なぜ返答しないのだろう?

静かな劇場

にコメントをしましたが、返事がありません。


1回目のコメント(4月21日、「以ての外の大事」に)

時折見せて頂いております。更新お疲れ様です。
一つお尋ねしたいことがあります。

管理人さんの仰るように自分は自力の信心か、他力の信心かは大変関心のあることかと思います。
私は阿弥陀仏に救われて、他力より南無阿弥陀仏を賜りました。

では管理人さんは他力の信心を獲得しておられますか?
それとも自力の信心でしょうか?
「わが信心は、ひとの信心は如何あるらんという信心沙汰をすべき」と蓮如上人も教えておられますので、管理人さんの信心をお尋ねします。よろしくお答え下さいませ。


2回目のコメント(4月22日、「人は皆、何かを信じて生きている」に)

昨日のコメントは読んで頂けたでしょうか?
管理人さんの信心をお尋ねしています。
自力の信心か他力の信心かしかないのですから、別段難しい問題ではないと思います。よろしくご回答下さいませ。



「私は他力の信心です」または「私は自力の信心です」で済むはずの回答を、なぜ無視するのでしょうか?
質問は親鸞会で言うところの「真実開顕」のチャンスなはずです。
しかも難しい教義上の質問ではなく、他の誰かのことでもなく、ご自身の信心についての質問です。
長い記事を書く時間はあるのに、たった10文字以内で答えられる質問には答えないというのは、如何なる理由でしょうか?


親鸞会発行の『教学聖典』4号(19)には、
問 「私の信心はこうだ」というのは悪い、という人を破邪するには、どう言えばよいか。
答 ◎親鸞聖人が悪くなる。
  ○弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり。
  ○親鸞が信心におきては、かくの如し。         (歎異鈔)
という設問があります。

『教学聖典』は、作製された時に、会長が「死ぬかと思った」と言ったと聞いています。なぜそんな大事な『教学聖典』に従わず、「私の信心はこうだ」と言わないのでしょうか?
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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