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『往生要集』を読んでいて思ったこと

『往生要集』には六道という迷いの世界を厭い離れて清らかな浄土を欣い求めるべきことが書かれています。その中、地獄の中でも最底辺の無間地獄がいかに苦しい処であるかは

阿鼻地獄の人は、大焦熱地獄の罪人を見ること、他化自在天処を見るがごとし。阿鼻

という文からも伺えます。焦熱地獄の十倍の苦を受ける大焦熱地獄の罪人を、欲界の最上位である他化自在天の人だと思うというのですから、いかに苦しみの激しい地獄であるかが伝わってきます。等活地獄でさえ耐えがたい苦痛であろうに、大焦熱地獄や阿鼻地獄の苦しみは想像も及びません。

一方で、天上界は五戒を保ち十善業を修めたことによって得られる楽なる果報ですが、やがてその果報が尽きて転落する時がやってきます。その時の苦しみは、地獄の苦よりも激しいと説かれています。

三界安きこと無し、猶火宅の如し

と『法華経』(譬喩品)には説かれているそうですが、そのように聞いて、私達は、いよいよ安きことなき穢土を厭い離れて、浄土を欣い求めるべきでしょう。


ところで、三悪道に堕する因は貪瞋痴の煩悩とそこから生ずる様々な悪業です。地獄界、餓鬼界、畜生界という三悪道に堕する衆生は十方の土の如くいると言われ、それに対して人間に生まれるものは爪の上の土ほどしかいないというのです。

われらいまだかつて道を修せざるがゆゑに、いたづらに無辺劫を歴たり。 いまもし勤修せずは、未来もまたしかるべし。 かくのごとく無量生死のなかには、人身を得ることはなはだ難し。 たとひ人身を得たれども、もろもろの根を具することまた難し。 たとひ諸根を具すれども、仏教に遇ふことまた難し。 たとひ仏教に遇ふとも、信心をなすことまた難し。 ゆゑに『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「人趣に生るるものは爪の上の土のごとし。 三途に堕つるものは十方の土のごとし」と。『往生要集』総結厭相

他の方はどうか分かりませんが、淳心房が日々やっている三業の所修は、間違いなく貪瞋痴の三毒に代表される煩悩に穢れた行為ばかりです。因果通途の義に従えば、畜生界はおろか、餓鬼界はおろか、地獄界に堕ちて当然の業しか造っていないといっても過言ではありません。その私が現在、三悪道を離れて人間界の生存を受けているというのは大変有難いことです。というか、有り得ないことです。

人間に生まれるには五戒を保ってきたと言われますが、私にできるのはせいぜい不飲酒戒くらいで、不殺生、不妄語などは到底できそうにありません。お酒好きな方は不飲酒戒も不可能でしょう。阿弥陀仏の本願力によって五戒を保たされて生まれてきたという話を聞いたことがありますが、さもあらんと頷かざるを得ません。

これを思えば、この私が、三悪道の苦しみを免れて人間として生かされている、こうして息をして生きているということ自体が不思議であり、有難いことです。それを、他人や過去と比べて自分の不幸を呪い、あれがほしい、これがかなったらと願い求めているのは強欲です、不与取です。それで幸せになれる訳がない。

私達はついこの身の幸を当然と思い、苦しい時などは人間に生まれたことを後悔したりしている有り様です。苦境に立たされていたり、うつ病などの精神病を患っていたりすると難しいですが、人間として生まれ、様々な恵みにより生かされている身の幸を、しっかりと感じて生きていかなければならないと思いました。


櫻井鎔俊和上の『教行信証を読む』には次のように書かれています。

(前略)人間も天人も阿弥陀仏の光明にあうと、三垢(むさぼりの心、怒りの心、愚痴の心)が消え、身も心もやわらかくなり、喜びの心がおこり、善心が生ずる。いいこといっぱいで、命を終えてのちみな解脱をこうむる(人天遇光の利益)。

 次に、「三悪道(地獄・餓鬼・畜生)で、阿弥陀如来の光明に遇うた者は休息を得る」、三悪道が休みになる、とこう書いてあるんです。地獄にも休みがあるのかというと、休みがあるどころか、おおありだ。どういうのが休みかというと、われわれが人間に出てきたというのが、地獄の休みなんだ。ちょっと一分間ほど休みがあって(笑)、ちょっとごめんこうむって、地獄から今人間に生まれてきた。これがまぁ、人間百年くらいがちょうどそれにあたる。というのは、このことが源信和尚の『往生要集』に八大地獄を明かしてある。その中の等活地獄のところに「人間の五十年を以て四天王天の一日一夜と為。其の寿五百歳なり。四天王天の寿を以て此の地獄の一日一夜と為て、其の寿五百歳なり」(『浄土真宗聖典七祖篇』、八九三頁)とある。だから、一分間お暇をいただいて、三途苦難(地獄・餓鬼・畜生道の苦しみ)の中から逃れて、人間世界へ出てきたというのが、「みな休息を得て」(聖典二九頁)という言葉です。そういう解釈をしないと、お経に味がない。      (p.193~p.194)


私も、そのように感じられます。その一分間のお休みの間に、その楽を享受するのみで終わらず、五道・六道という悪趣(迷いの世界)へ再び舞い戻って苦しみに沈むというようなことがないようにしなければ、人間に生まれてきた所詮がありません。

幸い、浄土真宗には悪業煩悩を自らの手でどうすることもできない我ら凡夫を、悪業煩悩を問題とせずに救う阿弥陀仏の本願力ましますことが説かれています。本願力は南無阿弥陀仏と成就して既に与えられていますから、私達はそのいわれを計らいをまじえずに聞き受けて、仰せの通り必ず浄土に生まれられると思い定めてお念仏申すばかりです。

どうか皆人がこの本願をまことと受け容れて、お念仏されるように願っています。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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