真実心とは

昨日はハロウィーン前夜で日曜日ということもあって、渋谷の駅前は仮装した人々で相当ごった返していたそうですね。既にハロウィーンの市場規模はバレンタインのそれを上回っているというですから驚きです。安倍総理が扮したマリオや、ポケモンGOなど、今年の流行に乗じた仮装をする人も多く見られたようです。

この仮装とか、仮面といったことで思い出したのが、本願のこころ―『尊号真像銘文』を読む(梯實圓著)の一節です。以下にその部分を引用します。

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  九、至心の意味

 内外不調の誡め

 さて「至心」について『尊号真像銘文』には、
  「至心」は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。
  煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり。
  (『註釈版聖典』六四三頁)
 といわれています。「至心は真実と申すなり」といわれているように、「真実なる心」という意味です。これは、善導大師の「至誠心釈」を承けて説かれたものです。善導大師は「散善義」の至誠心釈のはじめに「至とは真なり、誠とは実なり」といい、至誠心とは真実心であるといわれていました。
 真実心とは、「まことの心」ということであり、「嘘・いつわりのない心」ということです。真実の「真」というのは、「仮」の反対語であり、「実」というのは「虚」の反対語です。仮という字は、もともと仮面をかぶっている状態を表しています。その面を取ると、違う顔が出てくる。つまり、人に見せている顔と本当の顔が違うわけです。ですから真というのは、面を取り外した、もともとの顔のことです。このように、見せかけと本物とが違うことを、仮といい、そのようなごまかしをせずに、表と裏を使い分けず、本物のままがあらわれているのを「真」といい、「まこと」というのです。
 「実」というのは、「みのり」というように、中に実がいっぱい詰まっている果物のことです。しかし、栗などでもそうですが、外から見たら、ちゃんと実が入っているように見えていながら、開けて見たら中は虫が食って腐ってしまっているということがあります。それを「虚」というのです。虚は「むなしい」ということですが、はじめから何もないというよりも、むしろ中身があるように見えていながら、中を開けて見たら何もない、空っぽ。そのときに感じる裏切られた感情をともなう虚しさを「虚」というのです。それに引き替え、見かけどおり中に実がいっぱい詰まっている、充実していることを「実」というのです。ですから真実とは、表だけ飾って中身は違うというような仮でもない。また見せかけだけで、中身が腐っているというようなものでもない。内も外も本当に充実していることを真実というわけです。(p.57~p.58)
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仮装や仮面、あるいは化粧をして、表と中身が違うことを「仮」といいます。
ラジオショッピングやネットショッピングのCMで商品の紹介を聞き、買ってみると期待していたほど大したことはなく、裏切られた感情をともなうむなしさを「虚」といいます。

真実心を起こせというのは、そのような仮や虚ではなく、内心(本心)と外相(見せかけ)がピッタリ一致し、外の賢善な振舞いに相応したまことの心、嘘・いつわりのない心を起こせということです。19願を実践していくというのはそんな真実心を起こして如説に修諸功徳の善をやっていくということです。如何です? 会員の皆さんはそんな真実心を起こして19願の善を実践しているのですか? 私相手に嘘をついても仕方ありません。仏様相手の求道をされているのなら、自己に厳しく問うてみて下さい。
ところが、そんなことは逆立ちしても、どう転んでもできない。それで法然聖人や親鸞聖人は、これは凡夫が自分の力で起こせる心ではなく、阿弥陀仏の願力のおはからいによって恵み与えられた心であると明らかになされたわけです。

今思い返してみると、親鸞会では「平生業成」の看板を掲げながら実態は19願を勧めて「臨終業成」の教えに、「人生の目的が現在に完成する」だとか言いながら「死ぬまで勧誘、死ぬまで献金、死ぬまで無条件服従、死ぬまで求道」になっており、外に訴えている教えと、内で説かれている教えの実態がまるで異なるのです。如何にも外見は親鸞聖人の教えが正確に説かれていそうに見えながら、中身は会長や幹部の欲望が渦巻き、親鸞聖人の仰せとは異なることが教えられていて目的の獲信・往生が得られない。教義の誤りを知らされた時は、まさに裏切られた感情をともなうむなしさが私を襲いましたね。

この、本願力を回向されることによって恵み与えられる真実信心でなければ、真実の報土へは往けません。諸機格別の自力心で、本願に背いた行である万行諸善を行じて得られる結果は、臨終に来迎があったとしても化土往生です。ですから、親鸞聖人は自力諸行往生を誓われた19願と、他力念仏往生を誓われた18願とを対比して教えられ、18願一つ聞くようにお勧めになりました。「親鸞学徒」と自称しながら、親鸞聖人のお言葉に順わずに他の人間の言葉を信じるような者は「親鸞学徒」とは呼ばれません。それは仮虚、虚偽の親鸞学徒」と呼ばれるべきでしょう。会員の皆さんには、外に親鸞聖人の教えを信じる者の姿を現じるなら、内にも親鸞聖人の教えをそのままお受けし喜ぶ、内外相応した親鸞学徒」になって頂きたいものです。
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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