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コメント返信(いくら親鸞聖人であっても、知らないものは知らない)

不正な投稿だと撥ねられてしまうので記事に書きました。いくら親鸞聖人であっても、知らないものは知らないの記事へのコメント返信です。


Abc様

本当に早いです。学校が休みで給食が無いので、私のと合わせて娘の弁当も作っておりますが、学校の準備となると妻や子供にまかせきりですね・・・。これではまずいのですが、本当に「知らん」です(*_*;

さて、仰る通りで

> 現生に「摂取の利益」に預かる

ことは間違いありません。聖人も「信文類」にて

金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。なにものか十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。

と教えられている通りです。ここで問題なのが、「現生に十種の益を獲」たことと、「現生に十種の益を獲」たことが実感として知らされることとの違いです。高森教では実感として知らされるように説いていますから、会員は種々の誤解を抱いてしまうのです。例えば記事で冒頭申し上げたようなことです。

高森教でよく言われる「弥勒と肩を並べる」というのも随分傲慢な表現かと思います。馬鹿野郎、こちらの方が早くさとらせて頂くか知れないが、今生では弥勒菩薩と同格などとはとてもとても・・・。「弥勒におなじく」という表現は確かにこの記事でも書いたようにありますが、智慧や徳まで同じくなるわけではありません。会員は、「高森先生は阿弥陀仏の御心を知らされて51段の境地に出た御方」だなどと盲信していますので、高森会長は勿論ですが講師部員、一部会員の傲慢な態度はここから出ているものかも知れません。

信を獲ても「仏智の不思議」は「仏智の不思議」です。我々が判る程度のものならばそれは「思議の法」です。「仏智の不思議」を「思議の法」に貶め、念仏を説かず信心も誤り、神秘的体験、ハッキリスッキリ体験を獲信のように誤解させていること、またそんな体験を求めさせ、ありもしない道程を通らせようと「一切要らない」行をやらせて金集め人集めに狂奔する親鸞会の邪義をもっと明らかにしなければなりません。


林遊@なんまんだぶ様

梯和上のご法話を紹介して下さりありがとうございました。記事上でもリンクを貼らせて頂きました。私の人生、色々苦しい事や辛い事もありましたし、当然これからも生きてある限りやってくるでしょうが、遇うべき法には遇わせて頂き、聞くべき法は聞かせて頂きました。阿弥陀さまの仰せ一つで、念仏一つで死ねます。と申しましても、今はまだ死ぬつもりはないのですが(;^ω^) なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・。
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返信

おはようございます。Abcです。

やはり、バタバタしていましたか。。。 「新生活が始まる」と言う時は、誰しもバタバタしてしまいます。少しおせっかいかもしれませんが、その「新生活」は「去年までの生活では知り合うことができなかった仲間」との「出会いの縁」でもありますので、そのように考えるとこの「バタバタした準備期間」も少し楽しみにおもえるかもしれません。

さて、お答えいただきました

>ここで問題なのが、「現生に十種の益を獲」たことと、「現生に十種の益を獲」たことが実感として知らされることとの違いです。

 ですが、仰るとおり 彼は「ハッキリ スッキリ体験」にこだわるので「体験主義」となり先の私のコメント「聖弟子の説」となるのです。(如実の善ではないので正しくは「聖弟子の説」ではないのですが、「彼なりの理論では」ということにしていただきたいです)

>高森教でよく言われる「弥勒と肩を並べる」というのも随分傲慢な表現かと思います。馬鹿野郎、こちらの方が早くさとらせて頂くか知れないが、今生では弥勒菩薩と同格などとはとてもとても・・・。「弥勒におなじく」という表現は確かにこの記事でも書いたようにありますが、智慧や徳まで同じくなるわけではありません。

 こちらの表現は「弥陀不思議の願力に依って(他力本願力回向によって)、「補処の弥勒に同じく」させていただく」のです。私たち一人ひとりの力ではないのです。ですから親鸞や下代の上人たちは、「凡夫の浅智」や「煩悩具足のわれらごとき凡夫」等などいわれているのです。

「智慧や徳まで」と記していただきましたので、そのことに関係する箇所を記しましてこれまでとします。

「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つなり」と仰せの候ひければ、勢観房・念仏房なんど申す御同朋達、もつてのほかにあらそひたまひて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と候ひければ、

「聖人の御智慧・才覚ひろくおはしますに、一つならんと申さばこそひがことならめ。往生の信心においては、まつたく異なることなし、ただ一つなり」と御返答ありけれども、なほ「いかでかその義あらん」といふ疑難ありければ、

詮ずるところ、聖人の御まへにて自他の是非を定むべきにて、この子細を申しあげければ、法然聖人の仰せには、「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と仰せ候ひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候ふらんとおぼえ候ふ

です。然(もっと)も、こちらの文言は「源空聖人に尋ねに行く背景」であります。
かさねがさねとはなりますが、ここにありますとおり「真宗(南無阿弥陀仏)」は、「如来よりたまはらせたまひたる信心」でありますゆえ「他力回向」といわれます。

なもあみだ なもあみだ
Abc
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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