親鸞会の教え、また親鸞会の指導者(師匠)である高森顕徹会長を退会者が非難することは「謗法罪にならない」

この記事のコメント欄で、いまだ「ふじた」さんと数名の方の書き込みが続いています。

ふじたさんの質問
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浄土真宗と自称する宗派がいくつかあり、それをA,B,C,D,Eなどとします。
Aに属するXという人が、Bの宗派の教えを非難することは謗法罪になるのでしょうか、という質問です。
具体的に言いますと、Xさんは最初Bという宗派に入り、そこでBの指導者(師匠)によって仏縁を結び仏縁にあえたことを喜びました。しかしその後、Bの教えに疑問を感じ、Aという宗派に入りました。
この場合、仏縁をいただいたBの指導者(師匠)をXが非難することは謗法罪になるのでしょうか

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ただでさえ皆さん呆れているでしょうに、これに答えろとしつこいので困ったものです。しかし、これは随分と具体性に欠ける質問で、これだけの情報ではお答えできません。「横から」さんのコメントにもあるように、Bの教えとはどんな教えで、XはBの教えのどんなところに疑問を感じたのか、これが具体的に示されないことには答えようがないのです。それでいて「だれもそれに答えてくれず、無関係なことばかり書いています」とか駄々をこねられても困るんですよ。

あまりに具体性がないので、具体例を2つほど紹介したいと思います。


例1
A → 浄土真宗親鸞会
B → 浄土真宗華光会
X → 高森顕徹会長


とします。この場合、「Aに属するXという人が、Bの宗派の教えを非難することは謗法罪になるのでしょうか」「仏縁をいただいたBの指導者(師匠)をXが非難することは謗法罪になるのでしょうか」という問いについては「謗法罪になる」です。理由は、華光会で説かれる教えが浄土真宗だからです。

確かに華光会は、何かと問題な部分があります。座談においては無常と罪悪で執拗に責め立てられたり、会で縁の浅い人は信心が徹到していないと見做されたり、主張が嚙み合わなかったりして居心地が悪いと感じる方もあると思います。体験談を重視する方も少なからず見受けられ、自分で聖教に向き合わない方も多いです。他にも私が知らない様々な問題があるでしょう。ただ、どの団体にも大なり小なり問題はつきものですし、一部の過激な会員が原因かとも考えられます。それに、親鸞会の問題に比べたらこの程度はちょろいちょろい(笑)

一方教義としては、法話・華光誌(機関紙)や、前代表の増井悟朗師の著書を読んだりする限り、時折「うん?」と首を傾げる独特の言い回しもあるものの、仏願の生起本末、南無阿弥陀仏の六字のいわれを正しく説いていると言えると思います。このように教え自体は浄土真宗でありますから、私の白道を書かれた嶋田元講師は華光会で教えを聞いて信心獲得なされたようですし、親鸞会を離れて華光会へ行き、そこで教えを聞いて信心獲得したと体験談を語る方が何人もいることを知っています。当の本人である高森顕徹会長も、華光会で教えを受け、そして獲信したと思われる体験談を書いています。

↓↓↓

『元会員から見た浄土真宗親鸞会』善知識 なぜか記した 体験記
『なぜ私は親鸞会をやめたのか』高森顕徹氏の獲信体験

ところがやがて高森会長は華光会と袂を分かちます。体験談にてあんなに喜んでいたのにです。そして現在では「これが獲信か」というパンフレットを作り、華光会を暗に非難しています。確かにちょっと癖の強い団体ですが、教義は浄土真宗ですから、その華光会の教え、また華光会の指導者(師匠)である伊藤康善師や増井悟朗師を高森顕徹会長が非難することは「謗法罪になる」です。まぁこの場合はAという団体を立ち上げたのがXなのですが、細かい設定は目をつぶって下さい。


例2
A → 浄土真宗(無所属含む)
B → 浄土真宗親鸞会
X → 親鸞会退会者


とします。この場合、「Aに属するXという人が、Bの宗派の教えを非難することは謗法罪になるのでしょうか」「仏縁をいただいたBの指導者(師匠)をXが非難することは謗法罪になるのでしょうか」という問いについては「謗法罪にならない」です。理由は、親鸞会の教義が浄土真宗ではないからです。

高森顕徹会長の主張は、浄土真宗の根本的な教義である本願力回向、他力回向を真っ向から否定するものです。一念の救いを求めて「光に向かって進む教え」であり、その方向性は聖道門や他の様々な宗教と同じです。今一度教義の比較を『飛雲』より引用させて頂きますと以下の通りです。


親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.法の深信について

親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず
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高森会長 浄土往生が火に触ったよりも明らかに知らされる

11.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

12.因果の道理について

親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない

13.三願転入について

親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない
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高森会長 全人類は19願から始めなければならない

14.「一向専念無量寿仏」について

親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること
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高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む



主要教義でもこれだけ親鸞聖人の教えと高森顕徹会長の主張は異なります。これに細かな点を挙げていったらキリがないほど、浄土真宗と親鸞会教義は異なるのです。その上、教義上は廃悪修善だとか六度万行だとか善の勧めだとか聞こえのいいことを説いておりますが、実際に勧めているのは主として親鸞会の話のみを聞くこと、親鸞会への献金・勧誘、会長や上司への無条件服従です。このように浄土真宗ではない、「高森教」とでも言うべき外道の教えを非難しても、謗法罪には該当しません。いくら本尊が南無阿弥陀仏であり、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を一部使って話をしていても、教義が浄土真宗とは似ても似つかぬエセ真宗、高森教ですから、親鸞会の教え、また親鸞会の指導者(師匠)である高森顕徹会長を退会者が非難することは「謗法罪にならない」です。


以上、2つの例を挙げて説明しましたが、先のような質問にはこれ位具体的に表現してもらわないと答えようがないのです。ふじたさんには謗法罪についての定義をきちんと理解した上で、もっと実りのある質問をして頂きたいものです。
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No title

Abcです。

ふじたさん、「真宗は念仏ひとつの教え」とも言われるほど念仏についてしか説かれていないのに「私の求めている答えはありません」と仰せですか。

悲しい限りです。

>その上、教義上は廃悪修善だとか六度万行だとか善の勧めだとか聞こえのいいことを説いておりますが、実際に勧めているのは主として親鸞会の話のみを聞くこと、親鸞会への献金・勧誘、会長や上司への無条件服従です。

「廃悪修善」、「六度万行」という言葉がありましたので補足程度に解説しておきます。

廃悪修善(はいあく(なく・まく とも)しゅぜん)
悪を廃し、善を修める。
 聖道門(19願・20願を信じ、六度万行(後述)を行う集まり 難行道とも)
聖道門では「すべての善行は、仏になるための行いである」とされ、
「善をすればするほど仏になれる。だからこそすべてのものに従い律を修め、
律にあらざる事は否定せよ。」とされています。
これに属していないのは、「浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗」だけです。

 浄土門(18願を信じ、それ以外を「雑行、雑修、自力のこころ」とする集まり 易行道とも)
浄土門では「弥陀に救って頂けることこそが唯一の善とされ、凡夫の計らうすべてのことは「それ以外の善、善もどきの善」で「雑修」」とされています。

六度万行(ろくどまんぎょう) 
またの名を六波羅蜜(ろくはらみつ)ともいいます。
意味は「六つにまとめられる万の行い」で、
「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」をそう呼び習わします。
六波羅蜜という考え方は天台宗の代表的な教えともされ、
「これを行わなければならない!」と聖道門の方たちは仰せになられています。

これに抗ったのが源空聖人で、「承元の法難」がこれにあたります。
内容として「釈迦は阿難に念仏ひとつを付属され、ほかは付属されなかった」
(過去の淳心房さんの記事にございますので気になられたかたはそちらを見られてください)
ということで、叡山の僧たちの非難を受けました。


高森親鸞会では「無条件降伏」とありますが、「法に依りて人に依らざれ」に従うなら
「聖教に依りて会長に依らざれ」で即刻離れるべきだと考えます。

「献金」に関しては会長の「五十年百年の楽しみ」に使われ、
「勧誘」でさらに被害者が増えるだけです。

聖教に従った上での疑問ならば私も腕がなるのですが、それ以前の所で
言われていては説明もままなりません。

ふじたさんは、ここまで記しても「私の求めている答えじゃない」ともうされるのでしょうが、
それならば「因果利順の理」に沿った南都北嶺のところに行かれてください。

善信上人は正信念仏偈のなかに、
 万善自力貶勧修 (万善(万行)は自力の勧めで修めるものと貶し、)
 円満徳号勧専称 (円満徳号(弥陀名号)を専ら称すことを勧められた。)

とあります。そのため ふじたさんはどうか知りませんが、
私たち 真宗門徒は、「一向専念 無量寿仏」を旗印として、
他宗から「一向宗」と揶揄されても「弥陀のおん誓い、名号のこころ」を
「われも信じ人にも教え聞かしめるばかりなり」のこころで
ふじたさんに説いているつもりでした。

ただ、ふじたさんにはどのように説明したとしても「その甲斐あるべからず」
で、私ではどうしようもないと考えました。

誠に私の不徳の致す限りで申し訳ありません。

Abc
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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