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「ただ念仏のみぞまことにておはします」とは絶対に話さない高森顕徹会長

『飛雲』真実あること無しの話をするしか能のない高森顕徹会長

にあるように、東日本大震災発生より7年目となった先日日曜日は、富山で高森顕徹会長の話がありました。

今回は、批判サイトを意識しているのか、映画『歎異抄をひらく』が現在製作進行中だからなのか、その両面からなのかは分かりませんが、映画『なぜ生きる』についての質問からは打って変わって『歎異抄』後序

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」について

会員の質問に答えるという形式でした。親鸞会ではこの話しか無く、会員は今更重ねてこの部分の何を聞きたいのか疑問だらけですが、組織拡大打倒本願寺という名利が目的の高森会長からしたら、信前の人の求信活動をより活発にするには無常と罪悪でせめたてるのが一番ですから当然と言えば当然です。「絶対の幸福」と共に「折伏」までパクるとは、名実共に「創価学会の信心」です。さすがに「折伏」とは言わず「破邪顕正」と言っていますが、執拗に説得して、相手を自分の意見や方針に従わせるのですから同じことです。


さて、先日の話では、演題からして大事な部分がスッポリ抜け落ちてしまっています。それは

ただ念仏のみぞまことにておはします

です。何のために

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに

と仰っているかと言えば、それはただ聞く者を絶望させるのではなく

ただ念仏のみぞまことにておはします

ことを示すためです。これが無かったら救いが無いのです。高森会長のいつものパターンとして、無常と罪悪、機の面の話を延々と述べ、最後の方で救いがあると匂わせる話を少しだけして終わるというのがありますが、今回も例に漏れずそのような流れでした。最後の方にわずかに

願力無窮にましませば
 罪業深重もおもからず
 仏智無辺にましませば
 散乱放逸もすてられず
正像末和讃

のお言葉を示し、「諸仏に捨てられた私を弥陀は絶対の幸福に救う」とか言って終了したそうです。しかし肝心要の「念仏」とは何か、どうして親鸞聖人は「ただ念仏のみぞまこと」と仰ったのかについてはその説明が全くありませんでした。こんな法味が無く、救いの無い話を会員はいつまで有難がって聞いているのでしょうか。


親鸞聖人がよき人法然聖人から承った教えは、「ただ念仏」しかありませんでした。そのことは、まず『選択集』三選の文

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。

とある通りです。速やかに迷いの世界を離れようと思ったら、聖道門をさしおき、雑行を捨てて、助業を傍らにおいておき、もっぱら仏の名号を称えよ。称名するものは必ず往生を得る。なぜならそれは阿弥陀仏の本願によるからである、と仰せです。であるから、親鸞聖人は

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。『歎異抄』第二条

と仰り、親鸞がよき人法然聖人から賜った仰せは「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」以外になく、仰せの通りに信じて念仏する他に「往生のみち」は知らないと語られているのです。

この「ただ」は「ただのただも要らんただじゃったー!」などという訳の分からないものではありません。「選んで正定をもつぱらにすべし」とあるように「念仏一行」という意味の「ただ」です。「念仏一行」どころか助正間雑、雑行、更には悪業悪行を会員に勧めるのは、「念仏よりほかに往生のみちをも存知し」ている者のすることです。そんな者や、そんな者の教えを信じている者に、親鸞聖人は「おほきなるあやまりなり」と仰っていることを知らねばなりません。そして、よき人の仰せを信じて「ただ念仏」する他に「往生のみち」はありませんから、

ただ念仏のみぞまことにておはします

と仰っているわけです。加えて言えば、『歎異抄』の作者は

かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生れずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし。

とあるように幸いにも念仏する身となりながら、ただちに真実の浄土へ往生しないで、方便の浄土にとどまることを歎いているのです。同じく「念仏一行」の行者のなかで法然・親鸞聖人と信心が異なることがないように、直に報土に生れずして、辺地に宿をとらんことのないように、涙にくれながら筆をとり『歎異抄』を書いたというのです。助正間雑、雑行、更には悪業悪行を勧める者、それを信じてやっている者は法然・親鸞聖人と信心が同じどころか「一室の行者のなか」にも入っていないのです。法然・親鸞聖人と同じ信心になりたかったら、まずは邪義を授ける人の手から離れて「一室の行者のなか」に入るべきでしょう。


ところで、高森会長は話の中で

世界に72億の人間がいるとして、一番の極悪人が私。そんな者を助ける弥陀の本願

だとか言っていたようですが、高森会長を始め、親鸞会の会員は絶対にこのようなことは思っていません。彼らは世間の人々を「どう生きるかしか知らない人達」と見下しています。本願寺始め真宗十派は正しい親鸞聖人の教えを説いていない、誰も救われていない、と言って憚りません。退会者のことは「求道の敗残者」と蔑んでいます。これまでの高森会長の話や『顕正新聞』等の機関誌の内容、また今まで数多く行われてきた親鸞会と退会者との法論における、高森会長と講師部員の傲慢さがそれを証明しています。

彼らは「全人類は五逆・謗法・闡提」「十方衆生に善人は一人もいない」と自分達より下がないことに加えて、真実を知らされているのは自分達だけという思い上がり、慢心から他人を見下し扱き下ろしているカルト信者ですから、「世界で一番の極悪人が私」などとは到底思える筈がありません。それどころか、72億の人間の中で一番が高森会長、自分は上位何千人の中に入っているというのが偽らざる本心でしょう。

高森の信」における「機の深信」とは、今回の話で言えば

・「世界で一番の極悪人が私」と知らされること

でしょうから、そのような高森の「機の深信」が立たない会員は絶対に救われないということです。


法然・親鸞聖人と同じ信心は獲られず、獲られたとして創価学会の信心、一念覚知土蔵秘事地獄秘事信心であり、たいがいは「誰が何と言おうと高森先生に間違いない」という妄念妄信、善知識だのみに陥っているのみであることを、そして単に「高森の行」に励んで組織拡大要員として働かされている事実を、会員の皆さんは早く受け止めて頂きたいと思います。
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非公開コメント

Abcです

こんばんわ、Abcです。
今回も私なりに印象に残ったところをピックアップします。

>煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに

>と仰っているかと言えば、それはただ聞く者を絶望させるのではなく

>ただ念仏のみぞまことにておはします

>ことを示すためです。
(淳心房さん)

高森会長は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに」ではなく、
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」と常に言われています。この2つの文の何が違うかといいますと、

「みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、」の場合は、「全て空言たわごとであるから、」とそのあとの「念仏」に続きます。
 対して、「みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」としますと、「全て空言たわごとである」と断定文でしかなく、聞くものを絶望させるのみとなっています。(これが「短冊断章」といわれる由縁です)

>この「ただ」は「ただのただも要らんただじゃったー!」などという訳の分からないものではありません。「選んで正定をもつぱらにすべし」とあるように「念仏一行」という意味の「ただ」です。(淳心房さん)

このように「ただ」だけ抜きますと、よく分からないことになりますので、
「ただ念仏」と抜き出します。

歎異抄
親鸞におきては、「ただ念仏」して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

「ただ念仏」のみぞまことにておはします

和讃
「念仏」成仏これ真宗 万行諸善これ仮門

正信念仏偈
唯能常称如来号 「ただよく常に阿弥陀如来の名号を称えて」

円満徳号勧専称 「功徳を円満にもっている名号を称えること」を勧められた

極重悪人唯称仏 極重(ごくじゅう)の悪人は、「ただ念仏」をしなさい

等々あります。

なもあみだ なもあみだ
Abc

ただのただも要らんただじゃった〜(笑)

件の何某さんも、同じセリフを言ってました。念仏一行でなくて何がただなのか?ただで貰って丸儲けぐらいのことを言ってるのか、高森爺さんの猿真似信心なのでオウム返しでセリフを言ってるだけ。本人も結局わからないのでしょう。そもそも信心が「大宇宙の真理」を貰ったと彼は定義してましたので、例え話の中の阿弥陀仏と南無阿弥陀仏。と思っているようです。だから心が阿弥陀様に向かわない。これはエル・カンターレでも、グレードサムシングでも、親神さまでも、他を自分の神さまに包括していう新興宗教と変わらないのです。逆にこういう人は自分だけの神秘体験だからこそ価値があり嬉しいし、他人に誇れるので、話したくて話たくて仕方ないのです。そんな人だから自分こそ極悪最下!と言えるある意味メンタルの強さを持っているのですね。つまりは放っから真宗でないし、真宗でなくても自己肯定感が高まればそれで良いので信心決定などどうでも良いのです。
とてーも残念です。
今回の事で、そもそも何キッカケで真宗を真剣に聞こうとみんなは思うのだろうか?とわからなくなりました。無常や罪悪からくる後生の不安ではないのですかね?厭離穢土欣求浄土?

追記

連投申し訳ございません Abcです。
こちらのコメントは、「私の主張」が強く出てしまっているので
別コメントとさせていただきました。

本願寺の正式名称は、
「久遠実成 阿弥陀本願寺」であり、

専修寺の正式名称は、
「専修阿弥陀寺」であります。

まず、本願寺の「久遠実成」ということですが、
これは『御文 2帖目8通』にご説明されている箇所がございます。ご参照ください。

次に、専修寺ですが、
これは前にも記しましたが、「専修念仏の寺」と言う意味であり、初期の真宗の寺院にはこの名前が徹底されました。
熊坂専修寺(福井にあった寺院) 甲斐専修寺(現:浄興寺) 下野専修寺(現:本寺) 出雲路専修寺(現:毫摂寺) などです。

この「専修」というのは、「専らに修める」とよみ、「なにを修めるのか」というのは、もちろん「念仏」を修めるのです。「念仏」は「万善万行のすがた」でありますから「ただ念仏」とも「ただ能く念仏をとなえ」ともいわれるのです。

末筆となりますが、「親鸞の教えはなにか、というのは「ただ念仏」である」といえます。

Abc

コメント返信

Abc様

私も「私の主張」をブログに書いているわけなので構わないですよ~。
お聖教に基づかずに「ただ」を説明し、それを素人が聞いているから、会員はあんなヘンテコな説明で納得してしまうのでしょう。それで三選の文を出して「ただ念仏」は「念仏一行」ということだと示しました。

念仏成仏と言えば

あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・決釈)

もございますね。如来回向のなんまんだぶ(なもあみだ)を称えて成仏せよと。有難い事ですね。


チュウビ様

「ただ」を求めて莫大な時間と金銭と体力を消耗して、そして獲られないのが悲しいかな親鸞会の会員です。自力の求道で知らされる程度なら弥陀の五劫思惟は要らないのです。己のことなどかなぐり捨てて阿弥陀仏のお助けを聞かなきゃなりません。

しかし大宇宙の真理を「貰った」とは随分傲慢な表現ですね。大宇宙の真理という言葉を使うなら、私は大宇宙の真理に包摂されてしまった、とでも言うべきでしょうか。今までは自力の殻に閉じこもって撥ね付けていたのが、そのままなんまんだぶに身をまかせ往生をまかせるようになった、なんまんだぶに帰依させられた、という感覚です。

彼らの「極悪人」「極悪最下」は言葉だけで、少なくとも我々「退会者」よりはマシだ位に思っていることでしょう。あのような選民思想の教えを聞いていて「極悪最下」など、知らされるはずもありません。尤も機の深信とはそのようなものではありませんが。


> 何キッカケで真宗を真剣に聞こうとみんなは思うのだろうか?

ある人は無常、ある人は罪悪、ある人は死への恐怖、ある人はまことを求めて、ある人は幸福を求めて・・・色々だと思います。そういう思いを、我々もかつてはそうでしたが親鸞会に利用されているんですね。

Re:淳心房さん

こんばんわ、Abcです。

ご返信、ありがとうございます。

>念仏成仏と言えば

>あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・決釈)

こちらの文章は、私が「不回向の行」を説明する際に使用している文言ですね。
この文での結びは、ご承知のとおり「みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし」であります。
 この結びに関して、師である源空聖人は主著『選択念仏集』にて、「わたくし(源空)にいはく、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者よくこれを思量せよ。」(『選択集』-『往生礼讃』を見ての考察)といわれています。

>しかし大宇宙の真理を「貰った」とは随分傲慢な表現ですね。大宇宙の真理という言葉を使うなら、私は大宇宙の真理に包摂されてしまった、とでも言うべきでしょうか。今までは自力の殻に閉じこもって撥ね付けていたのが、そのままなんまんだぶに身をまかせ往生をまかせるようになった、なんまんだぶに帰依させられた、という感覚です。(淳心房さん)

弥陀は「どうか『名号』を聞いて(受け取って)ほしい、どうか私の名を称えてほしい」(『大経』(聞其名号)、『観経』(称仏名) などの意訳)といわれており、天親菩薩は「世尊は私たちに一心に~」と『名号』を勧められ、曇鸞大師は『解説書』をつくられ、

善導大師は「願生」について、
願わくは、この功徳をもって 平等に一切にほどこし
 同じく菩提心をおこして 安楽国に往生せん」 (太字部分は『願生偈』にて記載されている箇所)と「弥陀のおはたらき」を詳しく申されています。

また、源空聖人『選択集』にて、「善導の『観経疏』(散善義)のなかに、「上よりこのかた定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」といふ釈の意に准じて、しばらくこれを解せば、上輩のなかに菩提心等の余行を説くといへども、上の本願(第十八願)に望むるに、意ただ衆生をしてもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。」とも申されております。こちらの太字を束ねると「ただ弥陀仏の名を称せしむる」となり、「ただ念仏」となります。

>なんまんだぶに帰依させられた、という感覚です。(淳心房さん)
 それは誠に慶ばしいことです。 通仏法では、「三宝に帰依する」とはもうしますが、殊に真宗では、「三宝といふは、一には仏宝、二には法宝、三には僧宝なり。いまこの浄土宗は仏宝なり。」(『ご消息 五説の段』より)と申されているように、「仏宝」なのです。私たちは、この「仏宝」を、作っていただいた弥陀より「聞いてくれ! 称えてくれ!」と喚び掛けられているのを私自身は聞き、まだ聞かれてない人には「「聞いてくれ! 称えてくれ!」と弥陀がいわれていますよ」と伝えるだけです。

更に親鸞、 珍しき法もひろめず
 如来の教法 われも信じ 人にも教えきかしむるばかりなり

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(『歎異抄』第二条)

この2文だけでも、「親鸞は「ただ念仏」をひろめられている」と言うことがご説明できるかとおもいます。いずれにしましても、弥陀の尊い仏縁でございます。

なもあみだ なもあみだ
Abc

ありがとうございます

私が、「ただ念仏」と今聞いているのが不思議ですね。聞き始めのキッカケは色々ですけども、どの段階かで、これは真剣にならねばとなるかは「まことに宿善まかせ」なのかなと思いました。中には確信犯的に、仏教を利用して自己の栄達を目指すものがいるのが残念です。

Re: チュウビ様

> どの段階かで、これは真剣にならねばとなるかは「まことに宿善まかせ」なのかなと思いました。中には確信犯的に、仏教を利用して自己の栄達を目指すものがいるのが残念です。

そうですね。ただ私達の真剣など後生には何の役にも立ちません。それよりも阿弥陀仏が真剣になって我らを助けんとしている、その阿弥陀仏の真剣を受けなきゃならんですね。本願は「真剣に聞き求める人を助ける」ではなく「名号を称える者を極楽へ迎える」という本願です。私達の真剣な聞法求道を讃えて阿弥陀仏がその褒賞として信心を授けるわけではありませんから、私達は兎にも角にもよき人の仰せのままにただ念仏、ただ念仏、ただ念仏、であります。私の真剣を打ち捨てて、如来の真剣そのものの喚び声を受けよ、称えよ、とでも言うのでしょうかね。なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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