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公園の水道が凍っていて・・・

今週は最強クラスの寒波が2つも日本上空にあるらしく、とにかく寒いです。東京は48年ぶりの寒さとなったそうです。日本海側を中心としてものすごい雪になっています。月曜日には関東でも大雪が降りましたが、その夜、奇しくも子供達は『アナと雪の女王』を見ていました。その中の、

国中が 雪と氷に包まれたの!

というセリフ通り、自分の住んでいる一帯が雪と氷に包まれてしまいました(苦笑)

木曜朝に、子供が公園に行きたいというので連れていくと、公園はまだ真っ白に近い状態でした。水飲み場の水道管は凍っていて水が出ませんでした。こんなにも冷えていたのかと思うと共に、水道設備が壊れていなくてもこうして凍ってしまえば水が出ないことがあるのだなと改めて知らされました。


お釈迦様によって説かれ、七高僧方、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人と脈々と受け継がれてきた阿弥陀仏の本願念仏の教えが私まで届き、現在こうして本願力をたのんでお念仏申させて頂いております。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。数え切れない有名無名の方々が「弥陀の法水」のパイプとなり、今私の口という蛇口からなんまんだぶが出てきております。有難いことです。

ところが、この教法伝持に際して、水道管の例えで言えば途中で混ぜ物を加えたり、パイプを詰まらせて飲めなくさせる人がいるのは今も昔も変わりません。古くは中国で摂論宗の一派が念仏別時意説を唱えたために当時念仏する人がいなくなってしまったなどということがありました。法然聖人の教えを誤解して、諸善も19願に誓われているのだから往生の正因となるなどと専修念仏の教えを乱す輩も現れました。善鸞も、三業惑乱の智洞も、本願念仏の教えを誤り、邪義を唱えた者達の一人です。

せっかく親鸞聖人のお名前を知り、本願念仏の教えが目の前にあっても、そこに邪義を混入されてしまえば「弥陀の法水」は飲めません。私も約8年の間、そうしたことで本願を信じ念仏することができませんでした。私のかつての仲間達も、未だ「弥陀の法水」でない、言わば泥水をすすらされてしまっていることと思います。今回、凍結した水道管を見て、私も微力なりとも教法伝持の一旦を担うと共に、泥水を精製して与える者達の邪義を暴かねばならないと改めて思いました。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。
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六字の樋

ども、「弥陀の法水」というのはいいですね。

浅原才市さん。

弥陀の樋

 弥陀の尊い 弥陀の樋
 知識 口から私の心
 かけてもろたよ 六字の樋を
 浄土の水の 味のうまさを
 わしの心 つぎ込まれ
 ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

才市さんにとっては、ご法義を説く善知識の口元が、まるで浄土から私への六字の樋のように思われたのでしょう。
浄土から、なんまんだぶの樋をかけての「弥陀の法水」である済度でした。
「極楽は無為涅槃の界なり」などと言われてもサッパリ判らないのですが、浄土から六字(なんまんだぶ)の樋をかけて届いているなんまんだぶでした。

『大無量寿経』の体である名号、その名号がわたくしに届いたのが信心、口にあって称えられるのが〔なんまんだぶ〕でした。たとえ名前は変わっても阿弥陀如来の決定摂取の南無阿弥陀仏に違いはないのでした。ありがたいこっちゃ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://houju.txt-nifty.com/blog/2011/11/post-1abe.html

Re: 林遊@なんまんだぶ様

『御文章』2帖目1通 御浚え
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%BE%A1%E6%96%87%E7%AB%A0_(%E4%BA%8C%E5%B8%96)#.E5.BE.A1.E6.B5.9A.E3.81.88

より使わせて頂きました。

六字の樋、まさにそうですね。六字の樋をかけて頂き、私まで浄土の水が流れてきたことは本当に不思議で有難いことです。そういえば以前、「私がなんまんだぶを称えるから救われるのではない。なんまんだぶを称える者を助けるという阿弥陀仏の本願があるから私が救われる」という内容の記事を林遊さんのブログで読ませて頂きましたが、その通りその通りと頂いております。おっしゃる通り、「ありがたいこっちゃ」です。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。

乗大悲願船

淳心房さんはベクトルの違いについて述べていましたが、本願の大綱というところからご法義を解釈しないと高森顕徹氏のような理解になるのでしょう。
いわゆる浄土真宗の根幹を理解せずに枝葉末節の言葉を解釈しようとするから、高森氏当人もワケが判らなくなるのでした。
その意味では、

 つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。p.135

という、教(おしえ)、行(おこない)、信(まこと)、証(あかし)という大綱からご法義を領解しようとする 淳心房さんの姿勢は正しいと思ふ。
高森親鸞会の人は(伝統教団の中にも坊さんにも一定数存在するのだが)「信心正因」という語に幻惑されて、教、行、証という体系を学ぶことがないから、教法としてのなんまんだぶの「大悲の願船」に乗ずることが出来ないのでした。
御開山は「行文類」で、

 しかるに教について念仏諸善比挍対論するに、p.199

と、47対を挙げておられますが、念仏(なんまんだぶ)は、あらゆる衆生を浄土へ運載する教法なのでした。念仏は往生成仏の「法」なのでした。
『愚禿鈔』では、42対を挙げられて、

 以上四十二対 [教法に就くと、知るべし。p.509

と、「教法に就く」とされておられますから、なんまんだぶは念仏成仏の仏に成る仏「法」なのでした。
これを「大経」には「〔安養国は〕往き易くして人なし(易往而無人)」p.54と示してあるのですが、あらゆる衆生(生きとし生ける者、蜎飛・蠕動の類p.143『大阿弥陀経』)を済度するという大乗仏教の大悲の教法は、我だけの「絶対の幸福」を求める我利我利の自己の幸福を求めることをテーゼとする選民思想の高森教の会員には理解不能でしょうね。知らんけど。
ともあれ、こんなことを書いているから「親鸞会の被害者を軽蔑して見下す」と、被害者であることに拘泥する脱会者に「軽蔑して見下」すとも思われるのかもでした(笑

脱会者の、近藤 智史さんは、林遊さん、僕らはマイナスからの出発なんですよ、と述懐されていましたが、高森親鸞会に傾倒していた人ほど、林遊のようにあほみたいになんまんだぶを称える生き方は解らないのかもです。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

「約仏、約生」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%B4%84%E4%BB%8F%E3%80%81%E7%B4%84%E7%94%9F

Re: 林遊@なんまんだぶ様

親鸞会の「光に向かう教え」に対する「本願力回向の教え」を示すことが、会員の皆さんには一番判り易く間違いに気づきやすいのではないかということで、当ブログではベクトルの違いを中心に述べていました。ただ、それだけではアカンですね(苦笑)

>浄土真宗の根幹を理解せずに枝葉末節の言葉を解釈しようとするから

実にその通りで、恥ずかしながら親鸞会にいた頃は高森会長の話や著書のみを根拠とし、それに当てはまる経典や聖教の言葉を「真宗聖典」で確かめ線引きするなどという作業を繰り返していました。疑問に思っても講師部員の詭弁に丸め込まれ、自分でお聖教に向き合うということをしてきませんでした。林遊さんのように根幹から学び理解することがありませんでした。

このような意味では我々親鸞会経験者、親鸞会によって浄土真宗を知った者にとっては「マイナスからの出発」であることは否めません。真宗の何たるかを知らず、「人生の目的」「絶対の幸福」という言葉に幻惑し、それを正しいと信じてきた愚か者ですから、莫迦にされても仕方ないというか、当然であると個人的には思います。

ただ、林遊さんも御承知のことと思いますが、面と向かって言葉で言われるのと、相対せずにコメントで言われるのとでは、同じ文章でも受け取り方が全く異なります。退会者が「こんな教えに騙されてきた!」と被害者意識が強いのは事実で、邪教を正義と信じてきた罪、それを宣伝して人をも巻き込んできた罪、邪教を信ずるようになった己の因縁を無視しているような人もいます。私もそうでしたしね。特に脱会して日が浅い人はその気が強いでしょう。「そんなこともあったね」と懐かしく思うまではやはり時間がかかるものです。そういう人が林遊さんのコメントを読むと、見下されているとしか読めないわけですね。

傷心したところにズバズバ切り込まれると、ものすごい反発心が出てくるものです。それが、「よーし、これを機に浄土真宗を一から学ぼう」とプラスの方向へ向けばいいのですが、大概は「もうこんな教えに関わらん」などと法を遠ざけることにもなりかねませんから、私としては生暖かい目で見てやってもらいたいものです(笑) あ、私淳心房には、間違ったところがあればズバズバ仰って頂いて構いませんです(^ω^) 色々リンク先を示して教えて頂けるのは非常にありがたいことです。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。


ところで現在、真宗の大綱を理解し、浄土真実の教行信証を学んで明らかにすることで、高森の教行信証がいかにデタラメ教義かを示そうと思って現在取り組んでいます。なんまんだぶを称えて往生成仏し、還相のはたらきをさせて頂くという誓願一仏乗の教えであるのに、念仏を抜き、更には信心も抜き、「高森の話を聞く一つで絶対の幸福になる」という全く別の教行証を教えているのだということを、会員、退会者共に分かってもらいたいと思い書いています。

林遊さま有難うございます

林遊さま、こちらのコメントや林遊さまのブログをみております。勝手にお世話になっております。いつも有難うございます。脱会して日が浅い私は、ざくざくと傷口に更に傷つけられておりますが、なるほどその通りだなぁと思っております。親鸞会に極端に意識が傾いていたものですから、今度は反対に極端に揺れてしまい、真の善知識探しや信心決定したい病や縁他力に嵌りそうでした、真実の信心は違うとわかりました。本願を信じて念仏を申せば仏になる。お陰さまです。なんまんだぶ。なんまんだぶ。

No title

本当に腹の立つ奴だな。

>被害者であることに拘泥する脱会者に「軽蔑して見下」すとも思われるのかもでした

詐欺や犯罪の被害者にも「被害者であことに拘泥する」などという心ないセリフを吐きかけるのですかね。
なんまんだぶを利用して他者を攻撃する傲慢さには呆れますよ。
信心や念仏とは別に、あなたの傲慢な人間性に呆れるのです。
自分がどれだけ正しいと思っているのですかね。自称「あほ」ですが。

No title

>被害者であることに拘泥する脱会者

病人であることに拘泥する患者
五体不満足であることに拘泥する身障者
弾圧された民族であることに拘泥する難民

それを見下す選民思想の偉い人

甘えの構造

被害者は加害者であり、加害者は被害者であるという論理はカルト宗教やネットワークビジネスという手法に嵌った方が抗弁する論理なのかな。
自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、無関係な他者の思想をあれこれ論ずるって、おかしいと思わないのかな。
これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、まあどうでもいいや(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

No title

>無関係な他者の思想をあれこれ論ずるって、おかしいと思わないのかな。

自分のことはわからないんですね。
無関係な退会者の思想をあれこれ論ずるって、おかしいと思わないのかな。
被害者になりたくてなったわけでもないし、もちろん意図して加害者になったわけでもない。
信巻に引文された涅槃経にある阿闍世に対する釈尊の御説法を知らないのかな。釈尊が退会者に対して罪があると責められるか考えてみては如何かな。

それと以前にも某師の三願転入論に対して、我々にはわからない意味が込められているから、本人に聞かないといけないとかなんとか必死に弁明してましたが、それは高森会長に対する「深いみ心」となんら変わらないと指摘したら黙っちゃいましたよね。
明らかな間違いを間違いと認めずに、それを詭弁で押し通そうとするのって、おかしいと思わないのかな。

No title

天親菩薩は小乗仏教を信奉されていた時には大乗仏教を誹謗されていましたが、兄の無著菩薩に諭されて大乗仏教を信奉されるようになったのですが、過去に大乗仏教を誹謗されていたことを無著菩薩は天親菩薩のことを加害者だと非難されたのでしょうか?
自分は早くから大乗仏教を信奉していたと無著菩薩は偉そうな態度を取られたのでしょうか?

釈尊のお弟子の多くはバラモン教などの外道から転身されたのですが、過去に外道の信者であったことを釈尊はネチネチ責められたことがあったのでしょうか?

博学の林遊さん、教えていただけますか?

Abcです

おはようございます、Abcです。

コメントを読ませていただきました。各々の心持ちを記されており「この方はこのように解釈しているのだな」とも思いました。

林遊さんがいわれている「甘えの構造」は、なにも「真宗」に限った話ではありません。「~のやり方はおかしい。私は騙されているんだ!!」と悲観している方となんらかわらないかと私はおもいます。

ですから、林遊さんが「自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、[乃至]これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、」といわれていることに関しては「その通りだ」と考えます。

走り書きとなったこと御許しください。

Abc

No title

>「~のやり方はおかしい。私は騙されているんだ!!」と悲観している方となんらかわらないかと私はおもいます。

悲観はしていないです。会員のことを悲観しているだけで、自らのことを悲観している退会者はあっても少ないでしょう。Abcさんは悲観されているのでしょうか?
多くの退会者は過去のことは過去のこととして現在と未来に生きているのですから、それを殊更に非難してどうするのかという気持ちがあります。
釈尊の御弟子も悲観されていませんし、天親菩薩は悲観されていません。他の善知識方も過去に聖道門におられたことを悲観されてません。
なぜ過去に親鸞会にいたことだけを悲観してなぜ過去のことについていつまでも非難されるのかは疑問です。

No title

小乗仏教や聖道門、あるいは道教を選ばれた七高僧と親鸞聖人に
「自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、[乃至]これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、」と言えるなんて、どんな偉大な聖者なのでしょうか?
「自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、[乃至]これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、」と非難すべきと言う経典の根拠を教えていただけますか?
七高僧や親鸞聖人以上の方なら、経典にしか根拠はないはずですから。

No title

俺は最初から真実の道を選んだのに、親鸞会の奴らときたら、最初間違った道で途中で真実の道に来ただけなのに、反省が足りない!

こういうことですかね。
最初から真実の道を選ぶことのできる智慧があるのは、仏だけですから、そういいきるお方は、仏の化身なのでしょう。

現世で人間に生まれてきた時点で、過去世に間違った道を選んできたわけですが。
過去世から仏だったお方には関係ない話ですね。

Re:脱会者さん suさん

こんばんわ、Abcです。

脱会者 さん

>林遊さんが「自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、[乃至]これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、」といわれていること についてですが、

『観経』には、
「下品上生者 [乃至] 智者復 教合掌叉手 称南無阿弥陀仏 称仏名故 除五十億劫 生死之罪
下品中生者 [乃至] 此人聞已 除八十億劫 生死之罪
下品下生者 [乃至] 称南無阿弥陀仏。 称仏名故 於念念中 除八十億劫生死之罪。」

と「称南無阿弥陀仏」の文字があります。「すべての者は下品下生」は確かにいいすぎでしたが、「下品の者」には「南無阿弥陀仏」を薦められています。

また、この「生死之罪」には、脱会者さんが申されている「小乗仏教や聖道門、あるいは道教を選ばれた七高僧と親鸞聖人に
「自分で選んだ道なら自己が責任を負うはずであって、[乃至]これって本願力回向のご法義を、甘えの構造に貶める行為なのだが、」と言えるなんて、どんな偉大な聖者なのでしょうか? 」という疑問も含まれていますので、それを踏まえたうえでお釈迦さまは「称南無阿弥陀仏」と薦められ、法然聖人も「選択本願」として「南無阿弥陀仏 称ずべし」といわれているのです。

su さん

>釈尊の御弟子も悲観されていませんし、天親菩薩は悲観されていません。他の善知識方も過去に聖道門におられたことを悲観されてません。

親鸞はお手紙の中にて、

「笠間の念仏者のうかがい問われたること。[乃至]しかれば「諸仏の御教を謗ることなし、余の善根を行ずる人を謗ることなし。この念仏する人を憎み誹る人をも憎み誹ることあるべからず。あはれみをなし、悲しむ情をもつべし」とこそ、聖人(法然)は仰言ありしか。」といわれています。

従いまして、「余の善根行ずる人を誹るのではなく、あはれみ悲しむ情を持ちなさい」とこの文章では「「法然が悲観された」と親鸞が言われた」となります

なもあみだ なもあみだ

Abc

No title

Abcさんへ

Abcさんは金星人さん並みに日本語が不得意なようですね。林遊さんが退会者を見下し貶め、それに対しての根拠を求めているのに、何を頓珍漢なコメントしているのですか?

的外れなコメントは邪魔です。以後、黙っていてください。コメントしないでください。

No title

バラモン教徒で殺人鬼だったアヒンサを弟子にされた釈尊のお話
(央掘摩経)

仏教徒としてのあるべき姿を考えてみましょう。

林遊さんの好きな法然上人が殺人鬼放火魔の耳四郎に対してどう接しられたかも参考に。

コメント返信

おはようございます、Abcです。

被害者 さん

>無関係な他者の思想をあれこれ論ずるって、おかしいと思わないのかな。 (林遊さん)

を受けての私へのコメントの返信が、
>的外れなコメントは邪魔です。以後、黙っていてください。コメントしないでください。

ですか、林遊さんのことに対して反論している割には「他者の思想をあれこれ論じ」て、「コメントしないでください」と書かれているのですね。

まぁ、「論者のあげ足取り」をするのは、私のすることではないので、「このエントリー内での被害者さんへの返信」は、これをもって最後とします。

su さん

>林遊さんの好きな法然上人が殺人鬼放火魔の耳四郎に対してどう接しられたかも参考に。

林遊さんは、法然上人が好きだったんですね。初耳です。
耳四郎のお話、読ませていただきました。

法然上人は静かに耳四郎の方に向き直り「耳四郎殿、よくお聞きなされ、この法然が助かるのですよ。こんな私のようなものでも助かるのだから、そなたの助からぬはずがない。」

ですか、「この法然が助かるのだから」という法然上人の心に感動しました。

Abc

No title

林遊さんとAbcさんは、アヒンサカに石を投げつけている人の側だとわかりました。

No title

耳四郎を追放した方がよいのではないかと法然上人に進言しているもの達が、林遊さんとAbcさんだと言うことですね。

情けない

>>耳四郎を追放した方がよいのではないかと法然上人に進言しているもの達が、林遊さんとAbcさんだと言うことですね。
それはSUと退会者の事だと思います。
この人達は我利我利亡者で言葉使いが汚なすぎます。
Abcさんや淳心房さんは真面目に正しい親鸞聖人の教えを検証しようとしているのに、Suと退会者は横槍を入れて罵り合っているだけです。
まだ親鸞会の講師の人達の方が真面目に真剣に親切に接してくれます。
火星人や金星人は迷惑だから二度とコメントするなと牙をむいた時点で良く分かりました。親鸞会に恨みを持っている人達は、「さよなら親鸞会」で悪口、妬み、恨み、愚痴、怒りの声をぶつけてやって下さい。あのブログはそういうブログに変わり果てました。ここは親鸞会の真偽を検証するブログです。

No title

相変わらずですね。
真宗と無関係のあなたが来るところではないので、創価学会のブログでコメントを続けてください。

No title

金星人さんは、アヒンサに殺人を命じたバラモン教の師匠といったところでしょうか。
話の内容を知らない金星人さんにはわからないでしょうけどね。

No title

カルトの信者で加害者と誰もが認めるであろう人物を釈尊は許されて弟子にされたという根拠を私は出しました。
親鸞会退会者が加害者として許されざる存在という主張の根拠を出してください。
まさか高森氏のように根拠のない主張を何十年もされてきたわけではないでしょうから。

以下「やさしいブッダの樹」より転載
http://buddha-tree.com/2013/07/17/352/


指斬り魔と呼ばれた男 アングリマーラ

「青年アヒンサー」
いま、サーヴァッティー(インド・舎衛国)の町では、人を殺し、その指を切り取って首飾りにするという殺人鬼アングリマーラの噂が広まり、夜になれば誰も家から外に出ようとはしませんでした。
誰もが恐れるアングリマーラが、殺人鬼と呼ばれるようになってしまったのは、ある経緯がありました。彼の実の名はアヒンサーといい、バラモンの子として生まれました。そして青年となった彼は、500人の弟子を持つというバラモンの弟子となり、その中でも特に秀れた弟子となり、師からの寵愛を受けていました。ある日のことです、その日は師が王に呼ばれ城に行くことになり、アヒンサーは留守を任されました。すると、前からアヒンサーに好感を持っていた師の妻が彼を誘惑しようとしたのです。

「私は人の道を外すようなことはできません」と、アヒンサーは断りました。すると、腹が立った師の妻は、自分の思うとおりにならなかったことの悔しさからか、彼女は自分の衣服を破り、あたかもアヒンサーに襲われたかのように装ったのです。そして、城から帰ってきた師は、妻の姿を見て驚き、怒り狂うのですが、とんでもない仕返しを考え、アヒンサーに言いつけるのです。

「アヒンサーよ、お前は私の数多い弟子たちの中でも最も優れている者だ。よって、ここに覚りへと至る最後の試験をお前に授けようとおもう」

「はい。どのような試験でございましょうか」

「お前はこれから国中の人百人の命を奪い、その死体から指を切り取りなさい、百の指を集めれば、お前の修行は完成したとしょう」
アヒンサーはしばらく考えましたが、他ならぬ師からの言いつけであり、素直にしたがったのです。

「殺生罪」

アヒンサーがアングリマーラ(指の首飾り)と呼ばれるようになったのは、そのような経緯があったのですが、人々から恐れられ、お尋ね者の殺人鬼と成り果てた彼の集めた指は99本となり、いよいよあと一つとなったのです。     そんなある日、町の外れの森へと一人で歩いてくるお坊さんの姿をアングリマーラは見ました。
「今では俺を恐れて誰も通らないこの道を一人で歩いてくるなんて、何と勇気のある奴だ。それとも何も知らないのかな」そう言った彼が見つめる坊さんとは、祇園精舎から出てこられたブッダ、釈尊だったのです。ブッダが森に入った時、アングリマーラは呼びかけました。

「おい、坊さん、止まりな。お前でちょうど、この指が百になるんだ。俺に会ったのが運の尽きだと思え」
しかし、その声が聞こえていないかのように、ブッダは静かに先へ先へと歩いていくのです。
「止まれっていうのが聞こえねえのか」アングリマーラは走って、先を歩くブッダを捕まえようとします。
「止まるんだ」  しかし、いくら懸命に走ってもブッダには追いつかないのです。
「アングリマーラよ、私はすでに止まっている」
「冗談言うな。止れって言ってるだろ」
「私は止まっているんだよ。むやみに生き物の命を奪う殺生という行いは止まっている。だから、アングリマーラよ、お前も止まりなさい」
ブッダのその声は、アングリマーラの心の底に響き、そしてその時、ようやく彼は正気に戻ったのです。そして、過去の罪を悔い、ブッダの弟子となったのです。

指斬り魔アングリマーラがブッダのもとにいるという噂は直ぐに町中に広まり、やがて城の王の耳にも入りました。
パセーナディー王は、アングリマーラを捕えに一個大隊を率いて向かったのです。軍隊が祇園精舎に着いた時、ブッダは何事かと驚きました。

「王よ、これからどこの国へ攻めに行かれるのですか」

「師よ、戦ではない。あの指斬り魔アングリマーラがここにいると聞き、捕えにきたのだ」

「アングリマーラなら、私の弟子となり、今は奥の部屋におりますが」

「師よ、それは信じられない」

「では、その目で確かめるがよいでしょう」

王は奥の部屋に行き、そこに静かに座っている頭を剃った姿のアングリマーラを見て驚きます。

王は合掌礼拝し、

「新たに仏弟子となられたあなたを捕えることは出来ません。そしてあなたには、国王として何か布施をさせて頂きたいのですが、何がよいでしょうか」

「王よ、有難い言葉にお礼申し上げます。しかし、私にはすでに一枚の衣と鉢があります、不足なものはございませんから、どうかお気遣いなさいませぬよう」

「そうですか。ならば今日は遠慮させて頂きますが、また日をあらためてあなたに供養したい」

そうして合掌礼拝し、王は軍隊とともに城へ帰ったのです。

「忍耐」

アングリマーラがブッダの弟子となり10日が過ぎた頃でしょうか。托鉢に出掛けた日のことです。
彼が歩いていると、どこからか投げられた石つぶてが身体に当たりました。 彼が後ろを振り返ると、その背中に別の石が当たりました。そして投げられる石の数がだんだん増えてきました。 うずくまったところを、棒で叩いてくる者が現れました。
「坊さんの格好をして騙そうとしても駄目だぞ、アングリマーラめ、父の仇だ」
棒を持った人が何人も現れ、アングリマーラはめったうちにあいました。

そうしたことは一日だけで終わらず、毎日彼は額から血を流し、衣は破け、身体はあざだらけになり、帰ってくるのです。
その姿を見てブッダは言いました。
「アングリマーラよ耐えなさい。お前は地獄へ行き何万年の長い間受けるはずの罰を今受けているのだ。これに耐えてこそ、お前は本当に生まれ変われるのだ」
傷だらけになって托鉢から帰ってくる日が続きました。しかし、やがて石つぶては投げられなくなり、アングリマーラの過去を知った人々は、彼が罪を悔いて懺悔し、戒を守る清らかな姿に手を合わせるようになるのです。

さきには放逸であったけれども  のちに放逸ならざる人は
雲をはなれた月のように  この世を照らすであろう
人もしよく善業をもって  そのなせる悪業をおおわば
その人は、この世を照らすこと  雲をはなれし月のごとくであろう

テーラ・ガーター(長老偈経)871、872より

No title

一退会者として黙っておれないので。
これまでのまとめ

1.釈尊はカルトの教えを実践し大量殺人を犯したアヒンサ(アングリマーラ)を許されて弟子にされた。

2.天親菩薩は最初、小乗仏教を信じられて大乗仏教を誹謗されていたが、親鸞聖人は七高僧のお一人として尊敬されている。

3.他の高僧方も親鸞聖人も、最初は聖道門を信じられていた、つまり浄土門を軽く見られていた。

4.耳四郎は、殺人放火強盗をしてきた者であり、法然上人の法座での盗みを計画までしながら、法然上人は許されて弟子にされた。

5.板敷山弁円は、最初修験道を信じ、親鸞聖人を害する企てをしながら、親鸞聖人は許されて弟子にされた。

以上より、
親鸞会で被害者となり、時には加害者でもあったにせよ、他人の身体を害するようなことはしてこなかった退会者に対して、加害者としての責めをしつこく迫ることが、仏教徒として、真宗の同行として、当然の行為と言えるのか?

明確に、根拠をもってお答え願いたい。

No title

結局はその程度ってことね
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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