子供達は私になんまんだぶを勧めにやってきた化身

「私が念仏称える」という行為によって助かるのではなく、称えられる念仏、南無阿弥陀仏によって救われる。称えられるなんまんだぶに我々の無明を破り、志願を満たすはたらきがあるのです。

子供達のかわいらしい口から称えられるのも南無阿弥陀仏。私の穢い口から称えられるのも南無阿弥陀仏。誰の口から称えられても、称えられる南無阿弥陀仏は南無阿弥陀仏で一緒です。南無阿弥陀仏自体には、自力も他力もありません。それを我が計らいの心をもって、「私が称える私の念仏」ととらえ、私の念仏に功徳があるように思ってこれを称えて浄土に往生しようとするのを自力と言われます。

その人を助ける助けないは阿弥陀さまのお仕事、阿弥陀さまのお計らいであって私が知る所ではありません。なのに最近まで、子供達のお念仏を「どうせ信を獲ていないだろうから自力念仏だろう」と勝手に思ってしまっていました。それこそ計らいではないかと反省させられました。本当に子供達を通して知らされることが多いです。子は親の鏡とはよく言ったものです。

やはり、共に念仏して阿弥陀仏の名を褒め讃えつつ、どういう思いで念仏しているか聞いてみないといけないなと思いました。そこで、念仏を取引材料にする気持ちや祈願請求の気持ちが見られたら「そうではないよ」と話し、「お念仏はお前達を浄土に迎えるはたらきだから。そのはたらきにおまかせするんだよ」と本願力回向の法を伝えなければなと思いました。

また、決して念仏すること自体を否定したり、止めたりしてはならないのだなと思いました。せっかく阿弥陀さまが子供達に称えさせて下さっているのに、私が止めちゃいかんですよね。

大人でも難しいのに、子供には・・・と思われますが、それも計らい。全ては阿弥陀さまのお計らいなのだから、こちらで先入観を持たずに、子供にも受け止められるように話そうと思いました。


ところでこの前、突然次女が

「私は阿弥陀さまの子なの?」

と聞いてきたのでまたまた驚き。

「そうだよ。お前たちは阿弥陀さまの子だ」

と、次女と傍にいた三女に言いました。その時、子供達は私になんまんだぶを勧めにやってきた化身なのではないかと思われたのでした。時に感情的に叱りつけてしまったりして反省することしきりですが、この仏の子達が何とか一人前になってくれるまでは傍で共にありたいと思いました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

最近は、日が落ちるのも遅くなり、気温も高くなってまいりました。
「暑いから」と窓を開けたままにしておくと、ノドをやられてしまうので注意が必要です。

>また、決して念仏すること自体を否定したり、止めたりしてはならないのだなと思いました。せっかく阿弥陀さまが子供達に称えさせて下さっているのに、私が止めちゃいかんですよね。

>大人でも難しいのに、子供には・・・と思われますが、それも計らい。全ては阿弥陀さまのお計らいなのだから、こちらで先入観を持たずに、子供にも受け止められるように話そうと思いました。

さようでございます。念仏は「貴賎男女も選ばず嫌わず」でありますが、
それ以前に「大人も子供も選ばず嫌わず」なのであります。
「大人だから」、「子供だから」と計らいを設けることは、淳心房さん自身がいわれている「大人でも難しいのに、子供には・・・と思われますが、それも計らい。」なのです。

すこし話がそれるかもですが、「七五三」という行事は、「子供がその年齢になるまで健やかにすごされた事を祝う行事」であります。そのことを考えますと「大人だから」とか「子供だから」と考えることはなおのことつまらないことに思えてきます。

親鸞は『正信念仏偈』のむすびにて
  道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
 道(僧侶)・俗(在家)・時衆共に同心(なんまんだぶの心)にいたりて
 唯、斯の(その)高僧の説を信ず可し

と記されております。

>「私は阿弥陀さまの子なの?」

流石としか言うことができません。子供は大人とは違い「社会(世間体)に対するためらい」がないために、そのことに気づかさせて頂けたのかもしれませんね、ありがたいことです。仰るとおり、私も淳心房さんも、娘さんもみな「阿弥陀さまの子ども」なのであります。誰一人としてこぼれるものはおりません。

源空聖人は『選択集』のなかにて
 「いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮せんとにはあらず。ただこれ男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にしかざればなり」 といわれております。

みなみな「なんまんだぶの心を親様(阿弥陀さま)から頂いた御同行」として称えさせて頂くばかりであります。

なんまんだぶ なんまんだぶ
Abc

Re: Abc様

寝る前と朝方との気温差が大きいので注意が要りますね。

> 子供は大人とは違い「社会(世間体)に対するためらい」がないために、そのことに気づかさせて頂けたのかもしれませんね、ありがたいことです。仰るとおり、私も淳心房さんも、娘さんもみな「阿弥陀さまの子ども」なのであります。誰一人としてこぼれるものはおりません。

有難いお言葉を下さり、うれしいです。多分どこかで「お前は阿弥陀さまのたった一人の子供なんだよ。この世の親はパパとママだけど、本当の親は阿弥陀さまなんだ」と話したことを覚えていたんだと思います。先入観が大人に比べてないので、すっと受け入れられるのかもですね。だからこそ幼い頃から間違った教えを受けると不幸だなと感じます。

> 源空聖人は『選択集』のなかにて
>  「いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮せんとにはあらず。ただこれ男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にしかざればなり」 といわれております。
>
> みなみな「なんまんだぶの心を親様(阿弥陀さま)から頂いた御同行」として称えさせて頂くばかりであります。

こうした念仏でなければ、愚悪な我々はとても迷いを離れることはできません。阿弥陀仏が念仏をただ一つ本願の行として選択され、我々に回向して下さったことを感激し、慶び称えると共に、縁のある方々にお伝えしたいと思います。


余談ですが、「念仏は修しやすし、諸行は修しがたし」のお言葉も知らず、自力念仏を称えることもできないと唱える一方で自力諸善(もどき)をやれと勧める高森教は実にトンデモ邪義であります。早くそのような邪義を離れて、本願の念仏を一向一心に称える念仏の行者となって頂きたいものです。

なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・

「念仏は修しやすし、諸行は修しがたし」も知らないお粗末親鸞会
http://shinrankaiuso.at.webry.info/201305/article_15.html
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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