【5.白道とは】について

今回は、親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点10項目の内、第5項目について取り上げます。まずは「知ってるから応えるよ」さんのコメントです。

5.白道とは
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親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

救われたら、他力だと思わされる。
お導きであったと知らされる。
高森会長もそういってるよ。
では、なぜ、相反するように見える二つの内容を言ってるか。
それが分からないんでしょうね。

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これに関しては、『浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?』⑤白道についてを、『飛雲』では
白道の意味さえ知らない高森会長
書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです
法論を怖れる「群賊」
文法からも、学問的観点からも、どこから見ても曲がった解釈
高森邪義を徹底的に否定された二河白道の譬え
「凡夫の浅智」以前に無智なんですよ
等をご覧下さい。

親鸞会では答えに窮すると「救われたら分かる」「お前はまだ助かってないから分からんのだ」などと言ってごまかすのが常套手段となっています。

「善をしなければ信仰は進みません」→「信仰が進んだら助かるんですか?」→「救われたら分かります」

という問答がよい例です。
親鸞会にとって唯一絶対なのが高森会長ですから、会長の教え・解釈を根拠を挙げて非難されると、会員は会長の教え・解釈と善知識方のお言葉との整合性を図り、「何とか相手の説を破ってやろう」と考えます。しかし相手の主張を破れず、出した根拠も新たな根拠で打ち返され、いよいよ高森会長が間違いであることを暴露されると、「お前はまだ救われてないから分からんのだ」と捨て台詞を吐いて逃亡するのです。「知ってるから応えるよ」さんも同様で、前回と同じく根拠も出さず「なぜ、相反するように見える二つの内容を言ってるか。 それが分からないんでしょうね。」などと言っているところを見ると、もうごまかすしかないのでしょう。

さて、親鸞会独自の二河白道の譬え話と、『教学聖典(6)』問(4)の「白道とは」の答えが「求道心・信心」となっていることから、親鸞会では白道とは自力の心のことであり、他力の信心を目指して煩悩と戦いながら求道していく道ということになります。しかし本来の二河白道の譬え話と親鸞聖人の解釈を知ると、本来の意味での白道とは他力信心であり、信心獲得を目指して煩悩と戦いながら求道していく道ではないと断定されます。譬え話の違いについては、

「親鸞会・高森顕徹会長の二河白道の喩えはおかしいと思います。どこがおかしいのでしょうか?」(頂いた質問)

が分かりやすいと思いますので参照して下さい。

親鸞会の譬え話は本来の譬え話と大分話が違っていますが、教義に関する大事な点で言えば、

(1)どこで三定死の状態を迎えるか
(2)いつ、どこで東の岸の人と、西の岸の人の声を聞くか

の2つだと思います。会員はこれを間違って聞かされているので、間違った教えを正しいと信じ込んで往生・獲信と無関係なことばかりにあくせくしているのです。まず(1)に関しては、

本来の譬え話…東岸の、白道に一歩踏み出す前
親鸞会の譬え話…白道上の、東岸と西岸の中間付近


です。旅人は多くの群賊・悪獣が我先に自分を殺そうと襲い掛かってくるのを知ります(群賊・悪獣の出現ポイントも、旅人が白道を進み始めてからではなく、東岸にいる時です)。眼前に広がる水火二河に行く手を阻まれて、東の岸に引き返そうとすると群賊・悪獣が襲い掛かってくる。南北に逃げようとすると、悪獣・毒虫が競ってやってくる。西に向かって道をたどって行こうとすれば、また恐らくこの水と火の河に落ちるであろう。旅人はこのように思い、言い様のない恐怖心から、

すなはちみづから思念すらく、〈われいま回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、われ寧くこの道を尋ねて前に向かひて去かん。すでにこの道あり、かならず可度すべし〉と。

と考えるわけです。白道上の、東岸と西岸の中間付近で二河の波の勢いが激しくて白道が見えなくなって「帰るも死、とどまるも死、行くも死」ではないのです。勿論、そこで地獄一定と叩き落とされ、それと同時に、極楽一定と浮かび上がって、それまで歩んでいた細い「白道」が無碍の大道となるのでもありません。その時に水火二河が光明の広海に変わるということもありません。このような劇的変化を夢見させて、会員の皆さんを勧誘と献金に駆り立て、無条件服従させたいだけに過ぎないのです。創作二河白道はとにかく邪義だらけです。
次に(2)に関しては、

本来の譬え話…白道を進んでいこうと決心した時。東岸の人の声の勧める声と西岸の人の喚び声を同時期に聞く。
親鸞会の譬え話…白道に踏み出す前、東岸の人の勧める声を聞く。時を隔てて、東岸と西岸の中間付近まで進んだ時、西岸の人の喚び声を聞く。


です。旅人は「どうしても死を免れないなら、むしろこの道をたどって前に進もう。すでにこの道があるのだから、必ず渡れるに違いない」と考えた時に、東岸の人の《そなたは、ためらうことなく、ただこの道をたどって行け。決して死ぬことはないであろう。もし、そのままそこにいるなら必ず死ぬであろう》と勧める声と、西岸の人の《そなたは一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。わたしがそなたを護ろう。水の河や火の河に落ちるのではないかと恐れるな》と喚ぶ声を聞きます。そして決心して白道に足を踏み出すのです。西岸の人の喚び声を聞くところまで、ひたすら煩悩と戦い、耐え忍び、東岸の人の「進め」と勧める声を聞いて進むのではありません。

これらを間違っていると、

(A)三定死の前後で一念の水際が立つ
(B)白道は自力(あるいは前段は自力で、後段は他力)
(C)三定死のところまで煩悩と戦ってひたすら進む
(D)喚び声を聞くまでは善知識の指示に無条件に従う
(E)これら信心獲得するまでの求道の道程を縦と横の線で表されている


などという、頓珍漢な教えをさも正しいかのように信じてしまいがちです。創作二河白道を真に受けて、

縦の線の直前が三定死、そして喚び声を聞くのが縦の線の決勝点。そこで鮮やかな信前信後の水際が立ち、絶対の幸福・無碍の一道・往生一定と躍り上がる。これが人生の目的。そこまでは白道を煩悩と戦って求道聞法していく。それを横の線で表され、縦の線(信一念)までは「この道を進め」と導いて下さる高森先生の教えを真剣に聞いて教えの通りに従う。この道を求めるのはつらく苦しいし、この道を進もうとすると必ずそれを妨げるものが出てくる。それを群賊・悪獣・悪知識で表されている。しかし、「こちらの岸には本当の幸せはなかっただろう。本当の幸せになりたいなら西へ向かってひたすら進め」という尊い人(東岸の人)の声と、目には見えないが阿弥陀仏(西岸の人)のものすごいお力でこの道(白道)を進んでいる。群賊・悪獣・悪知識の言うことに振り回されずに、早くこの道を進んでいこう。

などと会員は思い込んでいるでしょう。しかし、本来の譬え話をよく知れば、(A)~(E)は全て親鸞聖人の教えにはない珍しき法です。高森会長の教えは浄土真宗とは似ても似つかぬデタラメ創作教義であるとご理解頂けると思います。

最近では横の線に該当するのが三願転入の教えだとも言われていますが、三願転入の御文の正しい意味や、18願・19願・20願の行信因果、祖師方の教え勧められたことをよく理解できれば、これも全くのデタラメであると分かるでしょう。
親鸞聖人は、善知識方のお導きによって19願を出た、と仰っているのであって、19願に入ったわけではありません。善知識方のお導きとは、「19願を出よ」ということで、親鸞聖人はそれに順って19願を出られたのです。
19願・20願の自力の行信では化土へしか往けません。19願・20願を勧めるということは、化土往生を勧めるということです。報土を目指して化土往生の行をせよということ自体ありえない話です。
祖師方の教え勧めは念仏一つで、獲信に善は不要としか教えられていません。
とにかく、横の線に該当する教えは存在せず、求道しなければ助からないという教えではないことを知って下さい。

それにしても、高森信者は高森会長が正しいと信じ込んでいますから、このように正しい教義を根拠をもって突きつけられた場合に無理な解釈をしなければなりません。実はこうなんだ、救われたらこう知らされるんだ、高森先生は正しいんだ、どうしてもこの考えから離れられないのです。どこからどう見ても曲がった親鸞会教義という松の木を真っ直ぐに見ようとしているのが高森信者です。物事をありのままに見るのが「正見」と教えていながら、自分のこととなるとサッパリ分からなくなってしまうのですね。では、今回はこう返して終わりたいと思います。

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親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

救われたらも何も、最初から他力だと教えられています。
高森会長が正しいと信じ込んでいるから、無理な解釈をしなければならないのです。
曲がった松の木を真っ直ぐに見ようとしているのが貴方の教義に対する見方です。
なぜ、相反する二つの内容を言ってるか。
それは高森会長の目的が会員の往生・獲信とは別にあるということです。

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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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