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無料視聴動画のその裏で、会員からお布施を要求する高森顕徹会長

『親鸞会を脱会した人(したい人)へ』公式サイトに高森会長の降誕会講演が公開(一部無料)されたことについて考えたこと

にも紹介されていますが、現在、期間限定で、高森顕徹会長の話の内容が一部視聴できるそうです。見る価値もないかと思いますが、見たい方は早めに以下のサイトへどうぞ。

◆(期間限定)講演『正信偈』と『歎異抄』23分間無料視聴のご案内
(※既に終了している場合も考えられます。ご了承ください。)

ここから飛んでいけば、約2分の、「無碍の一道」を「絶対の幸福」だとか言っている動画は誰でも見られます。しかし、23分間の動画とやらは氏名やメールアドレスを入力しないと視聴できないようです。

教えて頂いた方によりますと、その後いくつか動画を見られるらしいのですが、お布施の要求もあるそうです。お布施は自由なのか強制なのかは分かりませんが、会員でない、無料視聴目当ての人はまずお布施は払わないでしょうから、会員に見させてお布施を取るつもりなのではないかと考えられます。

お布施は払うも払わないも自由です。その人の気持ち以上に納める必要はありません。また、もし必ず納めねばならないという暗黙の了解があるのだとしたらおかしいと思った方がよいです。会員の方も、そうでない方も、そういった点からも教義や組織について疑問を持ち、調べるきっかけにして頂きたいものです。


ちなみに、「無碍の一道」を煩悩があるままでそれがさわりにならない幸福とか言っているのは完全なデタラメです。親鸞聖人はどこにもそのようなことは仰っていません。

一道」≠「幸福

ですし、「無碍」についても

道は無碍道なり。『経』(華厳経)にいはく、〈十方の無碍人、一道より生死を出でたまへり〉と。〈一道〉は、一無碍道なり。無碍は、いはく、生死すなはちこれ涅槃なりと知るなり。行文類

と、迷いとさとりとが本来別なものではないとさとることです。無碍人である仏方は、ただ一つの道である念仏によって迷いを出られ仏になられたことを、「無碍の一道」と親鸞聖人は仰っています。煩悩があるままでそれがさわりにならないといった意味はここでは見られません。

なお、「無碍」を「煩悩がさわりにならない」という意味だと教えられている箇所はあるにはあるのですが、そこも親鸞聖人と高森会長とで解釈に大きなズレがあります。親鸞聖人は「帰命尽十方無碍光如来」を解釈されて

「無碍」といふはさはることなしとなり、さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。 『尊号真像銘文』世尊我一心の文

と仰せられていますが、これは衆生の煩悩悪業にさまたげられない如来のはたらきを意味しています。要は、本願力が我々を摂取するのに、我々の煩悩はさわりにならないということを言われているのです。高森会長の言う、煩悩があってもさわりにならない幸福云々という話とは全く別物ということがお判りでしょうか。


浄土往生、成仏、そして還相という崇高な誓願一仏乗の教えを、幻想的な楽を獲させる一新興宗教に堕としめているのが高森顕徹会長です。だからチュウビさんのコメントからも判るように、信心決定がいかなることか全く分かっていない会員だらけなのです。本願に対する疑いが晴れたかどうかと、現在自分の身に起こっている幸不幸の果報は関係ないでしょう。信心決定と言ったら「絶対の幸福」になったことだと邪義を叩き込まれているからそんなズレた発言をするのです。まさに学会員のようだ、といったら大本の方々に失礼でしょうか。

幻想的な楽を追い求めて、浄土真宗に非ざるニセの教えを聞いていても、本願に救われることはありません。会員の皆さんは、間違った教えを聞き、獲信・往生とは無関係な組織拡大活動に従事させられている事実に、一刻も早く気付きましょう。



【参照】
『飛雲』高森顕徹会長の総括?がこの程度の噴飯話
『WikiArc』無碍人
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

今回は「十字」を取り上げていただき、ありがとうございます。「十字」も「六字」も阿弥陀さまのお働き、お力を集められたものではありますが、「十字」の方はあまり説明されないのでありがたいことです。

さて、今回は『正信念仏偈』と『尊号真像銘文』と簡単な解説を記して行きたいと思います。 (正: 正信念仏偈 尊:尊号銘文 ※:解説)

解説は大変拙いものとなっており、ツッコミがございましたらよろしくおねがいします。

正: 天親菩薩造論説
尊: 「論曰」は、世親菩薩、弥陀の本願を釈しあらはしたまへる御ことを「論」といふなり、「曰」はこころをあらはすことばなり、この論をば『浄土論』といふ、また『往生論』といふなり。
※: この箇所は『浄土論』についての箇所です。

正: 帰命無碍光如来
尊: 「帰命尽十方無碍光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。「尽十方無碍光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。「尽十方」といふは、「尽」はつくすといふ、ことごとくといふ、十方世界を尽してことごとくみちたまへるなり。「無碍」といふはさはることなしとなり、さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。

 「光如来」と申すは阿弥陀仏なり、この如来はすなはち不可思議光仏と申す。

この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。「願生安楽国」といふは、世親菩薩、かの無碍光仏を称念し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。 (※この太字の箇所が「念仏と信心」を表しています。)
※: この箇所は『十字』についての解説の箇所になります。この『十字』は、浄土教では初期のころより弘められていた名号であります。しかし誰かのように「さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。」を「どのような悪い行いをしても許される免罪符である」と考える輩がいたのも事実です。

正: 依修多羅顕真実
尊: いま修多羅と申すは大乗なり、小乗にはあらず、いまの三部の経典は大乗修多羅なり、この三部大乗によるとなり。
※: この箇所にて「浄土三部経」が大乗における「修多羅」であるといわれています。

正: 光闡横超大誓願 広由本願力回向
   為度群生彰一心 帰入功徳大宝海
尊: 「能令速満足功徳大宝海」といふは、「能」はよしといふ、「令」はせしむといふ、「速」はすみやかに疾しといふ、よく本願力を信楽する人はすみやかに疾く功徳の大宝海を信ずる人のその身に満足せしむるなり。如来の功徳のきはなくひろくおほきにへだてなきことを、大海の水のへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり。
※: 真宗が「すみやかにすくわれる教え」といわれる由縁の文章です。ここにはありませんが「頓教」のうち「頓」と言う文字の意味には「すぐに」と言う意味がありこの真宗は「すぐに教えに遇う 教え」であります。
 
 これを源空聖人(法然)は、
「はかりみれば、
それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。
浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。
正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり」(『選択本願念仏集』 三選の文 より)

と言われており、詮ずる所
世親菩薩は、 「無碍光仏を称念し信じて安楽国に生れん」と願われており、
源空聖人は、 「正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり」とあり、
親鸞は、 「弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。」(『末灯抄』より) と言われています。

対して、高森さんは、
「念仏無いから信心ひとつ」 「称名正因は無間地獄」といわれていたり、
「白道 = (自力での)求道」ともいわれております。

これほどまでに乖離していながら「高森の教えは浄土真宗である」と言われているのですから個人的な見解としましては「高森さんだけは、その「私の浄土真宗」なるもの」を貫いていただきたいです。

会員のみなさまには「しばらく高森の教えを閣きて、選びて浄土門に入るべし。」を行っていただきたいです。

なもあみだ なもあみだ
Abc

Re: Abc様

『正信念仏偈』と『尊号真像銘文』の対比によるご解説、ありがとうございます。

この通り、天親菩薩、法然聖人、親鸞聖人、どなたも念仏一行を一心に称することをお勧めになっています。対する高森顕徹会長はどうか。会員の皆さんは、普段聞いていること、勧められていることと比べてどうなのか、よく考えて頂きたいと思います。

なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・

ども林遊@なんまんだぶです。

《無碍の一道》

高森顕徹氏は、仏教に於ける「道」の正確な意味を判ってないのでしょうね。
『無量寿経』で、

 釈迦、世に出興して、道教を光闡して (教巻p135の引文)

と「道教」とあるので、なんで道教(タオイズム)が出てくるんじゃ? と「道」について調べたことがありました。
これは最初期の中国仏教で「菩提」の訳語として「道」を当てたからでした。例:無上道。新訳では無上覚。

曇鸞大師も、梵語アヌッタラ・サンヤク・サンボーディ(anuttara-samyak-saṃbodhi)の音写である、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を、

 〈阿〉をば無に名づく、〈耨多羅〉をば上に名づく、〈三藐〉をば正に名づく、〈三〉をば遍に名づく〈菩提〉をば道に名づく (行巻p191の引文)

と、菩提を道と翻訳されて、

 道は無碍道なり。『経』(華厳経)にいはく、〈十方の無碍人、一道より生死を出でたまへり〉と。〈一道〉は、一無碍道なり。無碍は、いはく、生死すなはちこれ涅槃なりと知るなり。かくのごときらの入不二の法門は無碍の相なり。 (行巻p192の引文)

とされておられました。
漢字は孤立語で多義的な概念が含まれていますし、仏教語として使った場合には独特の意味を付加するので頭が痛いです。
もちろん、道をみちの意としても間違いではないのですけど。

「道」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%81%93

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 林遊@なんまんだぶ様

> 高森顕徹氏は、仏教に於ける「道」の正確な意味を判ってないのでしょうね。

間違いないです。無料視聴動画では、「一道」を「幸福」とか「世界」とか宣っておりましたから・・・

漢字一つに、沢山の読み方、また沢山の意味があることを「道」や「説」、また本願の三心等を通して知らせて頂きます。教義を調べ勉強していく内に知らされるのは、高森顕徹会長の教義についての浅はかさです。和上さん方は実に綿密に細かく勉強され解説されていることが著書を通じて分かるのですが、高森会長の説明は表面上のみの説明というか、それでそれも間違っているという、何ともお粗末なものです。本当に勉強してないんだなということがますます分かってきます。

会員の皆さん、高森会長は一切経はおろか『浄土三部経』、七祖聖教、どころか『教行証文類』もまともに読んでいません。深い教学を具えているというのは全くのデタラメ、妄想であることを知って頂きたいと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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