なんぢ一心に正念にしてただちに来れ
また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(散善義)
親鸞聖人は善導大師の二河譬を信文類に引文されています。
西岸上の人、つまり阿弥陀仏は、私を「汝」と呼びかけて、「ただちに来れ」と仰っています。「ただちに来れ」とは、「ただちに救うぞ」という如来の喚び声です。
「ただちに」ですから「今すぐに」です。
そして、今何かしていることがあれば、それを片づけてからでは「ただちに」になりません。「今やっていることを止めて」です。
もし宿善を厚くしようとしている人があれば、宿善を厚くしようとしているその行い、その思いを止めて。
もし善をして信仰を進めようとしている人があれば、善をして信仰を進めようとしているその行い、その思いを止めて。
もし地獄一定の自己を知らされようとしている人があれば、地獄一定の自己を知らされようとしているその行い、その思いを止めて。
自分に生死を出離できるようなものを持たないから、阿弥陀仏は本願力を回向して助けて下さるのです。私が用意するものは何もありません。
「私が何かしなければ阿弥陀仏は救って下さらないだろう」という心こそ自力疑心ですから、そういう心は捨てものです。自分の思い、計らいをやめて、「そなたを救うぞ」の如来の仰せをそのままお聞きして下さい。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
親鸞聖人は善導大師の二河譬を信文類に引文されています。
西岸上の人、つまり阿弥陀仏は、私を「汝」と呼びかけて、「ただちに来れ」と仰っています。「ただちに来れ」とは、「ただちに救うぞ」という如来の喚び声です。
「ただちに」ですから「今すぐに」です。
そして、今何かしていることがあれば、それを片づけてからでは「ただちに」になりません。「今やっていることを止めて」です。
もし宿善を厚くしようとしている人があれば、宿善を厚くしようとしているその行い、その思いを止めて。
もし善をして信仰を進めようとしている人があれば、善をして信仰を進めようとしているその行い、その思いを止めて。
もし地獄一定の自己を知らされようとしている人があれば、地獄一定の自己を知らされようとしているその行い、その思いを止めて。
自分に生死を出離できるようなものを持たないから、阿弥陀仏は本願力を回向して助けて下さるのです。私が用意するものは何もありません。
「私が何かしなければ阿弥陀仏は救って下さらないだろう」という心こそ自力疑心ですから、そういう心は捨てものです。自分の思い、計らいをやめて、「そなたを救うぞ」の如来の仰せをそのままお聞きして下さい。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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