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謹賀新年(2019年)

2019年が始まりました。今年もボチボチ書いていくつもりです。よろしくお願いします<(_ _)>


さて、最近私が特に思わされるのは、「御恩」ということについてです。

私が阿弥陀仏の本願念仏の教えを聞くようになり、本願力回向の行信を獲て本願を信じ念仏する身になったのは、私の力ではありません。全て阿弥陀仏の大慈大悲のお心によってそうならしめられたのです。

そうであるように、私がこの世に生まれてきたのも、こうして不自由なく暮らせていけるのも、私の力ではありません。父母あり、先祖あり、周囲のお世話になった方々あり、私の血となり肉となるために犠牲になった多くの動植物あり、地球あり、太陽あり、空気あり、水あり、火あり、風あり、土あり、その他挙げればキリがないほど実にさまざまなものの「おかげさま」によってです。その御恩を思い、感謝して生きてゆけるならば、これは幸せなことだと思います。

ただ、特に私なんかはこうした仏教の教え、お念仏の教え、御恩の教え、「おかげさま」の教えを1回2回聞いた位で、それ以降聞かなくてもそのような思いを持ち続けて仏祖や周囲に感謝し、幸せに生きてゆけるほど賢善な者ではありません。。往生の信心は即座に定まっても、相変わらず煩悩具足は変わらないし、周囲の環境も変わるわけではありません。だから教えを聞き続けなくちゃなりません。

1回2回聞いてその教えをずっと心に保ち、身に保てるほど俺はできた人間じゃないです。体の栄養失調も困りますが、教えの栄養失調ほど困ることはありません。私みたいな者は、普通に生活していたら、すぐに煩悩で有難さが曇ってしまいます。愛欲と憎悪ですぐに三悪道まっしぐらです。

聴聞は信前だけ大事で、信後はしなくていいということではありません。むしろ信後の方が大切ではないかと今は思います。相変わらず仏様とは正反対の方を向いて苦悩に沈むのが大好きな愚悪な自分を知らせて頂き、今こうして生きている一瞬一瞬にもその自分を摂め取って捨てない大慈大悲の阿弥陀さまましますこと、このお念仏の教えを私まで届けて下された多くの方々のこと、多くのもののおかげで生かされていることを知らせて頂く。そして懺悔と感謝を繰り返し、常にお念仏を申して浄土へ向かって生きて行く。こうでなけりゃいかんなと最近つくづく思います。


ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。総序

ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く。しばらく疑問を至してつひに明証を出す。まことに仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥ぢず。浄邦を欣ふ徒衆、穢域を厭ふ庶類、取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれとなり。信文類

しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。化身土文類

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要を摭ふ。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。もしこの書を見聞せんもの、信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。後序

(59)如来大悲の恩徳は
   身を粉にしても報ずべし
   師主知識の恩徳も
   ほねをくだきても謝すべし
正像末和讃

親鸞聖人は、挙げればキリがないほど、如来大悲の恩徳、師主知識の恩徳の深いことを念うて、それをお慶びになっています。そして、ひたすらその報謝の活動に挺身されました。

私も、親鸞聖人とはとても比較にならないお粗末なことしかできませんが、他力の信心を通して知らされた世界と、親鸞会教義の誤りを紹介していくこと、家族に阿弥陀仏の徳の尊さを伝え、お念仏を喜び申していくことで、私なりの御恩報謝をつとめていきたいと抱負を述べまして、新年のご挨拶としたく思います。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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親鸞会以上の布教を親鸞聖人のようにやって下さいm(__)m

No title

>親鸞会以上の布教

親鸞聖人の教えを正しく伝えている点で言えば、退会者でブログを書いている人は楽々親鸞会を凌駕しています。

>親鸞聖人のように

親鸞聖人の時代は、法話に集まってきた人にだけ話をするか手紙で布教するしかなかったので、インターネットで頻繁に発信している退会者のブログは、人数と頻度を加味すれば親鸞聖人以上の人に影響力を与えていると言えます。

なお、親鸞会はそれ以上の影響力があると言えますが、肝心の教えが根本的に違っているので、キリスト教の布教、創価学会の布教の超ミニ版ですね。

コメント返信

お願いです様
ゴウ様

私の存在が、このような拙いブログが、周囲や世間に対してどれほどの影響力があるか。たかが知れていると思いますが、そんな大それたことは考えず、自身が本願を仰ぎお念仏を申して生活の中で教えをよくたしなみ、その上で私にできることをやっていきたいです。私もお育て真っ最中です(笑)

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

>親鸞会以上の布教
この日本語自体がすでにおかしいですね。
高森会長が、「どんなことでも1番からビリまで順番がつく」とか言っていたアレですかね。
カルト邪教に思考力を破壊された人の悲哀を感じます。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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