Give a reason

「生きている 今、生きている
 そんな中で 何かを求め
 もがくように 抜け出すように
 この力を 試してみたくて

 きっとどこかに「答」ある
 生まれてきた答が
 人は皆、それを求め
 やるせない のがせない 夢に向かうの

 傷つくことは怖くない
 だけどけして強くない
 ただ、何もしないままで
 悔やんだりはしたくない

 Here we go! go! 走り続ける
 誰にも止められはしない
 未来の自分へと
 Give a Reason for life 届けたい」

(林原めぐみ『Give a reason』より)


この前ラジオを聞いていたら、久々にこの曲が流れてきて、「懐かしい~☆」と思って聞いていました♪
その時は林原めぐみの原曲ではなく、佐倉ユキ(?)のカバーだったと思います。

自分が最初に買ったCDが確かこれでした。
これが主題歌のアニメ「スレイヤーズ」が好きだったので、よく聞いて歌っていましたが、当時は意味もよく分かっていませんでしたね(;^_^A


それがやがて17歳の冬、思い通りにならない現実に直面しました。
支えにしていたものが支えにできなくなりました。
どんなに努力しても、本当に欲しいものが獲られない。
こんなに苦しいのに、自分は一体、なぜ生きなければならないんだろう?
自分の人生に、一体どんな意味があるというのか?
今死ぬのと、寿命まで生きて死ぬのと、何か違いがあるだろうか?

精神的支柱が崩壊し、自分の人生に絶望した私は、死を選ぼうともしました。
しかし真っ暗な死に恐れおののいて自殺もできず、死ぬまで生きるしかないとあきらめていました。
私の時間は、そこで止まってしまいました。

ですから、たまたま受かった大学で先輩に声をかけられ、人生の目的について続けて聞いていき、それは死の問題を解決して「人間に生まれてよかった」という生命の歓喜をうることだと教えてもらった時は、心の底から救われるような思いがいたしました。


しかし、聞いても聞いても分からない。
人生の目的が果たせない。
難度海を度する大船に乗ることができない。

それには、しなければならないことばかり。
煩悩に耐えて進まなければならない。
宿善を厚くしなければならない。
人を誘わなければならない。
お金を納めなければならない。
本気になって善をしなければならない。
疲れていても大変でも、富山まで聞きに行かなければならない。
居眠り聴聞など以ての他、他事考えてもダメ、時には眠気と必死に戦って、一言一句正確に聞かなければならない。
どんなに忙しくても眠くても体がつらくても、朝晩のおつとめは欠かしてはならない。
聞いているだけではダメ、聞いたことは実践しないと聞いたことにならないと言われ、人を誘う活動、お布施に頑張らなければならない。

途中、求めるのが嫌になり、遠ざかっていた時期もありました。
けれど、このまま人生過ぎたら今死ぬのと変わらないし、何せ後生は一大事というから・・・

迷った挙句、
「すぐには解決できなくても求め続けてみよう」
「一生参学の大事と言われるから、簡単に達成できるものではない」
「この世の病気でも治すには時間がかかるんだから」
「まして苦悩の根元を断ち切るという大事、一朝一夕にはいかない」
「ゆっくりでもいいから、人生の目的果たすところまで進もう」
このように思い直し、再び求め始めました。
そうやって、聞き始めてよりかれこれ8年半の歳月が流れました。


いつからか、この先輩だけは絶対に辞めないだろうという先輩が姿を消していました。
どうしたのかと思って連絡を取ったら、教義が間違っていたとのこと。

調べれば調べるほど、間違いないと信じていた教えの誤りが明らかになる。
あてにならないものばかりと聞いていたが、そう教えてもらったところがあてにならないなんて・・・
一方、やはりあてにならないかと思う冷ややかな心もありました。

間もなく、失意と共に私も退会しました。
ブログやネットの情報を手がかりに、真実の教え、本当の救いを探しました。
何人かの先生から直接聞かせて頂きました。


そしてついに、只今私を無条件で救う、南無阿弥陀仏に遇わせて頂きました。
まさかこんなに早く救われるとは、思ってもいないことでした。本当に、只今の救いでありました。

南無阿弥陀仏は、私がどんなに努力したとしても獲られるものではありませんでした。阿弥陀仏によって、一方的に与えられたものでした。
私に何かせよと条件をつける阿弥陀仏ではありませんでした。何かいるだろうと勝手に条件をつけ、計らっていた愚か者でした。
こんな私を助けるために、五劫の思惟、兆載永劫の御修行を経て南無阿弥陀仏を完成され、成仏以来も十劫もの間ご苦労しておられた阿弥陀さま。
あぁ、本願のかたじけなさよと思われます。


人生に絶望してから10年の歳月を経て、ようやく私の時間が動き出したかのようです。
生まれてきた「答」は南無阿弥陀仏一つを教えられた仏教、それは本願力回向の御法義であることを明らかにされた親鸞聖人の教えの中にありました。
苦しい人生は変わりませんが、本願を信じ念仏申す衆生に育てられ、絶えず本願招喚の勅命に呼び覚まされ、阿弥陀さまと共に浄土へ往く旅となった人生は、それまでの人生とはやはり違います。


縁があって当ブログを読まれた皆さん、忙しいのにわざわざ見て下さって本当に有難く思います。
せっかくですから、まだ救いにあずかっておられない方は、この際というのも何ですが是非とも阿弥陀仏に救われて頂きたい。

阿弥陀仏の救いは老少・善悪の人をえらばず。男女・賢愚・人種・貧富・美醜・健障、どれも差別はありません。今まで聴聞、教学をどれだけしたかということも関係ありません。

如来の「助けるぞよ」の仰せをそのままお聞きするのが信であります。
「助ける」の仰せとは、南無阿弥陀仏のことです。
私が発すべき願も、修すべき行も、全て阿弥陀仏が代わって発願し、修行して下さいました。それを南無阿弥陀仏に納めて、私目がけてお与えになるのです。
私としたら、ただお受けするばかり。それにて往生は定まります。煩悩にまみれた愚かな私が、後生は迷いを離れて仏にならせて頂くとは何と勿体ない、かたじけないことでしょう。これほどの一大事は他にありません。
このように阿弥陀仏に助けられたうれしさには、お念仏を申して、阿弥陀仏のご恩に報いさせて頂くのです。

しかも、只今救われます。
只今の他に私は存在しませんし、先はどうなるか分かりません。
この世は実に不安定な、いつ何が起きるか分からない世界です。
あと1時間後の命さえ、100%の保証はありません。
ならば、只今お聞きするより、只今救われるより他に、聞く時もなければ救われる時もありません。


こうは申してきましたが、親鸞聖人の教えを聞く聞かないは読者の皆さん次第です。私が強制できるものではありません。

ただ、望むらくは、どうか命のある間に、皆さん一人一人が救われて頂きたい。そして御国の旅を共にする御同朋・御同行が現れてもらいたい。そのことを、切に願っています。

南無阿弥陀仏
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読んで下さり、有難うございます(^^)v
参考になる所があればどうぞご自由にお使い下さい。

その人に、思いは必ず届きます。阿弥陀さまがあきらめない限り、私達もあきらめずに行きたいですね☆
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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