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親鸞聖人のことを「真仮しらない者」だと誹謗し、終いには「偽の仏弟子」と同義語のことを言われて喜んでいる現役カルト信者

90歳の高森顕徹会長が講演している日にMHW(モンスターハンターワールド)で遊んでいる現役カルト信者がまたまた面白いことを言っています。

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バリバリの高森教徒♪

誉め言葉ww

次は、廃師自流(源空と親鸞が如く、親鸞聖人と高森先生)???
2019-02-27(17:06) : 元会員

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ここまで来るとちょっと病気ですね・・・さすが言うことが違う。実に面白い(福山雅治調)ww


元々彼は親鸞聖人のことを「真仮しらない者」だと誹謗している輩ですから仕方ないと言えば仕方ないです。

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往生成仏の近道と(真仮しらない者が言っている)「念仏」を即説かれなかった世尊のみ教えを信じているようで、全く机上の空論、学問の一部にしている淳心もどき房と愉快な仲間達

ところで往生浄土の近道あるの?

なぜ釈迦は近道だけ説かなかったの?
2019-02-25(07:06) : 元会員

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「念仏」が往生成仏の近道だとは淳心房が勝手に言っているのではなくて、親鸞聖人が仰っているんです。

捷径」=「近道。転じて、ある物事に通達する、手速い方法。はやみち。」(

です。親鸞聖人は浄土真宗、浄土に往生する真実の教えを説かれたのですから、何の近道かと言えば往生の近道に決まっています。「絶対の幸福」だとかいう創価学会の信心を教えられたのとは違うのです。

現代語で書いてある記事もまともに読めない、当然古文漢文はチンプンカンプン、国語の能力も、数を数える能力も著しく衰えている現役カルト信者は実に愚か者です。もし現役会員の方が当ブログを閲覧し、コメント欄を見たならばきっとこう思うでしょう。「あんなのと私達を一緒にしないでもらいたい」とね。

愚鈍往き易き捷径「総序」

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。「行文類」大行釈

よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ「行文類」『浄土論』引文

仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくなし。「行文類」『楽邦文類』引文

径迂対、念仏はさとりに至る近道であり、諸善はまわり道である。
・捷遅対、念仏は早くさとりに至る道であり、諸善は遅い道である。
・奢促対、諸善の人の成仏はおそいから奢といい、念仏者の成仏はすみやかであるから促という。
「行文類」念仏諸善比挍対論

世間難信の捷径『信文類』大信釈

横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。(「信文類」横超釈

このように大行と大信を讃えて、「念仏(とその信心)」が往生成仏の近道だと仰っている親鸞聖人を

真仮しらない者

だと誹謗している現役カルト信者が金剛心をとりて候はんひとでないことは明らかです。


ところで、現役カルト信者は「なぜ釈迦は近道だけ説かなかったの?」と愚かな質問をしているだけでなく、

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一切経に六度万行説かれている。

更に親鸞珍しき法をも弘めず如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。
如来の教法=一切経
2019-02-26(07:58) : 元会員

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と聖道諸宗の理論をもって往生成仏の近道である専修念仏の教えを否定しにかかっています。これについては、似たような事を法然聖人に質問して、それをお答え頂いている問答がありますので以下に紹介します。

就中同疏の「玄義分」のなかにいはく、「この経は観仏三昧を宗となし、または念仏三昧を宗となす」と。すでに二行をもつて一経の宗となす。なんぞ観仏三昧を廃して念仏三昧を付属するや。

答へていはく、「仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」(散善義)といふ。
定散の諸行は本願にあらず。ゆゑにこれを付属せず。またそのなかにおいて、観仏三昧は殊勝の行といへども、仏の本願にあらず。ゆゑに付属せず。
念仏三昧はこれ仏の本願なるがゆゑに、もつてこれを付属す。
「仏の本願に望む」といふは、『双巻経』(大経)の四十八願のなかの第十八の願を指す。
「一向専称」といふは、同経の三輩のなかの「一向専念」を指す。本願の義、つぶさに前に弁ずるがごとし。

問ひていはく、もししからば、なんがゆゑぞただちに本願の念仏の行を説かず、煩はしく本願にあらざる定散諸善を説くや。

答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。
また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。
例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。
『選択本願念仏集』

【現代語訳】
殊に同じ『観経疏』の玄義分の中に、 「この経は観仏三昧を宗とし、 また念仏三昧を宗とする」 といわれてある。 すでに観仏・念仏の二行をもって『観経』一巻の宗要としているのに、 どうして観仏三昧を廃して、 念仏三昧を付属するのか。

答えていう。 「阿弥陀仏の本願に望めてみると、 世尊の思召しは、 人々をして一向に専ら阿弥陀仏の名号を称えさせることにあるのである」 (散善義) といわれてある。 定散の諸行は本願の行でないから、 これを付属せられぬ。 またその中で、 観仏三昧は殊に勝れた行であるけれども、 仏の本願に誓われた行でないから付属されないのである。 念仏三昧は仏の本願の行であるからこれを付属されるのである。 「阿弥陀仏の本願に望めてみる」 とは『大経』の四十八願の中の第十八願を指す。 「一向に専ら称える」 とは、 同じく『大経』の三輩往生の 「一向に専ら念ずる」 とあるのを指すのである。 本願の意味は前にくわしく述べたとおりである。

問うていう。 もしそうであるならば、 どういうわけでただちに本願念仏の行を説かずに、 わずらわしく本願の行でない定・散の諸善を説かれるのか。

答えていう。 本願念仏の行は、『大経』の中に委くわしくこれを説かれてあるから、 重ねては説かれないのである。 また定・散の諸行を説くことは、 念仏がその他の善に超え勝れていることを顕わすためである。 もし定散の諸行がなかったならば、 どうして念仏が特に秀でた行であることを顕わされようか。 例えば『法華経』が、 それ以前の説、 同時の説、 それ以後の説の三説の上に秀でているようなものである。 もし三説がなかったならば、 どうして『法華経』が第一に秀でていることを顕わされようか。 ゆえに今、 定散の諸行はこれを廃するために説き、 念仏三昧はそれを立てるために説かれるのである。


これも元々、高森顕徹会長が『本願寺なぜ答えぬ』にて

”定散二善が、韋提希の獲信に無関係”と、するならば、”説かれた目的はなんのため”と、反問したい。(p.147)

と書いて自身の無知ぶりを披露しているので、現役カルト信者が、釈尊が聖道門の諸教(六度万行)を説かれた理由を知らないのは仕方ないと言えば仕方ないです。しかしそれにしても、親鸞聖人が『正信偈』にて

如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言


【現代語訳】
すべての如来が世間に出現されるのは、ただ阿弥陀仏の本願を説くためであった。
濁ったこの世に生きるものはみな、釈尊の教えにしたがって本願を信じるべきである。


と朝晩私達に「釈尊の教え=阿弥陀仏の本願(第十八願)」だと教えて下さっているのに、阿弥陀仏が本願において選び捨てられた六度万行を拾ってくるとはさすが現役カルト信者です。モンハンばっかりやって、朝晩のおつとめをさぼっているのかな? それとも仏前でただ座って『正信偈』を声を出して読んでいるだけで意味が頭に入ってこないのかな? あ、そもそも現代文すら読めないのだから古文漢文はチンプンだったか。


最後に、彼の質問に対する答えを簡潔に示しておきます。

●ところで往生浄土の近道あるの?
⇒念仏です。

●なぜ釈迦は近道だけ説かなかったの?
⇒念仏がその他の善に超え勝れていることを顕わすためです。


高森教という「」の宗教を信じ、「バリバリの高森教徒」と言われてそれを「誉め言葉」と受け取っている彼。「偽の仏弟子」と同義語のことを言われて喜んでいる現役カルト信者は、どこまでも哀れ哀れです。
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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