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私が知らされた「生まれてきた理由」「生きる意味とその方向性」「死んでゆく意味」

現在、この記事をご覧になっているあなたの周りには、「生きる意味とその方向性」を教えてくれる/くれた人はいるでしょうか? 何のために生まれてきたのか? 何のために生きるのか?

明るく楽しく、強くたくましく、苦しみ悩みがあってもそこを乗り越えて生きろ生きろとは言うけれども、苦を耐え、難を乗り越えて生きる意味は何なのか? そうして生きていった先には何があるのか? 生きていったその先は老病死、愛別離、怨憎会です。老病は無くても必ず死なねばなりません。では死んだらどうなるのか?

残念ながら私の周囲にはありませんでした。まずこの問い自体を出す人がいませんでした。それよりも、

「どうしたら勉強ができるのか」
「どうしたらスポーツができるのか」
「どうしたら友達と仲良くできるのか」
「どうしたら事件や事故に遭わないか」
「どうしたら受験に合格できるのか」
「どうしたら効率よく単位が取れるのか」
「どうしたら志望する会社に就職できるのか」
「どうしたら仕事ができるのか」
「どうしたら起業できるのか」
「どうしたら恋愛・結婚ができるのか」
「どうしたら良い子に育てられるか」
「どうしたら良い人間関係を築けるか」
「どうしたら健康に過ごせるか」
「どうしたらお金が稼げるか、貯まるか」
「どうしたら安心した老後を過ごせるか」
「どうしたら病気が治るのか」
「どうしたら今の苦難を乗り越えていけるのか」
「どうしたら家族に争いの種を残さずに死んでいけるのか」
・・・

等、いわゆる「How to」「より良く生きられる方法」ばかりが問題にされ、「そうやって生きていくのは何のため」「なぜ生きる」かは昔も今も問題にしている人をほとんど知りません。たまに街頭でもらう新興宗教の冊子には、「これが生きる目的だ」みたいなことが書いてありましたが、それは「神のため」であったり「奉仕すること」であったり、決して自分の納得いく答えではありませんでした。

こうした「生きる方法」に終始するのみで、肝心の「生きる意味とその方向性」は全くと言っていいほど論じられないのは、いい点数を取る事のみに終始して学んだことをどう生かすか知らない学生に似ていると思います。学んだことを生かさなければ本当に学んだ意味が無いように、「生きる意味とその方向性」が分からなければ本当に人としての一生を生きたとは言い難いと思うのです。

こんな大事な問題が扱われないのは、人間の智慧や知識では到底答えようのない問題だからでしょう。どこか気にはなりつつも、考えても本を読んでも何をしても分からない。そんなことを考えているのは弱いとか、変だと思う。そういう悩みを抱えていると、おかしな宗教にハマってしまう。それで考えたり、答えを探したりすることを放棄して、とにかく今を明るく楽しく生きてゆこうやということに落ち着くのだと思います。

ただ、これは単なる問題の先送り、棚上げで、何の解決にもなっていません。他の誰でもない、自分の人生です。そして、もう一回とはいかない、一度っきりの人生です。もっと真剣になって、この問題に向き合ってみるべきです。突然でも晩年でも、死を迎えねばならなくなって、「しまった!」では遅いのです。皆さんの中にはそれでいいと思われる方もあるかも知れませんが、少なくとも私はそんな人生はまっぴらごめんです。

ですから、私はよく親鸞会は全て間違いであるかのように書くこともありますが、「人生の目的」「なぜ生きる」は大事なことだと説いている点まで間違っていると言っているのではないんです。諸行無常、罪悪深重、死の問題・・・。それは、確かに仏教教義に照らして細かく見ていけばおかしな点もありますが、ここまで間違ってはないんです。別に親鸞会を肯定したり、擁護したりするつもりは更々ありませんが、これを考えずして、きちんと見定めずして本当に明るい楽しい人生が送れるか? この点は同感せざるを得ないところです。


幸いにも、私は親鸞聖人の教えを通して、「生まれてきた理由」「生きる意味とその方向性」「死んでゆく意味」を知ることができました。

仏教の目的は、生死出離、転迷開悟、成仏すること。現在、阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申せば正定聚の数に入る。その後は、常にお念仏を申して如来大悲の御恩を報じつつ、浄土を目指して生きてゆく。そして命終わると同時に浄土に往生し、即成仏する(往相)。それからは仏の大慈大悲をもって衆生を思うが如く利益する(還相)。この往還二種を阿弥陀仏より回向される教えが横超他力、すなわち浄土真宗である。

親鸞聖人の教えをつづめて言えばこの通りです。

これに沿って言うならば、私が「生まれてきた理由」は迷いの世界からの出離、往生成仏することです。果てしない過去から、私は迷いの世界を生まれ変わり死に変わり無限に繰り返してきた。自身は欲や怒り、腹立ち、そねみねたむ煩悩の塊で、現在は人間として、いつどうなるか分からないこの火宅無常の世界に生きている。そして、死んだなら今までの業に応じた世界へ行って、それからまた永遠に迷っていく。こうした迷いの世界を出て、まことの安らぎを得ることが「生まれてきた理由」です。

生きる意味」は現在正定聚の数に入ること。迷いの世界を出るには、迷いの因を知ってそれを断ち切り、さとりの因を知ってそれを修める行をしなければなりません。ところが、末世の今の世において、世俗の生活をしている私のような煩悩具足の者がとてもできることではありません。それで、阿弥陀仏は法蔵の昔にそのような私を浄土に迎えて救うと発願し、気の遠くなる長期間の修行を経て私の往生成仏の因行である南無阿弥陀仏の名号を成就されました。この南無阿弥陀仏のお心を領受したその時、正しく往生の定まった人々のお仲間(正定聚の数)に入れさせて頂く。そうなることが、この世に生まれ、「生きる意味」です。

生きる方向性」は、浄土です。今まで死は死でしかなかった、死に向かって生きていた人生が、浄土の旅となったのです。「お願いだから我が誓願を計らい無く信じ、念仏を称えて浄土へ生まれてきてくれよ」という弥陀の誓願の通り、本願を信じお念仏を申して、必ず往生し、仏となるべき位に定まったからには、生きてゆく先は浄土往生、そして成仏です。

また、自分がそのような身になったからには、如来大悲の恩徳、本願を伝えて下された師主知識の恩徳、ほか私をこれまで育て生かして下さった様々な人、ものへの御恩を感じ、少しでもそれらに感謝し報いようと生きてゆく。お念仏申すのも、本願のましますことをお伝えすることも、みな仏恩、師恩への報謝です。本願力に遇うたからこれでお終いではありません。これも大切な「生きる意味」であり「生きる方向性」であると思います。

死んでゆく意味」は、往生成仏して還相のはたらきをさせて頂くこと。この世では私のような者がいくら何を言っても自在性が無いから全然本願の尊さ、お念仏の素晴らしさを伝えられない。でも、浄土にて利他円満の妙位、無上涅槃の極果をさとった暁には、迷いの世界へ還り来て、一切衆生を思うが如く利益させて頂ける。浄土へは私一人が安らぐために往くんじゃない。浄土へ参ったら、今度は私が浄土の素晴らしさを伝えて回るんだ。死んで終わりじゃない。むしろ死んでからが本番か。

と、このように言えましょうか。それで、これらは本願成就のなんまんだぶのはたらきによって全てなされることなので、淳心房は人生を「お念仏申すための人生であった」と領解しています。


なお以上は私の領解を紹介させて頂いたまでで、これを皆さんに押し付けようというのではありません。それと同じく浄土真宗を聞いている方でも、私の領解には賛否両論様々だと思います。私のように思わねばならないということもありませんし、受け取り方は各人のご判断です。それはそれとして、親鸞聖人、浄土真宗の教えに関心があるという方、聞いてみたいと思われた方は、日時、場所、布教使の先生などを

浄土真宗の法話案内

等で確認して頂き、御法座へお参りして頂きたく思います。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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そろそろ名乗らせていただきます。

以前、白道の記事におきまして《名無し》名義でコメントを寄せた者です。
林遊さんの事につきましては擁護でも何でもなく、ただ率直な意見を
述べてみただけです。

園児さんからのコメントで後押しをされて、再度意見を述べてはみましたが…
あまりお役に立てなくて、まこと恐縮です。

…とは言え、園児さんからの後押しというかエールを頂けた事で、
今後は《まあち》と名乗らせて頂きます。

私も、親鸞聖人の教えを通して…の所は淳心房さんと大体同じ意見です。
大体と言いますのも、親鸞会に入会しようと考える所まで
追い詰められていた人生でしたが、金銭的な理由から入会までは
至らなかっただけの話ですので。

最後に、私の運営しているブログ(ぶうぶのまあち名義)ですが…
メインは小さな人形などを組み合わせて画像を撮っては
物語を作っていく《ストーリーテリング》でありまして、
ぶっちゃけ浄土真宗とは大きくかけ離れておりますが…
つい最近、サイド欄のフリーページを利用しまして
浄土真宗に関する《ひとりごと》を始めております。
…もっとも、あまり褒められた文章など書けませんが。

Abcです

サブタイトル: 「生きる目的」と「真宗」

こんばんわ、Abcです。いよいよ冷え込んでまいりましたね。
このような気象の変わり目が一番体調を崩しやすいですから、みなさま体調管理をお気をつけください。

 さて、サブタイトルにてこのように記させていただきましたが、私は真宗に出会う前(そのような時期が果たしてあったのかも甚だ疑問ですが)もしくは「一般論」において「生きる目的」と「私が考える私の生き様とは」のように「生きる」と言う言葉には「自らが率先して」という雰囲気を受けられます。

 ですが、「真宗」とは「南無阿弥陀仏」であり「他力回向」であると知らされた私にとっては、「生きる目的」というよりも「生かされる目的」という印象を受けますね。

 ですから、知らされた当初は「釈迦と阿弥陀さまがいわれているから・・・」とどこか腑に落ちませんでしたが、このように淳心房さんや他のかたがたと意見を交えることによってより「なんまんだぶのご法義」についてしらさせていただきました。まことに有難いことであります。

 また、親鸞自身が「自信教人信」と善導大師の書の引用をされている「自ら信じ人にもおしえきかしむるばかり(『御文』1帖目1通 より)」でありますが、この「限りない利益」を衆生に正しくお伝えできているかは今でも不安ではありますが、この命が続く限りは「南無阿弥陀仏について」人々にお伝えしたいと考えております。

 こんなことをいいますと大谷から叱責が飛びますが、私は「真宗の『この宗派』からではならない」と決められるのはどうかと思っております。といいますのもこの「真宗」というのは「ただ念仏」「ただ信心」の教えではありますが、「この教え方は、わたしの聞いている教え方とは違っているから間違いである」と決め付けることが起こりうるからであります。

いずれにしましても、皆様には「なんまんだぶの教え」を聞かれていただきたいです。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

まあち様へ

まあち様 こんばんは

ブログの「ひとりごと」を拝見させていただきました。
私が毎日巡回させていただいているブログをまあち様も見ていることがわかり「私のパソコンのブックマークでは」と思ったぐらいです(笑)

私は何年も前に親鸞会に迷いましたが、今年になり、また浄土真宗のみ教えを聞かせていただいております。この時に心に決めたことが
・特定のカリスマから法を聞くことはしない
・寄付を強要する団体には近づかない
でした。親鸞会に疑問を持ったのは「十方衆生をもれなく救うという阿弥陀仏の教えがなぜ一部の人間たちにしかわからないのか」ということでした。また無条件の阿弥陀仏の救いに「○○をしなければ救われない」という条件がいっぱいある事でした。

私は今は築地本願寺や東京での勉強会で主に聞かせていただいているのと、いろいろな方のご著書やブログなどが聞法の場です。私も法を聞かせていただける多くの善知識に恵まれていることが大いな喜びです。

今、知らされているのは仏教の広大さと親鸞聖人の偉大さです。親鸞会時代には箱庭に閉じ込められたような窮屈な仏教しか感じられませんでした。今の仕事と関係もあるのですが、慈悲心ということも非常に興味を惹かれています。真偽検証様においても活発な議論がなされることがありますが(教学のない私は指をくわえての傍観しかできませんが…)、慈悲心を感じられないような発言者を拝見すると「ああ、この人は念仏者ではないな」と思ってしまいます。

これ以上の書き込みは淳心房様にもご迷惑となりますので、ここで終わりにしますが、今後もよろしくお願いします。

コメント返信

まあち様

コメントありがとうございます。ブログとひとりごと、少々拝見させて頂きました。

> 《ソクタッヘ王国》
てネーミングがおもろいですね(^ω^)

ひとりごとからは、謙虚な念仏者であられる姿勢が伺われます。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

当ブログは親鸞会批判をする特質上会員や講師部員との諍いは避けがたいものがありますが、親鸞会を批判する(そして恐らくは獲信している)者同士で諍ってほしくなかったです。ところが、林遊さんにしても対立する方々にしても、年齢的にも、聞法歴的にも、浄土真宗の教義の理解の面においてもおそらく私を大きく上回っているであろう方々なので、青二才の私が気安く意見できないんですよね・・・(;^ω^) 目指すは和やかな念仏者の集まりのブログですが、実現するには批判内容を除いたものをまとめた新たなブログを作るしかないかもと思う今日この頃です。

さて、

> 《三願転入》がどんなものかは、今でもよくわからない。
それを肯定する者もいれば、否定する者もいる。
18願(弥陀の本願)によって摂取されるまでに
19願(諸善)と20願(他宗派の経文)とをずっとずっと
ウロウロしてきた当方には…やっぱわかりかねる…orz (2018/12/3のひとりごとより)

ですが、私も正直よく判りません。ただ、今生において今から信心獲得のために19願や20願を実践せよということではない、ということは親鸞聖人の教え勧めからハッキリしています。今、南無阿弥陀仏が私の上にはたらいている、私には往生の手立ては無く、ひとえに本願力に乗っかるのみですから。それが自力を捨てて他力に帰するということですから、19願などを勧めていたら自力心がなお凝り固まるばかりでしょう。親鸞会流「三願転入の教え」は間違いであることはハッキリしています。

お互い本願を信じお念仏申す同行となれたことは嬉しい限りです。共に浄土への道を歩んでいきたいものです。


Abc様

> ですが、「真宗」とは「南無阿弥陀仏」であり「他力回向」であると知らされた私にとっては、「生きる目的」というよりも「生かされる目的」という印象を受けますね。

そうですね。他力回向や恩ということを知らされてみると、私は生きているんじゃなく、様々な御恩を受けて生かされているというのが本当のところだと感じます。「生かされる目的」というのはまことに的を射ていると思われます。

> この命が続く限りは「南無阿弥陀仏について」人々にお伝えしたいと考えております。

頼もしいお言葉です。僧侶の方々は僧侶の方々で宗派の違いなど厄介な問題を孕んでおり、難しい面もあるかと思いますが、如来二種の回向を十方にひとしく弘めて頂きたいです。私もブログを通して、浄土真宗に興味を持って頂けるように、そして本願を信じお念仏申す方が現れて下さるように願い、その些細なきっかけにでもなればよいと思ってボチボチ綴っていきたいと思います。

なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・


園児様

> 今、知らされているのは仏教の広大さと親鸞聖人の偉大さです。親鸞会時代には箱庭に閉じ込められたような窮屈な仏教しか感じられませんでした。

同感です。実に狭い教えに私達を縛り付け、それによってその狭い教えに万人を当てはめようというような考えに陥っていました。今は、誓願一仏乗の教えから、この教えに引き導かんがために浄土方便の教えがあり、聖道門がある。阿弥陀さまはその人その人に応じて最善の方法で導いておられるのだから、相手が受け容れてくれるくれないに関わらずそれは相手の宿善まかせだと思うようになりました。

こうした教えを捻じ曲げて、方便が必要、宿善まかせだから宿善を求めよ等々と邪偽の教えを説くのが親鸞会で、そこは注意を払って邪義を正していかねばならないなと思いました。

念仏申す人生

皆様お世話になっております。いつも刺激的な文章がこちらには溢れてますね。聴聞しなさいよと阿弥陀様に言われてるかのようです。私が知らされたのは、「念仏申す人生」ということです。親鸞会では全く言う気がなかったお念仏が、今フッと念仏が思わず出る。言おうと思わなくても出る。出させていただく。それに対して自力の念仏じゃないのか?と親鸞会員に、退会した今でも言われたりしますが、それも私にそう言われ続ける業があったのでしょう。ただ念仏申して渡る道が、それが私の白道です。
まあちさん。ブログ読みました。私と凄く似てると思いました。時々お邪魔しますね。宜しくお願いします。

チュウビ様へ

コメントありがとうございます。

今のブログは、本当に人生に行き詰った頃、その前のブログが
ある致命的なミスによってコレ以上続けられなくなって破棄せざるを
得なくなった時に、思い切って新しく作っていたブログです。

始めた頃にも迷走ばかりでしたが、無理してまで手に入れた
アメリカ製のストーリーテリングゲームを使ったお話づくりに
現在ほぼ落ち着いております。

そんなブログ運営までもヘッタクソな私の作った物語…それが、
《ソクタッヘ王国物語》だったりします。

物語も、浄土真宗の事も、あまり褒められた文章など書けませんが…
これからも皆様、よろしくお願いいたします。

コメント返信

コメントありがとうございます。

> 「念仏申す人生」

私も一言で言えばそう知らされました!(^^)!

会員の皆さんは、自分達は自力諸善(もどき)なのに人のことはそう言うんですね。まぁ気持ちは分からなくもないし、大厳和上も本願寺派から安心調べを受けましたから仕方ないかも知れません・・・。しかし

罔極仏恩報謝情 (罔極の仏恩報謝の情)
清晨幽夜但称名 (清晨幽夜ただ称名)
堪歓吾唱雖吾聴 (歓びにたえたり、われ唱えわれ聴くといえども)
此是大悲招喚声 (これはこれ大悲招喚の声)

と大厳師が仰るように、私達は大悲招喚の声としてお念仏を聞いているわけで、助かる条件として、往生を祈願請求して称えているわけではないんですよね。

https://www.kyosenji.net/%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E3%81%A8%E5%A4%A7%E5%8E%B3%E5%92%8C%E4%B8%8A/

いつか会員の皆さんにも、名号、信心、念仏、全て南無阿弥陀仏にあり、全てご回向以外の何物でもないことを分かって頂きたいと思います。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・


まあち様

よかったら、まあちさんのブログをリンク先に加えたいと思います。浄土真宗を聞き、お浄土を目指して進む同行同士、手を取り合っていきたいものです。無理にとは言いません。お断り頂いても結構です(^ω^) ご検討下さい。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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