今年一年ありがとうございました
今年も残すところあと2日です。近年はネットの普及で年末最後まで荷物が減らず大変ですが、今年は今までよりはずっとマシでした。今日で仕事納めなので何としても無事故で乗り切って、明日友人と美味い酒を酌み交わしたい、そして平和な正月を迎えたいものです。
今年はあさ川さんのブログでも紹介されている埼玉恵日会に行ってみたり、そこであさ川さん始め元会員の方々と知り合ったりしました。そこで聞いた阿部信幾先生の「おかげさまで」という話。最初は中々受け入れ難いものがありましたが、実際はその通りで、この体からして母親の一部を分け与えられたものですから何一つとして「おかげさまで」ないものは無かったのでした。
「なんまんだぶさせるぞ」のものすごい願力でこの世に生まれされられ、生かされ、願力の通りに本願を信じ念仏して浄土へ導かれている淳心房なのだなと思わされました。その「なんまんだぶ」を伝えて下されたお釈迦様始め高僧方、祖師聖人、蓮如上人、その他有名無名の教法伝持に携わった方々がいて下されたからこそ、今淳心房の元まで「なんまんだぶ」が届いたのだなと思うと、如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳というものを少しなりとも知らせて頂きます。なんまんだぶ、なんまんだぶ。
またそれには、私がここまで生きてこなければそうはなれなかったのですが、世界には餓死する子供、紛争に巻き込まれる子供、虐待やいじめによって死んでしまう子供、事件や事故に巻き込まれる子供もある中で、時に暖かく、時に厳しく育ててくれた両親、祖父母、学校の先生、近所の方々、友人、その他顔も名前も知らないような実に多くの方々の「おかげさまで」守られ生かされてきた命なのでした。
そして、私の血となり肉とするために食べてきたお米、肉、魚、野菜など、これらの食べ物や飲み物がなければまた今まで生きてくることはできませんでした。このようにどれ一つ取っても「おかげさまで」ないものなど無いことを知らせて頂くのですが、今まではつい当たり前のように捉えたり、苦しい時などは「何で生きなきゃいけないんだ」「生まれてこなければよかった」などと思ったりしてきました。もちろん一度聞いたからとて大転換するような私ではなく、これからも「おかげさまで」生かされ念仏させられている自分を見失う愚かさは簡単には変わらないでしょう。だからこそではないですけど、これからも法に触れて、御親の徳の尊さ、生きてるんじゃなく生かされている命であるということを聞いていきたいと思います。
それと、今年も当ブログをご覧になった方から色々とコメントやメールを頂きました。無事親鸞会を退会した方もおられて、うれしく思います。「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を説き与えずに、それとはおよそ無関係な組織拡大活動に駆り立てる親鸞会、またデタラメ創作教義を唱え続ける高森顕徹会長は本当に許せません。せっかくなんまんだぶするために生まれてきた命なのに、未だに迷っている方が多く見受けられます。親鸞会教義の誤りと、「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を紹介すべく、これからも書いていきたいと思います。かつて共に活動した仲間達にも届いてほしいです。最低限、俺が死ぬか、会長が交代するまでは続けたいと思っていますんでよろしくです! なんまんだぶ、なんまんだぶ。
そんなこんなで、あまりまとまってはいませんが、今年一年ありがとうございました(^ω^)
今年はあさ川さんのブログでも紹介されている埼玉恵日会に行ってみたり、そこであさ川さん始め元会員の方々と知り合ったりしました。そこで聞いた阿部信幾先生の「おかげさまで」という話。最初は中々受け入れ難いものがありましたが、実際はその通りで、この体からして母親の一部を分け与えられたものですから何一つとして「おかげさまで」ないものは無かったのでした。
「なんまんだぶさせるぞ」のものすごい願力でこの世に生まれされられ、生かされ、願力の通りに本願を信じ念仏して浄土へ導かれている淳心房なのだなと思わされました。その「なんまんだぶ」を伝えて下されたお釈迦様始め高僧方、祖師聖人、蓮如上人、その他有名無名の教法伝持に携わった方々がいて下されたからこそ、今淳心房の元まで「なんまんだぶ」が届いたのだなと思うと、如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳というものを少しなりとも知らせて頂きます。なんまんだぶ、なんまんだぶ。
またそれには、私がここまで生きてこなければそうはなれなかったのですが、世界には餓死する子供、紛争に巻き込まれる子供、虐待やいじめによって死んでしまう子供、事件や事故に巻き込まれる子供もある中で、時に暖かく、時に厳しく育ててくれた両親、祖父母、学校の先生、近所の方々、友人、その他顔も名前も知らないような実に多くの方々の「おかげさまで」守られ生かされてきた命なのでした。
そして、私の血となり肉とするために食べてきたお米、肉、魚、野菜など、これらの食べ物や飲み物がなければまた今まで生きてくることはできませんでした。このようにどれ一つ取っても「おかげさまで」ないものなど無いことを知らせて頂くのですが、今まではつい当たり前のように捉えたり、苦しい時などは「何で生きなきゃいけないんだ」「生まれてこなければよかった」などと思ったりしてきました。もちろん一度聞いたからとて大転換するような私ではなく、これからも「おかげさまで」生かされ念仏させられている自分を見失う愚かさは簡単には変わらないでしょう。だからこそではないですけど、これからも法に触れて、御親の徳の尊さ、生きてるんじゃなく生かされている命であるということを聞いていきたいと思います。
それと、今年も当ブログをご覧になった方から色々とコメントやメールを頂きました。無事親鸞会を退会した方もおられて、うれしく思います。「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を説き与えずに、それとはおよそ無関係な組織拡大活動に駆り立てる親鸞会、またデタラメ創作教義を唱え続ける高森顕徹会長は本当に許せません。せっかくなんまんだぶするために生まれてきた命なのに、未だに迷っている方が多く見受けられます。親鸞会教義の誤りと、「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を紹介すべく、これからも書いていきたいと思います。かつて共に活動した仲間達にも届いてほしいです。最低限、俺が死ぬか、会長が交代するまでは続けたいと思っていますんでよろしくです! なんまんだぶ、なんまんだぶ。
そんなこんなで、あまりまとまってはいませんが、今年一年ありがとうございました(^ω^)
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