今は光をながめてのみ進むのではありません。光を受けてゆくのです。遠いのぞみにあこがれて走るのではありません。今のわが手に、幸せの花輪をささげてゆくのです。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  一 信心とは、どういうことか

 <浄土に生るべき因の御名を、このままの私に与えて下さる。>

  一

 自分は、このいのちのけがれを知りつつ、これを清めることができません。胸の飢えをかかえて、永遠の旅路に出かけねばなりません。
 弥陀ひとり、永劫の御心をつくし、その御名を受けやすく示して、私にふりむけられています。
 このままの救いぞと、このまま参らせてもらうとて、お慈悲をながめていてはなりません。
 これこそ、そなたにおくるわが心ぞと、仰せられてあります。その御名をはやく頂いてくれよとて、近く近く差し寄せて下されてあります。この「受けよ」「頂いてくれよ」の仰せに対して、「受けさえすればよい」「頂けばよい」などと打算的に思うてもおられません。私の思う心をそえようと計らうことはできません。「ただ受けよ」と、差し寄せたもうそのままに、この御廻向の御名をそのままいただくばかりであります。弥陀一人、永劫の御心をつくし、受けやすく示して、私にふりむけられます。永劫の大悲は、このときはじめて私に降らせ給うのであります。私が救われるのは、まさしくこのときであります。
 今は光をながめてのみ進むのではありません。光を受けてゆくのです。遠いのぞみにあこがれて走るのではありません。今のわが手に、幸せの花輪をささげてゆくのです。
 わざわいの雨の下に、涙の谷の底に、私はただこの御廻向の御名を受けてゆくのです。ここにはじめて、私は念仏往生の旅人であります。
 私の道はご開山様の歩まれた道であります。そのお導きによってのみ、仏の心をお受けする道であります。
  往くは春の日  そよ風うけて
  鼻歌まじりの  西の旅
  菜の花の香り  胸一ぱいに吸うて
  すいすいと   流れ進む 夕焼空の
  雲の下。


(p.3~p.5)


これまで「光に向かって進ませて頂きます」とどれだけ言ったり書いたりしたか。また、周囲の人間が言ったり書いたりしているのをどれだけ見聞きしたか分かりません。自分も周りも、「絶対の幸福」という遠いのぞみにあこがれて走っていた気がします。
ところが浄土真宗とはそのような教えではありません。私が救いを求めて阿弥陀さまに向かって進んでいくという教えではありません。既に阿弥陀さまの方から私へ向けて差し寄せられている南無阿弥陀仏の御名を、そのままお受けする教えです。私は、阿弥陀さまが一人、永劫の御心を尽して、近く近く差し寄せ給う御廻向の御名を、そのままお受けするばかりです。
今、ここで、この私が救われます。「助けるぞ」を聞くのみです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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