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「浄土真宗」「親鸞」会と名乗りながら、「浄土真宗」の話も「親鸞」聖人の教えも無い高森顕徹会長

昨日は延期に延期を重ねてようやく高森顕徹会長がお出まししました。体調が戻らないなら後継者育成のためにも代理の者を立てて話をさせればいいものを、とことん知識帰命の親鸞会です。さて、話の内容ですが

『飛雲』トルストイよりも仏教を知らない高森顕徹会長

に挙がっているようにそれはそれは酷いものでした。「浄土真宗」「親鸞」会と名乗りながら、「浄土真宗」の話も「親鸞」聖人の教えも無い、一日かけて自分が書いたシナリオの解説をしただけという、わざわざ富山まで行ってお布施を納めてまで聞く価値が無い内容でした。あれを聞いて満足しているとしたら、会員の思考停止ぶりはお隣の国民よりはるかに深刻です。


『Wikipedia』親鸞によれば、親鸞聖人は75歳の頃に『教行証文類』を一応完成なされ、弟子に書写を許されています。それから80歳代後半に至るまで、

・宝治2年(1248年)、『浄土和讃』と『高僧和讃』を撰述する。
・建長2年(1250年)、『唯信鈔文意』(盛岡本誓寺蔵本)を撰述する。
・建長4年(1252年)、『浄土文類聚鈔』を撰述する。
・建長7年(1255年)、『尊号真像銘文』(略本・福井県・法雲寺本)、『浄土三経往生文類』(略本・建長本)、『愚禿鈔』(二巻鈔)、『皇太子聖徳奉讃』(七十五首)[注釈 37]を撰述する。
・建長8年(1256年)、『入出二門偈頌文』(福井県・法雲寺本)を撰述する。
・康元元年(1256年)、『如来二種回向文』(往相回向還相回向文類)を撰述する。
・康元2年(1257年)、『一念多念文意』、『大日本国粟散王 聖徳太子奉讃』を撰述し、『浄土三経往生文類』(広本・康元本)を転写する。
・正嘉2年(1258年)、『尊号真像銘文』(広本)、『正像末和讃』を撰述する。


と、数々の御聖教を撰述し、浄土の教えを書き残されています。その間にも『教行証文類』を推敲され続けていかれたことは皆さんご承知の通りです。そこに書かれている内容は、要約すれば「如来二種の回向」であり、「真実の教行信証」でした。中でも私達が助かるタネは「真実の行信」であるとして

・もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。
・真実の行信を獲れば、(乃至)仰いでこれを憑むべし。もつぱらこれを行ずべきなり。
・「専念」(散善義)といへるは、すなはちこれ一行なり。「専心」(同)といへるは、すなはちこれ一心なり。


と、往相回向の大行、つまり本願の念仏と、往相回向の大信、つまり本願力回向の信心を勧められたのです。


蓮如上人も、記録で確かな限り84歳の頃まで『御文章』を書かれ、門徒の方々を勧化していかれました。

あはれ無上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さん輩も出来せしむるやうにもあれかしと、おもふ一念のこころざしをはこぶばかりなり。
(中略)
これによりていよいよ貴賤道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあひかなひ、別しては聖人(親鸞)の御本意にたりぬべきものか。
(中略)
あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。またはこの在所に三年の居住をふるその甲斐ともおもふべし。あひかまへてあひかまへて、この一七箇日報恩講のうちにおいて、信心決定ありて、われひと一同に往生極楽の本意をとげたまふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
  明応七年十一月二十一日よりはじめてこれをよみて人々に信をとらすべきものなり。
『御文章』4帖目15通

蓮如上人は、報恩講のうちに信心決定して往生極楽の本意を遂げよと仰せられていますが、それはどのような内容だったのかと言えば、それまで多くの『御文章』が示すように他力信心の体である

南無阿弥陀仏の六つの字のこころ『御文章』5帖目11通
南無阿弥陀仏の六字のすがた『御文章』5帖目13通

でした。信心決定すると言っても、信心の体である「南無阿弥陀仏の六つの字のこころ」を聞き受ける以外に無いというのです。六字釈を施して書かれている御文も多いですが、施さずに書かれている御文も内容は同じ「南無阿弥陀仏の六字のすがた」です。これを説かなければ聞く人が信心決定するも何もないからです。


ところが高森顕徹会長が訴えてきたことはどんなことだったでしょう。

まず目的ですが、目指すところは「必堕無間」という「地獄必定の一大事」の解決、そして「絶対の幸福」だとかいう幻想的な楽であって、「往生極楽の本意」は「絶対の幸福」の必然だからなのか、オマケ程度の扱いです。果たして浄土往生、往生極楽を目的に親鸞会で聞いているという方はどれだけあるでしょうか。

次に目的を果たすには、「信心決定」するにはどうすればよいかについては、過去は「まことに宿善まかせ」に着目させて宿善薄い者は信心決定できないかのように説いてきました。そして親鸞会流『宿善論』を展開させ「宿善を求めよ」「宿善を厚くせよ」といっては

・高森顕徹会長の話を自力で命がけで聞くこと
・親鸞会に人を勧誘し、会員(学徒)にすること
・親鸞会に財施すること
・高森会長や上司の指示に無条件で従うこと


を中心とする「高森の行」を勧めてきました。結成35周年大会以降は突如として「三願転入の教え」を出して、親鸞会流『宿善論』に代わって(あるいは平行する形で)同じく「高森の行」を勧めてきました。その間、外からの批判に応じて従来の教義を出したり引っ込めたり、修正したり元に戻したりしていますが、会内ではほとんど変化がありません。そして、昔はどうか知りませんが、私が在籍していた頃から今日に至るまで、高森会長が

南無阿弥陀仏の六つの字のこころ
南無阿弥陀仏の六字のすがた

を正しく説いている姿は見たことがありません。


既に絶版の「会報」にパクった六字釈が出ている程度で、70年以上の親鸞会の歴史の中で、信心の体である

南無阿弥陀仏の六つの字のこころ
南無阿弥陀仏の六字のすがた

が話されることはほとんどなかったのです。そして今回は、念仏は勿論、浄土は勿論、本願すら出てこなかったようです。真宗教義でもない、もうほとんどの会員は耳タコの話、親鸞会への導入部分の話を繰り返して一日を終えたというものです。90歳を迎えてもこれですから、一生涯浄土真宗の肝要どころか、要点すら説く気は無いのでしょう。会員の皆さんは、こんな教えを聞いていて今宵の後生に間に合うのか、信心決定して往生極楽の本意を遂げられるのか、真剣に考えてみるべきです。
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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