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かの二大士の重願、ただ一仏名を専念するにたれり

親鸞会では、『御伝鈔』第三段 六角夢想の御文の一部はよく知られています。というのも、この段の最初は六角堂の救世観音の夢告についてであり、中盤には

そもそもまた大師聖人[源空]もし流刑に処せられたまはずは、われまた配所におもむかんや。もしわれ配所におもむかずんば、なにによりてか辺鄙の群類を化せん。これなほ師教の恩致なり。

の文があり、最後の方には

今の行者、錯りて脇士に事ふることなかれ、ただちに本仏(阿弥陀仏)を仰ぐべし

のお言葉があります。夢告の内容は『こんなことが知りたい③』p.91~p.95に、挙げた二つの御文は『教学聖典』にそれぞれ載っているからです。


ところが、断章取義により覚如上人が何を伝えんとされているのか知っている会員は少ないでしょう。

ここでは、聖徳太子は観音菩薩の垂迹、法然聖人は勢至菩薩の化身であることを示し、これら観音勢至のお導きに順ってこの親鸞は阿弥陀仏の本願を弘めているのである、ということを聖人が仰ったと伝えられています。

儲君(聖徳太子)もし厚恩を施したまはずは、凡愚いかでか弘誓にあふことを得ん。救世菩薩はすなはち儲君の本地なれば、垂迹興法の願をあらはさんがために本地の尊容をしめすところなり。

大師聖人すなはち勢至の化身、太子また観音の垂迹なり。このゆゑにわれ二菩薩の引導に順じて、如来の本願をひろむるにあり。真宗これによりて興じ、念仏これによりてさかんなり。


そして、この二菩薩の願いは、ただ南無阿弥陀仏の名号を専念するということ一つであり、我々は誤って脇士である観音勢至に仕えるようなことがあってはならない、直ちに本仏である阿弥陀仏を仰ぐべきである、と教えられているのです。

かの二大士の重願、ただ一仏名を専念するにたれり。今の行者、錯りて脇士に事ふることなかれ、ただちに本仏(阿弥陀仏)を仰ぐべし

このような教説の背景には、観音勢至が何か特別な力をもって我々にご利益を与えて下さるだろうなどというような愚かな考えを抱いて、それらを信仰するような人々があったからであろうと思われます。

観音菩薩は阿弥陀仏の慈悲を、勢至菩薩は阿弥陀仏の智慧を表す菩薩ですから、この二菩薩の勧めは、私達に本仏である阿弥陀仏の名号を専念させること、つまり称名念仏に尽きるということが分かります。すなわち、阿弥陀仏、その慈悲と智慧を表す観音勢至、更にその垂迹である聖徳太子、法然聖人の勧めは称名念仏の一行であり、それを親鸞聖人は私の考えを差し挟まず、全く聖衆方の教誨通りこれを教え勧めているのであると覚如上人が仰っているのです。


このような大切な教えを示さず、ただ阿弥陀仏以外の諸仏、菩薩、諸神に仕えるのは雑行だと言うばかりで、布施や持戒等の無量の諸善も往生行としては雑行であることを示さない高森会長・親鸞会には、会員に往生・獲信させる気が無いのです。

雑行は、すなはち文(同)に、「この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく」といふこれなり。意はいはく、雑行無量なり、つぶさに述ぶるに遑あらず。ただしばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かすべし。一には読誦雑行、二には観察雑行、三には礼拝雑行、四には称名雑行、五には讃歎供養雑行なり。
(中略)
このほかまた布施・持戒等の無量の行あり。みな雑行の言に摂尽すべし。
『選択集』二行章 五雑行

親鸞会の大好きな布施も雑行です。後生の一大事の解決のためと言って財施や布教を勧めることは雑行を勧めることに他なりません。だから会員は雑行(実態は雑行でもない悪業悪行)まみれです。建前は雑行を捨てよと教えていても、こんな体たらくで雑行が廃るはずがありません。

善導大師は、始めは専修正行を捨てて雑行を修める者は百人の内希に一人二人、千人の内希に五人三人が浄土に往くと教えられています。

もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、百の時に希に一二を得、千の時に希に五三を得。

しかし後には、雑行の者は千人の内一人も浄土に往生できない、というのです。

雑を修して心を至さざるものは、千がなかに一もなし。

ですから法然聖人は、二行章を締めくくるにあたって次のように仰っています。

わたくしにいはく、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者よくこれを思量せよ。

阿弥陀仏はただ称名念仏の一行を往生の行として本願を発されているのですから、それに背いて雑行(実態は悪業悪行)を修めているのは阿弥陀仏の本願に背くばかりでなく、脇士の観音勢至の重願にも違し、法然親鸞両聖人の教勧にも反しているのです。


尤も、親鸞会も最近は少し教義を修正してきており、

念仏を称えるな、とか、称えなくてもよい、といことではない

というようなことを新聞や顕真に書いていますが、相変わらず雑行の勧めを止めませんから、親鸞会はひいき目に見て正行雑行兼行です。専修正行、専修念仏ではありません。こんな団体が浄土真宗の宗名を冠するにふさわしいのかどうか、そんな教えを聞いていて救われるのかどうか、

行者よくこれを思量せよ。

のお言葉の通り、会員の皆さんはよくよく考えて下さい。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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