親鸞会学友部の皆さんは、自分の行為に後ろめたさを感じませんか?

新年度を迎え、新学期が始まろうとしていますが、この時期正体を隠して勧誘をする新興宗教団体が活動しているようです。
ヨガ、アンケート、サークル紹介、合格おめでとうコーナー、履修相談などと、宗教とは関係のないサークルを装って、あまり世間を知らない大学の新入生を勧誘しています。

まさか親鸞会学友部員の皆さん、また支部から新勧の応援に行っている会員の皆さんは、正体を隠した勧誘などという卑怯なマネはしていませんよね?

大衆に堂々と説ける教えなら、ダミーサークルを作ったり正体を隠したりする必要はないはずです。


「宗教ですか?」と聞かれて「違います」と答えるのは明らかに嘘ですよ。わざと相手が誤解するような言い方をしているのも同じです。

「浄土真宗親鸞会」は宗教法人ではないのですか?
親鸞会学友部の皆さんは、自分の行為に後ろめたさを感じませんか?
嘘は善ですか? 悪ですか? それくらい言われなくても分かりますよね?

「嘘で塗り固めた生活をしているのではないでしょうか?」と説いている本人達が、新入生を勧誘するために嘘で塗り固めた生活をしていては、全くもって説得力がありませんよ。
仏法を世俗化し、金と人を集める道具にしている親鸞会に、世俗を救う力はありません。


「生まれてきたのはこのためだと、生命の歓喜を得ることこそが人生の目的だ」
「平生に人生の目的を達成できる。それがこの縦の線の時だ」
「それまではどんなに苦しくとも生き抜かなければならない」
「本当の人生の目的を達成した時、一切の苦労は報われ、流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となってその手に戻るのです」
「人生の目的は絵に描いた餅ではない。餅をちゃんと食べられる。今、人生の目的を達成したということがある」


このように皆さんは話していますね。違っていたら「こう話します」とツッコミを入れて下さい。
では、皆さんの周りで、誰か「私は親鸞会で教えられた通り人生の目的を今達成した!」と喜んでいる講師部、特専部、幹部会員、一般会員、学友部員はおられますか?

自分が体験して確かめてもいないのに、どうして親鸞会教義が正しいと思うのですか? 皆さんが高森会長や親鸞会教義を正しいと信じる根拠は何ですか?
ただ、高森会長の教えを伝えるだけの道具になっている自分だということに気がつきませんか?


難度海や有無同然、マラソンや飛行機の例えなど、いわゆる人間の実相を正しく説いていると思うことをもって、救いの法まで正しいと思い込むのは早計です。

たとえ人間のありのままの姿を正しく説いていたとしても、ではどうしたら救われるのかという部分を正しく説いているとは限りません。

自分は病気であることが分かって、医師の診断が正しい診断であったとしても、治療法まで正しいとは言えないのと同じです。


治療は南無阿弥陀仏、本願力回向の行信によってのみなされます。
阿弥陀仏の「助ける」の仰せを、計らいなく受け入れ念仏すれば、一人も漏れることなく救われます。
無常迅速、罪悪深重の私達は、他の方便さらになし、ひとえに弥陀を称して、浄土に生まれる身となるのです。

例えるなら、阿弥陀仏という名医の仰せをそのまま、素直にお受けする、それ一つです。南無阿弥陀仏の妙薬一つで病気は治ります。


ところが親鸞会では、阿弥陀仏に救われるには方便が要る、何事も通らねばならぬ道があると言い、18願の救いと関係ない19願の善を勧めているのです。
例えるなら、阿弥陀仏という名医に助けて頂くには、「この薬も試しなさい、この薬も試しなさい」という別の医師(T医師とします)の指示に従い、色々な薬を試して、「どの薬も効かない私でありました」とハッキリした時に南無阿弥陀仏の妙薬が素直に飲めるというようなものです。

しかし、T医師は、処方箋には「19願の善」と書きながら、実際の処方薬は全く中身を変えた毒薬を渡すのです。
この処方薬には一種の中毒性があり、飲まされるにつれ、T医師の指示に無条件に従わねば阿弥陀仏を紹介してもらえない、T医師の指示を人に伝えることこそ真実であり、最高の善だと固く信じるようになります。
しかも、「早く六字の妙薬を飲みなさい」と訴える別の医師や、妙薬を飲んで治ったという人の主張に耳を貸さず、「T医師こそ正しい」「観念の遊戯だ」「実際は飲んでいないんだ」と頭から決め付けるようになります。


いつまでも毒薬を飲まされ続けている人は不幸です。更に、周りにまで毒薬を勧めて回っているので周りも不幸です。そして、本人は毒薬を「絶対必要な薬」と思っているのですから、何とも救い難いのです。

ただ、そんな人でも、廻心して妙薬を飲んだならたちまち全快するのですから、妙薬の効能は人間はおろかどんな医師も計らうことはできません。


親鸞聖人は、18願の救いを求める人に迂回の善である19願の善をせよなどと教えられていません。
19願の善と言いつつ、活動のメインは財施(献金)と破邪顕正(人集め)なので、仏法を世俗化し、宗教ビジネスとして利用していると警告しているのです。

自分がどんな師について、どんな教えを学んで信じているのか、会員の皆さんはよく考えて頂きたい。
いつまで別の薬を試すんですか? どれだけ試したら治らぬ自分とハッキリするんですか? そんなことやっている間に今死ぬとなったらどうするんですか?

それでも今の先生について行きたいならそれは個人の自由ですが、人を巻き込むのは止めて下さいませ。
自損損他の罪は逃れ難く、自分のまいた種は確実に自分に返ってくるでしょう。

ぜひとも誤りに気づいて、邪義を言う人の元から離れ、邪義をありのままに人に語り、二度とそんなものに迷わないように伝える人になってほしいものです。
そして、南無阿弥陀仏に生かされ、浄土の旅を共にする御同朋・御同行となって頂きたく思います。
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バファリンの半分はやさしさ

毒薬かあ!確かにそうかもね。あの男はあきらかに悪意をもって自分の野心を
かなえる道具に会員をしているよね。18願の世界に導こうとしてずれてったと
いうより、まず野望ありき、野心ありきそのために浄土真宗を利用しようという
意思を客観的に見れるようになって感じますね。バファリンは半分はやさしさ
というけれど実体はすべて薬効成分で、会長が勧めているのは19願の善という
うたい文句だけど、実体は薄汚い権勢欲を満たすため他人を利用しよう
という会長が考えた麻薬みたいなもんよね。

>エイリアン様

仰る通りと思います。
善を薬とすると、悪は毒です。間違った教えを弘めることは謗法罪、そういう団体に献金する事は悪をのさばらせますから悪業です。それで毒薬と表現しましたが、中毒性もあるため麻薬も兼ねていますね。

バファリンは、製作者が「頭痛に悩む人を助けたい」という心で創ったとするなら、その気持ちを汲み取って「半分はやさしさ」と言えるでしょう。
しかし、献金と人集めという悪を勧める会長には、残念ながら「苦悩の衆生を助けたい」という心は感じられません。
愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、恥ずべし傷むべしの懺悔も反省もない、仏法を利用する以外に知らないのが親鸞会の偽らざる姿です。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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