親鸞会会員の誤解―活動しなければ救われない(1)

親鸞会会員の皆さんは高森顕徹会長から間違った教えを聞かされ、それを本当の親鸞聖人の教えだと誤解しています。当ブログではこれまで、

・高森会長は51段目の位にいる
・親鸞会でしか真実は説かれていない
・方便だからやらなければならない
・「聴」を重ね、「聴」の先に「聞」がある


といったことに関して、会員がどのように誤解しているかを述べてきましたが、今回からは、

・活動しなければ救われない

ということに触れたいと思います。


親鸞会会員の目的は、『親鸞学徒聖則』

一、親鸞学徒は信心獲得することを本と致します。

にあるように信心決定、信心獲得以外にはありません。そのためには

活動しなければ救われない

と思う、そうとしか思えない、そのように教えられるからこそ、推進される様々な活動に勤しんでいます。もし会の活動と無関係に信心が獲られるなら、誰もそんな一生懸命に勧誘活動をしたり、生活をトコトン切り詰めて財施したりする者はいないでしょう。私も活動が信心獲得に必要不可欠、「活動しなければ救われない」と固く信じていたからこそ、毎回の富山詣で、朝晩の勤行、地元行事の参加、声かけやチラシ配り、家族友人の勧誘、うんざりするほどやってくる募財への参加等、それなりに活動していました。その

活動しなければ救われない

と思わせるキーワードが、一昔前は「宿善」でした。

親鸞会では、設立当初はどうだったか知りませんが、少なくとも『会報第三集』が発行された昭和43年には既に『厚い宿善になる』として、破邪顕正という名の人集め、六度万行第一の布施と称した金集めが勧められていたことが伺えます。宿善についてはその後発行された『こんなことが知りたい①』(昭和44年)、『白道燃ゆ』(昭和49年)等にも出てきます。中でも有名なのは、『白道燃ゆ』

 宿善と言うのは、過去世の仏縁のことであるが、過去世に仏縁浅き者は、現在に於いて真剣に宿善を求められねばならない。
 でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。
 されば宿善は待つに非ず、求むるものである。
(p.203)

の文章でしょう。昔は「宿善」の名の下に破邪顕正と称して様々な勧誘活動、時には本願寺へ座り込みなどといった事まで行っていたようです。また「真実のために財施することは、尊い宿善になる」だとか言われて、中には家一軒建つ位親鸞会へ財施したという人も少なくないと思います。そうやって活動していくことで横の道を進み、信心獲得に近づく、やがて宿善開発の時節が到来するんだと信じていたに違いありません。


ところが、浄土真宗には高森顕徹会長の説くような「宿善を求めよ」「宿善を厚くせよといった教えもなければ、宿善になると言って信心を獲るために聴聞、勤行、破邪顕正、財施、六度万行をせよといった教えもありません。逆にそういった自力修善は徹底的に廃して、念仏一行を勧められたのが親鸞聖人であります。前回も挙げましたが、覚如上人は祖師の教えを

一 自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事。

 たとひ万行諸善の法財を修し、たくはふといふとも、進道の資糧となるべからず。ゆゑは六賊知聞して侵奪するがゆゑに。念仏においては、「すでに行者の善にあらず、行者の行にあらず」と等釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず。まつたう弥陀の仏智なるがゆゑに、諸仏護念の益によりて六賊これを犯すにあたはざるがゆゑに、出離の資糧となり、報土の正因となるなり。しるべし。
(口伝鈔)

と表されています。まぁ親鸞会の活動はそのほとんどが「善もどきの善」、組織拡大に都合の良い行いなわけですが、どれほど推進される活動(聴聞、勤行、破邪顕正、財施、六度万行等)に取り組んでも、それがもとで信心獲得し、往生するわけではないのです。修めた行いが宿善となり、段々と厚くなって、やがて開発して救われるように考えている方も多いと思いますが、行いが如実の善だとしても「たとひ万行諸善の法財を修し、たくはふといふとも、進道の資糧となるべからず」でありますから、我々の獲信・往生と修善とは無関係です。ただ弥陀の仏智である念仏によってのみ往生を得るので、活動することで宿善が厚くなるとか、横の道を進むとか、信心獲得に近づくといった考えは大間違いも大間違いなのです。


宿善については長くなりそうなので、今回はこれで終わります。なお親鸞会の宿善に関した邪義については、

『親鸞会教義の誤り』宿善とは
『飛雲』2012年5月の、5月1日~5月16日のエントリー
現代における異議の研究 伝道院紀要24号

等に既に詳しく書かれていますので、参照して下さい。


【追記】
林遊@なんまんだぶ様、宿善様からコメントを頂きました。ありがとうございました。お二人が挙げて下されたリンク先を以下に貼っておきますので参照してください。なお、宿善様の最後のリンク先は上の『飛雲』のエントリーを順に辿っていけばありますので貼り付けてはいません。

『用管窺天記』自業自得の救済論
『WikiArc』宿善
『親鸞会の邪義を正す』宿善の意味
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

宿善について

おはようございます、Abcです。

「宿善」は、「真宗の教義」のなかには存在はしてますが、
「真宗の目的」には含まれて居ません。

具体的に申しますと、親鸞は「宿善」であろうと「自余の善」であるから、
「善」という語句を親鸞の著作内では使用されませんでした。
(親鸞は弥陀に遇われたことを「遠く宿縁を慶べ」と「宿縁」という語を使われています。

淳心房さんの挙げられた「一 自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事。 」を読まれても「修善は進道の資糧となるべからず」とわかるとは思いますが、私は以下に「善悪二業の事」を挙げておきます。(抄出文ですので全文を読まれたい方はWikiArcなどを見られてください)
---
一 善悪二業の事。
上人[親鸞]仰せにのたまはく、「某はまつたく善もほしからず、また悪もおそれなし。善のほしからざるゆゑは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆゑに。
(中略) 善根を具足せずんば、たとひ念仏すといふとも往生すべからずと。またたとひ念仏すといふとも、悪業深重ならば往生すべからずと。このおもひ、ともにはなはだしかるべからず。もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもひのままにそなへて生死を出離し浄土に往生すべくは、あながちに本願を信知せずともなにの不足かあらん。
(中略) 善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり。しかればまつたく、往生においては善もたすけとならず、悪もさはりとならずといふこと、これをもつて准知すべし
---

Wikipediaには、「宿善往生と念仏往生」という見出しがございましたので、ここに抜き出しておきます。
---
宿善往生と念仏往生
「宿善往生」とは、「念仏往生」に対する教義概念。信心獲得は宿善の開発に由る[4]とし、信心獲得の因縁となるべき善業を宿善という。

過去世に仏教、阿弥陀仏の本願を聞いてきた人でなければ、今生で真実の仏教に遇い、信心獲得する(阿弥陀仏に救われる)ことはできないとする。
対して「念仏往生」は、念仏を因とし、浄土往生を果とするが、因果共に阿弥陀仏が念仏の衆生を浄土に往生せしめんという本願(四十八願#第十八願を参照)による他力回向に由るとする。「念仏往生」は、「諸行往生」にも対する語でもある。[5]

4^ 『真宗辞典』P.373「宿善往生」を参照。
5^ 『真宗辞典』P.615「念仏往生」を参照。
(引用元:Wikipedia 「宿善」)
---

南無阿弥陀仏

Abc

Re: Abc様

ありがとうございます。

その通りで、親鸞聖人は「宿善」という言葉を使わず、「宿縁」と仰っています。自力的要素を徹底的に廃された聖人だからこのようになされたのだろうと思われます。

祖師方は十八願の教法に遇う因縁、仏教を聞いて信ずる因縁というほどの意味で「宿善」という語を用いておられますが、それを今生において善に励んで「宿善を求めよ」「宿善を厚くせよ」などといった教えはどなたも説かれていません。全くもって珍しき法であります。今後、そのような親鸞会の邪義を改めて書いていきたいと思っています。

宿善

本願寺派vs高森親鸞会の宿善論争は懐かしいですね。

紅楳英顕師の「破邪顕正や財施を獲信のための宿善として修せよ」とある文証を示せに対して高森親鸞会から出された返答が、

 かくて、大上段に〝修善をすすめた文証など、あろうはずがない〟と、アッと驚く、タメゴローならぬ、外道よりも、あさましい放言をなさるのである。

と言って、出してきたのが『七仏通戒偈』でした。
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2009/10/29/%e8%87%aa%e6%a5%ad%e8%87%aa%e5%be%97%e3%81%ae%e6%95%91%e6%b8%88%e8%ab%96/

覚如上人や蓮如上人の勧化の方法は、御開山の示された意の発展形でもあるのですが、林遊は御開山まで返して学ぶようにしてます。

というわけで、wikiarcの「宿善」の項をリンクしておきます。
文中でリンクしてある『慕帰絵詞』の記述も併せて読まれれば、宿善という語の理解もすすむかもですね。

なまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%BF%E5%96%84

No title

宿善のまとめなら

http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/1280731.html

http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-f60c.html

がよく分かるんじゃないですかね。
覚如上人の宿善の定義は単純じゃないんですよ。

林遊さんのつけたしのような感じとなってしまいますが...

こんばんわ、Abcです。

>と言って、出してきたのが『七仏通戒偈』でした。
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2009/10/29/%e8%87%aa%e6%a5%ad%e8%87%aa%e5%be%97%e3

これを読んでの歴史的背景を少しばかり書きたいと考えています。

嘉禄の念仏弾圧事件の端緒となった元仁元年の『延暦寺奏状』には、この「七仏通誡偈」を論拠として念仏弾圧を行った事は明白であろう。

元仁元年は、1224年 「真宗開宗の年」ともいわれます。
嘉禄の法難(浄土宗での法難として名高く、真宗ではあまり知られていない)は、嘉禄三年におきており、1227年のことです。

ここからは本願寺の方が「違うのではないか」と言い出してくるかもですので、注意しながら書いていきたいとおもいます。

1224年(元仁元年) 「真宗開宗の年」
1225年(嘉禄元年) 専修寺を建立するために、信州善光寺より「善光寺式一光三尊阿弥陀如来像」を分けいただく。
1226年(嘉禄二年)下野国芳賀郡高田(栃木県真岡市高田)に「専修寺」を建立する、このとき親鸞は54歳である。
1227年(嘉禄三年)「嘉禄の法難」が起こる。
1233年(天福元年)京に帰られた親鸞は、京都出雲路にて一宇を建立する。
1235年(嘉禎元年)近江国野洲郡木部(滋賀県野洲市木部)にご滞在される。

[以降 云々]

という歴史的背景だとうかがっております。

話を戻しましょう。
嘉禄の法難の火種となったであろう奏状「延暦寺奏状」には、
このブログ主さんも挙げられているように「七仏通誡偈」を根拠として
専修念仏弾圧をされたのでは としている。

「七仏通誡偈」とは、
諸悪莫作(もろもろの悪は作すことなかれ)
衆善奉行(もろもろの善は奉行せよ)
自浄其意(自らその意を浄くす)
是諸仏教(これ諸仏の教えなり)

とあるとおり「廃悪修善をせよ」ということなのですが、浄土教では私が前に記したとおり「往生においては善もたすけとならず、悪もさはりとならず」であるため、真宗では「善のほしからざるゆゑは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆゑに」とされています。

ですが、高森さんは本願寺に対して、この「七仏通誡偈」を提出されたのです。その情景はあたかも「浄土教のものに叡山から弾圧されている」かの様です。
歴史は繰り返されるのですね。

つらつら世間の転変を観ずれば哀傷の涙袖にあまり。[乃至]今日あればとて明日をたのむべからず。まことに上は大聖世尊よりはじめ、下は悪逆の提婆に至るまで、のがれがたきは無常なり。[乃至]たれの人かおどろかざんや。依りて各々すみやかに後生の一大事を心にいれ、弥陀の本願をふかくたのみ念仏を申すべきものなり。あなかしこあなかしこ。
     前大僧正尭秀

南無阿弥陀仏

Abc

コメント返信

林遊@なんまんだぶ様

> 本願寺派vs高森親鸞会の宿善論争は懐かしいですね。

もうかれこれ30年以上前の話ですからね。自分は生まれたかどうか位の時ですから、何だかんだ長い付き合いですね。

今からすれば、聖道門の理論でもって本願寺を批判している高森顕徹会長の無知っぷりがよく分かりますが、会員だった当時は無二の善知識と崇めていたのでした。情けないこってす(-_-;)

リンクを張って頂きありがとうございます。


宿善様

リンクを張って頂きありがとうございます。記事に参照資料として追加させて頂きます。


Abc様

>高森さんは本願寺に対して、この「七仏通誡偈」を提出されたのです。その情景はあたかも「浄土教のものに叡山から弾圧されている」かの様です。

自称浄土真宗の者達から、聖道門の理論でもって批判されるんですから、「ありゃ浄土真宗のイロハも知らんやつらだ」と呆れて相手にされなくなるのも尤もな話です。そんな教えを本当の親鸞聖人の教えだと一時期信じていたんですから恥ずかしい話です。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード