親鸞会会員の誤解―活動しなければ救われない(11)

蓮如上人は覚如上人の定義を踏襲し、「宿善」を

善知識に遇う因縁、18願の法を信じる因縁

の意味で用いられ、事あるごとに御文にて門徒の方々に書かれています。ほとんどの場合は、

同じく親鸞聖人の教えを説いても、宿善の有る人はご法義を受け取るが、宿善の無い人にはかえって誹謗の元となる。だから、どこでも、誰彼構わず手広く法を説けばいいというものではない。法を説く時には、相手の宿善の有無をよく見定めて、宿善の有る人に当流の法を与えなさい。

と、法を伝え弘める際の注意として「宿善」の語を使われています。親鸞会のように、「宿善」に

これから信心獲得しようとする者が、未来の救いに遇うために修めていく善根功徳

という意味を持たせ、

 宿善と言うのは、過去世の仏縁のことであるが、過去世に仏縁浅き者は、現在に於いて真剣に宿善を求められねばならない。
 でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。
 されば宿善は待つに非ず、求むるものである。
(『白道燃ゆ』p.203)

などと言って「宿善を求めよ、厚くせよ」と教えられた箇所は1箇所もありません。

その1箇所もないデタラメ教義を捏造し、己の欲望である「打倒本願寺」「組織拡大」「会員倍増」等の実現のために会員を利用し搾取してきたのが高森顕徹会長及び一部の幹部です。教義上は「因果の道理」や「七仏通戒偈」からの「廃悪修善」、十九願の「諸功徳」、『観経』の「定散二善」、菩薩の修行内容である「六度万行」等を根拠としての「善の勧め」で聞こえはいいですが、既にこれだけでも浄土真宗からはかけ離れた異義です。五正行以外の一切の諸善万行は「雑行雑善」であって、

雑行をせよ

という教えは勿論、

雑行が雑行と知らされ廃るには、実地に善(雑行)をやらなければならない

という教えも浄土真宗にはありません。

こんな血で血を洗うような教えは存在しません。いくら血で血を洗っても汚れは取れず、きれいになりません。きれいにするなら、「雑行雑善」という血ではなく「弥陀の法水」という清水です。この清水によって雑行の血が落ちるわけで、清水を与えられずに雑行まみれの会員が信心も安心も無いというのは不思議でも何でもなく、至極当然なわけです。こんな教えをまともに聞いて獲信できたら逆にビックリです。

更に、この「善の勧め」が如実の善の勧めならまだしも、デタラメ教義の聴聞・教学、親鸞会への献金・勧誘、会長及び上司への無条件服従等が親鸞会の主な活動ですから、中身の教えは浄土真宗とは無関係です。言葉だけ経典や聖教の文言を用いた新興宗教です。

それを示していきましょう。親鸞聖人は「行文類」に『選択本願念仏集』三選の文を引いておられます。

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。

速やかに迷いの世界を離れようと思ったら、つまり救われたいと思ったら、どのようにせよと教えられているかという答えがこの三選の文です。

Q.どうすれば救われますか?
A.聖道門を閣きて、雑行を抛ちて、助業を傍らにして、仏の名を称することをもっぱらにせよ。


つまり「(称名)念仏一行」です。ちなみに親鸞聖人は「信心」を強調されたというのはその通りですが、それは

「南無阿弥陀仏[往生の業は念仏を本とす]」

という信心です。「念仏一行で助かる」、逆に言えば「念仏の他に往生の道は無い」という信心です。高森会長の説く訳の分からない信心とは異次元なものなのです。「信心」と言っても「南無阿弥陀仏」、「念仏」の他にはありません。

浄土真宗の「信心」は「至心・信楽・欲生我国」の本願の三心ですが、うち「至心」については

この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。(至心釈)

と、「至徳の尊号」すなわち「南無阿弥陀仏」がその体であるとされ、「信楽」については

すなはち利他回向の至心をもつて信楽の体とするなり。(信楽釈)

と、「利他回向の至心」がその体であるとされ、「欲生我国」については、

すなはち真実の信楽をもつて欲生の体とするなり。(欲生釈)

と、「真実の信楽」がその体であるとされています。「至心・信楽・欲生我国」の三心ともに、「南無阿弥陀仏」がその体であり、「南無阿弥陀仏」以外に浄土真宗の信心は無いということです。それで蓮如上人は、

当流の信心決定すといふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり。(4帖目8通)

されば他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこころなり。このゆゑに一切の聖教といふも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこころなりとおもふべきものなり。(5帖目9通)

他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。(5帖目11通)

それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。(5帖目13通)

されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり。(5帖目22通)

等々、至る所に「信心」の体である「南無阿弥陀仏」の六字のこころを懇ろに説かれています。これを正しく説いて人々に信を獲させる、後の世を渡す橋となることが浄土真宗の僧侶としての仕事です。人々が信を獲るのは坊主の力ではなく、全く阿弥陀仏の本願力に依るのだけれども、その本願他力の法のお取次ぎをする、如来の御代官を務めるということです。蓮如上人は生涯を通してこの仕事を全うされた方と言えましょう。


ですから、この「南無阿弥陀仏」の六字のこころを伝えずして、聞く者が「信心」獲得も何も無いんですよ。それが親鸞会ではどうですか? 「南無阿弥陀仏」の六字のこころ、会員の皆さんは聞いていますか?

私が会員だった時は、これと無関係なことばかり聞いていました。例えば、今話題にしている「宿善を求めよ、厚くせよ」という教え然りです。「宿善の薄い者はそのままで信心獲得はあり得ない」=「救われない」というので、宿善を厚くするための実践方法を教えられました。参考までに『教学聖典(5)』にはこんな問答があります。

(問)「宿善」とはどんなことか、二通りの読み方を示せ。
また宿善が厚くなる順から三つあげよ。

(答)○「宿世の善根」とか、「善が宿る」とも読む。
  (1)熱心な聞法
  (2)五正行の実践
  (3)六度万行の実践


こんなデタラメ創作教義のために、今までどれだけの人が騙されて貴重な人生を無駄にしてきたことでしょう。私は8年ほどでしたが、中には20年、30年、それ以上という方もおられると思います。

最初の「(1)熱心な聞法」ですが、これは要は「高森顕徹会長の話を聞くこと」であり、「高森顕徹会長の追っかけ」でした。私が学生の頃には、既にほぼ富山でしか高森顕徹会長の話はありませんでしたが、歴の長い方々はたとえ海外であろうと「宿善を厚くしよう」と思って毎週毎週飛び回っていたことでしょう。

次に、「(2)五正行の実践」と言われて勧められたのは朝晩の勤行でした。『正信偈』や『御文章』を読むのは読誦正行、阿弥陀仏を思い浮かべるのは観察正行、ご名号に礼拝・合掌するのは礼拝正行、念仏称えるのは称名正行、お仏花やお供物を供えたり人を誘ったりするのは讃嘆供養正行だと説明され、「宿善を厚くする行い」として勧められました。

そして、「(3)六度万行の実践」では主として第一の「布施」と称する「法施」と「財施」、要は「勧誘(人集め)」と「献金(金集め)」を勧められました。親切や親孝行、言行一致といった世俗的な善の勧めも無くはありませんでしたが、より強烈に勧められたのは一にも二にも「布施」でしたね。実態は言わずと知れた「善もどきの善」ですが、教義上からしても「雑行の勧め」でした。

まぁ「南無阿弥陀仏」の六字のこころとは無関係なことばっかりですわ。聞法すら「聞法善」だとか言い、「宿善を厚くする手段」「救いに近づく行い」として捉えさせているのですから、これで聞く人が「信心」を獲られる方がおかしいです。浄土真宗とか言いながら、如来の御代官を務めるどころか、名聞・利養・勝他のために会員を利用し、引っ張り回し、搾取し続けて、完全に「世渡る僧」の状態です。親鸞聖人や蓮如上人が高森顕徹会長の話を聞いたら、どんなにか嘆くことでしょう。

ちなみに先ほどの問いを高森顕徹会長や親鸞会にすると、答えは以下の通りです。

Q.どうすれば救われますか?
A.ド真剣にワシの話を聞け。念仏以外の助業もやれ。雑行もやれ。


法然聖人、親鸞聖人のお答えと真逆であることが分かるでしょう。簡単に教えの違いをまとめます。


「どうすれば救われますか?」という問いに対する答え

親鸞聖人 聖道門を閣きて、雑行を抛ちて、助業を傍らにして、仏の名を称することをもっぱらにせよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高森会長 ド真剣にワシの話を聞け。念仏以外の助業もやれ。雑行もやれ。



浄土真宗とは無関係」、「言葉だけ経典や聖教の文言を用いた新興宗教」だと言ったのはそういうことです。こんな浅ましい外道邪教を真実の仏教、本当の親鸞聖人の教えなどと信じ込んでいる実態に、会員の皆さんは早く気付いて頂きたいものです。



【参考文献】
『飛雲』「どうすれば救われるのか」真宗と高森教との決定的な違い9
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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