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高森の教行信証(教編) - それ高森の教を顕さば、すなはち映画『なぜ生きる』これなり

高森顕徹会長は、迷いの世界を果てしなくさまよい苦しみ続ける私達を出離させ、往生成仏せしめるという崇高な阿弥陀仏の本願を、人生を明るく楽しくわたす大船とかいった低俗な本願に貶めています。そして、本願の大船に乗ったことを「絶対の幸福」だとか、「絶対の幸福」になることが「人生の目的」だとか言って、そんな幻想的な楽、現世利益を獲ることを教えたのが親鸞聖人であるかのように吹聴しています。親鸞会の出版物は少なくないですが、いずれも「人生の目的」「絶対の幸福」を前面に打ち出しております。

阿弥陀仏の本願」=「どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に

この説明は毎回ブレませんから、親鸞会の教義をうかがうに、それは「絶対の幸福」を教えたものと言えます。しかし最近は非難を恐れて「絶対の幸福」とは何なのか、その説明はハッキリせずにブレまくりです。仕方なく過去から持ってきますと、講師部員や先輩から教わった話では

色褪せない、薄れない幸福
絶対に変わらない崩れない安心、満足、喜び、幸せ
たとえ死が来ても崩れない幸福

などというものでした。著書を参照しますと、

『なぜ生きる』
万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、”よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである
一切の滅びる中に、滅びざる幸福こそ、私たちすべての願いであり人生の目的なのです
焼けもせず、流されも、盗まれもしない、いつも満ちている無上の幸せ

『こんなことが知りたい②』
どんな事態が起きても壊れない安心、満足、喜び
何時でも何処でも満足一杯、喜び一杯、安心し切って明るい生活ができるようになり、人生の醍醐味を心ゆくまで味わうことができるようになる

などです。こうした幸せになることが「人生の目的」であり、「人生の目的」を教えられたのが親鸞聖人であるというのです。ところが、どんなに親鸞会の教えを聴聞し研鑽して、推進される活動(破邪顕正、財施、会長や上司へ無条件服従など)に励んでも、親鸞聖人の教えられる信心は獲られません。なぜかと言うと、教えが親鸞聖人の説かれた「真実の教」ではなく、行が親鸞聖人の説かれた「真実の行」ではないからです。ですから、当然行ずる際の信心も「真実の信」ではないし、そんな体たらくで「真実の証」を得るなど夢のまた夢です。

それでも、たまに「親鸞会で救われました」「絶対の幸福になれました」という人が新聞や機関誌で紹介されます。その人がまこと「真実の行信」を獲たなら結構ですが、読んでみると高森会長を賛美する内容ばかり、また自慢するのは体験談のみです。喜んでいると言っても、念仏成仏し、還相のはたらきをさせて頂くのだと往還二種の回向を喜んでいる人は見たことがありません。また、それに伴う御恩報謝の活動も見られません。その程度の喜び、体験なら、他の色々な宗教の体験談でも普通に言われることです。


高森会長は「真実の教」ならぬ「高森の教」とでも言うべき独自の教えを弘めています。これには流石に

親鸞会では、「真実の教」は『大無量寿経』だと教えているではないか!

と言われそうですが、「如来の本願」は間違っていますし、「仏の名号」である「南無阿弥陀仏」の六字のこころは説かれません。第十九願成就文である「三輩の文」における「一向専念無量寿仏」を強調しながら、諸善を勧めてこれに反することを教えています。親鸞聖人がほとんど引文されなかった「五悪段」を重視し、「化身土文類」に長々と引文されている「智慧段」における胎化得失は説かれません。「流通分」のお言葉を、高森会長の話を自力で命がけで聞けという根拠に利用しています。それでいて「絶対の幸福」云々と現世利益を説いて、目的である往生成仏は「絶対の幸福」のおまけの如き印象です。肝心な説明には高森理論を用い、高森会長の話や著書で説明する有様です。「真実の教」を装い、「高森の教」を根本として話をしているというのが実態です。

では、「高森の教」とは何でしょうか? かつて高森会長は大沼法竜師や伊藤康善師の著書を剽窃して『会報』全五集を書き、「現代の教行信証だ」などと会員に呼ばせていました。しかし、パクリ本であることがばれたからか、今は絶版です。また、本願寺派と「宿善」について教義論争をした結果をまとめた『本願寺なぜ答えぬ』も絶版です。絶版の書を「高森の教」とするわけにもいきませんので色々と考えていましたが、やはり

映画『なぜ生きる』

でしょう。『なぜ生きる』『なぜ生きる2』も候補ですが、映画『なぜ生きる』は『なぜ生きる』に書いてある内容で高森会長が強調したい部分を映像化したようなものですし、今やあれだけ騒いだ「三願転入の教え」はすっかり影を潜め、最近の高森会長の話はほぼこの作品の解説となっていることからそう言えると思います。今年で親鸞会結成60年だそうですが、今までの高森会長の教えの集大成と言えるでしょう。また、高森会長の年齢から考えてこれが最後の作品であるとも考えられます。


この映画の中で高森会長が重要視しているのが、

大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります

というセリフです。このセリフについての質問に答えるという話が多いことがそれを物語っています。

仏法を聞く目的は後生の一大事の解決

とは言われますが、では親鸞会では何をもって後生の一大事を解決したとするかというと、「現在、絶対の幸福に救われたかどうか」、映画の言葉なら「苦しみの人生が、幸せな人生にガラリと変わったかどうか」で判断するのでしょうから、重要なのは

現在ただいま、絶対の幸福になること

だというのが親鸞会の教えです。それには

聞く一つで大船に乗せる

ということなのですが、実際はそうではありません。これについては次回、行編で書いていきたいと思います。ちなみに、この記事で書いてきた「高森の教行信証」の教編を古文調に書くと

つつしんで親鸞会教義を案ずるに、「絶対の幸福」あり。高森に曰く、すなわちこれ永遠の幸福なり、不変の幸福なり、不壊の幸福なりと。然るに教を学び行を修すといへども、真実の信を獲る者無し、真実の証を開く者無し。何を以ての故に、教は真実の教に非ず、行は真実の行に非ざる故なり。偶「絶対の幸福」を獲たりといへども、是は是、現世利益にして、九十五種の利益に同じ。「絶対の幸福」について高森の教行信証あり。

それ高森の教を顕さば、すなはち映画『なぜ生きる』これなり。


と言ったところでしょうか。ちょっと思いついたので書いてみました。


大沼法竜師や伊藤康善師の著書をパクっていた頃はまだ真実めいた内容もありましたが、現在は「高森教」色が強く、すっかり浄土真宗とはかけ離れた一新興宗教の教えであることが露呈しています。堂々と教えを公開せず、会員だけに実際の「高森教」を説く姿は、まさに土蔵秘事の法門ならぬ二千畳秘事の法門と言えます。こんなくせ法門に騙されて、「真実の行信」を獲られず真実の証果を開けないことがないよう、会員の皆さんには早く教義の誤りに気付いて頂きたいものです。



【参照】
『親鸞会を脱会した人(したい人)へ』今までの教義間違いを「なかったこと」にしようとする高森会長のアニメ映画「なぜ生きる」への偏重
『21世紀の浄土真宗を考える会』「三毒・五悪段」の基礎知識
『飛雲』自力の聞しか知らない高森顕徹会長と会員の関係は、善鸞と善鸞の言うことを信じて親鸞聖人の元に行く気のない同行
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No title

おはようございます、Abcです。

今朝も雪が降って半ば諦め感がではじめているAbcです。
「今シーズン最大の寒波」はもう聞き飽きましたし、相変わらずの
除雪作業です。

>では親鸞会では何をもって後生の一大事を解決したとするかというと、「現在、絶対の幸福に救われたかどうか」、映画の言葉なら「苦しみの人生が、幸せな人生にガラリと変わったかどうか」で判断するのでしょう

さて、今回のテーマは「親鸞会の教え」ですか...
自分の中では「親鸞会の教え=苦しみの人生が、幸せな人生にガラリと変わる」だと観ているので、コレで間違いは無いと思います。


>現在は「高森教」色が強く、すっかり浄土真宗とはかけ離れた一新興宗教の教えであることが露呈しています。

「すっかり浄土真宗とはかけ離れた」とするならば名前も「高森教」に改名したほうがよいと考えます。高森さんが『木像・絵像』の時に言っている「人は滅びる」というのは、もしかしたら「高森教の真理」なのかもしれません。

Abc

関東は雪も溶けてきて、路面状況はいい感じになってきましたね。
淳心氏は業務上、俺はバイク通勤上よかったですが、場所によってはまだ危険ゆえ、お互いに注意しましょう。

淳心房さんの記事は俺にとっては勉強させて頂くという感じで拝見してるし、真宗教義にお詳しい方々がコメして下さるので基本的にROMなんですが、たまにはゲスなコメしてもいいすかね(゚ω゚)

山も山さんの最新記事を拝見して、相変わらず冷静な分析と分かりやすい文章の中で親鸞会の公式サイトが載ってまして。
そこで現在の講師方の写真を見たのですが、懐かしいなと。
「大学1年のGW合宿でこの方から七慢や有無同然の話を聞いたなぁ」。
「当時の学生部長は信心決定するまで結婚しないと部会で言われてたけど、いつの間にか結婚してたな〜」。
「俺はとっくにドロップアウトしてたけど、うちのようなチャラい私立じゃ信用がないのか、東大の人が部長になってたなぁ」。
「人間的にとても真面目でいい方なのに、まだ続けてたんだ」とか、ちょっとした感慨が。

様々なご意見はあるでしょうが、この方々もいつかMCが解けて本当の浄土真宗を聞かれて、お念仏喜んでほしいなと思います。

今日は夕方から築地本願寺でお聴聞する予定です。
昨日は14時間寝たにも関わらずクッソ疲れてますが、お聴聞の日は本来の自分にはない特別な時間に変わるので、不思議で嬉しいです。

約束は出来ませんが、今度の埼玉慧日会にも行けるかもなので、縁があればまた共に法を喜びましょう。

南無阿弥陀仏

連投、すみません。

今、本願寺でのお聴聞が終わりました!
幸せな時間はあっという間ですねw
今日は前から疑問に思い心配していたことを質問し、答えて頂いて心が軽くなりました。
お答え内容はまた改めて録音聴聞させて頂きますが、阿弥陀さまの22願力で還相回向する際、釈尊のようにまた迷いの世界で苦しみ、悟りを目指さなければならないのでしょうか。
せっかく成仏しても、また今のような苦しみを味あわねばならないのでしょうかというような、真宗にお詳しい方からすれば幼稚な質問かもですが…。

やはりお聴聞のご縁、お同行方の存在は有難いと思いました。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

コメント返信

Abc様

北陸地方はじめ日本海側は相変わらずの雪でさぞ難儀されていることでしょう。関東平野部などとは比べ物にならない位降りますからね。それにしても今年は何年に一度かの大雪でありましょう。

こちらとしては、このような現世利益丸出しで、浄土往生は現世利益をもらったら必ずついてくるものみたいな認識で会員にいられたら困ってしまうのですよ。四苦八苦は無くならないし、その元である悪業煩悩は死ぬまで絶えないのですから、信心獲得の瞬間から「幸せな人生にガラリと変わる」とは言えないことを知ってもらいたいです。そして、本願を信じ念仏する者は、どんなに煩悩が激しく燃え盛り、苦しもうともそれが往生の妨げにはならず、必ず往生成仏の証果を得る、迷いを離れてさとりを開くのだということを知って頂きたいです。

改宗改名すれば文句は言いませんが、そのつもりは毛頭ないでしょうから、こちらも批判を止める気は毛頭ありません。



R1000様

バイクで転んでよく生きていられましたね。タイミングが悪く、対向車線にはみ出したところでトラックに引かれ・・・なんてことだったら氏んでましたよ(*_*; 氏ぬのは縁にまかせてとにかく念仏して生きていきなさいというお示しかも知れません(笑)

俺もあの中のH講師やA講師からはよく話を聞きました。A講師はよく「親鸞聖人のみ教えをお話しします」とか言っていましたが、話しているのは高森教だとは夢にも思っていないでしょう。いつか気が付いてほしいです。
それにしてもあんだけ講師部員いるのに7人しか載せないのかよって感じですよね。息子やK講師長、W講師長なんかを載せないのはどういう了見だって思います。しかし顕徹会長はなぜにあんなラフな格好で? 教誡服着ないの? とか。

聴聞は御法に触れる、俺ら世間にまみれて生きる者達には非常に有難いご縁ですね。ただ阿弥陀さまのお救いの法を頂くのみにあらず、教えによって常に迷いの世界の只中にいること、相変わらず仏様を悲しませるようなことばかりしている私達であることを知らされ、そこから少しずつ方向修正して正されてゆく。聴聞にはそんな面もあるかと思います。信後ほど特に教えが大切であることをここ数年しみじみと感じています。

を、俺も気になる質問ですね~。どのようにお答えになったか、機会があればお知らせ下さい。

なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

「バイクはバカにしか乗れない」と聞きますが、「まぁそうだな」と思いますw


>>息子やK講師長、W講師長なんかを載せないのはどういう了見だって思います。

自信のなさや後ろめたさを隠す為に必死で爽やかさや「怪しくないよ」感を出そうとしているのに、どうしようもなく滲み出てしまう俗物オーラ満載の彼らを載せることは流石にためらわれたのでしょう。。

サイトリニュに伴って看板も「集金法人 THE♡エムハル」とかに改名していたならば、俺は微笑みうなづきつつそっ閉じしたところですが、そうではなかったので今しばらく真偽検証さんの存在が必要とされそうですね。
無理はなさらない程度に、更新して下さいまし。


質問時の板書のメモ書きをとりあえず書いときます。

無生の生
一念遍至
不●而至(自分で書いた字なのに汚くて読めねぇ)
従果降因
八地
示法如仏
諸仏供養

またどこかで会った時に説明できるよう、勉強しておきますw

Re:R1000さん 淳心房さん

こんばんわ、Abcです。

R1000さんが、書かれたメモを参考にコチラで再び調べました。
よろしかったら、ご一読ください。


一念遍至
不●(動)而至(自分で書いた字なのに汚くて読めねぇ)
示法如仏
(無相供養)
→四種の正修行功徳成就
Wikiarc:http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%9B%9B%E7%A8%AE%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BF%AE%E8%A1%8C%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E6%88%90%E5%B0%B1

従果降因
→「果に従いてタネが降る」 「因果の道理」からするとよく分からなくなってしまいますが、「法蔵菩薩が阿弥陀仏になられた ではなく 阿弥陀仏が法蔵菩薩になられ 世自在王仏という仏の弟子になられた」となります。 「本師本仏であられるのになぜ「弟子」となられたのか」と疑問をもたれるかもしれません。それはある意味もっともなことであります。この疑問はつぎの「諸仏供養」につながります。

八地
菩薩の位の一つ 一地~十地 のうちの八番目

諸仏供養(弥陀48願内 第23願)
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由他の諸仏の国に至ることあたはずは、正覚を取らじ。(wikiarcより)」
→前にある22願「還相回向願」を受けての願であり、「もし、他の国に行って菩薩行を修する仕事がしたいというなら、どうぞ出ていってくださいと。その菩薩行の内容が「十方の諸仏如来を供養し、恒沙(ごうじゃ)無量の衆生を開化(かいけ)して」(『聖典』19頁)と言われているわけです。(<参照>より)」
参照:http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report01_bn49.html

無生の生
→無生無滅の生。浄土の往生は生滅(迷い)を超えたものである
【左訓】「六道の生を離れたる生なり。六道四生に生るること、真実信心のひとはなきゆゑに無生といふ」
Wikiarc:http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%84%A1%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%94%9F

私もこのようにして調べているうちに R1000さんが聴かれたことからしましたらかいつまんだ程度でしょうが、勉強になりました。ありがとうございます。

なもあみだ なもあみだ

Abc

質問です

親鸞会がいっている
「阿弥陀様の本願を信じる心も阿弥陀仏より賜る」というのは本当ですか?
浄土真宗の教義ではどの様になってますか?

No title

正しくないです。
阿弥陀仏を信じる心はあります。賜るのは、真実の信心です。
信じようとしても信じられなかったと地獄に叩き堕とされた一念で真実の信心を賜るのではありません。
私の信じる心では報土往生できないと阿弥陀仏におまかせをしたのが真実の信心です。

No title

>>Abcさん

お早うございます。
ぁあ、確かにメモ書きの文字も「動」と読めてきましたw

参考にさせて頂きます。
有難うございます。

Re: 金星人様

> 親鸞会がいっている
> 「阿弥陀様の本願を信じる心も阿弥陀仏より賜る」というのは本当ですか?
> 浄土真宗の教義ではどの様になってますか?

suさんとは意見が違いますが、この部分に関しては正しいと思います。

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。(信文類)

行も信もすべて阿弥陀仏がお与えになるものです。ですが、阿弥陀仏から信心を賜るための方法論はありません。親鸞会で教えられるような、聞法や廃悪修善によって横の線の道を進み、

> 信じようとしても信じられなかったと地獄に叩き堕とされた一念で真実の信心を賜る

ということではないのです。この点ご注意下さい。あくまで本願を、本願が成就したすがたである南無阿弥陀仏の六字のこころを疑い無く聞くのがすなわち信心です。

No title

>阿弥陀様の本願を信じる心

ここが曲者です。阿弥陀様の本願を信じる心が無ければ、阿弥陀様の本願を聞く気もなく、阿弥陀様の本願を聞き求めることが無くなります。親鸞会はここを間違えています。獲信の直前に、信じる心が無いと知らされると説明しますが、そんなことは知らされませんし、知らされる筈もないです。
無耳人と同じ間違いで、耳はあるのです。耳があるから、阿弥陀様の本願を聞き求めるのです。
無いのは真実の信じる心であり、真実を認識する智慧の耳です。
高森会長は、どちらにもとれる曖昧な言葉遣いをしますが、説明を聞けば、その言葉遣いの意図が間違いとわかります。

Re: su様

なるほど。

信前でも阿弥陀仏の本願を浅く信じる心はある。しかし、本願を深く信じる心、本願に疑い無い心というのは無い、これは阿弥陀仏の本願力によって起こさしめられるとこういうことでしょうか? 確かに、信じる心も念じる心も無いと知らされるとか説明していましたね。

No title

そういうことです。

Re: su様

suさんの言わんとしている内容がこれで分かりました。ありがとうございました。

難しいです

色々と考察して頂いてありがとうございました。しかし、難しいです。
信も行も全て阿弥陀仏より賜るものだという事は理解できましたが、
「因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。」(信文類)とはどういう意味ですか?
自力にしても本願を信じる心がなければ聞く事も求める事もできません。
しかし、求道せよとかいう方法論はない。求道求道と同じ所を空回りするだけで前には一歩も進まないという事ですか?
信じる心がなければ求道も出来ないのに。「弥陀の本願を信じる」と言ってはいけないなどと言うのはかなり矛盾してると思います。
真実の行信は阿弥陀仏より賜る心であるという結論でいいですか?

No title

「因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。」

因がないのでもなく、阿弥陀仏の行信以外の因があるのでもないと知りなさい。

>自力にしても本願を信じる心がなければ聞く事も求める事もできません。

外道を信じる人、聖道門を信じる人は、本願を信じませんので、本願を聞くことはありません。ですから、まずは本願で救われたいというレベルの本願を信じる心があって、本願を深く信じる=他力の信心になるのです。

>真実の行信は阿弥陀仏より賜る心であるという結論でいいですか?

OKです。

コメント返信

R1000様

「集金法人 THE♡エムハル」WWW
あるいは彼らほどの能力の持ち主が息子の下で働くのはまっぴらだと、密かに分派か独立を考えているのかも知れません。まぁ何にせよ邪義を改めないか、改宗改名しない限りは書いていきますよ(^ω^)

メモだけじゃ何を言わんとしているのかよく分かんね・・・Abcさんの語句の解説で何となく分かったような分からんような感じです。ぜひお会いした時に教えて下され☆


Abc様

R1000さんのメモからだと、私にはAbcさんのように調べるまでも至らなかったと思います。やはり相当に学ばれていますね。それでも布教使の方がどういう解説をされたのかまだぼんやりしていますが、まぁそれはそれとして。我らは浄土に往生してこの上ないさとりを開き、大慈大悲をもって衆生を思うがごとく利益させていただく果報者ですね。なんまんだぶ、なんまんだぶ。この前読んだ本に「この世は還相のリハーサルだ」みたいなことが書いてありましたが、リハーサルになっているかどうかも知りませんけど、お念仏を申しつつ縁のある方々にお念仏の教えをお伝えしていければなと考えております。


金星人様

suさんがある程度お答えなので、私としては

> しかし、求道せよとかいう方法論はない。求道求道と同じ所を空回りするだけで前には一歩も進まないという事ですか?
信じる心がなければ求道も出来ないのに。「弥陀の本願を信じる」と言ってはいけないなどと言うのはかなり矛盾してると思います。

の部分をこたえたいと思います。まず、真実の行信を獲て報土往生するために、私達の側で○○しなければならないという方法論は無いということです。例えば、真実の行信を獲るために「光に向かって進め」「宿善を求めよ、厚くせよ」「白道を煩悩と闘って進め」「三願転入せよ」などの方法論はありません。それどころか、方法論にこだわる心が如来の仰せを撥ね付ける仏智疑惑であり、自力疑心、無明の闇ですから、そんなものに一生懸命になればなるほど余計本願の仰せを受け容れられなくしてしまいます。

私達の如何なる行為をもってしても、進むも進まないもなく、往生に関しては無力です。だから阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏の名号を成就し、これを施し与えて救おうとはたらいておられます。私達はただ、そのおはたらきを聞き、おはたらきに身をまかせてお念仏を申せば、その念仏の行者を阿弥陀仏は摂取して決してお捨てになりません。自らの行為や聞きぶりに目を向けるのではなく、ただ「必ず助けるから、安心してまかせなさい」という阿弥陀仏の勅命を受けて下さい。

仰る通り矛盾しています。矛盾の上に成り立つ教えが高森教です。「阿弥陀仏の本願を信じなさいとは口が腐っても言ってはならない」などと親鸞聖人の教えを完全否定するような者の教えをいくら聞いていても親鸞聖人の教えられる教行信証は分かりませんので、未だ会員を続けておられるのでしたら、何か目的が無い限りはお辞めになった方がよろしいかと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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