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【お知らせ】高森顕徹会長の講演延期 及び 「建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」を解釈された存覚上人の言葉も知らない現役カルト信者

本日に予定されていた高森顕徹会長の講演がまたまた延期です。今回は親鸞会公式ホームページ

【平成31年2月】親鸞会館 二千畳の行事日程

に載っています。歳が歳ですし、よほど体調が思わしくないのでしょうか? しかし、予定を変更に変更するのも困りものです。何回もの変更は、世間的に見ても恐縮物ですし信用が落ちることです。それならば、代理の人を立てるなり、他に方法がありそうですが、最後まで高森顕徹会長一辺倒の親鸞会のようです。


さて、数々のコメントの中に埋もれて昨日まで気付きませんでしたが現役カルト信者がまたまた愚かなコメントをしていました。それは、この記事にある

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
とわの闇より救われし

けんにんかのとりのれき云々
2019-02-07(07:05) : 元会員

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です。どうも「後序」にあるお言葉

しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。

をもって

救われた一念、信心獲得の瞬間は、必ず、ハッキリするものだ
信一念の瞬間は、必ず、我々の上でハッキリと自覚できるものだ


としたいそうですが、残念でした。これも的外れです。

この御文については存覚上人が『六要鈔』に解説されています。今は

『飛雲』雑行の意味さえ知らない高森顕徹会長

より該当箇所を引用します。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
親鸞会は、雑行の意味についても知りません。
蓮如上人は

雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ

と『御文章』に何度も書き記しておられますが、

蓮如上人が「雑行をすてて」と仰っていることは、他力に帰すと同時なのだ、という勝手な解釈をしています。

蓮如上人の教学を語る上で、存覚上人を抜きにすることはできません。

『御一代記聞書』158に

前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。

(現代語訳)

蓮悟さまが、蓮如上人のおられる南殿へおうかがいし、存覚上人の著わされたお聖教に少し疑問に思うところがあるのを書き出して「どういうことでしょうか」と、上人にお見せしました。
すると上人は、「名人がお書きになったものは、そのままにしておきなさい。
こちらの考えが及ばない深い思し召しのあるところが、名人の名人たるすぐれたところなのである」と仰せになりました。


とあります。
蓮如上人は、存覚上人のことを釈尊の化身、勢至菩薩の化身とも敬っておられ、その著書も最大限の敬意を表して、そのまま受け入れられたのです。

では親鸞聖人が仰った有名な御言葉

建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。

を存覚上人はどのように解釈なされているのか。
『六要鈔』では、

「建仁」等とは、元年辛酉、大祖聖人六十九歳、鈔主聖人二十九歳。始めて門下に入りて即ち宗旨を伝う。

とあります。
雑行を棄てて」=「(法然上人の)門下に入りて」
です。
法然上人の門下に入ったことと、他力に帰したこととは同時ではありません。

蓮如上人にこのことを尋ねてみるとどう答えられるでしょうか。

名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なり

でしょう。

高森顕徹会長以下、講師部員はこんなことさえ知らないのです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

残念ながら、「後序」の文をもって高森顕徹会長の説の証明はなりません。それに「建仁辛酉の暦」と言っても1年間ありますから。尤も、『御伝鈔』には

建仁第一の暦春のころ

とあって少し詳しくなっていますが、それでも「春のころ」ですからね。なお、

たちどころに他力摂生の旨趣を受得しとあるから信の一念はハッキリするんだ

と主張するかも知れませんが、『御伝鈔』は覚如上人の書かれたものであり、あくまでも伝聞であって親鸞聖人ご自身の体験談ではありません。

他人の体験は、自覚できない

『飛雲』親鸞会で切れ者と思われる人物でも、実は大したことないという実例を通しての国語の授業です

にあるように、親鸞会きっての切れ者W氏がそれを証明して下さっています。その御文をもって

救われた一念、信心獲得の瞬間は、必ず、ハッキリするものだ
信一念の瞬間は、必ず、我々の上でハッキリと自覚できるものだ


という根拠には成り得ないのでした。

現役カルト信者の思いつきそうなことは、既に過去に破られているのです。そうとも知らずに、また私によって飛雲さんの記事がサルベージされ、皆さんに読まれます。それによって、親鸞会教義の誤りに気付く人がまた増えるでしょう。実に喜ばしいことです。
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非公開コメント

No title

参詣する方は前もって予定も空けて、交通や宿泊も手配しているのに、直前になって平気でドタキャンするのです。
社会人失格ですね。

雑行、雑修、自力の心を振り捨てて

御文章よくよく読まれ(笑
どうせ正顕できんと思うけどww


蓮如上人の御同行に雑行棄てて無い方々がおられたか


けんにんかのとりのれき
雑行をすてて、とは雑行、雑修、自力の心を振り捨てた事!
即、本願の船にのり、他力の信心を得る。

それ以外無い

しんしゅうしゅうか

の歌詞はシカトかよww

象を見て!これは凄い柱だ!と言ってるおまんら!全体を見よ!

No title

20願は雑行を捨てて念仏一行になったことだよ。三願転入は全人類共通の道じゃ無いってことね

Re:元会員さん

こんにちは、Abcです。

>「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて」 御文章よくよく読まれ(笑
>どうせ正顕できんと思うけどww

雑行、雑修:ぞうぎょう、ざっしゅ
 →19願:深信因果の機にて、行うもの、
  「自力称名」(20願)も「雑修、自力の心」といわれるので、こちらも「捨てさせていただくもの」であります。

ここで蓮如上人『俗姓の御文』を引用します。

『俗姓の御文』
「それ祖師聖人(親鸞)の俗姓をいへば、藤氏として後長岡の丞相[内麿公の]末孫、皇太后宮の大進有範の子なり。また本地をたづぬれば、弥陀如来の化身と号し、あるいは曇鸞大師の再誕ともいへり。しかればすなはち生年九歳の春のころ、慈鎮和尚の門人につらなり、出家得度してその名を範宴少納言の公と号す。(乃至)

そののち二十九歳にして、はじめて源空聖人の禅室にまゐり、上足の弟子となり、真宗一流を汲み、専修専念の義を立て、すみやかに凡夫直入の真心をあらはし、在家止住の愚人ををしへて、報土往生をすすめましましけり。」

この順序に依りますと、
「そののち二十九歳にして、はじめて源空聖人の禅室にまゐり、上足の弟子となる」 → 「専修専念の義を立て、すみやかに凡夫直入の真心をあらはす」

であります。元会員さんは、「上2つは、同時である」といわれるのでしょうが、上述したとおりであります。

>蓮如上人の御同行に雑行棄てて無い方々がおられたか

それは、大変ですね。(棒) そのようにいわれている元会員さんは、「雑行棄てて無い方々」ではありませんよね。「善のすすめ」を勧めようとする方ではないですね?

>けんにんかのとりのれき
>雑行をすてて、とは雑行、雑修、自力の心を振り捨てた事!
>即、本願の船にのり、他力の信心を得る。

>それ以外無い

仰られているように「雑行をすてて」とは「雑行、雑修、自力の心を振り捨てた事」であり、「南無阿弥陀仏」という名号法に乗じた(本願の船にのり)ことでありますが、乗じたとしましても依然として「煩悩」はありますので、親鸞は「有漏の穢身はかわらねど」と読まれております。

>しんしゅうしゅうか の歌詞はシカトかよww

真宗宗歌は、「間違っている本願寺」の際に作られたとされるのでしょうから文献には含まないのではなかったのでしょうか?真宗宗歌を「含んでもよろしい」とした場合、今なおいらっしゃる「本願寺の和上の法話をふくんでもよい」となります。

そのようにしますと、高森さんがいわれている「本願寺の教えは間違っている」という文言にはむかうことになります。

なぜならば、「本願寺の教えは間違っている」としながら「本願寺の和上の法話をふくむ」となりますと「大きな矛盾」が起きるからです。

>象を見て!これは凄い柱だ!と言ってるおまんら!全体を見よ!

象いいじゃないですか。象は普賢菩薩(お釈迦様の弟子の一人 「布施」の象徴とされる)が布教を行う際に乗られていたとされますが、わたしたち「真宗のもの」におきましては、「阿弥陀様一筋」でありますから、このことに関しましては「そういえば普賢菩薩が乗っていたなー」という印象であります。

根本的なことを尋ねますが、元会員さんは「誰の教え」を信じられておりますか?

 1、高森さん の教え: 「因果の道理」を根本とするが、実情は「献金をして欲しい」という戦後仏教にありがちな教え

 2 法然、親鸞 の教え: 「本願一仏乗」を根本とする。法然は「南無阿弥陀仏」という「行い」に重きを置かれ、親鸞は 阿弥陀様におたのみする「信心」に重きを置かれたとされ、このことについて 本願寺派と高田派の中にていまだに議論を行われている。

 3 それ以外: こちらの場合は「箇条書き」の端的なご説明を記されてください。

 よろしくおねがいします。
 Abc

Re: 元会員様

> しんしゅうしゅうか
>
> の歌詞はシカトかよww

⇒俺は「聖教」の根拠を聞いてんだよ。真宗宗歌は「聖教」か? ニホンゴワカリマスカ?


> 真宗宗歌は1923年の歌なので、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人、などの真宗の善知識と言われる方でもなく、七高僧でもない方の作られた歌です。その内容を根拠として出すことがO.K. だと言うことがわかりました。
> 1923年の伝統教団の作った歌を会は認めて歌っていますね。何年からの伝統教団の教えを会は批判しているのでしょうか。何年までの伝統教団の教えは正しいと認めるのでしょうか。答えて下さい。

> しかも、永久の闇より救われたと喜ぶのは初起(初発)の一念に限るという根拠にはなりません。漸機の人も永久の闇より救われたと喜びます。当たり前です。
> 2019-01-29(20:00) :

http://shingikensho.blog12.fc2.com/blog-entry-1236.html

だそうよ。君には日本語のレクチャーからしなきゃならんようだな。うちの娘と小学校で国語の勉強やり直すか? しかし君では4年生の国語の授業についていけるか、ものすごい不安だな・・・

深信がわかってらっしゃらないから19願のところにもって来るがやぜ~

maelstromさん

ご縁の浅い方ですか~

申し訳ございません。
一寸先は闇の身にて、空いた時間を仏法聞き求める為のご縁にしていただけると、み仏も歓びます。

門下にいりて「即ち」・・・

聞即信の一念

三願転入

18・・・十方衆生
19・・・十方衆生
20・・・十方衆生

19,20をおろそかにする者は十方衆生を知らない

君ら救われた生々しい体験ないが?


ま~正しい信心の方は語らないけど!

No title

>門下にいりて「即ち」・・・

即ち宗旨を伝う

法然上人から教えを伝えられた

ニホンゴワカリマスカ?

馬鹿ばっかり

「即ち」抜かすな

即の意味しらんがけ?

捨自帰他しとらんから分からんか~

No title

バカだな

即ち宗旨を伝う

法然門下に入り「即ち」法然上人の教えを伝えられた。

キミさ、火星人並みの日本語能力しかないんだね

親鸞聖人が法然上人に会った瞬間 雑行すたったが?即布教に出られたとな!ww

馬鹿ばっかり!

雑行をすてて・・・が、
どうして
門下に入りて・・・になるが?

法然門下でも自力の念仏者よ~けおったそうだよ!

No title

キミさ、救いようのない日本語の能力だね。

中学校卒業していないお子ちゃまなら、まずは中学校で学んでからおいで。

法然上人に遭われる前に雑行をされていた親鸞聖人が、法然上人に出遭われて雑行を捨てられ「即ち」法然上人から念仏一行の教えを伝えられた。

親鸞聖人が救われられたのは、この後だよ。アニメ見たのか?

布教の話はここには書かれていないんだよ、坊や。

No title

中学校で習う古文

【伝ふ】
伝え受ける。受け継ぐ。教わる。
出典方丈記 
「父方の祖母(おほば)の家をつたへて」
[訳] 父方の祖母の家を受け継いで。


始めて門下に入りて即ち宗旨を伝う
[訳]はじめて法然門下に入ってその時に浄土宗の教えを教わる

キミの頭のわ●いことは、証明されたから、大人のブログにコメントするな坊や。

皆さん!

御文章毎日拝読するように!

お勤めの時、一日一つづつ!

No title

御文章を読む前に、中学を卒業してね、坊や

Abcです

こんばんわ、Abcです。

>皆さん!
>御文章毎日拝読するように!
>お勤めの時、一日一つづつ!

最近の坊やは威勢がいいですね、私ももう歳ですから若い衆についてくのがやっとです(笑)

我らが「念仏高田」である真宗高田派において、本願寺8世蓮如の書物『御文』を手にとること自体が議論を生んでしまいますが、最近の真宗は「宗派の垣根を越えて」でありますので、とやかく言われることは少なくなりました。それでも時たま本山(伊勢専修寺:三重県津市一身田)からは、「控えたほうがいい」といわれたりします。反対に、お東からも、「高田派のものが、なぜ真宗本廟にいるのか。 仏光寺に用があったのか。」と聞かれたこともございます。

 そのときの私の返答は決まってこうです。
「宗派の垣根を越えて伝えるためにはまず、各本山の意向を知らねばならないが、あなたがたがそのように「私の本山」、「私の宗派」とされている限り、真の「宗派の垣根を越え」ることはないのでしょう」と

「真宗」というものがらは、「阿弥陀様がご用意していただいた『南無阿弥陀仏』」であります。「やうもなく」、「ふたごころなく」ともその書物に記されているでしょうになにを騒いでいらっしゃるのでしょうか。

Abc
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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