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【考察】念仏の勧めについてⅡ(14)

親鸞聖人は大行釈において、称名は阿弥陀仏から回向される行であり、その行自体が極めて勝れた徳をもち、極めて勝れたはたらきを具えていることから、称名を大行と名づけると仰っています。

そして、称名という行は実は第十七願によって出た行であると言われています。

しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。

称名は確かに人間の口に現れるものですが、それは人間の側から出たものではなくて、阿弥陀仏によって成就し回向されたものであり、その出処は本願であると教えられています。親鸞聖人においては、称名が大行である根拠は「本願」です。


ここでよく行は名号とか、本願のはたらきと言う人がいます。そのことは前回述べた通りであり、間違いではありません。ただ、親鸞聖人は称名をもって往生の行体と定め、それを浄土真実の行、選択本願の行と仰っているのですから、行には当然ながら称名、念仏の意があります。存覚上人は

浄土真実の行とは、往生の行の中に仏の本願なるが故に正しく念仏を以てその生因と為す。故に真実という。これ称名なり。余は本願に非ず。故に真実に非ず。選択本願の行とは、その意また同じ。念仏は正しくこれ選択本願なり。余は選択本願の行にあらず。故に念仏を以て真実の行と云い、選択の行と云う。『六要鈔』第二巻

と浄土真実の行、選択本願の行について「念仏」「称名」と教えられています。念仏、称名は往生の行の中に仏の本願であるから、選択本願の行であるから真実の行であり、選択の行であるというのです。存覚上人においても、念仏、称名が浄土真実の行、選択本願の行であるという根拠は「本願」です。

こうした教えからしても、また浄土宗の歴史からしても、浄土真宗の「行」に「念仏」「称名」の意味を除外することは不可です。


ところが信心を重視する真宗では、「行」を「念仏」「称名」と解釈することに慎重です。全分他力を主張する真宗としては、仏の救済活動に微塵も衆生の動作の功を見てはならないからでしょう。それで行とは名号のことだ、本願のはたらきのことだ、諸仏の称名のことだと様々な解釈が存在しています。実際にそのように解釈できる一面があるからです。一方、行を称名と解釈するにしてもそれは信を獲た上での他力の称名であるというように、必ず「他力」を冠して表現します。また信因称報説に絡めて、往生を祈願しての念仏ではなく、既にお救いにあずかったことに対する報謝の称名でなければならないというのです。

他にも、「行」を「念仏」「称名」で解釈すれば「その念仏は自力か他力か」とか「自力の称名までも大行と主張するのか」というような議論になることもしばしばです。しかし、そうした中で「人間の信不信によって称名が大行であったりそうでなくなったりするのか」「人間の側で左右されるような行が『大行』なのか」という意見もあります。大行釈で顕されている「大行」については、どうにも一筋縄ではいかない、単純な理解を許さないのです。


と言ってもこれは「念仏」「称名」を人間の上で、衆生の動作としてのみ捉えているからです。聖教に説かれている「念仏」「称名」の語を全て「人間の口に称える行い」という意味で捉えているから議論が尽きないし、結論が出ないのです。前にも言いましたが『教行証文類』は約仏の書です。仏の救済を仏の側から顕しているのです。「行文類」では、仏が本願に選択し、仏が往生の正定業として成就し、仏が回向する行が称名という「大行」であると顕されています。仏の観点から見れば、大行釈に説かれる「大行」を「念仏」「称名」と解釈することに何ら問題はないと思います。

大行釈では「阿弥陀仏は称名という行を回向されていますよ」と語られているのであり、衆生の動作を語っているのではありません。衆生はその時点ではまだ「南無阿弥陀仏」の「な」も発していません。以前述べたように、約仏と約生を混同し、私達の口元ばかりにとらわれているから、このような不毛な議論に発展するのでしょう。

称名は仏の本願の行、他のどんな行よりも桁違いに勝れ、称える者の身に速やかに往生成仏の因を満足させるように成就された行、そして仏が回向される衆生往生の行であるから大行なのです。このような大行釈に対して衆生の動作という観点で物を言うからおかしなことになるのではないでしょうか。


ところで、こうした親鸞聖人の教えを聞いて報土往生したい、その行として念仏しようと、衆生が実際に仏の名を口に称するようになったその時に、信心が自力か他力かということが問題になってきます。念仏は同じ「南無阿弥陀仏」です。しかし、念仏を称える行者の信心には自力他力の違いがあります。実は「その念仏は自力か他力か」という質問は、念仏ではなく行者の信心を尋ねるものだったのです。これについては、記事を改めて考察していきたいと思います。



【参照】
『鹿鳴山 願生寺』私的研究室 16.浄土真宗の行
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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