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高森の教行信証(信編) - 高森教の本願を聞いていても「信楽」も獲られなければ「浄土」に生まれることもできないのは当たり前の当たり前

信心正因」「唯信独達」と「信心」を強調する割に、肝心要のその「信心」が親鸞聖人の教える「真実の信」とあまりにかけ離れているのが「高森の信」です。

真実の信」と言えば「至心・信楽・欲生」の三心ですが、それについても「大安心大満足の明るく楽しい心」とか、「日本晴れの心」とかいった新興宗教同然の説明です。で、結局は「不可称不可説不可思議の信楽」だと煙に巻き、獲れば分かるんだから早く求めよ、そうしなければ後生は一大事だと脅しの論法にすり替わるのはいつも述べている通りです。


以前からの高森会長の説明では「信楽」=「絶対の幸福」であり、高森教の阿弥陀仏の本願は

この世で信楽(絶対の幸福)に生まれさせるというお約束

です。かつて「若不生者」の解釈についての論争で、この自己流解釈を正当化せんとして高森会長は

成就文に死後のことは説かれていないから本願文にも死後のことは説かれていない

と本願から死後の往生の意味を抜いてしまったことさえありました。実際は本願文に

欲生我国 乃至十念 若不生者
私の国(極楽浄土)へ生まれようと思ってたとえ十偏でも念仏する者をもし生まれさせなければ

とあり、成就文には

願生彼国 即得往生 住不退転
彼の国(極楽浄土)へ生まれようと願うその時に往生を得て不退転に住する

と説かれていますから当然本願文にも成就文にも死後の往生が説かれているのは明らかなのですが、当時は「高森信心」が篤かったため分かりませんでした。


「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。(尊号真像銘文)

ですから、阿弥陀仏の本願が真実であることに疑い無いのが「信楽」であり、訳の分からない幻想的な幸福感を言うのではないことは明らかです。それからその「信楽」をえた人が浄土にもし生まれないようであれば仏に成らないと教えられているのが

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。(同)

のお言葉でした。これが高森会長の主張では

至心信楽をえたるひと、信楽にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。

ということですから、意味が通じません。高森教では「浄土」は「絶対の幸福」のおまけ的意味合いであり、その時々で抜いたり加えたりしているのですから、そんな高森教の本願を聞いていても「信楽」も獲られなければ「浄土」に生まれることもできないのは当たり前の当たり前のことです。

そしてこの「信楽」は利他回向の至心をもつて信楽の体とし、「至心」は至徳の尊号すなわち南無阿弥陀仏の名号をその体とするのですから、信心といっても南無阿弥陀仏の名号を心に領受することにほかなりません。必ず極楽へ迎えるから、安心してまかせなさいの勅命をそのまま聞き受けたすがたが信心です。地獄一定と極楽一定という矛盾する二つの心が同時に立つとか、南無阿弥陀仏と何の関係があるのかよく分からないがとにかくとてつもなく大きな幸福感が満ち満ちる、といったことではないのです。


また、名号を聞き受けたのが「信心」で、それが口に現れたら「念仏」です。「信心」と「念仏」は別々の二つのことではありません。名号を心にたもち、口にたもつことで、共に如来回向の行であり信であって、切り離すことができない関係にあります。このことを梯實圓和上は

三心といっても、「お願いだからわが名を称えつつ浄土へ生まれてきてくれよ」と願われている本願を聞いて感動し、疑いなく受け容れていることをいうのですから、仰せに順って称名しているすがたこそ、本願を疑いなく信じているありさまです。(梯實圓『本願のこころ』p.114)

と言われています。親鸞聖人は本願文に念仏が誓われているそのこころを、

「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。(同)

と顕して、本願の念仏は一生涯に亘って称名相続する者からわずか一遍乃至十遍の称名で、あるいは本願を信受してその後一遍も称えられずに命終わる者まで全てを包摂するものである。数量の多少を超越し、我々のいのちの限り称えさせて頂くものであることを示すと共に、一声一声に無量の徳を持っている如来の行であるということを教えられています。

親鸞会では念仏に「サンキュー」程度の意味しか持たせていませんが、念仏は「浄土真実の行」であり「選択本願の行」であり「最勝真妙の正業」なのです。そこに御恩報謝という意味も兼ね備えているということであって、単なるお礼の言葉では無いのです。単なるお礼であれば

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(歎異抄第二条)
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(歎異抄後序)

このようなことを言われるはずがありません。信心を重視して念仏を軽視するというのは、信心と念仏の関係がよく分かっていない表明であり、結果的に信心をも軽視する、あるいは誤解することにもなるでしょう。それがやがては念仏と無関係のありもしない信心を追い求める信心決定病にもつながるのです。


ついでに本願文について、「十方衆生」=「唯除五逆誹謗正法」という高森教の解釈も当然間違っています。

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

ここで聖人は「唯除五逆誹謗正法」について抑止と摂取の意味で教えられていますが、全人類は五逆・謗法・闡提であるなどとは一言も教えられていません。お釈迦様も、七高僧方も、聖覚法印も、親鸞聖人も、覚如上人も、蓮如上人も、どなたもそのような見方はされていません。

つぎに「本願名号信受して寤寐にわするることなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども、回心懺悔して、ふかく、かかるあさましき機をすくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり。『御文章』1帖目2通

罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども」ですから全人類は五逆・謗法・闡提であるわけではないのです。


このように信心も間違っている。「称名念仏は、すべて信後報謝に限る」と念仏を軽視している。「念仏がないから信心一つ」と言って成就文から念仏を抜いてしまう。更に、「本願を聞く一つ。信ずる一つではない」と信心まで抜いてしまう。死後の往生の意味を抜いたり加えたりしている。全人類は五逆・謗法・闡提であると独自の定義をしている。本願文の解釈がまるでデタラメ、珍しい教えであり、それでいて「絶対の幸福」だとかいう夢・幻のような現世の幸せを獲させる本願だと説いている。そういう本願観、教えが「高森の教」ですから、そんな間違った教えをいくら信じて従ったところで「真実の信」が獲られないことは火を見るよりも明らかです。

会員の皆さんは、「真実の教行信証」とは似ても似つかぬ「高森の教行信証」を授けられているのですから救われないのは道理です。どれだけ聞いても求めても活動しても、そんなもの「真実の信」を獲ることとは無関係です。皆さんの求め方以前に教えが「デタラメ創作教義」ですから、まずはそこから脱して下さい。そして「真実の行信」を獲て、本願をふたごこころなく信じて念仏して頂きたいと思います。
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お礼

最初のコメントで恐縮ですが、Abcさんより念仏について色々と教えて頂いた事に先ずはお礼申し上げます。
信前は自力の念仏で、信後は他力の念仏だと言われますが、念仏の功徳が全てに勝る為、信前の念仏は必ず往生に繋がっていると教えて頂きました。
信前は、「どうか今度の後生をお助け下さい」という20願の念仏のみが本願に叶ったものだと信じて、口先だけで唱えてる人を戒めました。
極端な話、念仏無間だと信じている顕正会の人でも、芝居の役柄(セリフ)で何度も念仏を唱えていれば、念仏の功徳により遠い遠い先に往生に繋がっていると解釈しました。
乃至十念について、信心を獲れば念仏を10回称えても1回も称えなくても往生できると聞きました。聖人は生涯念仏を称え続けよとすすめられています。順逆共に報謝の念仏を称えれば、悪果も菩提に転じて喜べます。念仏を唱えても悪因善果にはなりません。ただ逆謗の悪人も弥陀の強縁により往生させて頂けます。他力により往生できると疑い無く深く信じれば往生一定の身になります。往生一定になっても煩悩は変わらず、悪果は同じにやってくるので、日本晴れの大安心大満足の心に生まれ変わる事はありません。順逆共に、ただ報謝の念仏を称えるのみです。
火星人は親鸞会の猿だと吠まくられますが、本願や念仏や信心について昼夜考えさせられる良い機会になりました。SUさんはじめ、皆様方に感謝して失礼いたします。                       南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

反省しているのにといわれそうですが

反省しているのにまだ攻撃するのかといわれそうですが、まだ書くところを読むと、理解が甘いと思います。「約仏」ということをわすれないでください。自分でどうこうという書き方になってます。念仏すると云々は、因果の道理に絡めたその書き方は、罪福を問題にしているなあと思います。阿弥陀様の願いに生きるというのが出てこないですね。願往生心です。南無阿弥陀仏の功徳が、摩訶不思議な呪文を称えた私の損得利益になってます。六字釈をよくよく聞いてください。多分もうあまり高森教では聞いていなくて山に籠もられているということなので、是非とも籠もらずにお寺の法話会や書物を読みましょう。六字のいわれをよくよく聞いて口に出して念仏してください。顕正会や未信の人をたしなめる為云々よりも、自分が先ず他力念仏の世界に入らなければ、説得出来ないですよ。高森教みたいに解る為には先ず顕正しろ!というのが真宗ではないのですからね。なんまんだぶなんまんだぶ。

Re: 火星人様

>本願や念仏や信心について昼夜考えさせられる良い機会になりました。SUさんはじめ、皆様方に感謝して失礼いたします。

では、今までの暴言の数々、例えば

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悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

投稿: | 2016年12月 7日 (水) 13時47分
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念仏さえ唱えていれば良いのだという考え方はキリスト教のアーメンと同じじゃん。「悪い事しても懺悔してアーメンと言えばすべて許されて天国に行けます。」ってか

投稿: | 2016年12月10日 (土) 15時10分
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念仏でも唱えて待ってろよ。すぐに死神が迎えに行くからな。

投稿: | 2016年12月10日 (土) 21時41分
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仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
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念仏唱えれば往生できる善人様だという心が心底にありますね。

投稿: | 2017年1月 3日 (火) 13時21分
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クソ坊主教のクソ坊主は「念仏唱えたら極楽だ」と庶民を安心させて金儲けの種に説法や葬式をしているのよ。ありがたやありがたやとクソ坊主が感謝されたいだけなのよ。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 10時44分
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念仏唱えたら極楽だと言っていたほうが「クソ坊主教」の金儲けになるのね。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 11時00分
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等と述べて念仏誹謗していたことは改悔懺悔して取り消しますか? また、信一念の体験が役に立つと思って体験談に固執していたことも反省なさいますか?

顕正会やその他の人々のことはここでは置いておいて、火星人さんが本願の仰せを計らい無く聞き受けてお念仏申しているかどうかが大事です。「そのまま助ける本願」だと仰いますが、謗法や闡提の者は謗法、闡提をやめてからでなければ往生できないと教えられています。火星人さんが報土の往生を遂げるかどうかは、貴方がした体験の有無、記憶の有無ではなく、ひとえに本願力の独用(ひとりばたらき)に依るのです。ご自身の往生、また信心は大丈夫ですか? なんまんだぶなんまんだぶ

六字の心を知らないんですね①

火星人さんへ

> Abcさんより念仏について色々と教えて頂いた事に先ずはお礼申し上げます。

お礼を言っている場合じゃないでしょう。
Abcさんはじめ、みなさんはあなたの念仏誹謗に対して疑義を投げかけていますよ。いま念仏に対して、阿弥陀様に対して、どう思われているのかが大切です。みなさん、そこをあなたからお聞きしたいんです。お礼なんて別に要らないから、ってみなさん思われていますよ。きっと。
チュウビさんのコメントにあるように、あなたの理解は違っていると私も思いますし、淳心房さんがおっしゃるように、あなたの信仰や後生は大丈夫かな?と思います。

あと、二つほどツッコミ入れさせてもらうと、自分に都合が悪い質問や回答が来るとコメント欄を変えますよね。もうひとつは、都合が悪くなると「逃亡」しますよね。そんなことをいつまで続けるんですか?もうそろそろやめて、ご自身の信仰と向き合って下さい。

六字の心を知らないんですね②

> 六字の心こそ肝要です

そのようにあなたは言っていましたね。
では、あなたは六字の心を知っているんですか?

> 乃至十念について、信心を獲れば念仏を10回称えても1回も称えなくても往生できると聞きました。聖人は生涯念仏を称え続けよとすすめられています。

これ、間違っています。
親鸞聖人が勧めているのではなく、阿弥陀如来が勧めているんです。
弥陀の本願によって、阿弥陀仏の名を称えることが往生の行となるように定められていたのです。善導大師が明らかにされました。
善導大師は観無量寿経疏の散善義の深心釈のなかで、「行に就いて信を立てる」といっておられます。
「本願の信心」は、「本願に誓われている称名念仏という行が往生の正定業だと信じること」だといわれるのです。
それで、善導大師も法然上人も親鸞聖人も「念仏を称えよ」と勧められています。

あなたの話には阿弥陀様が出てきませんね。今回だけでなく、いつものことですが。
本当は阿弥陀様の声が聞こえていないのではないですか?聞こえているふりしてるんでないですか?
善導、法然、親鸞、善知識方は弥陀の仰せを聞かれていましたよ。
阿弥陀様が勧めている「往生の行」が念仏ですよ。
あなたは本当に本願を聞いたのですか?本願に疑い晴れたのですか?本願に信順しましたか?

あなたはただいま弥陀の仰せを聞いていますか?

リセットしたいのですよ

コメント欄変えて、週末のsuさんやAbcさんには答えたフリをして誤魔化す。
よく意味がわかってないけどとりあえず、お礼を言って追求をそらす。
更に追求が来ると、直接答えずに、まだそこにこだわるのか!と逆ギレしてみたりする。
名前を変えて他所に出没する。
いつものパターンですね。
火星人さんあるある。

六字の心を知らないんですね③

> 六字の心こそ肝要です

そのようにあなたは言っていましたが、あなたのおっしゃる六字の心とは何だったのでしょうか。

善導は六字の心を以下のように解説されて願行具足の南無阿弥陀仏を明らかにされました。

1、南無とは、帰命また発願回向の義なり

「帰命」とは、弥陀の仰せに素直にしたがうこと。

「発願回向」とは、
 回向・・・心を浄土に向けて
 発願・・・浄土を願生する

つまり、弥陀の仰せに従った私たちに、浄土を願生する心が与えられている。


2、阿弥陀仏は、その行なり

阿弥陀仏という仏の名には往生の行となるといういわれがありました。 18願に、願往生心の信心を命じられると同時に、すぐに続いて乃至十念と願われていたからです。
「 お願いだから、わずか十声であっても私の名を称えよ」と仏の名号を往生の行体として指定されていたから。 私たちが称えたから往生行になるのではなくて、往生の行として弥陀が定められたものだから、行といわれます。

上記は善導大師の教えを、本願寺派勧学の梯和上が解説した要約です。


ところが一方で、火星人さんには願生彼国の心がないそうです。
-----------
火星人さんにお聞きします。

1、阿弥陀様と親子名乗りをあげましたか?
2、極楽に生まれたい、と思う心は起きましたか?
3、自分の信仰を先生同行と沙汰しましたか?

2017-10-24 23:03 TEN
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-----------
1.については「そのままだぞ」と一念でハッキリと聞きました。
2.についてはないですね。
3.については何故か出来てないですね。

2017-10-25 06:10 火星人
-----------

火星人さんは上記のように「願生彼国」が無いとおっしゃる。
一方で善導大師は願生の心が与えられたとおっしゃる。
願生の心とは「この世のことにしか関心がなかった自分が、如来のご本願を聞かせて頂いたおかげで、心を浄土に向けかえて、浄土を願生する」という心。
この善導大師が明らかにした「六字のこころ」と、火星人さんの心が合いません。
善導大師の信心と違う。そして念仏を誹謗する。
それでは、「願も行も無い」と思いますがいかがですか?


あたながお仲間に説いていることは、善知識が明らかにした「六字のこころ」とは違います。真宗ではありません。無願無行の地獄秘事です。
お仲間に地獄秘事を説かないでください。

六字の心を知らないんですね④


> 口先だけで唱えてる人を戒めました。

なんで称名を戒めるのでしょうか。
あなたは、六字のこころを知っているのなら、
阿弥陀様が勧める称名を、なぜ戒めるのですか?

> 念仏無間だと信じている顕正会の人でも、芝居の役柄(セリフ)で何度も念仏を唱えていれば、念仏の功徳により遠い遠い先に往生に繋がっていると解釈しました。


その解釈が間違っています。
あなたのいう念仏は善導大師の時代にあった摂論宗の「念仏別時意説」という間違いに近いです。
「念仏別時意説」について、梯和上の解説を要約します。

「下品下生の悪人が念仏を称えて、命が終わると同時に極楽浄土へ生まれた」と観経には説かれている。
けれども、わずか十遍くらい念仏を称えただけで、即時に往生することなど出来るはずがない。
これは極悪の者にたとえわずかな善根でも積ませて仏縁を結ばせようとされたのだ。

このように下品下生の念仏往生を解釈したのが摂論宗です。

「念仏を称えてもいますぐには往生できないが、将来の往生にはつながるだろう」というあなたの考えとよく似ていますね。
善導大師はこの説を否定されたんですよ。

返答

摂論宗とは違いますね。全ての衆生は最後に本願海に至って一味平等になります。弥陀の大悲が働いているからです。その大悲は念仏無間と言っている邪教の者にも平等に働いています。たとえセリフだとしても必ず助けるという念仏の功徳により、本願海へと導かれている。唱えた念仏が仏縁となってると言いたかっただけです。また、念仏誹謗ではなく、早く自力の念仏から他力の念仏を称える人になって頂きたいという願いからですので誤解なく。
信心を頂いても因果の道理は変わりません。地獄行きの悪業しかありませんし、悪業は少しも変わりません。必ず助けるという阿弥陀仏の強縁により、堕ちる奴が救われる身になれたので、アリガタヤと報謝の念仏を称えるだけです。阿弥陀様は何も要求はしてません。称えさせると誓われています。聖人は唱えましょうと言っています。願往生心については、早く極楽に往きたいとは思いませんが、この世の事は全て夢幻であり、弥陀の本願のみが真だと思って日暮らししています。
「本願は本当だろうか」と疑う私から、「本願は本当だった」と言う私に変わっても、私は私であり、凡夫は凡夫であり、何も変わりがありません。真実が真実だと、煩悩が煩悩だと知らされて、嘘の世の中に迷わされる事はなくなりました。
全て阿弥陀仏の一人働きにより、「必ず助ける本願だ」と明確な覚知をさせて頂きましたので心配しないで下さい。一念覚知がなければ疑情が疑情だと分からない私でした。

火星人さん

一生懸命まとめたと思います。高森教しか知らなかった時と書く事が少しだけ変わってきましたね。本質は変わっていないようですが。まだ体験にこだわっていることはよく分かりました。篤信者っぽく書くのではなくて、篤信者になってください!そのためには逃げまわっていてはだめですよ。


真宗で言われる 「そのままだ!」 を 「このままですね!」と聞いてしまっています。そこが、今のあなたがご本願を聞き違っているところです。

通る道です。しっかり聴聞してください。お念仏を称えて下さいね。

がんばれ!

No title

>念仏誹謗ではなく、早く自力の念仏から他力の念仏を称える人になって頂きたいという願いからですので誤解なく。

またまた嘘を。

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悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

投稿: | 2016年12月 7日 (水) 13時47分
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念仏さえ唱えていれば良いのだという考え方はキリスト教のアーメンと同じじゃん。「悪い事しても懺悔してアーメンと言えばすべて許されて天国に行けます。」ってか

投稿: | 2016年12月10日 (土) 15時10分
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念仏でも唱えて待ってろよ。すぐに死神が迎えに行くからな。

投稿: | 2016年12月10日 (土) 21時41分
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仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
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念仏唱えれば往生できる善人様だという心が心底にありますね。

投稿: | 2017年1月 3日 (火) 13時21分
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クソ坊主教のクソ坊主は「念仏唱えたら極楽だ」と庶民を安心させて金儲けの種に説法や葬式をしているのよ。ありがたやありがたやとクソ坊主が感謝されたいだけなのよ。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 10時44分
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念仏唱えたら極楽だと言っていたほうが「クソ坊主教」の金儲けになるのね。

投稿: | 2017年1月 5日 (木) 11時00分
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

TENさんの意見で、火星人さんの意見も少しずつかわってきていることがわかりました。 今回はSUさんが挙げている「過去の火星人さんのコメント」に返信していきたいと思います。

>悩んでないでもう一度仏教を一から勉強した方がいいと思います。その方が楽になれると思います。念仏唱えていても死んだら地獄だよ。御用心ご用心。

 「聖道仏教」を学んだならば、「因果の道理」でありますので「煩悩を棄て去らなければ」となります。コチラを学びたいならば叡山にいかれてください。

 「浄土仏教」を学んだならば「超世の悲願」でありますので「煩悩たたずして、涅槃を獲る」となります。私の家柄は、もうかれこれ800年間 伝えています。

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>念仏さえ唱えていれば良いのだという考え方はキリスト教のアーメンと同じじゃん。「悪い事しても懺悔してアーメンと言えばすべて許されて天国に行けます。」ってか

キリスト教には「求めよ、されば与えられん」「信じるものは救われる」など、
「求道しなければ」という教えです。キリスト教は、救世主(メシア)は
イエス・キリストですが、信仰者が主立って活動するというスタンスは、
「叡山の求道方法」に似ていると私は思います。
 逆に、そうであるから法然が「念仏ひとつ」を出した時に反論書を出したり
私のところが本願寺に「専修寺」の看板を渡しに行った時にも、反論されたのだと私は思います。

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>念仏でも唱えて待ってろよ。すぐに死神が迎えに行くからな。

 こちらに関しましては火星人さんが、そのあと色々言われているので言及はいたしません。

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>仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

えぇ、そうです。「この末法五濁の悪世には、『念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし』よりほかが無い」ので、「兎に角念仏だけをひたすら唱えなさい」です。
「ただ念仏一行すすめんが為なり」、「正定之因唯信心」です。
なお、「信心 = (称名)念仏」ですので、「念仏」におきかえれます。
(別の箇所「唯能常称如来号」がそれにあたります。)

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>念仏唱えれば往生できる善人様だという心が心底にありますね。

むしろ逆で、「念仏でしか往生するてだてが無い悪人」です。
そのため蓮如上人は『御文』にて、

 「それ、末代の悪人・女人たらん輩は、みなみな心を一つにして阿弥陀仏をふかくたのみたてまつるべし。そのほかには、いづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからず。しかれば阿弥陀如来をばなにとやうにたのみ、後生をばねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなく、ただ一心に阿弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人をば、かならず御たすけあるべきこと、さらさら疑あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。」
 といわれています。

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>クソ坊主教のクソ坊主は「念仏唱えたら極楽だ」と庶民を安心させて金儲けの種に説法や葬式をしているのよ。ありがたやありがたやとクソ坊主が感謝されたいだけなのよ。

>念仏唱えたら極楽だと言っていたほうが「クソ坊主教」の金儲けになるのね。

私たちの師である法然上人を「クソ坊主」と仰せですか。私が800年申してきたこともまた「クソ坊主教」なのですか。そこまで「クソ」と仰せになられるならば「南都北嶺の由々しき学生」のところにいかれてください。私に聞いても過去の火星人さんがいう「クソ坊主教」でしかないのですから。

Abc

追記

連投申し訳ございません、Abcです。

>私のところが本願寺に「専修寺」の看板を渡しに行った時にも、反論されたのだと私は思います。(私の発言)

コレに関しては、そちらがよく使われる「シナリオブック」P105に記されているのでご確認ください。

Abc

親鸞会の猿と吠えまくられる(笑)

火星人曰く  「俺って、親鸞会の猿って吠えまくられ」るんだよね〜。我こそ法の番犬というやつ等にさ〜。
なかなか、火星人さんおちょくってきますね。高森、火星教団とこのブログは犬猿の仲ということを言いたいのでしょうね。吠えまくられるという言葉は、教え諭されたという感謝の気もちは更々ない、ただうるさく吠えられている、はた迷惑!ということですね。「先ずはAbcさんに念仏を教えて頂いたお礼」という言葉のなんと薄っぺらなことか。形だけお礼は言うが、前言は間違いでした改めます。とは、絶対に言わない。また一念覚知の異安心と言われれば、殊更に一念覚知したおかげで疑情がなくなった、と言う。そんな言い方など真宗にない。しかも先日までは、一念の覚、不覚を論ぜずを、一念の話なのに、脳内変換して、一念の体験談を話してはいけないのだ。だから言わないのだと都合よく解釈してました。一念の意味がわからんからです。当然信の一念行の一念になってないからわからないのです。念仏一行と散々言ってわかったと言ってコレ!修正する気皆無。さて正しく書くとすると
本願、南無阿弥陀仏のいわれ(我が名を称えよ、必ず往生させるぞ)を聞いた一念で疑情がなくなりました。念仏一行となりました。です。相変わらず念仏の意味、信の一念行の一念、なにが真実信心かわからない様子ですね。

火星人さん②

善導大師は六字釈で願生彼国の心を明らかにされました。

あなたには願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?

起きたとしたら、どのように?
起きないのなら、なぜ?

さっきの文章ではご自身に願生心が無いことをぼかして書いてますよね。一生懸命取り繕っているのが伝わってきました。

一念覚知がご自慢ですよね。
ハッキリとしたんですよね。

で、願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?

Re: 火星人様

> 唱えた念仏が仏縁となってると言いたかっただけです。

これと、TENさんが引用した梯實圓和上の摂論宗の一派の説

「下品下生の悪人が念仏を称えて、命が終わると同時に極楽浄土へ生まれた」と観経には説かれている。
けれども、わずか十遍くらい念仏を称えただけで、即時に往生することなど出来るはずがない。
これは極悪の者にたとえわずかな善根でも積ませて仏縁を結ばせようとされたのだ。

とどう違うんですか? あと、「唱える」と「称える」の違いについても説明して下さい。今回貴方は

> 聖人は唱えましょうと言っています。

と書いていますね。以前には

********************
<<念仏でも唱えて待ってろよ、すぐに死神が迎えに行くからな<<

これは売り言葉に買い言葉で出た言葉でありますが、「唱えて」がポイントです。
相手が、「称えて」という字を使った時に、厳重に注意してます。
「でも」は軽く見過ぎてますので訂正している筈です。
「死神」は無常の事であり、「諸行は無常であり、今晩の臨終にその念仏を唱えていて大丈夫ですか?」と言い返しただけの事です。
称名念仏を称えている人は、いつ死神が来ても必ず極楽往生させるという本願を深く信じてますのでご心配無用ですよ。っと反撃しています。
念仏唱えている人に、早く称名念仏を称える人に人になって下さいという意味です。唱えている人に対して称えなければ、という意味です。
火星人は親鸞会の教義にどっぷりと漬かっており、退会者からは敵対視されているので、すぐに喧嘩になります。「阿弥陀仏の本願は無条件でそのままの救いだぞ」という事は一致しますが、「高森の行は信心決定する為の方便の行だ」と強く思い込んでいるのが問題です。全ての人は真実を聞く耳がないので、求道という名のもとに、同じ所を疲れ果て倒れるまで走り続けなければならず、それが三願転入だと思い込んでいます。
高森の教に従えば、そういう考えになりますが、親鸞聖人の教えとは違うという事をよくよく火星人に言い聞かせてやってください。高森の行で苦しんでいる人は救われますか?これからも淳心房さん達に真偽検証をよろしくお願いします。
2018-02-12(11:56) : 金星人
********************

等と書いて「称える」と「唱える」は違うようなことも言っていましたが、どうなってるんですか?


> また、念仏誹謗ではなく、早く自力の念仏から他力の念仏を称える人になって頂きたいという願いからですので誤解なく。

では当時貴方に反論していた人達は全て自力の念仏の人達だと判断していたんですね。一句の法門も説かずに体験談のみでしか信心を語れない貴方に皆さん「他力の念仏を称える人になって頂きたい」と思っているでしょうに、それが分からないんですね。

あくまで懺悔・反省する気は無く、言い訳をして持論を押し通す我の強い人物だということがよく分かりました。


> 「必ず助ける本願だ」と明確な覚知をさせて頂きましたので心配しないで下さい。一念覚知がなければ疑情が疑情だと分からない私でした。

やれやれ。やはりまだ体験にこだわっているんですね。そのようなことを親鸞聖人は仰っていないかと思いますが、あれば根拠を提示して下さい。勉強する気のない、高森教ともまた違った火星教金星教を唱える火星人さん。

火星人さんへ③

> 「本願は本当だった」と言う私に変わっても、私は私であり、凡夫は凡夫であり、何も変わりがありません。真実が真実だと、煩悩が煩悩だと知らされて、嘘の世の中に迷わされる事はなくなりました。

「真実が真実だと、煩悩が煩悩だと知らされて、嘘の世の中に迷わされる事はなくなりました。」
が本当ならば、あなたは仏様ですね。
成仏したんですか?悟りを開いたんですか?それって、真宗の信心ですか?

さらにツッコミを入れさせてもらいます。
あなた、おっしゃる割には、「言い訳」と「表面だけの謝罪」を繰り返しています。このブログにあなたが書き込み始めてまだ一カ月ですが、何回も言い訳と謝罪してます。一国の大臣だったらすでに辞任です。あなた自身が「嘘の世の中」の代表だと私には見えます。我を押し通すために嘘をついているだけ。suさんと淳心房さんがすでにご指摘のとおりです。
そして最も気になることは、目の前の相手には謝罪していますが、阿弥陀様に対しては何とも思っていない。懺悔が無い。

一方で善導大師はどうでしょうか?
善導大師は「念々称名常懺悔」とおっしゃっています。阿弥陀様とご自身に目が向いている。善導大師の信仰と、あなたの信仰との違い目です。


1.「念仏」についての摂論宗とあなたの解釈との相違点、ハッキリ示して下さい。

【あなたの念仏に対する解釈】

「 唱えた念仏が仏縁となってると言いたかっただけです。」

【摂論宗の一派の念仏に対する解釈】

「下品下生の悪人が念仏を称えて、命が終わると同時に極楽浄土へ生まれた」と観経には説かれている。
けれども、わずか十遍くらい念仏を称えただけで、即時に往生することなど出来るはずがない。
これは極悪の者にたとえわずかな善根でも積ませて仏縁を結ばせようとされたのだ。

どこが同じで、どこが違うんですか?

淳心房さんがあなたの説明では納得できないように、私も同じく疑問です。

2.淳心房さんの他の質問にも答えて下さい

・聖人は唱えましょうと言っています、の「唱える」とは?

・体験にこだわるのであれば、そのお聖教上の根拠は?

3.願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?


嘘をつかずに、正直にお答えください。出来るかな?

返答

下品下生の悪人が根懺悔して他力回向の信心を獲て1回の念仏で往生できたと聞いた人が、「1回の念仏では足りないよ。それは僅かでもいいからと仏縁を与えられただけの事だよ。」と答えたとあります。これは本願を疑っている疑情の心から発した考えだと思います。
私が例をあげたのは、念仏は無間の業だ無功徳だと思っている人が、役柄で無理やりに念仏を唱えさせられたとしても、念仏の功徳は全てに勝るので、その唱えた念仏が信じてくれよの願力によって仏縁になるという事で、仏願力の心から発した考えです。違いますよね。
同じく、称えるは本願によって称える念仏であり、「助けて下さい」「ありがたや」の念仏であり、唱えるは自分で唱える念仏であり、「これで極楽にゆけるとはありがたや」の念仏です。同じ「ありがたや」でも全然違いますね。聖人が信前も信後も功徳のある念仏を唱えましょう。はAbcさんからその様に聞きました。
Auさんは自分で唱える念仏に落ち着いている人だなと思ったので、色々と酷い事を書いてしまいました。親鸞会から、本願寺は本願を説かずに葬式仏教ばかりだと聞いていたので変な事を書いてしまいましたが、YouTubeで見ましたが、弥陀の本願を心から説き切っていました。昔、ラジオ「東本願寺の時間」で後生の一大事と弥陀の本願の話をしていたので、講師にその事を話したら、「親鸞会の影響だ」とか言ってましたが、本願寺やお寺では昔からしっかりと仏教が説かれていました。大変な誤解をしていた事を特にAbcさんにお詫び致します。

Re:返答

火星人さんへ

1.淳心房さんの他の質問にも答えて下さい

・一念覚知にこだわるのであれば、そのお聖教上の根拠は?

2.願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?

・起きたとしたら、どのように?
・起きないのなら、なぜ?

一念覚知がご自慢ですよね。
ハッキリとした体験なんですよね。

何度も言わせないでください。
嘘をつかずに、正直にお答えください。 

回答

弥陀より賜る一念回向の信心が肝要なり。という言葉が至る所に書かれていると思います。乃至一念もあります。ハッキリしないのに一念一念とこだわるのは何故ですか?ハッキリするから一念一念との書かれているのではないですか?
願生彼国は、本願他力により往生一定だという事がハッキリとしました。早く往生したいと思わないのは煩悩の為だと思います。悲嘆述懐和讃に、「愛欲の広海に沈没して真証の悟りに近づく事を喜ばず・・」と書いてあります。
ふと思う事
自力の人は、念仏三昧にしても一度は信心決定病にかかるのだと思います。念仏三昧するのは早く信心決定したいという気持ちがあるからですよね。求道と同じ心境だと思います。やはり、従仮入真であり、方便からしか真実には入れません。親鸞会の恐ろしい所は、真実と方便とカルトが混在している所だと思います。

火星人さん

意味不明、ぜんぜん分かりません。
願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?
どっちですか?どっちかしかないんですよ。

起きたとしたら、どのように起きたんですか?

あなたは時剋の極速を覚知したんでしょ?
ハッキリとした体験をしたんでしょ?
あなたはお聖教を拠り所にせず、体験を拠り所にするんでしょ?
一念覚知がご自慢でしょ?

もう一度聞きますが、

あなたは「本願に対する疑いは全く無くなり、本願にすべておまかせした」んですよね?
その「火にふれるよりも明らかな、ハッキリとした信一念の体験」によって、

願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?
起きたとしたら、どのように起きたんですか?
願生心についてのハッキリした内容をここで詳しく語ってください。

何度も言わせないでください!

願生心が起きなかったのなら、「起きなかった」と言ってください。

No title

>ハッキリしないのに一念一念とこだわるのは何故ですか?ハッキリするから一念一念との書かれているのではないですか?

一念とは、二心ないこと、つまり念仏一行と心が一つに定まったことを言われているんだよね。以前にも教えてあげたのにまだ頓珍漢な高森教を信じているんだね。

時間的なことに決まっていると勘違いしたまま、恥をかきつづけているなんて、実に痛い。

Abcです

こんばんわ、Abcです。

>ハッキリしないのに一念一念とこだわるのは何故ですか?ハッキリするから一念一念との書かれているのではないですか?

そもそも「ハッキリする < > 一念」です。 ( < > は ノットイコールの意味です)

ここで提案なのですが、「末灯抄」の「四月七日のおん文」を読まれて、こちらに「味わい」を書かれてください。 話はそれからです。

Abc

出た、ワオ!

出た!ワオ! ゴリゴリの高森教信心!または改め親鸞会批判してる火星教ですね。
勉強する気あるのですか?反省の意味わかってますか?言葉だけの謝罪なんですね。
①一念の意味が全くわかってない。
②往生一定はっきりしました!といいながらも行きたいと思わないと平然。さすがテレーキョトンボーのそのままといわれたからこのままでよいの信心
浅い薄い真実の自己の知らされ方ですね〜(笑)
③仮よりしか真に入れずです!と高森教学バリバリのわかったフリですね。実際は方便の意味も知らない。雑行の意味知らない。雑修の意味知らない。当然念仏一行もわからない。
以上三点を指摘します。検索すれば、真偽検証さんや飛雲さんのところに答え出てますよ。「永遠と議論がくりかえされてます」なんて阿呆なこと言わないでね。答えは既に出ているから議論にもなってませんので。議論するなら、火星人さんの珍解釈の根拠を示してください。
参考、、火星人さんが今まで出した根拠。念仏ないから信心一つの根拠は「聖人一流章」(笑)
信心がはっきり体験という根拠。一念が沢山書いてある。一念がはっきりわかる体験のことでしょ。
往生したい気持ちがなくて良いという根拠、親鸞聖人の悲嘆述懐和讃。(笑)
都合よく解釈してますね。たまたま、自分の、今の気持ちにピタリときた文章なのでしようが、親鸞聖人や蓮如上人はそんな気持ちで書いてませんよ。他のところではなんと書いてあるかとか読み比べたりしないのでしょうね。なんせ体験否定されたら嫌ですものね。でもそれが捨てものですよ。


Abcです

連投申し訳ございません、Abcです。
火星人さんは先のご質問に答えていただければ結構です。

>自力の人は、念仏三昧にしても一度は信心決定病にかかるのだと思います。念仏三昧するのは早く信心決定したいという気持ちがあるからですよね。

 ????? 乗っけで悪いのですが、最初からよく分かりません。
「一度は信心決定病にかかる」? 釈尊は「あなたたちにそのような回り道をしてほしくない」というこころから「念仏三昧」を勧められているのですよ。
「念仏三昧」を行うのは「帰命無量寿如来」と「弥陀におまかせする」ためでしかありません。確かに浄飯王は釈尊に「私にはなぜ諸善をお伝えになられないのですか」と聞かれています。『大経』を今一度開かれてください。

>求道と同じ心境だと思います。やはり、従仮入真であり、方便からしか真実には入れません。

「求道」はどうかはしりませんが、「従仮入真」は「仮門に従ひて、真門に入る」と
「19願から20願に入る」と読みますが、19願も20願も「すてもの」です。
そのような「すてもの」にしがみついていたとしても後生はどうにもなりません。

そして、そのような「すてもの」にしがみついていると言うことは、「弥陀におまかせしていない」ということにしかなりません。よくよくお聞きになられてください。

>親鸞会の恐ろしい所は、真実と方便とカルトが混在している所だと思います。

親鸞会では、すべてが「善因善果」の「因果の道理」の範疇(はんちゅう)でしか説明がなされていません。そうでなかったならば、「体験談」といわれる「一念覚知」の話です。
火星人さんは「親鸞会では真実がとかれていなかった」といいながら「真実もある」といい、こちらからしますとよく分からないことになっています。

Abc

Re: 火星人様

> 下品下生の悪人が根懺悔して他力回向の信心を獲て1回の念仏で往生できたと聞いた人が、「1回の念仏では足りないよ。それは僅かでもいいからと仏縁を与えられただけの事だよ。」と答えたとあります。

「あります」ってどこにあるんですか? 誰の話ですか? 論拠を出して下さい。貴方の勝手な妄想話なら妄想話と答えて下さい。

しかし苦しい言い訳ですね~。要は役柄で念仏を称えた位で即時に往生できるはずはなく、将来の仏縁となるということでしょう? 念仏別時意説と変わらないじゃないですか。そんな例まで出して関係ない人の念仏についてあれこれ述べていないで、自身の信心と念仏についてもっと教えを聞いて確かめるべきではないかと思いますが。


> ハッキリしないのに一念一念とこだわるのは何故ですか?ハッキリするから一念一念との書かれているのではないですか?

これはsuさんが仰っている通りです。高森教で染み付いた勘違いをずっと引きずっています。

親鸞聖人は時剋の一念があるとは仰っていますが、その瞬間が凡夫の上でハッキリするかしないかなど問題にされていないです。一念覚知の貴方には自身の信一念の体験が最後の牙城なのでしょうが、意識というやがて必ず滅びるものの上でハッキリしたとかいうことでもって往生一定だとしているのがそもそも計らいであり自力なんですよ。私もsuさんもTENさんもチュウビさんもAbcさんも、誰も自身の過去の体験を往生の証拠としている人はいないです。


> 本願他力により往生一定だという事がハッキリとしました。

そうですか。私は自分の上ではどのような処へ生まれるのか全くもって想像もつきませんが、火星人さんは自覚の上でどのような処へ生まれるのかハッキリしたのでしょうか?


あと、どうでもいいことを述べていないで、TENさんの質問にキチンとお答えしたらいかがですか。火星教金星教に付き合う時間も勿体ないのでね。親鸞会から分派した他の方々を問題にしないのと同じように、私は親鸞会の劣化版のような火星教金星教なら付き合うつもりはありません。あまり火星教金星教の話が続くようだと、suさんからの提案を真剣に考慮せざるを得なくなりますよ。

正覚と救い

浄土真宗において、高森顕徹氏のいうハッキリ・スッキリ説を批判するのは、信心一発の時に衆生の「意業」が本願に介在するという一念覚知説を否定するためでした。
いわゆる江戸後期の三業惑乱という論争を通じて、衆生の往生成仏の真因である信心について全分他力の観点から凡夫の意業の介在を否定したのでした。
浄土真宗の信心とは、衆生を済度する大悲心の顕現である仏心の顕現でもあるから、ご信心といい、この往生成仏の信(真実)を一方的に回向して下さる事態であるから、もし衆生の意業のハッキリ(妄想)などを他力義に関与させるなら、それはたちまち凡夫の自力の妄想に堕するのでした。
高森顕徹氏は、たぶん龍大在学時に、仏教概論や真宗概論という学びをすっとばして、自心の妄想の信の確立によって浄土真宗の体系を理解しようとしたのだろうけど、高森顕徹氏は『浄土三部経』も『教行証文類』も読んではいないと思ふ。
越前の古参の門徒は高森親鸞会の教学?を、断章の短冊教学と呼び揶揄していたものだ。

ともあれ、半ば狂気のごとく「一向専念無量寿仏」でなければ必堕無間ですよとわめく高森親鸞会のおばはんに、落ち着け、「一向専念無量寿仏」って、なんまんだぶせぇよということだから、あなた方が〔なんまんだぶ〕さえ称えていれば往生と馬鹿にする門徒と一緒に、仏前でなんまんだぶせぇやボケェ~と言ったこともあった(笑
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%80%E5%90%91%E5%B0%82%E5%BF%B5%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E4%BB%8F

高森親鸞会では、自己実現の範疇として「信心決定」という呪縛を説くのであるが、若者はこの自己実現という語に嵌る。子育てを完了して目的を失ったオバハンも嵌るのであった(笑

御開山の示して下さった浄土真宗とは、金魚すくいの救済と説くのではなく、浄土往生して仏陀となるご法義(仏教の教義)なのだが、一念覚知を論ず人は、「アホかと思ひ 寝るまへも思ふ」であった。
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2017/09/30/%e7%be%8e%e3%81%97%e3%81%8f%e9%bd%a2%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%a8%e8%a8%80%e3%81%b5%e4%ba%ba%e3%82%92/

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E6%B8%88%E5%BA%A6



No title

> ハッキリしないのに一念一念とこだわるのは何故ですか?ハッキリするから一念一念との書かれているのではないですか?

このセリフは、高森会長と講師が良く使う、起死回生の反撃のつもりです。
火星人もこれで形勢逆転だと思って、自信満々に書いたのだとおもいます。

自爆になるとも知らずに…

Re:TENさん

こんばんわ、Abcです。

>願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?(TENさん)

コレに関しましては、直前の

>願生彼国は、本願他力により往生一定だという事がハッキリとしました。(火星人さん)

で返答しているつもりのようです。つまり「願生彼国は、本願他力により往生一定だという事が『自力』にてハッキリした」らしいです。

私の問いはまだ答えられていませんので、返答が待たれるところではございます。

Abc

Abcさんへ

私にお書き頂いたこと、読ませて頂きました。
ありがとうございます。

Abcさんがお示しのように、火星人さんなりの回答がすでに書いてあることは、私も承知しています。
ですがあの回答は「言い訳」です。「回答」になっていません。重要なことぼかした回答でしかしないので、ご本人の言葉で正直な答えが欲しかったです。逃げてしまいましたが。

私は、火星人さんには願生心がないことを承知の上で質問しています。

火星人さんの立場に立てば、回答し難い質問です。火星人さんが逃亡するのも無理ありません。
・自分には願生心(発願回向)がない
・そのまま「ない」と言ったら善導大師の信心と違うと指摘される
・もし「願生心がある」と言ったなら、どのように起きたのかを言わねばならない
・願生心の内容も説明しなければいけない
・そしたらまた突っ込まれて嘘だとばれる
・よし!まずは往生一定ハッキリしたと言おう!
・逃げ道で悲嘆述懐和讃を書いておこう!
・聖人も願生心が無いと言ってるようだぞ

という火星人さんの思考過程は、チュウビさんがまとめて下さったとおりです。
また、「往生一定とハッキリした」については淳心房さんがすでにつっこんでくれました。ハッキリしたのならどのようにハッキリしたのか聞いてみたいものです。
また、悲嘆述懐和讃は火星人さんがただの言い訳で挙げているだけです。「願生心については、煩悩のせいで分からない」とでも言いたいのでしょう。
あれだけ「覚知!覚知!」と言っていたのに。自分に都合の良い事だけ「覚知」するのです。
願生心が起きたとも起きていないともとれる、どっちつかずの文章。ズルいですね。火星人さんは。


本当は火星人さんに向かって言いたいのですが、逃げてしまったので、このAbcさんへのコメント欄に書きますが、私が善導大師のお言葉を通じて火星人さんに言いたかったのは、

「あなたの信仰は、無帰命安心ではないですか?」

ということです。

「そのままだぞ!」を「このままですね!」と受け止めてしまった聞き間違い。
「願生心が無いままでは往生できない」
「願生心が無いままでは六字の心を頂いたことにならない」
と、善導大師が六字釈を通して教えてくれているけれども、火星人さんはそれを認めたくないのでしょう。
正直に答えずに逃げた、というのが無帰命安心の証明です。


ちなみに、親鸞会会員は信仰を語るのに、皆が同じ言葉で語ります。
味わいもなければ個性もない。ロボットのように、会長の言った言葉をただ覚えてくりかえすだけ。
私自身、親鸞会で聞き始めた当時には講師・先輩がみんな同じ言葉を言う点がとても不可解で違和感を感じました。
ところが会長の言った通りに復唱できる人が褒められるのです。異なることを言うと謗法罪なのです。会の中では。これに染まってしまったために、いつの間にか自分もロボットになっていました(笑)

会長語録では、往生一定、ハッキリ、大安心、大満足、程度の言葉しか出てきません。だから、火星人さんもそれをオウムのように繰り返すしか出来ないと思います。親鸞会から分派して火星教団を立ち上げるようですが、未信の人はその程度でもだませますが、篤信者にはまったく通じない、無味乾燥、実のない言葉です。

火星人さん

「そのままだぞ!」のご本願を「このままですね!」と受け止めてしまった火星人さんの聞き間違いは、いままでの問答で明らかです。

・願生心がなくても往生できる
・念仏を称えなくても往生できる

というのが火星人さんの「このままですね!」の信仰です。
その信仰を真宗では「無帰命安心」というのです。

弥陀の浄土に往生できる人はどんな人か。願と行がまどかに具わった人だと、善導大師は明らかにされています。

「このままですね!」では往生できないぞ。それでは「無願無行」だぞ。
「このままですね!」では六字の心を頂いたことにならないぞ。南無阿弥陀仏は願行具足だぞ。
「このままですね!」が弥陀のご本願ではないぞ。
「このままですね!」では弥陀のご本願に信順したことにならないぞ。

と、善導大師が六字釈を通して教えていますよ。
「このままでよい」の安楽イスにいつまで腰を降ろしているんですか?
善知識の言葉からどれだけ逃げ回れば気が済むんですか?

返答

「このままですか」ではなく、「必ず助けるという本願に間違いなかった。本当でした」ですよ!ハッキリしない訳がないですよ。ハッキリしないのは疑いがあるという事です。
願生心も、「本願に間違いなかった」という事であり、必ず浄土往生させるという本願を深く信じる疑いの無い信心になったという事であり、その信心に念仏が具足しているという事です。
ハッキリしたのは、本願に間違いがなかったという事です。早く死にたいと思わないのは、愛欲(執着)という煩悩が甚だしいからだと思います。
最近の親鸞会は歎異抄一色になり、・・・思う心の起きる時・・と根拠を出して信心正因だと書いてありました。
自力の心で念仏三昧をするのは何の為ですか?弥陀の極楽浄土に往生する為であり、信心を賜る為です。「念仏唱えたから極楽だ」は論外です。信心決定する為に自力念仏を称え続けます。どれだけ念仏を称えても、一回も称名念仏の出来ない奴だったと、本願力により自力が破られなければ称名念仏を称える事が出来ません。それが求道と同じ心境だと言いました。
従仮入真は、19.20の方便の願から18の真実の願に入る事だと認識していました。親鸞会のカルトに騙されて、方便も嘘だとなり、真実を見失ってしまうのが本当に恐ろしい事です。

あらら

火星人さん、本心が出てしまいましたね。

> 早く死にたいと思わないのは、愛欲(執着)という煩悩が甚だしいからだと思います。

願生心を「早く死にたいと思う心」だと、あなたは思っているのですね。

それは間違いです。

「早く死にたいと思う心」は煩悩です。

やっぱり願生心が具わっていなかったですね。


No title

>「念仏唱えたから極楽だ」は論外です。信心決定する為に自力念仏を称え続けます。どれだけ念仏を称えても、一回も称名念仏の出来ない奴だったと、本願力により自力が破られなければ称名念仏を称える事が出来ません。

全て間違い。
何十回も教えてあげたのに、本当にダラーですね。
「念仏唱えたから極楽だ」が信心。
念仏を称えて、一回も称名念仏の出来ない奴だったと知らされ訳ないじゃないのよ。
日本語にもなってないし、親鸞聖人の教えとも無関係だし。

贔屓目に見て土蔵秘事。
普通に見たら創価学会の亜流。

よって、火星人の信心は、創価学会土蔵秘事。

またまた出ました珍回答!

火星人さんは、自分が称名念仏せずに信心決定したと思い込んだものだから、何とか称名念仏しなくても済むように必死に取り繕ってますね。
お念仏は阿弥陀様が選択された行ですよ。あなたがなんで、ヤツは自力の念仏称えているから地獄だ死神が来るぞと、信前のものにガツンと言ってやろうと言う発想になるのですか?阿弥陀様より偉いのですか?脅しですからね。貴方のやった事は。それをやる根拠出しくてください。
「念仏を称えたなら極楽です。」との阿弥陀様の仰せを疑いなく聞いてください。それが他力に生きるものの言い方ですよ。
それから淳心房さん、Abcさん、suさん、林遊さんへの返答まだですか?

親鸞会より

真実の信心は必ず名号を具す、名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。
阿弥陀仏より信心を頂いて称える念仏が称名念仏ですよ。
「念仏唱えたら救われる」と勘違いする人が必ず現れるので、蓮如上人は歎異抄をカミソリ聖教だとして封印したのですよ。
ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏ととなうれば皆たすかるべきように思えり、それはおおきに覚束なき事なり。 御文章
この信心おこりぬる上は口業にはたとい時々念仏すとも常念仏の衆生にてあるべきなり。 安心決定抄

No title

ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏ととなうれば皆たすかるべきように思えり、それはおおきに覚束なき事なり。

ここのどこに、

ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏ととなうれば皆たすかるべきように思えり、それは不可なり。

もしくは

ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏ととなうれば皆たすかるべきように思えり、それは地獄なり。

と書いてありますか?

「おおきに覚束なき事」とは、大いに不確かなことということになり、助かるかもしれないし、助からないかもしれないという意味ですがね。

日本語が不自由過ぎて笑えますがな。

百回以上出した親鸞聖人のお言葉を思い出したまえ、記憶喪失の火星人よ。

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。(末灯鈔)

他力信心=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

自力信心=名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、【あさく】信じて

創価学会土蔵秘事信心=名号をとなへんものをば【死神】が迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

蓮如上人のお言葉も教えてあげたけど、忘れただろう、記憶喪失の火星人よ。

専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。(正信偈大意)

他の善にわき目もふらず念仏だけを一心に称えることに心が極まった人は、必ず極楽に生れる。


火星教だと

専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて地獄に生ずべしとなり。

No title

何百回も同じことを言い続けて、進展が全くないのですよ。
なぜに同じことを何百回も書くのかというと、自分は救われたからお前らの間違いを正してやるわとアラシが目的だから。

******************************************************************
火星人の信心は、

ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏ととなうれば皆たすかるべきように思えり、それは地獄なり。

名号をとなへんものをば死神が迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じて

専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて地獄に生ずべしとなり。
******************************************************************

念仏誹謗をこれ以上続けさせても仕方ないでしょうから、スパムコメントに指定するのが最善かと思います。

Abcです

こんばんわ、Abcです。

相変わらず火星人さんから返答がないので、私のほうから書かせていただきます。


『歎異抄 第2条 おのおのの十余箇国のさかひをこえて』 より、
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

とありますので、火星人さんが言うところの、

「ヤツは自力の念仏称えているから地獄だ死神が来るぞ」と
となえたら地獄らしいのですが、

私は、たとえそこが地獄であろうと報土であろうと、
「念仏称えたら極楽」と言われている、源空聖人や親鸞のところに
往くことができるならばそれで私は問題ありません。

なぜならば、源空聖人も親鸞も「弥陀にまかせよ」といわれ、
源空聖人は「義なきを義とす」、「別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」とも言われていますので
私はそれで満足なのです。
親鸞は「この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなるべし。」と源空聖人が懇ろに説かれていたご法義をこのように言われているのです。

ですから火星人さんが私に「地獄に堕ちる」と申されましても「それならばそれで」としかお答えできません。

※過去に私が『末灯抄』をお読みになられては、と問いかけましたが回答がないようなので別段回答はしていただかなくてもよろしいです。

なもあみだ なもあみだ
Abc

行信

火星人さん ←ふざけたHNだな。

>真実の信心は必ず名号を具す、名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。
>阿弥陀仏より信心を頂いて称える念仏が称名念仏ですよ。

高森会脳らしい発想ですね。
真仮を論じたら真に着目すべきなのだが、何故か仮に着目するのが高森会脳。
浄土真宗の所信(信ずるところ)は名号法ですから「真実の信心はかならず名号を具す。」とされたのでした。いわゆる行信不離を示すのであり、行無き観念の遊戯としての信ではないことを示すために必具名号とされたのでした。

行なき信は観念の遊戯であり、信なき行は不安のさけびである、と言われますが少しく行信ということを学ばれるといいですね。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 火星人様

一念覚知説の研究 紅楳英顕 伝道院紀要19号
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html

これでも読んでみなさい。読解力に乏しいので無理かも知れませんが。

> 「必ず助ける本願だ」と明確な覚知をさせて頂きましたので心配しないで下さい。一念覚知がなければ疑情が疑情だと分からない私でした。

貴方は自分でもこのように言っていますが、一念覚知の異義です。貴方は今回も

> 「このままですか」ではなく、「必ず助けるという本願に間違いなかった。本当でした」ですよ!ハッキリしない訳がないですよ。ハッキリしないのは疑いがあるという事です。

と信一念の自覚を問題にし、信一念の自覚がなくハッキリしないのは疑いがある、つまり救われていないのだと主張しています。これは高森教や、高森教から派生した火星教金星教の立場であって、浄土真宗の立場ではありません。浄土真宗は

信一念を覚にも執じず、不覚にも執じない「覚もよし、覚えぬもよし、共に仏智に信順するを以て、当流安心の正義とす」

という立場です。貴方は「覚不覚を論ぜず」の語を得手に解釈して「覚」ばかり論じ、「不覚」の者は救われていないかのように主張しています。そして一人仏法知り顔のていで他人を見下し吐いてきた暴言の数々、「さよなら親鸞会」などにしっかりとその証拠が残っています。親鸞会教義は間違いだと言いながら困ると親鸞会に根拠を求める姿勢は、親鸞会教義が抜けていないどころかそこにどっぷりと浸かり、間違いないと信じているすがたです。

私は貴方の体験談を否定するつもりはありません。貴方が信一念の自覚を問題にし、その「ハッキリ」体験を元に信心を語っていることを否定しているのです。まぁその体験も、

錯乱状態でシナプスが繋がり何か閃く事
http://shingikensho.blog12.fc2.com/blog-entry-1099.html#comment2782

という程度のもので、正意の安心に住していないことは、これまでの念仏誹謗の暴言の数々を見ればよく分かることです。そしてそれを撤回することもなく言い訳して正当化しているのですから恐ろしいですね。こればかりは

すると人間の心は、まことに複雑怪奇。自分で自分に説法する。心の中から呼び声を発するのだ。恐るべき自己暗示は、聞こえない声も、聞こえたと深く思い込ませてしまうのである。
つかんだら、もう放さない。それで、信心いただいた、ああ、オレはもう助かった、となる。
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20080630tukurareta.htm

という通りですわ。親鸞会からお墨付きがもらえない理由もよく分かります。

教えを学ぶ気などなく、「自分は救われたからお前らの間違いを正してやるわとアラシが目的(suさん)」という意見に賛同せざるを得ません。よって以降、

①「信一念の自覚無き者は救われていない」と仰った聖教の根拠を示せ。

②獲信・往生のために念仏以外の善を勧められた聖教の根拠を示せ。

③2.願生の心が起きたのですか?起きなかったのですか?
・起きたとしたら、どのように?
・起きないのなら、なぜ? (TENさん)

この3つの質問に誠意ある回答が見られない場合、火星人金星人のコメントはスパムコメントと見なし受け付けないものとします。①②は聖教の根拠であって高森教火星教金星教の言葉や理屈ではないので。③はTENさんが納得いくように、今の自分の信心をありのままに書いて下さい。誠意ある回答を期待しています。

高森教の信心でしたわ

私がず~と言いたかった事が、皮肉にも淳心房さんが提示して下さった文、
一念覚知説の研究 紅楳英顕 伝道院紀要19号
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html
に言いたい事が全部書いてありました。
一念覚知は日時の実時を覚えているかどうかを問題視していますが、実時を覚えているかどうかは全く関係ありません。ハッキリと一念が自覚できたかどうかという事です。一念の自覚の有無で信心を見極めるのは誤りだと書いてありましたので、その事は素直に認めます。私はハッキリと一念を自覚できました。年と月日は覚えていませんが、4時頃とだけは覚えています。
聖教の根拠を示せと言われても、教学がありませんので勘弁して下さい。
善を勧めた根拠は一切経の殆どが廃悪修善の教えであります。観無量寿経にも善が進められています。
願生の心とは、「弥陀の本願は本当だった」という心であり、本願に誓われた往生一定は間違いないと深く信じた心の事です。それならば起きました。
伝道院19号に書いてある事に間違いありません。と言った時点で高森教の信心でした。念仏を称え、聴聞を重ねている内に信心を頂いていたという妙好人もいると書いてありました。信心の頂き方は人それぞれであるので、こうでなければならないと見下す事は致しません。全ては阿弥陀様とのご縁であり、阿弥陀様のみぞ知る所であります。仏願の生起本末をしっかりと聴聞して、信心決定を願って念仏するのみです。いつ疑情の晴れた御恩報尽の称名念仏を称える身になるのかは分かりません。火星人は、やはり高森教の信心でした。これでスパムは確定です。最後のコメントになるかと思いますが、淳心房さんが示してくれた、伝道院19号をよくよく見て頂きたいと思います。弥陀の本願はハッキリとしています。

No title

>善を勧めた根拠は一切経の殆どが廃悪修善の教えであります。観無量寿経にも善が進められています。

と言って、法然上人、親鸞聖人を非難攻撃し弾圧したのが聖道門です。
創価学会亜流の信心で、浄土の真宗の信心がわかる筈も無し。

念仏誹謗の信心を獲得した火星人は、失せたまえ。

火星人のよくやる手です

相手の言うことをそのまま返して反論したとする。よくやる手です。前も彼はやりました。で読めないお前らが悪いと(笑)どちらが読めていないのか。結局念仏一行がわからないし、認めたくないのです。
 高森教祖と同じ信心と主張し、特殊な体験を自慢して、俺しかわからない境地!凡人にはわからん!高森亡きあとは俺だ!こうなりたければ俺のはなしを聞け!そのためには釈尊は善に励めというとるぞ!金と人を集めることこそが善だ、念仏は称えるのは間違いだ地獄だ。と言って火星教団を設立するのです。高森爺さんより俺のほうがうまくやるぞ!と。
もうスパムですね。勉強するといっていたのは嘘とわかりました。邪魔したいだけなのです。

Re: 火星人様

本当に貴方は都合の良いところしか読んでいませんね。もう一度言いますが、浄土真宗は

信一念を覚にも執じず、不覚にも執じない「覚もよし、覚えぬもよし、共に仏智に信順するを以て、当流安心の正義とす」

という立場です。ですから貴方が「ハッキリと一念を自覚できました」というならそれでもよしです。しかし、

覚えぬもよし

ですから、信一念の自覚が無いのもよしなのです。それを貴方は

> 「このままですか」ではなく、「必ず助けるという本願に間違いなかった。本当でした」ですよ!ハッキリしない訳がないですよ。ハッキリしないのは疑いがあるという事です。

と信一念の自覚がなければならないとこだわり続け、自覚の無い者を「疑いがある」、つまり信を獲ていない者と見なしています。これが誤りだと言っているのです。


> 聖教の根拠を示せと言われても、教学がありませんので勘弁して下さい。

貴方はずっと仰っているハッキリ体験以降何をやってたんですか? コメント欄を荒らして念仏誹謗し、一人仏法よく知り顔のていで回りや伝統教団を見下していただけで何の勉強もしてなかったのですか? 真宗の信心か否かを判定するのは貴方の体験によってではありません。教え、すなわち聖典によってです。聖典に根拠が無い場合、貴方の主張は真宗とは認められません。ただの高森教から派生した火星教金星教です。

教えの理解に取り組まずに自分の体験談ばかり自慢してもね・・・。親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人が自分の体験談をずらずら何十何百と書いていますか? 体験談に執着し、過去の体験、凡夫の意識の上でのハッキリスッキリを基に信心を語るだけでなく、念仏誹謗のコメントの数々から、貴方が正意の安心に住していないことがよく伺えます。聖典に取り組み、本願力におまかせして念仏し、如来大悲の恩徳を報謝する念仏者になって頂きたいですが、このままでは私の願いは届きそうもありません。


> 善を勧めた根拠は一切経の殆どが廃悪修善の教えであります。観無量寿経にも善が進められています。

やっぱり高森教から派生した火星教金星教でした。こんな高森教を真受けにしている状態で真実の行信が獲られるなら法然聖人、親鸞聖人のご苦労は要りませんわ。『選択本願念仏集』をよく読んで下さい。法然聖人は一切の諸行諸善を廃して念仏一行を往生の行と教えられています。
それは元々阿弥陀仏が普く一切衆生を平等に救わんとしてそうされたのですから、「獲信・往生のためには念仏一行」は真宗では当たり前の当たり前なのです。貴方はかつて

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仏とも法とも知らない人に、善はやると遠回りになるから兎に角念仏だけをひたすら唱えなさいと言うのが正しい浄土真宗だと仰るおつもりですか?

投稿: | 2017年1月 2日 (月) 13時14分
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このようなことを書いていたそうなので②の質問をしてみましたが、今も変わらず「往生には念仏一行」を否定していることがよく分かりました。


> 願生の心とは、「弥陀の本願は本当だった」という心であり、本願に誓われた往生一定は間違いないと深く信じた心の事です。それならば起きました。

これでTENさんは納得ですか? 私は腑に落ちませんけど。


> 念仏を称え、聴聞を重ねている内に信心を頂いていたという妙好人もいると書いてありました。信心の頂き方は人それぞれであるので、こうでなければならないと見下す事は致しません。

と言いながら、信一念の自覚にこだわり、信一念の自覚無き者は信を獲ていないと見下していたのはどこのどなたですか? 己の過去のコメントをよく見て反省しなさい。そういうこともせずに「善の勧め」だとか言っても何の説得力も無いですよ。


当ブログでは親鸞会教義と浄土真宗の教義の違いを明確にし、会員の皆さんに親鸞会教義の誤りと正しい浄土真宗を知って本願を信じ念仏して頂くことを目的としています。火星教金星教と判明し、真宗を勉強する気も見られない以上、私としてはもはやお相手するつもりはありません。残念ですが、管理者の権限でコメントについてはスパム設定とさせて頂きます。なお、閲覧は自由ですので、覗くも覗かないもご自由に。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。

淳心房さん

お返事が遅くなりました!
昨日まで仕事と家族での用事が立て込んでいました。ゆっくりパソコンに向かう時間もなくてすみませんでした。

>> 願生の心とは、「弥陀の本願は本当だった」という心であり、本願に誓われた往生一定は間違いないと深く信じた心の事です。それならば起きました。

> これでTENさんは納得ですか? 私は腑に落ちませんけど。


全然、納得していません!
むしろ失笑ものです。

淳心房さんに返信できない数日間、火星人氏との対話をしてきた5ケ月間を振り返っていました。

火星人氏に対して、一言で言うならば「誠意が無い人」であり「信用できない人」です。

発言が一貫していない。
仏法のことにおいて、この人には「決定心」がないです。
言い訳、逃亡、表面的な謝罪、を繰り返す姿勢。
そして、この人の「手のひら返し」の話にはうんざりしました。
火星人氏は自分の信仰を検証することから逃げまくりました。
聖人の信心と違うことを聞かされても認められない。
だから、いつまで議論をしても進展しない。
あげくのはてには自らスパム登録を希望して逃亡する。
なさけないですね。

もはや「かせいじん」なのか「きんせいじん」なのかもどうでもいい事ですし、入力するのも手間なので、両方のイニシャルでK氏とします。

私はK氏が逃亡したいま、ふたつのことを決めました。
ひとつ目は、「自分の信仰は親鸞聖人の教え・信仰とは違っていました」とK氏が認めるまで、私は金輪際、対話をしません。
ふたつ目は、いままでK氏との対話を振り返って、こちらのブログにK氏の信仰における疑問点や、親鸞会の間違いを挙げたいと思います。
それで、K氏との信心の沙汰の区切りにしたいと思います。

管理人である淳心房さんにご迷惑にならない範囲で書かせて頂いて、コメンテーターの皆様からもご意見や教学的な知見を加えて頂けたらと思います。

書く目的はふたつです。
ひとつ目は、これをご覧になっている親鸞会会員の人に、親鸞会教義の間違いに気づいて頂きたい。
ふたつ目は、これを読んでいるであろうK氏に地獄秘事を説くのをやめてもらいたい。
その二点です。

一回では書ききれないので、とつとつと書いていきたいのですが、淳心房さん、よろしいでしょうか。


まず、親鸞会の自称獲信者のK氏が対話をするに値しない人物だと思うに至った「手のひら返し」発言を並べます。

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「ハイ、さようなら!」

謗法罪は「弥陀の本願を説く仏教を謗ったり、説く先生を見下して侮る罪を言うんだってさ。実機は何も変わる事なくそのままの救いなんだってさ。念仏を謗ったり本当だろかと疑う心は疑情の心であり、一念回向でなくなりますとよ。つまり、信心決定してない人は口先だで念仏唱えていても阿鼻地獄に堕罪して八万劫中大苦悩の後生の一大事の罪は消えないんだってさ。聞即信の一念で回入が正解なんだってさ。謗法闡提廻心皆往生は、仏教を信じない心が翻って聞く事ができるのだとよ。納得したわ。危うく悪知識に騙されるところだったわ。これでこのブログも卒業だわ。やはりT先生から聞いた教えが正解でした。よくよく考え直して余命を精々頑張って下さいな。謗法闡提の実機のまま救われる本願でした。無くなるは疑情のみです。

•2018-01-13 11:31•火星人
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「間違いは、間違い」

やはりそういう事でしたか。
絶対の幸福という言葉が曖昧なだけに、人によって聞き方が違います。都合のいい様に解釈して納得するより仕方ありません。会の目的にしているだけに分からないのは自分に問題があるのかと思い込んでしまいます。
何度質問してもよく分からない話や、関係ない話を言いだし、答える人も分かってないのでポカンとなるだけです。
「阿弥陀様の本願は無条件でそのままの救いだ。救われても何も変わらずに疑情の心が晴れるだけだ。」と言われると、「それはその通りで納得ですが、分からないのは絶対の幸福です」と堂々巡りになります。
新しく聞く人は「大悲の願船に乗って絶対の幸福になりたい」と言っています。後生の一大事の話は殆どなくなりました。聴き始めはそんなもので、聞き進めばだんだんと奥が深くなるのかな?といった感じです。聴くほど迷宮入りして、裸の王様の洋服は美しいと洗脳されるだけなのかな?
絶対の幸福という訳の分からない餌で釣る事よりも、弥陀の本願の生起本末をしっかりと説かないと違った教義になりますね。「こんな事が知りたい」に「苦悩の人生を明るい人生に変えるのが本願だ」などとハッキリと書かれているとは今まで全く知りませんでした。淳心房さんは親鸞会の教義にも明るいので頼もしいです。間違った教義を正しく見ようとして、こういう事かと納得しても間違いは間違いですね。

•2018-02-11(11:48) : 金星人
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「auさんに深くお詫びします」

やはり、suさんは、「さよなら親鸞会」のブログで激闘した人でしたか。
退会者のブログに遭遇したのは初めてであり、コメントしたのも最初でした。
高森先生から聞いて来た事しか知らず、反旗を振って刃向かう者は皆敵だとみなして切り付けてしまいました。SUさんは教学に長けた人でした。
それから、ブログ「飛雲」にたどり着き、10年近く永遠と批判し続けている書き込みを読みました。親鸞会を見下してバカにしている点は差し置いて、お聖教の根拠を元に間違った事は一つもないと思いました。親鸞会の出す印籠が本物なのか分からなくなりました。
TENさんのブログで廻心という言葉の意味が分からず、親鸞会の講師に質問し、その時に言われて分かった事をそのまま書き込みました。逆法闡提の聞かない心が翻って本願を聞くのが廻心だと言われ、謗法闡提廻心皆往生とはそういう事なのかと納得しました。念仏誹謗とは本願を疑っている心の事だと理解しました。もやもやした心境で投げやりにぶつけてしまいました。
教えの真偽が更に分からなくなり、このブログで色々と勉強させて頂いています。(以下略)

•2018-02-13(10:52) : 金星人
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「今の心境」

それぞれのブログは、親鸞会の間違いを的確に指摘してます。認めます。
喧嘩とはいえ、suさんの出す根拠を楽しみにし、親しみすら覚えてました。
淳心房さんと山よさんのブログを興味深く見させて頂いています。
分からない点を親切に教えて頂きありがたく思っています。
親鸞会が正しくて退会者を敵視する見方は完全にやめました。
高森会長に何を言われても、何とも思いません。既に絶対の幸福の信心と違うからお前の信心は異安心だと言われ続けています。
•2018-02-13(14:26) : 金星人
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「真相は分らん」

高森教の全部が全部間違いだとは言えませんね。
真実と方便とカルトがゴッチャになっているから厄介なのです。火星人は親鸞会が間違いないという観点に立ってました。
飛雲氏や淳心房氏やTEN氏のブログ、特に嶋田講師の「私の白道」を読んで親鸞会の正体が益々分からなくなりました。なので、高森先生を信じる信じないは疑煩悩であり、どうでもいい問題だと思う事にしました。
淳心房さんから、浄土真宗ではどの様に教えられているのか勉強する事にしました。
•2018-02-16(15:10) : 金星人
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「SUさんへ」

SUさんと係ったのが縁で、浄土真宗の教えは親鸞会とは違う事が少しづつ分かり興味を持ちました。親鸞会と違ってしっくりとします。

•2018-02-21(09:20) : 金星人
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「逆に質問です」

(前半略)おそらく全てにおいて異なると思います。
大沼氏や華光会は本願寺から異端とされ、それをパクった親鸞会も当然異端になります。ならば、火星人も異端となるのは当然の事です。良く分かりました。
異端であれば浄土真宗は名乗れませんね。でも、親鸞聖人の教えを知る権利はありますよ。耳を傾けるのは当然の事です。

•2018-02-24(17:36) : 金星人
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「返答」

だから、親鸞会は異端だと認めましたよね。
(以下略)

・2018-03-01(20:36) : 火星人
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「高森教の信心でしたわ」

私がず~と言いたかった事が、皮肉にも淳心房さんが提示して下さった文、
一念覚知説の研究 紅楳英顕 伝道院紀要19号
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html
に言いたい事が全部書いてありました。
(中略)
火星人は、やはり高森教の信心でした。これでスパムは確定です。

•2018-03-09(16:37) : 火星人
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私がK氏に言いたいこと

1.こんなフラフラした信仰で「決定心」の訳がない。
2.みずからスパム扱いされることを望んで信心の沙汰から逃亡する程度の信仰。
3.他人に謝罪するときくらい、相手の名前を間違えるな。

こんな人と関わっても、話が終わる訳がない。

> 何度質問してもよく分からない話や、関係ない話を言いだし、答える人も分かってないのでポカンとなるだけです。

これはK氏が親鸞会講師部員を批判した言葉ですが、その言葉をK氏ご本人にもそっくりそのままお渡ししします。

Re: TEN様

> 全然、納得していません!
> むしろ失笑ものです。

→ですよね~(;^ω^) 要は願生心とは浄土に生まれたいと願う心のことで、それが起きたか起きないかという質問なんだから、何を頓珍漢な返答をしているのかという感じですよね。

世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国

とある通り、私達は一心に阿弥陀仏に帰命して安楽国に生まれることを願うのであります。浄土教の基本ですよ。なんまんだぶなんまんだぶ


> もはや「かせいじん」なのか「きんせいじん」なのかもどうでもいい事ですし、入力するのも手間なので、K氏とします。

→火星人のホストを拒否したら、同時に金星人のホストも拒否中となったので同一人物で間違いないです。


TENさんの書き込みならどうぞどうぞ(^^♪


色々と過去の火星人金星人のコメントを挙げて頂きましたが、アラシが目的としか思えませんね~。suさんは一年以上、TENさんチュウビさんは5ヶ月ほど付き合っておられたとのことですから、皆さん忍耐強い方々です。

やっぱり火星人さんは「自力念仏は必堕無間」という念仏誹謗の教義を真受けにしていたんですね。これで浄土真宗の信心を語る方がおかしいです。真宗は往生行には念仏一行、その上で信心が自力か他力か、本願力におまかせして計らい無く念仏して浄土を願っているか、念仏を自分の善根と思って功徳を積み重ねて浄土に生まれようと願っているか、が問題になってくるのであります。

語ると言っても親鸞会教義と、自分の意業の上でのハッキリスッキリ体験を元にあれこれ語っているだけですから、そんなものは「みなもってそらごとたはごとまことあることなし」と昨日高森会長が話した「万の事皆もって」の範疇ですわ。浄土真宗からしても親鸞会からしても間違い、しかし認められたくて仕方ないといった印象です。

何とか分かって頂きたかったですが、こちらのコメントを受け止めていそうにないこと、TENさんのブログやさよなら親鸞会等の火星人の書き込みを見ていくにつれて真宗を真面目に学ぼうという気が無く、火星教金星教を訴えたいだけだという思想が読み取れたので、当ブログでは書き込みをお断りさせて頂く運びとなりました。

単に私の力が無いというのもありますけど、「無宿善の機にいたりてはちからおよばず」を痛感しました。やはり宿善の機に法を説かないと反って謗法の元となりますから、親鸞聖人のお言葉に耳を傾ける気が有るのか無いのかをよく吟味考察しないといけませんね。なんまんだぶなんまんだぶ

願生

こんばんわ、Abcです。
横槍、申し訳ございません。

>私はK氏が逃亡したいま、ふたつのことを決めました。
>ひとつ目は、「自分の信仰は親鸞聖人の教え・信仰とは違っていました」とK氏が認めるまで、私は金輪際、対話をしません。
>ふたつ目は、いままでK氏との対話を振り返って、こちらのブログにK氏の信仰における疑問点や、親鸞会の間違いを挙げたいと思います。
>それで、K氏との信心の沙汰の区切りにしたいと思います。

>管理人である淳心房さんにご迷惑にならない範囲で書かせて頂いて、コメンテーターの皆様からもご意見や教学的な知見を加えて頂けたらと思います。
(以上 TENさん)

私も、TENさんとの信心の沙汰は行いたいと思っておりますゆえ、今後ともコメントのほどよろしくお願い申し上げます。

>世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国

>とある通り、私達は一心に阿弥陀仏に帰命して安楽国に生まれることを願うのであります。浄土教の基本ですよ。なんまんだぶなんまんだぶ(淳心房さん)

誠にその通りでございます。 私がいつも 「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国」と2行目と3行目をつないで記しているのはそれで「十字名号」であるからです。場所の関係などでやむなく4行にせねばならないときは、4行でしるします。

この「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国」の「願生」の部分を更に紐解いたものが「以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往安楽国」であると私のところのセミナーでお聞きしたことがございます。

この2つの回向文のどちらとも「弥陀にお任せしなさい」ということですので、私をふくめ皆々お任せいたしましょう。

なもあみだ なもあみだ
Abc

極楽に往生したいと願う心

そもそも極楽に往生したいと願うのが浄土教であるのですが、火星人は(高森教信者も)、彼の答えの通りそんな願いは最初からサラサラ持ち合わせておりません。19願20願も行者は極楽往生を願うのですけど、火星人は三願転入したといいながらも、一度も極楽に行きたいと思って諸善や念仏していなかったことが明白ですね。
 当然といえば当然で高森爺さんが、真宗を聞く目的を極楽往生と言わず、絶対の幸福としてしまっているからです。阿弥陀様を絵空事としか思ってなくいのです。絶対の幸福をあっともスッともギャとも言わない一念で達成できスッキリはっきりする体験を獲られるとしてしまっているので、法論となって劣勢になると、彼らが最後に言うセリフが「お前は一念のはっきりした体験が有るのか!」と聞いて来るわけですね。火星人も言ってきましたけど、私も講師部員に言われましたよ(笑)
本願を信じて念仏すれば仏に成ると聞いて念仏している者に、でお前は一念の体験が無いのに念仏してるのだろ、自力じゃねえか!とあほなことを言って来て恥じないのです。火星人さんは、知ってる人だから、わかってくれるかなあと思ったのですけど残念です。ですが、書き込みをする縁となりあらためて教えを学ぶことができたので楽しくありました。今後も宜しくお願いします。なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ

願生心について ①

淳心房さん、Abcさん、ありがとうございます。
いまだ弥陀の大悲を知るご縁に恵まれず親鸞会で活動している人に向かって書かせて頂きます。
いましばらくのお付き合い、よろしくお願いします。


淳心房さんの言葉、

> 単に私の力が無いというのもありますけど、「無宿善の機にいたりてはちからおよばず」を痛感しました。やはり宿善の機に法を説かないと反って謗法の元となりますから、親鸞聖人のお言葉に耳を傾ける気が有るのか無いのかをよく吟味考察しないといけませんね。

を聞いて、まったく同じことを私も思っていました。自分の文章力や教学力の足りなさを感じながらも、しかし一方で、目的違いのK氏にはどんな表現で伝えても耳には入らないのだとも思いました。仮に耳に入って鼓膜は振動していても、心には届いていない。そんな感じでした。
同じ法を聞かせて頂いても心が閉じて入らない人もいる。私も「宿善/無宿善」についてあらためて考えさせられました。理路整然とした話であったとしても、相手を見ずにむやみやたらに伝えることはよくないのだと、阿弥陀様に教えてもらいました。


さて、K氏の過去の発言を一言でまとめますと、

「自分に往生を願う心はなく、阿弥陀様は念仏を称えなくてもよいとおっしゃっている」

というのが、K氏の信仰です。これが、K氏がハッキリ知らされた「真実の自己の姿」であり、「ご本願の内容」のようです。つまり、無い無いづくしでのお助け。無条件の救済。「このままでいいんですね!」という信仰です。これを真宗では無帰命安心というのですが、K氏本人はご自身が無帰命安心であることを認めることができませんでした。

では、実際の弥陀の救いにあずかるとは、どういうことなのでしょうか。

願生心について ②

「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国」

淳心房さんとAbcさんが先に挙げて説明された「願生偈」のお言葉です。

天親菩薩は願生偈に「願生安楽国」と言われ、それを善導大師は観経疏に「発願回向」と教えられました。善導大師はまた二河白道の喩えで「衆生貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」と仰有っています。

「貪欲瞋恚の煩悩の中に、清浄願往生の心が生じるのだ」

と教えられています。


浄土教の原点は「厭離穢土 欣求浄土」(源信僧都)です。
火星人さんの信仰は本物なのだろうか。
この人は真剣に求めた人なのだろうか。それとも観念の遊戯をしている人なのだろうか。この人が主張する「本願まこと」の内容とはどんなものか。求めた結果、何を知らされたのだろうか。この人の「ただいまの信仰」はどうなっているのか。との疑問を持ちながら体験談を聞いていました。願生心が無い信心なんて、ありえません。

分かったことは、
--------
悪果が来れば、「そのままだぞ」の名号により転悪成善となり、
善果があれば、「ありがたや」と御恩報尽の称名念仏となります。
その名号の心を言葉にしたのが南無阿弥陀仏でした。

18/01/06 
 火星人
--------

K氏が求めているものは現世利益でした。厭離「悪果」 欣求「善果」の信罪福心によるものです。
信罪福心とは、善果・悪果にとらわれている心であり、善悪・生死・自他・損得、という相対・分別の世界に生きている心です。
そこから離れたいと願うのが願生心です。そして実際に離れることを往生と言うのですが、K氏の発言からは、その「往生を願う心」のかけらも出てきません。
結局は、浄土も阿弥陀様もお念仏もどうでもよい人でした。
この世の苦しみを避けたい。自分にとって都合の悪いことを避けたい。そのような目的で仏法を捉えると、仏法は自己啓発の本やセミナーと同類になってしまいます。

親鸞会で聞いている人の多くが

 最大の悪果・・・地獄(必堕無間)
 最大の善果・・・極楽

と思っていますが、それは間違いです。

親鸞会の人に分かりやすいように、六道輪廻の教説から言えば

 悪果・・・地獄界
 善果・・・天上界 

が正しいです。

つまり、親鸞会で聞いている人は「天上界を極楽だと勘違いしている」ということです。善果を求めて仏法を聞いている人は、「自分は極楽を求めているのではなく、天上界を求めているのだ」と認識したほうがいいです。
そのような人に対して、蓮如上人は「極楽はたのしむと聞きて、まゐらんと願ひのぞむ人は仏に成らず」とおっしゃいました。欲楽や天上界を求めている人の聞き誤りを戒めたお言葉です。
「聞き間違ってはいけないよ。欲楽や天上界を求めて仏法を聞いていても、極楽には生まれられないし、信心決定も勿論できないよ。」との蓮如上人のご教示です。

 〇信罪福心の世界・・・欲楽、天上界
 〇信罪福心から離れた世界・・・極楽

この違いを明確に教えて、極楽参りを勧めて下さる人が善知識です。その御教示に従って、罪福を信じる心から離れ、極楽を求める心が願往生心です。そこからが出発です。それを源信僧都は「厭離穢土 欣求浄土」とおっしゃいました。

親鸞会で聞法している人たちには、いま一度確認してもらいたいです。
あなたはどちらを願っていますか?

天上界ですか?それとも、極楽?

願生心について ③

願生心(回向発願心)について、大谷派名古屋別院のHPに書いてある文章が心に残ったのでリンクを貼ります。

http://www.ohigashi.net/oshie/read/seiten/40/
一部を引用します。

---------
聖人はこの廻向発願心を二通りに分けていられますが、第一には仏教で普通に考えられている受け取り方を出していられます。今まで長い間、聞法したり、いろいろ実践したりして心をみがいて来た。それによって得たところの清らかな広い心を、幸福とか、人間世界の中にあるすぐれたものを得ようとするところに向けるのではなく、専らそれを自らの信心の力をし、その心でひとえに浄土へ生まれようと願う、言いかえれば聞法実践で得た心を、浄土へ生まれようとする、ひたすらなる願いを完成する力としてふりむけるということであります。仏の教えからいって、いろいろねうちのあることをつみかさねて来たが、その全部をつぎこんで、ただひたすら浄土に生まれようと願う、そういう心を廻向発願心といわれるのであります。こういう心は大事なもので、ひたむきに仏の世界へ生まれようという心がなければ、仏の世界へ生まれることなどは思いもよらないでしょう。私たちは世界が苦しみで一杯だと言いますが、この苦しみの世界を求めているのです。公害のある世界も、結局は人間がよってたかって作ったものだといえないでしょうか。都合のよいことなら少々間違ったものでも取り入れようとし、都合の悪いものは大事なものでも放り出そうとする心、これは浄土を願う心とは全く反対の心であります。この心は、つまり穢土(えど、苦しい世界)
に生まれたいと願う心でありますが、これに中々気づきません。こういう心の間違いに気づき、この心をやぶってひたすら浄土を求める心、それが回向発願心といわれるものであります。
---------

要約しますと、

〇私たちが極楽浄土に生まれようとする願いはとても大事なもの
〇ひたむきに仏の世界に生まれようという心が無ければ、生まれることなどは思いもよらない
〇ただひたすらに浄土に生まれようと願う心を回向発願心という

しかし一方で、

〇私たちが起こす願生心は、「穢土を厭うて、浄土を願っている心」ではあるが、
〇その心を掘り下げてみれば「都合のよいものを取り入れて、都合の悪いものは大事な物でも放り出そうとする心」であった
〇つまり私たちの「浄土に生まれたいと思っている心」の本質が、実は「穢土に生まれたいと思っている心」であった。
〇この心の間違いに気づき、この心を破ってひたすら浄土を求める心が回向発願心です。


親鸞会流に表現するならば、上記が真宗の本来の「求道の道程」だと、私は思います。
まとめますと、

1.穢土を厭うて、浄土を願う。
2.自分が浄土だと思い描いていたものが、実は欲楽・天上界だと気づく。
3.欲楽・天上界とは、つまり穢土のこと。
4.穢土を厭うているはずが、穢土を求めている。
5.その矛盾に気づき、浄土を求めずにいられない心となる。

しかし、これは自力の心です。つまり、善導大師の「清浄願往生心」とは違います。
自力の心ではあるのですが、チュウビさんも願生心があって当たり前とおっしゃっているように、もしK氏が本当に浄土往生を願って、真剣に求道した人ならば、求道の過程でこのような気づきがあるのかとも思います。ですが、K氏からは上記のような言葉はまったく聞くことはできませんでした。
それもそのはずで、善知識から仏願の生起本末を聞かせて頂いて、初めて気づかせて頂けることなのです。

親鸞会的に言うならば、弥陀の本願を正しく説けない親鸞会からどれだけ聞いていても、「信仰は進まない」のです。

Re:TENさん

こんばんわ、Abcです。
ご丁寧な解説、ありがとうございます。横槍となるかもですが、
私のほうからもコメントさせていただきます。

>天親菩薩は願生偈に「願生安楽国」と言われ、それを善導大師は観経疏に「発願回向」と教えられました。善導大師はまた二河白道の喩えで「衆生貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」と仰有っており、「貪欲瞋恚の煩悩の中に、清浄願往生の心が生じるのだ」 と教えられています。

>浄土教の原点は「厭離穢土 欣求浄土」(源信僧都)です。(TENさん)

仰るとおりです、その中にて「善導大師は観経疏に「発願回向」と教えられました」とありますのが、前に私が挙げた「同発菩提心」(善導大師『観経疏 玄義分』)がそれに当たります。 また源空聖人は「善導大師の教え」を普く広められた方ですが、その源空聖人も

「三には〈回向発願心〉と。〈回向発願心〉といふは、過去および今生の身口意業に修するところの世・出世の善根、および他の一切の凡聖の身口意業に修するところの世・出世の善根を随喜して、この自他の所修の善根をもつて、ことごとくみな真実の深信の心のうちに回向して、かの国に生ぜんと願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。また回向発願とは、かならずすべからく決定の真実心のうちに回向して、得生の想を願作すべし。この心深く信ずることなほ金剛のごとく、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために動乱破壊せられず。ただこれ決定して一心に捉りて、正直に進みて、かの人の語を聞きて、すなはち進退ありて、心に怯弱を生じて、回顧して道に落ちて、すなはち往生の大益を失ふことを得ざれ。」
(源空聖人 『選択本願念仏集 回向発願心』)

といわれています。

また、「厭離穢土 欣求浄土」も

それすみやかに生死を(厭い)離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし

と言われています。源信僧都の文をみても、善導大師の文でも、源空聖人(法然聖人)の文でも 学ぶことが出来ます。

なもあみだ なもあみだ
Abc

清浄願往生心

どもです。

御開山の『観経疏』の訓点(読み方)は独特ですからややこしいです。
善導大師の『観経疏』を本願力回向の立場でよまれるので、浄土真宗の本願力回向という概念を知らないと読めなくて混乱します。

お示しの「清浄願往生心」も回向された清浄の願往生心とされておられます。凡夫には清浄ということはいえないから。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B8%85%E6%B5%84%E9%A1%98%E5%BE%80%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%BF%83


御開山は、善導大師の当面読みでは回向発願を、

 かならずすべからく決定の真実心のうちに回向して、得生の想をなすべし

とある文を、

 かならず決定して真実心のうちに回向したまへる願を須ゐて得生の想をなせ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%9A%E2%80%A6%E6%83%B3%E3%82%92%E3%81%AA%E3%81%9B

と読まれましたが、自らに真実は無いということを真実とされた御開山独特の訓点でしたです。

真実を示す至誠心釈でも、善導大師の、

 かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ、の文を、

 かならず真実心のうちになしたまへるを須(もち)ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%9A%E2%80%A6%E6%87%90%E3%81%84%E3%81%A6

と読まれ、真実を論ずる場合は阿弥陀仏の方で語るのだとされておられました。

こういう御開山の読み替えを通して、七祖聖教と御開山の読み方を対比して御開山の見ておられた世界を窺うのも面白いことです。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%A8%BB%E9%87%88%E7%89%88%E8%81%96%E5%85%B8%E4%B8%83%E7%A5%96%E7%AF%87%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80

なお林遊にとっての「面白い」という表現は、面白いの語源である、「面」は目の前を意味し、「白い」は、目の前が徐々に明るくなっていくことを示し、ありがたい(有る事難し)こっちゃの同義語です。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて」(枕草子)かもです(笑

浄土真宗のご法義は、(なんまんだぶを称えた者を掬う)という「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」という成仏法なのですが、「聞其名号、信心歓喜」という阿弥陀如来の信心を歓喜することを知らずに、高森会のありもしない「絶対の幸福」という信心に迷うなら、

 観仏本願力 遇無空過者
  仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。
 能令速満足 功徳大宝海
  よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%95%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%96%87%E9%A1%9E#no16

とある「本願力」を知らずに、人生を空しく「空過」するのかもでした。知らんけど。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

願生心について ④

Abcさん、林遊さん、コメントありがとうございます。

林遊さんのおっしゃるとおり、聖人独自の読み方と七高僧の「当面読み」の比較をこれから学んでいきたいです。古文なのでどちらも難しそうです(笑)「須らく」とか、古語の基本的な意味から分からないですから(笑)
よく「親鸞聖人の御己証」と言われるようですが、それが聖人独自の読み方や解釈ということでしょうか。
いずれにしましても、約仏でお聖教を読む。約仏で人にお話しする。というのが大切だとリンクを読ませて頂いて改めて思いました。


Abcさん、以下の解説ありがとうございます。初めてお聞きしました。

> 「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国」の「願生」の部分を更に紐解いたものが「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」であると私のところのセミナーでお聞きしたことがございます。

「願わくは、この功徳をもって 平等に一切にほどこし
 同じく菩提心をおこして 安楽国に往生せん」

善導大師のおっしゃる願生心とは、「願わくはすべての人とともに浄土往生せん」ということなのですね。


私がいまお世話になっている先生が昨年の年末のご法話で教えて下さいました。
「仏様と言うのは、自分だけが成仏できれば良いとは思っていない。皆で一緒に仏になりましょう。というのが仏様の願いです。」そのようにお聞きしました。
つまり、法蔵菩薩は、自分一人だけが仏に成ればよい、とは思っていらっしゃらない。あなたが地獄へ行くならば一緒に地獄へ行こう。どこまででもついて行く。あなたを放っておいて自分だけが仏になんか成れない。なったとしても嬉しくない。それが「仏心」だと先生から聞かせて頂きました。私は涙が出そうになりました。

本願文には「若不生者」とおっしゃっている、その「命がけ」の心とはどういうことか。その「心」を先生から聞かせて頂いてありがたいご縁でした。その法蔵菩薩の願心が仏心であり、願生心であり、大慈悲心です。

つまり、私が浄土往生を願うよりもずっと前から、私の往生を願って下さる御方がいた。その御方が阿弥陀如来であった。その「願心」にふれて、願心に生かされることが「南無阿弥陀仏を頂く」ということでした。

親鸞聖人は、「能生清浄願往生心」を欲生釈にて「能生清浄願心」と表され「往生」の二文字を略されたそうです。回向されるものは法蔵菩薩の願心(弥陀の願心)でした。命懸けの清浄なる願心なので、「金剛のごとし、破壊すべからず」と聖人は教えられました。


さて、親鸞会会員のK氏の発言を振り返りますと、弥陀の願心がひとつも出てこない。「阿弥陀様は、ただいまのあなたにどのように呼びかけていますか?」と何度お聞きしても、答えてはくれませんでした。

---------------
阿弥陀如来は、ひとりひとりに大悲をかけて、救わんとされています。
火星人さんの阿弥陀如来は、いま、どこでどのように火星人さんに向かって呼びかけていますか?
•2017-10-23 12:58 TEN
----------------
上記のような質問には、K氏は一切だんまりです。
一方でK氏は以下のように言いました。

--------------
弥陀より賜った白蓮華です。何もしなくても枯れる事はありません。
17/11/24 火星人
----------

ここでK氏が言う「白蓮華」とは何でしょうか?ご本人は信心のつもりでおっしゃっています。しかし、その「信心」とは「他力信心」なのでしょうか?
親鸞聖人は他力信心のことを「清浄願心」とおっしゃり、善導大師は「白道」と教えられました。ですから、善知識方も他力信心のことを「清らかな白蓮華」だとおっしゃっています。確かに善知識方とK氏の言葉は同じです。
ですが、若不生者の願心(願往生心)を受け取っていない人が「白蓮華の信心を頂きました!」なんて声高に叫んだとしても、言葉だけがむなしく響くのみです。そこには「心」がないのですから。
花には「水が必要な花」(活きた花)と「水が不要な花」(造花)があります。「何もしなくてよい花」は造花です。白蓮華は活きた花です。きれいに咲いていられるのは阿弥陀如来のおかげです。私が水をやるのではなく、阿弥陀如来が絶えず水を下さっているのです。
「早く弥陀の願心を受け取ってください」と願うばかりです。


では、K氏はどのような信仰だったのか。
以下のような信仰を「縁他力」と言います。

------------------
「回答書」
・姿形はなく、大宇宙は本願力に満ち溢れています。
・やはり無耳人であり、常に呼ぶ声は聞こえませんが、聞即信の一念で念仏一  定、往生一定と金剛心をもって深く信じています。
2017-11-01 06:5 火星人
--------------
--------------
「これではどうかな」
・広大難思だと理解して下さい。2600年よりも無始からの本願、無限の宇宙に充満した本願だというふうに勝手に理解しています。
2017-11-01 12:58 火星人
---------------

縁他力の信仰からは「私一人がため」の弥陀の願心が出てきません。それが、縁他力を含めた「無帰命安心」の特徴です。弥陀の願心が抜けた他力信心など、ありえないのです。

弥陀の願心が抜けた説法をどれだけ聞いても、信仰は進みません。だから、親鸞会では救われません。それを会員の人には強く訴えたいです。造花信心でも満足できる人は、ご自由にどうぞ、です。

Re:TENさん

こんばんわ、Abcです。

>Abcさん、以下の解説ありがとうございます。初めてお聞きしました。

>> 「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国」の「願生」の部分を更に紐解いたものが「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」であると私のところのセミナーでお聞きしたことがございます。
>
>「願わくは、この功徳をもって 平等に一切にほどこし
 同じく菩提心をおこして 安楽国に往生せん」
>
>善導大師のおっしゃる願生心とは、「願わくはすべての人とともに浄土往生せん」ということなのですね。

もうすこし、付け加えますと、天親菩薩の回向文では、
「世尊は我々に対して 一心に名号をすすめ 安楽国へ生まれていただくことを願った」となり、「名号をすすめて」、「生まれさせていただく」となります。

それを踏まえて、善導大師は、「安楽国へ生まれていただくことを願った」(天親菩薩)を「願わくは、この功徳をもって 平等に一切にほどこし  同じく菩提心をおこして 安楽国に往生せん」と「この功徳をもって」と「弥陀回向」であることを強調されました。

 後に源空聖人(法然上人)も「平等に一切にほどこし」を「ただこれ男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず」(『選択集』-『往生要集』引用)といわれ、親鸞も『浄土高僧和讃』にて、

源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき
 賢哲・愚夫もえらばれず 豪貴・鄙賤もへだてなし

と、「平等に一切にほどこし」のいわれを説かれています。

---

>私がいまお世話になっている先生が昨年の年末のご法話で教えて下さいました。
>「仏様と言うのは、自分だけが成仏できれば良いとは思っていない。皆で一緒に仏になりましょう。というのが仏様の願いです。」そのようにお聞きしました。
つまり、法蔵菩薩は、自分一人だけが仏に成ればよい、とは思っていらっしゃらない。あなたが地獄へ行くならば一緒に地獄へ行こう。どこまででもついて行く。あなたを放っておいて自分だけが仏になんか成れない。なったとしても嬉しくない。それが「仏心」だと先生から聞かせて頂きました。私は涙が出そうになりました。 (TENさん)

まことに有難いことです。その先生の仰られているように、「仏様と言うのは、自分だけが成仏できれば良いとは思っていない。皆で一緒に仏になりましょう。というのが仏様の願いです。」なのです。48の誓願ひとつひとつに「設我得仏 -(願内容) 不取正覚」とありますとおり、「設(たと)い、我仏を得ん、 [中略] ~の時は 正覚をとらず」といわれています。「正覚」は「正しい覚り(さと・り)」とも読むことができ、それほどまでに「自分だけが成仏できれば良いとは思っていない」なのです。なもあみだ なもあみだ

Abc
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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