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何のために生まれてきたんだ・・・!?(『はたらく細胞』7話「がん細胞」より)

連休明けで仕事に出たところが、尋常じゃない数の荷物・・・。午前中指定は全て時間内に回り切ることを諦めました(笑) 指定すれば届くと皆さん思っているかも知れませんが、そうではありません。現場は相当混乱しているので、営業所にあるにはあるのだけれど見つからないという荷物も相当あります。指定通りに来なくて怒っている客が少なからずいますが、元々はあんたの欲望が生み出した怒りやないか(-_-;) この記事をお読みの皆様はどうぞそのような愚者になることなく。欲しい商品がありましたら、今は堪えて、どうぞ年明け以降にお願いします。で、年明けて何買おうと思ってたか覚えてないという程度の荷物は所詮要らない荷物です。そういう商品は注文されないのがベストです。


さて、この前、同僚の後輩ちゃんに冗談半分で「ドラゴンボール超も、進撃の巨人season3も終わっちゃったし、これから何を楽しみにしていったらいいんだ」とぼやいたところ、ご丁寧に

はたらく細胞

のDVDを貸してくれました。最初は、正直観ている時間がもったいないんだがなぁなんて思っていたんですが、観てみると中々面白いです。また私以上に子供がハマってしまって、オープニングは雰囲気で何となく覚えています。「はたらくぞ、はたらくぞ、毎日毎日修行中」と口ずさんでいるのがほほえましいです。現在、期間限定でこちらから観られますので、関心のある方はご覧下さい(年内まで公開中らしいです)。

(注:ここからはネタバレ注意です)それで、私としてはその中で

7話「がん細胞」(12月20日まで公開です)

の話が強烈に印象に残りました。話に出てくる説明によりますと、がん細胞とは「細胞の遺伝子に異常がおきて、無軌道に増殖するようになった細胞。周囲の正常な細胞との境界を侵し、どんどん増殖していく」とのことで、健康な人でも一日数千個できているらしいです。いわゆる細胞分裂の過程でコピーミスによってできてしまった細胞で、放っておきますと増殖し、浸潤し、転移して人間の体は破滅してしまうわけです。

最後にはやられてしまったがん細胞ですが、死に際に白血球さんにこんなことを話していました。

普通の細胞に化けてお前に助けてもらった時、僕は、僕は普通に嬉しかったんだ。誰かに助けてもらうなんてこと、生まれて初めてだったからな。こんな僕のことを助けようとしてくれる細胞なんて、この世界には一人たりとも存在しない・・・当然だよな。本当は、僕はただの細胞なんだ。この世界の一員として、みんなとただ、毎日平和に生きていくはずだった・・・なのに・・・
(中略)
今日が終わったら、どうせみんなすぐ忘れてしまう。僕の恨みも、怒りも、悲しみも、誰にも聞いてもらえないまま風化して、無かったことになってしまう。何も残らない。
細胞分裂の手違いで味方になるはずだった免疫細胞に命を狙われて、闘って、負けて、この世界に何も残せずに死ぬなんて・・・何のために生まれてきたんだ・・・!?


ただのアニメだと思っていたら、こんな深いことを言われているのに驚きました。


みんないつかは必ず死ぬ。自分も必ず死ぬ。これは動かしようのないこの世の真実です。でも、誰一人として、現在自分の死に際のことを考えている人はいないでしょう。私も普段はそんなことは考えていません。しかし、必ずやってくるのです。自分の死に際というものが。その時に、自分の人生を振り返って

何のために生まれてきたんだ・・・!?

というような人生だったら・・・。それでは、あまりにみじめです。そんな空しい、愚痴の中で終わってたまるかと梯實圓和上は仰っていましたが、私もそう思います。

ところが、どうでしょうか。私達が普段やっていることは、やがて風化して何も残らないというのが現実ではないでしょうかね。また、必死にかき集めたものも、死んでいく時には全て我が身から離れてしまいます。死ぬまい死ぬまいと私達は毎日闘っていますが、最後は必ず負けです。そして、たった一人で、この肉体さえも置いて、焼いて、いかねばならないのが人生の末路です。やはり聞くべき教えを聞き、遇うべき法に遇わずしては、この世界を思うように生きたって最期は危ういと言わざるを得ないんじゃないでしょうか。

では、みじめな、空しい愚痴の中で終わらない、そんな生き方をするには、どうすればいいのでしょうか。生きることも死ぬことも共に有難いことであると受け容れることができるには、どうすればいいのでしょうか。


親鸞聖人は、そのような生と死の問題を越えてゆく道、「生死出づべき道」を求め、それは「念仏」であると私達に教えて下さいました。「念仏」とは「南無阿弥陀仏」であり、それは生きることの意味も、死ぬことの意味も分からない私達に生きる意味とその方向性を示し、必ず浄土に迎えるから安心してまかせなさい、念仏を申して浄土に生まれて来なさいと喚んでおられる阿弥陀さまの仰せでした。

こうした阿弥陀さまの仰せ、「南無阿弥陀仏」の六字のこころを計らいなく聞き受けて、お念仏を申して生きる。これが一番心の安らぐ生き方だし、日々受けている様々な御恩に感謝してゆける生き方、そして一番死を受け容れやすい生き方であろうと思います。なお、私達が申すお念仏は、自分が称える自分の行というのではなく、阿弥陀さまが私達にお与えになった行だと心得るのが浄土真宗の受け取り方です。ですから、念仏に「お」をつけて「お念仏」というのでしょうね。如来より賜った往生の正しき行業ということです。

南無阿弥陀仏」が心に届いたのが、迷いの終わりです。その後は、正しく往生が定まった人々の仲間入りをし、往生を定めて下された御恩をなんまんだぶ、なんまんだぶと報謝して生きてゆく。相変わらず苦しみはやってきますが、蒔いた種なら受けていかねばなりません。割り切れないこともありますがね。

しかし、当然後の世の迷いを生み出すはずだったのがそうはなりません。生きてゆく先は浄土だよ、死ぬとは浄土に生まれることだよと仰って下さるのです。これは不思議であり、有難くかたじけないことです。こんなことは自力では絶対不可能で、本願力のみ為せる業です。

この御恩を知り、感じたならば、それに少しでも報謝しようという生き方になっていきます。それと、今まで生きることも、衣食住も、その他全てがあるのが当たり前だと思っていたのが、そうではない、生かされているのだ、恵まれているのだということに少しずつ気づけるようになっていきます。不満が感謝に変わるのです。この辺は人によって、または状況によって様々でしょうが、教えをたしなみ、それを日々の生活で味わってゆくことでゆっくりと知らされてゆくことだと思います。

これらは、「南無阿弥陀仏」が心に届き、口に保たれて、法に育てられていることです。このような素晴らしい行を如来から賜っているということを知るべきと思います。

そして、そうした念仏の行者の往く先は浄土です。そこで仏のさとりを開き、まことの安らぎを得た後に、今度はこの世ではどうすることもできなかった人達を責任をもって自在に救ってゆくことができるのです。

浄土に往くまでが往相。浄土から仏のさとりの必然としての衆生済度に還り来るのが還相。この二種を回向されるというのが浄土真宗で、これらは要約すれば「南無阿弥陀仏」におさまります。ですから浄土真宗の教えはお念仏の教えと言われるわけですね。


中学の教科書で浄土真宗の説明を読んだ時は「ただ南無阿弥陀仏と称えて浄土に往ける? そんなばかな」と思っていた私。けれど、様々な苦しみにぶち当たり、真っ暗な死にどうすることもできない無力な自分、生きることの意味も死ぬことの意味も分からずに空しく一生を終えねばならない自分を思い知り、この如何ともし難い生死の問題を越えてゆく道が「念仏」であるとは当時は知る由もありませんでした。

こんな俺のことを本当に助けようとしてくれる存在なんて、この世界には一人たりとも存在しない・・・そう絶望していたところが、ただ御一人おられたのです。それが阿弥陀仏であり、「南無阿弥陀仏」でした。一体、どのような遠い過去からの阿弥陀仏のお計らいかと、宿縁を慶ばずにはいられません。

当ブログを読んで浄土真宗とはどんな教えか知りたいと思われた方がありましたら、

浄土真宗の法話案内

より場所、日時などを検索して頂ければと思います。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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Abcです

こんばんわ、Abcです。

>なお、私達が申すお念仏は、自分が称える「自分の行」というのではなく、阿弥陀さまが私達にお与えになった行だと心得るのが浄土真宗の受け取り方です。ですから、念仏に「お」をつけて「お念仏」というのでしょうね。如来より賜った往生の正しき行業ということです。

 私も、「お念仏」を聞かせていただいて早や、30年となりますが、淳心房さんの言われるように「阿弥陀さまがお与えになった行」であります。この「お念仏」と言ういわれ方に関連しまして「如来のお誓い / 「お念仏」の別の表し方」、「御同行、御同朋 / お念仏を共に(朋、友として)聞かせていただくもの」、
 すこし変わりますが、「お計らい / 「真宗」では「如来のお計らい(法爾)」」ともいわれますね。 このように観ますと、「阿弥陀様から賜ったものは念仏である」とはいわれますが、それよりも「この今生きている環境そのもの」なのかなとも感じております。

>今まで生きることも、衣食住も、その他全てがあるのが当たり前だと思っていたのが、そうではない、生かされているのだ、恵まれているのだということに少しずつ気づけるようになっていきます。

 さようでありますね、現代社会では、「~できて当たり前」と端から決め付けてしまうふしがありますが、「阿弥陀様によって、このように生かされているのだな」と日々感じさせていただいております。 なんだか文章が拙くなってしまい、申し訳ございません。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

Re: Abc様

> 私も、「お念仏」を聞かせていただいて早や、30年となります

Abcさんは私からしたら大先輩ですね。私はようやく10年目になりますが、同じお浄土へ向かう同行として、これからもよろしく法をご指導頂きたいものです。


「阿弥陀様から賜ったものは念仏である」とはいわれますが、それよりも「この今生きている環境そのもの」なのかなとも感じております。

如来に遇わせて頂く道場であると梯實圓和上は仰っていますが、私もようやくそのように思えるようになってきました。

> 現代社会では、「~できて当たり前」と端から決め付けてしまうふしがありますが、「阿弥陀様によって、このように生かされているのだな」と日々感じさせていただいております。

そのようにみんなが感謝して生きていけるならばこれほど生きるのが辛い世の中にはならないのにと思うこともありますが、大切な教えを知らずに、自己中心的な想念に支配されているとどうしても欲望を無制限に起こし、それが妨げられたら怒り、正邪の判断がつかない愚痴に陥って三悪道まっしぐらの人生になってしまうと感じます。皆人が正しい教えによって生かされている、恵まれていると御恩を知り、感じて生きていくことができたらいいのになと思います。

なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・

No title

>指定通りに来なくて怒っている客が少なからずいますが、元々はあんたの欲望>>が生み出した怒りやないか(-_-;) 

あなたも人から怒られたくない「欲望」がありますね。
そうでなければ、ただ怒らせておけば良いんじゃないですか?
愚痴る必要もないですよね。

>この記事をお読みの皆様はどうぞそのような愚者になることなく。

そんなことを言える立場なんですかね。
あなたも愚者ですよね。

Re: 名無し様

> あなたも人から怒られたくない「欲望」がありますね。
> あなたも愚者ですよね。

そうです。貴方はどうですか?

No title

私は愚者ですよ。
だからこう言うことは書かない。

Re: 名無し様

返信ありがとうございます。

私は書きます。自分が日々の生活で思ったことを正直に書きたい。宅配の仕事が見直されつつあるけど、相変わらず厳しい現状に変わりはないことを少しでも知ってもらいたい。こうやって悪戦苦闘して生きている私のような愚か者が本願の正しき目当てであると知ってもらいたい。こういう意図もありますので、よろしくご承知おき下さい。

No title

>私は書きます。自分が日々の生活で思ったことを正直に書きたい。宅配の仕事が見直されつつあるけど、相変わらず厳しい現状に変わりはないことを少しでも知ってもらいたい。こうやって悪戦苦闘して生きている私のような愚か者が本願の正しき目当てであると知ってもらいたい。こういう意図もありますので、よろしくご承知おき下さい。

発言の全てを否定しているのではありません。あなたの自己中心の発言をしている部分を否定しているのです。なぜなら、自己中心の考え方は、他人をも巻き込み不幸にします。

例えば、テレビで見ましたが、「宅配の時間指定通りに届けたにも関わらず、留守で届けることができなかった」という内容ならば、大いに発言したら良いように思います。なぜなら、それは相手の時間を奪うことになるからです。

また、私のマンションには宅配ボックスがあり、宅配ボックスに入れるように指示しているにもかかわらず、宅配業者が強引に郵便ポストに書籍を入れたので、表紙をボロボロにされたことがあります。

あなたは、「お客様と約束した」ことを一方的に破り、尚且つそのようにした自己を「仏教を利用して」、正当化しています。それを「正直」というのは結構ですが、悪しき考え方です。

悪しき考え方を広めることが、本願に伝えることに有効なのでしょうか?

Re: 名無し様

倫理面を配慮してのコメント、ありがとうございます。仏教を利用して正当化しようというつもりは更々ありませんでしたが、確かにそのように受け取れますね。申し訳ありません。以後は少し考えて書きたいと思います。

私とて破りたくて破っているわけではありません。できることなら時間内に時間帯指定の荷物を全部届け切りたいです。私だって客の立場なら遅れられたら嫌ですし、何より一番は怒られたくない、クレーマーに出くわして余計な時間を取られたくないですからね。しかし例えば、私が回り切れる数が50として、時間帯指定の荷物が60も70もあった場合は、名無しさんなら可能かもしれませんが私には不可能です。急ぐあまり事故を起こしてしまったら配達どころではありません。ならもう全て回り切ることを断念して、1つ1つ堅実に、安全を第一にやっていくのが最善の方法だと思います。それとも他に何か手段があるなら教えて頂きたいものです。

理想と現実は必ずしもマッチしませんし、苦しい局面に愚痴の一つも言いたくなります。みんな宅配に頼りすぎなんだよとか、この荷物の持ち主が昨日指定してた時間に受け取ってくれてればこっちの荷物は間に合ったのにとか、思ってしまうものは思ってしまいます。今後、善処していくつもりではありますが、「悪しき考え方」とやらは止みそうにありません。貴方のように常に正しい考え方に生きることは非常に難しいです。そこはまぁ、「こいつ苦しんでんだな」と哀れに見てやって下さい。

本願を伝えることに有効かどうか、それは私の智慧の及ぶところではありません。私などは親鸞会が縁の一つですからね(別に親鸞会を肯定しているわけではないですが)。今後、教えを聞き、少しずつ教えを生活の中でたしなみ、努力して改善していきたいと思いますので、長い目で見てやって頂きたいです。

No title

>私とて破りたくて破っているわけではありません。できることなら時間内に時間帯指定の荷物を全部届け切りたいです。私だって客の立場なら遅れられたら嫌ですし、何より一番は怒られたくない、クレーマーに出くわして余計な時間を取られたくないですからね。しかし例えば、私が回り切れる数が50として、時間帯指定の荷物が60も70もあった場合は、名無しさんなら可能かもしれませんが私には不可能です。急ぐあまり事故を起こしてしまったら配達どころではありません。ならもう全て回り切ることを断念して、1つ1つ堅実に、安全を第一にやっていくのが最善の方法だと思います。それとも他に何か手段があるなら教えて頂きたいものです。


手段は、いろいろあると思いますよ。宅急便には受取人の電話番号が書かれていると思います。だから、そこに片っ端からかければ良いのです。

人によっては、次の日の同じ時間帯でも良いと言うかもしれません。

午前中が無理の場合、夜に受け取りたいと思っているかもしれません。

午後1時くらいまでなら受け取れるかもしれません。

コンビニ受取にできるなら受け取れるかもしれません。

お客様に対して恐怖心を感じてしまうと思いますが、私たちは皆そうであると思います。ただ、進んでいかなければ、進歩も向上もありません。

それを怠っているのは、受け身であり、他者依存だと思います。


次に、今の時期に、宅配が混雑するならば、組織として対応を考えるべきです。
天災、渋滞などで遅れる場合には、対策を立てるのは難しいと思いますが、今回はそうではないです。分かっていながら、対策を立てなければ、お客様は離れていってしまいます。

また、決められた通りに届けられなく、かつ、自分で良い方法を見つけられなければ、それは組織的な問題なので、どのように対応すべきかを相談すべきです。

これも、恐怖心がつきまといます。「上司に怒られたらどうしよう」などです。
しかし、怖がっていたら進歩も向上もありません。


そうやって、いろいろ異なる視点をもって、その中で、自分には無理なく何ができるのかを考えていくことが他者依存から抜け出す方法だと思います。


「倫理面を配慮してのコメント」とありますが、仏教は自利利他の教えなので、私も良く、お客様も良いという方法を考えていくことは、仏教に通ずると思います。

No title

名無しさんの言われる理想論は立派です。
しかしながら、そのようにできない現実があるのです。
聖道門で修行してさとりを開いて仏になる、至極真っ当な理論で立派な教えです。
しかしながら、そのようにできない人がほとんどなのです。
だからといって、開き直っても良いという馬鹿なことは言いません。少しでも向上しようと努力することは尊いです。
がしかし、できない人にできないことを責めるのは仏法者として如何なものでしょうか。
企業の立場からいうと、理想論を押しつける顧客をクレーマーと呼びます。

No title

>名無しさんの言われる理想論は立派です。
しかしながら、そのようにできない現実があるのです。
聖道門で修行してさとりを開いて仏になる、至極真っ当な理論で立派な教えです。
しかしながら、そのようにできない人がほとんどなのです。
だからといって、開き直っても良いという馬鹿なことは言いません。少しでも向上しようと努力することは尊いです。
がしかし、できない人にできないことを責めるのは仏法者として如何なものでしょうか。
企業の立場からいうと、理想論を押しつける顧客をクレーマーと呼びます。


人は、言語を使い、コミュニケーションをとることができます。
私たちはそれを使って、人に相談するということは生きていく中では当然必要であると思います。

あなたのコメントを見るとカッコつけてばかりで、ごまかしの人生だと思います。

「荷物が遅れるとお客様に連絡すること」と、聖道門では、全く異なります。
社会人として疑問を感じます。

さらに、手段を教えて欲しいと質問され、それに答えたのにもかかわらず、「クレーマー」と言われるならば、被害妄想が強いのではないかと思わずにおれません。


親鸞聖人は、意業を特に問題されましたが、今回は、口業や身業の問題です。
真宗の教えは他力ですが、生きていく中で努力向上していかなくても良いということはありません。

もし、努力向上していきたくないならば、それでも良いのですが、それこそ思い通りにならない生きれば生きるだけ愚痴いっぱいの人生になるでしょう。


親鸞聖人が聞かれたら泣かれるでしょう。

また、努力向上していかなければ、教えを伝えていくことも難しいでしょう。

あなたは、退会されているのですから、本会の方針を非難しているのだと思います。

しかし、どんな方針であっても完璧な方針などありません。メリットもあればデメリットもあります。

その中で、今回のようにカッコつけて非難して退会していったのかと思います。


また、あなたは救われているそうですが、私から見ると疑問です。

私の知人にも、山も山などのブログを見て、救われたと言っていた人がいます。

しかし、話をよくよく聞いてみると、「合点安心」だと思います。

「合点安心」とは、阿弥陀仏の救い(の教え)を頭で理解したときに、救われたと勘違いすることを指します。

その人は、救われてもハッキリしない(救われた時の自覚がない、いつとはなしに救われる)、救われても大きな喜びが起きないと言いますが、なぜだと思いますか?

その人が、ハッキリする救いにあっていない、大きな喜びがある救いにあっていないからです。

それは、当たり前のことで、逆に、ハッキルする救いにあった人は、ハッキリすると言い、大きな喜びがある救いにあった人は、大きな喜びがあると言います。

私は、何度もその人に反論していくうちに、救われたとは言わなくなりました。

それは、本当に良かったと思います。

頭の中で理解したことで救われたという人は、ハッキリしない、大きな喜びがないというのは、当然だと思います。

今一つ、思い返して頂ければと思います。

No title

ハッキルする救いにあった人は、ハッキリすると言い、大きな喜びがある救いにあった人は、大きな喜びがあると言います。

私は、それが異安心であると教えてあげるために、何度もその人に反論していくと救われたとは言わなくなりました。

それは、本当に良かったと思います。

土蔵秘事、神の啓示などと同類の体験至上主義が親鸞会なのです。

このことについて山も山さんと親鸞会を代表する切れ者W部さんと法論になりましたが、W部さんは沈黙逃亡したままです。

あなたの言う理想論は、空想論でしかないのです。親鸞聖人は現実に立脚されて教えられたのですが、親鸞聖人の教えが高森会長の言っていることと同じと錯覚するから、あなたのような勘違いコメントになるのでしょう。

だいたい、あなたは淳心房さんの教義の主張について反論はできないから、世間事について難癖をつけているだけです。
みっともないです。

高森会長の言っているのが正しいというなら、このエントリーのどこがどのように、親鸞聖人の仰せと相違しているのか、根拠と共にコメントすればいいのにしないのは、あなたが空想を自覚しているからでしょう。

法論ならいつでも受けますので、あなた程度の下っ端ではなく、高森会長でもW部さんでもK玉さんでもここに連れて来なさい。完膚なきまでに叩きのめしてあげますから。でも誰も来ないでしょう、今まで何百回も法論して親鸞会が全部叩きのめされてきたのですから。

せいぜい空想論でクレーマーをしててくださいな。それが親鸞会のレベルだって事ですわ。

No title

W部さんが醜態を晒した証拠は以下

https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2014/07/29/162012

これの続きをするから、W部さん本人でも、他の教学自慢の講師でもいいから呼んできて。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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