親鸞聖人が語られる教えの主体は「阿弥陀仏」であり、私は客体

今回はこの記事の続きというか、書いていて思ったことです。親鸞聖人や蓮如上人が「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を説明される際は、元の善導大師の六字釈が度々引用されています。

善導大師は、当時中国で摂論宗の人たちが唱えていた「念仏別時意説」に対して、

いまこの『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。
「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。
「玄義分」

と願行具足の六字釈を打ち出されています。南無は帰命という「願」であり、阿弥陀仏とは第十八願の乃至十念という阿弥陀仏が選択された「行」である。このように南無という「願」と阿弥陀仏の選択した「行」が具足しているから、南無阿弥陀仏と称えることは、必得往生、必ず安楽仏土へ往生する行業であるというのです。

親鸞会でもこうした願行具足論は、「善導独明仏正意」の説明の時に「古今楷定の六字釈」として時々出てきます。まぁ「天台」、「浄影」、「嘉祥」というのは宗派や寺の名前で、当時の代表的な3人の学者とは

 ・ 涅槃宗の浄影寺 慧遠(じょうようじ えおん)…(523〜592)
 ・ 天台宗の智顗(ちぎ)       …………(538〜597)
 ・ 三論宗の嘉祥寺 吉蔵(かじょうじ きちぞう)…(549〜623)

『みんな、西に向かう命の旅人』善導大師の発揮「古今楷定」について参照)

らであり、「念仏別時意説」はこれら3人ではなく摂論宗の一派が主張した説(※)とのことで間違っています。ちなみに高森会長が伊藤康善師や大沼法竜師の著作を剽窃した『会報』の内容が

『苦笑の独り言』やさしい浄土真宗の教え §9 南無阿弥陀仏(1) 本願招喚の勅命

に紹介されています。ただ、そのように説明していても、廃観立称して「願行具足の南無阿弥陀仏を称えよ」と念仏一行を勧めるということはありません。逆に「定散二善」を己の「善の勧め」の根拠に利用し、「雑行」もどきの悪行を積極的に勧めているのはいつも書いている通りです。


さて、先の善導大師の六字釈を承けて、宗祖聖人はそこへ新たな解釈を加えられています。善導は帰命などの意味を衆生の上で解釈されていますが、宗祖は三義をすべて仏の上で語られているというのです。それを『安心論題』(16)六字釈義より伺いますと、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 まず「帰命」については、善導は「命に帰す」という意味で、釈迦の発遣(往けよの勧め)と弥陀の招喚(来いよのよび声)を聞いて、これに信順することとされますが、宗祖は「帰せよの命」という意味で、本願招喚の勅命とされます。これは帰命の釈としては破格で、宗義を顕わされる宗祖独特の解釈であります。

 この宗祖の解釈によれば、帰ってこいよ、この弥陀をたのみにせよ、願力摂取のふところにやすらいでくれよ、と私に向かってはたらきかけ、喚びづめによんでくださっているのが南無阿弥陀仏であると、仰せられるのです。

 「発願回向」とは、善導にあっては私が浄土に心を向けて往生を願うことでありますが、宗祖は阿弥陀仏が往生させたいと先に願いをおこされて、衆生往生の行を与えてくださるお慈悲の心であると仰せられます。

 「即是其行」というのは、善導にあって衆生の上に往生浄土の行がそなわることでありますが、宗祖は如来成就の名号そのものが衆生を真実報土に往生させて仏果を開かせてくださる行体であるとされます。その名号が私の心に至り届いて(信)、私の口に出てくださるのが選択本願の念仏であると、顕わされるのであります。

 「即是其行」は与えてくださる行徳で如来の智慧、「発願廻向」は与えてやりたいの願いで如来の慈悲、この悲智二徳をもって現に私にはたらきかけ、よびかけて、衆生を救済しつつあるすがたを示されるのが「帰命」であります。

 与えたいという願いはあっても、与える財産がなければ与えることはできません。また山ほど財産があっても、与えたいという願いがなければ何にもなりません。阿弥陀仏は与えずにおかぬの大悲心と、与えるところの功徳とを円に成就して、どうか受け取ってくれよと私によびかけていてくださる。それが南無阿弥陀仏であると仰せられるのです。

 また「必得往生」についても善導は次の生にまちがいなく往生できると示されるのですが、宗祖は名号は悲智円具の法なるが故に、これを聞信すると同時に正定聚不退の身にならせていただくのである、と顕わされるのであります。

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とあります。私を「必ず浄土へ迎えて仏にする」という願いも、その願いを実現するための行も全て阿弥陀仏の方で用意して下さり、それを私に与えて下さる。私はただその本願力にまかせ、乗じるだけで往生成仏せしめられる、というのです。親鸞聖人が語られる教えの主体は「阿弥陀仏」であり、私は客体であります。

「必ず助けるから、安心してまかせなさい」という救いの名乗り、帰せよの命令が「南無阿弥陀仏」であり、私が「南無阿弥陀仏」を仰せのままに聞き、称えるということは、阿弥陀仏が選び取って下された浄土往生の正しき行業でありますから、これこそまさに阿弥陀仏の願いにかなった行為なのです。阿弥陀仏の願いを仰せのままに受け容れ、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と称え、浄土を目指して生きてゆく、こうしたお念仏申す人生を歩みなさいと教えられたのが親鸞聖人でした。

『みんな、西に向かう命の旅人』「南無阿弥陀佛」と「往生」について

等にも、こうした本願力回向の教えが説かれています。若いお坊さんも頑張っておられますね。

本願寺は「念仏さえ称えておれば死んだら極楽、死んだら仏、死んだらお助け」と説いている

と本願寺の僧侶を一緒くたにして的外れな非難を未だに繰り返している高森教の人々は、広く浄土真宗の話を聞いた方がよいです。


私達は「必ず助けるから、安心して私にまかせなさい」という本願招喚の勅命をそのまま聞き、そのまま受け容れ、「それでは仰せの通りにおまかせします」と後生・往生を阿弥陀仏のなされるままにゆだねるのみです。私に救いを告げる名乗りが「名号」、それを仰せのままに受け容れたのが「信心」、それが口に出たのが「念仏」であり、これらの体はみな同じく「南無阿弥陀仏」です。

「南無阿弥陀仏[往生の業は念仏を本とす]」(行文類)

まことに法然聖人、親鸞聖人が教えていかれた通りで、浄土真宗はこれ以外ありません。「絶対の幸福」だとか、「地獄一定と極楽一定が同時にハッキリする」だとかいった幻想的な楽や訳の分からない信心を教えて聞く者の興味をそそり、組織拡大要員として利用するのみで「南無阿弥陀仏の六字のこころ」を正確に説き与えないような人物は、

仮の善知識、偽の善知識、邪の善知識、虚の善知識、非の善知識、悪の善知識、悪性人

以外の何者でもありません。「宿善」のあらん人は一刻も早く偽の浄土真宗を説く人の手から離れ、授けられるところの邪義をありのままに人に語り伝えて、そのような邪義に迷う方が一人でも少なくなるように努めてもらいたいものです。そして、如来のお助け、「助けるぞよ」をそのまま受けて念仏して頂きたいと思います。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。
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古今楷定

親鸞会脱会者の方から頂いた資料に高森顕徹著の「会報」があります。
高森親鸞会では、この会報は昭和の「教行信証」である、ともてはやされたそうですが、何故か廃刊。
ともあれこの会報2集に別時意を、

>別時意趣とは、無著菩薩の書かれた『攝大論』の中に、佛の説法に四趣といって、四通りの説き方があるとして、その一つに別時意趣というのがある。

とあったので、高森氏は『観経疏』を読んでいないのだと判明。数年前にも高森親鸞会の講師がブログで書いていたので、会員は数十年間、誰も突っ込みをしなかったのかと不思議でした。高森親鸞会では、高森顕徹氏は聖教解釈権を有する絶対権威者の裸の王様なんでしょうね。

淳心房さんなどのブログで、高森親鸞会の摩訶不可思議な真宗理解を知ることは、反面教師として役に立って面白いです。

というわけで、本願寺出版の『浄土真宗辞典』の「古今楷定」の項目をUPし、私見を記述してみました。淳心房さんの友人知人が一人でも多く高森顕徹氏の説く、自因自果の「因果の道理」の自縛から、仏因仏果の本願力の広大な利他力のご法義にめざめるといいですね。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E6%A5%B7%E5%AE%9A

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 林遊@なんまんだぶ様

会報廃刊の理由は言うまでもなく盗作だからですね。

別に高森会長の肩を持つわけではありませんが、『苦笑の独り言』に載っている文章は誤記でした。改めて読みますと、

別時意趣とは、無著菩薩の書かれた『摂大乗論』の中に、佛の説法に四意趣といって、四通りの説き方があるとして、その一つに別時意趣というのがある。(p.47)

でした。ただし、『教行証文類』さえまともに読んでいないのですから『観経疏』などもってのほかでしょう。

>高森親鸞会では、高森顕徹氏は聖教解釈権を有する絶対権威者の裸の王様なんでしょうね。

これは仰る通りで間違いないです。

>淳心房さんの友人知人が一人でも多く高森顕徹氏の説く、自因自果の「因果の道理」の自縛から、仏因仏果の本願力の広大な利他力のご法義にめざめるといいですね。

ありがとうございます。高森信心の呪縛、必堕無間の呪縛もあり、一筋縄ではいかぬかと思いますが、いつか当ブログにたどり着いてくれると信じて、地道に勉強し、継続して書いていきたいと思います。

いつも『WikiArc』を参照させて頂いております。大変参考になり、また勉強になり、このような素晴らしいサイトを立ち上げて下されたことに感謝しております。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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