このようにして親鸞会教義が徹底されました(4)

※新入生の皆さんへ。
この時期に盛んに勧誘活動を行い、キャンパスでの声かけ、メルマガ登録、mixi、ツイッターなどいろいろな手段で近づいてくる浄土真宗親鸞会の学生組織があります。話を聞き続けているうちに、こんな話に注意!関連の内容をサークルで聞いたら、親鸞会の可能性が高いです。

※親鸞会は親鸞聖人の名を語って宗教ビジネスを展開するカルト団体です。新入生の皆さん、親鸞会サークルに入ると大変なことに!に詳しく書きましたが、入会すると様々な活動に時間とお金を費やし、学生生活やその後の人生を台無しにしてしまいかねません。

※以前からの非難により、現在は、勧誘の最初の段階で仏教とか『歎異鈔』や『教行信証』に学ぶと触れる大学もあります。

※『なぜ生きる』、『光に向かって100の花束』など一万年堂出版の書籍をゼミ(部会、ミーティング、講座)で用いていたり、『世界の光 親鸞聖人』のアニメ上映があったりしたら、親鸞会だと思って間違いないでしょう。

※ネットの情報には、デマが多いみたいなことも言われているかもしれませんが、自分でよく情報を取り入れて判断してください。



現在は、新歓合宿も終わり、入会までの流れについて書いています。
今日は、このようにして親鸞会教義が徹底されました(3)の続きです。



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◎十悪

お釈迦様は私達が作る悪を十にまとめて十悪と教えられている。
まず心で犯す罪悪を貪欲、嗔恚、愚痴と教えられる。

貪欲とは、欲の心。
欲の本性は我利我利と言われる。自分さえよければいい、人はどうなってもいいという本性を持っている。本性は余裕のある時は出てこないが、いざ余裕がなくなるとどうだろうか。
金がほしい、物がほしい、あれもこれも、もっともっとという欲の心に、私達はどれだけ恐ろしいことを思っているだろう?
欲を満たすためなら親であれ、兄弟であれ、友人であれ、恩人であれ、どんな恐ろしいことでも考える。
遺産相続で兄弟親戚同士、骨肉相噛む争いは、貪欲の心が引き起こす惨劇だ。

私達の欲を五つにまとめたものを五欲という。食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲である。
食欲一つとっても恐ろしい。食欲を満たすため、毎日どれだけの牛や豚、魚が殺されていくだろう。人間も畜生も、虫けらに至るまで仏教では生命は同根と言われる。生きるためには仕方がないと、どれだけの命を殺してきただろう。私達が食べたいという欲を起こさねば死なずに済んだ者達ばかりに違いない。
他にも財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲を満たすために、私達はどんなことを思っているだろうか?

次に嗔意。怒りの心。
欲が妨げられるとカーッと腹が立つ。
あいつのせいで儲け損なった、あいつのせいで恥かかせられたとなると、相手に対して怒りの心が吹き上がる。
怒りという字は心の上に奴と書く。心のまな板の上に相手を乗せ、切り刻んでいる心である。
真っ赤になるから火のようで、あとは野となれ山となれ、あたり構わず焼き払う恐ろしい心。
離婚話にカーッとなった男が部屋に灯油をまいて火をつけ、妻子を焼き払ったという事件があったが、まさに嗔恚の心のなせる業である。

そして愚痴。妬み嫉み恨み憎しみの心。
とても欲を起こしても、怒ってみてもかなわぬ相手と知ると、妬み嫉みの心が出てくる。
愚痴とは愚はおろか、痴は知恵が病院に入っているということで馬鹿ということ。
因果の道理が分からず、我が身の蒔いたタネで苦しんでいるのに、あいつのせい、こいつのせいだと相手を恨む醜い心。
親鸞聖人は蛇や蝎を見た時のようにゾッとする心だと言われている。

心がこのように悪に汚染されているから、口で言うことは綺語、両舌、悪口、妄語としかならない。
綺語とは心にもないおべんちゃら。
両舌とは二枚舌とも言われ、仲の良い二人の間を裂いて仲悪くさせること。
悪口とはわるぐち。
妄語とは事実無根の嘘を言うこと。
こうした口の行いによって、ひどく傷つけられた経験のない人はいないだろう。
言った方は無自覚でも、言われた方は死ぬまで忘れられないものだ。
我々の不用意な発言が、どれだけの人を苦しめ、傷つけ、殺しているか知れない。

そして体では、殺生、偸盗、邪淫の罪を造っている。殺生とは生き物を殺すこと。ただし仏教では、自ら殺すことは勿論、たとえ自分が殺していなくても、人に命じて殺させたり、また他人が殺生しているのを見て楽しむ心があれば同じく殺生罪になると教えられている。
偸盗とは人のものを盗むこと。
邪淫とは、よこしまな男女関係を言う。

「生きるためには仕方がない」「皆やっていることだから」というのは人間の都合であり、悪くないということではない。
私達は身口意の三業で日々どれだけの悪を造っているだろうか。
静かに我が身を振り返ってみなければならない。


◎五逆

十悪も恐ろしい罪悪だが、仏教ではもっと罪が重い罪悪がある。それが五逆罪と言われる。
五つの恐ろしい罪ということだが、中でも最初に挙げられるのが親殺しの罪。
16歳の少年が母親を金属バットで殴り殺したり、50代の男が年老いた親を刺し殺したりする事件が時々耳に入ってくる。
小さい頃はお乳を飲ませてもらったり、おむつを替えてもらったりしたではないか。
病気になれば寝ずに看病してもらって成長してきた。そんな大恩ある親を殺すなど、
人間の心を持たぬ鬼の仕業としか思えない。

かかる大罪は仏教では無間業と言われ、地獄の中でも最も苦しみの激しい無間地獄に堕ちて、気の遠くなるような長期間苦しみを受け続けなければならないと教えられている。

しかし、手にかけて殺すことだけが親殺しの罪を犯しているのではないのだよと、親鸞聖人は
「親をそしる者をば五逆の者と申すなり。」
と仰っている。
そしるとは、「うるさい」「あっちへいけ」と罵るのは勿論だが、それだけではない。
「殺るよりも劣らぬものは思う罪」で、心で「邪魔だ」と思えば、それは親をそしっているのと同じ。
一つ屋根の下で暮らしておりながら、ろくに口も聞かず、食事も別々にとり、親を邪魔者扱いしているのは、心で親を殺しているのだ。
元気なうちはまだいいが、親が寝たきりになり、看病しなければならなくなったらどうか?
世話を嫌って、「いい加減に…」という心が出てはこないか?

数年前、4人の息子を女手一つで育て大学まで出させ、一流企業に入社、結婚までさせたお母さんの悲劇が報じられていた。
年老いた母親を誰が面倒見るかで4人の息子夫婦が集まり、深夜まで激論したが誰一人面倒を見るという者がいなかった。
一部始終を聞いていたお母さんは、翌日列車に飛び込み、自殺したという。

この世の中で、親をそしっていない人はいるだろうか? たとえ体で殺していなくても、そしったり、心で親を邪魔だと思えば殺したのと同じだと言われる。
また、誰でも一度は「こんな苦しい人生なら死んだ方がマシだ」と思ったことのない人はないだろう。
「死んだ方がマシだ」と思うのは「生みさえしなければこんなに苦しまなくてもよかったのに」ということだから、親殺しの五逆罪に違いない。
私は一体どうか、静かに我が身を振り返ってみなければならない。

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(つづく)
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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