親鸞会の著書からも、簡単に「三願転入の教え」との矛盾を見抜くことができます

親鸞会では、執拗に三願転入の教えを説いては会員に献金、勧誘、無条件服従を要求しています。親鸞会流「三願転入の教え」とは、簡単に言えば

「全ての人は19願、20願の道程を通らなければ絶対に18願の世界に入れない」

というものです。親鸞会教義に則してもう少し詳しく説明すると、

「全ての人は阿弥陀仏の19願に説かれる善を修め、善のできない自分と知らされて20願へと進み、20願に説かれる念仏を称え、念仏も称えられないと地獄一定の自己を知らされ無間のどん底に叩き落されなければ、信心決定して極楽一定と浮かび上がり、絶対の幸福の身となることはできない」

というものです。そして、因果の道理を説いてはこの「三願転入の教え」に結び付け、布施という名の献金、破邪顕正という名の勧誘、高森会長及び上司への無条件服従等を正当化し、勧めているのが偽らざる彼らの実態です。こんなインチキ創作教義のために会員の皆さんは、1台4000万円もするアニメバスを何十台と購入する資金を布施させられたり、例年の何倍もの顕正目標を課せられた挙句入学金5万円をカンパさせられたり、今年はまた単に親鸞会へ導入するためだけの映画製作に布施させられたりと、なんやかんやとむしり取られているのです。

ところが、こうした「三願転入の教え」によらなくても救われている人が実際はいるのです。飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~では龍樹菩薩、曇鸞大師、阿闍世が紹介されています。『飛雲』ではお聖教に基づき詳しく述べられているので間違いありませんが、いかんせん難しく感じる方もあると思うので、当ブログではお聖教を持ち出さずとも、「三願転入の教え」によらず救われている人(?)を紹介していきます。(?)と書いたのは、実際に真実信心かどうかは分かりませんが、親鸞会では「救われたことになっている人」という意味でです。

まず、時代と共に変わる教え(3)-「高森氏 なぜか記した 体験記」に書きましたが、高森顕徹会長、谷口春子女史がそれです。彼らはその体験談から、「三願転入の教え」に従って阿弥陀仏の救いに遇ったとは到底考えられません。体験談には19願のことなど全く書かれてはいないし、高森顕徹会長の出身団体である浄土真宗華光会にも、浄土真宗の布教使の中にも、「三願転入の教え」を説く者はいないからです。そう言うと会員は「三願転入とはあくまで心の道程だ」とか間抜けなことを言ってきそうですが、それなら実践させる意味が分かりません。高森会長や谷口さんは19願を実践しなくても救われているのに、どうして会員の皆さんは実践していかねば救われないのか。高森会長は18歳で、谷口さんは13歳で救われたというが、何十年と親鸞会で求めている人が救われないのはなぜなのか。高森会長や谷口さんは特別な人で、多くの会員の皆さんはそうではないのか。今日や明日にも無常が迫っているかも知れないのに、一体いつどのような善を実践したら信仰が進んで助かるというのか。救われる瞬間は一念でも、その一念に辿り着くまでに相応の時を要するなら、結局それは一念の救いではないではないか。今日が自分の死ぬ日だとしたら、こんな教えで自分は救われるのか。考えれば考えるほど、疑問はつきません。どうか縁あって当ブログを読まれている会員さんは、自分の無常と向き合ってよく考えてみて下さい。

さて、他にも三願転入せずして救われた人がいます。『こんなことが知りたい②』に書かれています東条英機がそれです。以下、該当部分を抜き出してみますと、

 近くは、日本を不敗の神国と狂信し世界を相手に宣戦した大立て役者、東条英機も緒戦のカクカクたる戦果をあげていた時分は、騎虎の勢いでありましたが、一敗地にまみれ、A級戦犯の筆頭として、板敷きの上にワラ布団をおき、毛布五枚の外何も持ち込めない巣鴨の刑務所にぶちこまれ、軍事法廷に立たされるや、かっての総理大臣、陸相参謀総長、内務、文部、軍需、外務の各大臣を歴任した威厳は微塵もなく、孤影悄然たる姿に人間本来の実相を見せつけられた思いをした筈です。
 しかもその彼が、一度仏縁に恵まれ大慈大悲の阿弥陀仏の本願に救われるや、死刑直前に、
「さらばなり、有為の奥山今日こえて、弥陀のみもとに、ゆくぞ嬉しき」
「明日よりは、誰にはばかるところなく、弥陀のみもとで、のびのびとねん」
「日も月も、蛍の光さながらに、行く手に弥陀の光輝く」
と叫んでいます。
 人間のつけた一切の虚飾を、ふるいおとされたそこにあるものは、かよわき葦のような罪悪にまみれた自己でしかありません。
 悪夢から醒めた彼は大罪を犯したが、多生にも億劫にもあい難い、弥陀の救いにあえたこと一つが有難いと、絞首台に勇み足で立っております。
(p.18~p.19)

とあります。東条英機は獄中で浄土真宗に帰依し、救われたようですが、ここで会員の皆さんに質問です。彼は獄中でいつ、どのような善を勧められ、実行したというのでしょうか。皆さんのように自由に活動できたわけではないでしょうに、それでも上のような名歌を遺し、自己の信仰を告白しています。三願転入せずとも救われることは、彼の生き様を知れば明らかです。参考までに『ウィキペディア』東条英機-仏教への信仰-もご覧下さい。


ところで、谷口さんや東条英機の話からは、高森会長から教えを聞かなくても救われる、高森会長以外に阿弥陀仏の本願を正しく伝える人がいるということも同時にお分かり頂けるかと思います。「今日高森先生以外に真実の仏教を説かれる方はいない」なんていうのは単なる盲信であることがこれで分かるでしょう。
特に大学で勧誘され、そのまま会員となった人の多くは、あまりにも外の世界を知らな過ぎです。講師部員や先輩から聞かされる浄土真宗の現状や布教使の話をそのまま鵜呑みにし、確かめもしないのに高森会長以外に親鸞聖人の教えを正しく説く者は今日存在しないかのように思い込んでしまうのです。確かに中には葬式や法事に明け暮れ法を説かない僧侶もいるでしょう。「親鸞聖人の仰せにそんなことがあるのか?」と首をかしげてしまうような説法をする僧侶もいるでしょう。でも、全部が全部そんな僧侶でもないのです。例えば『あさ川進の、宗教と私』【投稿文】勉強会につきましてをご覧頂くと、このような説法をされる布教使の方もおられます。親鸞会の話しか聞いていない人が読むと「親鸞聖人の教えについて何も分かってないなぁ」なんて思われるかもしれませんが、実に有難いお話です。浄土真宗では、救いの法である南無阿弥陀仏と、それが声となって私の口から現れる念仏、その念仏によって私が助けられてゆくということが教えられているのです。念仏は信後報謝に限る、信前も信後も念仏は御礼と念仏を軽視している親鸞会こそ親鸞聖人の教えに疎い、いや、まったく親鸞聖人の教えを分かっていないのです。

このようなわけで、高森顕徹会長自身も三願転入せずして救われたと告白していますから、「三願転入の教え」は会員の皆さんを体よく利用するためのインチキ創作教義です。そして高森会長から教えを聞かなくても救われる人もありますし、高森会長以外に正しい親鸞聖人の教えを説く人は今日多くいらっしゃいます。このように親鸞会の著書からも、簡単に「三願転入の教え」との矛盾を見抜くことができます。
高森会長の話をまともに信じている限り、何千年求めても求まったということはありません。そろそろゴールのない円形トラックをぐるぐる回り続けるランナーからは卒業して、本願を信じ念仏しませんか?
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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