無常と罪悪にせめたてられたものでなければ、信心決定できない? 違います。

『飛雲』無常と罪悪にせめ立てられてマインドコントロールされた高森会会員

に載っている『顕正新聞』年頭所感の話ですが、この元ネタは『こんなことが知りたい④』などにあります。

(24)どんな気持ちで聴聞すればよいのか

の問答の中にありますので抜き出してみます。

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(前略)私達は一匹の蚊ほどにも後生を一大事だと思ってはいません。
 一匹の蚊が攻撃してきても気になって邪魔で眠れないのに、後生が苦になって眠れなかったということがないのです。
 他人の後生ではあるまいに、なぜ必ずぶち当たらねばならぬ己の一大事に、こんなに鈍感で真剣に求め切らないのでしょうか。
 その原因は二つあります。
 まだまだ死なないと無常を遠くに眺めていることと、地獄へ堕ちるような悪いことはやっていないと己の罪悪に気がつかないからです。
 道綽禅師は『安楽集』に次のような喩えを説いておられます。
「たとえば、人有りて空曠のはるかなる処に於て怨賊、刀を抜き勇をふるいて直に来りて殺さんと欲するにあい、此人ただちに走りてみるに一河を度すべし。 未だ河に到らざるに即ちこの念を作さく。
 我河岸に至らば衣を脱ぎて渡るとせんや、衣を着けて浮んとせんや、若し衣を脱ぎて渡らんには唯ひまなきを恐る。若し、衣をつけて浮かんには、また首領全くし難きを畏る。そのとき但一心に河を渡る方便をなすありて、余の心想間雑することなきが如し。
 行者またしかなり。阿弥陀仏を念ずる時また彼人の渡るを念うて念々相次ぎ余の心想間雑することなきが如くせよ」
 後ろから剣を抜いて追いかけて来るとは無常の風の激しさを喩え、前をみれば渦巻く怒涛で一歩もゆかれない。こんな人間が居眠りなんかしておれようか。アメ玉なめていられようか。
 この人の気持ちで仏法は聞かなければなりませんよと教えられたものです。
 衣を脱ごうとすれば帯が堅くて脱ぐことが出来ないとは、にっちもさっちも動きのとれない罪悪に苦しんでいることを、喩えてあります。
 そのまま飛び込めば溺れ死ぬことは明らかですから地団駄ふまずにおれません。
 このように無常と罪悪にせめたてられたものでなければ、信心決定できないことを教えられたものです。
(p.131~p.133)
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読んだことのある会員さんは多いでしょう。最後の行の、

無常と罪悪にせめたてられたものでなければ、信心決定できない

に着目です。ここから、真面目な会員さんは、無常と罪悪をより強く知らされようと自分を追い詰めていきます。話の中でも、より無常と罪悪を強く感じさせるような話を好んで聞くようになるでしょう。

また、無常と罪悪を強く知らされ後生驚き立つには、因果の道理だ、廃悪修善だ、真実の自己だと。そうやって後生に驚き立ってド真剣に求道しなければ信心決定できないんだと、熱心に活動している人も未だあるかと思います。

そして、『こんなことが知りたい③』(26)二種深信とは、どんなことかにある、

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 信じたのも知ったのも、学問も修養もすべて間に合わず、堕ちるも助かるも判らぬ心一つが業に引かされて、地獄は一定すみかぞかしと、無間のドン底に叩き堕とされた時(機の深信)、
自力無功と他力不思議とは同時に働き、信心歓喜、歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さまこうまでして下さらなければ聞かない、しぶとい私でございました。(法の深信)
 どうしてこの御恩に報いようかと泣くより外にないのです。
(p.128~p.129)
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のような、地獄の底まで堕ちてそこから浮かび上がるような体験を信心決定と思い込んで、そんな体験をしたい、しよう、そうすれば救われると求めているのではないかと思います。アニメ『世界の光親鸞聖人』シリーズの、聖人や韋提希のような体験を。まさに体験至上主義です。そして高森会長は、善導大師や親鸞聖人が仰ったこともない上記のような体験を二種深信と説明しているのですから異安心です。

仏法を聞くきっかけとして無常観や罪悪観が大事だということはあっても、

無常と罪悪にせめたてられたものでなければ、信心決定できない

邪義です。信心決定とは、南無阿弥陀仏のすがたを心得たこと、我にまかせよ必ず救うという如来の仰せを疑い無く聞き受けたことですから、いくら無常と罪悪で己をせめたてたとしても南無阿弥陀仏を聞かないことには信心決定はできません。

無常と罪悪とで会員をせめたて追い詰め、それを原動力として組織拡大を図り、私利私欲を満たさんとする高森顕徹会長、親鸞会の言動を決して見過ごすことはできません。会員の皆さんは、一刻も早く邪義だらけの教えから離れ、正しい教えを聞いて信心決定し、報土往生を遂げる身となって頂きたいと思います。
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No title

どうもです。

会員時代、無常と罪悪を自己に突き詰めド真剣に聞いている最中に、不可思議な一念の体験が起きて絶対の幸福になれるのだと思い、体中に力を入れて聞いていました。
この記事にもある、k3に書いてある事を信じてました。

「信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはば、まづ人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまはしくおもふこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて」(御文章 一帖目 十通)

が、まったくピンときませんでしたね。
今は知りませんが、俺がいたころの親鸞会は、「後生に堕ちる無間地獄の苦しみ、期間に比べたら今生の苦しみくらい、まだまだ」的な論調だったので。
「五十年百年の楽しみ?生きるの、メッチャ苦しいんですけど。無間地獄逃れて絶対の幸福になれる可能性なんて極わずか。宿善の厚い稀な人以外は、今生で辛い中頑張って少しでも宿善を積むしかない人生が楽しいのか?」と、正直思ってました。

なんていうか、方向性が真逆なんですよね。
阿弥陀さまからすれば全ての有情を仏にしたいと願われ、してみせると誓われ、南無阿弥陀仏が成就したから俺が仏になれる事に間違いはないのに、自ら背を向けて耳を塞いでいたというか。

仰るように、浄土真宗は「19願から始めよ」とか「善をして、出来ないものと知らされなければ」とか「無常と罪悪にせめたてられたものでなければ、信心決定できない」とかいうものではありませんでした。

「無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。われ今見聞し受持することをえたり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん」
とありますが、誰一人苦しむことなく皆で喜べる法がここにあるのに、本当にもったいないしなんとかならないものかと思います。

退会者の誰もが争いなんてしたくないのでしょうけれど、邪義を放っておくわけにもいきませんものね。
淳心房さんを始め、親鸞会の誤りを指摘し、浄土真宗を正しくお伝えしようとされている方々を心から応援しています。
(俺はレスバトルが苦手なんで、そういう展開になると引っ込んでしまいますが...)

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏


Re: R1000様

ちょっと久しぶりですね。

そうなんです。方向性が逆なんですよ。阿弥陀仏が私に本願を信じさせ、念仏を称えさせ、仏にするということを説かれているのが浄土真宗で、その阿弥陀仏のお手回しを私の身の上に聞かせて頂くのを聴聞というのですが、親鸞会では何を説いているのやら何を聞いているのやらといった感じです。

私も好んで諍いたいわけではありませんが、邪義に気づき、正信心に基づかれる方が一人でも現れたらと思い、綴っていきたいと思います。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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