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「念仏者」がどんな者かも分からないのに、「どんな幸せになれるのか」と絶対に説けもしないことを新聞広告に打ち出す高森顕徹会長

『yugaomemoの日記』新聞一面紙いっぱい使って広告している高森会 どんだけ銭かけとるの?

の記事に挙がっていますが、親鸞会では北日本新聞に、6月10日(日)の高森顕徹会長の講演行事の案内を載せています。しかも一面全て使って。以前は名札とバッジを付けた会員と会員が誘った人しか入れなかったのが随分な変わり様です。降誕会の時はこのように大々的に広告を使って多くの人が集まったそうですから、味をしめたのでしょうか。


それにしても見出しが面白いです。

念仏者は、どんな幸せになれるのか

助正間雑、雑行聞邪義、弘宣邪義、献金、服従等の悪業悪行を加えた「高森の行」を勧めて、会員を始めとして聞く者を念仏者にする気が無い者がこんなことを説けるはずがないでしょう。「念仏者」がどんな者かも分からないのに、「どんな幸せになれるのか」と絶対に説けもしないことを新聞広告に打ち出しているのが実に痛々しいです。

念仏者にも色々ありますが、親鸞聖人の仰る念仏者とは、『歎異抄』なら「信心の行者」であり、「信文類」なら「念仏の衆生」であって、それは往相の回向である「大行」、「大信」を獲た人のことです。言うまでもありませんが「信心の行者」といっても、「創価学会の信心の行者」ではありません。「真実信心」の行者のことです。では「大行」、「大信」を獲た「真実信心」の行者とはどんな人なのでしょうか。

つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。「行文類」大行釈

とあるように、無碍光如来の名を称するという如来回向の念仏一行が「大行」です。その「大行」による利益が

破闇満願(よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ)」(「行文類」経文結釈「破闇満願」

であり、また会員なら耳にタコが出来るくらい聞いているであろう

大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」(「行文類」乗大悲願船

ということです。如来回向の念仏一行どころか自力の念仏一行でもない、「高森の行」なんかをやっている者が「無明の闇」が破られない、「大悲の願船」に乗れないなんてことは当たり前すぎるほど当たり前なんですよ。

こうした往相の回向である「大行」には、自ずから「大信」が具足しています。信心の無い行は通常ありえないからです。だから最初に聖人は「大行あり、大信あり」とセットで教えられているのです。

信心といっても、何を信じるかと言ったらそれは行です。行って何か。南無阿弥陀仏の名号のはたらきですよ。私の力は一切役に立たない、名号の独用(ひとりばたらき)によって往生成仏せしめられると、名号のはたらきを信じる、名号のはたらきにひとえにおまかせするのが信心です。

南無阿弥陀仏という「助けるぞ」の喚び声が私に届いて信心となり、それが称名となって現れる。本願を信じるのも、お念仏申すのも、仏に成るのも、みな南無阿弥陀仏の名号のはたらき、阿弥陀仏の御回向によるものです。そのはたらきを疑い無く受け容れたのが「大信」、そして「大信」を具足した「大行」である念仏一行を称える者を念仏者、「真実信心」の行者というのです。

それから如来回向の念仏一行を称える真実信心の念仏者

横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲「信文類」獲信の利益(現生十種の益)

るのであり、これも会員なら誰でも知っているであろうお言葉

まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。「信文類」決釈 臨終一念之夕超証大般涅槃

でも判るように、現生では正定聚の位に住し、往生すべき身と定まって、臨終一念の夕には大般涅槃を超証するのです。念仏者はこのような現当二益を獲得すると教えられたのが親鸞聖人です。そういう念仏者でも、自力の念仏者でもない、「高森の行」なんかに執心して「誰が何と言おうと高森先生に間違いない」といった「高森の信」に凝り固まっている者が「現生十種の益」を獲られない、「便同弥勒」となれないなんてことは当然すぎるほど当然なのです。


高森顕徹会長は「絶対の幸福」という創価学会の信心は教えても、往相の回向である念仏一行という「大行」は教えません。信心決定信心獲得といっても言葉だけで、信心の体である南無阿弥陀仏の六字のこころ、すなわち名号のいわれについては全くと言っていいほど説きません。それでいて、「大行」とおよそかけ離れた「高森の行」を勧め、「大信」とは似ても似つかない「高森の信」という自力心を深めるようなことばかりやらせています。これで聞く者が念仏者になんてなれるわけないでしょう? これで聞く者が信心決定信心獲得できることの方がおかしいんですよ。「大信」を獲られないなんて、当たり前田のクラッカーですよ。

思惑通り沢山の人が集まっても、信を獲て念仏する者が現れなければそれは真宗の繫昌ではありません。今親鸞会がやっていることは、親鸞聖人の御心にかなうものなのか、単なる人集め金集めなのか。会員の皆さんは冷静に事態を見つめて頂きたいと思います。
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

>念仏者は、どんな幸せになれるのか

これですか... 高森さんの言う「絶対の幸福」が「念仏者」だとおっしゃるのですか...
 高森さんは前にいわれました。「念仏ないから信心ひとつ」と。
高森さんが今言われている「信心」には「念仏がない」らしいので、このことだけでも「真宗の信心」-親鸞が言われる「大行」や「大信」-とは別であると解るかと思います。

さらに高森さんは、
「其の名号を聞くとは、本願を聞く一つ。信ずる一つではない。」といわれました。
「高森さんのいう信心(絶対の幸福の信心)」は「念仏ない信心」であり「信ずる信心」でもないようです。

「正信」や「念仏」が「ない」と申すのですから、七高僧がいわれていること
(親鸞が『正信念仏偈』に簡潔に記されております)も平気で「ない」と申すのです。


そのように申すのでしたら、ここで提案なのですが
高森さんが今もたれている『正信聖典』や『御文章』、『真宗聖典』などから手を離してみてはいかがでしょうか。
 あ、「私には御聖教はちょっと...」と遠ざけていましたね。
今後もそのように「私には御聖教はちょっと...」と高森さんと高森さんだけを信仰の対象としているかたは今後もそのようになされて下さい。

 それが、「故聖人の御遺訓である」と「聖人の著書」を開くこともなくおっしゃるのでしたら。

Abc

Re: Abc様

会員は、正しい教え正しい教えとこだわっている割に聖教を見ようとせず、高森会長の解釈を鵜呑みにし従っています。自分には正しい解釈はできない、高森先生だけが正しい教えを知っていると信じ込んでおり、まさに

> 高森さんだけを信仰の対象としているかた

達です。

高森会長は阿弥陀仏と自分の前に突如立ちはだかっている悪知識そのもので、念仏も信心も要らず「ワシの話を聞いて従え」と独自の珍しい教えを説き与えているだけです。会員の皆さんは、教えそのものが浄土真宗ではないから念仏も信心も分からないことを知って、早く邪義を離れ正信に基づいて念仏して頂きたいと思います。

Abcです

こんにちは、Abcです。

ご返信ありがとうございます。会員のみなさまは速く「高森の邪義」から離れていただきたいです。

さて、前エントリーの「親鸞 と 高森 の違い」を見ましてふと思ったのですが、
前に高森さんが「真宗に「善のすすめ」はあるか」という設問にて
本願寺:ない
高森:ある

とあったとは思いますがそもそもこの「「善のすすめ」はあるか」という問いそのものが、あらゆる見方が出来る不確定な問いであります。

まず、この問いを「真宗において、自力にて行う「善のすすめ」はあるか」でありましたら、上に同じく
本願寺:ない
高森:ある   です。

つぎに、「真宗において、他力(本願力回向)にて行う「善のすすめ」はあるか」
という問いになりますと一つ目の問いの逆問ですから
本願寺:ある
高森:ない   です。

そしてこの逆問を追及した
「その本願力回向(真宗)における「善のすすめ」とは何か」という問いは、
本願寺:専修正行(なんまんだぶ ただ念仏 偏帰安養 帰楽邦 など)
高森:ただもいらぬただじゃった~(上の設問で「ない」となっておりますので本来ここには何もかかれないのですが、「ただ念仏」の珍説を載せておきました。)
となります。

もう一度記しますと
「その本願力回向(真宗)における「善のすすめ」とは何か」という高森さんの答えは「ない」です。

会員のみなさんはよくよく思量していただきたくおもいます。

なもあみだ なもあみだ
Abc

Re: Abc様

コメントありがとうございます。Abcさんのコメントを受けて私なりにまとめますと、

(1)「真宗において、念仏以外の助業、諸善万行(雑行)の勧めはあるか」
   本願寺:ない
   高森教:ある

(2)「真宗において、念仏一行の勧めはあるか」
   本願寺:ある
   高森教:ない

(3)「真宗における「善のすすめ」とは何か」
   本願寺:専修正行(念仏一行)のすすめ
   高森教:助正間雑、雑行、悪業悪行のすすめ

と言えるかと思います。なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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