私が本願をお聞きするに当たって、「私のターン」というものはありません

私事ですが、自分は子供の頃から「ファイアーエムブレム」というゲームが大好きです。思春期から現在に至るまでその熱は冷めず、大の大人が3DSまで買って、バーチャルコンソールで昔のゲームを購入してまでプレイするという入れ込み様です。とは言ってもゲームボーイアドバンス以降のシリーズには手出しできておらず、「暗黒竜と光の剣」「外伝」「紋章の謎」「聖戦の系譜」「トラキア776」しか実際にプレイしたことはありませんが・・・。いつか3DSの「覚醒」「if」もやってみたいとは思いますが、物語も登場キャラも全く違いますし、子供と違ってドはまりしたら大変なので自重しています。

ファイアーエムブレム 新・紋章の謎 ~光と影の英雄~

は特にお気に入りで、もう最難関のルナティック´で5回はクリアしました。始めれば吟味地獄に陥ることは重々分かっていながら、ついつい何周もやってしまうという阿保な自分がいます。

さて、このゲームの特徴の一つに、自軍のターンと敵軍(同盟軍、中立軍)のターンがあることが挙げられます。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーでも、コマンド入力して各キャラの行動を決定するというのは同じですが、自分と敵の行動はお互い入り混じっています。対してファイアーエムブレムは、自軍のターンに各キャラを動かし、終了したらターンエンドして相手ターンに譲るというシステムです。自軍のターンにいきなり敵軍が動き出すことはありません(攻撃を仕掛ければ反撃はしてきます)。自軍のターン→敵軍のターン→自軍のターン・・・と繰り返す点は囲碁や将棋と似ていますが、同一ターン内に複数のキャラを動かせる点は異なります。基本的に一度動かしたキャラは次のターンまで動かせず、同じマスに重ねてキャラを配置できないため、順番や配置等で長考することもしばしば。難易度が上がるほど高い戦略性が求められます。


前置きが長くなりましたが、タイトルでも示した通り、私が本願をお聞きするに当たって、「私のターン」というものはありません。どういう事かというと、普通は「教・行・証」と言われるように教えがあって、教えの通り実行して、証(さとり)を得るというのが一般的な仏教です。世の中でも全てと言っていい位そうで、まず「このような結果が得られますよ」という教えがあって、実際にその結果を得るための方法を実践実行し、望みの結果を得る(得ない)という構図です。サプリメントなんかは実に巧い商品で、それが実際効果があるかは分かりませんが、体験談を前面に押し出し、科学的な理屈を連ねて巧みに消費者の購買意欲をそそっています。

つまりは、望む結果(証)を得るには、教えを行ずるという「私のターン」というものが必ずあるということです。「このようになりたい」という願いだけで、具体的な行動に出なければその願いは果たせないということです。時には「棚から牡丹餅」的な感じで、願ったり叶ったりということもあるでしょうが、それは今までの自分の業が花開いたということであって、何もなく結果が現れたということではありません。

これがいわゆる自業自得の道理というもので、私達が生きてゆくにはこの道理に従って善業を修め、悪業を造らないようにしていくのが大事なことです。何が善で何が悪かということは国や時代、価値観や求めるものなどによって異なりますが、行動無くして成果は無い、「私のターン」無くして望みの結果は得られないということです。当然ながら聖道門や浄土門内の自力の教えでもそうで、さとりや往生という証を得るには、教えに従って行を修めていくということが必要不可欠です。


ただこれを親鸞聖人の教え、第十八願の教法に適応しようとすることは「自力」と言われ、この自力ある限り十八願によって救われるということはありません。第十八願の教法は、阿弥陀さまが衆生を漏らさず救い摂りたいという願いの元、五劫の思惟、不可思議兆載永劫の御修行を経て南無阿弥陀仏の大功徳を成就され、それを与えて救おうというものです。「浄土往生したい」というのは私の願いではなく、「浄土往生させたい」という阿弥陀さまの願いです。そのための行も私が加わる隙は微塵もなく、私に代わって全て阿弥陀さまが修められました。その願行を与えられ、私が往生成仏するという証も、阿弥陀さまが願われ行ぜられた結果です。

私としては、その本願をただ仰せの通り聞き受ける(信じる)のみにて往生成仏が決定するという、何とも有難くたのもしく、かたじけないご本願です。その信すら私が起こすのではなく、向こう様が恵み与えて下さるのですから、私が報土往生することは易いという言葉も要らぬ易さです。既に私を救おうという願行は成就され、その行信も与えられ、証を得るだけなのですから、私が特別何かを行じなければならないということはないのです。強いて言えば本願の言葉、南無阿弥陀仏の六字のこころを聞き、そのまま信じ受け容れるのみです。

こうした第十八願の教法に自力を混ぜ込み、求道のプロセスなどと称して会員を利用・搾取しているのが親鸞会です。因果の道理や19願、宿善、三願転入といった概念を巧みに利用し、絶対の幸福だとかいう幻想的な楽で聞く者を釣って、組織拡大要員として利用しているのです。私が薄い宿善を厚くし、私が19願・20願の行を実践して18願の世界まで到達するのだと、「私のターン」を設けて、献金・勧誘・無条件服従に都合よく従事させようというのが狙いです。私が本願に救われるに当たって「私のターン」というものはなく、先手の「阿弥陀さまのターン」で往生の一大事の勝負は決してしまうというのに、「私のターン」に執着させて本願を聞かせなくしています。獲信・往生とは無関係なことばかりやらせ、阿弥陀さまと私の仲を取り持つどころか、私を往生成仏させようという阿弥陀さまの願いを阻害しています。

親鸞会教義は親鸞聖人の教えとは向きが真逆ですから、それを正しいと信じている限りは本願に背き、本願の言葉を受け容れずにひたすら利用・搾取されるしかありません。「私が救いに向かって進んでいく」のではなく、「既に回向せられている本願の救いを受け容れる」のです。往生の問題は私がどうこうできるレベルの話ではないのです。それをどうにかしようとしている時点で既に自惚れの極みです。会員の皆さんには、早くそのような邪義は捨て去って、南無阿弥陀仏の六字のこころ、「我にまかせよ、必ず助けるぞ」の力強い本願の仰せに身も心もまかせて頂きたいと思うばかりです。
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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