真実の願と方便の願(2)ー根本の願

『真宗の教義と安心』(本願寺出版社)より引用

第一章 阿弥陀仏の本願
 第一節 真実の願と方便の願

(つづき)
 第十八願は、衆生救済のためにとくに選びとられた根本の誓願であるという意味で選択本願といわれる。この第十八願の文は、

 設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法。
 たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。(十八)
 (もし、わたしが仏になるとき、あらゆる人々が心から(至心)信じ喜び(信楽)、往生安堵の想いより(欲生)、少なくとも十声念仏(※1)して(乃至十念)、そしてわたしの国に生れることができぬようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただ、五逆の罪を犯したり、正法を謗ったりするものだけは除かれます)


というのである。ここでは、信(至心・信楽・欲生)と行(念仏)とが誓われてあって、法然上人はこの第十八願を「念仏往生の願」といわれる。親鸞聖人もそれを承けて「念仏往生の願」(二一一)といわれるが、「信文類」の標挙(※2)には「至心信楽の願」(二一〇)と掲げられている。「念仏往生の願」というのは諸行の法(※3)に対して第十八願の法を念仏の行で示されるのであり、「至心信楽の願」というのは第十九願(諸行往生の法)第二十願(自力念仏の法)に対して他力の信心を要とする旨を示されるのである。

(三~四頁)



(※1)十声念仏…「十念」の「念」という字はもともと「心におもう」という意味であるが、善導大師や法然上人はこれを称名と明示され、親鸞聖人もこれを承けておられる。「十」とは数字であるから、十念とは、十声の称名念仏という意味になる。しかし、十念には乃至の語が付けられてあり、必ず十声に限るということではない。詳しくは後述。
(※2)標挙  …『教行信証』の各巻の内題(表紙にあるものを外題、本文の前にあるものを内題という)の前に掲げられた文。「教文類」では『大経』が示され、行・信・証・真仏土、化身土の各巻には、それぞれが成立する根拠としての願の名前が掲げられている。
(※3)諸行の法…称名念仏以外の行法。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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