戯論に走り、物事の本質を見失っている親鸞会会員

もしこの世の苦しみを何とかしようというのならこの世での成仏を目指すべきだし、信を獲たとて我々の罪が消えるわけではないので、当然その報いは信前と変わらず苦果として現れてくる

のコメント欄で、依然議論がなされています。元々は私がアニメ映画『なぜ生きる』の蓮如上人のセリフに対し、

「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」などと説くことは、二種深信以外の要素、つまり三業で信心の有無を判定していことに他ならない

等と繰り返し批判していることに始まっています。親鸞会会員と思しき「ふじた」さんが質問を重ね、それに私を含め複数の方がコメントしているという状況です。それが最近では大分方向性が逸れてしまい、

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・「真実信心の人は念仏誹謗、謗法はしない」というのも真ですね。
では「さるべき業縁の催せば、親鸞いかなる振る舞いもすべし」とおっしゃっておられますが、この「いかなる振る舞い」の中には「仏法を知らず知らず謗ってしまった」、ということは入らないのでしょうか。

・要するに、法謗罪を造っているかどうかという三業で、真実信心の有無を判定できるということですね。

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というような質問やコメントをしてきているという有り様です。情けない限りです。

大体、仏法を信じている者を謗法の者と言いますか? 仏や仏の教えを否定する人を謗法の者と言うのです。要は異教徒のことです。また念仏誹謗の人も謗法罪を造っている者ですが、そういった異教徒や念仏誹謗の人が真実信心を獲ているかどうかなど問題にもしないでしょう? OHEさんのコメントにありますが、

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異教徒や、念仏誹謗の他宗の人に対して
「三業で真実信心の有無を判定できる」
なんて愚かな質問自体が全くの無意味なんですよ。

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ということです。私からもふじたさんには、高森会長に対して「異教徒や、念仏誹謗の他宗の人は三業で真実信心ではないと判定できますか?」と聞いてみてもらいたいと思います。

真実信心か否か、その判定は三業でできるのかといった議論は、大体は浄土真宗でしかなされないことなので、異教徒や念仏誹謗の他宗の人は最初から問題外なのです。ふじたさんはその問題外のことを問題にし、物事の本質を見失っていると言えましょう。それで高森会長の説を擁護しているつもりが、実は高森会長を全面的に信用しているわけではないことが明るみに出てしまってもいます。

親鸞会では言葉の定義がおかしく、高森会長の中身の無い話を居眠り聴聞しただけで謗法罪だとか言われます。また真実信心の人が「仏法を知らず知らず謗ってしまった」ということがあり得るらしいです。過去はどうか知りませんが、親鸞聖人の教えを聞いて信じている方は謗法の者ではありませんし、教義を誤解していたというのはあっても、真実信心の人が「仏法を知らず知らず謗ってしまった」ということは通常ではあり得ません。

往生の金剛心のおこることは、仏の御はからひよりおこりて候へば、金剛心をとりて候はんひとは、よも師をそしり善知識をあなづりなんどすることは候はじとこそおぼえ候へ。(御消息第二通、末灯鈔(20))

「真実信心の人は念仏誹謗、謗法はしない」というのは親鸞聖人の仰せです。ふじたさんのような、こうした親鸞聖人のお言葉に素直に順わずにあれこれ詮索して「こういうのはどうなんだ」と立てついている人はどうか知りませんが、私達は罪業重しといえども五逆、謗法の徒ではありません。

善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信(親鸞)をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。(御消息第五通、末灯鈔(19))

親をののしり、親鸞聖人を様々に謗る善証房のような者を五逆、謗法の者といい、こういう者に近づいてはならないと仰せです。では、私利私欲のために教えを捻じ曲げ、阿弥陀仏を誹謗する高森顕徹会長のような者には近づくべきか、即刻離れるべきか。「親鸞学徒」であるというなら親鸞聖人の仰せに順いましょう。


【参照】
『飛雲』謗法罪の定義さえ知らない高森顕徹会長
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利益衆生を本懐となす

時々高森親鸞会の会員は、
この「三業で真実信心の有無」云々をいうのだけど、これは三業惑乱時の三業帰命説から派生した議論なのかな。
それとも高森顕徹氏の提唱した、何月何日何時に信心を得たという「一念覚知論」を本願寺に論破されてから、逃走線として三業で真実信心の有無云云と言い出したのか。
とにかくあの人の言うことは、時流に乗じて、ころころ変わるから会員は「深い御心」で解釈するしかないのでしょう(笑

とにかく相手を帰謬に陥れようと画策する、高森顕徹氏由来の論法を使う高森親鸞会会員との議論は益がないですから止めた方が良いと思ふ。そもそも彼らは自己の救済だけを求めており、何故信を得て浄土へ往生しなけらばならないかという発想は無いですし。

御開山は引文されておられないのですが『往生要集』に、

 知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。p.930

と、仏教の最終目的は「利益衆生を本懐となす」ことであるとされています。利益とはもちろん成仏です、為念。『歎異抄』第4条p.834 にも「聖道・浄土のかはりめ」として同趣旨の意が記されています。
ともあれ、仏教的意味での「絶対の幸福」とは、ありとあらゆる存在が「スッタニパータ」147偈に

 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

とあるように、究極の他者の幸せを願うことが「絶対の幸福」であり、それが実現できるように永遠の努力をできるような存在(還相の菩薩)になることでした。浄土は、そのような者に成ることを願う凡夫に開示される世界でした。
ともあれ、『往生要集』の言葉の元となった『淨土十疑論』へリンクしておきます。高森親鸞会の似非学徒は偽撰という突っ込みをいれるでしょうが、そういうアホには大乗非仏説でもぶつけてやって下さい(笑
ともあれ、心の余裕をもって、なんまんだぶと称えて「倶会一処(ともに一処に会す)」p.124 ことのできる浄土往生を一介の愚者になって楽しんでいきましょうや。
ほとんど、何いうてるかわからんやろうけど、いうてる本人は解っているからまあいいや。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%B7%A8%E5%9C%9F%E5%8D%81%E7%96%91%E8%AB%96#.E4.B8.80.E7.96.91




>林遊@なんまんだぶ様

「三業で真実信心の有無」云々の派生源は、おそらく後者からではないかと思われます。この場合は実時と仮時に分けて、仮時を言っているのだと逃げたりしてもいましたね。

私がよく聞いたのは、たしかアニメ解説(親鸞会製作アニメ『世界の光 親鸞聖人』に関する質問に高森会長が答えるという親鸞会館での話)の時だったと思います。

・救われたかどうかは阿弥陀仏とその人のみが分かるものであり、第三者には分からない

というようなことを高森会長が話し、次第に「機相」「真相」を問題にするようになってよく議論されるようになりました(親鸞会の定義は当然間違ってますけど)。プリントまで配られていましたね。親鸞会公式ホームページでは

徹底検証 三業安心と十劫安心
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/sangouanjin02.htm

などにあります。これを読みますと、批判からの逃走線と、華光会を暗に批判するのと、両方の線が考えられます。

誠に仰る通りで、彼らは彼らの主張を繰り返すばかりで人の話を聞かないのですから、私もあまり益のない議論はしたくありません。ただ向かってくる以上は答えて、親鸞会教義や彼らの主張の誤りを世に公表しなければと思って応対しています。

>心の余裕をもって、なんまんだぶと称えて「倶会一処(ともに一処に会す)」p.124 ことのできる浄土往生を一介の愚者になって楽しんでいきましょうや。

有難いお言葉です。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。

高森会長の信心

三業で信心を判断できないのに、
なぜ親鸞会会員は高森会長が信心決定していると
思うのか。
不思議でならない。

Re: 通りすがり様

仰る通りで、これが今の議論での最大の矛盾です。
「高森会長が信心決定している」これが高森教の大前提なので、こう思わない、思えなければ脱会もスムーズに行くのですがね・・・マインドコントロールされている会員は疑問すら持たないのでしょう。

No title

淳心房様

また、わからなくなりました。

>三業で信心を判断できないのに、
なぜ親鸞会会員は高森会長が信心決定していると
思うのか

上の意見に淳心房様は賛同なされています。

しかし、淳心房様はOHE様と一緒に、「三業で法謗罪を造っている者は真実信心を得ていない」と断言できるとおっしゃっておられたのに、
今度は「三業では真実信心を得ているか分からない」という立場ですか。

どちらが本当の立場なのでしょうか。その時その時で変わるのでしょうか。
 よろしくお願いします。

No title

>それが最近では大分方向性が逸れてしまい

とのことですが、方向が外れたほうに議論が行ってしまい、申し訳ありませんでした。

しかし、これは皆さんが関心があるのが、淳心房様がおっしゃりたいことより、私の質問内容だったからかもしれませんね。

このようなことがないよう、皆様にお願いしておきます。

No title

淳心房様以外の皆様へ。

このたび、私がした質問が盛り上がったことで淳心房様がご気分を害してしまわれました。
これは、せっかく淳心房様が記事を書かれても、それに対する賛同のコメントよりも私の質問に対するコメントが多かったことが原因です。
 そこで、皆様にお願いです。
淳心房様が書かれた記事にはできるだけコメントをお書きください。記事によってはコメントゼロということがありました。それではあまりにもかわいそうです。たとえ、記事が陳腐で同じ内容の繰り返しであっても、コメントしてあげるのが礼儀ではないでしょうか。コメントがなければ淳心房様の意気も上がらないと思います。
 ですから、淳心房様が記事を書かれたら、どんどんコメントを書いて励ましてあげてください。
 どうぞ、よろしくお願いします。

No title

都合が悪くなると、いきなり上から目線で物を言う。
それで、劣勢を誤魔化そうとする親鸞会の常套手段。

Re:

浄土仏教に無関係な人が阿弥陀仏に救われているということはあり得ません。
ですから、仏や仏の教えを否定する謗法の者、念仏誹謗の者は真実信心を獲ているかどうかなど最初から問題外だと申し上げたはずです。人の言葉を聞けないようなら質問などしないことです。


OHEさんが仰っているように、謗法罪の定義がまるで分かっていませんね。分かっているなら、

1、謗法罪の定義を経典や聖教に基づいて書きなさい。

また、以下の質問にも答えて下さい。

2、ふじたさんは高森顕徹会長は真実信心を獲ていると思っていますか? 「はい」「いいえ」「分からない」でお答え下さい。

3、2の答えが「はい」の場合、何を根拠に高森顕徹会長の信心を真実信心だと思ったのか答えなさい。

これらに明確な回答が示されてから、次に進みたいと思います。回答がないなら、

●ふじたさんは謗法罪の定義さえまともに理解していない

と判断します。尤も皆さんそう思っているでしょうね。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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