ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金と成さんがごとくせしむ

空前絶後の~!
超絶怒涛の~!
将棋ブ~~ム!
ジャスティス!


どうも、サン〇ャイン淳心です。・・・嘘です(笑) ちょっと言ってみたかったんです(;'∀')

しかし、将棋の藤井聡太四段(14)がまた勝って、これでデビュー以来負けなしの28連勝となりましたね。凄すぎる(^ω^)・・・藤井四段のグッズや、小さい頃に使っていた将棋道具などが飛ぶように売れていることが報道され、今やテレビで彼の映像が出ない日は無い位です。次が26日、増田康宏四段(19)と対局だそうですから、楽しみです。

ところで、最近どっかで将棋について書いてあったのを見たなぁと思ったら、手品師さんの『将棋の譬え』という記事でした。引用させて頂きますと、以下の通りです。

********************
 おとうさんに会った人の中に山本太朗さんという人があった。この人は仏法はおろか、平素から人間の心とか思想とかに関心のない人で、その夜も「林さんのところへ偉い人が来る」ということで奥さんに引っぱられて仕方なしに顔を出したにすぎなかった。

 私が、この人は将棋が大好きな島一番の指し手であることや、店の仕事をほったらかして将棋に夢中になって奥さんに叱られている人であることを話して紹介したところ、一切勝負事をしないと聞いていたおとうさんが、「やあ、将棋ですか、将棋は素晴らしい!」といわれたのでびっくりした。

 おとうさんのいわれるのには、

 「将棋では桂馬さんでも香車さんでも歩(ふ)さんでも、敵の陣内に入ると〝成る〟といって金と同じはたらきをするんですね」

という話からだんだんと、

 「仏法さんでも、お念仏の世界に入れていただきますと、こんなお恥ずかしい者が、゛瓦礫(がりやく)も金と変じける〟と、仏さんと同じお徳がいただけるんです。将棋はそれと同じことを教えて下さっているので素晴らしい」

と、手を取り肩を叩いて親しく話をすすめていかれたので、はじめは場違いの所へ連れて来られた感じで面喰らっていた太朗さんも一度に打ちとけて話し合いの仲間に入ったのであった。

【北の大地に念仏の華ひらく おとうさんとよばれたひと 林 暁宇 響流書房より】

********************

「行文類」法照『五会法事讃』八文に、このようなお言葉があります。

かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来らしめん。
貧窮と富貴とを簡ばず、下智と高才とを簡ばず、
多聞と浄戒を持てるとを簡ばず、破戒と罪根の深きとを簡ばず。
ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金と成さんがごとくせしむ。


【現代語訳】
阿弥陀仏は因位のとき、弘誓をおたてになった。«名号を聞いて、わたしを念じるものをすべて迎えとろう»と。貧しいものと富めるものをわけへだてることなく、知識や才能の高下によってわけへだてることなく、博学多聞のものも清らかな戒律をたもつものもわけへだてることなく、戒律を破ったものも罪深いものもわけへだてることなく、ただ信を得て念仏すれば、瓦や小石を黄金に変えるようにしてお救いくださるのである。

文中の「おとうさん」はこれを説いていたのですね。いや素晴らしいお話です。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



話は変わりますが、当ブログにこんなコメントが来ています。

********************
ところで淳心房さんは、念仏を称えているかどうかで信心の有無を判定できると考えてますか?
********************

何でこんな答えが見えている質問をしてきたのか考えていましたが、皆さんはどう思いますか? 予想では、

********************
念仏を称えているかどうかで信心の有無は判定できない。

真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。「信文類」三心結釈

このお言葉の通り。同じように、「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」かどうかで信心の有無は判定できない。高森先生は、「ガラリと変われば、それが信心獲得だ。」とは教えられていない。

********************

とか何とか答えて来そうです。もしそう来たら、

ならどうして「しかしながら、幸せな人生にガラリと変わっても必ずしも大悲の願船に乗ったとは限りません。」と蓮如上人に言わせないのか?

とでも答えましょうか。でも蓮如上人にこうは言わせられないでしょうね。確かに高森会長は

「ガラリと変われば、それが信心獲得だ。」

とは言っていませんが、親鸞会としては信心獲得と同時に苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わるということが売りで、幸せな人生にガラリと変わったのが信心獲得だと思い込ませたいわけです。現世利益を餌に信心獲得すれば全ての苦しみが報われるのだから、今は活動に邁進せよと会員の尻を叩きたいわけです。でも、蓮如上人に

「しかしながら、幸せな人生にガラリと変わっても必ずしも大悲の願船に乗ったとは限りません。」

と言われてしまったら会員の皆さんは混乱するでしょう。じゃあどうなったのが「大悲の願船に乗った」ことなのか、何をもって信心獲得したかを確かめるのか、など様々な疑問質問が出てくると思います。特に現世利益目当てで、浄土往生も結構だが今のこの苦しみを救うてもらいたいというのが本心な会員さんは困りますよね。会としては、これで会員の士気が下がったり、活動の結果が芳しくないものになるのが好ましくないわけです。ただでさえ「ここがゴールだ!」とか何百回言われてもどこがゴールだか分からないのに、ますます分からなくなって活動に消極的になる事態は避けたいと見えます。それよりも何よりも、いつも救いを匂わすだけ匂わして結局は「より一層光に向かって進ませて頂きましょう」で終わる、親鸞会の答えの無い答えに失望し、それを期に会員の皆さんが調べ出したりして、

空前絶後の~!
超絶怒涛の~!
退会ラ~~ッシュ!
ジャスティス!


とかなるのが一番まずいわけです。

会員の皆さんは何だかんだで、今の苦しい人生が信心獲得のタイミングで幸せな人生にガラリと変わることを夢見て、なけなしの金をはたき、時間を作って、気の進まないことでも我慢して活動していることでしょう。しかし、そのように活動することと信心獲得とは無関係ですし、信心獲得したら幸せな人生にガラリと変わるとも言えないのです。講師試験まで合格した程の会員の中には、高森会長の話と『教学聖典』を覚えている程度で本願寺の学者より上だみたく思っている痛々しい方がありますが、あまりに浄土真宗の教義に無知だから、『教行証文類』も浄土三部経もろくに読んだこともない高森顕徹会長に騙されてしまうのです。これからも機会を見つけて、そういった会員の皆さんの誤解を取り上げて記事にしたいと思います。
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No title

一応、誰かがツッコミを入れておかないと淳心房さん的にはちょっぴり寂しかったりするのかなとの妙な使命感からコメしますが。

うち、テレビがないせいか元ネタが分からずに普段から能面のようなツラして生きている俺の表情は、残念ながらピクリともしませんでした。。(別に笑いを取りにきてるわけでもないのでしょうがw)
ちなみに過去ログで見た記憶があるのですが、絶倫棒さんとの会話には「ふふ。。」とニヤけてしまいました。
おそらく淳心房さんのお名前からインスパイアされたであろうハンドルネームの秀逸なセンス。そして

>>絶倫棒様

と何事もなかったかのごとくハンドルには触れず、律儀に応える淳心房さんの返信は実にシュールで個人的に大好きです。



「ガラリと変わる」といえば、まぁ確かにガラリと変わったとは思います。
「こんなに辛い人生はもう嫌だ」と何度も自殺しようとしたけれど、死ぬのがどうしても怖くて死にきれなかった自分が、今は死ぬのが楽しみになりましたから。
後生は相変わらず、地獄なのか極楽なのか死んでみないとサッパリ分かりませんが、不思議と心配していない自分がいます。
独りで苦しみ抜いた挙句、死という大問題の前では自分ではどうすることもできずに泣く泣く死んでいって当たり前だった自分なのに、南無阿弥陀仏という往生の証拠がこの世界にも届いているし、あれだけ頑なに疑い謗ってきた自分の口から、お念仏となって阿弥陀さまは働き出でて下さっています。
俺にとってこの世界は辛いだけの場所だし、いずれ必ず死ぬのだから、今日事故にあって即死しないかなと毎朝思っています。
凡夫の俺には想像も出来ないお浄土へ、今日往けるかもしれないと思うと嬉しくなります。
親や周囲の事を考えると、出来れば自殺以外で死にたいので。

とはいえ、変わったとか変わらないとかは人それぞれだと思いますし、まことが何ひとつない俺の体験などどうでもいいと思います。
信心を無疑心とも言われますが、大事なのは「仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし」となったかどうかであり、計らいに用事がなくなったかどうかだけだと思います。

南無阿弥陀仏












Re: R1000様

ようこそようこそ(^ω^)

> ちなみに過去ログで見た記憶があるのですが、絶倫棒さんとの会話には「ふふ。。」とニヤけてしまいました。

彼は自称色欲具足の凡夫で、とにかくはっちゃけた人でしてね(笑)
私の不用意なメールをきっかけに退会してしまったんですが、今となってはそれで良かったです。最近連絡とってませんが元気にしてるかな・・・


> 「ガラリと変わる」といえば、まぁ確かにガラリと変わったとは思います。
> 「こんなに辛い人生はもう嫌だ」と何度も自殺しようとしたけれど、死ぬのがどうしても怖くて死にきれなかった自分が、今は死ぬのが楽しみになりましたから。

今までは死は死としか考えられなかったのが、阿弥陀さまより「死ぬとは浄土に生まれることだと思ってくれ」と言われているのですから、死生観についてはけっこう変わりますよね。
ただ、「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」は違うでしょう。親鸞会では「何があろうと往生(信心)は変わらない」を「何があろうと安心、満足、喜びは変わらない」と誤解させ、現世利益で聞く者を釣っておりますが、安心、満足、喜びといったいわゆる幸福感が変わらないわけではないですからね。俺は仕事に家事に育児にと忙しすぎて立ち止まっている暇がないために今は自殺とか死にたいとかはあまり思わないですが、R1000さんのように苦しみを感じやすい性質の方は摂取不捨の利益にあずかっても幸福感は小さいのだと思われます。


>信心を無疑心とも言われますが、大事なのは「仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし」となったかどうかであり、計らいに用事がなくなったかどうかだけだと思います。

ですです。幸福感がどうとか、煩悩にまみれ、やがて滅ぶ意識が喜ぼうと喜ぶまいと何のあてにもなりません。ただ念仏のみぞまことです。南無阿弥陀仏の他に何の不足があるかっての。なんまんだぶにおまかせしてしまえばよいのです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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