高森の教行信証(信編) - 「一念の救い」と言いながら、実際は「20年や30年」「30年40年」「100年や200年」では獲得不可能の信心

親鸞会では、阿弥陀仏の救いに時間はかからない、「一念の救い」だとよく言われます。

「『一念』とは、人生の目的が完成する、何億分の一秒よりも速い時をいう」
”人間に生まれたのは、これ一つであった”と、人生の目的が成就したのを「信楽開発」と言い、その分秒にかからぬ速さを「時剋の極促」と言われている。まさに極速円融といわれるゆえんであろう。
 では、なぜ弥陀の救いは、こんなに早いのか。(中略)

「弥陀の悲願は徹底しているから、一刹那に臨終の迫っている、最悪の人を眼目とされている。もしあと一秒しか命のない人に、三秒かかるようでは救えない。一念の救いこそが、弥陀の本願(誓願)の主眼であり、本領なのだ」
(『なぜ生きる』p.342~p.343)

いかにも今日聞いて今日救われる、今臨終の人でも救われるかのように語っています。実際、今臨終の人でも救われる教えであることは間違いありません。『観無量寿経』下品下生では、十悪五逆の罪人が臨終に善知識に遇い、勧められるまま念仏を称えて往生したことが説かれています。しかし、高森教ではこれも大ウソです。

親鸞会では「平生業成」の看板を掲げて「人生の目的が現在に完成する」などと言うものですから、いかにもすぐ、聞く人によっては一座の聞法で、時間がかかる人でも3年くらいで「人生の目的」が完成して「絶対の幸福」になれるような印象を受けます。ところが、よくよく聞いていきますとそんなことは無く、その「一念の救い」、要は「高森の信」を求めて「高森の教」を学び「高森の行」を修めていかなくてはなりません。つまり

救われるのは「一念」だが、その「一念」に到達するのは時間がかかる

というのが実態なのです。その「時間がかかる」というのも三秒くらいならいいですが、

・20年や30年で獲られる信心なら「億劫にも獲難し」と言われるはずがない(これが獲信か、7P)

・雑行、雑修、自力の心を知るには30年40年かかるだろう。(教学講義)

・信心獲得は100年や200年求めて獲られるような、ちっぽけなものでなく、多生永劫、求めてようやく獲られるもの、ということが明らかです。ーーー
 我々も魂のリハビリをしているようなもので、信心獲得までには肉体のリハビリどころでない、多生永劫という長いリハビリの時間を要するのだ、と教えて頂きました。(昨年来た友人の手紙・会員暦30年以上)
『私の白道』5より)

とあるように「20年や30年」「30年40年」「100年や200年」で獲られるようなものではないというのですから、実質現世では不可能ですわ。そんな本願では、「一刹那に臨終の迫っている、最悪の人」「あと一秒しか命のない人」はおろか、年若く健康で、頭脳明晰、やる気に溢れた大学生でも不可能です。あまり適当な例えではありませんが、超サイヤ人ブルーの界王拳の悟空、超サイヤ人ブルーの力を更に超えて破壊神同等のトッポを倒したベジータ、超サイヤ人ブルーと同等に戦える17号の同時攻撃を破るジレンに俺ら生身の人間が勝負を挑むみたいなもんで、力の差は歴然、試合の前から既に勝敗は決しています。


それもそのはずで、「信文類」「化身土文類」には

・また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。
・雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。


と教えられています。高森教はひいき目に見て雑行の教えですから、二双四重の教判ではひいき目に見て横出」に分類されます。これは確かに「100年や200年」ではない、報土への回り道なので納得です。

親鸞会の教えは「横超」に「横出」をくっつけたような珍しい教えなので、「一念で救われる」と言う時は「横超」の方を強調し、そうやって聞く者を誘い出して「横出」の方へ導き、いつまでも救われないと不足をならす会員には世間事と比較して「後生の一大事」の重さを説いて黙らせるという手法を用いています。「横超」「横出」といってもそれは言葉だけ浄土真宗で、その実は「一念の救い」という「高森の信」を目指して善の勧めと称した「高森の行」をやっていけという「高森の教」です。

まず、「絶対の幸福」というエサをぶら下げ、次に釣れた者を無常と罪悪でせめたて、「後生の一大事」を説いて死後の恐怖を煽り立てます。すると聞く者は何とかそんな一大事から逃れたい、そして変わらぬ幸福の身になりたいと思い、「後生の一大事」の解決と、「絶対の幸福」の獲得を目指して組織拡大に利用されてゆくのです。「聞法(聞邪義)」を重ねさせることで「高森の教」を刷り込み、「最も宿善厚くなる行為」「全人類が救われるたった一本の道を示すという素晴らしい善行」との触れ込みで「破邪顕正(弘宣邪義)」を正当化し実践させています。それに加え、組織を拡大させ基盤を安定させる「財施(献金)」、会長及び上司への「無条件服従」が勧められるのは勿論です。親切や親孝行、約束を守るといった日常生活、倫理道徳的な善行はサブ的な要素で、積極的に勧められるのは上に述べたような行為です。

私もそうでしたが、「現在只今助かる」という言葉に惹かれて会員の皆さんは聞き始めたのだと思います。しかし、聞いても求めても助からない。「一念の救い」に遇えない。「絶対の幸福」になれない。その理由については「事は後生の一大事だから」「教えは正しいがついていけない自分が悪い」などと自分で自分を納得させ、一朝一夕ではいかないんだと、「20年や30年」「30年40年」「100年や200年」で獲られるようなものではないものを求めているんだということで、現役会員の方々は今ではすっかり「現在只今助かる」をアキラメているのではないでしょうか?


会員の皆さんが親鸞聖人の教え通り「真実の行信」を獲られないのは、皆さんの聞き方、求め方が悪いというよりは、教えが間違っているからです。教義的にひいき目に見て「三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善」「横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門」の教えを行じていて「真実の行信」を獲られる方がおかしいのです。加えて、実態としての行は悪業悪行がメインで、しかも浄土往生、成仏というよりは「絶対の幸福」という夢・幻のような現世の幸せが目的ですから、世間的な幸福云々を超えた出離を目指した上での18願の救いが判るという方がどうかしています。

18願の信、「真実の信」は、私達が仏願の生起本末、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて疑い無いことです。それは自分で起こす信心、自分でそうだと思い固める信心とは違いますから、「本願力回向の信心」と言われています。「必ず極楽へ迎えるから、安心してまかせなさい」という勅命をそのまま受けるのがすなわち信です。本願は成就して、既に南無阿弥陀仏と成って今現に私にはたらいていますから、「そなたを助ける法が今はたらいておるぞ」と聞くのです。そう聞いたなら、そう受け容れたなら、己の計らいは要りません。つまり自力が廃る、自力を離れるのです。後は、命ある限り如来の救済法である「南無阿弥陀仏」を口に称えて、如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳をかみしめ、至徳を報謝する人生を生きて行くのです。これがよく真宗の「信心決定」したる「念仏の行者」というものです。

南無阿弥陀仏」の勅命を受けたその時、臨終を待たずして浄土往生が定まりますから、これを「平生業成」といいます。何か特別な行が必要なわけでもなく、私達としてはただ本願力にまかせるだけですので、今臨終という人でも間に合います。今臨終という人に「高森の行」をやっていかねば助からない、「20年や30年」「30年40年」「100年や200年」で獲られるようなものではないと説くのはあまりに無慈悲です。こんな教えでは誰も助からないということは今まで述べてきた通りです。

信心獲得」「信心を頂く」と聞きますと、どうしても「頂く」ということに執着し、何か物を貰うように阿弥陀仏から何かを賜るんだろうと思いがちですがそうではありません。「信心獲得」「信心を頂く」というのは、要は「計らいを捨てる」「計らいは要らない」ということです。「ただ南無阿弥陀仏のいわれを聞け」「「助けるぞ」の勅命を受けよ」とこういうことです。それを私はよく「本願を信じ念仏する」と申し上げているわけです。会員の皆さんには、現世では獲得不可能な「高森の信」「絶対の幸福」を追い求めることはもう止めて、親鸞聖人の仰せに耳を傾けて本願を信じ念仏して頂きたいと思います。
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

今日は、以下の文
>救われるのは「一念」だが、その「一念」に到達するのは時間がかかる
について話してゆきたいと思います。

「一念」とは「聞く、即ち信じる(聞即信)」の一念から生じています。そのため「救われるのは一念である」といわれます。ここで問題になるのは「どう救われるのか」でありますが、「捨自帰他の教え」とも言われるように「自力廃れるの後」であります。
有り体にいえば「弥陀におまかせしての後」です。そのため「弥陀におまかせする」という意味(林遊さんから「相は効能である」と学びました)である、
「南無阿弥陀仏」 「帰命無碍光如来」 「南無不可思議光如来」
とおまかせする言葉(称えさせていただく名号)はいくつもございます。阿弥陀さまは「「なんまんだぶ」としか称えてはならない」とは言われていません。もしそのように言われていたならば先ず天親菩薩は「世尊はわたしたちに「帰命尽十方無碍光如来」と一心に勧め、安楽国に生まれさせていただくことを願いました」とはなりません。


つぎに、「「一念」に到達するのは時間がかかる」ですが、一般論から言いまして現在における人間の平均寿命はおおよそ80歳です。その80年間救われること無く、「生死の苦海」に還っていくのは、「我利々々亡者」だけです。言い方をかえますと「自力にしがみついているもの」だけです。「自力にしがみついている」ならば「迂回の善」にあたるので、いつまでも「迂回路」を通らねばなりません。
 少し話しがズレますが、真宗は「平生業成の教え」であり「横超の教え」でもあります。 『正信偈』には、

「光闡横超大誓願」 : すみやかに仏になる法(横超大誓願=第十八願)を広く説かれた

とあります。また「浄土高僧和讃 龍樹抄」にて

不退のくらゐすみやかに えんとおもはんひとはみな
 恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし

不退の位をすみやかに獲ようと思う人は皆、
 「弥陀におまかせする」という心を強く持って
 弥陀の名号を称えなさい

と「すみやかに」という語句があります。これは古来からの仏道修行では、私たちが助かることが出来ずただただ死んでゆかねばならないからこそ、「すみやかに救われる教え」として「浄土教」があるのです。

別の『和讃』では、
小慈小悲もなき身にて 有情利益おもふべし
 如来の願船いまさずば 苦海をいかでかわたるべき

私たち凡夫は小慈小悲もなき身であるからこそ、 弥陀による有情利益をおもわなければならない
 如来の「助けるぞ!」という船が無かったならば、 どのようにして苦海を渡るのだろうか

ともあります。ですからそもそもの「浄土教」という教え自体が「すみやかということに特化した教え」 とも見ることが出来ましょう。

なもあみだ なもあみだ

Abc

質問お願いします

一念は、後なんですか?行信は信の後に行が来るということですか?同じ状態だと思ってましたので前後があるのですかね。一念も色々意味がありますけど、夫々が独立した言葉でなくて同じ状態をある面からこう言ったりああ言ったりしていると理解してました。如何でしょうか?

Re: 質問お願いします

> 一念は、後なんですか?行信は信の後に行が来るということですか?同じ状態だと思ってましたので前後があるのですかね。一念も色々意味がありますけど、夫々が独立した言葉でなくて同じ状態をある面からこう言ったりああ言ったりしていると理解してました。如何でしょうか?

「一念」の意味については

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%AD%E3%82%93

にある通りです。順番をつけるとすれば、

「行の一念」というのは、名号が私の心にいただかれて(信の一念)、それが称名となって出てきた最初の一声ということになります。(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%89%E5%BF%83%E8%AB%96%E9%A1%8C/%E8%A1%8C%E4%B8%80%E5%BF%B5%E7%BE%A9より)

となるのですが、そこまでこだわる必要はありません。これにあまり固執しますと高森教のように「念仏は信後報謝に限る」と念仏軽視の傾向に陥り、「信心正因」「唯信独達」とにかく信心が大事だと、念仏とは無関係のありもしない信心を追い求めることにつながります。

名号が心に頂かれたすがたが信心、それが口に出れば称名で、別々のことではありません。

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。

とあるように信行不離であり、仰るように「同じ状態をある面からこう言ったりああ言ったりしている」ということでよいと思います。往生にはただ念仏と深く信じてなんまんだぶなんまんだぶとお念仏称えさせて頂く、これだけです。なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ・・・

Re: Abc様

ご解説ありがとうございます。答える時と答えない時がありますが、全てのコメントに目は通させて頂いておりますので、その点はご安心下さい。

お示し頂いた『高僧和讃』では、

恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし

と仰り、真実の信心で念仏しなさいとしか教えられていないことが分かります。この御和讃一つとってもいかに高森教が真実の行信とは似ても似つかぬ高森の行信を説き与えているかが知られます。


ところで、悲嘆述懐の和讃は

小慈小悲もなき身にて
 有情利益はおもふまじ
 如来の願船いまさずは
 苦海をいかでかわたるべき

ではなかったですか? 仰るような「おもふべし」という表現のものは見たことがありませんでしたが・・・

なもあみだ なもあみだ

コメント返信

おはようございます、Abcです。

まず、チュウビさんへの返信から、

>一念は、後なんですか?行信は信の後に行が来るということですか?(チュウビさん)

私が「後」といっているのは「自力が廃れて の後」ということであり、「行信」に関しては淳心房さんのいわれている「四月七日のおん文たしかに 云々」に書かれている通りです。

善導大師のお言葉に「前念命終後念即生」というものがあり、親鸞が『愚禿抄』にて、

「本願ヲ信受スルハ前念命終(ぜんねんみょうじゅう)ナリ、即チ正定聚(しょうじょうじゅ)ノ数ニ入ル、即得往生(そくとくおうじょう)ナリ、即時(そくじ)必定(ひつじょう)ニ入ル」(親鸞『愚禿抄』)

とあります。余談ですが、
 「行→信」としての題「念仏正信偈」は、「文類偈」であり
 「信→行」としての題「正信念仏偈」は、「正信偈」となりますが、

これは「行・信 どちらも同じく「弥陀におまかせする」であるので、同じである」ということを「表題を以って表現」されているのです。なお、「文類偈」「正信偈」共にざっくりとした内容は「弥陀が大願をおこされ、釈迦がひろめられ 七高僧も各々の書物にてひろめ わたしたちはこれらの高僧の説を信じなさい」ということで統一されています。


つぎに、淳心房さんの、『和讃』についてですが、結論をいいますと「この和讃は2つある」となります。

1つ目には、高田派が「国宝 親鸞著 『三帖和讃』」より再編纂した
>小慈小悲もなき身にて 有情利益おもふべし
 如来の願船いまさずば 苦海をいかでかわたるべき

私たち凡夫は小慈小悲もなき身であるからこそ、 弥陀による有情利益をおもわなければならない
 如来の「助けるぞ!」という船が無かったならば、 どのようにして苦海を渡るのだろうか
(私の投稿より)

2つ目に、大谷派にていわれている
>小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき

私たち凡夫は小慈小悲もなき身であるからこそ、 私たち(自力)による有情利益をおもってはならない
 如来の「助けるぞ!」という船が無かったならば、 どのようにして苦海を渡るのだろうか

ここで重要なのは「有情利益」というのは「弥陀の」か「自力の」かで後の文が違っているという具合です。

なもあみだ なもあみだ
Abc

追記 『正信偈』、『文類偈』について

連投申し訳ございません、Abcです。

私、高田派では
「朝のお勤めに『正信偈』を勤めさせていただき、夕べぼお勤めに『文類偈』を勤めさせていただいて」おります。また、朝夕ともに「少しの和讃」も称えさせていただいております。

一方、大谷派では
「朝晩のお勤めは『正信偈』を勤めさせていただいて」おりますし、蓮如上人の著書「正信偈大意」などからも、『正信偈』についてはしきりに勤められておりますが、『文類偈』に関しましては、巻末に収められているだけで、とかれているところを私は見たことがございません。

これは高森親鸞会にて渡していただいた「真宗聖典」に関しても同様のことがいえます。ただ、先述のとおり、「高森の信心」でありますので「真宗以前の問題」ではありますが。

末筆に『和讃』と解説を載せてこれまでとします。

浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし

私は「南無阿弥陀仏」と弥陀におまかせしたが、私の心には「真実の心(真のこころ)」というのはないのである。
 うそ・いつわりばかりの私であるので、 清浄の心(善を修める事が出来るこころ)もまた、さらにないのである。

※「六度万行(諸善万行)」は「六根清浄」(身口意の乱れ心をつくろひ)とも言われる為、このように言われたのではと私は味わっております。

Abc

ありがとうございました

ただ疑いなく念仏するばかりの御法義を、林遊さん曰く「城の石垣を眺める」ように、私はお二人の答えを聞いて満足しました。大変ありがとうございました。なるほど〜和讃は二つあるのか〜。正信念仏偈と念仏正信偈か〜。高田と大谷か〜と。面白いですね。高田派気になりますね。御書の解説書などは、私が読める本などありますか?

Re: チュウビさん

こんにちわ、Abcです。

>なるほど〜和讃は二つあるのか〜。正信念仏偈と念仏正信偈か〜。高田と大谷か〜と。面白いですね。高田派気になりますね。御書の解説書などは、私が読める本などありますか?(チュウビさん)

いまさらですが、ここで「真宗十派」について述べさせていただきます。私が述べることは厭くまで「私から見た見解」ですので、「真宗全体の認識」としてはご参照なされないでください。

 真宗十派

 真宗教団連合
  大谷
   龍谷山 西本願寺(お西 本願寺派) ※本願寺派のみ「浄土真宗」を使用
   真宗本廟 東本願寺(お東 大谷派) ※以下「真宗」を使用
  高田
   専修寺(専修寺派・高田派)
   仏光寺(仏光寺派)
   興正寺(興正派)
   誠照寺(誠照寺派)
   専照寺(三門徒派)
   證誠寺(山元派)
  横曽根
   錦織寺(木辺派)
  出雲路
   毫摂寺(出雲路派)

以上十派と聞き及んでいます。またこれに加えて
真宗浄興寺派 浄興寺(元 本願寺派 所属)などもあると聞いています。

>御書の解説書などは、私が読める本などありますか?
解説書・・・と言うより「分からなかったらお寺に来てください」のスタンスですので見たことはないです。ただ「電子書籍として読むことが出来る御書」がございますのでここにリンクしておきます。

御書・真宗高田派
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/820634

Abc

Re: Abc様

> 淳心房さんの、『和讃』についてですが、結論をいいますと「この和讃は2つある」となります。

そうだったのですね。「小慈小悲もなき身にて 有情利益おもふべし」で検索してもヒットしなかったので誤記なのかなと思ってしまいました。すみません・・・


親鸞会の朝晩のお勤めは五正行の実践という位置づけですから「助正間雑」であり、宿善厚くする行ですから、行為自体は良くてもわろき自力の計らいに囚われているので残念です。何とか分かってもらいたいのですが、こればかりは「まことに宿善まかせ」としか言いようがありません。なもあみだ なもあみだ

Re:淳心房さん

こんばんわ、Abcです。

>そうだったのですね。「小慈小悲もなき身にて 有情利益おもふべし」で検索してもヒットしなかったので誤記なのかなと思ってしまいました。

無理もないです。このインターネットで出回っているほとんどが「大谷に準拠したもの」ですから。  この「有情利益思うべし か 思うまじ か」と言う議題の焦点は、「主語が記されていない」というところにあります。そのため伝えていくうえで意味合いが変わり現在「元の文」と「派生の文」の2つとなっています。(仮名一文字で意味合いがかわるというのはある意味古文の恐ろしいところです)

ですが、少し考えてみてください。「弥陀の本願」には、
「他力 本願力回向」 と 「自力 不回向」という2つ名がございます。
そのため、「この和讃から弥陀のお働きについて2つの視点から味わうことができる」と見ることも出来ます。 みなみな弥陀の縁(えにし)です。

なもあみだ なもあみだ
Abc

追記

連投申し訳ございません、Abcです。

国宝本「正像末和讃」の内容があったので、
リンクを貼っておきます。

http://www.yamadera.info/seiten/c/shozomatug.htm

まずは、取り急ぎ内容まで

Abc

浄土真宗聖典全書

和讃は、文明本、国宝本、顕智本があります。
で、
浄土真宗聖典全書 第二巻
https://hongwanji-shuppan.com/item/detail.html?icd=978-4-89416-810-7

には三つとも掲載されているので手元に置いておくのも良いかも。左訓も多い。
なお原則として『教行証文類』などは漢文ですが左訓も付けられているので便利です。wikiarcの科段(解釈する際に、内容で段落に分けること)を切る際に参照にしたのですが便利でした。
原典版もあり、たまに披きますがますが、いかんせんこれは高いですしね(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


ありがとうございます

Abcさんありがとうございました。原本のままの電子版は、スマホの私には見づらい。ちょっと御書を読みたいなあ、というわけにはいかないのですね。私は西国なので高田派のお寺はなさそうですし。
林遊さん。ありがとうございました。
左訓は、その本に出ているのですね。ちょっと私にはレベルが高そうですね。林遊さんの解説を熟読して勉強します。

信心vs念仏

チュウビさん

スマホでネットを利用する方は多いですね。
wikiarcもwikipediaのようにスマホ対応にしようとは思っているのですが、加齢の為か動いているものに手をいれるのを躊躇してたりします。もうすぐ70の爺さんだし(笑

林遊はかなり変わった門徒でして組織というものを好みません。その意味では自由(仏教では自由〔自ずからに由る〕という概念は否定概念です)に、ネット上で御開山の思想の基底となった論文(論と文)をUPして遊んでいます。自分の勉強部屋としてネットを使っているのであって、他者に教えようという気はさらさらありません。「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる」(総序) の精神でした。

西欧では、心身といいますが東洋では身心というように身を重視します。特に仏教では身口意というように口業(語業)といって言葉を重視します。こういうところは文化の違いとして面白いのですが、語業という言葉の呪縛から言葉でもって解放する教えが仏教の教えであるやもです。一念という言葉に呪縛されて一念という言葉の指し示す意味が判らなくなっているのかもですね。

御開山の著された『教行証文類』は、漢文の書物ですが、やはり御開山は日本人ですから「教=教え」、「行=おこない」、「信=まこと」、「証=あかし」と和語に変換して領解しておられたのだと思ひます。その意味では仏教語の「漢字語」を和語に変換している作業も必要なのかもです。
それを行ったのが、蓮如上人でした。南無阿弥陀仏という(Amitābha―無量光)およびアミターユス(Amitāyus―無量寿)のアミタ(Amita)というインド語のガンダーラ訛りのシナ訛の朝鮮訛りの日本訛の越前訛りが、なんまんだぶなのですが、蓮如さんはこれを和語では「タスケタマヘとタノム」という意味だと示して下さったのでした。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%93%AE%E5%A6%82%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E5%BE%A1%E4%B8%80%E4%BB%A3%E8%A8%98%E8%81%9E%E6%9B%B8#no188

ちなみに蓮如さんは当初は「帰命尽十方無碍光如来」という名号を門徒下付されたのですが、この善悪平等に摂取するという「無碍(無礙)」という言葉に反発して大谷本廟を破却したのが叡山の衆徒であり、それに加担したのが第十世真慧上人だったりします。http://www.senjuji.or.jp/hitokuchi/35_44.php#42

爾来越前・加賀では蓮如派と真慧派の不毛な闘いがおこるのですが、吉崎別院を焼き払ったのも富樫の武士と共謀した高田派の門徒でした。

ともあれ、蓮如さんが「正信念仏偈」を門徒が称えるにはよろしいと開版されたのですが、高田派ではこれ従うのは癪だとして『浄土文類聚鈔』の「念仏正信偈」によって門徒の行儀を定めたのだと思ふ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%B5%84%E5%9C%9F%E6%96%87%E9%A1%9E%E8%81%9A%E9%88%94

ちなみに林遊は宗派意識など、どうでもいいのであって、Abcさんが高田派、高田派と強調するので、少しく考察してみただけでした。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ











Abcです

おはようございます、Abcです。

>ちなみに蓮如さんは当初は「帰命尽十方無碍光如来」という名号を門徒下付されたのですが、この善悪平等に摂取するという「無碍(無礙)」という言葉に反発して大谷本廟を破却したのが叡山の衆徒であり、それに加担したのが第十世真慧上人だったりします。http://www.senjuji.or.jp/hitokuchi/35_44.php#42

加担ですか・・・「十字名号」のいわれを叡山に説きにいった、それ自体が「加担」だとおっしゃるのでしょうか。このことを差し置いても古来、善鸞もまた「十字名号を叡山の言う様に解釈」されておりましたが、
 それを諌めても 善鸞が「真佛はなにもいわなかった」といったならばそれを鵜呑みにするのでしょうか。悲しい限りです。

>爾来越前・加賀では蓮如派と真慧派の不毛な闘いがおこるのですが、吉崎別院を焼き払ったのも富樫の武士と共謀した高田派の門徒でした。

ほう、それで金沢御堂(現:金沢城公園)も焼き払ったとでも仰せになられるのでしょうか。全く以って心外なのですが。

ただ、加賀の有力家柄だった富樫家とのつながりがあったというのは歴史的事実ですし否定はしません。高田派は富樫幸千代に協力し、越国の平定を模索いたしました。 一方、大谷派は富樫正親に協力し、京都とのつながりを持ちつつ平定しようとしていました。

時代が下りて、高田派は室町将軍 足利家 また越前を治めていた三管領の一つ斯波家(柴家) または斯波家に仕えていた 織田家 柴田家 などにも協力していただきました。
一方、大谷派は京都・大阪御堂を基点として考え、その通り道に当たる近江国の有力武将 松永家 また その部下の浅井家 に協力を仰ぎました。

このような経緯のなか、「吉崎別院を焼き払ったのも富樫の武士と共謀した高田派だ」と半ば断定的に言われることが腑に落ちません。

Abc

そのあたりの話しが知りたい。

失礼ですけど、面白い話ですね。蓮如上人の時代のそのあたりの話が知りたいです。学問的にはどうなっているのでしょうか?ちょっと蓮如上人や高田派のイメージが私の中で変わって来ています。教えは同じ南無阿弥陀仏一つなのに不思議ですね。人が関わることだからしょうがないのですかね。

Re: チュウビさん

こんばんわ、Abcです。

>学問的にはどうなっているのでしょうか?ちょっと蓮如上人や高田派のイメージが私の中で変わって来ています。

チュウビさん的には、現状どのような認識なのでしょうか。
教えていただけたら、それをきっかけとして「私の知る限りで」教えたいと思っています。ただここは「真宗のサロン」なのであまり出すぎたことはいえませんが

Abc

No title

Abcさん

文明の頃の本願寺派と高田派の確執は福井県史などでも判ります。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-05-01-06.htm

『今古独語』(浄土真宗全書五)p.1178には、
 ことに文明の比、高田門徒、加州の諸武士をかたらひ、吉崎山上へ障礙をなし、そのわざはいゆへ國みだれしかば、ご門徒の面々、根本の富樫次郎正親をくだし給ひ……云々

とあります。

なお吉崎への放火については、リンク先のページを参考にしました。

 文明7年8月21日の夜、富樫介政親の命令で加賀国能美・江沼郡の武士に高田専修寺派の者どもが吉崎に押し寄せ、放火して吉崎の建物を1軒も残らず焼いてしまった。 それ以降、本願寺の門徒が一揆を起こし、合戦も止むことはなくなった。
これにより富樫勢が石川・河北の2郡に居る本願寺派の坊主や門徒百姓などの首を切り、その他、富樫勢に味方しないものは国を追い出されたので、瑞泉寺へ加賀から逃げ来る坊主200余人、百姓町人は男女とも数えられないほど越中へ逃げて来た。
それらのうち、土地の者に縁のある者はその在所に落ち着いたが、坊主衆は大半が当寺(瑞泉寺)に寄り集まったのである。
http://kagaikkouikki.web.fc2.com/i-batle-03.html

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


Re:林遊さん

こんばんわ、Abcです。

>『今古独語』(浄土真宗全書五)p.1178には、
 ことに文明の比、高田門徒、加州の諸武士をかたらひ、吉崎山上へ障礙をなし、そのわざはいゆへ國みだれしかば、ご門徒の面々、根本の富樫次郎正親をくだし給ひ……云々

これは事実ですし、このことに関しまして「違っている」とはいいません。
「吉崎山上へ障礙をなす」根底には、

「宗祖親鸞聖人の真影を安置する真宗本廟は、宗門に属するすべての人の帰依処であるから、宗門人はひとしく宗門と一体としてこれを崇敬護持する。」(『宗憲』よりの抜粋)

があり、平たく言うと「大谷廟堂こそが真宗の帰依処であり、門弟の寺院が拠り所ではない」と鎌倉 室町 安土桃山 江戸 と申されているところにあります。

お示しいただいた福井県史にも
「加賀国守護の富樫幸千代方が西軍に属していたからである。逆に加賀で東軍に属していた富樫政親方は越前へ牢人し、幸千代方への進攻を狙っていた。同五年七月にも富樫幸千代・甲斐勢と富樫政親・朝倉勢との大合戦が細呂宜近辺でおこっており、そのためか蓮如は吉田郡藤島超勝寺辺へ避難した [乃至]
蓮如の「仏法」観が人びとを動かしていることを示す貴重な実例である。戦いの結果、高田勢は加賀を追放されて政親が守護に就任する。」とあり、幸千代に付いていたことが分かります。

ただこのあと「高田勢は加賀を追放され」たはずなのに、
「文明7年8月21日の夜、富樫介政親の命令で加賀国能美・江沼郡の武士に高田専修寺派の者どもが吉崎に押し寄せ、放火して吉崎の建物を1軒も残らず焼いてしまった。それ以降、本願寺の門徒が一揆を起こし、合戦も止むことはなくなった。」
「富樫幸千代のもとにて動いていたもの」が「富樫介政親の命令で」動くはずがないと思いますが... この『福井県史』と『文明7年8月のこと』の間は1年もありません。これは正親が高田門徒に「追放と焼き討ち」を強要したと見るべきではないでしょうか。

Abc

一向一揆

安芸の蓮崇について調べていたことがあります。

当時の越前・加賀は応仁の乱の影響で無秩序状態でした。
本願寺派は富樫正親を援助したのですが、彼は守護になると一向一揆の影響力を恐れて門徒を弾圧しました。
それで今度は富樫正親と戦(いくさ)(文明7年一揆)になるのですが、蓮如さんはこれを嫌って吉崎を退去します。(1475:文明7年)
ですから直後に富樫正親や高田門徒が一揆の元であるとして吉崎御坊に火を放ったことは首肯されると思ふ。
なお、加賀には越前から逃れて建立した寺院が多くあり、朝倉氏との和解後に越前へ戻っていますが、同じように高田派寺院も越前に避難していたのかもしれませんね。越前では本願寺派は禁制されていましたから、門徒は高田派へ転派したのかもです。
なお、資料の検証が出来ていないのですが、wikipediaには、

 長享2年(1488年)6月、加賀で本願寺派が一向一揆を起こして守護の富樫政親と合戦を行った。この時に高田派は今度は政親に味方して再び本願寺門徒と戦うが政親は敗れて高尾城で自害し、本願寺派が加賀を占領した。そのため本願寺派に転宗する者も続出し、やむなく多くの高田門徒は加賀から出て行ってしまった。そしてこの時、政親の妻が我が子を連れて加賀を逃れて真慧の下に身を寄せて、やがて真慧の内室となった。この連れ子こそ後の応真である。

とあります。
ある意味で、この応真上人を巡って高田派の相続争いが勃発するのですが、真智上人は坂井郡熊坂村(現あわら市あわら市熊坂)に熊坂専修寺を建立したのでした。
なお、熊坂専修寺は、一身田専修寺との本山争いに負けて破却されたのですが、廃墟跡は、今でも残っていたりします。
http://www.city.awara.lg.jp/mokuteki/education/kyoudo/kyoudorekishishiryo/awarashinobunkazai/sisitei/siseki/p006186.html

林遊の場合は宗派意識は全くなく、ある意味でどうでもいいことなのですが、坊主に騙されて戦(いくさ)に駆り立てられた門徒の心情を察しているだけなのでした。
ホント、一向一揆という言葉に接するたびに社会派を名乗る坊主に腹が立つのでした(笑

なお、歴史という視点では、歴史学者であった千葉乗隆師の真宗史の研究は参考になるのでリンクしておきます。この論文は本願寺派福井別院での講義録ですが、千葉乗隆師に掲載を依頼したところ、ほとんど書き直しに近い訂正が入り、学術的な呼称ではなく祖師方に敬称を付されて返ってきたことに、少しく感動したものでした。
初期真宗教団における高田派における影響も窺えますし、決して真宗十派の中で、本願寺系が主体であるとは門徒は思っていないと思ふ。ただ高田派では教学の研鑽が少し足りなかっただけかもです。

なお、林遊は高田派十世、真慧上人の『顯正流義鈔』をUPしてたりしてたりするのでした。
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%AF%E6%AD%A3%E6%B5%81%E7%BE%A9%E9%88%94

近頃の思考形態は、デジタルのオン・オフという二進法の思考ですが、0と1の間には無数の数(思考)が存在する多重構造なのですが自是他非という思考では、御開山の説かれたご法義は判らんのだと思っていますです。どうでもいいけど。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ




本願を信じ念仏申せば仏になる

本願を信じ念仏申せば仏になるの御法義を双方掲げているのに、何故同門で兵火があったのかという疑問です。同門という認識は無かったのでしょうか?蓮如上人や真慧上人が聖戦と言ったのか?何を狙っての戦争なのか?自治権?門徒獲得?お互い中興上人でカリスマなので知識帰命みたいなところが門徒にはあったのですかね?
 それから林遊さんがあげてくださっていた顕正流儀抄読みたいとおもいます。高田派年表に論争したとあるので読みたかったのです。ありがとうございました。それから0と1の話しは気をつけたいと思います。

リンク追記

追記 リンク忘れ

安芸の蓮崇
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%8C%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%86

真宗高田派 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E9%AB%98%E7%94%B0%E6%B4%BE#%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3

浄土真宗と北陸門徒 千葉乗隆
http://www.hongwan.net/index.php/Book:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AB_%E5%8D%83%E8%91%89%E4%B9%97%E9%9A%86

チュウビさん

歴史の激動期だったということかな。現代の視点で歴史を眺めると訳がワカランです。
ある意味での近親憎悪なのでしょうが(イスラムのスンニ派とシーア派みたいな)、東本願寺と西本願寺も仲が悪かったですね(笑
歴史的経緯としては、高田派は法然聖人と近く、東西両派は覚如・蓮如上人の影響で御開山の思想の一端を強調したような感じがします。
梯實圓和上は、

 「江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。」

と仰ってましたです。
で、『西方指南抄』、『三部経大意』は高田派で伝持されてきたものでネットにUPしてあります。

『西方指南抄』
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E3%80%8E%E8%A5%BF%E6%96%B9%E6%8C%87%E5%8D%97%E6%8A%84%E3%80%8F

『三部経大意』
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%89%E9%83%A8%E7%B5%8C%E5%A4%A7%E6%84%8F

醍醐本法然上人伝記
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%86%8D%E9%86%90%E6%9C%AC%E6%B3%95%E7%84%B6%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E8%A8%98

ともあれ、御開山の思想は重層的なのでした。
ですから聖道の経典である『華厳経』や『涅槃経』などを平気で引文されるのですね。天台の教判では釈尊一代の教をその説かれた時を五時に分類して考察している。いわゆる、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時教判です。御開山は天台の学僧でした。
その最初と最後の経典を引文されることによって全仏教を包摂する意図があったのかもです。『法華経』は孫引き以外は絶対使わないのですけど(笑
御開山の見ておられた世界はとんでもない世界かもです。で、それを学んでいくのは面白いです。

結論は、お示しのように、

 本願を信じ念仏申せば仏になる

なのですが、林遊は好奇心が旺盛なのでその背景を知りたくてネット上を勉強部屋にして読んだ資料をUPして脚注を付けたりしてます。いわゆるハイパーリンクを利用しているのですが本を披くより便利です。加齢によって視力が減退してするので文字を拡大して資料にタッチできるのも一因かな。

いらんこと言わんと、なんまんだぶせいという声が聞こえてくるような気が……(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

お宝ですね。

お宝の山の文章ですね。千葉師の文といい。
有難うございました。ネットにて末代まで残りますね。ネットのお陰で私は脱会できたものですから有り難いです。ちょっとまだ全て読めていないのでまずはお礼まで。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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