とす」なのでした。

御開山は六字釈で、南無=帰命を釈し、
 帰命は本願招喚の勅命なり。
とされた意から窺えば、凡夫の口先の称えられる〔なんまんだぶは〕は「阿弥陀仏だけが名号なのではなく、南無までも名号であり、衆生の帰命と発願廻向を法としてすでに成就されていることをあらわしている」ということを仰りたかったのであろうと、妄想するのも有難いことです。浄土真宗は〔なんまんだぶ〕を称えて往生成仏るご法義なのです。
個々の信心の有り様が千差万別であるから、わが弥陀は名をもつて物を接したまふから「我弥陀 以名接物(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)」と御開山は示されたのでした。高森親鸞会の妄想の信と全く違う「念仏成仏」というご法義が浄土真宗です。
頭のよい/悪い、信心に狂う高森親鸞会の会員は、この〔なんまんだぶ〕の救済法がが解らんのです(笑
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%8D%97%E7%84%A1%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%BB%8F

そんなわけで「阿弥陀仏だけが名号なのではなく、南無までも名号であり、衆生の帰命と発願廻向を法としてすでに成就されていることをあらわしている」という意を表現した幸西大徳の文へリンク。
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E5%B9%B8%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%BF%B5%E7%BE%A9#.E5.85.AD.E5.AD.97.E9.87.88

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

善導禅師の「回向文」について

こんばんわ、Abcです。

林遊さん、リンクありがとうございます。私がこれほどに「義なきを義とす」といっているのには、「その義こそ真宗である」からであります。

そもそも、「念仏は行者のために非行・非善なり。」(『歎異抄』第八)ということが「まことにしんぬ」であったならば「聞法善」などという「自力諸善(19願/外道の法)」はいわれないとは思いますが・・・高森さんを「絶対の善知識」としている方からしましたら、高森さんの主張に正当性をもたせたいのでしょう。

 さて、先コメントでは「六字釈」について記しましたので、今回はそれを踏まえた上で「回向文」を記していきたいと思います。

まず、『回向文(善導回向文)』を引用いたします。
 願以此功徳 平等施一切 
 同発菩提心 往生安楽国

以下は、Abcに於いての解説となります。
 願以此功徳 平等施一切

「願以」:「願を以っての故に」 先のコメント内「即是其行はこれすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり、安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。」

「此功徳」:「此の功徳は、」 蓮如上人が記されている「その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。」(『御文』五帖目十三通)が馴染みが深いかと思います。

「平等施一切」:「一切を平等に施し」 『正信念仏偈』のうち、「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」 (「「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」といふは、凡夫も聖人も五逆も謗法も、斉しく本願の大智海に回入すれば、もろもろの水の海に入りて一味なるがごとしといへるこころなり。」(蓮如上人『正信偈大意』より))に記されております。ここでは「平等施 = 斉回入」、「一切 = 一味」と言い換えられております。

 同発菩提心 往生安楽国

「同発菩提心」:「同じく(斉しく)菩提心を発(おこ)して、」 先のコメント内「「亦是発願回向之義」といふは、二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころなりとのたまへる」に相当します。 「一切 同発菩提心」を先の「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」と観ることも出来ますが、混乱するようでしたら先の説(ここでは「平等施 = 斉回入」、「一切 = 一味」と言い換えられております。)を優先していただいて構いません。

「往生安楽国」:「安楽国に往生せん」 先コメント、「かならずといふは自然に往生をえしむとなり、自然といふは、はじめてはからはざるこころなり。」にあたります。
少し脱線してしまいますが、「天親の回向文」では「願生安楽国」(安楽国を願生す)とありますように、「二尊の召しにしたがうて安楽浄土に生れんとねがふこころ」に相当します。

 さいごに、「同じく(斉しく)菩提心を発(おこ)して、安楽国に往生せん」とございますが、こちらは「自力にておこす」のではなく「他力によって起こさせていただく」のであります。ですから、『和讃』には、

『浄土高僧和讃』 善導讃
信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり
 自然はすなわち報土なり 証大涅槃うたがわず

と記されており、「念仏成仏自然なり 自然はすなわち報土なり」が先のコメント内「自然といふは、はじめてはからはざるこころなり」と繋がります。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

コメント返信

猿松様

猿松さんは蓮如上人の言われる「仏法をたふとくおもふ心」の厚い方と伺います。
ちなみに親鸞会でも仏語を書いた紙は、「お仏焼」という形で別に分けて最終的には焼却か何かの手段で処分しているようです。


Abc様

六字釈、回向文を引いて解説して頂きありがとうございます。
どこまでも如来の御手回しであることにこの上ない有難さ、たのもしさを感じます。


林遊@なんまんだぶ様

南無帰命の信心までも名号の中に摂めて回向して下さる。我々はただそれを聞き受けお念仏申すのみで浄土往生、成仏が決定する。まことにこの私に相応した法です。
会員は、召しにかなう身になるために善をするとか横の道を進むとか、逆に釈迦弥陀二尊の思し召しに反することばかりやっているように思えてなりません。我々は与えられる名号のいわれを聞き、仰せのままに称えて往生を願う以外にないことをこれからも訴えていきたいと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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