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退会して9年を振り返る ー 悔いが残らない方を自分で選べ

私が親鸞会を退会したのが2009年10月25日の事です。もうその後、親鸞会在籍期間より長い時間を過ごした計算になりますが、気がついてみればあっという間だったなぁという感想しかありません。退会して9年、年末にはブログを始めてから10年目ということになります。何か特別な事情がない限りは今後もボチボチと更新していくつもりなので、読者の皆様どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

それにしても改めて読んでみると懐かしいです。昔はこんな記事を書いてたんだなぁ(;^ω^)

退会から1年を振り返る
退会して2年
退会して3年を振り返る
退会して7年を振り返る ― 決して幸せにならない教えに彷徨(まよ)って

普段忙しくて振り返る余裕もありませんが、たまにはそんな時間を設けたいものです(笑)


さて、何度も書いていますが、私が親鸞会を退会した理由は教義上の矛盾です。弥陀の救いは「一念の救い」だと言いながら、実際は「宿善を厚くする教え」、「三願転入の教え」、「光に向かう教え」。宿善が厚くなるにしても、信仰(?)が進むにしても、横の道を進むにしても、救われるのは宿善が厚くなった先、信仰(?)が進んだ先、横の道を進んだ先、縦の線まで辿り着いた先の「未来」であって「」ではありません。これでは明らかに「あと一秒しか命のない人に、三秒かかる(※)」教えです。

高森会長によると、お釈迦様は当時の人々を横の線の軌道に乗せるのに45年かかったらしいです。それなら俺はいつ横の線の軌道に乗って、それから横の道を進んで助かるんだ? これがずっと疑問でした。とにかく言えるのは、とても今助かる教えではないということです。

その分かり易い例を一つ挙げるならば、親鸞会ではよく「善をしなければ信仰は進みません」と言うでしょう? ここで考えてみて下さい。もし自分の命が今日一日しかないとしたら。その一日24時間の間に、どのような善をどれだけやれば信仰が進んで助かるというのでしょうか?

「因果の道理」や「七仏通戒偈」、「十九願」や「定散二善」、「宿善」や「方便」等の語を用いてさも「善の勧め」が要るように説いているけれども、それを実践した後でないと助けないという本願では救いから漏れてしまう者が相当いるのではないか。何より自分自身、死ぬまでに如実に実践して横の道を進み、縦の線まで辿り着けるのだろうか? たとえ教えは正しいとしても、自分のような者にはとても無理なのではなかろうか?

このように信仰上の疑問をずっと抱えていたところ、先に退会した先輩から教義の誤りを知らされ、これはもう親鸞会にいても駄目だ、無駄だと見切りをつけて退会しました。


もはや思考能力のある人、今の救いを求める人は粗方出て行ってしまったかもしれませんが、会員の皆さんの中にはまだ真摯に我が身の後生と向き合い、阿弥陀仏に救われたいと求めている方がおられると思います。

もし、教義上や信仰上の疑問でも、組織的な点でも、「何か親鸞会はおかしい」と感じて当ブログを読んでいる会員さんがありましたら、どうかその疑問を放っておかずに、納得ゆくまで調べて頂きたい。親鸞会からの情報のみを信じ、鵜呑みにするのではなく、もっと幅広く情報を取り入れて、総合的に、自分の頭で良し悪しを判断して頂きたい。その結果、やはり親鸞会が正しいと判断したのなら続ければいいし、間違いだと判断したら退会するなり、お仲間に教えてあげるなり、その他自分が最善だと思える道を選んだらよいと思います。

私に言わせれば、親鸞会を退会して本当に良かったです。その後、まことの真宗に遇い、本願を信じ念仏申す身とさせて頂きました。最近は、聴聞し、お念仏申すほどに、如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳、有名無名の教法伝持に携わった方々の御恩、また今まで私を護り育んで下さった両親を始め、多くの有情非情の御恩が思われ、その有難さ、申し訳なさにしばしば目頭が熱くなります。もしもあのまま親鸞会に留まり続けていたら、お念仏の尊さも分からず、助からない不安や焦燥をずっと抱えていたことでしょう。生活面も経済面も、今より格段に苦しかったに違いありません。可愛い子供達も親鸞会の行事に巻き込み、運動会等の学校の行事より富山へ行くことを優先していたでしょう。とにかく、心から退会して良かったと思っています。


ただ、私の価値判断が全てではありません。だから今回は、今後どうしようか迷っている人に、決断を下す際のヒントとして『進撃の巨人』からリヴァイ兵士長の言葉を紹介します。

まぁせいぜい…悔いが残らない方を自分で選べ

私や他の人に言われるまま退会するなら、それは親鸞会に言われるまま活動しているのと何ら変わりません。大事な事は自分で考え、自分で調べ、自分で探し、自分で選ぶべきです。親鸞会に居続けた方がいいのか、勇気を出して外へ踏み出した方がいいのか、自分で考えて選んで頂きたいのです。当ブログの内容は、その考えて選ぶ際の材料として読んで頂きたいと思います。


親鸞会側の情報は会員の皆さんはよくお聞きの通りですので、当ブログでは「それはおかしいんじゃない?」という情報を提供しています。また他のブログ等でも多く取り扱われていますので、それらで言われていることは正しいのかどうか、経典や聖教に忠実であるのかどうか、読んでよく考えて自分で判断して頂きたいです。

教義面では、
飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
親鸞会を脱会した人(したい人)へ
親鸞会教義の誤り
用管窺天記
安心問答(浄土真宗の信心について)
元会員から見た浄土真宗親鸞会
21世紀の浄土真宗を考える会
親鸞会の邪義を正す

組織面、法話案内、その他に関しては、
さよなら親鸞会
なぜ私は親鸞会をやめたのか
浄土真宗の法話案内
あさ川進の、宗教と私
私の白道
あなたの白道

等が参考になると思います。他にも親鸞会経験者、非経験者問わず浄土真宗関連のブログは多くあります。一部は右下のリンク先に載せてありますが、ご自分で検索してご法義に則したものを探すのも良いでしょう。

人生は一度きりで、失った時間は戻りません。ことは生死出離の問題、後生の一大事です。この問題に関しては、どうか一人一人が悔いなき選択をして頂きたい。そう思うばかりです。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・



【参照】
悔いが残らない方を自分で選べ:進撃の巨人

(※)・・・『なぜ生きる』p.343より
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いつもプログありがとうございます。
私はあまり親鸞会の活動に参加してはいませんでしたが、親鸞会批判サイトから会員を騙し、私腹を肥やしていた高森会長の本当の実態を知り退会しました。
その後、真宗関連の色々なプログから阿弥陀仏の本願を教えていただき聴聞をかさねております。
自分のやること、自分ができることなどないと教えていただきますが、どうしても阿弥陀仏の本願のいわれを聞きたいと思っているのですが自分は首をひねってばかりです。もう何年も同じような状況で今年も終わっていくのかと思ってもやもやしています。理解できるできない、分かる分からないではないですよね。だけど、そうとしか思えない自分がいるのも事実です。大きな声にだして
思いっきりどうすればいいですがと尋ねたいです。ないと思いますが、愚痴ばかり言って本当にすみません。

Re:仮面かぶりさん

こんばんわ、お初にお目にかかります Abcです。
文章を読ませていただきましたところ、仮面かぶりさんもブログを読まれているのですね。

さて、
>自分のやること、自分ができることなどないと教えていただいておりますし、どうしても阿弥陀仏の本願のいわれを聞きたいと思っているのですが、自分は首をひねってばかりです。
>もう、何年も同じような状況で今年も終わっていくのかと思ってもやもやしています。理解できるできない、分かる分からないではないですよね。だけど、そうとしか思えない自分がいるのも事実です。
>大きな声にだして思いっきりどうすればいいですがと尋ねたいです。

今このようにして「どうずればよいですか」と問われていただきましたこと、まことにありがたいことであります。以下はあくまで「Abcの見解」と観られてください。

問い:どうずればよいですか。
答え:「阿弥陀さまにお任せして、専ら念仏称名に励んでください。」です。

問い2(派生):どのように阿弥陀さまにお任せすればよいですか。
答え2:「どのように」と自らの計らいを交えることを「義」といわれます。わが真宗の教えは「義なきを義とす」、すなわち「どのように」と考えることなく阿弥陀さまにお任せするのです。

ですかね、私の意見だけを鵜呑みにせずに他の方の意見も聞いたうえで総合的にご判断ください。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

Re: 仮面かぶり様

コメントありがとうございます。

退会し、今も聴聞されているとのこと、誠に有難いご縁です。しかしもやもやした状態で何年も過ごされているというのは本当にしんどいことだと思います。ただ、仮面かぶりさんを助けようとされている阿弥陀さまも同様に、いやそれ以上にしんどい思いをされていることをどうぞ知って下さい。

我々の往生の証拠は「いまの南無阿弥陀仏」です。それは、我が計らいの心をもって「どうかお助け下さい」と救いを祈願請求するものではなく、「必ず助けるから、安心してこの阿弥陀にまかせなさい」という名乗りです。この「助けるぞ」のお心を聞くのがすなわち信です。

我々の力では如何とも超えられない生死という問題。それを我々が問題にする遥か以前に問題にされ、必ず救うと誓い、その誓いを成就されたのが阿弥陀仏です。私達がどんなに苦しんでいようとも、南無阿弥陀仏の名号をもって救うてやりたい。そうやって我々に差し寄せられているのが御回向のお念仏でありますから、私達は「助けるぞ」の仰せに素直におまかせしてお念仏申すのみです。

ちょっとできないかも知れませんが、勇気を出して話をされる先生、周りの同行にも尋ねてみましょう。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の諺の通りです。何しろ生死出離の問題ですから、相手のこと、相手から言われることをあれこれ気にする必要はありません。

どうぞ本願のはたらきにまかせてお念仏されるよう願います。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

仮面かぶりさま

RCと申します。

その モヤモヤの時期は、たぶん 皆さん通られるところかと思います。
でも、そのモヤモヤの心も 阿弥陀さまのお育てがあったなればこそ、と思います。
「どうしても阿弥陀仏の本願のいわれを聞きたいと思っている人」なんて、本当、尊い方と思います。

ところで。
今 仮面かぶりさんは、「南無阿弥陀仏」と お念仏 を称えることが、できますよね。

じゃあ、その南無阿弥陀仏って、何なのか?
それを 教えていただけるご縁が、お聴聞です。
お聴聞のご縁に 恵まれなければ、南無阿弥陀仏が 何なのか、わかりません。

私たちは 南無阿弥陀仏の価値や、おはたらきを 実感できる知恵が ないので、お聴聞で、南無阿弥陀仏の価値、おはたらきを お聞きするのです。

その前に、ちょっと 「たとえ話し」を書きます。

「タコ茶碗」って言うお話しです。
ある布教使の方が、あるご家庭で、家庭ご法話をされて、ご法話の後、そのお宅で お汁粉をご馳走になりました。その時に一緒に いた方が、「奥さん、お塩をください」と言ったら、そこの奥さんが、台所から、茶碗に入れたお塩を持って来てくれました。
どころが、それを受け取ったその人は、塩を入れずに、その茶碗をじーっと見ていました。
「おい、早く塩を回してくれよー」と、お同行が言いましたが。
茶碗を見ていた人は、奥さんに「この茶碗はいつから この家にあったのですか?」と、聞くと、奥さんは、「私が 嫁に来た時には 台所にあって 塩を入れていました」と 答えました。
茶碗を見ていた人は、その茶碗に向かって「お前、よく無事だったなー。」と言ったそうです。奥さんは 訳が、わからず「どういうことですか?」と聞くと、その人は、「タコ茶碗」こ話しをしてくれました。
それは。
昔、韓国は 磁器を作る技術が発達していましたが、磁器の技術のない日本では、韓国の磁器の茶碗は、高価な物でした。
磁器の茶碗は、韓国から 船で輸入されていたけれど、時には、台風などで、船が難破して、磁器の茶碗が 海の底に沈んでしまうことがありました。
その海底に落ちた磁器の茶碗を、タコが抱えて取れることがあり、その茶碗は「タコ茶碗」と呼ばれ、とても 高価な物とされていました。

その時、奥さんが 塩を入れて持って来た茶碗は、「目利き」のその人は、「タコ茶碗」と、わかったので、その家で ただの塩入れとして使われていだのに、ずっと 割れずに いたことに感心して、「よく無事だったなー」と 茶碗に声をかけたのでした。

その後、また、そのお宅で ご法話のご縁が あり、また 、お汁粉をいただいた時に、また お塩を持って来てもらった時には、塩は 違う茶碗に入っていました。
奥さんに、あの茶碗は、どうしたのかと聞くと、あれは桐の箱入れて、大切にしまってあります。と おっしゃったそうです。

奥さんは、タコ茶碗のお話しを聞いて、茶碗の価値が わかったのです。

南無阿弥陀仏の価値のわかる「目利き」の方は、お釈迦さまです。
そして、お釈迦さまが 教えてくださった 南無阿弥陀仏の価値、南無阿弥陀仏のおはたらきをそのまま お取り次ぎしてくださった方が、善知識です。
私たちの身近な善知識は、蓮如上人だと思います。

蓮如上人は 南無阿弥陀仏は何だっておっしゃっていらっしゃるかと言うと、
「南無阿弥陀仏は、私の往生の証拠」と、教えてくださっています。

どうして、南無阿弥陀仏が往生の証拠かというと、
「阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる証拠なり。(ご文章 4帖目 8通)」

その 南無阿弥陀仏のおはたらきが、はたらいているから、私の口から 南無阿弥陀仏と出るのです。

春にらならないと、桜は咲かない。
桜が咲いているって、ことは、春が来ているってこと。

南無阿弥陀仏のおはたらきが 無ければ、お念仏は聞こえない。
お念仏の声が、聞こえるってことは、南無阿弥陀仏のおはたらきが、おはたらきくださっているってこと。
だから、仮面かぶりさんの、往生は、今、ここで、決定しているんです。
だから、安心して生きて、安心して死んでいけます。
南無阿弥陀仏が、聞こえるってことは、そういうことです。

南無阿弥陀仏が 聞こえる世界に生まれられて良かったですね。

なもあみだぶつ。

(私の言葉では、説得力ないかもしれません。
よかったら、埼玉恵日会に ご参加ください。
あさ川さんのブログに ご案内あります。)
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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