FC2ブログ

『教行証文類』(教行信証)の題号からして理解していない高森顕徹会長(2)

前の記事で、高森顕徹会長は『教行証文類』の題号すら理解していないこと、浄土真宗の目的からして違っていることを示しました。度重なる外部からの批判に対し、浄土往生が目的だと言うには言うようにはなりましたが、言葉だけで実態は違います。

念仏者は、どんな幸せになれるのか

去年この記事にて、こんな面白い見出しで北日本新聞に、6月10日(日)の高森顕徹会長の講演行事の案内を載せていたことを紹介しました。しかも一面全て使ってです。信心決定の暁には「絶対の幸福」だとかいうものすごい幸福感が獲られ、その幸福感が死ぬまでずっと続くかのように思わせ、そうした現世利益を餌に人々を組織拡大要員として釣っているというのが実態ですから、こんなものは浄土真宗でも何でもありません。なので私は事あるごとに宗名(団体名)を改めるべきだと発言しています。

●宗名(教法または団体名)

親鸞聖人 浄土真宗
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 浄土真宗親鸞会(実態は浄土真宗でも親鸞聖人の教えでもないので、改めた方がよい)


と比較するのはそのためです。「高森教」とでも名乗るようにすれば、私は批判の手をすぐにでも止めるつもりですが、そうはしないでしょうね・・・。


ところで、高森会長は浄土ばかりでなく、『顕浄土真実教行証文類』の中の真実教真実行真実証についてもまるで間違っていることは多々述べているし、他のサイトでも種々に指摘されている通りです。親鸞聖人は、浄土(真実報土)に往生する真実の教と、真実の行(信を含む)と、真実の証を顕かにされましたが、この全てが親鸞会は間違っています。

まず真実の教に関してですが、今は所依の経、所依の著作ということで話をしますと

●真実の教(所依の経、所依の著作)

親鸞聖人 浄土三部経(真実教は『大無量寿経』。『観無量寿経』と『阿弥陀経』は隠顕の義がある)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 映画『なぜ生きる』や『教学聖典』、『なぜ生きる』、『歎異抄をひらく』といった高森会長の著作物
(経でも何でもない、会の創作物。経典や聖教は言葉を利用しているのみ。最近の高森会長の講演が、映画『なぜ生きる』やそのシナリオブックの解説にとどまっていることがそれを物語っている)


という違いがあります。これについては、

『親鸞会を脱会した人(したい人)へ』高森顕徹会長の講演DVDを見て、「法話」から「映画解説」になった理由が分かった件

等の記事をご覧頂ければ括弧の中の意味するところがよくお判りになると思います。『大無量寿経』が真実の教だと話してはいても、経の宗致である如来の本願は間違いだらけであり、経の体である仏の名号についてもそのこころが正しく説かれることはありませんので所詮口先だけです。

その証拠は、証果を開く(目的を果たす)ための真実の行(推進される行い、活動)の違いです。

●真実の行(推進される行い、活動)

親鸞聖人 念仏一行
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 邪義を聞く、朝晩のおつとめ、献金、勧誘、会長及び上司への無条件服従
(ワシの話を聞け。助業もせよ。雑行もせよ。ワシの指示に無条件で従え。ということで、念仏一行の否定)
(朝晩のおつとめは、会では光に向かう手段、横の道を進む手段という位置づけのため聴聞ではなく助業)


念仏一行に対して念仏一行の否定ですから真逆です。これだけ違うのに「浄土真宗」「親鸞」の名を団体名にしていることが噴飯物なのです。真実の教から真実の行が明らかになり、真実の証を得るというのに、教えが高森の教ではそこからは高森の行しか明らかにならず、それでは得られたとしても高森の証くらいです。

●真実の証(高森の証)

親鸞聖人 報土往生(現生では正定聚)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 絶対の幸福(になると死後に報土往生)


尤も、高森教でいう「絶対の幸福」とやらになったといっても、真実の行信とは全く異なるので真実の証果は開けません。所詮この世の幸福に目がくらんだ、あるいは苦悩の中で何かを聞いたり掴んだりした妄想の信心、暗示の信心であって、体験する/したとしても真宗とは異なるニセモノの信仰体験です。現役カルト信者とか、異星人の教祖様のコメントをご覧になれば、自称獲信者の信心は真宗の教えとは全く異なる信心だということがお判り頂けると思います。


更に教えの中身、中でも教判に関しては

●教判

親鸞聖人 聖浄二門判と頓漸二教判の組み合わせによる二双四重の教判
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 聖浄二門判と「三願転入の教え」という、横超の法門に横出の法門をドッキングしたような珍教判
(「絶対の幸福」だとかいう幻想的な楽を獲るために邪義を聞く、献金、勧誘、会長及び上司への無条件服従といった悪業悪行中心の「高森の行」をせよと勧める邪偽の教判)


という違いがありますし、教えの相承の系譜としては

●師資相承

親鸞聖人 龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、法然聖人の七高僧
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 伊藤康善師、大沼法竜師、戸田城聖会長(『会報』『顕正』『光に向かって』『こんなことが知りたい』等の著作物の内容は勿論パクリ、「絶対の幸福」等の言葉はパクリからの造語)


という違いが見られます。これについては随分昔に考察したので、下の参照をご覧下さい。


ともあれ、教えに関しては、浄土真宗と高森教とでは共通点を見つけ出す方が難しいくらい違います。言葉は真宗のものなので紛らわしいし、合っているのではないかと思う人もあるかも知れませんが、実態は全く異なります。私の指摘をその通りだと思うか、揚げ足取りだと思うかは、その人の学識や経験、高森信心が篤いか薄いか等によって違いがありましょうが、教義や組織についておかしいと思う点があるという方は、放っておかずにきちんと調べることをお勧めします。その上で会は間違っているのか、正しいのか、退会するのか、留まって求めるのか、あるいは別の選択肢を選ぶか・・・最後は自分で判断するのです。

自分は、この先親鸞会の教えについていけるのか。何よりも今宵の後生に、親鸞会の教えで救われるのか。会員の皆さんは、こういう点を軸に冷静に考え、判断して頂きたいものです。



【参照】
『教行証文類』の概要(2)ー立教開宗ということ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード