苦しみの原因、生死流転の因はあくまで我々の悪業煩悩であるので、「疑情」「自力の心」が終わっても幸せな人生にガラリと変わるとは言えない

『飛雲』高森顕徹邪義を信じることを自力の心、疑情という

に挙がっているように、日曜日はまたいつもの高森顕徹会長の話でした。今回は

映画『なぜ生きる』の蓮如上人のお言葉についての質問
「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか」


に答えるものだったそうで、最近はこれかこれかの二択ですね。しかも内容が伴っていない、間違っているのもいつも通りで、こんなものを唯一絶対にして真実の宗教だとか信じ込んでいる人は実に哀れです。

今回は、どうして幸せな人生にガラリと変わるかと言えば

苦しみの原因である「疑情」「自力の心」が終わるから

だと説明していました。が、考えてみればこれもおかしな話です。


よく親鸞会では、苦悩の根元は無明の闇などと言って、私達が苦しみ悩む根本原因は無明の闇、それは後生暗い心であり、これを疑情とも言うと主張しています。新規勧誘の際はたいていこのような話が出てきます。尤も、最近は

『親鸞会を脱会した人(したい人)へ』忙しい現役会員のための「無明の闇・疑情・後生くらい心」

に書かれているように教義を修正したのかも知れませんが、私が在籍していた当時は

苦悩の根元=無明の闇=後生暗い心=疑情

でしたし、『なぜ生きる』にもそう書かれています。

無明の闇(疑情)≠後生くらい心なのは最早上リンク先を見れば明らかなので省略します。今回は、

苦悩の根元≠無明の闇(疑情)

について述べていきます。疑情とは本願を疑う心ですが、もしこれが苦悩の根元、元凶とすると、

そもそも阿弥陀仏が本願を建てられたのが悪い

という事になってしまいます。本願がなければ当然本願を疑う心はありませんからね。勿論そんなわけはなく、私達が苦しみ悩むその原因はあくまで我々の悪業煩悩にあるのです。

・一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

・自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。
(信文類引文)

とあるように、私達が苦しみ悩み、生死火宅から出離できないのは我々が「罪悪生死の凡夫」「煩悩を具足せる凡夫」であって「善根薄少」であるからです。そうした私達を、迷いの世界から出させ、浄土へ迎えて仏に成すために阿弥陀仏は五劫永劫の願行を成就して下さいました。私達はこうした弥陀仏の願力を信じおまかせすれば自ずから浄土往生し、仏と成らせて頂けます。ところが愚かな衆生は、「そんなうまい話があるかい」「そんなことで助かるなら苦労は要らぬ」と本願を疑って撥ね付けるために、またも生死輪転の家に還来するというのです。それを、

生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。(正信偈)

と仰せられています。信心と言いましてもそれは念仏一つで助かるという信心であり、なんまんだぶの名号を信受する他にありません。南無阿弥陀仏のいわれをいわれの通りに聞き受け念仏する以外、煩悩にまみれた愚かな私達が迷いを離れさとりを開く道は無いのです。

こうして本願を疑う心、自力が廃りますと、後生は阿弥陀さまにおまかせしたのでその点は安心ですが、悪業煩悩が絶えたわけではないので相変わらず苦悩の波、さまざまな禍いの波はやって来るわけです。悪業煩悩が絶えたなら、

私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる

と言えるかも知れませんが、生きてある限りは命の不安、生活の不安、思い通りにならない不満、不足等色々あるわけです。また煩悩のために踊躍歓喜の心はそれほどに湧き上がらず、早く浄土へ往きたいという気持ちもありません。法をお聞かせ頂いて、その有難さ尊さに感激し喜ぶ心はあっても、いつもいつもその法悦に満たされているわけではありません。どうでしょうか、仕事をしている時、家事をしている時、忙しく日常を回すことに精一杯になっているとその法悦はどこへやらということはありませんか? また、現在も福岡や大分では豪雨で多大な損害があり、死者も多数出ているとニュースで報道されていますが、もし自分がそのような状況下にあっても、あぁ有難やうれしやとのんきに喜んでいられますか? 愛する家族や子供が水死体となって目の前にあったらどうですか? もしそんな状況でも喜べるならそれは「狂喜」ですよ。親鸞聖人はそんな「狂喜」を教えられた方ではありません。


このようなことですから、「疑情」「自力の心」が終わったその時に往生が定まるとは言えますが、

「疑情」「自力の心」が終わるから、幸せな人生にガラリと変わる

とは言えません。こんな現世利益で聞く者を釣り、留めて利用・搾取するのが高森教の常套手段です。別に「絶対の幸福」だとかいう幻想的な楽を阿弥陀仏から受け取るわけでもないし、悪業煩悩は臨終の一念に至るまでとどまらず消えず絶えずですから信後であってもさまざまに煩い悩むんです。

このままありもしない信心、幻想的な楽を求めるなら高森教で聞いていけばいいですが、後生助かろう、浄土に往生しようと願う人は、一刻も早く邪教から離れ、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて頂きたいと思います。


【参照】
『真宗大谷派 東本願寺』正信偈の教え-みんなの偈-
『勧学寮』信疑決判
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード