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Love is...

この前、ラジオで久々に河村隆一「Love is...」が流れてきました。自分が中学の頃、河村さんにハマって、CDを買って歌いまくった歌の一曲です。

You are my only
You are my treasure.
I'd give you my whole thing, even if you don't want.
Love is my only
Love is my treasure.
Please close to me more and don't leave me alone.


(淳心房意訳)
君は僕の全てだ。君は僕の宝物だ。僕の全てを君にあげる、たとえ君が望まなくても。
愛は僕の全てだ。愛は僕の宝物だ。どうかもっと僕の近くに来て、そして、僕から離れないでくれ。
(「my only」は、「僕にとってかけがえのない存在」、「僕にとって唯一無二の存在」と訳すのが妥当でしょうが、「君無しでは生きていけない」「君への想いの無い僕は僕ではない」という意味ですから「僕の全て」としました)

このような書き出しで始まる「Love is...」。歌詞全文を読めば、愛する異性への想いを歌ったものであることは明らかです。私も当時は好きな女の子のことを思い浮かべて歌っていました。結果は玉砕でしたが・・・(;^ω^)


ただ、上に挙げた歌詞だけに着目した場合、「You」と「I」、また「Love」を読み替えることによって様々な解釈が生まれるでしょう。

例えば「You」を子供、「I」を親とした場合。愛する我が子への想いを歌った歌へと変わるでしょう。特に幼い子供を持つお母さんなんかは、勿論全ての親がそうではありませんけれども、子供は自分の血肉を分けた分身であり、かけがえのない宝物だと愛し、文字通り自分の全てを子供に与える位の気持ちで育てていらっしゃるんじゃないかと尊く拝します。

夜泣きやぐずり、思うように食事をしなかったり言うことをきかなかったり、日々のイライラやストレスはそれはそれは親になった者、育てた経験のある者じゃなければ絶対に分からないものがあると思います。愛だの何だのと、きれいごとばかりではありません。時にはストレスから何も分からない子供に暴言・暴力をすることだってあるかも知れません。そんな悪戦苦闘の中でも、捨てずに育てていくのは、社会的責任というのもありますけど、やはり底には子供を愛する心、宝物だと大切にする心があるからだと思います。


さて、ここからは淳心房お得意の読み替えです(笑) 「You」を私、「I」を阿弥陀仏、「Love」はそのままでもいいですが、如来の大悲の結晶である至徳の名号、南無阿弥陀仏にしましょうか。すると、これは皆さんお気づきの通り、本願力回向と、この私一人を救うという阿弥陀さまの大慈悲心を表した歌になります。

You are my only
You are my treasure.
I'd give you my whole thing, even if you don't want.


阿弥陀さまは、この私を「かけがえのない独り子だ」だと、全てをかけてお前を救うてやると仰っている。たとえ私がそれを望まなくても。私が「迷いの世界を離れたい」「清らかなさとりの世界に往生したい」と願う遥か以前に、阿弥陀さまは私を救うてやりたいと願いを発されました。その願いが届いて、今私達は法に遇わせて頂いているわけです。「お前を必ず助けるぞ」「どうか気づいてくれ」とこういうわけですね。

Love is my only
Love is my treasure.
Please close to me more and don't leave me alone.


阿弥陀さまは生仏一如、自他一如のさとりの御方ですから、私達のように自分と他人を画然と分け隔てなさいません。南無阿弥陀仏の名号はひとえにこの私に与えることを第一として成就されましたので、阿弥陀さまの「treasure」はそのまま私の「treasure」となって下さるわけです。有難い。

阿弥陀さまは五劫の思惟、不可思議兆載永劫のご修行を経て、南無阿弥陀仏という功徳の宝を成就された。それは他でもない、抱えきれない罪業を抱えて流転を重ね、この度またも流転しようとしているこの私に与えて救うてやるためだ。ご自身が南無阿弥陀仏という声の仏と成って私に飛び込んで下さり、私をもう離さんで下さる、とこういうことでございます。

「どうか私の言うことを計らい無く聞き受けて、私の名を称えておくれ。もっと私の側に来て、そして、私から離れないでくれよ」

このように聞き受けたからには、もはや小賢しい詮索や先入観は要りません。私の考えや計らいなんかどうでもいい。本願のはたらきにまかせてただなんまんだぶつ。何とも有難くたのもしい本願力に嬉しくかたじけなく、お念仏申す他ありません。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・


相変わらず自己中心的な想念に支配され、三毒の煩悩に煩わされ悩まされっぱなしではありますが、如来の回向が届いたからにはそれが影響して、皆さんにもこの本願念仏の法に遇って頂きたいという、本来私が持ち合わせもしない気持ちが起こってまいります。ところで阿闍世は獲信後、あんなに地獄を恐れていたのに

〈世尊、もしわれあきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず〉「信文類」阿闍世、菩提心を起こす

【現代語訳】
<世尊、もしわたしが、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、わたしは、常に無間地獄にあって、はかり知れない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません>

と釈尊に対して決意を述べておられます。阿闍世と言えば我欲のために父王を殺し、母を牢獄に閉じ込めるという悪逆をはたらいた人物だということは皆さんご存知だと思います。その後、心因性の重い皮膚病を患って瀕死の床についていたのを、釈尊の弟子であり、勝れた医者であり、大臣でもあった異母兄弟の耆婆に導かれて釈尊を訪ね、回心して救われたのです。無根の信を獲て後の決意が上の言葉です。

この病は治ることはない、自分はもう助からない、無間地獄へ堕ちるよりないと自分で自分をあきらめてしまっていた阿闍世が救われたのは、「われは阿闍世のために涅槃に入らず」という如来の大悲心に気づいたからでした。それについて、『聖典セミナー「教行信証」信の巻』より少々引用します。

 自分自身の罪を決して許せなかった阿闍世が、その罪深き自身を受け容れることができるようになったのは、「われは阿闍世のために涅槃に入らず」という仏陀の大悲心に包まれている自身であることに気づいたからです。如来が決して見捨てないと仰せられている自分を、自分が見捨ててはならないと気づいたのです。そのとき自分を包摂して、身と心の病を癒し、さとりの領域へと導きたまう仏陀の教化にしたがって生きることがまことの生き方であるという、まったく新しい生きることの意味と方向が定まったのです。それが阿闍世に恵まれた救いだったのです。(p.440~p.441)

これを私達に置き換えて考えてみますと、阿弥陀さまが私を救うことを決してあきらめていないのに、私の方で勝手に「もう俺の人生なんてダメなんだ」「いいことなんてないんだ」「どうせ信心決定なんて無理」とあきらめてはならんということです。南無阿弥陀仏という本願醍醐の妙薬は、どんな悪逆の者も回心させ往生成仏せしめる起死回生のはたらきがありますから、助からない者は一人もありません。六度万行や定善、散善をしてこいというなら無理だけれども、この如来の大悲心を聞き受けるだけですから只今救われます。だから、

あきらめんなお前!
だからこそ、Never give up!

先に救いに遇うた者として、俺は敢えて修造先生の言葉を借りてこう言います。

それにしても上の阿闍世の言葉、これこそ真の勇者です。私にはちょっとそこまで思われませんが、子供達や有縁の方々が本願を信じお念仏してくれるならどのような苦労も苦労と思わないぞという気持ちにさせられます。これも皆、真実の行信を賜った利益です。と、このように本願力回向の仏意を読み取ることができます。


本当に素晴らしい歌を作って下さったと、河村さんには感謝しかありません。肺腺がんを患われたようですが、先日、術後初のステージ復帰を遂げられて嬉しく思います。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

主語や目的語を変えたり、多少歌詞を変えたりすることで本願力回向、如来の大悲を味わえる歌は沢山あると思います。皆さんがお気づきになった歌があれば、ぜひ紹介して頂ければと思います。



【参照】
『うたまっぷ』Love is... 河村隆一
河村隆一 「Love is...」
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非公開コメント

いろいろ味わうことができるのですね。
私はまだ南無阿弥陀仏の心がわからないですが、そのように私1人に願いをかけてくださっているかと思うと、ありがたく申し訳ありませんと思うことです。
ありがとうございます。

ラブ・・・さすが淳心もどき房

仏は慈悲、loveに非ず。

コメント返信

やごう様

> そのように私1人に願いをかけてくださっているかと思うと、ありがたく申し訳ありませんと思う

このように感じることができるというのがまず大事なことです。沢山の衆生の中の一人である私を助けるではなく、私一人を助ける本願であると思えませんと、仏と私との関係はどうにも希薄になり、話もおとぎ話のようにしか聞けなくなってしまうと思います。今、ここで、この私を救う南無阿弥陀仏のはたらきを信じ、念仏申して頂きたいと思います。


元会員様

元々異性への愛を歌った歌だから、当然合わないところはありますよ。日常生活の些細な出来事や、聞いたフレーズにも如来の大悲を感じられることが大事じゃないかな。君はそう思わんか?

ブラザー・サン シスター・ムーン

ども、林遊@なんまんだぶです。

>主語や目的語を変えたり、多少歌詞を変えたりすることで本願力回向、如来の大悲を味わえる歌は沢山あると思います。皆さんがお気づきになった歌があれば、ぜひ紹介して頂ければと思います。

ドノヴァンの『ブラザー・サン シスター・ムーン』はいいですね。20代の頃にビデオを借りて見た映画の主題歌ですが、DVDもあるようですから是非一度視聴をお奨め。
ともあれ、50年ほど前の映画ですが、真実とは何か? に悩んでいた頃に真実を教えてくれた映画でした。
そして、この真実を追求するなかで、真実はわたくしには無いということで阿弥陀如来の真実に遇えたことでもありました。
高森親鸞会の三願転入の教えに迷うならば、アッシジのフランチェスコの生き方を実践すべきだと思ふのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
https://www.youtube.com/watch?v=6vp8cDBK5jY

追伸

追伸

ども。林遊@なんまんだぶです。

高森原理主義者のツッコミにに対応しておくのだが、御開山は宗教現象を真・仮・偽の三分類法で解釈されたおられた。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%9C%9F%E3%83%BB%E4%BB%AE%E3%83%BB%E5%81%BD

世界には、キリスト教徒が23億人存在するとされるが、二千年にわたって、人々の魂を魅了してきた教えにはそれなりの意味があるのだと思ふ。それはクリスチャンの弱者への慈善という行為によって知る事ができる。
ただ、なんまんだぶを称え生死を超えようとする我らは、セム族の宗教とは異なるのであった。
それが、仏教における、さとりの智慧の必然である大悲であった。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%A4%A7%E6%82%B2

キリスト教では人格的な神を説くので、浄土教の阿弥陀仏と混同されやすいのだが、御開山の示された浄土真宗は「救い」より「正覚」に達する法としての、往生成仏を説かれたのであった。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B8%88%E5%BA%A6

御開山は、

 聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真 言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

と、お示しであったが、御開山の眼から見ればキリスト教も聖道門であろう。
そして、それは「すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふ」還相のすがたであったのである。このいのち終わった後に、還相の豊かな世界が用意してあるというのが、御開山の示された、浄土の真宗であった、ありがたいこっちゃ、

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

LUNA SEA

河村隆一良いですね〜。LUNA SEAが好きなんですけど昔良く歌っていたのが「JESUS」(笑) なんのため生まれてきたのか〜。解き放たれる瞬間を、願っている、やって来るはず〜とか。神さま僕を愛してくれないの〜とか。多感な時期だった為、歌詞と親鸞会がクロスオーバーしました。親鸞会は思いっきりこれでしたね。今は、阿弥陀様に向かってお願いしていた私が先でなくて、阿弥陀様が私より先に、願われていたなんて…。信仰するのでなくて仰信でした。なまんだぶなまんだぶ。

 元会員さんは、相変わらずの薄っぺらなコメントですね。私の質問には深いところで答えてもらいたいですけど阿頼耶識と真実信心の関係未だに答えてくれないね。煩悩100%で地獄行きが間違いなくて覚悟したのが真実信心らしいけど、下の心が見えてそれを阿頼耶識が見えたと思ったのが信心ということなのかな?阿弥陀様の話ってあなたの過去のコメント一切出てこないけど、阿弥陀様は真実信心に関係ないのかな。ここで脱会者蔑んで、親鸞会では馬鹿にされるから信心を語らず、裏で自分を理解してくれない会員蔑んでいる人生がなんで絶対の幸福なんですか?孤立していて不平不満ばかりですよね。
誰か味方になってくれる人いますか?仲間増えましたか?あなたの言葉聞いてくれた人いる?
 まあその時々でネタを提供してくれる人が現れたなと思ってます。火星人とは別の「元会員」さんですが、今後このような会員さん増えそうですね。高森会長が死ぬ前に何とか絶対の幸福掴んどきたい!じゃなければ頑張った元がとれんもんな〜やった火の中突破して聞けたぞ、眠らんかったもんな〜きっちり聞き漏らさんかったもんな〜何か見えたかも、これにしとこうかな。という信心ですね。それで本当に良いのですか? 返信は馬鹿!中火!真仮知らず!ですか(笑)うん知らない。あなた独自解釈の真と仮なんて知らないよ。個人的な体験ですね。あなたじゃないから体験してないよ。珍しき法を広めてますね。

林遊さま

林遊さま、いつも有難うございます。浄土真宗の救い、信心とは、往還二回向ということですね。それが誓願一仏乗ということですね。有り難いことですね。なまんだぶ、なまんだぶ。

Re: 林遊@なんまんだぶ様

紹介いただきありがとうございます。

私が生まれるより10年ほど前の作品ですね。通りで知らんわけだ(笑)

キリスト教の映画ですが、学ぶことは多いと思います。というか、何事も学ぶ心をもって見れば、何かしらそこに得る者はありますね。親鸞会では邪教だとはなから切り捨ててしまうでしょうが、ともあれ

> 高森親鸞会の三願転入の教えに迷うならば、アッシジのフランチェスコの生き方を実践すべき

です。幻想的な己一人の現世利益を求めて組織拡大活動という悪業悪行に従事するより、貧しい人々のために慈善活動した方がはるかに善行でしょう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

Re: チュウビ様

「JESUS」知らなかった・・・知らないこと多すぎ(笑)

1997年に河村隆一としてソロデビューする前にLUNA SEAで知ってたのはROSIER位です。

「JESUS」の歌詞
http://j-lyric.net/artist/a0007b5/l00056e.html

を見てみましたが、確かに親鸞会とクロスオーバーします。ただ、これを題材に、本願力回向の法義という観点から読み替えていけば我々にとっては大変意義深い歌かとも思いました。


現役カルト信者は自分の体験だのみで、真宗教義は勿論、親鸞会教義さえ正確に把握しているかどうか怪しいものがあります。高森会長が言っていない説を言い出したり、とにかく言っていることがメチャクチャ。あれが邪教にハマった者の考えとその書き込みだと、読んでいる方の参考になると思います。それで私達は過去を省み、本願を仰信して念仏申す縁にさせて頂くのがよろしいでしょう。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

「元会員」氏が沈黙していると思ったら、今日は富山で高森会長の講演があるようですね。講演中に携帯電話をいじっていたら監正部につまみ出されるからですかね。

何十年にも渡って毎回毎回、中身のないスカスカの話をしていて本人が虚しくならないのは、高森会長自身が後生の一大事にも、仏法にも、信心にも、全く関心がないからですね。

現役会員も早く気付いた方が良いと思います。

ww想像力豊かだこと♪MHWしてた✌

みんなキリスト好きなんだ~

入信したら?

Re: 元会員様

国語の能力、読解力も無い現役カルト信者はこれだから困るなw

比較の話よ。比較。あんたらのように高森顕徹会長の私利私欲から出る組織拡大活動という悪業悪行に手を染める位ならば、慈善活動した方がよいと言ってるの。そっちの方がMHWなんかで暇つぶしてるよりためになるぞ。

尤も、真宗はあんたらとは違って本願の救いに遇うために仏教の倫理道徳版の漫画雑誌のようなことは勧めないけどねw

元会員さんへ

ああ、やっぱりおなたは字ヅラで理解しましたか〜。キリスト教に入りたいわけでなくて、自分が頑張った結果を、絶対者に見てもらいたくて、それがルナシーのジーザスでは、「神」ではありますが高森教学に、毒されて阿弥陀様とキリストをイマイチわかってない、キリストより比べて最上級が阿弥陀様ぐらいにしか当時の私は、理解してなくて、罪悪感を覚えながらも、阿弥陀様なんで救ってくれないのです?と、気持ちが歌詞とリンクしたのでした。キリスト教に、入信したいわけではないのですよ。高岡市のあなたさんは、書いてあることをそのままにしか受け取れないので、比喩とか行間を読むとか苦手みたいです。またそのため対人コミュニケーションも苦手です。あなたが他の人より優位に立ちたいと思ったら、是が非でも絶対の幸福を掴み取りたいとり、自慢したいところでしょうね。で掴んだのですね。現実は傍からみると実にショボい絶対の幸福ですね。ネットでは仮想ですので万能感が得られましたか(笑)ネットと現実が一致すると良いですね。

モンスターハンター

五十のおっさんが高森会長の法話を聞かずモンハンしてます。と告白するのは、親鸞会的には中々素敵なカオスな状況ですね。絶対の幸福になったら、ひたすら一日モンハンしても虚しくならないのですね。素晴らしい幸福感ですね。せっかく親鸞会の為に高岡に移住したのに、もう絶対の幸福になったから、会長の法話は聞かなくて良いぐらいの幸せ感なのですね。じゃあ高岡にいる必要もないのですね。両親のために実家に帰るのが良いかもしれませんね。両親に絶対の幸福とはどんなものかよく教えてあげて下さい。チュウビ馬鹿真仮知らず!あざっす。あなたの言う真仮は知らないっすね。

Re:チュウビさん

こんばんわ、Abcです。

>五十のおっさんが高森会長の法話を聞かずモンハンしてます。と告白するのは、親鸞会的には中々素敵なカオスな状況ですね。

MHWは、その略でしたか。理解が追い付いておらずもうしわけございません。
とすると、中々にすごいですね。

「真宗は漁(すなどり)するものも猟(またぎ)するものも漏らさない教え」ではありますが、「自らの行い云々」と言われている人は、「おほきにおぼつかなき次第なり」であります。

追伸
私が記した先コメント「Re:元会員さん」は、「聴聞の一本道を進むと、善の勧めによって、善に励むようになる。」について、『お聖教』に基づいて記しました、御一読いただけますと励みになります。 もしよろしかったら「チュウビさんなりのご不明な点」をしるしていただけたら、うれしいです。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

No title

「元会員」さんは信心獲得したら聞く気が無くなったのですね。
信後に聞く気が無くなるところは高森会長に楯突く気満々なのですね。

Abcさまへ

いつも根拠を示されての解説有難うございます。昔親鸞会にハマったのは、高森会長や講師が、根拠を、示して解説してくれたからでした。まさか勝手に切り貼りして捻じ曲げていたとは当時は知りませんてしたが…そして今Abcさんは、きっちりとわかりやすく示してくだされ、且つ私も示されたところを聖典でネットで見ることが出来るので、騙されないですね(笑)
 対して元会員や名無しの理想論者さんなどは、全く根拠をあげられず、親鸞会も地に落ちたなと思います。まあ最初から地に落ちるも何もないカルト宗教でしたが、、Abcさん今後とも色々教えてください宜しくお願いします。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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