新入生の皆さんはこんな新歓合宿に参加しないように!

※例年、関東では、早稲田大学で4月1日前後に、親鸞会が大規模に勧誘を行っています。早稲田大学の新入生は注意して下さい。

※メルマガ登録を勧めるサークルに注意。mixiやツイッターで勧誘してくることも増えています。

※最初はいろいろな手段で近づいてきます。しかし、話を聞き続けているうちに、以下のような内容やこんな話に注意!の内容をサークルで聞いたら親鸞会の可能性が高いです。

※浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人の教えとは似ても似つかぬ教義を並べ、宗教ビジネスを展開しているカルト宗教団体です。

※ネットの情報には、デマが多いみたいなことも言われているかもしれませんが、自分でよく情報を取り入れて判断してください。

※大学での勧誘だけでなく、公民館などの公共施設の文化講座や勉強会で、以下のような話を聞いたら親鸞会である可能性が大です。社会人の人も注意して下さい。



4月の間は、新入生の皆さんはこんな話に注意!(10)までのような話をいろいろ聞きました。
他にもよくされる話はあるのですが、あの位で十分と思うので先を急ぎます。

そしてGWに、サークルの新歓合宿に参加することになりました。

新歓合宿あたりから、根拠が大事だからということで自分の真宗聖典(法蔵館)を持つようになります。
真宗聖典に線を引きはじめ、教学プリント(内容は親鸞会発行『教学聖典』1号)を渡され、答えを暗記するように先輩から勧められました。

合宿の中では、高森会長の法話の案内もあり、高森会長の称讚が始まり、親鸞会の講師・先輩と過ごすことにより、初参詣を決意していました。

ちょうど『なぜ生きる』発刊の年であり4月に発刊したばかりだったので、合宿中のゼミではその1部と2部6章までの内容が中心に話されました。

合宿で初めて出てきた話は、

・無明の闇とは後生暗い心
・阿弥陀仏の本願について
・善知識について

でした。

今回は、合宿であった話から、上の三点と「聴聞」について簡単に触れたいと思います。


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◎苦悩の根元『無明の闇』

何事も原因を知らなかったり、間違えていたら大変なことになる。治る病気も助からない。
人生においても同じで、なぜ幸せを求めて生きているのに苦しみ悩みが絶えないのか? 私達が本当の幸福になるためには、人生苦悩の根元を知り、それを取り除かなくてはならない。

(金、財、地位、名誉、妻子、才能などが有る(無い)こと、あるいは欲や怒りや愚痴などの煩悩は苦しみの枝葉であって、根元ではないという復習が『なぜ生きる』をテキストに詳細になされました)

人生を苦に染める元凶を、親鸞聖人は次のように道破されている。

「生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す」(正信偈)

疑情一つと断定されている。疑情とは、無明の闇の別名である。
無明の闇とは、無明とは、明かりが無い、暗い心。闇も暗いということ。
暗いとは、分からない、はっきりしないということ。

何について暗いかというと、後生暗い心だけを無明の闇という。
後生とは、死ねば後生であり、100%確実な未来である。

このように、無明の闇とは後生暗い心なので、自分の死、生死の一大事についてよく知った上でないと中々理解することが難しく、詳しい説明はまだだった。

(あとは、『なぜ生きる』の2部4~6章を用いての講義でした)

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ゼミは、いくつかの部屋に分かれて行われていましたが、全体ゼミという全員が集まってなされる講義もありました。そこで話されたのが、阿弥陀仏の本願についてです。


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◎阿弥陀仏の本願

『なぜ生きる』には、弥陀の誓願という言葉が出ているので、気になっている人もあると思います。
例えば、「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。」(教行信証)
とあり、「弥陀の誓願は、苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみ悩みの絶えない人生の海を明るく楽しく渡す大きな船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ。」と説明されています。

実は、弥陀の誓願とは阿弥陀仏の本願ともいわれ、お釈迦様が教えられたのは阿弥陀仏の本願ただ一つであると親鸞聖人は教えられています。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(正信偈)

本願とは、誓願とも言われ、お約束ということである。だから、阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏という仏様がなされているお約束ということ。

では、阿弥陀仏とはどんな仏様なのか?

弥陀とは量るということ、阿とは打ち消しの言葉なので、阿弥陀とは、無量、量ることができないという意味である。何について、無量なのか、『阿弥陀経』には、「舎利弗、なんぢが意においていかん、かの仏をなんのゆゑぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく。」と説かれている。

光明無量、寿命無量の仏が阿弥陀仏である。

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その後、二種の法身、法性法身と方便法身とがあることを『唯信鈔文意』のお言葉から説明されたり、阿弥陀仏の本願には、破闇満願のはたらきがあることなどを話されたと思います。

そのとき、話があったことをまとめると、

光明無量ー十方ーどこでもー空間的無辺ー抜苦ー破闇
寿命無量ー三世ーいつでもー時間的無限ー与楽ー満願

ということになると思います。

阿弥陀仏の本願については全体ゼミでのみしか話がされず、その後先輩も触れることはありませんでした。


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◎聴聞に極まる

では、どうしたら阿弥陀仏に無明の闇をぶち破って頂けるのか?
それについて、親鸞聖人の教えを最も正確に、そして最も多くの人に伝えられた蓮如上人は、「仏法は聴聞に極まる」と教えられている。

仏教を真剣に求めていくと、二つの心があることが知らされてくる。
私たちには「上の心」と「下の心」があり、上の心は自分でよく分かっても、下の心はなかなか分からない。
(人間の絵を黒板に描いて、「上の心」と頭のところに、「下の心」と腹底に書きます)

聴聞の「聴」とは、上の心で聞くこと、無常、罪悪などについて聞くとなるほどなるほどと納得できる。しかし、真剣に仏法をきいていくと、無常を無常とも思わず、罪悪を罪悪とも思わない奴が腹底にいることが知らされてくる。上の心ではよく納得しているのだが、下の心は反発する。この下の心が私たちの本心。そして、下の心が、仏法をウンと聞いたのが聴聞の「聞」である。

下の心にウンと聞かせるのは、大変なこと。そもそも下の心があること自体、なかなか分からない。
それは、ちょうど何枚も布団をかぶってしまっているようなもの。

(下の心の上に何枚も布団をかぶせた絵を描く)

その下の心が「無明業障のおそろしき病」にかかっていると蓮如上人は教えられている。
おそろしいとは、そんな病気にかかっている自覚症状がないということ。ガンは、最初は自覚がなく、自覚症状が出たときにはすでに手遅れなので、おそろしいといわれる。
無明業障のおそろしき病と無明の闇は同じこと。

聴聞の「聴」とは、この布団を一枚一枚はがしていくこと。
そして、「聞」と聞こえたときに無明業障のおそろしき病が治る、無明の闇が破れる。

人生の目的を達成するまでは聴聞の一本道である。

「至りてかたきは石なり、至りてやわらかなるは水なり。水よく石を穿つ」と蓮如上人は教えられている。非常に堅い石に、非常にやわらかい水が穴をあけるということがある。それは、同じところに間断なく水がおちたときである。

同じように、同じ話を繰り返し間断なく聴くことで、「聞」と無明の闇が破られたということがある。

無明の闇が破れた体験を信心決定という。闇が破れるのは、光が差し込んだときで時間はかからない。
これを聞即信の一念という。聞と聞いたそのときその場で信心決定する。一念とはあっともいう間のない時間。時間の極まり。「時剋の極促」と親鸞聖人はいわれている。

何億分の一秒よりももっと短い時間で無明の闇が破れる。だからこの合宿で一念を突破できる。
ここまで、はやく進んでもらいたい。

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「聴聞に極まる」という話がされた後、いよいよ高森会長の法話に参詣するように案内されます。


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◎善知識

間違った話をどれだけ聞いていても信心決定の決勝点までたどり着けないし、この道は進めない。
仏教をを正しく説かれる方を善知識というが、善知識から聞かねばならない。

仏教をそのまま伝えられたのが親鸞聖人である。そのことは、
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
とつねに仰っていたことからも分かる。

親鸞聖人まで、正しい仏教を伝えて下された方々として、親鸞聖人は印度・中国・日本の7人の高僧方を挙げておられる。七高僧という。お釈迦様から親鸞聖人までの約1600年間でたったの7人。そして、親鸞聖人の後、そのみ教えを正確に多くの人に伝えたのが、約500年前の蓮如上人。

ところが蓮如上人以降、善知識と言える程の人は今日までないといってもよい。
日本の仏教全体がそうだが、蓮如上人によって全国に伝えられた親鸞聖人の教えを伝えねばならない本願寺も葬式仏教、法事仏教となり、衰退の一途をたどっている。念仏称えたら死んだら極楽だという者ばかりだ。寺の僧侶が正しく教えを説かず、門徒に財施ばかりせびるので、どんどん寺離れが進んで伽藍はガランとし、閑古鳥が鳴いている。

善知識にはあい難いのだ。親鸞聖人は、法然上人に出会えた感激を
「真の知識にあうことは 難きが中にな難し 流転輪廻の際なきは 疑情のさわりにしくぞなき」
と仰っている。苦悩の根元は無明の闇と教えて下さる真の知識(善知識)にあうことは非常に難しい。その善知識にあえた親鸞聖人のよろこびのお言葉である。

そのような善知識にあい難い中、親鸞聖人の正しい教えを分かりやすく講演されている方が現在おられる。この『なぜ生きる』を監修された高森顕徹先生である。高森先生は信心決定の体験と深い仏教の学問を兼ね備えた方で、日本全国はもちろん、アメリカやブラジルなど海外でも講演をされている。

私も何度も講演会に行ったが、仏教初めて聞きに来たような人にも分かりやすく、丁寧に話をされた。
そういう善知識がおられる時代、おれらる日本に生まれ、そして善知識ましますことを知ることができるのは本当に素晴らしいことだと思う。

私の話を50回聞くよりも、高森先生の講演を1回聞く方がはるかにこの道を進む。

私たちのサークルでは、高森先生の講演の予定をキャッチしたので、今から配ります。参加予定とゼミの感想を書いて提出して下さい。

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合宿、最後の夜は、エンドレス座談会といって、先輩や講師と1対1や少人数で話をする時間でした。
それは、高森会長の講演を個別に勧めるため、合宿が終わったら辞めようとしている人に個別に話すために設けられている行事だったと、先輩になってから知りました。

そして、先輩の強烈なプッシュにより、私も名古屋での高森会長の法話に参詣することになりました。

また、合宿最終日の新入生の中でも前向きな人が前で発表していました。口から「光に向かって進みます」という言葉がでるほど、親鸞会ドグマに既に冒されてしまった人もいたのでした。

(つづく)
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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