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高森の教行信証(信編) - 二種深信の誤った認識、救済の予定概念、信心決定病

高森顕徹会長が信心を説明する際によく用いるのが「二種深信」です。「二種深信」は真実の信心か否かの判定基準であり、「二種深信」が立っていなければ絶対に真実報土の往生はできないというのです。

深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。 一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。
信文類

『観経』にある三心(至誠心、深心、回向発願心)の内、深心を解釈されたお言葉ですが、これは言うまでもなく一なる他力の信心を機の面と法の面と二種に開いて顕されたものです。二つの心が同時に起こるとか、片方が先に起こって間もなくもう片方が起こるというようなものではありません。また、当然ですが「機の深信」と罪悪感は異なります。勿論、己が力量をよく理解することは大切な事には違いありませんが、罪悪感の極まりが「機の深信」ではないことに注意が必要です。

さて、これを踏まえて「高森の二種深信」を見ていきます。それは、先に言ってしまうと二種深信の誤った認識、それに「救済の予定概念」と「信心決定病」が加わったものといったところです。

「『一念』とは、無明の闇のなくなった心をいう」
「闇」が晴れれば、明るくなる。いままで見えなかったものが、すっきり見える。無明の闇が破れると、何がハッキリするのか。
「自己の真実」と「弥陀の誓願」の二つである。ハッキリしたことを「深信」というから、この二つが明らかに知らされたのを「二種深信」と説かれている。自己のことを「機」といい、弥陀の誓願を「法」というから、「機法二種深信」ともいわれる。
(『なぜ生きる』p.199)

 誓願不思議に救い摂られ、無明の闇が晴れると、次の二つのことがハッキリする。
「金輪際、地獄ゆきと、疑い晴れる」(機の深信)
「極楽へ、必ず往けると、疑い晴れる」(法の深信)
 この二つが、同時に疑い晴れている心だから、「機法二種一具の深信」(二種深信)といわれる。
「地獄一定」と「極楽一定」を同時に、どうして知ることができるのか。
(『なぜ生きる』p.292~p.293)

読んでお分かりのように、二つのことが知らされたことだと書いています。そして、「地獄一定」と「極楽一定」という、矛盾する二つのことが同時に知らされるように言っています。これは誤りです。

親鸞聖人は信文類にて

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。

と仰せの通り、仏願の生起本末、本願の名号のいわれを聞いて疑い無いのが聞であり、それがそのまま信心である。それは自分で起こす信心ではなく、本願力回向の他力信心だと明らかにされています。その、名号のおいわれを聞くことによっておこさしめられた他力の信心を機の側と法の側とに分けて示されたのが「二種深信」ということですから、一つであって別々の二つの心ではないし、矛盾するものでもないのです。

①私というのは自力では決して迷いの世界を出られない者で、その私を助けるために②阿弥陀仏は名号を成就して、これを回向することで私を迷いの世から出離させ、往生成仏させて下さる。この南無阿弥陀仏の名号法におまかせして自力を離れたのが他力の信心であり、それを機の面から述べたのが①であり、法の面から述べたのが②です。①と信知したから②の法におまかせなのであり、②と信知したから①の機に用事はないなと自力が廃るのです。だからこの二つは別々でもなく一つです。また矛盾するものでもありません。それを矛盾した別々の心のように説いて、そんな摩訶不思議な信心だと騙っているのが高森会長というだけです。

ところで、『なぜ生きる』では無明の闇が破れると二つのことが知らされると書いてありますが、より高森教をハッキリと示している『こんなことが知りたい』ではまず真剣に実地に求道して、地獄一定を体験して、その直後に極楽一定を体験するかのように書いています。アニメ『世界の光 親鸞聖人』シリーズの親鸞聖人や韋提希の獲信のシーンは、こうした高森教を映像化したものです。

 信じたのも知ったのも、学問も修養もすべて間に合わず、堕ちるも助かるも判らぬ心一つが業に引かされて、地獄は一定すみかぞかしと、無間のドン底に叩き堕とされた時(機の深信)、
自力無功と他力不思議とは同時に働き、信心歓喜、歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さまこうまでして下さらなければ聞かない、しぶとい私でございました。(法の深信)
 どうしてこの御恩に報いようかと泣くより外にないのです。
(『こんなことが知りたい③』p.128~p.129)

 では、どうしたら自力が廃るのか。これは説明を聞いて判るものでもなければ、自ら捨てようと思って廃るものでもありません。先ず、自ら善知識を求めて真剣に聞法しなければなりません。そして、払っても払っても、後から後から現われ、奪えるだけ奪っても、なお心の底に、こびりつく自力の心に悲泣悶絶、求道聞法の絶壁に行きづまり、曠劫流転の逆謗の屍を如来の前に投げ出す体験を通らなければ廃りません。(『こんなことが知りたい①』p.110~p.111)

確かに真剣に求めるのは自力です。生れた時から他力に摂取されている者は一人もいないのですから、みんな自力で求めてゆくのです。そして聞けば聞くだけ、求めれば求めるだけ、聞ききらない必堕無間の自己に驚き、火の中突きぬけても、ここ一つはと思わずにおれなくなるのです。
 そして自力間に合わなかったと、助かる望みが断ち切られて、無間のドン底へ叩きおとされた時、十劫以来、呼び続けて下されていた阿弥陀仏のみ声が、五臓六腑を貫くのです。
(『こんなことが知りたい①』p.116)

アニメ『世界の光 親鸞聖人』の第一部では、法然聖人の元で火のつくような聞法求道をし、最後法然聖人の直の御説法を聞き、悲泣悶絶、地獄一定の苦しい体験をした直後に、泣いて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を称えて喜ぶ姿が描かれています。それまでは南無阿弥陀仏の南も無いというのに、今思えばどんな教えなんだと不思議でなりません。

アニメ『親鸞聖人と王舎城の悲劇』の韋提希にしても、釈尊の元で真剣に定善をやろうとするができない自分に絶望して深い苦悶に堕ちてゆくシーン、そしてその直後に無量寿仏のお姿を拝見し、やはり泣いて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏を称えて喜ぶ姿が描かれています。

これが獲信だ」と言わんばかりに教えられている親鸞会の会員は、先ず自ら善知識だと信じる高森会長を求めて真剣に聞法し、あるいは光に向かって、あるいは宿善を求めて、あるいは白道を進むために、あるいは三願転入するために、聞法(聞邪義)に加えて五正行の実践という名の朝晩の勤行(助正間雑)、六度万行の実践という名の諸善(雑行)、破邪顕正(弘宣邪義)、財施(献金)、服従等の行を求道だと称してやり続け、その果てにアニメの親鸞聖人や韋提希のような体験をするのだ、それが信心決定だと思い込んでいるでしょう。

思い描いている獲信までの道程は、「因果の道理を知らされるほど廃悪修善を実践せずにおれなくなり、そうすると見えてくるのは悪しかできない己の姿。そんな自分が今死んだら後生は一大事だと驚き立ち、火の中かき分けてもここ一つは聞かずにおれなくなる。そしてやがて求道の絶壁に行き詰まり、地獄は一定すみかぞかし、自力間に合わなかったと、助かる望みが断ち切られて、無間のドン底へ叩きおとされた時、十劫以来、呼び続けて下されていた阿弥陀仏のみ声が、五臓六腑を貫く」こんなものではないでしょうか。そして、こんなものを信心決定とか聞即信の一念の体験だみたいに思って、そんな体験に憧れて高森会長の話を聞き、活動している会員ばかりかと思われます。

こんなのを、増井悟朗師は「救済の予定概念」だとしています。「こうこうこうなったのが弥陀の救い」と観念的に決めつけて、私らの側で作り上げているのです。また、「信心決定が大事」「信心決定しなかったら後生は一大事」だと言われ、とにかく信心、信心、信心決定こそが唯一の目的だと、真剣(?)に聞き求めている、そんな親鸞会会員のような人達は「信心決定病」にかかっているというのです。

これは何も親鸞会会員に限ったことではありませんが、彼らはそれが特に色濃いということです。ここで教えが正しい真宗ならばやがて本願力をたのんで自力を離れるということがありましょうが、親鸞会では教えが「高森の教」、行が「高森の行」、そして信も前回示したように

「高森の信」=「絶対の幸福」=「光明輝く生活」

であり、今回示したように

「高森の二種深信」=「地獄一定と極楽一定が同時に知らされる」

といったものですから、こんなデタラメ創作教義を聞いていて「真実の信」を獲られる方がおかしいです。また会員の方も、そのような「高森の信」を獲るまではと自力でこしらえた「救済の予定概念」と、自覚なくかかっている「信心決定病」とによって「金剛の真信に昏」いわけであります。


高森の行」をやり続けて知らされる己の姿が「機の深信」でもなければ、「いつ死んでも極楽参り間違いなし」と自分の中でハッキリしたと思っているのが「法の深信」でもありません。

往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。 (執持鈔)

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(歎異抄)

如来のお助けに助けられ、如来の計らいに計らわれ、往生には念仏一つと如来の誓いにすべておまかせしたのが「真実の信」であります。これを機の面から言えば、この煩悩具足の我は如来回向の念仏より他に出離の縁有ること無しなのであり、法の面から言えば、疑い無く慮り無く弥陀の願力にまかせて誓いの通り往生を得させて頂くとなるのであります。摩訶不思議な「高森の信」を求め、「高森の行」を修めていても、「真実の行信」は獲られないことに会員の皆さんは早く気付きましょう。



【参照】
『浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?』9.機の深信について
『浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?』10.法の深信について
『WikiArc』二種深信
安心論題/二種深信
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体験

こんなことが知りたいシリーズは、三願転入を説く前の高森の書いたものだから正しい阿弥陀仏の本願が説かれていて、まさにそのとおりだ、俺はこの体験をしたぞ!と金星人さんの言うことを総合するとこうなりますね。金星人は、二種深信も苦しむ体験と喜ぶ体験が、高森がいう縦の線突破したその時おきる、びっくりドッキリ体験を言ってるだけですね。前回のコメント、歯が痛い時の念仏の話も苦しむ体験から喜びの体験を経て語ってますね。やっぱりそういう理解なんだ〜と残念に思います。今、南無阿弥陀仏を称えさせていただいている私の信境が二種深信なのであって、縦の線を突破した体験、苦しむのちの喜ぶ体験ではないです。過去の一点だけ語ってなんの役に立ちますか?今、称える南無阿弥陀仏を聞いてほしいです。なんまんだぶなんまんだぶ。

関連してます

一念覚知の論文に、「こんな事が知りたい」の文献が書いてあり、今回ブログに上げてある文献も信心決定の体験が書かれていて、この部分には共感できると思いました。
親鸞会では確かに「二種深信」が判断基準だと強調しています。
縦の線だけで横の線はなく、求道が横の線だと思い込み、いくら全力で求めても絶対に縦の線には到達出来ません。
信心決定病は、信心、信心と求道していれば、いつか必ず縦の線を突破できると信じ切っている病気だと思います。歯の激痛の話は、念仏を信罪福心でしか唱えられなかったという愚かな心を反省しただけです。
予定概念などはあった訳ではありませんが、あの映画アニメは確かに視覚から予定概念を植え付けて、走れ走れと旗を振っている様に思います。体験談は語るべきではないと言っている事と矛盾していますね。

論旨が破綻してますよ

こんなことが知りたいシリーズやアニメに描いている信心決定の体験に共感した。そして自分の体験は関連していると、正直に申されましたね。ですが貴方は、それは救済の予定概念ではない、信心決定病ではないと否定されてます。淳心房さんのブログの論旨はおわかりですか?こんなことが知りたいやアニメこそ救済の予定概念、信心決定病そのもので、これは真実の信心ではないと明確に否定されてます。貴方の言ってることは論理破綻してますよ。なので論理的にいうと、間違いだった。もういっかいちゃんと心を入れ替えて聞法する。若しくは、やっぱり会長が正しいので俺は真実信心を獲ている。間違いなのは淳心房さん以下、反親鸞会サイトとそこにいる連中だ。さてどちらですか?ことはご自身の生死出づる道です。できれば「ただ念仏して〜」をわかってもらいたいです。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

Abcです

こんばんわ、Abcです。

先ほど返信をいただいたことは、まことに有難いことです。なもあみだ なもあみだ

さて、
>そのような「高森の信」を獲るまではと自力でこしらえた「救済の予定概念」と、自覚なくかかっている「信心決定病」とによって「金剛の真信に昏」いわけであります。(淳心房 さん)

「自力でこしらえた」と「五劫思惟の大願」に「自力」を交えている時点で「金剛の真信に昏い」のは火を見るより明らかです。

今一度記しておきますが、
18願 = 念仏成仏願 自然法爾願 願作回向願(他力回向願 不回向願) 至心信楽願 選択本願 ... です。

これだけ別名が言われている願は18願だけです。

まず、「念仏成仏願」ですが、
「念仏成仏これ真宗」と親鸞が言われているように「真宗の肝要」であります。先エントリーで記しました「ただ念仏のみぞまこと」もこの由来です。
 (というより「南無阿弥陀仏(なもあみだ なんまんだぶ なむあみだぶつ)」という「名号執持」という「信心」 と「称名念仏正因」といわれる「念仏」にて成り立っていますので「信心決定の相、ただ南無阿弥陀仏に極まれリ」なのです。)

次に、「自然法爾願」ですが、
「自然といふはもとよりおのづからしからしむといふことばなり」でありますので蓮如上人が「仏の方より往生は治定せしめ給ふ」と言われていることであります。

また、「願作回向願(他力回向願 不回向願)」におかれましては、
「仏の方より往生は治定せしめたまふ」とのことより、「弥陀回向」として「他力本願」ともいわれ、「他力とは如来の本願力」ともいわれる由縁です。これは法蔵菩薩の時に「五劫思惟された」という「弥陀の六度万行」によっての願力でありますゆえ、そのように私が記している今このときも弥陀の「さえぎること無いお力・お働き」が私たちに届いているのです。ですから、七高僧、親鸞、また下代の各々上人たちは、「ただ弥陀に帰命せよ」と「捨自帰他」を勧められるのです。

「至心信楽願」は「18願に記されている「至心信楽」という語句から取られなずけられたおなまえ」です。七高僧は「この世にて聞信したならば、18願に生まれるが、安養浄土に生まれさせていただくにはこの世での寿命が尽きての後11願(必至滅度願)をもって生まれさせていただく」とされました。一方で親鸞は、「18願に生まれると同時に11願も成就する」とされております。(『正信偈』「必至滅度願成就」より)
ですが、「聞信された方々」は、いったん「正定聚」となられます。「一生補処」「還相回向」と説かれるのはこの由縁です。また私が「みなみなお念仏をとなえ、『なかま』となっていただきたいです」といっていることもこのことです。

最後に「選択本願」ですが、これは源空聖人(法然上人)主著
『選択懇願念仏集』と記されていることからもご推察できるでしょうが、法然上人がいわれたことです。また、「義なきをもって義とす」、「往生は念仏を先とす」といわれたのも源空聖人です。また、

「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。
されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」(『歎異抄』より)

ともいわれ、「私も善信の信心も如来よりたまはりたる信心なり」と申されております。以上のことより、「南無といふは、これ帰命なり」と「お任せする」ということであって、

真宗 =
 南無阿弥陀仏 南無不可思議光如来
 帰命尽十方無碍光如来 帰命無量寿如来

信心 = 
 広大会に帰命せよ 難思議光に帰命せよ 弥陀の一乗帰命せよ


念仏 =
弥陀の名号称ずべし 円満徳号勧専称(正信偈) 称南無阿弥陀仏(観経)


 「南無阿弥陀仏(名号)」という「弥陀の御計らい」が
「真宗」 = 「信心」 = 「念仏」 ですので、
 → 「まったくもって、弥陀のおん計らいなり」 なのです。

なもあみだ なもあみだ
Abc

訂正追記 並びに 和讃を少々

連投申し訳ございません、Abcです。

>難思議光に帰命せよ 弥陀の一乗帰命せよ

としるしましたが、
「難思議光に帰命せよ」は「難思議に帰命せよ」(浄土和讃)で
「弥陀の一乗帰命せよ」は「悲願の一乗帰命せよ」(浄土和讃)です。

また、そのほかの和讃として、

「小慈小悲もなき身にて 有情利益おもふべし
 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」 と詠まれたり、

「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀の弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」と詠まれています。

「小慈小悲もなき身」は別の箇所では「有漏の穢身」、「無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて」などとも詠まれ、「この生死の苦海(生死輪転家)を離れることが出来ない自力の凡夫」といわれています。上の和讃、上の句は「自力の凡夫であるからこそ有情利益(弥陀の利益)を思わなければならない」と言う意味です。

※この和讃の別として「有情利益おもうまじ」というのもありますが、こちらは「自力での有情利益を思ってはならない」という意味合いです。

上の和讃、下の和讃ともに、
「如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」
「弥陀の弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」と

「弥陀の本願を船で例えられています」が、高森さんがいう「暗かった人生が明るく楽しく転回する」と言うことはございませんので、留意しておいてください。

Abc

Abcさんありがとうございます

わかり易い解説ありがとうございます。本願を信じ念仏すれば仏になる。ということですね。
それは、という状態になる、山も山さんは関係性をいうと言われました。
そこに何の不足もないのに、自分で勝手に順位をつけて、信心が起きて(人それぞれのなんだかよくわからない、親鸞聖人が言っておられない体験)その後に念仏一行になり、ありがとう阿弥陀様と御礼をいうのが念仏。これが親鸞会とそれに類する人(金星人さん)の信心ですね。
 勿論、逆の阿弥陀様一仏に向かって念仏しました、インフルエンザを治してくれとか、歯が痛いのを治してくれ、なんてこれっぽっちも思ってないです。祈願祈念してません!そうするとその後歓喜喜びが溢れました。簡単に達成出来ました。これが易行なんですね。歓喜喜びがあるから証なんでしょ。教行信証の行巻読めと言われたけど本当でした。救われました。(金星人さんの過去の発言を意訳)
 う〜んどちらもAbcさんの説明された真宗の真実信心ではないようです。金星人さんわかってください。そしてその裏でコソッと見ておられる人々もです。「私が」を捨てて本願力に帰してください。なんまんだぶなんまんだぶ。

すみません連投です

〉「暗かった人生が明るく楽しく転回する」と言うことはございませんので

確かにその通りでした。暗い人生が絶対の幸福という相対的幸福の延長の最上級の喜びに転回したのでなく、「私が」歩んでいた人生が「阿弥陀様」が誓われていたのが人生と気付きました。生死は連続で一如。往相と還相ですね。なんまんだぶなんまんだぶ。

Re: チュウビさん

ご返信ありがとうございます。

>本願を信じ念仏すれば仏になる。ということですね。(チュウビさん)

左様でございます。ただ注意すべき点は、「本願を信じ」の箇所を
「私の力にて本願を信じ」ではなく「弥陀より賜りたる信心にて本願を信じ」です。
われわれ凡夫は、「われこそは われこそは」とすべて「私主体」で論じてしまうところが「落とし穴」となっているのです。

「念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なり」(『歎異抄』 第8)

>生死は連続で一如。往相と還相ですね。(チュウビさん)

左様です。往相はご存知18願で、還相は18・22願です。
親鸞は「往還回向由他力」と『正信偈』にて言われており、
著書をしめしますと、『如来二種回向文』がそれにあたり、

「これは如来の還相回向の御ちかひなり。これは他力の還相の回向なれば、自利・利他ともに行者の願楽にあらず、法蔵菩薩の誓願なり。「他力には義なきをもつて義とす」と、大師聖人(源空)は仰せごとありき。よくよくこの選択悲願をこころえたまふべし。」(『如来二種回向文』 より)

と締められています。すべては弥陀のおん計らいなのです。

なもあみだ なもあみだ
Abc

チュウビ様へ

火星人は一念覚知にこだわっていましたが、論文には論ずる事ではないと書いてあったので、これ以上は論じません。
確かにあのアニメは信心決定病を助長していると思いました。
自力の人は頭に獲信概念図を描いて、自分で作った横の線を猛進しようとします。廃悪修善とか宿善任せだとか必堕無間だとか発破をかけられて猛進です。
しかし、横の線は無限であり、絶対に縦の線とは繋がってません。絶対に不可能な事を永遠に行学せよと言うのが親鸞会です。絶対に不可能な事を全力で求めている人の未来はどうなる事でしょうか?
親鸞会は、真実を餌に、方便とカルトがごちゃ混ぜになって珍しい法を説く宗教団体になっていると思いました。信心が先で念仏が後ではなく、念仏が先で信心が後でもなく、同時だと思います。現生利益を願っての念仏は効力がないだろうと疑って唱えたのは確かです。現に念仏唱えて激痛が治る事はありませんでしたが、念仏を称えて仏恩の深き事を思い知らされました。
廻心について講師に質問した時に、「疑情が無くなるだけで他は何も変わらない」と言われ、「もっと真剣に聞かないと間違うよ」と言われた事を捨て台詞の様に返信した事を怒っているのだと思いますが、それを切っ掛けに、こうして淳心房達から正しい浄土真宗の教義を教えて頂く立場になりました。親鸞会を信じるか信じないかは疑煩悩であり、関係ない事だと思います。間違いは間違いとして聞けばいいだけです。
講師は「何も変わらない」と言ってますが、会長は「絶対の幸福にガラリと変わる」などと違う事を言ってますし、TENさんは「主役が阿弥陀仏に転じ変わる」といいます。「本願まことと深く信じて念仏申すべきものなり」と蓮如上人は仰り、「念仏と信心は一つであり、同時に弥陀から賜るものである」という事であり、これ以上論議する事はチュウビさんの嫌いな「計らい」になると思います。主役が阿弥陀仏になるというのはTENさんの味わいだと理解できました。主役が阿弥陀様になってない人は往生出来ませんという根拠があれば教えて下さい。

金星人さんへ

> 主役が阿弥陀仏になるというのはTENさんの味わいだと理解できました。主役が阿弥陀様になってない人は往生出来ませんという根拠があれば教えて下さい。


味わいじゃないです。通る道です。あなたがまだ通過していない道です。

「念仏を主人とし、煩悩を客人とせよ」(法然上人)

「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」(蓮如上人)

あとリンクを2つ貼ります。
よく読んでください。

http://www.shin.gr.jp/hogo/2018/10.html

http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9253buppouwoarujitosite.htm






Re:金星人さん

おはようございます、Abcです。

>主役が阿弥陀仏になるというのはTENさんの味わいだと理解できました。主役が阿弥陀様になってない人は往生出来ませんという根拠があれば教えて下さい。
(金星人 さん)

これは「TENのあじわい」どうこうと言う話ではありません。

TENさんは、「客人」という観点で答えているので私は「自力・他力」の観点から簡潔にお答えいたします。というより、「チュウビさんへ」というコメントにほぼ全て書いてはありますが、再び抜き出します。

命題:主役が阿弥陀様になってない人は往生出来ませんという根拠

根拠:
 「捨自帰他」 「自力を主体」を捨て、「他力(阿弥陀さま)を主体」に帰せよ
 「義なきを義とす」 「自力を主体という義ではないこと」を「浄土教の義」とします
 「決以疑情為所止   「自力を主体」という「疑情」が廃ることにて、
  速入寂静無為楽  寂静無為の楽(みやこ)に速やかに入るのです。 
  必以信心為能入」 
   「他力を主体」という「信心」をもって必ず能入と為すのです。(正信偈)
 「行者のよからんとも、またあしからんと思はぬを「自然」とききて候」

 等々 です。

つまるところ、「自力をつのりとし名号をとなえる」 「私が主体」ではなく、
「弥陀をつのりとし名号をとなえる」 「弥陀が主体」なのです。

Abc

追記
ここに記した文章の「どのような意味なのか」と疑問をもたれたならば私にコメントしてください。よろしくお願いします。

TENさんへ

l理解力がなくて申し訳ありませんでした。また体験談で恐縮ですが語ります。
光に向かう筈の無限の横の道を歩き続けた結果、待っていたのはこの世の自業苦でした。自業苦の中で「そのままだぞ」と声を聞き、疑情が晴れました。
それで置かれている現状は変わったのかというと、何も変わりませんでした。それどころか問題は一層に深刻になり、真実の上に立ってなかったら、苦に責められて確実に自殺に追い込まれていたと思います。
心を仏智に立てる事が出来、深刻な世間の問題が夢幻として映り、財産を騙し盗っていった憎い犯人を哀れむ心すら起こりました。お金が全てだと思い悪を行い悪道に堕ちていく犯人。憎い犯人も私から盗みとったお金を縁にして本願を聞けたらいいなとさえ思いました。「打つ人も打たれる人も皆ともに、ただひと時の夢の戯れ」。これが世間の事が客人であるという事で、「ただ仏教のみがまことにておわします」。これが主人である。
TENさんは、信心決定したらその様な心になるという事を「私と仏が入れ替わる」と言ったのであれば、納得できますし、よく分かります。

Abc様へ

Abcさんが常々に言われていた事に、その様な深い意味があるとは知りませんでした。
「自分が主体」というのは「自力が主体」という事で、
「仏が主体」というのは「本願念仏を旨とする」という事であり、「廻心して私と仏が入れ替わる」「主体がかわる」という意味がやっと分かりました。
色々とご教導して下さりありがとうございました。
理解力が乏しくて申し訳ありませんでした。

No title

>光に向かう筈の無限の横の道を歩き続けた結果、待っていたのはこの世の自業苦でした。自業苦の中で「そのままだぞ」と声を聞き、疑情が晴れました。

よく言って土蔵秘事、普通に見たら外道の啓示。
これを胸張ってコメントする感覚が、異星人。

金星人さんへまたも脳内変換してますよ

金星人さんは一念覚知ではないか?と淳心房さんに指摘されました。山田勧学の論文を、金星人さんは読みました。高森爺さんに対する善知識だのみからくる一念覚知、歓喜正因、地獄秘事等書いてありました。でも金星人さんは違うという。
しかし貴方が語る内容は、殊更に過去の信心決定した瞬間の話をしてそれが証という。しかも内容は一旦地獄に堕ちてから踏み台にして声が聞こえたら、浮かび上がって喜びに満ちたという。喜びがあったことが証という。この貴方が毎回語る内容と、論文に出てくる、こんなことが知りたいの高森の信仰と寸分違わず一味ですね。批判を躱す為に、論文には論ぜすとあるから議論しない!と脳内変換してますね。一念の過去の年月日時に、覚えがあるとかないとかを論ぜずです。なぜならそこが証なのでなく今、信仰徹底しているかいないかを問題とせよ。ということだからです。
論文の内容と自分の信心は違う。異安心ではないと言っても誰もそうと思いませんよ。更に私が、「議論は計らいが入るから嫌いだ」と、私を、ダシにして議論の終結を狙おうとしても、私はそんなこと言ってません。過去の発言で言ってましたか?私は、蓮如上人の言葉で聞書から、ものを申せ〜をあげました。生死出づる道です。大いに議論しましょう。間違いは直せば良いのですから。
ということで、結論は高森爺さんと金星人さんの信心は同じだと思います。それは私たちの真宗の信心と違います。高森を慕うのは煩悩ではないです。疑情です。だから、それぞれだから高森爺さん慕って良いのだとはなりません。高森に先導されて、火坑に墜つです。理由は本願説いてないからです。論文は昭和50年ぐらいだと思います。私が親鸞会に入るずっとずっとの昔に親鸞会は論破されてました。なので金星人さんが言う、10年ぐらい前は本願説いていたのは皆さん知ってるでしょ、は嘘ということになります。そして高森に少しでも疑いがあるなら山に籠もらず、ご自身の信仰これで良いのか考えてください。
 私目線から阿弥陀様目線になるという根拠をひとつ私もあげます。選択本願念仏集の最後に、結論ですね。
選んで正定業を専らに修めよ。正定業とは、即ち仏のみ名を称するなり。仏の本願によるが故なり。です。仏の本願によるが故なりが有り難いですね。選んでくださったのです。私は一ミリも介在しません。なんまんだぶなんまんだぶ。

Re: チュウビさん

こんばんわ、Abcです

>私目線から阿弥陀様目線になるという根拠をひとつ私もあげます。
選択本願念仏集の最後に、結論ですね。
「選んで正定業を専らに修めよ。正定業とは、即ち仏のみ名を称するなり。仏の本願によるが故なり。」  です。

さようでございます。このようないわれがありますから私のところの寺名は、

「高田山 無量寿院 伊勢専修寺(本山) 下野専修寺(本寺)」と申し上げるのです。大谷は、「叡山の反対により「専修寺」という寺号を取り下げた」と言われていますが、「弥陀仏のみ名を称することを専らに修め」ていたら文句が飛んでくるのは当たり前です。 「真宗高田派」と名を改める前(江戸時代まで)は「真宗専修寺派」と号しておりました。

Abc

それは「聞いた」ことにはなりません ①


金星人さん、ご自身の体験談の披露ありがとうございました。

あなたはある時は上から目線で「私は救われたのだ、お前らには分からないだろ」とおっしゃいます。またある時は下手に出て「私はこれだけ苦労して求めたんです」とおっしゃいます。ですが、どのようなおっしゃり方をしても、「主体が転換していない」うちは、「聞いた」ことにはなりません。何度も言うように、どれだけ親鸞会で聞いたとしても「主体の転換」は果たせません。

あなたは今回は苦労話をおっしゃいましたが、すべて主体が「私」です。上記の体験談にも「弥陀が苦労した話」がひとつもありません。それが主体が転換していないということですよ。

 私が求めて
 私が苦労して
 私が聞いて
 私が救われた。

阿弥陀様はどこに出てくるんですか?
不思議な声の時だけ登場ですか?
そういう登場の仕方をドラマでは「脇役」と言いいます。

「私が不思議な声を聞いた」というあなたの体験談では、「私」が主人公で「不思議な声」が脇役となります。 

なぜそのような体験談しか話せないのかというと、会長がそのようにしか説けないからです。「衆生救済のドラマ」を「私が阿弥陀如来に救われるドラマ」としか説けない会長の下で聞いているから、そのような体験しか出来ないのです。そしてその体験が聖人の教えと異なっていると分からないのです。

では、真宗ではどのように教えられていると思いますか?

それは「聞いた」ことにはなりません ②


2.真宗ではどのように教えられているのか

真宗では「阿弥陀如来が私を救うドラマ」だと教えられるのです。

私がいまお世話になっている先生は「救助隊」に喩えて教えて下さいます。「私」は助けられる側、「救助隊」は助ける側です。もし山で遭難した私が救助隊のヘリコプターに助けられたら、みなさんが褒めたたえるのは救助隊です。
金星人さんが信頼を寄せている「山も山さん」のブログより引用します。

『私は救われましたという法話がないのは、法話というのは基本的に阿弥陀仏のお働きを褒め称えるものだからです。なぜなら、阿弥陀仏に救われたと言っても、私は何もしていないので、自分のことで語ることはありません。例えば、九死に一生を得たような場面で、自分の機転や行動に関係なく救助隊の人に救助された人は、仮にその体験を語るにしても、「自分は何もしてないのですが」という前提で話をするしかありません。その上で話をするとすれば、「救助隊の方がどう苦労をされたのか」という話をするしかありません。』

「救われた自分」を讃嘆するのではなく、「救って下さった阿弥陀如来」を讃嘆するのが浄土真宗です。自分の苦労を語るのではなく、弥陀のご苦労を語るのが真宗です。昨日コメントをくださったRC様も弥陀のご苦労を語っていましたよ。あなたは読まれましたか?

ですから、あなたが欲している「求道の苦労話」「一念の体験談」のようなものはブログを漁っても、お寺をめぐっても聞けないと思って下さい。
そして自分と同じ信仰の篤信者をどれだけネットで探しても「求道の苦労話」を自慢する金星人さんと同じ信仰の篤信者には出会えないと思います。
その理由は篤信者の皆さんは主客が転倒したからです。

それは「聞いた」ことにはなりません ③

3.「主客転倒」することで「本来の関係」になる

「救って下さる弥陀が主人で、救われる私が客人」というのが「本来の弥陀と私との関係性」なのです。それが転倒して「自分が主人、弥陀が客人」とさかさまになっている。これはおかしな状態です。

このおかしな状態が、弥陀の本願力によって転倒します。主客が転倒するのですが、よくよく考えれば、「さかさまだった私の考えが、本来の関係性に基づいた考えに戻っただけ」なのでした。
その「本来の状態」が「衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし。これを聞というなり。」の聞き方です。
ですから、もし不思議な声を聞く体験をしたのだとしても、「主客の関係性が本来の正しい状態」になっていない人は「聞いた」ことにはならないのです。

それは本願寺のご法話で明らかに説かれています。

あなたに紹介した森田真円先生のご法話の中で「さかとんぼり聞いておったー!」(今までずっと逆さまに聞いていた!)という女性の話が出てきますよね。そのことですよ。

本願寺派だけでなく、真宗十派どこにでも正しく説かれる先生はいらっしゃいます。Abcさんもその御一方です。

説けないのは親鸞会です。

それは「聞いた」ことにはなりません ④

4.信心決定病

「主客の関係性が本来の正しい状態」にある人は仏願の生起本末が素直に聞けるのです。逆に「主客が間違って転倒したままの人」は素直に聞けないのです。

「素直に聞けない」とはどういうことかと言いますと、「阿弥陀如来が私を救ってくださる」と聞いても「おとぎ話にしか聞こえない」「雲をつかむようで遠く感じる」「私が聞きたいのは、どうしたら救われるかの方法なんです!」「私が聞きたいのは体験談なんです!」という気持ちが起きる人です。体験談をむさぼる金星人さんのことですよ。

これを信心決定病といい、自力の心と言います。

信心決定病はこのブログで林遊さんがお書きになり、また淳心房さんがただいま書かれていることです。ですので、淳心房さんや林遊さんがお書きになっていることをよく読んでください。

いまだに自力が廃らず、信心決定病にかかっているのは金星人さん、あなたですよ。

それは「聞いた」ことにはなりません ⑤

先に紹介した本願寺派勧学の森田真円先生の御法話の動画があります。リンクを貼るのでぜひ聴聞してください。

https://youtu.be/6uSCoFITYgU

今日は夕方まで仕事をして、その後はお客さまとの新年会でした。
すぐにお返事したかったのですが遅くなりました。金星人さん、ごめんなさい。

「信心決定病」と「救済の予定概念」

稲垣瑞劔師や増井悟朗師の「信心決定病」や「救済の予定概念」の指示によって、高森顕徹氏の呪縛から逃れた親鸞会会員の人は多いのでしょうね。
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/?mode=m&no=155&m2=res&page=1

脱会者の方が「救済の予定概念」という語を連発するので何のこっちゃ?とかつては思っていたものでした。
どこかで淳心房さんも述べていましたが、高森親鸞会での真宗用語の定義がはちゃめちゃなので会員の方は、いわゆる短冊教学以外の仏教概念を知らないので、自ずから「因果の道理」という語に騙されたのでしょう。「自業苦」(たぶん地獄にかけた造語)という『大正蔵経』にも無い語を見かけましたが「自業自得の救済論」という因果を超越した「大悲の必然としての救済論」である「誓願一仏乗」という、なんまんだぶの浄土真宗の本願の教えを知らないからだと思ふ。
http://www.hongwan.net/index.php/%E7%9C%9F%E4%BB%AE%E8%AB%96%E3%81%AE%E6%95%91%E6%B8%88%E8%AB%96%E7%9A%84%E6%84%8F%E7%BE%A9

ともあれ、淳心房さんがしばしば述べていたように、浄土真宗のご法義は弥陀→私というベクトルのご法義であって、これを本願力回向と御開山はおっしゃるのでした。回向のベクトルが違うのです。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%96%E5%8A%9B

浄土真宗では「救い」を強調するので現世利益と誤解されやすく、それが「絶対の幸福」という語に幻惑されて、欲望という煩悩に騙される一因でもあるのでした。ようするに会員は自己の欲望を実現する「絶対の幸福」の為に仏教の教義を利用しているのですが、この高森顕徹氏の自己の求道という煩悩が実現するのだ、とする主張の教義に騙された/騙されているのが高森会の会員なのでしょう。
仏教とは、仏陀と同じ「正覚」を得ることを目的とする法義であって、まるで金魚すくいのように凡夫が描く「絶対の幸福」という現世の救いを説くご法義ではないのでした。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B8%88%E5%BA%A6

御開山は、御消息の一通で「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と仰っておられるのはその意です。

そんなこんなで、浄土真宗における「他力」という語を考察すれば、淳心房さんがいわれていたベクトルの方向が判るかもでした、知らんけどね(笑
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%96%E5%8A%9B

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

金星人さんが人にお伝えする場合は?

もう一つ、金星人さんは今は質問する側ですね。では貴方の信心決定した喜びを今現在苦しんでいる方には、どうお勧めしてお伝えされますか?例えば、山も山さんのブログで南無阿弥陀仏が分からず、苦しまれていてずっと質問されてる切実な方に何を伝えますか?それから、今親鸞会を辞めようとしている人にはなんて言いますか?まだ親鸞会の中にいる会員さんには?、、、、「昔は高森会長良かったけどね〜」なんて他人事のようなコメンテーター的な答えでなく、具体的に、答えてもらいたいです。

林遊さんの言われるとおりです。

まさに言われる通りです。信心決定病、救済の予定概念、あと、念仏書いてないから信心一つなんて嘘を叩き込まれてましたので、真逆に振れて縁他力とか。それからこれは、林遊さんがどこかでザクっと辛口コメント「高森の次は、また嶋田さんに騙されるのですね〜」の善知識探し。これも刺さりました。その時は分かりませんでしたが、なるほどそういうことかとわかりましたが、言われた側は堪らんな〜と。
 それから私などは、大学生からの会員でしたので、素直に高森教に嵌まって一年後には、自大キャンパスや他大学のキャンパスで勧誘員になってましたよ。「如来聖人高森先生の御恩に報いるのは今しかない!フルナ尊者のように外道の中に斬り込んで行くのだ!(アニメであるのですそんなのが)今日は何人に声をかけます。と学生部長に電話してAT(アタック)してました。こんな感じで浄土真宗でなくてカルトでした。カルトは怖いです。同じ釜の飯を食べても、裏切り者扱いなので、もしかして殺されるかもと思います。脱会する時も、今まで仲良かったのに、脅迫されましたよ。潰すぞ!と。それがカルトの実態ですね。
本当に嶋田さん、近藤さん、瓜生さん、宮田さんなど暗殺か?大丈夫?と思います。飛雲さんや淳心房さんもすぐ特定されますから同じだと思います。ずっとこんなことしてかれるかと思うと頭が下がります。金星人さんも絶対親鸞会から特定されてるから、寧ろ危険人物となって殺されかねないですよ。早く抜けて逃げてください。高森爺さんの死期が、近づくに連れて恐ろしい最終指令が下されたり、若しくは、信者側が殉教者を気どってテロを仕掛けたりしないかなと、、、
もう今こうしているのは、嘘塗れでしたけど、ただ親鸞聖人というワードにのっぴきならない強い引っ掛かりがあったのです。宿縁です。阿弥陀様のお陰様です。そして親鸞会とも業縁でこれからも関わって行くことと思います。まあしょうがないですね。なんまんだぶなんまんだぶ。

No title

金星人さんも林遊さんも似た者同士ですね。
相手にしてくれるのは、ここだけですから、脱会者を罵らず大切にしましょうね。

でも、宿業が脱会者を謗らせるので、仕方がないのですね。
林遊さんが歎異抄を出して言いたかったのはそういうことだとわかりました。

引きこもりにならなくて良かったですね、寛容な脱会者に感謝しましょうよ、謝罪は無理でしょうからさ。

金星人さんへ

もし強烈な体験をしてしまったのなら忘れられないのは仕方のないことです。
仮に忘れろと言われても忘れられるものではありません。
他人にはわからない苦しみかもしれません。

でも過去の体験にしがみつく執着の心が照らし出されているのを見つめることはできます。
今阿弥陀様が護って下さっているお働きがあれば、それはできます。
ぜひ一緒に白道を歩ませて頂きましょう。

>>淳心房さん

空気を読まず、コメ欄の流れをぶった切ってすまん。

件の質問回答を整理しようとお聖教読んでるのですが、証巻、真仏土巻を初めて通読しハマってます。
原文は難しいので今は主に現代語訳を読んでるんですが、すごいなと。
当たり前ですが、お経の内容は凡夫の浅智からは絶対に出てこないお言葉の連続で、成仏した時に初めて分かるのでしょうが、それでも迷いのまっだだ中にいる我々の側に立って巧みに表現されていて、引き込まれるように読み進めてしまいます。
「勉強せねば!」となると、途端にやる気がなくなるタイプなのでマイペースでお聖教と親しんで行こうと思います。

質問回答をザックリ書くと、お浄土に居ながら縦横無尽に還相回向できるから、心配いらないとの事でした。
あくまでも例えですが、俺が成仏した時「嶋田さんと話したいんだけど、居ます?」「あぁ、嶋田さんは今還相回向に行ってるからいませんよ」ということではないということだと思います。

昨日は仕事だった事もあり、布団から出られたのが15時だったので埼玉慧日会には行けませんでしたが、俺なりにお念仏と共に御恩報謝の1日を送っていきたいなと思います。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

Re:R1000さん

こんばんわ、Abcです。

>件の質問回答を整理しようとお聖教読んでるのですが、証巻、真仏土巻を初めて通読しハマってます。
原文は難しいので今は主に現代語訳を読んでるんですが、すごいなと。

R1000さんは、いまそれらの本を拝読なされているのですか。
「例の質問内容」はあまり存じ上げておりませんが、
「教行証」にて論じられていることは、常々のべている
「弥陀を主人とし、 わたくしを客人とせよ」と「仏を主人」として記されておりますゆえ、私から述べられることはこれくらいであります。

 このような言い方をしますと大谷より怒られてしまいますが、
R1000さんが仰られているように「勉強の為に読まねば!」とは思わずに、
「小説を眼で追うように読まれる」のがよいかと思われます。

仏教の殊に真宗は「みなみな弥陀のはからひ」でございます。
R1000さんがそのように「証巻」、「真佛土巻」をご拝読なされることもまた弥陀の縁(えにし)にてございます。

なもあみだ なもあみだ
Abc

R1000さま

はじめまして。

件の質問回答とは、

> 阿弥陀さまの22願力で還相回向する際、釈尊のようにまた迷いの世界で苦しみ、悟りを目指さなければならないのでしょうか。せっかく成仏しても、また今のような苦しみを味あわねばならないのでしょうか。

という御法話の先生への質問についてでしょうか。私も淳心房さんと同様に、その質問に対する先生のお答えを聞きたいと思っていました。(ザックリと、なんておっしゃられずに、詳しくお聞きしたい内容でした)

読ませて頂きました。ありがとうございます。
(淳心房さんへのコメントを横からすみません)

Re: R1000様

TENさん

> > 阿弥陀さまの22願力で還相回向する際、釈尊のようにまた迷いの世界で苦しみ、悟りを目指さなければならないのでしょうか。せっかく成仏しても、また今のような苦しみを味あわねばならないのでしょうか。
>
> という御法話の先生への質問についてでしょうか。

ですです。

R1000さん大丈夫です。正直、己の体験を語りまくり、それを元に信心を語るということについての応酬だったので(;^ω^)

私も証文類や本を読んで、これが不動而至ということかと勉強になりました。「え~また迷いの世界に戻ってきて苦しまないといけないのか~」と還相を捉えてはいかんということですね。親鸞会の会員だったとき、還相と聞いてこんなことを思い浮かべてしまった私ですが、そんなことではないんだと分からせて頂きました。ありがとうございました。

Re: Re: R1000様

ところで、起きたのが15時でしたか・・・そりゃマニアいません罠(;^ω^)

私は娘2人(4歳と1歳)を連れてご縁に遇わせて頂きましたが、序盤下の娘がギャーギャー騒いで先生やお同行の方々にご迷惑であったと強行突破を反省しております・・・この場で皆さんにお詫び申し上げます<(_ _)>

以下、自身の振り返りを兼ねて、寝かしつけや睡魔諸々と格闘しながら聞いたことを振り返ります。

南無阿弥陀仏のはたらきを「行」といい、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて疑い無いのが「信」。『教行証文類』は行を17願、信を18願で示されている。無量寿経の内容を真実五願(11、12、13、17、18)で示されたというのが『教行証文類』の往相の説かれ方だが、では無量寿経の何を五願に開かれたのか。本願(18願)か。本願成就文か。それによって見方が変わってくる。これについての論文は大分進んでいるそうで、前にこのことを記事で書いた時は周りからボロクソに言われたので、私としては論文を待つよりありません。

本願が成就したすがたである「いまの南無阿弥陀仏」が往生の定まりたる証拠である。信心を頂いて参ろうとか、己の体験とか、そんなものはみな計らいであると切り捨てられたのが自分の中では痛快でした。ちょうどコメント欄で議論になっている内容なので。

あとは、念仏往生と平生業成の関係ですかね。これについてはもっと自分の調子が良い時によくお聞きしたいと思いました。RCさんもこれを質問されていましたが、俺も少し混乱しています。

三業惑乱とか、無帰命安心についても触れられていました。また、如来のはたらきを聞かせて頂きなさいと教えられてはいるが、私達の生き方については「こうしなければならない」というのは言えないともありましたね。末灯鈔などは、「皆さんの様子を見聞きしていると、とても18願の信心を頂いた人ではないと言わざるを得ません」という内容で書かれてあり、蓮如上人の作られた掟は、無安心の者に対して作られたんだと仰せでした。南無阿弥陀仏のいわれを聞いて計らいが無くなったなら、好き勝手に何をやって生きていってもいいと放逸無慚になったり、この教えが一番だと大道路地で人目もはばからず公言するとか、あるいは同行をあなずるなどということは無いはずなんだが、と言われていましたね。これも今のコメント欄を見ながらそうだよなと思い、また自身の生活を振り返ってとても御恩報謝の生活とは言えないなと反省させられました。

勿論、聞いた内容や書かれていることで「これは違うんじゃないか」と思う部分もありますが、それはそれとして、南無阿弥陀仏のおはたらきを聞かせて頂いたよいご縁でありました。詳しい内容はRCさんがまた投稿して下さると勝手に期待しております(笑)なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ・・・

みなさまへ

おはようございます、Abcです。

>> 阿弥陀さまの22願力で還相回向する際、釈尊のようにまた迷いの世界で苦しみ、悟りを目指さなければならないのでしょうか。せっかく成仏しても、また今のような苦しみを味あわねばならないのでしょうか。 (質問内容)

ふむ... こちらの質問でございましたか。
わたくしが前に「9願文」を記した際のを再投します。

再投箇所
---
22願 還相回向願 一生補処の大願
親鸞が「如来二種回向文」に示されている、
「還相回向といふは、『浄土論』にいはく、「以本願力回向故是名出第五門」と。これはこれ還相の回向なり。」であり、この「迷いの衆生」に弥陀願をひろめんがための願です。
「往還回向由他力」といわれているように「これも他力回向のひとつ」です。

23願 供養諸仏願
別エントリーでも記しましたが、「弥陀願をひろめるために浄土を離れたいと願うならばどうぞ離れてください」という願です。そのため「22願の補願」とも見ることができます。
---

この中にて私が言っている、「「往還回向由他力」といわれているように「これも他力回向のひとつ」です。」でございますので、これもまた「弥陀にまかせること」であります。

また『高僧和讃 源空抄』にて、
命終その期ちかづきて 本師源空のたまはく
 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし

とあり、「往生みたびになりぬるに」のリンクに飛びますと、
「インドでは声聞僧、中国では善導として往生し、いま日本の源空として三たび往生することをいう。(高僧 P.597) 」 とございます。

ですから、淳心房さんがいわれる「「え~また迷いの世界に戻ってきて苦しまないといけないのか~」と還相を捉えてはいかんということですね。」です。

「迷いの衆生を化さんが為に、弥陀のおん計らいにて此岸に還ってくる」のです。

なもあみだ なもあみだ

Abc

No title

>>Abcさん

本当に、誓願一仏乗、阿弥陀さまのお一人働きですね。

振り返ってみると、「本当に俺が救われんのかよ」とやさぐれてた時期に勉強会でRCさんに数人の布教師方の録音データを頂いたのですが、アイフォンにぶち込んで電車の中で聞いたり歩きながら聞いたりと、「スーツ着用+正座が聴聞のあるべき姿である!」的な親鸞会時代からは考えられないような自由な聞法してましたねw
今でもお寺でお聴聞するときは椅子席でなければ正座で聞かせて頂いていますけれど。


>>TENさん

初めまして。

その書き込みをした際、遠方に住むお同行からメールを頂いたのですが、やはりその方が参加される勉強会などでも同様の質問は出るそうです。
「釈尊のご修行はハードすぎて俺には耐えられそうにないす。親鸞会での話しだから真偽の程は知らないけど、鳩を助ける為にご自身の肉を削ぎ落としてワシに与えたとかいうエピソードあったじゃないですか。ムリっす」とかご法話の休憩時間にRCさんと話していて、丁度ご法話再開後に「今までの話で何か質問はありますか?」と言われたので聞いてみた次第ですw
「遊煩悩林現神通入生死薗示応化」のご文も出されました。

回答内容を簡潔に書ければいいのですが、まだ自分の理解が浅いもので、雑で済みません(汗


>>淳心房さん

昨日のお話の内容を教えて下さり、有難うございました。

ご法話中に赤ちゃんや子供の声がするの、俺はほっこりするというか、結構好きですよw
たまに実家で姪っ子どもとバッティングする時があると絡まれてクタクタになるまで遊ばされるのですが、子供ってなんであんなに元気なんでしょうね。
そのパワーの10分の1でも分けてもらいたいもんですなw

無始より生死を繰り返してきて、今生が最後の迷いの生となってしまったわけですし、出来れば皆仲良く共に法を喜びつつ、阿弥陀さまの元へ向かう人生を送りたいですね。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏




まずはお礼まで

廻心とか、主体が入れ替わるという意味が良く理解出来ませんでした。
親鸞会の講師からは、廻心転入廻入とか言って高森先生は説いているからもっと真剣に聞きましょうなどと言われ、謗法と闡提の心が翻って本願を聞く事なのかなと勝手に解釈していました。
このブログで、Abcさん、林遊さん、淳心房さんには、色々な文献や聖教の言葉を出して、丁寧に分かりやすく教えて頂き、本当にありがとうございました。TENさんやチュウビさんにも色々と心配して頂いてありがとうございました。説く人、知識の違いがよく分かりました。浄土真宗の正しい教義が知りたいので、これからも大人しく見させて頂きたいと思います。

No title

>光に向かう筈の無限の横の道を歩き続けた結果、待っていたのはこの世の自業苦でした。自業苦の中で「そのままだぞ」と声を聞き、疑情が晴れました。

それで、これが救われた証拠だというのは、撤回するのですか?

1.救われたけど、正しい教えを知りたい
2.救われたというのがあやしいので、正しい教えを聞いて救われたい

どちらですか?

SUさんへ

「そのままだぞ」と聞くまでの道のりは人それぞれ違うので、体験を証とはしません。因果の道理が間違っているとしか思えない最悪の事態により、多生金輪際助かる縁が全くない自己に、「そのまま必ず助ける」という本願名号が届きました。本願に何も不足がないので、後生の為に聞く事は一切なくなりました。
信心を獲て教学が出来る様になった訳でもなく、親鸞会しか知りませんでした。SUさんと係ったのが縁で、浄土真宗の教えは親鸞会とは違う事が少しづつ分かり興味を持ちました。親鸞会と違ってしっくりとします。
求道で苦しんでいる人には「そのまま助ける本願だ」と何度も言い続けてきました。苦しまない人や絶対の幸福になれると思っている人は「そのまま求道」だと思って無視してました。高森先生に絶対服従など出来る訳ないのに出来ると思っているめでたい人、弥陀の本願が聞けると思っているめでたい人だと思ってました。

No title

結局、質問には何も答えないんですね。

No title

退会者は質問に真面目に答えますが、それ以外の人はそうでないんですね。

No title

間違っていた高森会長の教えを聞いてきて、他の先生から教えを聞いてはこなかったが、ある時救われた。

結論は、

「正しい教えなど聞く必要がなく救われる」

だそうです。
何を言っても体験談、救いと教えの正邪は無関係。
救われた立場で、「正しい教えとやらを聞かせろ」

これが金星人の心。

金星人さん

以下は1ヶ月前にあなたが私にくださったコメントです。
---------
タイトルなし
念仏誹謗の疑情は必ず破ると誓われてますが、その本願を正しく説く仏教の先生を謗る罪は、自覚の有る無しに関係なく必ず報いなければなりません。足頭顛倒しているTENは恐ろしい罪を作り続けている自覚を持ちなさい。自覚を持って謗法闡提を廻心すれば必ず往生できます。それだけは天の言葉として伝えておきます。真実の自己の姿を知りなされ。
18/01/13 火星人
---------

結局あなたは、誰が正しく説く先生なのか分かったのですか?
まだ「如来聖人高森先生」「数百年に一度の善知識」とか言うんですか?
それとも「オレが正しい」「オレが善知識」ですか?
そもそも、このブログに何しに来たんですか?
やっぱりただの「かまってちゃん」ですか?
さかとんぼり聞いておる(足頭顛倒している)自分の姿は分かりましたか?


suさんは簡潔に質問されました。金星人さんの真摯な答えを、私もお聞きしたかったです。ざんねんです。


> まずはお礼まで

そのようなことをおっしゃりながら、また同じ体験談を繰り返すのが金星人さんの特徴・パターンだということは、suさんと私はよく分かっています。礼などおっしゃらなくても結構ですので、ご自身の信仰と向き合って下さい。それが、チュウビさんや私の希望することです。

なんまんだぶ なんまんだぶ

答えになりますか?

阿弥陀仏の本願はまことにておわしますという事です。
それを説く先生を信じて信心を獲得出来たのであれば何も文句を言う必要はありません。TENさんとても同じ事であります。
東條秀樹を導いた加山花袋は信心決定してないそうですが、東條にとっては善知識であり、師を謗られる事は好みません。聖道門の自力しか知らない私を淨土門の他力に導いてくれた人は真仮を知らなくても善知識であります。
体験しかないので体験でしか語る事ができません。それ以上理屈で語っても何もありません。「そのまま助ける本願だ」としか言いようがありません。
理屈や教学的な解釈はTENさんに全てお任せします。私はその解釈を素直に味わうだけです。高森先生が偽物だとしても偽物だったのかと受け止めるだけです。偽物だとしても本願がまことであれば何もあわてる事は何一つもありません。本願まことが根拠にあればこそです。

No title

>高森先生が偽物だとしても偽物だったのかと受け止めるだけです。偽物だとしても本願がまことであれば何もあわてる事は何一つもありません。本願まことが根拠にあればこそです。

やっと本心が出ましたね。高森会長が偽物だから、高森会長の説く本願も偽物なのよ。
さよなら親鸞会のコメント欄で、何百回も教えてあげたこと。
高森会長の本願釈は、

どんな人をも、必ず助ける、絶対の幸福に

これは、全く違うから、こんな教えを聞いて、本願に救われることはないのさ。
親鸞聖人の本願釈を、高森流に言えば、

念仏称えただけで必ず助けると信じた人を、必ず助ける、浄土往生に

どんな人でも助けるのではないんだなぁ。
謗法闡提の者は絶対に助からない、と教えられたのが、善知識。
絶対の幸福に助けると教えたのが、創価学会。
なお、絶対の幸福と正定聚とは、似てもいないし、共通点もない、全くの別物。

更に言えば、高森会長の本願釈で念仏は、

阿弥陀仏は、お礼の言葉まで用意された

だよー。本願の念仏は、往生の正因、成仏の正因で、お礼じゃないよ。

高森会長の本願釈を聞いて救われるのは、創価学会の絶対の幸福に。

お粗末でした。

No title

火星人金星人の名言

念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

念仏往生の願に救われた人は、絶対に言わないし、言えないセリフ。
これを肯定している時点でアウト。

「但有称名皆得往」といふは、「但有」はひとへに御なをとなふる人のみ、みな往生すとのたまへるなり、かるがゆゑに「称名皆得往」といふなり。(唯信鈔文意)

念仏を称える人のみ往生する本願に救われた人が、念仏のみ称える人を馬鹿にすることは絶対ない。

念仏を称える人のみ往生すると信じたのが信心だからね。

どんな言い訳も誤魔化しも通用しないのさ。

Re: 金星人様

> 阿弥陀仏の本願はまことにておわしますという事です。
> それを説く先生を信じて信心を獲得出来たのであれば何も文句を言う必要はありません。

? 金星人さんは高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じているのですか? 疑問が出てきたからTENさんのブログや当ブログに書き込みをしているのではないのですか?

1.金星人さんは高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じている
2.金星人さんは高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じていない

どちらかしかないのでどちらかでお答えください。それと、金星人さんは

> ・信の一念までの体験や行いは何一つとして役に立つもはありません。
> ・信一念の体験は、させられた体験であり、だだ任せるのみであり、役に立つも役に立たぬも論ずることなしです。
>
> と追記もありましたが、結局信一念の体験は後生の役に立つのですか? 立たないのですか? 論ずることなしと仰らずに、どっちだと思っているのか、正直にお答えいただきたいと思います。

の問いにまだ回答して頂いておりません。

1.信一念の体験は後生の役に立つ
2.信一念の体験は後生の役に立たない

これもどちらかなので、これもどちらかでお答え下さい。また、

> 体験しかないので体験でしか語る事ができません

といつまでも体験談にすがり、体験を語ることにどんずわって一向に真宗を学ぶ気がないようにしか見られませんが、善知識方が教え書かれたのは「体験談」ではなく「教え」です。体験談ではなく教えを聞いて救われることくらい分かりませんかね? そんな体たらくで御恩報謝をしようとでも思っているのですか?

私の質問や、他の方の都合の悪い質問に無視していないできちんと答えて頂いてから新たにコメントして下さい。

淳心房様へ

答えているつもりでしたが答えになってませんでしたか。
高森先生については、分からなくなりました。
完全に正しいとも言えないし、信心を獲て大悲を説法しているとも言えません。
実機は逆法の屍だといい、それをも救う本願だという事は正しいと思います。
一念の体験により、信心を頂いて念仏一行になれた事は、往生にとってこれ以上役に立つ事、たのもしい事は他にありません。
しかし、自分で作った体験ではなく、させられた体験なので語りましたが、体験は人それぞれであり、獲信予想図を作らせてしまう恐れがあるので語りません。
教えを正しく知らなければ、人に正しく伝える事が出来ないと思い、淳心房さんのブログを見させて頂いています。迷惑ですか?
昨夜、終電ちかくに駅前で日蓮会なる人物二十人位が、人生の目的は成仏であり、題目唱えて勧誘する事がその道だと勧誘してました。仏教は念仏一行の教えであり、阿弥陀仏の本願を信じよと教えてやりましたが、日蓮が預言された生き仏であり、念仏無間だと騒ぎ立てられました。四人に囲まれて「念仏一行だ」「念仏無間だ」と言い合いになりました。
幸いにメールアドレスを頂いたので、真宗学二号のトマホークで破邪顕正できます。先ずは立正安国論から崩して、カルトにはカルトをもって信心決定病に感染させないと、十八願を聞く機には熟さないと思いました。
あの会は親鸞会とよく似ていて、「顕正新聞」を出版し、四国に一万人が集結したと自慢してました。浅井とか言う教祖が信者から金を巻き上げている様です。親鸞会が真似たのかな?

No title

>教えを正しく知らなければ、人に正しく伝える事が出来ないと思い、淳心房さんのブログを見させて頂いています。

金星人の目的が皆さんにもこれでわかりましよね。

高森会長の教えが偽物でも本願まことだから救われる。

これは

日蓮の教えが偽物でも本願まことだから救われる。
キリストの教えが偽物でも本願まことだから救われる。
麻原の教えが偽物でも本願まことだから救われる。

同じことですわ。

嘘の論理が高森会長よりはるかに劣っていますね。

金星人さんへ

素朴な疑問なんですが、

もし、親鸞聖人がこのブログを見て、あなたの体験談をお聞きになったとして。

1.本願まこと、とは金星人さんの言うような意味ではないよ
2.金星人さんの信心は、私が教えたかった信心ではないよ

とおっしゃったとしたら、自分の信仰のどこがまちがっているのか、聖人のお言葉に耳を傾けるんですか? それとも、聖人が何と仰有ろうとも今の主張を貫くのですか?

Re: 金星人様

余計な言い訳めいた説明は要りませんし、日蓮会云々の話も要りません。

問(1)
1.金星人さんは高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じている
2.金星人さんは高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じていない

過去は1だったが、今は2ということでいいですか? 1または2で答えて下さい。ちなみに私は2です。


問(2)
1.信一念の体験は後生の役に立つ
2.信一念の体験は後生の役に立たない

それで、結局この質問には答えていません。した体験でもさせられた体験でも同じことです。貴方の本心は1なのでしょうけど、一応聞いておきます。これも1または2で答えて下さい。ちなみに私は2です。


今まで高森会長からしか聞いていないらしいですが、suさんの仰る通り高森会長は正しい阿弥陀仏の本願を説いておりませんから、そんな教えを聞いて本願の通り救われることはないのです。加えて自分の体験談を何百回も書いて、その体験を元に信心を語っているのですから、高森会長に言わせればそんなものは「群賊悪獣」「体験至上主義」「自称獲信者」でしかないそうですよ。おそらく読者の皆さんも、金星人さんは偽物をつかまされたとしか思っていません。

本当にこのブログで学ぶ気があるなら、親鸞会教義や親鸞会でした体験は全て捨てて下さい。浄土真宗と親鸞会教義は言葉は似ていますが中身が全然違うんです。また貴方がどんな体験をしたといっても、それは諸行無常の「諸行」に入ります。貴方の意識が阿弥陀仏からさせられた体験だと認識しているだけで、やがて自身の死と共に必ず滅びるものだからです。そんな無常の体験にこだわっていること自体が計らいなんですよ。それを分かってほしくてTENさんもチュウビさんも忙しい中コメント下さっているのに、まだ分からんのですか?

No title

体験談は人それぞれでありますので、何かの間違いだとか言われるかもしれません。錯乱状態でシナプスが繋がり何か閃く事もある筈です。
しかし、そのまま助ける本願だと聞いて、そのままでしたと聞き、その聞いた本願を深く信じて今でも変わる事がないのですから、信心に変わりはありません。自分で起こした信心ならば、変わったり崩れる事がありましょう。
親鸞会がこのブログを見ている訳はないですが、最近特に体験談を語るべきではない。とか、信心決定している人がここに来れば沢山いるよと誘惑する人に注意せよ。とか、盛んに注意を呼び掛けています。不思議ですね。

No title

皆さんもお分かりになられたと思います。
私は1年以上彼の相手をしてきました。全く会話が成り立ちません。それで火星人と名付けたわけですが、その理由はこういうことです。

No title

1はその通りでいいでしょう。
2.は役に立つだと思います。  違ってますね。

No title

金星人さんの本心

俺は間違いなく救われたんだ。
救われたんだから、人に伝えてやるのが任務だ。
だけど体験至上主義では都合が悪いから、理論武装しないとな。
そうだ、退会者を利用してやれ!

救われたことを強調しながら、なおもしつこく教えを請う目的は、こんなところだろう。

No title

創価学会土蔵秘事念仏を唱える金星人の相手をする意味は無いでしょう。
金星人のコメントはスパムに設定しておくのがよろしいかと思います。

どういうことよ

え!、違う信心と認めましたね!夫々の体験でそれで良いとも。はあ、真宗の問答のはずでした。何とかわかってもらいたいと何度も申しましたが、金星人さんは、お釈迦様親鸞聖人より一番高いところにいたのですね。何なら高森爺さんよりも上なんですね。高森会はおかしいが自分は正しい。飛雲さん真偽検証さんで理論武装ですか!何気に我々の言葉をしれっと使い、さも前から分かってたし!使ってたし!とそのカメレオンぶりに驚きましたが、己の信心を理論武装して強化する為のものでしたか!利用されてましたか!私は!

Re:金星人さん

こんばんわ、Abcです。

>一念の体験により、信心を頂いて念仏一行になれた事は、往生にとってこれ以上役に立つ事、たのもしい事は他にありません。

体験・・・ですか。「知恵が人それぞれならば体験も人それぞれ」です。金星人さんがその「体験」とやらに固執しているならば、「弥陀にまかせた」といいながら、「実際には私の体験が弥陀より優れているから」という理由で(事象の優劣という観点で)「獲得名号」ではありません。

私からいいますと「高森は間違っている」です。
 なぜならば、「南無阿弥陀仏」と仏前に掲げながら、「念仏ないから信心ひとつ」や「弥陀の本願を信じるとは口が裂けてもいってはならない」など真宗とは到底思えない発言が多々あるからです。また、「六度万行」、「諸善をすすめる(善のすすめ)」など「諸善往生」を謳っているところも私の目の余るところではございます。
 それゆえに、わたくしも「はやく高森の教えからはなれてほしい」とおもっているのですが中々そうはいかないようです。


 さて、前にも話したとおり私の宗派は真宗高田派です。
その供物の中には「親鸞が直接筆をとられたもの」、「親鸞が直接お運びになられたもの」、「(本願寺は否定していますが) 親鸞が建てるようにいわれたお寺」などがございます。これらは何れも「国宝」として大切に保存されています。
 その供物の中に「帰命尽十方無碍光如来」という名号本尊(うらに方便法身尊号とあります)がございます。
 こちらは天親菩薩が「願生偈」のなかでいわれている名号であり、また、大谷のお仏壇 右脇に掛けられている名号でもあります。

この名号も「『十方』に普く照らし『尽』くす『無碍光如来』に『帰命』します」と言う意味で、私がいつも言っている「弥陀仏(無碍光如来)におまかせ(帰命)する」ということです。(「帰命無碍光如来」は『正信偈』の中にもあります)

最後に繰り返しとなりますが、金星人さんは「わかりました」といいながら、「私の体験が後生の役に立つ」と申していることに私はただゝゞ嘆かなければなりません。私が申し上げることが出来るのはこれくらいであります。

Abc

Re: 金星人様

お答え頂きありがとうございます。

> 1はその通りでいいでしょう。
> 2.は役に立つだと思います。  違ってますね。

問(1)は、金星人さんは、何度も述べている体験をされた当時は高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」と信じていたが、現在は教義に疑問が出てきて高森会長を「正しい阿弥陀仏の本願を説く先生」とは信じていないということでよろしいですね?

問(2)は、金星人さんは「信一念の体験は後生の役に立つと思っている」とお答え頂きました。


また今回、

> 体験談は人それぞれでありますので、何かの間違いだとか言われるかもしれません。錯乱状態でシナプスが繋がり何か閃く事もある筈です。

とも言われています。私は体験談を否定しているわけではありません。体験談を元に信心を語るのが危険な信仰だと言っているだけです。それにしても、金星人さんは「錯乱状態でシナプスが繋がり何か閃く事」を信心獲得だと捉えていることが判りました。

No title

>しかし、そのまま助ける本願だと聞いて、そのままでしたと聞き、その聞いた本願を深く信じて今でも変わる事がないのですから、信心に変わりはありません。自分で起こした信心ならば、変わったり崩れる事がありましょう。

聞いた本願が間違っている。
間違って聞いた本願を深く信じて変わらないから本物の信心だというなら、日蓮も本願を聞いて念仏誹謗の信心は変わらないから本物の信心なのね。
変わらない信心なら、キリストも麻原も池田大作も変わらないから本物の信心になるよね。

言っていることが幼稚過ぎ。

金星人さんへ

4カ月前に私のブログに以下のコメントをくださった金星人さんにお聞きします。
――――
17/10/18
タイトルなし
ちょっと信心を試してみなければ信用出来ないと思いましたが、まずは即答頂き有難うございます。
火星人
―――――

もし、親鸞聖人がこのブログを見て、あなたの体験談をお聞きになったとして。

1.本願まこと、の「本願」とは金星人さんの言うような意味ではないよ
2.金星人さんの「信心」は、私が教えたかった信心ではないよ

と聖人がおっしゃったとしたら、自分の信仰のどこがまちがっているのか、聖人のお言葉に耳を傾けるんですか? それとも、聖人が何と仰有ろうとも今の主張を貫くのですか?


即答できる質問ですので、スルーしないで答えて下さいね。

逆に質問です

親鸞聖人の仰せに耳を傾けようとしない人ならば、淳心房さん達の言う事にも耳を傾けようとはしません。現に耳を傾けて真偽を検証しようとしています。
質問に「はい」か「いいえ」で答えよというのも誤解をまねきます。
高森先生の言う事が100%間違いだというのではなく、真実と方便とカルトが混在していて良く分からなくなったという意味です。
信一念までの体験は人それぞれであり、往生の役に立つものは一つもありません。それを語る事は予定概念を植え付けるのでよくありません。信一念の体験は弥陀から往生一定と賜る体験なので、役に立つも立たないもありません。
逆に質問です。
問1.信一念の体験は覚知できましたか?
 1.火を見るよりも明らかに覚知できた。
 2.何時とはなしに信心を頂いた。
   私は1.なので何度も覚知にこだわってきました。
問2.親鸞会で求道したのは時間と金の無駄であったのか?
 1.全く不必要な事であり、騙されたの一言。むしろマイナスだ!
 2.私は遠回りしなければ信心を頂く事が出来なかった。
問3.逆法の屍の心はあるのかないのか?
 1.そんなのは大沼氏の味わいであり、真宗の教義にはない。
 2.得体の知れない心があり、この心が聞と聞かねば信心が頂けない。

おそらく全てにおいて異なると思います。
大沼氏や華光会は本願寺から異端とされ、それをパクった親鸞会も当然異端になります。ならば、火星人も異端となるのは当然の事です。良く分かりました。
異端であれば浄土真宗は名乗れませんね。でも、親鸞聖人の教えを知る権利はありますよ。耳を傾けるのは当然の事です。

No title

親鸞聖人の教えを知る権利はある。そして、親鸞聖人の信心と異なっていると知る権利もあります。
大沼氏は自分でも告白されていますが、味わいで文章を書かれているのであって、教えとしては危ない解釈が目立ちます。
味わいと教えを区別できず、信心の味わいを教えと錯覚している信心では、大沼氏の信心とも明らかに違う訳ですわ。

簡単な日本語も理解できずにいるあなたが、大沼氏の言っていることが理解できるわけないです。
高森会長でさえ、大沼氏の意図を理解できなかったのですから、高森会長よりも遥かに劣るあなたが大沼氏のことを語ること自体が、滑稽ですわ。

No title

一応教えておkますと、大沼氏は、信前の真宗の同行は皆20願の行者という解釈です。つまり、念仏一行になってはいるが、未だ自力なので、一念の信心を獲て18願他力の念仏を称えなさいという考え方です。
自力と他力の水際を20願と18願で表現されたわけですわ。

要するにだ、念仏一行になった自力の行者から他力の行者に入るという過程を強調されている訳で、その水際に体験があるということなんですわ。

信前の念仏一行を馬鹿にして見下し、罵り嘲り蔑んでいるあなたとは、獲信までの過程も体験も全く違うのよ。

20願から18願に入った人が、

念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えにくるからな

なんて創価学会と同じセリフは絶対に言えないなんだな。

まあ、火星教金星教の教祖のあなたにはどうでも良い話でしょうがね。

逆質問?

まずこちらのシンプルな質問にお答えになって下さいね。

あなたの質問読みました。

シンプルな体裁をとっていますが、まったく質問になっていません。二択になっていません。

まず問1について。

問1.信一念の体験は覚知できましたか?
 1.火を見るよりも明らかに覚知できた。
 2.何時とはなしに信心を頂いた。
   私は1.なので何度も覚知にこだわってきました。

とありますが、「信一念の体験」の言葉遣い。ここからすでにおかしいですね。「信一念」と「体験」をくっつけていることが間違い。「信一念は体験できるものだ」という刷り込み。親鸞会らしい質問です。

あなたが知るべきなのは、「信一念」とはどういう意味か、「時刻の極速」とはどういう意味か、です。あと、あなたが聞いた「不思議な声」と真宗の「呼び声」とは全く意味が違うので、それを理解した上で質問してくださいね。

残りのふたつも、質問になっていません。
いま忙しいので時間があったら書きますね。
その前に他の人がツッコミをいれて終了しているかもしれませんが・・・

Abcです

こんばんわ、Abcです。

>問1.信一念の体験は覚知できましたか?
> 1.火を見るよりも明らかに覚知できた。
> 2.何時とはなしに信心を頂いた。

>問2.親鸞会で求道したのは時間と金の無駄であったのか?
> 1.全く不必要な事であり、騙されたの一言。むしろマイナスだ!
> 2.私は遠回りしなければ信心を頂く事が出来なかった。

>問3.逆法の屍の心はあるのかないのか?
> 1.そんなのは大沼氏の味わいであり、真宗の教義にはない。
> 2.得体の知れない心があり、この心が聞と聞かねば信心が頂けない。

わたしは 上から順に 2、3、3 ですね。

まず、「時間と金の無駄であったのか?」ですが、
私は「3、親鸞の教えを今一度確認するよい機会となった」です。「悪知識のすがた」を目の当たりにして、18願のすごさ、力強さをあらためて認識しました。

次に「逆法の屍の心はあるのか?」ですが、
私は「3、真宗の『和讃』のなかにあるが、「自力の衆生」をいわれており、「全人類が「逆謗の屍」ではない」です。 根拠として挙げられる『浄土高僧和讃』

名号不思議の海水は 逆謗の屍骸もとどまらず

 衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり

でありますが、これは
「弥陀にお任せする という海水は 各々自力の執着さえ留まることをしらず
 衆生の川が帰るところであるから 弥陀功徳(摂取不捨の利益)の潮と1つとなるのである」  となり

「自らが行う善(善のすすめ)」と言われている時点で「弥陀を疑っている輩」でしかないのです。

Abc

No title

>問1.信一念の体験は覚知できましたか?
> 1.火を見るよりも明らかに覚知できた。
> 2.何時とはなしに信心を頂いた。

はあ?
1は土蔵秘事でしょう。
何時信心を頂いたかなんて、分かる智慧があると思っているなんて、創価学会と同じじゃないのさ。
信心を頂いたことは分かるが、何時かという認識はできないんだなぁ。おおよその時は、信心を頂いてから想像はできるけどね。

>問2.親鸞会で求道したのは時間と金の無駄であったのか?
> 1.全く不必要な事であり、騙されたの一言。むしろマイナスだ!
> 2.私は遠回りしなければ信心を頂く事が出来なかった。

何考えてるの?
わかりやすい例で説明してあげると、耳四郎は強盗放火殺人をしてきて、悪事を働く目的で忍び込んだ法話会場で法然上人に遭って救われたんだけど、耳四郎にとって強盗放火殺人は必要だったかどうかなんて、馬鹿な質問するか?
阿闍世は、父親をころすことが必要だったかどうかなんて、釈尊が仰ったとでも思っているなら、カルトだわな。

>問3.逆法の屍の心はあるのかないのか?
> 1.そんなのは大沼氏の味わいであり、真宗の教義にはない。
> 2.得体の知れない心があり、この心が聞と聞かねば信心が頂けない。

これは1だな。2なんて、土蔵秘事の典型だわさ。

これで創価学会土蔵秘事信心と明確になったでしょ。

すでに回答が出ていますね

問1 聖人の信心と異なる地獄秘事・土蔵秘事だから、体験を覚知できる。

自力が廃っていない金星人さんには「体験を覚知する」という方がしっくりくるのでしょう。

問2「求道」という名の「縦の線と横の線がある」という前提での質問が間違い。

自力の心が廃っていない金星人さんには「縦の線と横の線がある」という方がしっくりくるのでしょう。

問3「上の心 下の心 」という考えが間違い。「理性が本心を見つめる」といっても、実態は「煩悩が煩悩を見つめている」だけ。

自力の心が廃っていない金星人さんには「上の心と 下の心がある 」という方がしっくりくるのでしょう。

結局、親鸞会教義から一歩も抜け出ていないようですね。

というより、抜け出る気が無いんでしょうね。

逆質問に答えましたので、私の質問にお答えください。

論理的思考ができていない

金星人さんへ。
失礼ですけど、実生活において、特に対人関係などで空気読めないとか、まともに話ができないとか、友達がいないとか、上司から使えないとか言われているのでは?お悩みなのではと思います。多分ね。理由はあまりに論理的な思考ができなさすぎるので。貴方は真偽検証しに来たということです。真偽ですから本当か嘘かの二者択一ですよ。特にここでは親鸞会の真偽検証をしていて偽と判定されています。判定基準は、浄土真宗、親鸞聖人の教えです。

)質問に「はい」か「いいえ」で答えよというのも誤解をまねきます。
高森先生の言う事が100%間違いだというのではなく、真実と方便とカルトが混在していて良く分からなくなったという意味です。
 論理思考が出来ない人の典型です。真偽ですから、はい、いいえなんですよ。わからなくなったと書いてますね。論理思考が出来ないからです。
)複雑な私の心中がわかってもらえないからですよ。
とも以前ありました感情を交えないで物差しを使って(親鸞聖人の教え)で判定するものなんですよ。偽と分かった、でも感情的に嫌いだから受け入れない。これだと有りです。まあ、真偽検証でそれ言ったら、その時はイタイ奴と思われますけどね(笑)
 論理的な思考が出来ないから、こちらがした質問の回答が的外れなんです。しかし多分火星人さんはマジで答えていて的外れと思わないのでしょうね。
 そして貴方がした質問は、二者択一になってないイタイ質問です。問2など善が往生の役に立つか?の二者択一論理の中に、親鸞会が嫌い!マイナス!と感情の問題も入れるぐらいのイタイ問題です。だからTENさんに指摘されるわ、Abcさんは二者択一のうちの3!を選んでますわ、ギャグ漫画ですね(笑)
 よく貴方はコメントに「素晴らしいですね!」とか言って次には、前と同じ個人的感情体験の回答を連発するのには特にイタイ事でしたね。論理的に分かってないのにとりあえず分かったフリをしてるだけ。
 因みに以前、「飛雲ブログは、高森を恨んで罵倒してるだけ!」とか言ってましたけど、飛雲さんは、ロジック押さえてますよ。その上での煽り芸ですね。煙で煽って、中にいる高森の仲間を燻り出して論理にてねじ伏せてます。もちろん真偽検証さんも論理的文章でねじ伏せてますね。読めていないの明白ですね。残念です。
 おかしいなあ。火星人や金星人は、文化、科学がかなり進んでる星と思ったのになあ。まず、感情は除けてロジックで判断してください。そしてツボを心得た質問してください。出来ないなら、貴方の仲間で以前罵倒してくれた時の講師部員に変わってください。お願いします。

耳を塞いでますよ

> 親鸞聖人の仰せに耳を傾けようとしない人ならば、淳心房さん達の言う事にも耳を傾けようとはしません。現に耳を傾けて真偽を検証しようとしています。

現に耳を傾けている?真偽を検証している?
まだそんな寝ぼけたようなことをおっしゃるんですか?

高森会長や退会者の言うことを検証する前に、ご自身の信仰を検証してくださいと言っているんです。私が聞きたいことをもう一度書きますね。

もし、親鸞聖人がこのブログを見て、あなたの体験談や信仰をお聞きになったとして。

1.本願まことの「本願」とは、金星人さんの言うような意味ではないよ
2.金星人さんの「信心」は、私が教えたかった信心ではないよ

とおっしゃったとしたら、自分の信仰のどこがまちがっているのか、聖人のお言葉に耳を傾けるんですか? それとも、聖人が何と仰有ろうとも今の主張を貫くのですか?

Re: 金星人様

貴方は都合の悪い質問はスルーしたり、逆に質問してきたりと、親鸞会の標本のような人ですね。以前からの『飛雲』『さよなら親鸞会』『大悲にふれて』等のブログのコメント欄を見てきましたが、suさんの仰るように親鸞会教義をバックボーンにした火星教金星教といった感じで浄土真宗の香りは感じることができませんでした。

確かに「はい」「いいえ」の二択で答えられないものもありますが、私がした質問は二択で簡潔に答えられるタイプの質問です。高森会長は正しい阿弥陀仏の本願を説く先生だと信じているかどうか、信一念の体験は役に立つかどうか、ですからね。

対して貴方の質問は、TENさんもご指摘のように二択では答えられない、解答欄に無い3を選択するよりない質問です。


問1.信一念の体験は覚知できましたか?
 1.火を見るよりも明らかに覚知できた。
 2.何時とはなしに信心を頂いた。
   私は1.なので何度も覚知にこだわってきました。

まず信の一念(時剋の一念)は「体験」ではありません。その時を覚知するともしないとも教えられていません。今から思えば「あの時分からせて頂いたのだな」ということはありますが、それが時剋の一念かは分かりません。凡夫の上で時剋の一念の際の覚えは、人によって有ったり無かったりします。「有る」という人もいれば「無い」という人もいます。しかし「有る」という人でも、その時が本当に時剋の一念であるという確証はありません。このことを「覚不を論ぜず」、覚えておっても覚えてなくても良いと言われているのですよ。往生の証拠にはならないのでね。
質問自体がおかしいですが、答えるとしたら

3.時剋の一念がいつだったかは分かりません。覚えがありません。

と答えたいと思います。


問2.親鸞会で求道したのは時間と金の無駄であったのか?
 1.全く不必要な事であり、騙されたの一言。むしろマイナスだ!
 2.私は遠回りしなければ信心を頂く事が出来なかった。

TENさんが仰るように、質問になっていません。この問いに「はい」か「いいえ」かなら私は「はい」です。これも各人答えが分かれるでしょうがね。二択で答えさせるなら、もっとキチンとした設問を造りましょう。


問3.逆法の屍の心はあるのかないのか?
 1.そんなのは大沼氏の味わいであり、真宗の教義にはない。
 2.得体の知れない心があり、この心が聞と聞かねば信心が頂けない。

「逆法」ではなく「逆謗」でしょ? きちんと変換しましょう。
これも質問がおかしいです。まず「逆法の屍の心」とはどんな心ですか?
前にも述べた通り、「人類の中に五逆謗法の者がいる」ということで、「全人類が五逆謗法ではない」なんですよ。
あと、まだ「上の心」と「下の心」にこだわっているのですか? 「この心が聞と聞」くとはどういうことですか?

これにまず答えて説明して頂かないと答えようがないですね。

それと、TENさんの質問にもキチンと答えて下さい。

違いが明確

予想通りの回答でした。違いが明確になりました。これ以上は噛み合いません。
親鸞聖人のお言葉には真剣に耳を傾けます。
その信心は違うと言われても、頂いた信心に変わりございませんと答えて貫きます。TENさんの質問の答えはこれでいいですか?
年号や日時は忘れましたが、信心を頂いて心がガラリと変わるハッキリとした聞即信の一念がありました。親鸞会に言わせると、「求道生命の終わりなので注意しなければ・・」です。確かに求道の必要がなくなり、親鸞会は卒業です。
嶋田夫妻も仏前で「今ハッキリと信心を頂いた」、と明言し、親鸞会の求道を「遠回りさせられたものだ」と述懐し、高森先生を信じたいという願いから何度も戒めの手紙を書き続けていました。なので、本物だと敬意をもって読ませて頂きました。「TENさんはハッキリとした聞即信の一念の体験がありますか?」と質問した所から今日まで続いています。つたない質問でしたが、違いが明確になりました。SUさんには追って返答いたします。

No title

>違いが明確になりました。

良かったじゃないですか、親鸞聖人との違いが明確になって。

これ以上、話す必要もないでしょう。

金星人さん

> 親鸞聖人のお言葉には真剣に耳を傾けます。
> その信心は違うと言われても、頂いた信心に変わりございませんと答えて貫きます。TENさんの質問の答えはこれでいいですか?

正直なお気持ちをおっしゃっていただいてありがとうございます。
つまりこういうことですね?

・親鸞聖人の教えを聞いて、自分に都合の良いところは耳を傾ける
・親鸞聖人の教えを聞いて、自分に都合の悪いところは無視する


> 嶋田夫妻も仏前で「今ハッキリと信心を頂いた」、と明言し、親鸞会の求道を「遠回りさせられたものだ」と述懐し、高森先生を信じたいという願いから何度も戒めの手紙を書き続けていました。なので、本物だと敬意をもって読ませて頂きました。

①なぜこのタイミングで、嶋田講師のことを取り上げるのでしょうか?

1.親鸞聖人の教えは自分の都合で無視するが、嶋田講師の言うことは本物である。
2.私は嶋田講師の信仰と同じである。
3.だから私の信仰も本物である。

という理屈で、よろしいでしょうか?
違うならおっしゃってください。


②あなたと嶋田講師のご関係は?

あなたが現在、嶋田講師のことを尊敬されていることは分かりました。
ただ、嶋田講師の信仰をまるで知っているかのように書いていますが

1.面識があるんですか?
2.信仰を語り合ったことがあるんですか?
3.ご本人が上記のようにおっしゃったのですか?

ご自身の信仰を肯定するために、適当なことを書いている訳ではありませんよね?

No title

> 嶋田夫妻も仏前で「今ハッキリと信心を頂いた」、と明言し

痛い勘違いです。
蓮如上人も

弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。

と仰っていますが、この手紙を書かれた瞬間に救われたのか?
違いますよね。これは二帖目ですから、一帖目でもすでに救われていることを告白なされているので、救われてからかなり時間が経ってから書かれたものです。

念のため言っておくと、救われたことはあきらかにわかります。しかし、救われたその瞬間がわかるのとは違う。

簡単な話です。

ただし人によって様々な体験があった時には、その体験が救われた時と勘違いすることもありがちですね。大抵は、救われた瞬間の後に体験があることもあるという程度のお話ですわ。

いずれにしても、神のお告げを聞いた体験を、真宗の体験と同一視しているところが、根本的な間違い。

ひとり寝言

とうしてそんなにムキになって理屈を付けたがるのか分からない。
間違った高森先生の話を聞いて、信心を頂ける訳がないと計らっているのか。
弥陀の本願は、後生の一大事を心にかけて深く弥陀をたのむ人をそのまま無条件で往生一定の身に一念で只今救うという約束です。
後生の一大事を心にかけて深く念仏する者が相手の本願です。阿弥陀仏一仏を深く念じて、今度の一大事の後生をお助け下さいと一心不乱に念じる事が20願の念仏の心です。真剣に念じれば分かる筈です。称えた念仏も後生の役にはたたず、助かる縁が全くない奴だと。助かる縁のない奴の後生は一大事。その一大事に少しも驚く心すらないのだよ。藤ツルにぶら下がって笑ってる旅人の姿ですよ。この心が本願を疑い続けて流転輪廻してきた心ですよ。正に逆謗と闡提と慢の心であり、絶対に本願を聞かない屍の心であり、どうする事も出来ませんでした。そこに「そのままだぞ」という勅命が届き、謗法と闡提の心が翻って、(廻心?)「本当でした」と喜ばずにおれなかったというだけです。
なので、以前に後生の一大事が抜けてないか?と指摘しました。嶋田講師の「私の白道」をもう一度よくよく読んでみて下さい。体験談は、人それぞれであるので同じように求道しろとは絶対に言いませんが、信心を獲た時の様子が重要だと思いました。「それはあなたの味わいでしょ」と言われればそれまでですが、その様に味わいました。高森先生に対する指摘の嵐は強烈なものがありますが、正しく説いて下さいという強い慈悲の心が裏にあると思いました。
自分の都合で聖人の教えを無視するとは、よくも無礼な事を言ったものだ。
自分の都合で人の信心を計らって、どうのこうのと言う資格があるのか?
専任講師には「そう簡単に得られる信心ではない」と言われ、高森先生には「求道生命が完全に断たれるぞ」と注意され、ここのブログでは体験がどうのとボロクソに言われ続けていますが、弥陀の勅命を「はい」と聞いて深く信じているだけです。他には何もありません。なんとでも言うがいいでしょう。疑う人は勝手に疑い続けて下さい。分かる人は何かの仏縁になれば幸いです。真宗ではなくて、大宇宙真理教の教えなのかもしれませんがね。それならば文句はないよね。

No title

>間違った高森先生の話を聞いて、信心を頂ける訳がないと計らっているのか。

間違った日蓮の話を聞いて、信心を頂ける訳がないと計らっているのか。
間違った聖道門の話を聞いて、信心を頂ける訳がないと計らっているのか。
間違ったオウムの話を聞いて、信心を頂ける訳がないと計らっているのか。

同じでしょ。
創価学会の亜流である高森会長の話を聞いて、信心を頂ける訳がないと断言できるわ。


>阿弥陀仏一仏を深く念じて、今度の一大事の後生をお助け下さいと一心不乱に念じる事が20願の念仏の心です。

自分で言ったことも忘れたの?

*************************************************************
20願を捨てた時が雑行を捨てた時。
雑行で浅くいくら信じても深くなる事も捨てる事も出来ない。

投稿: | 2017年8月23日 (水) 05時21分
*************************************************************

20願の念仏も知らなかったのに、三願転入したと嘘を付き続けて、今になって一心不乱の念仏とか、頭だけの求道だったと自ら証明してるじゃないの。

>真宗ではなくて、大宇宙真理教の教えなのかもしれませんがね。それならば文句はないよね。

ここは以下のように正しく言わないと。

真宗ではなくて、金星教の教えなのかもしれませんがね。それならば文句はないよね。


金星教いや火星教かな?で、神のお告げを聞き、救われましたと告白したらいいよ。

ムキになって??

> とうしてそんなにムキになって理屈を付けたがるのか分からない。

あなたは私が一言も言っていないことを、まるで私が言ったかのように、コメントを書き連ねて連投していましたよね。
私はあなたにそのようなことをしたくないので、ひとつひとつあなたご本人に直接確認しているのです。

いつもムキになってコメントを書き込むのは一体誰でしょうか。

ーーーーーーーーーーーーー
なんや、ここでは阿弥陀仏との貴重な体験話はお聖教にない話だという事で無視されるんだ。不都合な真実という事で公開されないんだ。おもろいね。体験話ならいくらでも出来るのに勿体ないね。
2017-12-27 09:12 火星人

S会で聞き求めて知らされた事をコメントするのは不都合な真実なのですか?弥陀から賜る信心は一味平等ですよ。
2017-12-27 15:15 火星人

せっかく色々とコメントしているのに自分の都合で無視するTENさんが悪いのですよ。ちゃんと趣旨にあったコメントを書いてるつもりですがどこがいけないのか分かりません。も~たのむわ。
2017-12-27 15:20 火星人

いつまでも承認待ちコメントばかり並べておいても不信を招くだけだ。TENさんがS会を嫌っているのは良く分かりました。心口各異言念無実。
早くリクエストの宿善と宿善開発についての投稿をお願いします。
2017-12-28 11:09 火星人

縦と横の線のオリジナルに無理やり大悲を当てはめたのがそもそもの間違いでしたか。横の線を作って求道しているのが凡夫であり、全ては弥陀の本願の内にあったという事が十分に分かられたでしょうか?それともまだ求道する必要はないと言い張りますか?念仏三昧に徹するのが真宗の奥義ですか?違いますよね。
2017-12-28 16:31 火星人

こういう状況をいつまでも放置しておいて、悪いのは火星人だと人のせいにしてもいいのですかね。大悲を聞く耳はあっても人倫の妄言は聞けないってか。T先生の話は聞く価値はなしってか。火星人は低能だから何度言ってもダメだから無視しろってか。低能な奴は相手にしないよってか。
2017-12-28 16:39 火星人

信心を獲られたTENさんと仲良く信心の沙汰をしたかったのにどうしちゃったのかな?頭の良し悪しは関係ない信心ですが、教学力のない人の体験談は無視ですか?やはりS会に係わっている人の信心は異安心だと決めつけないと気が済まないのですか?それならば勝手に無視し続けるがいいさ。
2017-12-29 10:31 火星人

TENさんの信心は偽物だとか言った事は一度もありませんし、信心がどうのこうのと言うつもりはありません。自分の信心については書きました。止まらないで次いってみよう。ガンバれ。
2017-12-30 08:35 火星人

来年も沢山コメントしますので、よろしくお願いします。
信心を頂いた人は皆兄弟です。仲間にも紹介してやりますよ。
2017-12-30 09:56 火星人

残念です ①


金星人さんへ。

先日のあなたの質問について、すでにみなさんのお答えのとおりですが、もう一度ふれます。

 問2.親鸞会で求道したのは時間と金の無駄であったのか?
 1.全く不必要な事であり、騙されたの一言。むしろマイナスだ!
 2.私は遠回りしなければ信心を頂く事が出来なかった。


これには二つの観点があります。

二つとは「阿弥陀様目線」と「私目線」のふたつです。

まず「阿弥陀様の目線」から見ると、

・いま親鸞会の会員かどうか
・いままで親鸞会でどのくらい苦労してきたのか

などを阿弥陀様はまったく問題にしません。
無条件の救いだからです。
だから、「求道はマイナスだ!」は間違いとなります。

「求道は不必要」 が正しいです。

あなたは、退会者が口をそろえて「親鸞会での求道はマイナスだ!」と言うと思ったでしょ?
ちがいますよ、「プラスにもマイナスにもなりません」が正解です。

根拠は「弥陀の救いは無条件だから」です。
それで親鸞聖人は阿弥陀如来のことを「無礙光如来」といわれているんですよ。

自力の心とは「弥陀の救いについて、自分がやってきたことが往生のプラスになるのかマイナスになるのかを問題にする心」のことです。
まだ無礙光に出逢っていない人の心です。
「プラス・マイナス」だの、「縦の線・横の線」だのを信じて、それにこだわっている人は弥陀目線(仏願)(大悲)を知らない人です。

残念です ②

いま「弥陀目線から見ると、求道はプラスにもマイナスにもならない」と書きました。

ですが、「私目線」から見ると、プラスになったりマイナスになったりします。

プラス面とは
・親鸞会がキッカケで聖人のお言葉と出会った
・親鸞会がキッカケで弥陀の本願を知った
・親鸞会がキッカケで六字の名号とご縁があった

マイナス面とは
・会長は聖人のお言葉を正しく解説しなかった
・会長は弥陀の本当の願いを伝えていなかった
・会長は六字の心を明らかにしていなかった

プラスの面に思いを馳せれば「遠回りしたけど、それが私の求道だったか・・・」と納得も出来ましょう。
それだけ大きくてあたたかいお慈悲だからです。
一方でマイナスの面を見れば「だまされていた」と感じる人もいるでしょう。
だまされていることすら気づかないバカな自分だった、と思う人もいるでしょう。
また、人によって親鸞会で使った時間も金額も違いますし、過去についての捉え方や感じ方もさまざまです。

しかし、ドでかいマイナスは「親鸞会では本当のご本願には出会えない」ということです。
このマイナスがあまりにも大きいから、淳心房さんがこうやってブログを書いているんですよ。
会長や講師の説き方が上手か下手かのような話ではなく、まったく間違っている。正反対の方向を向いている。
どれだけ聞いても大悲が頂けない。それが親鸞会で話がされているご本願です。


あなたがこだわっているのはいつも「私目線」です。
私目線からの質問しかできないあなたは、まだ「弥陀目線」を知らないままです。
篤信者の方たちは、すでに両方の目線を持ち合わせているので、あなたの質問の仕方では答えにくいのです。


上記をまとめると、

〇「弥陀目線」から見れば、「求道は不必要」
〇「 私目線 」から見れば、「親鸞会での求道はマイナス」

です。

「お前の求道は不要だよ」「お前の代わりにこの弥陀が求道したんだよ」「ただ受け取るひとつだぞ」「はやく親子名乗りを挙げよう」
と弥陀目線を教えて下さるのが善知識なんですけれども、あなたは、まだ心の蓋を閉じて「私目線」から離れられないのですね。

残念です ③

あなたからの以下のコメントについても返信します。

> 「TENさんはハッキリとした聞即信の一念の体験がありますか?」と質問した所から今日まで続いています。

私は自分のブログの中で、あなたの質問に答えました。
信心決定は、私にとっては「恥ずかしい体験」だった。そして「さみしい体験」だった。
と自分が感じたままの正直な言葉を伝えましたが、まだお聞きになりたいんですか。

大悲を知り、大悲に背き続けた私を知らされるのは、恥ずかしい体験です。
自分の人生の目的は自分で果たすものだ!と(親鸞会と出会う前から)当然のように思ってきた、自分に染みついていたその心を手放すのは、さみしい体験です。
しかし、それはあくまで「私目線」での体験談であって、「信一念そのもの」ではありません。
また、「私目線」は各人各様です。人によって体験も感じ方も表現の仕方も違うと思います。

一方で、信一念とは「弥陀目線」であり、時剋の極速であり、本願に二心がない一心です。


高森会長のまずいところは、聖人が「弥陀目線で」書かれたお言葉を、「私目線でしか説明できない」ところです。
金星人さんは「親鸞会からは卒業です」とおっしゃっていますが、あなたが言っていることは御師匠様である高森会長にそっくりですよ。私目線ばかりの話です。

残念です ④


嶋田講師の奥様からメッセージを頂きました。

「淳心房さんのブログに投稿して頂いて構いませんよ。」
「金星人さんのご縁になれば有り難い事です。」

と了解を頂きましたので、そのまま掲載させて頂きます。

――――――――
高森会長は信の一念の体験ははっきり自覚できると教えましたね。はっきりしないのは間違いだともいいましたね。
会を辞めて華光でたくさんの方と出会い、それぞれの体験を聞かせて頂きました。
そこで分かった事は頂くものは同じであってもそれを受け取ったお味わいは人それぞれ違うという事でした。
悦びがあふれ涙を流し大声で念仏する人もあればああそうだったのかと気付く程度の人もいます。
また頂いてもその時には自覚がなく聴聞を重ねるうちに自力の心がなくなっていた事に気付く人もあります。
一人一人の業が違いますし求道の過程もさまざまです。
ですからはっきり自覚できないのは間違いだとは断じて言えません。
そうなると一念覚知の異安心になってゆきます。
その方は私や主人の体験を根拠にしておられるようですが私や主人の体験が正しいかどうかなどその方に分かるのでしょうか?
人の信心なんて私には分かりません。
阿弥陀様しか分からない事です。
またはっきりした体験を握ってこれで自分は間違いないと思っていたら臨終に必ず崩れます。
はっきりした体験などこちらの思いであってそんなものは何の役にも立ちません。
私が助かるのはただ南無阿弥陀仏のお働き一つです。
それ以外何もありません。
信後に私の自覚など一切必要ありません。
ただただ南無阿弥陀仏一つお聞かせに預るだけです。
答えになったかどうかは分かりませんがその方にお伝え頂けたらと思います。
―――――――――

以上が、金星人さん宛てに奥様が下さったメッセージです。

残念です ⑤

嶋田講師は、実際に布教もされ、多くの方から慕われていた先生だとお聞きしています。「あなたの白道」という素晴らしい本もお書きになった先生です。

しかし、今はお亡くなりになられた方です。
また、嶋田講師の奥様は一般の方です。

そのような方々の実名を勝手に挙げて、しかも「あの人の信仰はこうだった」などと憶測でおっしゃる。その目的はご自身の信仰を肯定するためです。

金星人さんは、私のブログにて嶋田講師のことを以下のように書いています。
―――――――
嶋の兄貴は他力の信心を明らかに頂いた人であり、会の事を一番よく知っている人です。その内部告白を読むとS会の恐るべき姿が浮き彫りになります。
2018-02-04 14:42 火星人
―――――――

私はお会いしたことも信仰を語り合ったこともない相手、ましてや尊敬する御方を、勝手にあだ名をつけて呼べません。
ましてやブログのような公共の場所に書き込めません。「さよなら親鸞会」のホームページではさらに汚い言葉で呼んでいたとも聞きます。
嶋田講師のことを持ち上げてみたり、下げてみたり。結局あなたは何が言いたいんですか?

私は金星人さんのやり方はどうかと思います。そしてあなたが嶋田講師に本当に敬意をはらっていたのか、甚だ疑問です。

SU様へ

前のコメントを持ち出してきましたが、雑行ではなく、雑種自力の念仏と訂正しました。後生どうかお助け下さいと弥陀をたのむ念仏ですね。これも役にはたたず、弥陀回向の信心を獲て念仏を称える人を念仏者と言います。
信心を忘れて「念仏唱えたら極楽だ」という様なコメントを何度も書いていたので、何かガツンと衝撃のあるパンチのある言葉を考え続けていました。
例の衝撃的な言葉は、かなり泥酔して帰った時に、SUさんのコメントを見て、「軽々しく念仏と言うな!」という怒りの心で思わずに書き込んでしまいました。
余りにも衝撃が大きすぎて、今だに引きずっている様ですが、「念仏称えさせて頂いてますので、いつ死んでも心配しないで下さるな!」と、言い返して頂きたかったのです。「口先だけで念仏唱えている人は、早く後生の一大事を心にかけて深く念仏を称えて下さい」という願いが込められています。
高森先生は間違っていたとしても、後生の一大事と阿弥陀仏の本願を説き続けてきたので、創価学会やオウムや天理教と一緒にする事は大変な謗法罪になりますので言葉を謹んで下さい。日蓮会は死相を見て、白ければ極楽で黒ければ地獄だと信じ、日蓮大聖人が生き仏だと真面目に信じて念仏無間だとわめいていました。阿弥陀仏の本願を説く会を同レベルに見下す事は謗法罪に値します。SUさんは「さよなら親鸞会」の管理人かと思ってましたが違いますか?

No title

>前のコメントを持ち出してきましたが、雑行ではなく、雑種自力の念仏と訂正しました。

嘘が下手すぎ。

雑行がいつ廃るのかという問いに対する答えが
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20願を捨てた時が雑行を捨てた時。
雑行で浅くいくら信じても深くなる事も捨てる事も出来ない。

投稿: | 2017年8月23日 (水) 05時21分
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20願の行者が雑行をするかって。

一年以上も相手をしているんだから、キミの誤魔化しの手口は、お見通しだよ。

火星人ー念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな
創価学会ー念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

同じセリフ。

自力念仏を称えるている人まで必堕無間と、念仏誹謗してきたのが高森会長で創価学会と同じなんだな。キミも同類だから。

それから、さよならの管理人じゃないけど。

TENさんへ

貴重なメッーセージを頂きありがとうございます。
「私の白道」を読んで、私の勝手な味わいを述べさせて頂きましたが、奥様からの生のお言葉を味あわせて頂けた事に感謝します。
一念覚知については、ここで紹介して頂いた論文を読ませて頂いて納得しました。他の人の体験は聞いた事がありませんが、味わい方は人それぞれ違うと思いました。嶋田講師の「私の白道」を読ませて頂いて、初めて高森先生は間違った事を言っていると知りました。嶋田講師は真面目で真摯な求道者でしたが、私は不真面目でダメな求道者でしたが、同じ道を歩んできたので、何か相通じるモノを感じました。味わいは勝手なものであり、本当の事は分かりかねますね。

質問が下手で申し訳ありません。
「求道は不必要」は正解は正解です。では無駄で無意味な事だったのか?

その話ですか・・・

>「求道は不必要」は正解は正解です。では無駄で無意味な事だったのか?

またそれですか。

いまあなたが話したくてウズウズしているその内容が、真宗で地獄秘事と言われていることなんですよ。

言いたくてしょうがないんですね、では地獄秘事の体験談をどうぞ。






Abcです

こんばんわ、Abcです。

>専任講師には「そう簡単に得られる信心ではない」と言われ、高森先生には「求道生命が完全に断たれるぞ」と注意され、ここのブログでは体験がどうのとボロクソに言われ続けています。

弥陀にお任せしたならば「自力求道人生」は終わるでしょう。
「捨自帰他」からしましたら「自力が廃れて」ですので、当然です。
親鸞が、「万善自力貶勤修」と「万の自力の行いを貶す(へん・す けな・す)」と言われている通りです。

>しかし、弥陀の勅命を「はい」と聞いて深く信じているだけです。他には何もありません。なんとでも言うがいいでしょう。疑う人は勝手に疑い続けて下さい。分かる人は何かの仏縁になれば幸いです。真宗ではなくて、大宇宙真理教の教えなのかもしれませんがね。それならば文句はないよね。

そんな金星人さんに『和讃』と『歎異抄』を張っておきますので、お暇でしたら読んでおいてください。

かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに
 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す(正像末法和讃)

悲しいことに近頃の 和国の人たちは皆共に
 表面は仏教の衣をまとい威儀をととのえてはいるが、
 心の内では天地の鬼神を敬い、現世の祈祷に勤めている。

『歎異抄 第12』

一文不通にして、経釈の往く路もしらざらんひとの、となへやすからんための名号におはしますゆゑに、易行といふ。学問をむねとするは聖道門なり、難行となづく。あやまつて学問して名聞・利養のおもひに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらんといふ証文も候ふべきや。

文字の一つも知らず、経典などの筋道もわからない人々が、容易に称えることができるように成就された名号ですから、念仏を易行というのです。学問を主とするのは聖道門であり、難行といいます。学問をしても、それによって名誉や利益を得ようという誤った思いをいだく人は、この世の命を終えて浄土に往生することができるかどうか疑わしいということの証拠となる文もあるはずです。

(原文・書下し ともにWikiArc より引用)

あ、「大宇宙真理教」でしたっけ? それならば「親鸞」や「蓮如」、「一遍」、「良忍(融通念仏宗)」とは違う信心でしたね。

Abc

追記

連投申し訳ございません、Abcです。

火星人ー念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな
創価学会ー念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

え? 死神が来るんですか?

念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなり(『歎異抄 第7』)

このようにありますから、「死神が妨げることは無い」と伺っております。

ですから、タルタロスでもタナトスでも来て頂いて構いませんよ。

Abc

金星人さんへ

いやーなコメントは、まるっと無視します金星人さんへ。前も書きました。誰も怒ってません。哀れと思っています。理屈に対して理屈で返信でしょう。なんで論理的に書いてこないのですか?それから何故見え透いた嘘を書くのですか?真偽を検証する為の物差しは高森でなくて親鸞聖人です。高森は真宗の法衣をまとって鬼神崇めるようなことをする外道です。和讃にあるのと同じです。根拠は沢山このブログに出てます。駄々捏ねないで、σ(゚∀゚ )オレが、正しいから間違いないのだ!では道理が通らないですよ。
ここにいる皆さんは真実信心知らされている方なので、貴方が取り繕う言葉もすぐ嘘とわかりますよ。自力廃ってないことがわかります。念仏があれだけ説明しても相変わらず出ないご様子。念仏のことをちょろっと書けば、自分が、自力他力もわからないのに私やTENさんに「せいぜいお前ら悪人と知らされていない善人様どもは、念仏称えていたら極楽行けるなどと、勘違いしながら死ぬまで念仏称えていろや!」と言いましたね。あっ!それについて怒ってないですよ。この前これ書いたら「まだそんなことで怒っとるのか気にしとるのか、人間ちいさいのーわれは」と言われましたけど(笑)すいません、ちょっと話しを足してます(笑)
救われた後は、自分に良い結果きたら、念仏称えてお礼する気持ちが大事でそれを、御恩報謝の念仏とする、痛みをとってくれ〜と祈願して念仏したらそれは信罪福の心なので、痛みとれんかったわ〜〜本当だ〜実験したら凄い結果でたぞ。念仏の功徳分かったぞ〜。それから、そのままと言ってくれた阿弥陀様は、今は私に言ってくれない。なぜなら煩悩に覆われているので、逆謗センダイなので、今も無耳人なんで阿弥陀様の声聞こえないのですわ〜。これもお経の通り!何が翻るじゃ真実の自己みえとらん奴が、一念の体験ないやつがゴチャゴチャいうなや!俺は20願通らなくても18願出れたわ!体験で教行信証読み破ったわ!
と今までの金星人さんの言葉を繋ぐとこうなります。まずは耳を傾けると書いているので素直に傾けてください。都合良く聞いてますし、言葉を修正したなら素直に認めて「前から、俺それ言ってたし〜分かってたし〜。」とせず如来がどう金星人をみておられるのか、そこに耳を傾けてください。茶化してますけど、大事なところを聞いてくださいませ。なんまんだぶなんまんだぶ

そういう事でしたか

auさんへ
そういう流れでのコメントでしたか?
雑行が無くなり、雑種がなくなり、自力がなくなると考えがちですが、
雑行雑種自力の心は、一念で全部まとめてなくなります。捨自帰他です。
三願転入理論で考えていたので、20願を捨てて18願に転入した時だ!っと答えたのかもしれません。20願を捨ててという表現は不適切でした。自力では捨てる事が出来ないのが20願でした。
Abcさんの言われるように、念仏の行者には魔界外道も近寄れず、まして死神が地獄に連れて行くぞと来る訳がありません。死神とは無常の事を現わしただけです。信心の行者にも死は必ずやってきます。覚悟はいいか?と強烈に脅しただけです。当然念仏者に死は障りとなりません。

地獄秘事

TENさんへ
真実の自己を観て知らされるという事で無駄ではなかったという結論ですが、確かに地獄秘事の要素があります。内観法の応用です。土蔵秘事がそれに当たります。一日分を10年がかりで、2日分を20年がかりでやっただけだとみれます。
土蔵秘事と違うのは、土蔵秘事は善知識の声を聞いて信心頂いたと皆で喜びあいます。私は、誰もいない山奥の山の中で、聞いた事がない音声を聞いて、一人で喜びました。
親鸞会が土蔵秘事ならば、信心決定した人だらけとなります。専任講師は機責めで極限まで追いつめて、高森先生が「そのまま助ける本願だ」と説法し、皆で「おめでとう!」と喜びあえば、人工の信心の行者の完成です。その様な人は一人もいません。金儲けが目的ならば、優秀な講師を信心の行者に改造して、改造人間を戦力にすればより効果的だと考えます。
それから、TENさんの信心は偽物だとか言って責めたりした覚えはありません。
弥陀から賜る信心なので、他人がどうこう計らうべき事ではありませんからね。
他人の信心は分かりませんとメッセージを頂きましたよね。親鸞会から聞いて頂ける訳がないと決めつけて、お前の信心は異安心だと決めつけて責め立てるのはもういい加減にやめませんか。賜る信心は一つでも、信心の味わい方は人それぞれだと言われましたよね。それでもまだ守り続けるつもりですか?高森先生の話ばかり聞いていると、信心は一念覚知になるのは当然ですが、それも論ずるべきではないと論文に書いてありましたので私の味わいとして論じる事をやめました。それでもどうしても体験談が聞きたいのであれば話しますよ。

No title

>雑行雑種自力の心は、一念で全部まとめてなくなります。捨自帰他です。

やっぱり20願を通っていない。
一心不乱の念仏は言葉だけ。
まあ、20願を通っていたら

念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

こんなセリフは言えないんだよね。
創価学会土蔵秘事の火星人が、獲信者を装おうとしても無理なんだよ。
火星の神の声を聞いた体験を語り続けたまえ。

No title

弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願(第二十願)によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。

経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。

これが阿弥陀仏の20願の境地だ。
雑行など入り込む余地がない。

火星神の20願では、雑行やりまくりなんだね。
火星神の神の啓示を受けたことが証明できてよかったね。

逃げる

金星人さんへ。相変わらずの「逃げ」ですね。元々法論する気で降臨してきたのに、負けそうになると感情で切れる、おもねろうとする
。言ってないほんとはこうだと言い訳する。挙げ句に逃げて名前を変えて別人になったという。次には木星人ですか。木星帰りのニュータイプ、パプティマス・シロッコですか(ガンダムネタ)
一念覚知、地獄秘事、土蔵秘事です貴方はね。山田和上の論文が読めていませんね。信心壊されたくないから、「信心を語るのを論じない」と言ってるのは高森爺さんだけです。山田和上の名前出さないでください。親鸞聖人や蓮如上人が言われてますか?心中を語れと言われてますよ。語れば間違いを直せれるからです。
また嶋田奥様が書いていることは、はっきりした体験を握っていても臨終に役に立たないですよ。信後は私の自覚は不必要です。とはっきり書いてます。
はっきりするのはそこですね。それが他力の行者の共通の言い方です。貴方の過去の体験のみしか語らない。真実の自己がみえた(内観法!したらですって!)すると、錯乱してシナプスが繋がってそのままと聞こえるそうですね。親鸞聖人がどこにそんなこと言ってますか?それが人それぞれだと逃げないでくださいよ。一味でないのですよ貴方。結局ね。火星教をたちあげ仲間に伝えてる訳ですね。火星教はまず内観して、自己の罪悪を見る、そうすると苦しくなって錯乱して火星神様と繋がると、救われる。でも体験はその時だけであとは煩悩で喜べない。たまに良い事あるときは念仏、これは心からお礼を、いえばよいので、アーメンでもラーメンでもよいそうです。その教え、どこに真宗といえる要素があるのですか?ギャグですか?浄土真宗と名乗らないでください。あとは人を騙さないでください。

Re:地獄秘事 ①

> 確かに地獄秘事の要素があります。

そうです。親鸞会で教えている信心は地獄秘事です。真実の信心の要素はひとつもありません。

> 土蔵秘事と違うのは、土蔵秘事は善知識の声を聞いて信心頂いたと皆で喜びあいます。

親鸞会での土蔵秘事の定義は以下の通りです。

問(38) 土蔵秘事の異安心の特色を六つあげよ。
答(38)
○絶対に秘密を守れと言う。
○夜中に信心を授ける。
○彼らの言う善知識から「それでよい」と信心が認可される。
○儀式によって信心を貰う。
○信心を貰った年月日時に覚えがなければならぬ、とやかましく言う。
○頂いた後は、聞く気がなくなる。
(浄土真宗親鸞会発行:教学聖典7号より)

この中であなたにあてはまるのは、「頂いた後は、聞く気がなくなる。」だけですね。

では、親鸞会以外での秘事法門の説明はどうなっているでしょうか。

Re:地獄秘事 ②

真宗での秘事法門の説明は以下のようになっています。

【ひじ-ほうもん 秘事法門】

異安心の一種。聖典を曲解した異義を秘密裡に伝授する法門。親鸞の子善鸞が、異義を布教して義絶されたが、その異義の内容は明らかでない。彼は親鸞から夜中ひそかに秘密の奥義を伝えられたと虚言したという。秘事法門を夜中の法門、隠密の釈義などとも称する。南北朝の頃、越前大町の如道が不拝秘事(おがまずひじ)を主張したといわれ、この系統をうけた三門徒を蓮如は秘事法門といましめた。秘事法門と呼ばれるものの内容は一様ではないが、特別の宗教儀礼によって人為的に感動をあたえ恍惚状態に導く場合が多くある。儀礼が文献によって紹介されているものに御庫法門(土蔵秘事)や隠し念仏がある。特定の指導者から信心がさずけられるとする善知識だのみ、罪悪感を強調し異常経験をあたえる地獄秘事、儀礼を終えた者を仏に擬する一益法門、不拝秘事、十劫秘事などは秘事法門の例である。(真宗新辞典_法蔵館より)


上の記述の中の、「罪悪感を強調し、異常経験をあたえる」 これが地獄秘事です。

以下は、あなたが信頼している山も山さんのブログからの記述です。
――――――
1.聖典を曲解した異義を秘密裡に伝授する法門
このネット時代には「秘密裡」にはできませんし、親鸞会は機関誌を通じて公表もしています。しかし、富山県射水市の親鸞会館内でしか、会長独自の話の全貌を知ることはできないので、これに該当します。どのように曲解しているかについては、ネット上で種々指摘されていることなので、省略します。

2.特定の指導者から信心がさずけられるとする善知識だのみ
前回のエントリーに書きましたが、親鸞会は善知識だのみの団体ですからこれに該当します。

3.罪悪感を強調し異常経験をあたえる地獄秘事
最近は言わなくなりましたが、かつては「後生の一大事(必堕無間)」を強調し、法話の内容も罪悪をことさら人に問い詰める話が多かったので挙げました。

4.儀礼を終えた者を仏に擬する一益法門
親鸞会の中では、まさに高森会長がこれに該当します。何しろ聖典をろくに読まなくても、「聖典に書かれたことが全てわかるスーパー善知識」ということにしています。

以上のことから、宗教法人浄土真宗親鸞会は土蔵秘事(秘事法門)です。会員の方の言われる「土蔵秘事」は、親鸞会発行の教学聖典による定義からの意見なので、正しい定義に基づけば疑問は解消されると思います。
―――――

上記の3番が地獄秘事です。
リンクを貼りました。
http://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2012/05/22/043556

Re:地獄秘事 ③

> 私は、誰もいない山奥の山の中で、聞いた事がない音声を聞いて、一人で喜びました。

私のブログには、ご自身の体験談を「ご法話会場で泣きながら勤行をして~」とあなたは書いていました。毎回毎回、その場かぎりのいい加減なことを言うのはやめましょうね。


> 親鸞会が土蔵秘事ならば、信心決定した人だらけとなります。

そうですね、親鸞会には信心決定している人はおりません。
実際には、信心決定していると詐称している「講師」や「先輩」ばかりです
あなたがおっしゃるとおりです。

Re:地獄秘事 ④

> 専任講師は機責めで極限まで追いつめて、高森先生が「そのまま助ける本願だ」と説法し、皆で「おめでとう!」と喜びあえば、人工の信心の行者の完成です。その様な人は一人もいません。金儲けが目的ならば、優秀な講師を信心の行者に改造して、改造人間を戦力にすればより効果的だと考えます。


高森会長が会員に与えた「救済の予定概念」のとおりにあなたはなったんですよね。あなたは高森会長の指示通りの改造人間になったわけです。あなたが書く一念の体験談は会長が与えたお手本通りのコピーです。

ところが会長の言う通りになったのに、顕正新聞には取り上げてもらえない。講師からはよく聞かないと間違うぞと諭される。そして海外の聞法歴2年の人が獲信者として顕正新聞に載ってしまう。自分はまだ取り上げてもらっていないのに。会長からのお墨付きが頂けない。お墨付きが頂けないから他の会員にも認めてもらえない。

会長の言う通りの改造人間になったのに、認めてもらえないんですね。お察しします。

Re:地獄秘事 ⑤

会長が用意した「救いの完成予想図」にしたがって、その通りの改造人間になるところには、弥陀の救いはありません。

「ただいまの私を、そのまま助ける」というのが弥陀のご本願です。

その違いに気づいて欲しくて、みなさんはあなたにコメントをなさっています。はやく本当のご本願に気づいて下さい。


私は、あなたが「仲間にも伝えてやります」と言っていることが以前からひっかかっています。あなたが「お仲間」にどんな話をしているのか、真宗の言葉を用いて地獄秘事の話をしているのでないか、それがひっかかっています。

どうか、ご自身も、お仲間も、心を翻して頂いて、本当の真宗を知って語って頂きたいと思います。

TENさんへ

地獄秘事について色々と教えて頂きありがとうございます。
人の話を聞かない人ですね。
後生の一大事に驚かない心に驚いたのです。
親鸞会流のテレーキョトンボー、地獄と聞いても驚かず、極楽と聞いても喜ばない心。因果を認めない心。闇が闇と分からない心。何も聞いてこなかった心。
現実の(夢の世)の苦しみにはもがいて苦しみ、阿弥陀様と頼めども、後生たのむ心が無い心に苦しみました。地獄とは違います。
最後のご法話に全てを捨てて参詣し、涙ながしてお勤めしました。真剣に聴聞しても信罪福心でしか聞けなかったし聞いてこなかった。目的がお門違いだと見捨てられました。どうしようもない心を抱えて山奥に籠ったのは次の日の話です。
「そのままだぞ」という声は今は聞こえなくても、常に呼び掛けておられます。大宇宙は本願力に満ち溢れていると感じます。
それに、その様な完成予想図などは完全になくなってしまいます。何故ならば、横の線は永遠に縦の線に繋がっておらず、完全に断絶していました。
何度も同じ事を言わせておいて、体験しか語らないと言うのは何事なのか。
聞きたければ何度でも語ってやるよ。同じ話しか出来ませんけどね。

Re:

> 何故ならば、横の線は永遠に縦の線に繋がっておらず、完全に断絶していました。


これも、親鸞会講師部が使うセリフ。

あなたが言うところの「改造人間」のセリフです。

No title

火星神のお告げを聞いた体験以外に語れないのです。
火星教と名乗ればいいのに、なぜ真宗に関係あるように嘘つくの?

無間地獄と脅す火星人

TENさんの信心を誹謗したことない!といいながらも、ブログにて、善人様のお前らは死ぬまで念仏称えていろアビ地獄だからな。とはっきり書いてます。火星人は未信のものは念仏称えると無間地獄に落ちると親鸞会の主張そのままに書き込みしました。また悪人と分かった自覚のある人のみが救われると主張してます。それ以外は無間地獄行きです。さて親鸞聖人はそのようなことをどこに書きましたか?念仏一行。他力の念仏は浄土往生。自力の念仏は化土往生です。そして化土往生を戒め浄土往生せよと言われてます。真仮を知らないから如来の恩徳を迷失しているのです。如来の話しが一切この後に及んでも火星人の口から出てきません。神秘体験したから悪いのでなくて、体験は夫々あることもあるけどそれは証ではないよ。体験を掴んで話さないから自力だよ。捨てよ。真実の信心ではないよ。信心とは本願を信じて念仏もうせば仏になる。これだけです。と言ってるのです。が、意味わからなくて夫々でいいじゃん!と言ってるのです。信は夫々ではないのです。だから一心というのです。何か反論できるならしてください。もちろん親鸞聖人の言葉ですよ。

火星人さんへ

> 人の話を聞かない人ですね。

「断絶」について。
3カ月も前に私が書いた以下の文章をあなたに読んでもらいましたが、まだご理解頂けませんか?あなたも人の話を聞かない人ですか?

――――――

「断絶」ということにこだわっていらっしゃいますね。

> 自力と他力の間には深い溝があり断絶していると言いたかっただけです。

これも、S会で使う言葉ですね。
先日S会講師と信心の沙汰をしたときも、講師は「断絶がある」(TENに対してお前はこの断絶を分かっているのか?)と2回おっしゃいました。当然断絶はあります。「丸太や板切れしか知らない者」が「大きな船」に乗るのです。人生で「一度も海を見たこと無かった人」が「功徳の大宝海」に入るのです。断絶があって当然ですし、驚きがあって当然です。でもそれは、「私の側」からの見方です。

では、「阿弥陀如来の側」から見たらどうですか?
誰を乗せるために船を作ったのですか?誰を帰入させるための功徳の大宝海ですか?
私のために弥陀が用意してくださったんです。如来から見れば、「おー!やっと船にのったか!」とそこに断絶はございません。「乗せるべくして乗せた」のです。火星人さん、お分かりになりますよね。
もしも「私以外の人のために如来が用意した船」に「私が勝手に乗り込んだ」のなら、そこには「断絶」もあるでしょう。私一人がための大船ですよ。如来の願心が分かれば、どこにも断絶はございません。

私がいまお世話になっている先生が「救助隊」を例に教えて下さいました。山岳遭難救助隊のヘリコプターが出動したら、それは遭難者を助けに行くためです。遭難者をヘリコプターに乗せることは目的であって、遭難者がヘリに乗ることに「断絶」など、ひとつもありません。「断絶」よりも「当然」と言った方が適当ではないですか?信心決定した人にとっては断絶など問題にならないのです。それが二種深信ですよ。なぜ断絶を問題にするのかが分かりません。私たちの「断絶」よりも、弥陀の「当然」のほうが遥かに強いのです。弥陀の本願力は、大願業力です。大願業力に乗じるのが聞即信です。

「断絶」という言葉のみを独り歩きさせて平気で使っていらっしゃるS会T先生、S会講師、火星人さん、ともに「如来の願心を分かっていらっしゃらない」「疑情が晴れていない」「本願力の強さを知らない」「法の深信がたっていない」「もちろん機の深信もない」「断絶の本当の意味をわかっていらっしゃらない」というのが私の結論になりますが、よろしいでしょうか?

S会会員さんの信仰をお聞きすると、「機ばかりを問題にして法を説かない」「機を責めて救いを与えない」「求道の無限ループ」のT先生の教えの実態が分かります。そして「何かを掴んで腰を降ろしてしまった人」に対して信心の沙汰をしないS会の体質もよく分かります。
――――――――

正しい教えを聞いて弥陀目線を頂いて下さい。

お仲間に地獄秘事を説かないでください。


なんども言わせるな(笑)

なんども言わせるなでなくて(笑)あなたが、語る言葉がボキャブラリーが貧困だから、それしかないのでしょ(笑)親鸞聖人の言葉に照らし合わせて語ってくださいなと言ってます。それが真偽検証ですよ。あなたのは高森語録、火星人オリジナルでもありません。劣化版ですよ。講師連れて来てくださいよ。ところで淳心房さんのブログです。最近は思い切り名指しで貴方の信心が違うと書いてます。反論してください。それが真偽検証です。真か偽かですよ。勝てそうにない人には素晴らしいですね。と媚びるのですか?あと切れないのでくださいね。切れたフリして議論やめようとするのも真偽検証する態度とは言いません。ロジックでいきましょうね。

ネズミ講に似てますね

信心詐称の講師なら、適当なところで勝利宣言して書き込みを辞めて機関紙や法話で退会者の誹謗中傷する奴らに勝ったと宣伝する。しかしながら火星人さんは、高森会から疎まれております。高森がわざと信心決定できないようにしているのに、信心決定したなどというからですね。1年以上の長期書き込み続けるのは高森なみの変なものを掴んでしまっているからですよね。自分じゃもうしていないなんて認められないもの。ある意味高森にそっくり。ネズミ講は頭が捕まっても、ノウハウを覚えた手下がまたやります。それと同じで火星人も高森爺さん亡きあとの火星教団をつくり第二の親鸞会となるのを狙っているのかな。だから火星人オリジナルの信心が必要で、ぶっちゃけそもそも親鸞聖人と一味にすらなりたくない。必要なのは俺だけの宝で!俺だけの分かる教え!俺しか教えられない!希少価値高い!そして論理は通じないところにまた神秘を感じさせる〜!脳内錯乱状態にさせたときのひらめいた何か!これこそ最高!サムシンググレートとも言い、エル・カンターレとも言われ、我が火星教では火星的幸福と言うのであります!なんてね。それを駆使して信者獲得頑張るぞ〜!火星教の教祖誕生ですね。今わたしはそれを目の当たりにしてるのですね(笑)

みなさまへ(主に火星人さん)

こんばんわ、Abcです。

すこし気になっているのですが、

火星人さんは「高森会長の話で信心決定した」といわれています。
ですが、当の高森会長は「念仏ないから信心ひとつ」といわれたり、淳心房さんが書かれているように「私はいついつにこのような体験をし、ハッキリと救われた」などと言われております。しかし、「安楽椅子に云々」ともいわれています。

そして、私の質問となるのですが、
「『その体験』を通して、弥陀にすくわれた」といいながら「念仏でも唱えてまってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな」と「弥陀におまかせします」と唱えていたら死神がくるというのは一体どういうことなのでしょう?「死神が迎えに来る」と言う根拠を記していただきたいです。

------
ここからは「火星人さん以外の方」への質問です。

私がこれだけ「念仏 念仏」と大谷から呆れられるほどに「念仏」といっておりますが、私の伝え方が悪いのでしょうか。 アドバイスをお願いします。

※前に林遊さんからご指摘がありました、「淳心房さんの言っている話の焦点を広げているのでは?」ということに関しましては私の悪いクセです。
「ただ念仏のみぞまこと」、「念仏成仏これ真宗」などと「念仏」を推すあまり「体・相・用」に関しましては自分の中では「明確には分かれていません。」
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Abc

返答

Abcさま、
先ず死神などは存在しません。死神なる者が現れたなら説教して閻魔大王様に差し出してやりますわ。死神は存在しなくても、無常は迅速であり必ず何時とはなしに訪れます。その時に覚悟はいいか?と問いかけました。
TENさんへ
断絶という意味を勘違いしています。信心決定病は宿善を求めたらやがて開発して救われると思って横の線を歩き続けます。しかし、この横の線は無限に続いてゴールがありません。円形トラックを永遠に走り続けているだけです。縦の線は最初から有っても自力では絶対に越える事が出来ません。歩く事も出来ず、他力が何かも分からず、どうしたらいいのか全く分からない。善知識からも「助からない奴だ」と完全に見捨てられてしまいます。目の前にあるのは断崖絶壁だけしかありません。この自力と他力の間にある超える事が出来ない無限の断崖絶壁を断絶があると表現しました。この断絶は一切を弥陀に任せられなければ超える事が出来ません。自力では絶対に越える事が出来ません。

No title

法然上人のお言葉だ


浄土を欣えどもはげしからず、念仏すれども心のゆるなることを嘆くは往生のこころざしのなきにはあらず。こころざしのなき者はゆるなるを嘆かずはげしからぬをも悲しまず。
急ぐ道には足の遅きを嘆く、急がざる道にはこれを嘆かざるがごとし。
また好めばおのずから発心すと申す事もあれば、漸漸に増進して必ず往生すべし。
日ごろ十悪五逆を造れる者も臨終に初めて善智識に遇いて往生する事あり。いわんや往生を願い念仏を申して我が心はげしからぬことを嘆かん人をば仏も哀れみ菩薩も護りて、障を除き知識に遇いて往生を得べきなり。


自力信心を嘆く人も念仏を称え続ければ必ず往生できるとのご教示だ。

何が

念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

だ。言い訳なんか聞きたくないんだよ。
創価学会土蔵秘事の火星人

No title

法然上人 念仏を称えて待っていなさい、仏と菩薩が迎えに来てくださるから

火星人 念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな
創価学会 念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

火星人は、間違いなく創価学会土蔵秘事の教祖

Re:火星人さん

こんばんわ、Abcです。

>先ず死神などは存在しません。死神なる者が現れたなら説教して閻魔大王様に差し出してやりますわ。死神は存在しなくても、無常は迅速であり必ず何時とはなしに訪れます。その時に覚悟はいいか?と問いかけました。

? タルタロスもタナトスも「死神」といわれる方がたなのですが・・・
そして「死神が仮にいるとして」その死神に説教をすると。
なかなかにすごい事をいいますね。「死神」といわれる方たちは
「つねに人きり鎌を持たれている」と聞いていますが、そんな方がたに
「説教」をして閻魔のところまで連れて行くと。やはり火星人さんはすごいですね。

そのついでとして聞きますが、「火星人さんは高森会長と会われて時間とお金の無駄であリましたか?」ご返答お待ちしております。

Abc

No title

火星人は、阿弥陀仏の20願を通っていないことは認めたので、自力念仏についても無知ってことだわ。

火星人の知っている念仏は、創価学会土蔵秘事念仏。

念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな

が創価学会土蔵秘事念仏。

火星神の20願は、雑行やりまくりだし。

火星人さんへ

地球人さんがお示しの通りです。

親鸞聖人が法然上人から聞いていた内容と、あなたが高森会長から聞いてきた内容とは違うんです。

それすら知らないで、どれだけ体験談や断絶を語っても、それは「高森教」もしくは「火星教」という体験至上主義、地獄秘事の中での話しでしかありません。

> 一切を弥陀に任せられなければ

地獄秘事の話しに阿弥陀様を利用しないでください。

お仲間に地獄秘事を説かないでください。

Abcさんへ

死神云々は無常を言ってるのだ、誹謗ではないとあとから付けた嘘くさい弁明は無視してください。
そもそも火星人の一番の敵がAbcさんの念仏高田なんですよ。念仏してるだけのヤツが救われているはずがない、地獄行きだ!が本音です。最初から退会者や念仏を語る者を破邪す
るつもりなのです。彼にとっての信心は、一つ「下の心」がみえたことが条件。そして神秘体験がはっきりとあった事。念仏は雑行の理解です。彼にはステ物なんです。捨ててはじめて体験がある。そして信後はサンキュー、メルシー、シェシェと同じく、ありがとうの言葉が念仏。だからぶっちゃけアーメンでもラーメンでも言葉そのものはなんでも良いらしくて、何故なら、心で思うならお礼言ったことと同じだからです。で卒業したのでもう聴聞しません!
この信心のものしか認めません。他人は下の心が見えない愚かものなんです。だから親鸞会はカルトでない!お前らこそ世間に騙され洗脳されているカルトなのだ!と主張してます。選民思想です。勿論高森に次ぐのは、信心決定してる火星人しかいない!ここでのカキコミは火星教団の布石です。
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2016/11/post-89db.html
こちらは、一昨年のさよなら親鸞会での彼のカキコミになります。火星人と名乗ってませんがざっとみてすぐ芳ばしいので火星人のカキコミとわかります。suさんが火星の宗教と名付けるところも出てきます。今と主張が変わりません。今よりも本音が出ています。今体験しか語れないのも、ここで開陳するとまた論破されるからです。なので念仏念仏だというAbcさんが一番憎いのですよ。
あぁリンクは真面目に読まなくてもすぐ分かりますよ。高森教こじらせたな〜とすぐ目に付きます。目新しい主張はないですから。親鸞聖人一つも出てこない。高森の焼き直しです。
なんまんだぶなんまんだぶ

Re: チュウビさん

こんばんわ、Abcです。

>そもそも火星人の一番の敵がAbcさんの念仏高田なんですよ。
念仏してるだけのヤツが救われているはずがない、地獄行きだ!が本音です。
最初から退会者や念仏を語る者を破邪するつもりなのです。

さようですか、「新興宗教」云々(高森教もそうですが)となってきて、なんだかすごいことになってきていますね。

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 願(第二十二願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「かの国の菩薩、みなまさに一生補処を究竟すべし。その本願、衆生のためのゆゑに、弘誓の功徳をもつてみづから荘厳し、あまねく一切衆生を度脱せんと欲せんをば除く」と。{以上}

 聖言、あきらかに知んぬ。大慈大悲の弘誓、広大難思の利益、いまし煩悩の稠林に入りて諸有を開導し、すなはち普賢の徳に遵ひて群生を悲引す。

 しかれば、もしは往、もしは還、一事として如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし、知るべし。
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 (『浄土文類聚鈔』 より)

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自力の行者をば、如来とひとしといふことはあるべからず。おのおの自力の心にては、不可思議光仏の土にいたることあたはずとなり。ただ他力の信心によりて、不可思議光仏の土にはいたるとみえたり。
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 (『弥陀如来名号徳』 より)

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「行者のおのおのの自力の信にては、懈慢・辺地の往生、胎生・疑城の浄土までぞ往生せらるることにてあるべき」とぞ、うけたまはりたりし。第十八の本願成就のゆゑに阿弥陀如来とならせたまひて、不可思議の利益きはまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は尽十方無碍光如来とあらはしたまへり。このゆゑに、よきあしき人をきらはず、煩悩のこころをえらばず、へだてずして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。
---
 (『末灯抄』 より)

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法然聖人の仰せには、「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と仰せ候ひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候ふらんとおぼえ候ふ。
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 (『歎異抄 後序』より)

このように言われていますので、火星人さんには悪いですが、「念仏一行」なのです。

像末五濁の世となりて 釈迦の遺教かくれしむ
 弥陀の悲願ひろまりて 念仏往生さかりなり (『正像末法和讃』 より)

五濁(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)の悪世となって 釈迦の教えは隠れてしまった
 弥陀の悲願(なもあみだ)がひろがり 念仏往生(18願)が行き渡っている

※「釈迦の遺教かくれしむ」は、別の箇所では「竜宮にいりたまひにき」ともいわれています。

末法五濁の有情の 行・証かなはぬときなれば
 釈迦の遺法ことごとく 竜宮にいりたまひにき (『正像末法和讃』 より)

いまは、「行・証かなはぬとき」であるから、「念仏一行 行ずべし」なのです。

なもあみだ なもあみだ
Abc

返答

チュウビさん、思い込みと決めつけが激しくなってますね。
信心と念仏は二つであって一つだとチュウビさんから教えて頂きました。
親鸞会は、信心正因だと信心を強調して、念仏を称える事を教えません。
信心を獲て念仏を称える人を、念仏者とか常念仏の人だと言います。
「念仏唱えたら極楽だ」と勘違いして安楽椅子に座る人がいるからだと思います。SUさんの様に、信心を獲る為に自力念仏を真剣に称える人は本願に叶っていると思います。後生の一大事の解決を、阿弥陀仏の本願一つをたのみ、真剣に聞く事も一緒だと思います。本願を信じる念じるという事は疑いがあるという事ですが、自力では信じる事しか出来ません。
自力を捨てて他力に帰す、と言われますが、自力で自力を捨てる事が出来ませんでした。縦の線の向こうに他力があると分かっていても、深い溝が立ちはだかり、どうしていいのか分からない分からないともがくのみでした。「そのままだぞ」という声により、疑情が一念で晴れました。ハッキリと覚知できたので、TENさんはどうでしたか?と尋ねた所から永遠と論議が繰り返されています。
念仏一行の教えを知らなければ、浄土真宗の教えから離れたものになると指摘され、行巻と選択本願念仏集を読むように言われて行巻を読みましたが、難しかったので、ここで勉強させて頂いています。チュウビさんが妄想する様な変な野望はありません。
悪魔や魔界は聞いた事がありますが、死神も存在するのですか?死神が突然に現れても、念仏者は少しも動揺する事がありませんよね。

No title

>死神が突然に現れても、念仏者は少しも動揺する事がありませんよね。

動揺はしませんが、怒ります。何に対してか?

自力念仏を見下し、蔑み、馬鹿にする火星人のコメントに対して。

20願自力念仏の境地も知らず、もちろん18願他力念仏の境地など想像すらできない火星人には、妙好人の気持ちなど分かるまい。

火星人さん

> ハッキリと覚知できたので、TENさんはどうでしたか?と尋ねた所から永遠と論議が繰り返されています。

論議?すでに終わっていますよ。

現実に目を向けるのが怖いのでしょうか?
都合の悪いことを受け入れるのが嫌なのでしょうか?

私目線(俺が、俺が、の体験談や求道物語)にこだわってばかりだと、親鸞聖人が書いたものは読めないですよ。早く善知識にあって法蔵菩薩の求道ご苦労を聞いてください。自分の過去の体験を讃嘆してもなんの救いにもなりません。名号念仏を讃嘆して下さい。

そのように教えてくださったのが親鸞聖人であり、私の先生もそのように教えられました。

あなたは親鸞聖人の教えと異なるものを真宗だと思い込まされています。私目線で真宗を捉えるから、一念覚知、地獄秘事になってしまうんです。早く同行善知識から本当の真宗を聞いて、弥陀目線を頂いてください。

お仲間に地獄秘事を説かないでください。

返答

ちょっと誤解してませんか?
自力念仏する人を見下してはいませんよ。唱えた念仏をあて力にして極楽に往生できると思って安楽椅子に座っている人に対して、他力の信心を頂いて念仏を称えていますか?という意味ですよ。死神も無常も関係ありません。
真実の信心を獲る為に真剣に念仏を称える事は、必ず真実の信心に繋がっていると教えられていますよね。口先で軽い気持ちで唱える念仏では往生出来ないと蓮如上人も言っています。
都合の悪い事とは何なんですか?サッパリ分かりません。
過去の体験を握りしめているというのであれば、ちょっと違います。この様なハッキリとした体験をしましたと告白しただけです。
念仏については、阿弥陀仏の本願は無始より大宇宙の隅々まで届いている広大無辺の姿形の無い力だと言う認識で、浄土真宗の教えからかけ離れた思想に傾きかけていた事は事実であり、認めます。一念覚知の論文にもその様な事が書かれてました。
親鸞会の教えは地獄秘事とは違うと思います。「一切衆生必堕無間」だと経典にない言葉を連打して後生は一大事だぞといくら騒ぎ立てても、一大事だと思って真剣に聴聞している人は一人もいません。世間の現実的な問題の方が一大事です。地獄秘事になりようがありません。でも、専任講師は別だと思います。

都合の悪いこと

> 都合の悪い事とは何なんですか?サッパリ分かりません。

火星人さんにとって都合の悪いこと①

高森会長が教えている真宗は、親鸞聖人の教えとはまったく違っていたこと。
それを認めると、ご自身の信心が聖人の信心と違うと認めることになるから。

親鸞会は秘事法門です。
あなたが信頼している山も山さんのブログからの引用しましたが、読みましたか?親鸞会で言っていることは親鸞聖人の教えとは違います。
ご自身に都合の悪いことは読まないですよね。

――――――
1.聖典を曲解した異義を秘密裡に伝授する法門
このネット時代には「秘密裡」にはできませんし、親鸞会は機関誌を通じて公表もしています。しかし、富山県射水市の親鸞会館内でしか、会長独自の話の全貌を知ることはできないので、これに該当します。どのように曲解しているかについては、ネット上で種々指摘されていることなので、省略します。

2.特定の指導者から信心がさずけられるとする善知識だのみ
前回のエントリーに書きましたが、親鸞会は善知識だのみの団体ですからこれに該当します。

3.罪悪感を強調し異常経験をあたえる地獄秘事
最近は言わなくなりましたが、かつては「後生の一大事(必堕無間)」を強調し、法話の内容も罪悪をことさら人に問い詰める話が多かったので挙げました。

4.儀礼を終えた者を仏に擬する一益法門
親鸞会の中では、まさに高森会長がこれに該当します。何しろ聖典をろくに読まなくても、「聖典に書かれたことが全てわかるスーパー善知識」ということにしています。

以上のことから、宗教法人浄土真宗親鸞会は土蔵秘事(秘事法門)です。会員の方の言われる「土蔵秘事」は、親鸞会発行の教学聖典による定義からの意見なので、正しい定義に基づけば疑問は解消されると思います。
―――――

No title

>自力念仏する人を見下してはいませんよ。

嘘つくな。以下のコメントは、救われた後の発言だよな。

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悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

投稿: | 2016年12月 7日 (水) 13時47分
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念仏さえ唱えていれば良いのだという考え方はキリスト教のアーメンと同じじゃん。「悪い事しても懺悔してアーメンと言えばすべて許されて天国に行けます。」ってか

投稿: | 2016年12月10日 (土) 15時10分
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念仏でも唱えて待ってろよ。すぐに死神が迎えに行くからな。

投稿: | 2016年12月10日 (土) 21時41分
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仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
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念仏唱えれば往生できる善人様だという心が心底にありますね。

投稿: | 2017年1月 3日 (火) 13時21分
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クソ坊主教のクソ坊主は「念仏唱えたら極楽だ」と庶民を安心させて金儲けの種に説法や葬式をしているのよ。ありがたやありがたやとクソ坊主が感謝されたいだけなのよ。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 10時44分
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念仏唱えたら極楽だと言っていたほうが「クソ坊主教」の金儲けになるのね。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 11時00分
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返答

だから、親鸞会は異端だと認めましたよね。
2000丈の土蔵を作ったってか。一度に10000人に秘事をあたえているのかな。
10年、20年がかりの土蔵秘事だと言いたいのかと思いますが、善知識が信心を与えるという話は聞いた事がありません。私はお門違いだと見捨てられました。
仏教は後生の一大事に始まり、その解決に終わると言われます。
その後生の一大事をないがしろにする教えは仏教と言えますか?
専任講師は別の意味で機責めにされて錯乱状態にされてるとは思います。
SUさん
よくも古いコメントを持ち出しましたね。SUさんは今でも「念仏さえ唱えたら極楽に往生できるのだ」と念仏を軽く見ているのですか?信心と念仏が一つにならないとダメです。疑いがあるから信じるのではなく、露塵の疑いがなくなった信心です。疑情があるという事は本願を疑っているという事で念仏誹謗だと言いたいところですが、真実の信心を獲たいと願って真剣に念仏を称えているSUさんは20願の人であり、化土往生の人です。しかし、弥陀の願いは報土往生だという事を忘れないで下さい。

No title

>「念仏さえ唱えたら極楽に往生できるのだ」と念仏を軽く見ているのですか?

「念仏さえ唱えたら極楽に往生できるのだ」というのが間違いだと念仏を誹謗したのが救われた筈の火星人。

親鸞聖人も法然上人も「「念仏さえ称えたら極楽に往生できるのだ」と断言されています。何十回も教えた通りでしょ。

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念仏唱えていても死んだら地獄だよ。
*******************************
こう言っていた火星人が、「念仏さえ称えていたら極楽に往生できるのだ」という他力の信心を獲ている道理がない。

それとも何か?この一年の間に、改心懺悔して、その後に再度救われたとでもいうのか?

他力の信心=「念仏さえ称えていたら極楽に往生できるのだ」と深く信じた心
火星人の信心=念仏唱えていても死んだら地獄だよ

No title

極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得(行巻)

定散自力の称名は
 果遂のちかひに帰してこそ
 をしへざれども自然に
 真如の門に転入する
   (浄土和讃)

「但有称名皆得往」といふは、「但有」はひとへに御なをとなふる人のみ、みな往生すとのたまへるなり、かるがゆゑに「称名皆得往」といふなり。(唯信鈔文意)

No title

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。(末灯鈔)

18願
=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきこと

自力の信心
=信心あさく

他力の信心
=念仏往生とふかく信じて
=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

深心はすなはちこれ真実の信心なり。
自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく(行巻・信巻)

機の深信は、出離できるような善ができない。(善ができないではなく薄く少ない)
法の深信は、念仏をして往生できることに疑いなし

念仏称えて助かるとハッキリスッキリしたのが、信心決定。


蓮如上人も

専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。

と仰ってますが。

念仏一行と心が定まりきった人は、必ず報土に往生できる。

信心決定
=専修正行になりきはまるかたの執心
=念仏一行と心が定まりきる


一心念仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜・悟・信の三忍を獲べきなり。(正信偈大意)

信心決定
=一心念仏
=一念慶喜の信心さだまり

No title

>よくも古いコメントを持ち出しましたね。

一年前コメントをしていた時は、

1.救われていた
2.救われていたと思っていたが間違った信心だった

簡単な質問なのでどちらか明確に答えよ

SUさんに便乗して

こんばんわ、Abcです。

>今でも「念仏さえ唱えたら極楽に往生できるのだ」と念仏を軽く見ているのですか?(火星人さん)

念仏を軽く見る とか 重くみる というのはどちらにしても「自らの計らいにてみる」という「自力」であるため「他力に任せる」とはなりません。

『観経疏 玄義分』 より
願以此功徳 平等施一切
同発菩提心 往生安楽国 とあります。

私訳:
 この功徳をもって願となし 平等に一切を施す。
菩提心を同じく発し 安楽国に往生することを。

※この「菩提心」は「他力による菩提心」であり、「自力無上の菩提心」ではありません。「この教え」と書物にありましても「頓教(浄土教)」と「漸教(聖道教)」とがあるようなものです。

親鸞は『正信偈』にて、
「道俗時衆共同心 僧侶も在家も時衆(時宗)も 共に同じ心となりて、
唯可信斯高僧説 ただ其の(斯)高僧の説を信ず可し」
(『文類偈』では、「道俗時衆皆悉共 唯可信斯高僧説」にあたります)


といわれています。「共同心」も「他力による菩提心」です。

なもあみだ なもあみだ
Abc

都合の悪いこと②

> だから、親鸞会は異端だと認めましたよね。

親鸞会を異端だと認めるのですね。
では、なぜ親鸞会での「言葉の定義」も異端だと認められないのですか?
真宗における「秘事法門」の言葉の定義を無視して、「親鸞会発行の教学聖典」の定義をまだ信じているのですね。

> 都合の悪い事とは何なんですか?サッパリ分かりません。

火星人さんにとって都合の悪いこと その2

 親鸞会での「言葉の定義」を異端だと認められない。
 それを認めたら自分の信心が異端であることを認めることになるから。


以下は「親鸞会の言葉の定義」に基づいてあなたが創作している話であって、「真宗の言葉」ではありません。

> 2000丈の土蔵を作ったってか。一度に10000人に秘事をあたえているのかな。
> 10年、20年がかりの土蔵秘事だと言いたいのかと思いますが、善知識が信心を与えるという話は聞いた事がありません。私はお門違いだと見捨てられました。


「正しい言葉の定義」を学ぶところから始めて下さい。
お仲間に地獄秘事を説かないでください。

Abcさんに伺いたいです

信心については、2年前も3年前も何も変わりはございませんが、SUさんと激闘した時は高森教の教えしか聞いた事がなく、正しい真宗の教えを知りませんでした。信行具足の他力念仏が正しい念仏だと思います。
高森教は信心一つを強調しますが、信前の自力念仏については、「どうか今度の後生の一大事お助け下さい」と頭を下げて唱える念仏と、「念仏唱えているから悪い事にはならないだろう」と計らって唱える念仏と、セリフでただ南無阿弥陀仏と口先で唱える念仏があります。安楽椅子の念仏と口先だけの念仏を軽く唱えていると戒めましたが、お聖教をうら読みすると口で唱えた南無阿弥陀仏に功徳がある様に書いてある様な気がしてきます。
私は念仏を称える心が最も重要視されると考えていますが、心を重視しすぎると南無阿弥陀仏を離れた異端にもなりかねないという事に気付きました。
念仏について詳しいAbcさんは、信前の念仏についてどの様に理解して解釈されているのかお伺いしたいと思います。

No title

>よくも古いコメントを持ち出しましたね。

一年前コメントをしていた時は、

1.救われていた
2.救われていたと思っていたが間違った信心だった

簡単な質問なのでどちらか明確に答えよ


この答えが

>信心については、2年前も3年前も何も変わりはございませんが、

なら

他力の信心
=念仏往生とふかく信じて
=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

火星人の信心
*******************************************************
悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

投稿: | 2016年12月 7日 (水) 13時47分
*******************************************************

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念仏さえ唱えていれば良いのだという考え方はキリスト教のアーメンと同じじゃん。「悪い事しても懺悔してアーメンと言えばすべて許されて天国に行けます。」ってか

投稿: | 2016年12月10日 (土) 15時10分
*******************************************************

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念仏でも唱えて待ってろよ。すぐに死神が迎えに行くからな。

投稿: | 2016年12月10日 (土) 21時41分
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仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
*******************************************************

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念仏唱えれば往生できる善人様だという心が心底にありますね。

投稿: | 2017年1月 3日 (火) 13時21分
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クソ坊主教のクソ坊主は「念仏唱えたら極楽だ」と庶民を安心させて金儲けの種に説法や葬式をしているのよ。ありがたやありがたやとクソ坊主が感謝されたいだけなのよ。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 10時44分
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念仏唱えたら極楽だと言っていたほうが「クソ坊主教」の金儲けになるのね。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 11時00分
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やっぱり、火星教の信心は念仏誹謗の信心だってことよ。

No title

どう考えても、火星人の信心は

創価学会土蔵秘事信心

火星人さんへ

> 念仏について詳しいAbcさんは、信前の念仏についてどの様に理解して解釈されているのかお伺いしたいと思います。


いまあなたが称えている念仏が信前の念仏です。
理由は、自分の称え心を問題にしているから。

というか、あなた念仏称えていませんよね?
理由は、念仏をアーメンやらうめんと同じくらいに思って蔑んでいるから。

以下はあなたの発言です。
1.称え心を問題にしている
2.念仏をさげすんでいる
の根拠です。
--------------
称える心こそが肝要ですね。名号は形なので、なまんだ~ぶも、なんまいだ~もなもあみだ~も、ありがたや~も、火星語のらうめんだ~も一緒であり、称える心は一味平等の念仏になります。
18/01/05 火星人
--------------

念仏誹謗の心をひるがえして念仏を称えてください。
念仏を称えて心をひるがえしてください。
お仲間に地獄秘事を説かないでください。

都合の悪いこと ③

> 都合の悪い事とは何なんですか?サッパリ分かりません。

火星人さんにとって都合の悪いこと その3

あなたは「信前に念仏一行になること」「念仏一行になった人に信心決定があること」が認められない。
それを認めると、「念仏は信後」「念仏はお礼」という高森教に基づく自分の信心が間違っていることを認めることになるから。
「念仏一行」になっていなかった自分の求道が間違っていることを認めることになるから。


あなたが念仏一行になっていない根拠はsuさんが沢山お出しになっています。お借りします。
*******************************
仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
*******************************
悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

投稿: | 2016年12月 7日 (水) 13時47分
*******************************

Abcさんから念仏についてよくお聞きになって下さい。
あなたは自分に都合が悪い話になると耳をふさぐので、同じところをグルグル周っていますよ。一年前と今と、同じに見えますよ。suさんは一年以上その姿を見続けています。このブログをご覧のみなさんも火星人さんのコメントを見て「また言ってるよー・・・」と思っていますよ。

たとえ自分に都合が悪いことでも、「この人のおっしゃることなら聞ける」と信頼できる御方に早く出会ってください。
「高森教の教義」と「念仏誹謗の心」を捨てて、念仏称えて下さい。
お仲間に地獄秘事を説かないでください。

妄想はどちらですかね?

妄想はどちらですかね?貴方は念仏を知らないのに二、三年前には信心決定していたという。錯乱してたまたま阿弥陀様とシナプスが繋がることもあるという。念仏称えただけだと死神は、あの時は無常に例えたという。が他のコメントでは明らかに誹謗している。最近ではsuさんに20願の念仏だという。全ては他力回向が、わかってないからです。わかってない、ことすらわかっていない。選択本願念仏集を読みましたといっても読めていない。自分都合で解釈して自力で推し量っているのです。阿弥陀様目線がわからないといいましたね。分からないから自力なんです。味わいだから夫々だと言いましたね。味わいは自分の思いです。死ぬ時消えますよ。私やTENさんは、阿弥陀様が回向してくださる念仏が信心とはっきり決定したのです。だから味わいではないので消えません。それを前から言ってますよ。貴方が他力が分からないから、決着しているの言葉の意味がわからないのです。
なんまんだぶなんまんだぶ

根拠を出してください

火星人さんがその体験を真実信心と思う根拠は?高森爺さんの話通りだから。親鸞聖人の根拠は出せない。
suさんに対してまだ20願の念仏だと言える根拠は?自分が勝手に思っただけ、親鸞聖人の言葉をあげれない。というかsuさんは親鸞聖人の言葉を根拠にしてますけど、それを未だに真実信心でないと言えるのは、親鸞聖人よりも上なんですね。よくそれで人のこと謗法罪と言えますね。だから火星教団の教祖と言ってます。で仲間に言ってるわけでしょ。一方で親鸞会とは距離をおいていると言ってたのだから、当然独立しての新しい教団つくるわけですよね。私の妄想でなくて推論した結果ですね。

No title

火星人の根拠は体験のみ

No title

親鸞聖人 20願は雑行を捨てなければならない
火星人 20願は雑行しまくり

No title

火星人も馬鹿だなぁ。1年前は念仏誹謗した間違った信心だったけど、皆さんに教えてもらって正しい信心を頂いたとでも嘘をつけば良かったのに。
頭悪すぎ。

都合悪くないですよ

え!信心を頂いて初めて念仏一行になれるんじゃないの?
信前は「どうか今度の一大事の後生をお助け下さい」という念仏ですよね。
信後は「間違いありませんでした。感無量です」という報恩の念仏ですよね。
聖人一流の章に、ハッキリとその事が書かれていますよね。
信心を頂けば、口に念仏唱えなくても念仏者という。常念仏の人だと書いてありましたよね。信心に念仏が具足してると思っていますよ。
異端の高森教の信心だと皆から言われますが、仕方がない事だと思います。
疑情があるという事は念仏の功徳を本当に信じていると言えるのですか?
疑いがあるから、常に口に念仏しないと不安になるのではないのですか?
信心に念仏が具足しているから、口に唱えなくても常に念仏が具足してますよ。
別に都合の悪い事だとは思ってません。
SUさんが、今唱えている念仏で満足ならば何も文句は言いません。
過去のコメントは訂正して謝ります。

No title

>え!信心を頂いて初めて念仏一行になれるんじゃないの?

過去も現在も間違った信心。

何度言わせるのか。

20願は念仏一行。

三願転入したのも嘘、信心ももちろん嘘の火星人。

No title

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。(末灯鈔)


自力の信心
=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、あさく信じて

他力の信心
=念仏往生とふかく信じて
=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

信前も信後も念仏一行。ここでの信前の念仏一行は20願のこと。

ア●すぎの火星人。

Re:火星人さん

こんばんわ、Abcです。

>信心については、2年前も3年前も何も変わりはございませんが、SUさんと激闘した時は高森教の教えしか聞いた事がなく、正しい真宗の教えを知りませんでした。信行具足の他力念仏が正しい念仏だと思います。

つまり、前に議論した時は「高森教」を修していたということですね。討論の内容は知らないにしても「高森教は真宗ではない」というSUさんの意見は正しいです。


>高森教は信心一つを強調しますが、信前の自力念仏については、「どうか今度の後生の一大事お助け下さい」と頭を下げて唱える念仏と、「念仏唱えているから悪い事にはならないだろう」と計らって唱える念仏と、セリフでただ南無阿弥陀仏と口先で唱える念仏があります。安楽椅子の念仏と口先だけの念仏を軽く唱えていると戒めましたが、お聖教をうら読みすると口で唱えた南無阿弥陀仏に功徳がある様に書いてある様な気がしてきます。

「口で唱えた南無阿弥陀仏に功徳がある様に」おもっていることを源空聖人(法然上人)は「疑情」といわれたのです。(他に「自力執着」ともいいます


>私は念仏を称える心が最も重要視されると考えていますが、心を重視しすぎると南無阿弥陀仏を離れた異端にもなりかねないという事に気付きました。

「自力の心(自力の義)」を重視すると、先にも述べた「疑情」でありますので、「南無阿弥陀仏」はいただくことが出来ません。また、いただくことが出来ないので弥陀がおつくりになられた報土安楽国(弥陀光明土)にも往生できません。
 気づいたならば「20願を捨てて18願を修めて下さい」。
※「9願文」のなかで「報土の願でない願」は、19願と20願です。

>念仏について詳しいAbcさんは、信前の念仏についてどの様に理解して解釈されているのかお伺いしたいと思います。

「信前」は
「 まづ三悪道をはなれて人間に生るること、おほきなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや。家はまづしくとも餓鬼にまさるべし。心におもふことかなはずとも地獄の苦にくらぶべからず。世の住み憂きはいとふたよりなり。このゆゑに人間に生れたることをよろこぶべし。

 信心あさけれども本願ふかきゆゑに、たのめばかならず往生す。念仏ものうけれども、となふればさだめて来迎にあづかる。功徳莫大なるゆゑに、本願にあふことをよろこぶべし。」(横河法語 伝・源信僧都) と言われている通り、

「弥陀を疑っている浅間しき身であるが、本願功徳が深いから 私のところまで届いている」と受け取ることが出来ました。

「信後」は、七高僧 親鸞 真佛 顕智 覚如 蓮如 等々いわれるように「念仏三昧 専修念仏(専修正行) 念仏成仏コレ真宗」です。『大経』にもかかれているとおり。「弥陀が法蔵比丘のときに六度万行やいろいろを私たちが行えないのを知られた上で「われ一人たすけん!!」と言われています。」 ですから、私たちの側では「万善万行のすがた」である「南無阿弥陀仏」を唱えさせていただくのみ(専ら名号称ふべし)となります。

このことを、私たちの師である源空聖人(法然上人)は主著『選択集』のなかにて、
 「すでに一向といふ、余を兼ねざること明らけし。すでに先に余行を説くといへども、後に「一向専念」といふ。あきらかに知りぬ、諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向といふ。もししからずは一向の言もつとももつて消しがたきか。」

既に一向といわれている。その外(余行)をかねないことは明らかである。
既にその前にて余行を説いていたとしても、後に「専らに念じよ」といわれている。 このことからも知ることが出来る。(※「あきらかに知りぬ」は「あきらかに知んぬ」の原型であり両者は同意語です)「諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向」といわれるのです。もしそうでなかったならば、一向とは全く然って言われないのではなかろうか。 (私訳)

とあります。「あら、こころえやすの安心や」です。

なもあみだ なもあみだ
Abc

火星人さんへの、追記

連投申し訳ございません。Abcです。

>私たちの師である源空聖人(法然上人)は主著『選択集』のなかにて、云々(私の発言)

でありますが、源空聖人の師である善導大師は『法事讃』にて、

 「弘誓、門多くして四十八なれども、ひとへに念仏を標してもつとも親しとなす。
人よく仏(阿弥陀仏)を念ずれば、仏還りて念じたまふ。専心に仏を想へば、仏、人を知りたまふ」と言われています。
ここの「専心」は源空聖人の「一向」であり、親鸞のいう「一心」であり、蓮如のいう「ふたごころなく」であります。

繰り返しとはなりますが、「真宗とは「弥陀の教え」をきき、そのすがたである「南無阿弥陀仏」をとなえ、弥陀の悲願に出遇われ、念仏慶ぶなかまのあつまり であり 御法義である」なのです。そのため「私の力で云々」と言われている間は、「因果相順の理」で「そのしかるべき場所」に往くこととなるのです。

Abc

Re:火星人さん

またまた、申し訳ございません。Abcです。

すこし気になったところがありましたので記させていただきます。

>信心を頂けば、口に念仏唱えなくても念仏者という。常念仏の人だと書いてありましたよね。信心に念仏が具足してると思っていますよ。

確かに「信心に念仏が具足」していますが、仏の本願は、
「吾に任せておくれ」という「称名正因」です。「唱えなくても」ではありません。
よくよく留意していただきたい箇所です。

>異端の高森教の信心だと皆から言われますが、仕方がない事だと思います。
高森教は異端です。「阿弥陀仏の踏み絵」があったならば、「気持ち悪いものだから」と言う理由で躊躇無く踏みつけるでしょう。

>疑情があるという事は念仏の功徳を本当に信じていると言えるのですか?
ですから、私がこうして「念仏一行」についてしるしているのです。一言で申したならば「南無阿弥陀仏」におさまるのですが。

>疑いがあるから、常に口に念仏しないと不安になるのではないのですか?
「弥陀仏が「行いなさい」とお釈迦を通じて阿難や浄飯王に勧められたように私もまた「行いなさい」と申されている」ので「行っております」。

>信心に念仏が具足しているから、口に唱えなくても常に念仏が具足してますよ。
「第四の正因」です。

「知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。」(源空聖人(法然) 『選択集』より)

とあります。「行い易いおこない」をおこなわずして、報土に出づると言われるのでしょうか。全く以っての不審であります。

Abc
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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