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自分が現役会員だとも名乗れず、退会者の間違いを具体的に指摘もできない偽装元会員

そう言えば今年は、予定通り10月から消費税が8%から10%に引き上げられそうです。軽減税率の導入に関して色々と混乱しているようですが、物流業界も相当混乱しそうです。というのも、2014年4月に消費税が5%から8%に引き上げられる直前にものすごい駆け込み需要がありまして、当営業所ではあまりの物量の多さに荷物を捌き切れなかったということがあったからです。あの時は、一時的に年末以上に物量が膨れ上がり、営業所敷地の空きスペースに荷物が山と積まれていました。思い出したくねぇな・・・

あの再来が容易に予想できますので、今から申し上げておきます。特に9月以降しばらくは、私の20倍界王拳をもってしても指定の荷物を捌き切ることは不可能です。大事なことなので重ねて申し上げておきます。不可能です。俺は神じゃないんで、持ち時間で捌く荷物の量には限度があります。

朝、出勤して車に荷物を積み込み、配達へ向かう。やり直しの効かない制限時間一本勝負。どこをどのように回ってどの荷物を触っていくか。常に試行錯誤を繰り返し、指定時間帯を注意しつつ少しでも効率的な配達を考えて私はやっています。普段回っているエリア限定ですが、配達の早さに関しては正直誰にも負けない位の自信を持っています。私がやってダメなら誰がやってもダメだと同僚や主任は言ってくれます。土曜日や繁忙期に私の代走が務まるのは、俺に仕事を教えてくれた師匠位のものです。他の人では、全ての荷物を触ることができません。代走の方からはよく休み明けに、この前は13時半まで午前中の荷物配ってたよといった話を聞きます。また以前に師匠が私のペースの早さについて、「自分では人をひき殺しながらやんないとできない」と言ってきた位です(笑)

その俺でも限界というものがあるので、今から言っときます。ごめんなさい、できません。読者の皆さんは、これから特に駆け込み需要期は指定が守られない確率がハネ上がるのでご注意下さい。


さて、この記事に偽装元会員が負け犬の遠吠えコメントを連発しています。自分が親鸞会会員であることや、高森顕徹会長に師事し、その教えを学び求道していることを堂々と告白し、教義に関して

「淳心房や退会者の主張はここが間違い」

と真っ向勝負を挑んでくればよいものを、よほど自信が無いのでしょう。私もそうでしたが、会員の多くは自分が親鸞会に在籍して宗教活動をしているということに後ろめたさを感じています。その証拠に、自分がこのような教えを信奉していると堂々と告白できないのです。私は親鸞会に入って、このような教えを受けて、このように人生変わりました、素晴らしい教えです、一度聞いてみませんかと、こう言えればいいんですが、なぜかそれができないのです。これが、「唯一絶対にして真実の宗教」を信じている人達の有様です。

今は、全くさらの人を相手にしているのではないし、面と向かっての会話でもありません。自分の名前も顔も明かさず、自由に書き込みができる状況です。しかも相手は退会者、つまり元会員ですから遠慮は要りません。あんたらはこう聞き間違っている、現役の俺がそれを正してやる位のつもりで堂々とすればよいものを、ネット上でさえ自分が現役会員であるとも名乗れません。どれだけ自信が無いのでしょうか。


『ビーヤング』をしきりと勧めていますが、親鸞会で発行している『ビーヤング』に書かれていることは、おおよそ因果の道理や七仏通戒偈、廃悪修善の内容を我々凡夫の日常生活に合うように変えたものです。言うなれば仏教の倫理道徳版です。

その仏教の倫理道徳版をもって「光に向かって進ませて頂きましょう」などと訴え、廃悪修善を実践することで光に向かって進み、その先に阿弥陀仏の救いがあるように会員を誘導しているのが例の漫画です。

これは間違いです。浄土真宗にはそのような教えはありません。

『飛雲』高森顕徹会長の薄っぺらい話で喜んでいる「おおよそ浅き会員は多く疑惑を生ぜん」

にもありますが、浄土真宗は因果の道理を信じて阿弥陀仏の救いに向かってゆくという教えではありません。その逆です。阿弥陀仏の救いに向かってにじり寄ることもできない者に、如来の方からの回向を教えているのが浄土真宗です。偽装元会員は、「教文類」の冒頭すら読んだことがないようです。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。

そこから真実の教、行、信、証、真仏、真土を顕かにされるわけですが、中にはこの真実の教えを受け容れられず、真実報土に往生せずに方便化土にとどまる衆生があります。その方便化土にとどまる業因はこれですよと顕かにされたのが「化身土文類」です。要は真実報土へ往生できない失敗談です。

それをも、全ての衆生を見捨てることなく誘引し導かんとする如来の大悲であるとし、具体的には19願、20願であるということです。決して、真実18願の救いに遇うために、方便19願、20願をやれというのではありません。特に、今まで飛雲さんが数々の法論をして明らかにしてこられたように、19願の勧めはありません。

それに対して『ビーヤング』に書かれていることは、19願の勧めです。それでは真実報土へは往生できないと教えられたのが親鸞聖人です。

経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。「化身土文類」雑行釈

【現代語訳】
釈尊の経説にもとづき、祖師方の解釈を見てみると、雑行の中には、雑行雑心、雑行専心、専行雑心があり、また正行の中には、専修専心、専修雑心、雑修雑心がある。これらはみな自力の行であって、辺地・疑城胎宮・懈慢界といわれる方便の浄土に生れる因なのである。だから、浄土に生れても仏を見たてまつることができず、教えを聞くことができず、菩薩や声聞たちを見ることもできない。阿弥陀仏の光明は自力の行をまじえるものを照らしおさめることはないのである。第十九願を方便の願とするのは、まことに意味深いことである。釈尊が『観無量寿経』に定善・散善を説かれ、善導大師がこれは浄土を慕い願わせるための方便の教えであると解釈されたおこころが、いよいよ明らかに知られるのである。

19願の諸善、つまり雑行を修める者を、阿弥陀仏の光明は照らしおさめることはない。19願とは、浄土を慕い願わせるための方便の教えであるというのが結論です。浄土を慕い願わせるとは、具体的には聖道門の人々に浄土を願わせるということです。既に18願が真実だと教えられ、浄土を願っている私達には、今から通らなければならない願ではありません。

まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。業行をなすといへども心に軽慢を生ず。つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行・善知識に親近せざるがゆゑに、楽みて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するがゆゑに」(礼讃)といへり。
悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。
「化身土文類」真門決釈

【現代語訳】
いま、まことに知ることができた。もっぱら念仏しても、自力の心で励むものは大きな喜びの心を得ることができない。だから善導大師は『往生礼讃』に、「自力のものは仏の恩に報いる思いがなく、行を修めてもおごり高ぶる心がおきる。それは、いつも名誉や利益を求めているからであり、<わたしが>というとらわれの心におおわれて、同じ念仏の行者や善知識に親しみ近づくことがないからであり、好んでさまざまな悪に近づき、自分および他人が本願の名号をいただいて浄土に往生する道をさまたげるからである」といわれている。
悲しいことに、煩悩にまみれた愚かな凡夫は、はかり知れない昔から、迷いの世界を離れることがない。果てしなく迷いの世界を生れ変り死に変りし続けていることを考えると、限りなく長い時を経ても、本願力に身をまかせ、信心の大海にはいることはできないのである。まことに悲しむべきことであり、深く嘆くべきことである。大乗や小乗の聖者たちも、またすべての善人も、本願の名号を自分の功徳として称えるから、他力の信心を得ることができず、仏の智慧のはたらきを知ることがない。すなわち阿弥陀仏が浄土に往生する因を設けられたことを知ることができないので、真実報土に往生することがないのである。


専ら念仏していても、因果の道理を信じ、念仏を自分の功徳として称えて助かろうという人は真実報土に往生することがないというのが20願の結論です。ということは、逆に、因果の道理を考えず、念仏を自分の功徳とは思わずに、如来の計らい、如来のはたらきにまかせてただ念仏すれば真実報土に往生するということです。

ここでまず大事なのが「専修にして」です。念仏一行を往生の行だとして専ら修めるのは自力の行者も他力の行者も一緒なんです。行は一緒です。違うのは信心です。信心が「専心」か「雑心」かです。この違いが、行者を報土と化土に分けるのです。

ここからして親鸞会では既にダメなんですよ。「専修にして」どころか、「助正間雑し、定散心雑するがゆゑに」ですから助からないのなんて当たり前すぎるほど当たり前なんです。加えて諸善という雑行に執心してこれを修め、しかしてその実態は献金、勧誘、無条件服従という善もどきの善じゃないですか。これで「大慶喜心を獲」られるとでも思っているのですから、お笑い以外の何物でもありません。

『ビーヤング』なる漫画雑誌を勧めることは、専修念仏の否定であり、雑行の肯定ですから、そんなものを勧める偽装元会員が真宗教義に真っ向から反していることは言うまでもありません。倫理道徳的な善を勧めていることは否定しませんが、それをもって往生を願うようでは、真実報土へは往生できません。真実報土へ往生したいなら、『ビーヤング』を捨てることです。


それにしても、『ビーヤング』を勧めながら

> 元カルト=現諸寺の釈門
>
> 淳心房=邪心房
>
> 犬鉄=廃師ハチ公


と書く偽装元会員は、ちゃんと中身を読めているんでしょうか? これは明らかに十悪の一つ「悪口」です。彼には、まず自身がきちんと『ビーヤング』を読んで、中身をよく理解して実践するようになってから出直してくることを勧めます。そして、きちんとこちらの問いに答えて下さい。

↓↓↓

では、正しい高森会長の話を教えてもらえますか? できたら今回の話の中で、挙げた6か条についてはどう教えているのか示して下さい。お待ちしています。

1.聞く人に何を教えてきたか

親鸞聖人 往生極楽のみち、往生のみち

――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福

2.それには具体的にはどうすればいいか

親鸞聖人 念仏

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 ワシの話を聞け、助業もせよ、雑行もせよ、ワシの指示に無条件で従え

3.「教」=「よき人の仰せ」とは

親鸞聖人 ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし

―――――――――――――――――――――――――
高森会長 念仏称えれば極楽浄土に往けると間違っている

4.「行」=「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行

――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 びっくり仰天
       ”ただ”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”ただ”


5.「信」=「信ずる」とは

親鸞聖人 「念仏称えれば極楽浄土に往ける」と深く信じたこと

―――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 地獄一定と極楽一定が同時に知らされる、ハッキリする

6.「証」=「弥陀にたすけられまゐらす」とは

親鸞聖人 浄土往生(この世では正定聚)

――――――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福(になると後生は浄土往生)
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非公開コメント

No title

仰る通り、私も会員時代には会の名前や会長の名前を堂々と言えませんでした。それでモヤモヤしていました。
現役会員の多くは活動に後ろめたさを感じていると思います。
年賀状に「明けましておめでとう」と書くのもタブーになっていて、言論統制もとても面倒くさかったです。
今は自分の思うところを正直に言えるし、素直におめでとうも言えます。
実にありがたいことです。

Re: maelstrom様

そうでしたか。何だったんでしょうね、あの後ろめたさは・・・(;^ω^)
たまに実家にはキリスト教の信者の方が子供を沢山引き連れて布教に来られていましたが、特に臆する様子でもなく、堂々とされていました。確かに職場の人や家族友人親戚なんかに話すことは誤解されないかなぁなんて色々思ったりしますが、今はネット上ですからそういう恐れは無いはずです。

今はお互い本願念仏の救いに気付かせて頂けて幸せですし、言語統制も活動統制も無く自由に法を聞けるしお念仏申せるし有難いですね~。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

淳心房様へ

理想論者のヒトとか、偽装元会員のヒトとかのコメント群によって、
この私も混乱させられまして、もう少しで疑心暗鬼に陥るトコロでしたが…
いつでもお見捨てにならない南無阿弥陀仏を既にいただいていることで、
そのまま突っ走らずに済みました。
おそらく、日蓮大聖人や善鸞大徳によって混乱させられて
親鸞聖人の元へ命がけの旅をした関東の同行達も、
私と同じ心境だったのでしょう。

それで、思い出しましたのが…

山も山さんのもうひとつのブログ《親鸞会を脱会した人(したい人)へ》
の最新記事《「善知識(高森顕徹会長)を疑うな」「命がけで聞け」の
親鸞会館初聞法会(2019年01月03日親鸞会館行事より)》を読んでて、
高森さんの間違った《歎異抄第二章》解釈に愕然としました。

>4.「行」=「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行
――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 びっくり仰天
     ”ただ”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”ただ”

…高森さんのアレな解釈に、私の方が《びっくり仰天》です!

No title

> 今はお互い本願念仏の救いに気付かせて頂けて幸せですし、言語統制も活動統制も無く自由に法を聞けるしお念仏申せるし有難いですね~。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

林遊さんはこのブログで言語統制されましたが?

Re: 名無し様

何でここで林遊さんを持ち出すんですか? それに私は言語統制した覚えはありませんが。

Re: まあち様

名無しさんはどのような意図でコメントしてきたのか、最初の方は分かりかねていましたが、コメントで会話を重ねるにつれてそれも段々分かってきましなね。

それにしても、歎異抄第二章で善鸞事件が関与しているのは間違いなさそうなんですが、日蓮上人の「念仏無間」の発言が関与しているかはよく分かりません。お手紙でも、善鸞義絶に関しては度々出てきますが、日蓮上人云々とは出てきません。現在のところですが、親鸞会でしか言われないのかなとも思われます。

【参照】
http://www.hotokuji.com/tannisho-2.html

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

> 何でここで林遊さんを持ち出すんですか? それに私は言語統制した覚えはありませんが。

言語統制も無く、というからですよ
林遊さんのコメントが親鸞会に利用からという理由で言語統制されました。
管理人が当ブログのコメント欄は言語統制しませんといえばあのようなことにはならなかったと思っています。
親鸞会に利用される言語は統制する、に同意する気持ちはなかったのですか?

なければ林遊さんに一言詫びて欲しいと尾をひいています。

No title

>親鸞会に利用される言語は統制する、に同意する気持ちはなかったのですか?

何をもって言論統制とするのかという定義が人それぞれでしょう。
親鸞聖人のことを親鸞と書いたら林遊さんは非難してきました。聖人をつけよという圧力です。
それを言論統制というのかどうか。
同様に白道の解釈について意見が対立し、林遊さんの解釈を非難した。理由はともあれ圧力を加えた。

意見の対立はどこでもあることで、一方が他方を責めたら言論統制になるのなら、コメントはできないです。

言論統制の定義が名無しさんと他の人とは違う、それだけです。

No title

林遊さんについてもう少し補足するなら、林遊さんは、親鸞会を見下し、親鸞会に所属していたことを一生消えない罪として退会者を蔑み、一般の僧侶を不勉強と罵り続けて来た人物です。本願寺のコミュニティからも疎外されています。
それを言論統制というのかどうか。

この件で争うつもりはありませんので、御自由に思われたらよろしいかと思います。

No title

分かりました。
意見はそれぞれで争うつもりはないです。

分かりましたが、あなたは淳心房さんですか?
淳心房さんも同じようなご意見なのでしょうか?

それだけ聞かせてください。

私は林遊さんの学識を尊敬していましたので。

淳心房様、まあち様

>それにしても、歎異抄第二章で善鸞事件が関与しているのは間違いなさそうなんですが、日蓮上人の「念仏無間」の発言が関与しているかはよく分かりません。

築地本願寺でのご法話で関東の同行が親鸞聖人の元に行ったのは「善鸞事件」と「念仏無間」の問題の解決のためとお聞きしました。善鸞と日蓮の言動で関東の同行が動揺したためということです。

「いずれの行もおよびがたき身なればとても地獄は一定すみかぞかし」
なぜ親鸞聖人はここで六道、五悪趣、三悪道でなく「地獄」という言葉を出されたのか?何も親鸞会に「必堕無間」の根拠を与えるためでなく、「念仏無間(地獄)」という日蓮の言葉を受けての「地獄」であったと思うとこのお言葉の理解ができました。ちょっとした「売り言葉」に「買い言葉」のようなやり取りだった思います。

「”ただ”もいらぬ”ただ”じゃった」について調べたことを書きたかったのですが、場が荒れているので今度にします。

Abcです

こんばんわ、Abcです。

>親鸞聖人のことを親鸞と書いたら林遊さんは非難してきました。聖人をつけよという圧力です。
それを言論統制というのかどうか。
>同様に白道の解釈について意見が対立し、林遊さんの解釈を非難した。理由はともあれ圧力を加えた。

わたしは、日ごろから「親鸞」と呼んでおり、このことにつきましても林遊さんからご指摘がありましたが、わたしは依然として「親鸞」と呼び習わしております。

そもそも私は、「祖師」と呼ぶことには不服の立場であります。なぜならば、「親鸞はひとりの弟子ももたず」といわれているのに何をもっての「師」と呼び習わすのでしょうか。

ですから私は、「親鸞」 「善信上人」 「御同行」等など呼び習わしております。

Abc

コメント返信

名無し様
何をもって様

「何をもって」さんと私は別人です。名無しさんは変なとこを疑いますね。自業自得でしょうか?

なお、退会者と林遊さんが諍うのは悲しいことだとして仲裁に入りはしましたが、力及ばすでした。両者の気持ち、言い分も分からなくは無いし、あのように言い諍いに発展してしまったのも止むを得ないかと思います。だからといって、どうして私が謝らねばならないのかよく分かりません。私は当ブログの管理人ですが言い諍いの判者でもなければ責任者でもありません。謝罪を要求するなら、一連のコメントで林遊さんを非難した方々に言うべきでしょう。

それに、あれは言語統制がなかったゆえの議論ですよ。私が言語統制していたらあそこまでならなかったでしょう。なお、私もこんなことで諍うつもりはありませんので、これに関してはもう言及するつもりはありません。


園児様

ご意見をありがとうございます。日蓮上人が在世が1222~1282ですから、親鸞聖人の在世とかぶり、関東の同行に影響を与えたことは容易に想像できますが、不思議とそのことに触れられているお手紙がないので疑問だったのです。よく分からない信見房とか善証房とかは出てくるのに、どうして日蓮上人は出てこないのか。お手紙はあったが消失してしまったのか。

ともあれ、真宗の僧侶でもそのように説くということは判りました。参考になりました。


Abc様

Abcさんはそのように以前から仰っていましたね。私は聖人とつけようとつけまいと、そこはAbcさんの思いを尊重します。

No title

論争して負けた相手がどこかに行ってしまったら言論統制になるの?

100%元会員なのに・・・

現役会員とか偽装会員とか・・・(笑

通りでお聖教正しく読めない訳だ!

No title

それで?反論なし?

Re: 元会員様

> 通りでお聖教正しく読めない訳だ!

なら正しく読める貴方が退会者の教義の誤りと親鸞会教義の正当性を主張すればよろしいでしょう。早く反論してみなさい。

↓↓↓

では、正しい高森会長の話を教えてもらえますか? できたら今回の話の中で、挙げた6か条についてはどう教えているのか示して下さい。お待ちしています。

1.聞く人に何を教えてきたか

親鸞聖人 往生極楽のみち、往生のみち
――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福

2.それには具体的にはどうすればいいか

親鸞聖人 念仏
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 ワシの話を聞け、助業もせよ、雑行もせよ、ワシの指示に無条件で従え

3.「教」=「よき人の仰せ」とは

親鸞聖人 ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし
―――――――――――――――――――――――――
高森会長 念仏称えれば極楽浄土に往けると間違っている

4.「行」=「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行
――――――――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 びっくり仰天
       ”ただ”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”ただ”

5.「信」=「信ずる」とは

親鸞聖人 「念仏称えれば極楽浄土に往ける」と深く信じたこと
―――――――――――――――――――――――――――――
高森会長 地獄一定と極楽一定が同時に知らされる、ハッキリする

6.「証」=「弥陀にたすけられまゐらす」とは

親鸞聖人 浄土往生(この世では正定聚)
――――――――――――――――――――――
高森会長 絶対の幸福(になると後生は浄土往生)

聴く人に何を教えてきたか

あわれあわれ云々信心決定云々

具体的にどうすればいいか

具体的などという言葉は聴いたことない
だらぶつにて聴き漏らしたかも

何かを積み上げて信心決定出来るというものでないからかと・・・

具体的になにをすればというのは貴方の世界の言葉

No title

それだけ?
何か反論したら?

親鸞聖人
更に親鸞珍しき法をも弘めず・・・

高森氏
あわれあわれ存命のうちに・・・
ほぼ最初に仏教と書かれるか親鸞聖人と書かれるか・・・

無碍の一道と絶対の幸福を切り離し

絶対の幸福をねじ曲げ学会がいうが如く論ずる

アンチども

親鸞会の教えをねじ曲げ大いに宣伝してください♪

No title

>ほぼ最初に仏教と書かれるか親鸞聖人と書かれるか・・・

だから詐欺でしょ。
仏教とか親鸞聖人とか真宗とは無関係です!!!!

と宣言するならいいけど、仏教とも親鸞聖人とも真宗とも関係のないヘンテコ教義を話しているんだからさ。

退会者は皆、同じことを言っているのだから、それに反論せよと言っているのに、
なぜ出来ないの?

キミも高森会長のおかしさに気か付いているんでしょ。

哀れ哀れ

仏教の倫理道徳版だって・・・・

善いこと勧めない輩どもには分かんないよね~仏教の根幹

No title

>善いこと勧めない輩どもには分かんないよね~仏教の根幹

仏教の根幹は対機説法で、善人には善を勧められ、悪人には念仏だけを勧められる。

この程度のことも知らないなんて。だからカルトだってことですわ。

ちなみに
往生のためには善を捨てて念仏一行になりなさい。
日常生活のためには善いことに努めましょう。

これが真宗の根幹

無知な無恥

Re: 元会員様

弥陀の本願は仏教の根幹だとかいう因果の道理に大いに背いているのでした。

弥陀超世の大願、十悪・五逆・ 四重・謗法の機のためなれば、かの願力の強盛なるに、よこさまに超截せられたてまつりて、三途の苦因をながくたちて猛火洞燃の業果をとどめられたてまつること、おほきに因果の道理にそむけり。

改邪鈔(17)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%94%B9%E9%82%AA%E9%88%94

第一、因果の道理を信じて善悪にとらわれて本願を計らっているのを自力というのだよ? 知ってるかい?
仏教の倫理道徳版の漫画で言いたいことは「善をしなければ信仰は進みません」ということ。ところが我々の善悪は報土往生のためにプラスにもマイナスにもならないんだなぁ。いかにも善をすることが信心決定するための絶対条件のように教えている親鸞会だけど、親鸞聖人の教えには獲信・往生のために善をせよなんて教えは無いんです。

しかれば機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。さればこの善悪の機のうへにたもつところの弥陀の仏智をつのりとせんよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべきや。さればこそ、悪もおそろしからずともいひ善もほしからずとはいへ」。

『口伝鈔』(4)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%8F%A3%E4%BC%9D%E9%88%94

因果の道理や七仏通戒偈を根拠に法然聖人や親鸞聖人を攻撃した聖道門と同じような理屈の自称「元会員」。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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