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【お知らせ】アニメ映画「歎異抄をひらく」5月公開 及び 【考察】「大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名をきく」について

なんとかの科学の真似をしたアニメ映画の第二弾は5月24日に公開だそうです。

アニメ映画「歎異抄をひらく」5月公開、親鸞役に石坂浩二、唯円役に増田俊樹

石坂浩二氏、増田俊樹氏など、中々有名どころを起用しています。が、果たして中身はどうなるやら・・・


ところで、親鸞聖人は「行文類」大行釈の証文として『平等覚経』、『讃阿弥陀仏偈』(『安楽集』)、『往生礼讃』を引文されています。

・たとひ世界に満てらん火にも、このなかを過ぎて法を聞くことを得ば、かならずまさに世尊となりて、まさに一切生老死を度せんとすべし

・たとひ大千世界に満てらん火をも、またただちに過ぎて仏の名を聞くべし。

・たとひ大千に満てらん火にも、ただちに過ぎて仏の名を聞け。


これらのお言葉を真実の行、他力の行を示す文証だと教えられたのが親鸞聖人ということです。親鸞聖人は、『讃阿弥陀仏偈』の御文(出拠は『大無量寿経』弥勒付属の文)を承けて

たとひ大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなふなり
讃阿弥陀仏偈と浄土和讃

と讃詠されていますが、上記のことが理解できればこれは親鸞会で言う自力の命がけの求道を勧めたお言葉でないことは明白だとお判り頂けると思います。

対して、高森会長はこれらの御文を「とにかく命がけでワシの話を聞け」という自力の命がけの求道を勧めたお言葉として利用しています。聞いている会員もすっかりその気になって、「火中突破の聞法を」とか言っています。苦しい中を求め抜いた人にこそ信心獲得の栄冠が与えられるのだと思い込み、富山まで足を運ぶこと、高森会長の与太話をド真剣に聞くことを中心に、推進される様々な活動に精を出しているのが親鸞会の会員です。高森会長の話の間、正座を崩さずに足の痛みに耐えているのもそのためでしょう。

そうやってこちらから阿弥陀仏の救いを掴みにかかっているのが愉快な仲間達ですが、方向違いも甚だしいです。そして、肝心の「仏の御名」を聞かせてもらえず、やっていることが外道の因果の道理に基づいた組織拡大活動ではとてもとても・・・。今後、『歎異抄』第二章を引き合いに出して自力の命がけの求道を映像化したものが公表されるかも知れませんが、もしそうなったらとんだ噴飯物だと笑い飛ばしてあげましょう。



話は変わって、この記事のコメント欄での皆さんのご意見を伺っていて、

大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名をきく

とはどういうことかを淳心房なりに考察してみました。以下は淳心房の味わいとご判断下さい。

『大無量寿経』では流通分に至って、釈尊が弥勒菩薩に念仏を付属されています。

仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。

このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。ゆゑはいかん。多く菩薩ありてこの経を聞かんと欲すれども、得ることあたはざればなり。もし衆生ありてこの経を聞くものは、無上道においてつひに退転せず。このゆゑにまさに専心に信受し、持誦し、説行すべし」と。


【現代語訳】
釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「無量寿仏の名を聞いて喜びに満ちあふれ、わずか一回でも念仏すれば、この人は大きな利益を得ると知るがよい。すなわちこの上ない功徳を身にそなえるのである。

だから弥勒よ、たとえ世界中が火の海になったとしてもひるまずに進み、この教えを聞いて信じ喜び、心にたもち続けて口にとなえ、教えのままに修行するがよい。なぜならこの教えは、多くの菩薩たちがどれほど聞きたいと願っても、なかなか聞くことができないものだからである。もしこの教えを聞いたなら、この上ないさとりを開くまで決して後もどりすることはないであろう。だからそなたたちはひたすらこの教えを信じ、心にたもち続けて口にとなえ、教えのままに修行するがよい」


親鸞聖人はこの弥勒付属の「乃至一念」は行の一念だと解釈され、本願をまことと受け容れて念仏したその一回の念仏で無上大利を得ると、選択易行の至極を顕開されています。念仏は、これを頂いて称える者の身に速やかに往生成仏の因を満足せしめるはたらきがあります。ですから、念仏の行者は早ければ今日にも、遅くとも100年内には命終われば大般涅槃を超証し、悲智円満のさとりの身とならせて頂けるわけです。

釈尊は弥勒にそのようないわれのある念仏を付属された後、

このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし

と説かれています。当来の世に、釈尊に次いでこの世界に仏として出現する弥勒に、三千大千世界が火の海になってもひるまずに進み、私の教えを保って修行していきなさいというのです。自力で成仏を目指す求道者は三千大千世界に充満する火をも越えてゆかねば成仏できないということでしょう。

では翻って私達のことを考えた場合、私達には大千世界に充満する火をも越えてゆくことができるでしょうか。例えば、燃え盛る火焔の中を、水をバシャバシャーっとかぶって50mほど全力疾走して駆け抜けるということでさえ、私はひるんでしまうでしょう。全身やけどで済めばよい、命を落とすかも知れない、極めて危険な行為です。それが50mどころじゃない、大千世界に亘って火の海なんです。とても、どころか、絶対にできません。

『大無量寿経』や『平等覚経』にしても、曇鸞大師や善導大師、また親鸞聖人の釈にしても、当面は私達が大千世界に充満する火をも越えていきなさい、越えて聞きなさいと勧めているように見えます。しかし上述の通り、特に末法を生きる我々のような煩悩具足の凡夫にとっては、そんなことはとてもできないし、やろうという気すら起きません。林遊さんがコメントにて大千世界という表現は「譬喩」だと教えて下さいましたが、三祇百大劫もの間修行しなければ仏に成れないと教えられることを踏まえると、ただの譬喩では片付けられない気がします。それを私達はどのように解釈すればよいのでしょうか。


私には、これは私達が大千世界にみてらん火をもすぎゆくのではなくて、私達に代わって阿弥陀仏が大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、南無阿弥陀仏と成って私達の元まで至り届いて下さったのではないかと思われます。法蔵菩薩が五劫の間思惟し、永劫が間修行して名号を成就された、その間、乃至一念一刹那も清浄の真心を失わず、回向を首としてご修行されたというのは、とりもなおさず阿弥陀仏が大千世界にみてらん火をもすぎゆかれたということではなかろうか。

そのようにして成就された名号であれば、私達を往生成仏させるだけのはたらきがあることも十分頷けますし、そのような仏の御名を聞く、すなわち念仏するということが至極無碍の大行であるということもすんなり受け容れられます。一声の念仏で無上の功徳が具足するというのも、三千大千世界に充満する火を越えるに相当する価値がある、この上ない素晴らしい行だと知れば納得なのです。

念仏が本願力回向の大行で、往生成仏の業因であるといういわれを踏まえるならば、念仏は阿弥陀仏が大千世界にみてらん火をもすぎゆきて成就され、今、ここにいる私まで来至して下さった本願招喚の勅命であり、それを頂いて念仏するということは、三千大千世界に充満する火を越えさせて頂くことになるのではなかろうかと思うのです。聖人は本願の念仏を

選択摂取の本願、超世希有の勝行、円融真妙の正法、至極無碍の大行

と讃えられ、第一希有の行とも教えられていますが、私は先に挙げた和讃から自力成仏の難しさと、念仏成仏の偉大さを教えて頂いたように思います。なお、繰り返しますがこれは淳心房の味わいなので、ご参考程度に思って頂ければと思います。また、上の和讃を扱っている記事を下に載せておきますので参照して下さい。


なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・凡夫の小賢しい詮索や先入観を離れて、ただ本願のはたらきにまかせてなんまんだぶつ。これより他に往生のみちはありません。



【参照】
『用管窺天記』たとひ大千世界に
『畢竟依を帰命せよ』みてらん火をもすぎゆきて
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非公開コメント

私の方から…でなく、阿弥陀如来の方から…

>私には、これは私達が大千世界にみてらん火をもすぎゆくのではなくて、私達に代わって阿弥陀仏が大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、南無阿弥陀仏と成って私達の元まで至り届いて下さったのではないかと思われます。

その発想は、なかったです。
《大千世界にみてらん火をすぎゆきて》とは、阿弥陀如来の方から
《南無阿弥陀仏》を届けて下さった…ですか。

(仏から見て)凡夫たる私の方から命がけで仏法を聞きに行くのが
《大千世界にみてらん火をすぎゆきて》とか…
仏法ならぬ《高森さんの与太話》とか、
命がけで聞きに行く程でもないですし…

今度のアニメ映画《歎異抄をひらく》にしたって、
『歎異抄』第二章を引き合いに出しての
自力の命がけの求道のシーン《だけ》が
映像化されるのではないかと思います。
繰り返しますが…お布施について書かれている
第18章の部分だけは、《絶対に》映像化されないですね。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

Re: まあち様

> その発想は、なかったです。
> 《大千世界にみてらん火をすぎゆきて》とは、阿弥陀如来の方から
> 《南無阿弥陀仏》を届けて下さった…ですか。

⇒本願力回向と、法蔵菩薩の発願修行、そして自力成仏の難しさを踏まえた上の私の考察です。自分には合わないと思ったらここは読み飛ばして頂いてかまいません。


> (仏から見て)凡夫たる私の方から命がけで仏法を聞きに行くのが
> 《大千世界にみてらん火をすぎゆきて》とか…
> 仏法ならぬ《高森さんの与太話》とか、
> 命がけで聞きに行く程でもないですし…

⇒聞けと言われる仏の御名は聞かせてもらえないので、大変な中を聞きに行っても詮なしです。


> 今度のアニメ映画《歎異抄をひらく》にしたって、
> 『歎異抄』第二章を引き合いに出しての
> 自力の命がけの求道のシーン《だけ》が
> 映像化されるのではないかと思います。
> 繰り返しますが…お布施について書かれている
> 第18章の部分だけは、《絶対に》映像化されないですね。

⇒出てくるとしたら1章、2章、3章、7章でしょうかね。尺の関係で全ては描けないでしょうし、描いたとしても高森教の解釈に基づいた歎異抄になっていますので、そんなものを見ても百害あって一利なしです。

も~い~くつ、寝るとお正月(元号)

アニメの宣伝ありがとー😉👍🎶

極楽間違いなし🙏

Re: 元会員様

どういたしまして(^^) 随分早い御戻りだったね。

それで、君には聞きたいことがあるんだ。

1.弥陀の呼び声の「そのまま来い」とは「どこへ」来いということか?
2.弥陀の呼び声の「そのまま来い」の「そのまま」とは「どのまま」か?
3・二河白道の譬えで言えば、どこで弥陀の呼び声を聞くのか?
a.東の岸にいる時
b.白道を中間ほどまで進んでから
4.・声なき声、片手で打つとは?(二河白道の譬えで言えばどれに当たる?)

1はようやく答えたけど、あとはまだだよ。尤も、1は君の言う通りで弥陀の浄土だから、この世で「絶対の幸福」にしてやろうなんて呼び声でないことは自明の理だけどね。これでまた高森教の誤りが明らかになった。

全て聖教に基づいて答えてね。君が言い出したことなんだから、責任もって答えな。君もあんまり高森教ばっかりで聖教に基づいて議論しないようだとコメント拒否するから♪ ちゃんと答えなよ。

元会員さんへ

せっかくルパンさんが降臨したので、お久しぶりの元会員さんには、どちらが高森先生から正しく聞いたのか対決してください。宜しくお願いします。

しんぎょう、も、むげのいちどう、もわからんやつらには、ぜったいの幸福ちゅーてもわからんわな~

そんなサイト、イラン、スパムしてくだはれ

Re: 元会員様

親鸞聖人が仰ってもいない「絶対の幸福」とやらを追い求めている高森教徒には、信楽も無碍の一道も判らんわな~

自分で言った弥陀の呼び声について、ちょっとツッコまれると答えられんとは、現役カルト信者は所詮現役カルト信者だったね。お望み通り、君もコメントを拒否する設定にするよ。今後根拠をもって答えられるようになったらメールくれ。なお、聖教に基づいた議論をするつもりがないと判断するメールには返信もしないし、コメント拒否設定の解除もしないからよろ~
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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