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「自利利他」の意味するところも全く理解していない理想論者

何回か理想論者の方とやり取りをしている内に、何となくどのような性格の人物なのかということが分かってきました。おそらく、宅配という現場では能書きばかりで仕事ができず、すぐにバックレるか辞めるタイプです。

根拠は、片っ端から電話をかけるという方法に対して、どうしても今日の午前中だとごねる人に何分、何十分とつかまるケースもあって有効的な手段とは言えないという内容を書いた際の彼の回答です。

> 私なら、30分で終わらせます。方法は、ながくなりそうでしたら、他の配達があるので、ということで強引に切ります。そして、その人にはその後配達があってもかけません。どうしてもクレーマーはいるのでそんなひとに電話をかけても仕方がありません。

こんなお返事を頂きました。現場知らずの能書きたれは、さすが言うことが違いますね。

電話応対の経験がある方はお分かりかと思いますが、電話での会話というのは相手の姿や表情が見えない分、直接話すよりもっと気を使わなければなりません。相手から一方的に電話を切られるならまだしも、相手が怒っている状態でこちらから強引に切ったらどうなるでしょうか? 当然火に油で、大変まずい顧客応対です。これなら、電話せずに少し遅れて「すみませんでした」と謝って配達した方がまだ心象がマシというものです。

皆さんが電話をかけられた客の立場であればどう思いますか? 今後の予定に支障をきたすから、どうしても今日の午前中じゃないと困ると訴えている時に途中で強引に切られたら? 不快でしょう? 怒るでしょう? 何だその対応は、それでも客商売のつもりかとなるでしょう? 私だったらそうなります。

場合によっては本社や、出荷人にクレームが入ることになり、一人では処理し切れないほどのヘビークレームに発展してしまいます。そうなれば、責任者を出せ、所長を出せということにもなりかねず、損害賠償請求までされてしまうかも知れません。たかが電話応対ですが、注意を払わないといけないんですよ。

自分ばかりか、お客さん、上司、出荷人と様々な人を巻き込み、不快な思いをさせてしまう。多大な時間と労力を使ってしまう。信用を失ってしまう。これは可能性の話ではなく、現実にある話なんです。実に机上の空論、能書きばかりで正論を振りかざすが、現場では役に立たない人だろうなということがよく分かります。どうも普段は人を叱り飛ばす側で、相手の気持ちを汲み取ろうとしないタイプの人間なのかなと伺えます。


さて、それで、私が言いたいのはここからです。かの人物は「自利利他」という仏教用語を使っています。

> 仏教は自利利他の教えなので、私も良く、お客様も良いという方法を考えていくことは、仏教に通ずると思います。

あんな解決案を書いておいて、本当に「自利利他」が実践できるのかと思ってしまいます。そもそも、この人物は「自利利他」という言葉の意味が本当に理解できているのかと疑問です。

試しに「自利利他」という言葉を調べてみますと、

自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。この二つを共に完全に行うことを大乗の理想とする。自益益他。自行化他。自他。デジタル大辞泉

と出ています。つまり、自分が仏と成って一切衆生を救おうと菩提心を発して修行し、自身のさとりの完成と、衆生の救済とを両方とも完全にやるということです。菩提心とは、具体的には四弘誓願として表されているような内容のことです。すなわち、

  一には衆生無辺誓願度。(衆生は無辺なれども、度せんと誓願す)
  二には煩悩無辺誓願断。(煩悩は無辺(尽)なれども、断ぜんと誓願す)
  三には法門無尽誓願知。(法門は無尽(量)なれども、知らんと誓願す)
  四には無上菩提誓願証。(無上なる菩提を証せんと誓願す)


といい、このような誓願をおこすことを「発菩提心(菩提心を発す)」と言います。救うべき衆生は数限りなくいるが、ことごとく救い尽くそう。煩悩は際限なくわき起こってくるが、残らず断ち切っていこう。学ぶべき真理に尽きることはないが、ことごとく知り尽くしていこう。さとりの智慧は無上であるが、完全にさとり極めていこう。これが、「自利利他」を目指す上で菩薩が共通して発さなければならない誓願であります。

それは一切衆生の苦悩を自分の痛みとして共感し、これに寄り添い、何としても救済してみせると誓うと共に、自分の中の煩悩を完全に断ち切り、最高のさとりである仏陀のさとりを目指して如何なる苦難にも耐え、如何なる努力も惜しまずに突き進んでゆくことを意味しています。

ここで考えて頂きたいのが、かの人物は仏教で言うところの自利と利他の完成を願う菩提心を発しているのかという点です。彼のコメントを読む限り、彼は菩提心どころか相手の立場に立っていません。特にクレーマーと呼ばれる扱いが面倒な人の立場には全く立っていません。クレーマーも一切衆生の一人ですから、当然その思いを汲み取り、相手の立場に立った行動を取らねばならないはずです。その姿勢が全く見られないのです。

ところで、かの人物は「クレーマー」さんのコメントに対して

> あなたは、退会されているのですから、本会の方針を非難しているのだと思います。

と答え、その後「山も山」さんのブログのことに言及している点からして、親鸞会の関係者に間違いありません。親鸞会は18願の世界に転入するために19願を実践せよと教える会ですから、当然彼は菩提心を発して、六波羅蜜(六度万行)で言われるような様々な善根功徳を積まなければならないはずです。つまり、「自利利他」の菩薩道を歩まねばならない人物のはずなのです。

そんな彼があまりにも身勝手な解決案を提案していること自体、「自利利他」について全く無知な証拠です。それどころか、世間的な常識すら身に付いているか怪しいレベルです。自分の幸せと相手の幸せ、という程度にしか考えておらず、しかも結局の所は相手の幸せは考えていないのでしょう。そんな人物がよくもまぁあれだけ大上段から物を言えるものだと呆れてしまいます。

全ては高森顕徹会長が私利私欲のために19願を利用し、組織拡大せんとする「我利我利」根性からそうなってしまっているのだと考えられます。上が上なら、下も下です。結局彼は「自利利他」とは真反対な思考に陥ってしまっているのでしょう。しかも本人はそのことに気づいていないと見えます。


そもそも、「自利利他」とは浄土真宗の場合は仏の側に使うべき用語であって、我々の側に使うべきではありません。私の中には仏に成ろうという自利の心(願作仏心)も、衆生を救済しようという利他の心(度衆生心)も、本当の意味で発すことができないからです。それを私達は、阿弥陀仏から賜るのです。これが真実信心です。

しかれば願成就(第十八願成就文)の「一念」はすなはちこれ専心なり。専心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ深信なり。深信はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすなはちこれ決定心なり。決定心はすなはちこれ無上上心なり。無上上心はすなはちこれ真心なり。真心はすなはちこれ相続心なり。相続心はすなはちこれ淳心なり。淳心はすなはちこれ憶念なり。憶念はすなはちこれ真実の一心なり。真実の一心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなはちこれ大菩提心なり。この心すなはちこれ大慈悲心なり。「信文類」一念転釈

だから、真実信心の人はその信心のはたらきによって、自然に仏に成りたいという心も、人々が幸せになってほしいと思う心も起きてくるわけです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏申すところに、南無阿弥陀仏のはたらきによってそのように思わされる。これまた不思議なことです。相変わらず煩悩まみれで、自己中心的な想念に支配されている私の心に、こんな心が起こってくるのは起こしたんじゃない、起こされたんだ。起こしたのは南無阿弥陀仏のはたらき、真実信心のはたらきです。

これは、私達の心が立派になるということではなくて、影響を受けてそのように思わされるということです。これが「信楽」を獲るということです。それと私達の心が「信楽」になることとは違います。この違いが理解できない高森会長と愉快な仲間達は、その後更なる勘違いを重ねていきますが、今は省略します。

なのでよく真宗でも「自利利他」の実践だなんて言っている人があるようですが、我々には「自利利他」の実践なんて尊い行はできないんです。じゃあ信後の私達の活動は何かと言ったらそれは「御恩報謝」というのです。以前に阿部信幾先生よりこういうことをお聞きして、なるほどと思ったのでここに記しておきます。


結局「仏教は自利利他の教え」なんて言っておきながら、相手の立場に立った物の考え方もできない理想論者であるということがハッキリしました。それで、議論の続きをやろうと「クレーマー」さんが言ったらダンマリです。逃亡してしまったのでしょうか? 教えでは反論できないから教え以外の点で批判していたつもりでしょうが、「我利我利」根性がにじみ出てしまってそれもかなわず、残念でしたね。今度は、教義の面で正面切って非難してきて下さい。何なら元会員を偽装した人物の答えなかった質問に答えてもらえたらと思いますよ。

↓↓↓

では、正しい高森会長の話を教えてもらえますか? できたら今回の話の中で、挙げた6か条についてはどう教えているのか示して下さい。お待ちしています。

1.聞く人に何を教えてきたか

親鸞聖人 往生極楽のみち、往生のみち

――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福

2.それには具体的にはどうすればいいか

親鸞聖人 念仏

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 ワシの話を聞け、助業もせよ、雑行もせよ、ワシの指示に無条件で従え

3.「教」=「よき人の仰せ」とは

親鸞聖人 ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし

―――――――――――――――――――――――――
高森会長 念仏称えれば極楽浄土に往けると間違っている

4.「行」=「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行

――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 びっくり仰天
       ”ただ”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”ただ”


5.「信」=「信ずる」とは

親鸞聖人 「念仏称えれば極楽浄土に往ける」と深く信じたこと

―――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 地獄一定と極楽一定が同時に知らされる、ハッキリする

6.「証」=「弥陀にたすけられまゐらす」とは

親鸞聖人 浄土往生(この世では正定聚)

――――――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福(になると後生は浄土往生)
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メールありがとうございました

またメールにしようかと思ったのですが、関係することなのでこちらに書かせていただきますね。

>じゃあ信後の私達の活動は何かと言ったらそれは「御恩報謝」というのです。

そのとおりと思います。ですから私は大変なお仕事を悩み苦しみながらも淳心房さんが懸命に勤められていらっしゃる姿を読んでそれこそ御恩報謝の姿と思いました。自分が生きていくための仕事でもありますが、それは間違いなく誰かの役にたっているのです。ご謙遜なさってかそのように思っていらっしゃらないようでしたが、もし愚痴も怒りもない清らかな心でやるものだけが御恩報謝というのなら、私は一つも御恩報謝ができません。
むしろ苦しみ悩みに苛まれながらも努力することこそ御恩報謝と日々頑張っています。だからといって頑張れない人を責めたりもしません。死ぬことまで思い詰めていた人が、信によって、お念仏の毎日を送ることができるようになったのなら、生きているだけで御恩報謝、そこになもあみだぶつがあるのだから、こんなにお互い有り難いことはありません。(・・まとまらなくなりました、失礼します^^皆性格も色々、個性大事に頑張ってください!^人^)

Re: h様

> むしろ苦しみ悩みに苛まれながらも努力することこそ御恩報謝と日々頑張っています。

hさんはそのように味わっておられましたか。これは目から鱗が落ちる視点を与えて下さりありがとうございます。仕事も御恩報謝とは言うものの、中々相手のことを思い、相手の立場に立って行動することは難しく、逆に裏切られることが多いので瞋憎の心常に法財を焼くと言いますか、そんな私の仕事はとても御恩報謝と呼べる代物ではないと考えておりました。それも御恩報謝と仰って下さると言うなら、これほどうれしいことはありません。ありがとうございます。

お救い

食べなければ生きていけない。食べるためには働いて稼がないとならない…仕事と遊びで時間をすり潰している私に、仏法を教えてくれたのは親鸞会ではなく、親鸞会はキッカケではありましたけど、親鸞会には結果、時間と金をすり潰されてしまいました。教えてくれたのは、真偽検証さんや飛雲さんや山も山さんたちのブログでしたよ〜。有難う御座います! 
 真面目な親鸞会の会員には、とてもとても信じられない。私も言われました。「ブログ読んだだけ、ちょっと聞いただけ、念仏称えただけで救われるなんて、あるわけ無い!間違ってる!だってお前は、性格変わってないじゃん愚痴多いし、悪口言ってるし、生活態度変わってないし、別に報謝活動してないし!」世の中私より立派な人は沢山います。多分親鸞会の、かの人の方が人間的には私より立派だと思います。しかし駄目な私でも立派になったら救うのでなく、そのまままるっと救ってくださるのは阿弥陀様だけでそれがお念仏なんです。淳心房さんの、生の偽らざる書き込みがお念仏のご恩報謝の生活だと思いました。まるっとそのまま書いて下さり有難う御座いました。なんまんだぶ なんまんだぶ。

Re: チュウビ様

私が阿弥陀仏の救いに向かってゆくのではなく、既に差し伸べられている阿弥陀仏の救いに気付かせて頂くのが信心ですからね。万行円備の嘉号は口に称え耳に聞こえるなんまんだぶとなってこの私に届いているのですから、そのはたらきにまかせてただ念仏すれば本願のお力によって必ず浄土に往生できるわけです。

> 「ブログ読んだだけ、ちょっと聞いただけ、念仏称えただけで救われるなんて、あるわけ無い!間違ってる!だってお前は、性格変わってないじゃん愚痴多いし、悪口言ってるし、生活態度変わってないし、別に報謝活動してないし!」

自力の信心そのものですね。三業で信心を判断している時点で浄土真宗の信心を何も分かっていないことが伺えます。耳四郎なんかもこのように言われたんじゃないでしょうか。肉食妻帯された親鸞聖人も破戒堕落の僧として恥辱を受けましたが、やはりそうだったであろうと思われます。改めるべき点は少しずつ改めてゆく必要がありますのでお互いそこは努力してゆきたいものですが、因果の道理を信じてその延長線上に救いを見出している会員には本願の救い、如来の仰せを受け容れられないでしょう。哀れ哀れです。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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