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なんちゃって二種深信と創作『二河白道の譬え』を信じている現役カルト信者

親鸞会が起死回生のつもりで出してくる伝家の宝刀が二種深信ですが、間違った理解のためにことごとく自滅しています。地獄一定と極楽一定という、二つのことが同時にハッキリ知らされる、摩訶不思議な信心のように誤解していますが、そうではありません。以下、『飛雲』バックナンバー(2017年1月)より。

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二種深信については、親鸞会でも引用されるのが、『教行信証』信巻にだけある

一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。


です。
ところが善導大師は他の表現でも二種深信を仰っていて、それは『教行信証』の行巻と信巻の二か所に引かれています。

自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。


前者が一か所で、後者が二か所で紹介されているから、単純に後者の方が重要という話ではありませんが、少なくとも、親鸞聖人は後者の二種深信を重要視されていたので、それを知らない高森会長は、『教行信証』を全く読んだことがないとここでも判明します。

内容については、前者よりも後者の方が、より明確になっています。
簡単にまとめると

機の深信は、自分が今までやってきた程度の善では出離できない、と信知すること。
法の深信は、阿弥陀仏の本願は念仏で必ず往生できる、と信知すること。


こういうことです。もっと簡潔に言うと、

善では出離できない、念仏によってのみ出離し往生できる、と信知する

これが真実の信心だと言うことです。

高森会長の説明とは大いに異なっていることがお判りでしょうか。要するに、念仏1つで助かる、と深信したのが二種深信だということです。

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対して、現役カルト信者のコメント

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何処へも大事だけど、そのままとはどのままか、もっと大事でない?

何処へ
法の深信・・・弥陀の浄土
機の深信・・・地獄一定

往相回向、還相回向
2019-03-05(08:48) : 元会員

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「弥陀の呼び声」を聞いたらしい彼はこんなことを書いていますが、二種深信にも二河白道の譬えにも昏いことが分かります。「地獄一定」と知らされるのではなく、「自分が今までやってきた程度の善では出離できない」と信知するのが機の深信です。また、「念仏1つで助かる」と信知するのが法の深信ですが、雑行を勧めている者が法の深信が立ったとは片腹痛いというものです。

それと彼の書き方では「弥陀の呼び声」は機の深信からすると「地獄一定だぞ」という恐怖の言葉のようです。そんな人々を恐怖に陥れるようなことを仰る阿弥陀さまではありません。「弥陀の呼び声」については、

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さて、西岸上の人の喚び声、

なんぢ、一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ

につきまして、親鸞聖人も解説なされています。
その中で「一心に正念にしてただちに来れ」について見てみますと、『愚禿鈔』には、

「一心」の言は、真実の信心なり。「正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。
「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。


とあります。

前々回と前回に問題にした18願文の「若不生者」に当たる「直ちに来れ」について、
遠回りである聖道門や19願・20願を捨てて、近道である18願に帰し、「報土に還来せしめんと欲してなり」と教えられています。

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とあります。ここから、「弥陀の呼び声」とは

一心に正念にしてただちに来れ
=「信楽の心(真実の信心)で念仏して浄土に生まれさせる

ということであると分かります。「お前は地獄一定の者だぞ」なんていう恐ろしい呼び声でないことは明白です。「必ず浄土に迎えるから、安心してまかせなさい」という招喚の勅命です。

この招喚の勅命を聞き受けて「念仏称えれば極楽浄土に往ける」ことに疑いないのが法の深信です。ところで法の深信とは「いつ死んでも極楽参り間違いなし」などとハッキリするのではないことに注意です。私の方からは地獄に堕ちるとも、極楽へ参るとも、知る智慧がありません。あくまでも、阿弥陀仏の仰せに対して疑いないこと、浄土へ生まれさせると仰られているからその通りとまかせていることです。

いつ死んでも浄土往生間違いなし」ではなく、浄土往生の道は「他力」「仏力」だと深く信じたこと

飛雲さんの別記事で言うと、法の深信とはこういうことです。

また、「弥陀の呼び声」を聞くのは東の岸で白道に踏み出す前です。そこで方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するのです。これが「ただちに来れ」の呼び声を聞いた念仏の行者のすがたです。雑行に励みながら白道を進んでいくのではありません。雑行を捨てて願力の白道に乗るのです。雑行を勧めているところが二種深信にも二河白道の譬えにも昏く、「弥陀の呼び声」を聞いていないと自ら告白しているようなものです。


現役カルト信者は、「どこへ」来いということ一つでも長いこと時間を要し、渋々「弥陀の浄土」と答えています。即答できない時点で「弥陀の呼び声」を聞いたなんて口から出まかせであると分かります。機の深信は高森教の理解そのものであり、念仏一行どころか例の漫画雑誌をもってきて雑行を勧めている有様ですから、法の深信といっても嘘っぱちです。加えて「ただちに来れ」の呼び声も聞いていないことが分かります。このように聖教から照らせば、高森教の信心など嘘っぱちの偽物であることがすぐにバレてしまうのです。

そして、「そのまま来い」の「そのまま」とは「どのまま」か、説明もしていませんし、声なき声、片手で打つなどは親鸞会で聞いてきたことをそのまま言っただけです。当然、ろくな説明もできていません。「どこで」呼び声を聞くのかも聞こうと思いましたが、逃亡してしまいました。全くもって高森教の妄想信心、酷いものです。

起死回生のつもりで出した根拠で自らの首を絞めている、愉快な仲間達が親鸞会です。摩訶不思議な体験、「絶対の幸福」だとかいう幻想的な楽を追い求めて邪義を信じ続ける会員は、哀れ哀れです。
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ルパンさんも根拠なく終わりかな

書き込めば書き込むほど、火星人であるとバレバレです。折角IP変えて別人演出して飛雲や脱会した人ブログにも書き込みしてますが、根拠は相変わらず無いですね。高森教から派生した火星教布教も困難をきわめてるようですね。一発逆転を狙って信心決定したという体験話を、ルパンさんの口からいつ出るのか。話しを変えて来るのか、相変わらずの「脳が勝手にスパークしてチャンネルがあったら、子供の声でそのままだぞ」と聞こえたと言うのか期待してます。
現役カルトさんも沈黙したみたいですし、その前の理想論者さんも沈黙してますね。顕正戦が忙しいから、書き込み出来ないのかな〜。そんなことないですよね。真面目に活動してないですもんね。
親鸞会は、高森じいさんや講師部員の言うこと聞いて真面目に活動すると、時間もお金も体力も削られ苦しくなって辞めます。辞めたら敗残者とか自分に負けた奴とか言われて、おまえは地獄行きだ、恩知らずだ!なんていわれますね。適当に手を抜いて、時間もお金も体力も余力を残している人が、狡いけど長く会員出来る人です。その典型例が彼らですね。そんな狡い火星人や現役カルトさんが俺は信心決定した絶対の幸福になった!なんて親鸞会内で言おうものなら、お前らみたいな狡くて不真面目な活動している奴がしているもんか!なんてすぐ袋叩きですよ。というわけで親鸞会には信心決定した人はいない訳です。

Re: チュウビ様

親鸞会側が話してくる程度の体験談なら他宗教には山ほどありますし、根拠が示せないようでは浄土真宗ではありませんね。浄土真宗とか親鸞聖人の教えとか言わなければこちらも放っておくのに、困った人達です。

> 辞めたら敗残者とか自分に負けた奴とか

に根拠を持って「親鸞会が浄土真宗である」という教義の正当性を主張できないのがお笑いですね。信心決定している人はあっても極めて稀でしょう。会員の皆さんは高森会長に期待していないでさっさと撤退した方が賢明です。

無駄でした

親鸞会寄のコメントは全部、火星人や火星教になり、ここでは受け入れない事が良く分かりました。銭形の父つぁんだらけの集まりです。浄土真宗では真仮廃立が肝要である。当然の事であります。淳心房さんは頭では良く分かってますが、本当に出来ているのかは疑問に思います。
私の善知識は高森先生なので、滅茶苦茶な事を言って悪くネットで書いている淳心房さんのブログは無視できず、間違いを指摘するコメントを書きましたが、絶対に受け入れられる事は無いと思いました。親鸞会のブログに淳心房さんがコメントすれば袋叩きに会うのと一緒です。
担当講師は相手するだけ無駄であり、完全無視するしかないと言ってますが、今後は書き方を少し注意して頂きたいと思います。無理かと思いますが。
淳心房さんも、元専任講師だったと聞きますが、親鸞会に対する恨みツラミで一杯だと思います。深く関わっただけにその怒りは特別だと思います。そうなるのは当然の事だと思いますが、その怒り恨みの心を静視して頂きたいと思います。怒り恨みの心がむき出しになってエスカレートしています。同志のチュウビさんにも同じ事がいえると思います。

Re: ルパン様

それは貴方が親鸞会で仕入れた知識と自分の理屈ばかりで聖教の根拠に基づいて話をしないからです。だから受け入れられないことをいい加減に自覚して下さい。親鸞会の人間は何年同じことをやっているんでしょうか。一向に進歩が見られません。

これが最後通告です。親鸞聖人が19願を勧められた根拠は何ですか? 次で根拠を示さない場合は火星人と同じ扱いになるのでよろしくお願いします。

根拠は結局無しか〜

火星人じゃないならキレてみなくてもいいのでは?キレるのは本人でしょ。もっと決定的なことカキコミましょうか?それは困るでしょ。別に誰でも良いのでそこまではしませんが、とりあえず、じゃあルパンさんでなくて今も見ている火星人に向けて書くと、直接対話を拒否したのは火星人ですよ。実際に会って話をしても私は火星人ではないと言って拒否するのだから、こちらはいつでもどうぞです。根拠なく同じ自分語りの繰り返しが相変わらずじゃないですか、主体の転換が起きて、私が私がの話から阿弥陀様が阿弥陀様がの話になってないですもの、相変わらずの自分語りで根拠出せないと、「こちらに落ち度がないのにブログで叩かれた、お前らが優しくないからだ」と、その度にキレていなくなる。暫くしたらカマって欲しくて名前を変えて書き込むわけでしょ。仏法讃嘆したいので私もTENさんも親鸞会を辞めてもらいたい、そして阿弥陀様の本願を聞信してもらいたいといつも思ってますよ。とスパム登録されたけど見ている火星人に言ってます。ルパンさんへじゃないよ。
ところでルパンさんは間違いを指摘する為に書いたとあるけど、いつルパンさんはこちらの間違いを指摘しましたか?火星人は指摘してましたね。あの頃はイケイケだったのでしょう自分の信心に大自信があって勝てると思って大上段で数々のブログに法論をしかけましたが、大敗して自ら悔い改めるようなことを言って金星人と名乗りましたね。でもすぐにキャラ設定を間違えるので火星人が書いたことと金星人のかいた事に差がなくなる(笑)今回もねルパンは指摘してないけどね。キャラ設定すぐ忘れる。
 早く淳心房さんに答えて根拠をあげて下さい。根拠をあげられないから「お前ら書き方悪いから注意しろ」とか言うのでしょ、気に食わないから根拠あげないよという体裁ですか?よくでも書き込みを見たらわかりますけど書き方が悪いのは私だけで淳心房さんもAbcさんも普通に冷静ですよ。
だから私に反応せずにお二人の問いに誠実に答えるべきだと思います。
ちなみに私は、怒りは貴方にはなくてみんなを騙しているあなたも騙されているラスボスの高森じいさんにですよ。

聖人の教え

指摘したいのは、ここでも述べている二河白道の譬えと人間の実相なんだけど、それを言うと論点ずらしだと言われますのでしてません。
三願転入だからお布施しろ、勧誘しろという浄土真宗のお聖教の根拠は聞いた事がありませんし、知りません。無いかもしれません。
仏教や一切経では、廃悪修善の教えで満ち溢れています。お聖教では捨自帰他、念仏一行、真仮廃立、悪人正機など親鸞学者の言う通りだと思います。実際に関東でも念仏一つを勧めてきたかと思われます。証拠に関東で日蓮が念仏無間だと騒ぎ立てた時に、同行が命がけで聖人の下に尋ねに来ました。本願を疑う心が晴れてなかったという事だと思います。
親鸞聖人の教えは阿弥陀仏の本願一つだと言えます。本願成就文の教えです。名号を聞く一念で大驚喜心が起こり、往生不退転の身に救われます。その身に救われる道は、従仮入真であり、三世諸仏から見捨てられた機を巧みに導く為に立てられた三願転入の教えであり、弥陀は必要ない本願は一つも立てられていません。なので願成就文を根拠として三願転入の教えだと言っているのです。

Re: ルパン様

> 願成就文を根拠として三願転入の教えだと言っているのです。

⇒意味不明ですね。

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除く

この本願成就文のどこに三願転入の教えがあるというのですか? ここでは、17願成就の名号を聞いて信心歓喜すると教えられています。19願や20願の内容は勿論、19願を勧めている箇所は皆無です。本願成就文が、三願転入の教えが正しいとか、19願を勧められている、といった根拠になると聞いて納得する人は皆無でしょう。いたらビックリ仰天です。貴方が書いているのは聖教にないただのこじつけです。高森教で聞いてきたことに貴方の考えを混ぜているだけです。

改めて質問します。親鸞聖人が19願を勧められた根拠は何ですか?

漢字間違い

親鸞会で救われたって言う人ってよく漢字間違えますよね。愚逆さん火星人さんも……今回笑ってはいけないけど笑ったのは「雑種」って犬かよ!専修に対しての雑修でしょ。よくそれで念仏一行です。なんてかけますよね。
「大驚喜心」って火星人の時もツッコミましたけど、びっくりドッキリ体験を真実の信心だと思ってるから驚喜なんでしょうね。えーっと確かイギリス銀行に、銀行強盗を計画して逮捕されてお金払って出られたけど、苦しんでいた時に阿弥陀様と思える、子どもの小さな声で「そのままだぞ」って聞こえたのが信心なんだと火星人は言ってましたね。その声は一度だけで今は聞こえないとも。そしてインフルエンザになった時に、念仏を、阿弥陀様この苦しみから助けてくれと思って称えても治らなかったけども、何も思わずただ念仏したら痛くなくなって、凄いご利益だな。これが現生十種の利益だなあとも。これらはあくまでエキセントリックな火星人が言ったことですけど、同じ漢字間違いをするルパンさんは、もうそんなことは言わないですよね。19願の根拠を出したら次はルパンさんの救われた世界を知りたいので是非とも18願の解説お願いしますね。

No title

> 願成就文を根拠として三願転入の教えだと言っているのです。

ルパンさんは脳内変換をしている。

願成就文→自分がした体験
三願転入→高森会長が勧める行の実践

「自分がした体験」を根拠に、「高森会長の教えに間違いはなかった!」とルパンさんは言いたいのですね。

No title

「自分がした体験は本物だ」
「だから高森先生の教えは正しい」

と言うのは自由です。

しかしそれが親鸞聖人の教えと合致しないのなら、浄土真宗でもなく親鸞学徒でもない。
高森教の教えと体験であり高森学徒です。

ルパンさんも火星人と同じということです。

淳心房さま

火星人とは何者ですか。MとかW講師ですか。実際に尋ねて行ったらしいですね。余程恐ろしい火星人伝説があるのですね。飛雲氏に質問しようとしましたが、何故か火星人と勘違いされて、スパムだと逃げられてしまいました。本願と成就文の最後にある「唯除五逆誹謗正法」とはどういう意味ですか?と聞こうと思ったのに。その意味が間違っていては根拠に乏しくなってしまいますからね。
親鸞聖人にこだわってますので、教行信証に「願成就、一実円満の真教真宗これなり」と明言されてますね。親鸞聖人の教えは願成就文の教えだという事ですよね。釈迦の教えは廃悪修善の教えであり、それ以外はありません。そして最後に結論として大無量寿経に導きました。一切経は対機説法だと言いますが、何故45年間弥陀の本願一つを説かなくて善の勧めを説いて来たのですか?釈迦のお弟子さんは弥陀の本願を聞く耳がなかったからですか?おかしいですよね。最初から弥陀の本願と念仏を説き続けていれば、念仏で救われる人も沢山いたし、迷う人も無かった筈ですよね。善を説く必要も無かった筈ですよね。淳心房さんは仏教の教祖の釈迦に文句を言う事が出来ますか?親鸞聖人は絶対に言わないと思いますがね。それだけ私の本性である「自力」は、「しぶとく自惚れ強い」という事ですよ。何せ智慧と慈悲の三世諸仏から見捨てられいるんだからね。ちったやそっとで分かる筈がない。分かる淳心房さんは釈迦の弟子よりも優秀って事だわ。

チュウビさま

チュウビさんの話だと、ずっこけお笑い伝説じゃありませんか?さよなら親鸞会も覗いてみましたが、酷い事ばかり書いてあり気持ち悪くなってしまいました。あんな事書いてうさはらししているのですか。大変な謗法罪ですよ。

Abcです

こんばんわ、Abcです。

あれだけ色づけした文章の感想をひとつもかいていただけず、なお良くわからないことをいわれていることは、悲しい限りです。

>仏教や一切経では、廃悪修善の教えで満ち溢れています。

→さようですね、ですから源空聖人(法然上人)は、叡僧よりたたかれました。

>お聖教では捨自帰他、念仏一行、真仮廃立、悪人正機など親鸞学者の言う通りだと思います。

→今言われているように「専修念仏」であり、私のところの寺号も「専修寺」です。

>実際に関東でも念仏一つを勧めてきたかと思われます。証拠に関東で日蓮が念仏無間だと騒ぎ立てた時に、同行が命がけで聖人の下に尋ねに来ました。本願を疑う心が晴れてなかったという事だと思います。

→悲しいですが、そのように伝えられております。「専修念仏の教えを聞かれながら、尋ねてくるとは定まってなかったのか」と伝えられております。

>親鸞聖人の教えは阿弥陀仏の本願一つだと言えます。本願成就文の教えです。名号を聞く一念で大驚喜心が起こり、往生不退転の身に救われます。

→さようであります。「名号を聞く一念で往生不退転の身にならせていただける」のです。

>その身に救われる道は、従仮入真であり、三世諸仏から見捨てられた機を巧みに導く為に立てられた三願転入の教えであり、

→ここが、よくわかりません。「従仮入真」は「仮門に従りて、真門に入る」すなわち、「19願から20願に入る」ことです。ただ、この機としましては、「作菩薩道者」である「聖道門のかた」のことでありますから、われわれ「浄土門」は自力を含んだとしても「20→18」でありますから、「従仮入真」のものには含まれません。

今一度申し上げます。「浄土門の方は20→18であるから、「従仮入真」のものには含まれません。」です。「従仮入真」は「すべての人が通る道」と言われている時点で、浄土門ではありません。

>弥陀は必要ない本願は一つも立てられていません。なので願成就文を根拠として三願転入の教えだと言っているのです。

→これは、『選択集』にて示されている、
 「問ひていはく、あまねく諸願に約して粗悪を選捨し善妙を選取すること、その理しかるべし。なんがゆゑぞ、第十八の願に、一切の諸行を選捨してただひとへに念仏一行を選取して往生の本願となしたまふや。
答へていはく、聖意測りがたし。たやすく解することあたはず。しかりといへどもいま試みに二の義をもつてこれを解せば、一にはの義、二にはの義なり。

初めのとは、念仏はこれ勝余行はこれ劣なり。所以はいかんとならば、名号はこれ万徳の帰するところなり。しかればすなはち弥陀一仏のあらゆる四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、みなことごとく阿弥陀仏の名号のなかに摂在せり。ゆゑに名号の功徳もつとも勝となす。余行はしからず。

おのおの一隅を守る。ここをもつてとなす。たとへば世間の屋舎の、その屋舎の名字のなかには棟・梁・椽・柱等の一切の家具を摂せり。棟・梁等の一々の名字のなかには一切を摂することあたはざるがごとし。これをもつて知るべし。
しかればすなはち仏の名号の功徳余の一切の功徳勝れたり。ゆゑに劣を捨てて勝を取りてもつて本願となしたまへるか。

次にの義とは、念仏は修しやすし諸行は修しがたし
このゆゑに『往生礼讃』にいはく、
「問ひていはく、なんがゆゑぞ、観をなさしめずしてただちにもつぱら名字を称せしむるは、なんの意かあるや。
答へていはく、すなはち衆生障重く、境は細く心は粗し。識颺り神飛びて、観成就しがたきによるなり。ここをもつて大聖(釈尊)悲憐して、ただちにもつぱら名字を称せよと勧めたまふ。まさしく称名の易きによるがゆゑに、相続してすなはち生ず」と。[以上]
また『往生要集』(下)に、「問ひていはく、一切の善業おのおの利益あり、おのおの往生を得。なんがゆゑぞただ念仏一門を勧むるや。
答へていはく、いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行遮せんとにはあらず。ただこれ男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にしかざればなり」と。[以上]
ゆゑに知りぬ、念仏は易きがゆゑに一切に通ず諸行は難きがゆゑに諸機に通ぜず
しかればすなはち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願となしたまへるか。

もしそれ造像起塔をもつて本願となさば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。しかも富貴のものは少なく、貧賤のものははなはだ多し
もし智慧高才をもつて本願となさば、愚鈍下智のものはさだめて往生の望みを絶たん。しかも智慧のものは少なく、愚痴のものははなはだ多し。
もし多聞多見をもつて本願となさば、少聞少見の輩はさだめて往生の望みを絶たん。しかも多聞のものは少なく、少聞のものははなはだ多し
もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒のものははなはだ多し自余の諸行これに准じて知るべし。
まさに知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されてあまねく一切摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。」であります。

これに反論されたものとして『興福寺奏上』があり、
「万善を妨ぐる失」…称名念仏だけを重んじて造寺造仏などの善行を妨害すること。 が挙げられております。

長くなりましたので今一度記しますと、
>弥陀は必要ない本願は一つも立てられていません。

は、叡山の主張であり、それに対して述べられた源空聖人の御言葉は
諸行のなか念仏を選択してもつて旨帰となす。」 であり、 親鸞は、
三朝浄土の宗師真宗念仏を開きて濁世の邪偽導く。」(『教行証』化土巻)と言われております。

 よくよく、ご覧ください。
なもあみだ、なもあみだ
Abc

ルパンさんへ

流石すぐ地雷踏みますね。ここでは私は書いてないのに、なぜ火星人が当初、名無しで、さよなら親鸞会を荒らし回っていた経緯をご存知なのですかね。「火星人って誰ですか〜?」と言ってる言葉が虚しいですね。真実の自己が知らされて下の心が見えて深信因果したクセに嘘をついても平気なんですね。随分そこの浅い深信因果なんですね。三界の大導師の大自覚が生まれたのではないのですか?名乗らず、名前をコロコロ変えるのは自信は吹き飛んだこらでは?ここのブログは口が悪いと人のせいにするだけですか?深信因果したんでしょ?流石高森教を発展させた火星教信心ですね。「気持ち悪い〜」そうですが火星人が、誰なのか正体を親鸞会の上司に通報したらめでたく除名になりますよ。

Abcさん。いつも詳しい解説有り難うございます。私は親鸞会から目覚めるキッカケは選択本願念仏集でした。なのでAbcさんの解説は、有り難くてお念仏がでます。ですが、親鸞会にとっては法然上人は敵だと思ってますので、絶対に聞く耳を持ちません。彼らは七高僧は嫌いなのです。特に法然上人は敵だと思ってます。法論ではわざわざ外させて根拠と認めません。法然上人は、三大争論を起こさせた悪人という認識です。法然上人の教え方が悪いから、証空や聖信房、勢観房、念仏房が間違えるのだ、高弟で長い間聞いてるのにわからないのは本人のせいでなくて法然上人のせいだと言わんばかりです。なので法然上人の話が出ても親鸞聖人のほうが教えを発展させて信心正因称名報恩が真実だと、明らかにしたんだから上だわ〜。覚如上人と蓮如上人は認めるけどね〜。法然上人は無いわ〜。と無茶苦茶上から言いますよ。だから苦労して長い文章を書いても読めてないです。それは法然上人の教えでしょ親鸞聖人じゃないじゃん。これが火星人や愚逆さんなど末端会員の本音です。

Re:チュウビさん

こんばんわ、Abcです。

>高弟で長い間聞いてるのにわからないのは本人のせいでなくて法然上人のせいだと言わんばかりです。なので法然上人の話が出ても親鸞聖人のほうが教えを発展させて信心正因称名報恩が真実だと、明らかにしたんだから上だわ〜。覚如上人と蓮如上人は認めるけどね〜。法然上人は無いわ〜。と無茶苦茶上から言いますよ。だから苦労して長い文章を書いても読めてないです。それは法然上人の教えでしょ親鸞聖人じゃないじゃん。これが火星人や愚逆さんなど末端会員の本音です。

この「法然上人の教え」、「親鸞聖人の教え」と分けることが私は一番嫌います。A和上もそうです。私は、
釈尊が「大聖(釈尊)悲憐して、ただちにもつぱら名字を称せよと勧めたま」われ、
龍樹菩薩が、「難行道と易行道があり、私たちは易行道をもっぱらに行え」をすすめられ
天親・曇鸞 両菩薩が、「一心に名号をとなえ、安楽国を願え」と言われ、
道綽禅師が、「聖道の難きことを示し、浄土の易きことを勧められ」と言われ、
善導禅師が 「その浄土の教えを、「自信教人信(われも信じ、ひとにも教え聞かしむるばかり)」である」といわれ、
源信僧都は、「偏へに安養国に帰せよ、浅き心は化土へ 深き心は報土へ 参るべく」と言われ、
源空聖人(法然上人)は、「正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり」と言われていることを伝えている限りでありますし、

仮に蓮如上人の言葉を借りるならば、
「その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる理ばかりなりて、弥陀にかぎりてわれひとりたすけんといふ超世の大願をおこして、われら一切衆生を平等にすくはんと誓ひたまひしことを、われも信じ、ひとにも教え聞かしむるばかりなり」とも言えましょう。(この文は、『御文』を参照させていただいて記したものでありますから、一部は載っているとは思いますが全文は記載されていることではありません。 ご了承のほどよろしくです。)

ですね。ギモンに思われたことがあったならば、どうぞ記してください。阿弥陀様の本願は、「念仏称えるもの、全てに斉しく開かれている」のですから。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

Re: ルパン様

ルパンさんは横超釈をご存知ですね。

横超断四流(玄義分 二九七)といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。(信文類)

これは、仏教を頓教(速やかにさとる教え)と漸教(さとるのに時間がかかる教え)の二つに分類し、それをさらに堅(自力聖道門)と横(他力浄土門)の二つに分類した、二双四重の教判です。その中で、横超である第18願の教法が速やかにこの上ないさとりを開く唯一の真実円満の教え、すなわち真宗であるというのです。

その横超に対して横出があり、それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教え、浄土門内の自力の教えだというのです。具体的には第19願や第20願に誓われているような自力諸行往生の教え、自力念仏往生の教えのことです。

ルパンさんが述べている

> 釈迦の教えは廃悪修善の教え

というのはおよそ自力聖道門に集約される教え、二双四重の教判でいえば堅超・堅出の教えです。このような教えを難劣の故に廃し、本願の念仏一行を往生の行として選び択られたと教えたのが法然聖人です。ところが、発菩提心、修諸功徳とある19願は本願ではないのかという聖道門からの非難が上がったので、19願(と20願)は真実18願に導くための方便の教説だと願海真仮論を展開されたのが親鸞聖人だったのです。

では、方便の教説だから我々はやらなければならないのかどうか。今の諍点はここです。火星人のこととかはどうでもいいので、ここをぶらさないで下さい。親鸞聖人は方便の教説である19願を勧めているかどうか。ルパンさんが三願転入の教えが正しいと主張し、それが親鸞聖人の教えだというのなら、親鸞聖人は至るところに19願を勧めているはずです。もし19願を勧めている根拠が無いのなら、それは親鸞聖人の教え、勧めではないということです。

今一度お尋ねします。親鸞聖人が19願を勧めている根拠は何ですか? 貴方の理屈はどうでもいいので、根拠の提示をお願いします。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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