「明信仏智」を辿っても親鸞会のデタラメ創作教義が丸わかりです

高森会長は経典やお聖教の根拠を自説の都合のよいように利用しているに過ぎません。例えば

『飛雲』「極難信」の意味さえ知らなかったのに訂正もできない高森顕徹会長と愉快な仲間達

にもあるように、親鸞会では「難信」を間違った意味で使っています。

他にも宿善、白道、三願転入、方便、善人悪人、逆謗の死骸、応堕地獄、無眼人無耳人・・・
ありすぎてキリがありませんが、今回は『大無量寿経』の「明信仏智」について取り上げます。親鸞会で使っている真宗聖典では『大無量寿経』下巻のp.114にあります。おそらく「明信仏智」だけマーカーや赤ペンなどで線を引っ張っている会員が多いでしょう。このお言葉は、親鸞会発行『教学聖典(3)』問(30)の答えとして取り扱われているからです。

問 阿弥陀如来に救い摂られると、ハッキリする、と教えられた釈尊のお言葉と、その根拠を示せ。
答 明信仏智 (大無量寿経)


親鸞会では縦の線(信一念)の瞬間に驚天動地の鮮やかな、ハッキリした体験をすると言っています。その根拠として「明信仏智」他いくつかの御文を挙げているのですが、原文を見て頂ければお分かりのように間違いです。少なくとも高森会長が言っているような意味として釈尊は仰っていません。

そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因、なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。『大無量寿経』


【現代語訳】
そのとき弥勒菩薩がお尋ねした。「世尊、いったいどういうわけで、その国の人々に胎生と化生の区別があるのでしょうか」釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。「さまざまな功徳を積んでその国に生れたいと願いながら疑いの心を持っているものがいて、無量寿仏の五種の智慧を知らず、この智慧を疑って信じない。それでいて悪の報いを恐れ、善の果報を望んで善い行いをし、功徳を積んでその国に生れたいと願うのであれば、これらのものはその国に生れても宮殿の中にとどまり、五百年の間まったく仏を見たてまつることができず、教えを聞くことができず、菩薩や声聞たちを見ることもできない。そのため、無量寿仏の国土ではこれをたとえて胎生というのである。
これに対して、無量寿仏の五種の智慧を疑いなく信じてさまざまな功徳を積み、まごころからその功徳を持ってこの国に生れようとするものは、ただちに七つの宝でできた蓮の花に座しておのずから生れる。これを化生といい、たちまちその姿を光明や智慧や功徳などを、他の菩薩たちと同じように、欠けることなく身にそなえるのである。


要は浄土を願う者の中、仏智を疑惑する者は化土往生し、仏智を明らかに信ずる者は報土往生するということです。信心決定の瞬間がハッキリする、鮮やかな一念の体験をすることを教えられたお言葉でないことは明白です。

他にもこの『大経』のお言葉から、

如来の諸智を疑惑して
 信ぜずながらなほもまた
 罪福ふかく信ぜしめ
 善本修習すぐれたり
『正像末和讃』誡疑讃

の御和讃が19願・20願の行者を褒め称えたものではないことも分かると思います。
ところが、親鸞会公式HP 「雑行捨てよ」と「修善の勧め」によると

まだ貴方は、阿弥陀仏の本願を疑って[如来の諸智を疑惑して]大信海に入れず、出世の本懐を遂げてはいないがそれでも、聞ける人の滅多にない三世十方を貫く"善因善果・悪因悪果・自因自果"の因果の道理を知らされて、悪因を怖れ善因を求める[罪福ふかく信ぜしめ]身となって、光に向う輝ける人ではないか。
そのうえ大宇宙の総ての宝が納まる無上の功徳である、南無阿弥陀仏の名号[善本]を称える[修習]身にさせて貰っているのだ。なんと素晴らしいことだろう。


と真逆の意味で捉えているのですから驚きです。どこがどう間違いかは今更述べるまでもなく、既に

『21世紀の浄土真宗を考える会』御和讃を読む その2
『親鸞会の邪義を正す』化土往生について
『飛雲』誡疑讃を19願を勧められたお言葉と解釈して、真宗界から笑われていますよ

等にて詳細に解説されていますので、誡疑讃原文と合わせて参照して下さい。

高森会長は経典やお聖教の言葉を利用して、会員を騙して利用することしか考えていません。ですから、たいていは御文の前後を読めばそれが高森会長が意味しているお言葉でないと分かります。ところが会員の皆さんは、限られたお言葉の一部分を知っているに過ぎず、しかも間違った意味を教えられているために誤りに気づきにくいかも知れません。どうも人間は最初に教えられたものを正しいと思う傾向があるようなので、高森信心が篤い内は受け入れがたいものです。しかし、何かのきっかけで親鸞会に疑問を持たれ、当ブログなど親鸞会批判サイトを見る機会を得た方は、ぜひとも教えの真偽を検証してみて下さい。高森会長しか御文の正しい意味は分からないなどという講師部員や幹部会員の言説に惑わされず、お聖教に向き合って確かめてみて下さい。
私は今からちょうど5年前に縁あって親鸞会教義の誤りを知りましたが、当時は暗中模索でした。路頭に迷うような感覚で不安もありました。最初は実に難解に思えたお聖教でしたが、分からないところは先輩やサイトの管理人さんに尋ねて少しずつ分かっていきました。そうして知らされたのが親鸞会の主要教義はことごとく誤りであったということです。よくもこのようなデタラメ創作教義を、唯一絶対にして真実の宗教などと信じていたな、人にも紹介していたなと情けない、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。
私は運よくというか退会できましたが、親鸞会の友人達のほとんどには、高森信心が篤いのと、講師部員や幹部会員の囲い込みのために残念ながら理解してもらえませんでした。あれから5年経ちますが、未だに騙されているのかと思うと溜息しか出てきません。何とか親鸞会に騙され続ける人が一人でもいなくなるように、そして本願を信じ念仏して浄土に向かう同行が一人でも現れるように願って止みません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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