親鸞聖人がご門弟の方々に勧められた『後世物語聞書』に、三願転入の教えはない(6)

これまで何回かに分けて『後世物語聞書』に触れてきましたが、最初に触れたこの段落が、やはり親鸞会教義の誤りをハッキリ指摘しているのではないかと思われます。

【9】またあるひと申さく、念仏すれば、しらざれども三心はそらに具足せらるると候ふは、そのやうはいかに候ふやらん。
 師答へていはく、余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすぢなるゆゑなり。これ至誠心なり。名号をとなふるは、往生をねがふこころのおこるゆゑなり。これ回向発願心なり。これらほどのこころえは、いかなるものも念仏して極楽に往生せんとおもふほどのひとは具したるゆゑに、無智のものも念仏だにすれば、三心具足して往生するなり。ただ詮ずるところは、煩悩具足の凡夫なれば、はじめてこころのあしともよしとも沙汰すべからず。ひとすぢに弥陀をたのみたてまつりて疑はず、往生を決定とねがうて申す念仏は、すなはち三心具足の行者とするなり。「しらねどもとなふれば自然に具せらるる」と聖人(源空)の仰せごとありしは、このいはれのありけるゆゑなり。


「念仏すれば自ずから三心(至誠心、深心、回向発願心)を具足するというのは、どうしてでしょうか?」という質問に対して、まず

余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすぢなるゆゑなり。これ至誠心なり。

と仰せられています。至誠心とは真実心のことですが、これは凡夫が起こす自力の真実心ではなく、他力より回向される真実心です。それを、このお言葉では阿弥陀仏を一筋にたのむ心だと言われています。自ずから至誠心を具足するのは、余行をすてて念仏をすることは阿弥陀仏をたのむこころが一筋であるからだというのです。
親鸞会のように、19願や定散二善を根拠に余行を勧めていては阿弥陀仏を一筋にたのめまぜん。なので「余行をすてて」です。「これは縦の線のことで、そこまでは善をしなければならない」とか、「余行をしていない者に余行をすてよと言われるはずがない」などの親鸞会流の詭弁も書かれていません。それにやっていることが本当に余行であればまだしも、19願、定散二善とは名ばかりの善もどきの善の勧めですから、真宗としては会長が言っているように「コンマ以下」、それどころか「非真宗」なのです。

さて、回向発願心の説明、無智の者も(本願を信じ)念仏さえすれば三心具足して往生するという話が続き、

ただ詮ずるところは、煩悩具足の凡夫なれば、はじめてこころのあしともよしとも沙汰すべからず。ひとすぢに弥陀をたのみたてまつりて疑はず、往生を決定とねがうて申す念仏は、すなはち三心具足の行者とするなり。

と仰せられています。「我々は煩悩具足の凡夫であるから、あらためて心が悪いとも善いとも論じてはなりません。一筋に弥陀におまかせして疑わず、往生決定と願って称える念仏する人は、すなわち三心が備わった行者とするのです」と言われています。これを読んで私は、蓮如上人『御一代記聞書』の

(39)
一 仰せに、一念発起の義、往生は決定なり。罪消して助けたまはんとも、罪消さずしてたすけたまはんとも、弥陀如来の御はからひなり。罪の沙汰無益なり。たのむ衆生を本とたすけたまふことなりと仰せられ候ふなり。
(「信心がおこるということは、往生がたしかに定まるということである。罪を消してお救いくださるのであろうとも、罪を消さずにお救いくださるのであろうとも、それは弥陀如来のおはからいである。わたくしたちが罪についてあれこれいうことは無意味なことである。弥陀は、信じておまかせする衆生をもとよりめあてとしてお救いくださるのである」と、蓮如上人は仰せになりました。)

を思い出しました。我が身の罪悪や心を問題にするのではなく、罪悪が重いなら重いまま、心が悪いなら悪いその心のまま、お救い下さる本願力におまかせするのです。これが三心具足の行者、本願の行者、信心の行者、念仏者であります。

それに対して親鸞会が教えていることはどうでしょうか? 会独自の因果の道理を強調して我が身の罪悪や心ばかりを問題にし、信心決定しなければ必堕無間と叩き込んで後生への不安を煽っています。そのままのお救いを幾重にも条件を付けた救いに変えて、会員が本願力におまかせすることを邪魔しています。念仏は信後報謝に限ると軽視し、阿弥陀仏と疎遠であり、難行・劣行である雑行(もどき)を勧めています。高森会長や上司の指示に無条件服従していった先の救いだと思わせ、知識帰命に陥らせています。信の一念は驚天動地の体験であり、盲者開眼の一刹那よりも驚き立つ体験をしなければ信心決定ではないと思い込ませています。三世十方を徹見する仏の智慧を頂く、自己の三世がハッキリする、地獄一定と極楽一定の自己がハッキリする、自己だけでなく一切衆生の相がハッキリする、生命の尊厳・地球より重い人命と知らされる、などなど、信心決定すると相当のことがハッキリ知らされるように思い込ませています。このように親鸞会の教えは浄土真宗からかけ離れたものですから、何十年と聞いて活動している会員でも未信なのは当然と言えば当然なのです。このまま曲がった松を真っ直ぐに見ようと努めるか、曲がった松だと見て無駄な努力を止めて本願力におまかせするか、会員一人一人の選択にかかっています。どうか今臨終となっても悔いのない選択をして頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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